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2020年10月

不動明王真言と光明真言 (10月31日・土)


先日リッピングしたCDの中には真言宗のお経もあった。13年前にお遍路を始めた頃に買ったのだと思う。お寺では1番の霊山寺でもらった「四国遍路 作法とお経の意味」という小冊子を見ながらお経を読む。この中には十三仏真言が書かれていて寺ごとの本堂で祀られている仏の真言を唱える。

真言とはWikipediaによると「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」という意味らしい。サンスクリット語だから意味は分からないがたいてい本堂に真言が貼られているからそれを読んだり仏の名前から冊子の該当箇所の文字を追ったりする。今回は36番の青龍寺で初めて不動明王が出て来た。

「のうまくさんまんだばざらだんせんだまかろしゃだぁそわたやうんたらたかんまん」というのものだ。長いのでつっかえるのだが思い出したのは芸能山城組。今回新たに2枚のアルバムを買ったがJ社時代には山道を車で飛ばしながら「輪廻交響楽」をよく聴いた。この中にこの真言が出てくる。

だからこの長い真言を覚えていた。自分でびっくり。お遍路では光明真言も唱えるが妻が徳島への移住を口にした焼山寺奥の院への山道で唱えながら歩いたら楽だった。広島の宮島の山でも唱えながら歩いた。「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらはりたや うん」

モニターの検討 (10月30日・金)


バックアップ用のハードディスクが11年も前に買ったものだと知って機器管理簿を作ってみたら妻が使っているモニターが2008年購入だと判明した。PCと一緒にDELLで買って私が使っていたものだ。2011年に妻用のPCを買ったときセットのモニターを私が使い古い方を妻に回したのだと思う。

古くても表示ができればいいのだが2007年に買った三菱のモニターが壊れたばかり。それに解像度が1680×1050と少し小さい。顔ヨガ指導者養成講座がオンラインになってZoomで16人の顔を表示するのにフルHDの1920×1080が主流の今となっては買い換えの動機にはなると思うのだが。

妻に訊くと大きくなってZoomでの利便が上がるわけではないが故障リスクは気になると言う。故障しても2台ある私のモニターから1台を回せば緊急対応はできる。でもいい機会なので私のモニターを2560×1440のWQHDに買い換えようか。そこでヨドバシ.comの特集ページを参考に調べてみた。

WQHDで3万円台からある。解像度が上がって文字が小さくなっては老眼には辛いので最低27インチは必要だろう。文字サイズは20.7型のフルHDと同等と。31.5型だとフルHDの23.8型相当。現在の23型モニターの文字サイズを維持するには31.5型が理想だが横73cmはさすがに大きすぎる。さて。

高かった昔のPC (10月29日・木)


機器管理簿の作成を始めて古い歴代PCも整理してみた。昔のファイルの中にシステムイン東和でPC-9801VM21のマザーボードを交換している。税別2万円。1993年8月1日だから前の結婚時代だ。VM21は大学で使っていた1986年発売のはずでJ社の払下げだろう。実家に持って行った記憶がある。

この日記を始めたときに使っていたのはソニーのVAIOノート505EXだ。沖浜にあるコール徳島の領収書があって値段を見てびっくり。J社を辞める直前の1998年3月14日に買っているのだが本体だけで312,900円もしている。3月28日には21,000円でメモリを増設。標準32MBから64MBにした。

東京で今の妻と同居を始める前に買ったNECのデスクトップは新宿のさくらやで買った。261,975円。2005年に64MBからメモリを増設して254MBに。Pentium IIIのWindows98 SE。古いデスクトップPCは近所のY田君にジャンク品として昨年渡したがこのValueStar PC-VC500Jは今も手元にある。

当初共用だったが2001年妻専用にIBM ThinkPadを買った。さくらや渋谷店で220,290円。Windows MeをXPに換えメモリを64MBから320MBまで増設して2007年まで使っていた。以前は手を尽くして延命させていたのに今はCPUもメモリも最初から贅沢に投資できる。それだけPCが安くなったのだ。

機器管理簿の作成整理 (10月28日・水)


先日買ったUSBハブをようやく設置。調べたら昨年11月に敢えてUSB2.0のハブを買っていた。USB3.0のハブに2.0対応機器に混在しないよう接続を見直していたらバックアップに使っている1TBのハードディスクがUSB2.0だった。いつ買ったものかこの日記で検索すると2009年。もう11年だ。

もしかしたらUSB3.0対応に買い換えた方がいいかも知れない。そんなことを考えていてストレージにしろ混乱したスイッチングハブにしろ何をいつ買ってどういう規格か把握できていないことに思い至った。妻と私のPCも何年の何月頃に買ったか把握していたのに既に分からなくなっている。

機器管理簿がないのである。PC周辺機器の規格はどんどん変わる。故障リスクのほかに規格を把握しておくためにも整理しておく必要がある。というわけでPC周辺機器からリストを作り始めた。メーカーと型番と購入先と価格に製品URL。HDDなら容量とインターフェースといった主な仕様だけ。

それと購入日。厳密な日は必要なく年が分かればいいがこの日記の記述がある日を購入日とした。日記の記述を見れば購入の経緯などが分かる。過去のメールやファイルを引っくり返しながらまとめていて丸2日かかってPCと周辺機器がまだ終わらない。でも家電品も整理しておこうかと。

iPhone12とiPhone4とiPhone5s (10月27日・火)


10月23日にiPhone 12が発売された。前週の発表以来あちこちの記事を読んで今回の変更点はだいたい把握した。カメラの性能向上は素晴らしいが旅行に行くときはデジカメを持参するし普段頻繁に写真を撮るわけでもない。昨年モデルより若干小さく軽くなったのも好感したが決定打にはならない。

今回4つある製品の中で買うならiPhone 12Proだと考えたが5Gはまだ使えないし今のiPhone 7で不便もない。iPhone 11Pro Maxを使っている客人に金曜の空港で訊くとマスク姿をFaceIDは認識しないとか。来年復活の噂がある指紋認証に期待して待とう。iPhone 7は4年経ったが今回もパス。

初めてiPhoneを買ったのはちょうど10年前の2010年。そのiPhone 4はSleep Cycleというアプリを入れて目覚まし専用機として使っている。ところが10年経ってバッテリーのヘタリが目立つ。目覚ましが機能しないことが何度かあって見るとバッテリー容量がゼロになっていたりする。

大事なときは携帯電話の目覚ましも使うから実害はないがそろそろ限界か。 そこで7年前に買ったiPhone 5sに交代させようとSleep Cycleをセットしたのだが電源ケーブルを繋いだままにしろと。そうだった。本来は充電しながら使うのだった。それならiPhone 4でも十分だ。というわけで元に戻る。

草刈り機で怪我するところだった (10月26日・月)


フォレスターの運転席シートには3年半前に買った空調服のクッションを使っている。USB給電でファンが回ってシートを冷やすというものだ。そろそろ冬仕様にした方がいいと思い午後に外した。助手席にはコーナンで買った安いネットシートを敷いているがこれも外した。

金曜に客人と行った賢見神社で買ったお守りの1つは車用でフロントガラス助手席側の左端に付けたのだが昨日夕食で阿南の桃李に行ったとき鈴がうるさく感じる。一旦外して鈴の割れ目に結束バンドのプラスティック部を押し込んで音が鳴らないようにした上で右後部サイドガラスに付け直した。

いい天気で駐車場にはうちの車2台と軽トラが1台。車2台を待避させて草を刈った。ツツジの植え込みで伸びた枝は住宅の植木用鋏を持ち出して刈り込んで。次に南側ベランダ下で伸びた草刈り。終えて草刈り機を立て掛けて木製の塀を乗り越えたところで誰かに左腕を叩かれたような感覚があった。

見るとTシャツの袖が破れている。草刈り機が倒れかかってきたらしい。エンジンは切ったが刃の回転は止まってなかったのだ。出血はないが帰宅して確認すると肌に赤い筋が入っていた。1〜2秒早ければ回転が落ちきらない刃が袖より下の肌を直撃して腕を抉っただろう。危なかった。気を付けよう。

『反省記』 (10月25日・日)


一度書いた西和彦『反省記―― ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”で学んだこと』(ダイヤモンド社)を読み終えた。私がアスキーの人たちと付き合っていた1990年代の裏話は悲しい。創業者の郡司さんと塚本さんが離れたことや巨額の赤字に陥り実権を失う下りなど。

私が初めて西さんを見たのはパソ協(現・コンピュータソフトウェア協会)の理事会後の記者会見だった。当時副会長だったと思うが話している内容が支離滅裂でびっくりした。それはビル・ゲイツと決裂して失意の中にあって毎日を泣いて暮らしていたときだったのだと今になって知った。

CSKの傘下に入りセガのゲーム機に関わり大川会長の秘書をしていた頃は私がJ社を離れていたのでよく知らない。小島さんらの造反を含めて人を批判するときは相手の名前を伏せているのにマイクロソフト初代社長の古川さんのことだけは実名を出して裏切りだと何度も書いているのが印象に残った。

CSKの大川会長が亡くなる直前に大学で教えることの方が向いていると言われ工学教育に奔走していることは初めて知った。興銀の中山素平さんに言われた「国のため、人のため、世のため、君は何ができるんだ?」という言葉。「感謝しているときが『幸せ』なのだ」という発見。いい本だった。

婚約指輪と結婚指輪 (10月24日・土)


昨夜22時過ぎに来た独身のF澤君と妻と3人でいて婚約指輪の話になった。PR代理店時代にフランスの宝飾ブランドの仕事をしてきた妻は宝石の価値は重さだけだと言う。生活に困って売却するときデザイン性やブランド力には意味がないと。F澤君は彼女のために婚約指輪は必要だと健気に反論する。

そんな会話の中で妻は仕事で買った宝石などを出してきた。その中には私が贈ったらしい婚約指輪もあるが全く記憶がない。妻が選んで私が支払ったはずだが覚えていない。結婚指輪は妻が信奉する鍼灸の先生から身体を締め付けるものは止めた方がいい言われて結婚半年ぐらいで着けなくなった。

その指輪は妻に渡したがそう言えば1月に実家の納屋から持ち帰った荷物の中に1回目の結婚の婚約指輪があった。全く記憶はないのだが離婚したときに返されていたらしい。本棚の積み重ねた箱の一番下から取り出して3人でダイヤモンドは何カラットだろうといった話など。

生活に困ったら売却するという宝石コレクションに加えておきたいと妻が言うものだからこれも渡した。結婚指輪も2人分あったのだが既に箱に入れて一番下に片付けたので次に出したときに渡しておこう。私が指輪に何の関心もないということだけは改めてよく分かった。

かずら橋から賢見神社と大麻比古神社 (10月23日・金)


昨夜は0時過ぎに寝て8時半頃目が覚めた。9:45にロビーに下り私は荷物を積み込むため先に車へ。車を駐めたのは4Fだと思ったら3Fでエレベーターで行ったり来たり。10時ちょうどにクレメント車寄せ。弱い雨がまだ止まない中を客人と妻を乗せて徳島ICから徳島道で祖谷橋で祖谷そばの昼食。

12時半頃に店を出てもまだ晴れないので予定を変えて祖谷のかずら橋へ。いつもの奥の駐車場に駐めて客人だけ橋を渡り私たちは撮影係。川も奥の滝も水量が凄くて面白かった。ここから今回の目的地である賢見神社へ。私たち夫婦は1月以来。雨は上がって晴れ間も出て来た。

手持ちのお守り2つを返して新しい車用と手持ち用のお守り2つを購入。客人が1人でお祓いを受けて私たちは待機。3人で下の奥社まで行って滝行の真似事も。増水して足が濡れないよう石を伝って頭頂部だけ濡らした。帰る頃にはすっかり晴れて青空。下りようとしたとき鹿も見た。

徳島道を戻って次は藍住で下りて大麻比古神社に17時直前。霊山寺前で2人を降ろして夕食はあらしへ。18時前だったが意外に空いていて刺身定食に天ぷら盛り合わせ。空港で写真を客人に送って。高校の同級生D口と偶然会って20時撤収。22時過ぎに徳島に出向している町職員F澤が泊まりに来た。

東京の客人と高松から神山 (10月22日・木)


妻の仕事関係で東京からの客人を迎えに高松。9:35に出て松茂から高松道に行くつもりが気づくと眉山が右前に。徳島に向かっていて藍住まで行けばよかったが徳島ICで下りて改めて鳴門ICから高松道。ダイワロイネット前の横断歩道に駐めて慌てて客人を乗せた。そこからサンポール高松。

タワー地下に駐めて29階のレストランで昼食。高松道に乗って鳴門IC。今日は1日雨模様なので予定を変えて神山へ。道の駅に寄って上一宮大粟神社。弱い雨の中を静かな境内で参拝。続いて立岩神社。もう一度道の駅に寄ってから石井へ。素直に新童学寺トンネル経由で次に国府の気延山。

合間に私たちの移住前のことやスピリチュアル体験などを話しながら17時に矢倉比売神社に着いて参拝。暗くなった階段を下りて徳島駅前のホテルに送ったのは17:50。私たちも車を駐めてチェックイン。慌ただしく準備して客人を迎えて18時半予約の一鴻駅前店。2年ぶりぐらいだっけか。

私はビール4杯。客人はウーロン茶ばかり3杯だったか。半個室だが隣のグループの声がうるさい。20:40頃に解散して妻とホテルクレメントの最上階のバー。30年近く前に接待でJ社社長に付いてソフトバンク孫社長らと来て以来だ。ギムレットを2杯飲んで部屋に戻ってビール1本。

フィットのパンクとレーダー探知機の更新 (10月21日・水)


フォレスターのドライブレコーダー用microSDカードはこれまで通り32GBを使うことにしたわけだがレーダー探知機も確認しておこうと思い立った。4年前に買ったセルスターAR-353GAだが本体にスイッチはなく全てリモコンで操作する。ところがリモコンを使っても何も動かない。電池切れか。

昨夕妻に買って来てもらうと復活。一方フィットの左後輪の空気がないと妻が言う。見てみると明らかにパンクだ。T中氏に来てもらい応急措置として仮のタイヤを入れ後日修理してくれるという話。その作業中に私はフォレスターで無線LAN設定。以前アクセスできたのは前のルーターだと思う。

Wi-Fi接続はできたがデータが更新される気配はない。一旦戻ってPCからWebにアクセスするとmicroSDカード経由で更新できるらしい。すっかり忘れていたが昨年12月にもやっている。ともかく手元にあった8GBのmicroSDカードにダウンロードして本体にあったカードと交換して挿入。

あっさり自動更新されて最新の2020年10月度版になった。さて昨夜から冬布団。今年は縮小された秋祭りだがその前にと今日は散髪で鳴門往復。探知機の設定も諸々。音が出ないのだがまぁいいか。ただし起動のたびエラーメッセージが出るので元のmicroSDにファイルを入れ直して挿入して解決。

ドラレコのマイクロSDカード (10月20日・火)


ドラレコのmicroSDカードをウォークマンに流用しようかと考えつつまずはフィットのフロント用ドラレコのカードを8GBに戻すことにした。今まで使っていたのは3年前に買った32GB。これを抜いて手元にあったオウルテック添付と思われる8GBを挿入してマニュアルを確認してフォーマット。

そう言えばフィットの後部用ドラレコが最近頻繁に再起動を繰り返すのでSDカードを抜いてデータを見てみた。問題はないように思える。電源ケーブルが合わず変換コネクタを入れているので不安定なのかも知れない。これもフォーマットして音が出ないようにして狂っていた時計も合わせた。

フォレスターのドラレコは純正品だが64GBが使えないか調べるとケンウッドの該当品と思われる機種の定格に8〜32GBと書かれている。もしSDHC対応なら64GBのSDXCは使えない公算大。それに今までの32GBを流用するにもSDカードの読み書き回数は有限だから定期的に交換した方がいいらしい。

つまり古いカードをウォークマンに流用するのは止めた方が良さそうな。それでフィットから抜いた32GBはフォレスターのドラレコ用にPCでフォーマットして予備に。買った64GBが届いたので試しにドラレコに入れてみたが「SDカードエラーです」。予定通りウォークマンで使うことにした。

ウォークマン用のmicroSDカード (10月19日・月)


先日来リッピングしたFLACファイルをウォークマンに転送していたら標準の16GBメモリでは当然足りない。システム領域を除いてデータ領域は12GB程度。PC上のファイルは全体でも69GBだから標準12GBを入れて64GBで十分。全曲は転送しないので45GBあればOKで12GBを引いて32GBでもいい。

手元のmicroSDはドライブレコーダーの添付品8GBばかりが4枚。3年前2度32GBに交換したときの余りだ。ドラレコの32GBをウォークマンに流用してドラレコは新規に64GBにしようか。ところがフォレスターのドラレコは昨年換えていて説明書には添付の8GB以外の保証はしないと書いている。

ともかくまずは外部メモリがウォークマンでどう扱われるのか確認だ。手元の8GBを入れてフォーマットするとPCからのデータ転送先は標準か外部メモリか指定できる。ウォークマン上での表示は一体。それなら8GBを何枚かジャンルごとに使い分ける方法もある。それはさすがに面倒か。

ヨドバシで調べると64GBのmicroSDXCが7,130円。ウォークマンの仕様を確認するとスタンダードmicroSDやSDHCに対応しているので4K映像対応のような最新である必要はない様子。サンディスクの説明を参考にUHS-Iの敢えて2年前のmicroSDXCカード4,300円で十分だろう。ヨドバシでポチ。

かな漢字入力ができない (10月18日・日)


2週間ほど前からPCでひらがな入力ができなくなることがある。かな漢字変換のためにアルファベットからひらがな入力をするのだがこれが半角アルファベットのまま表示される。ATOK Passportを使っているから最初はATOKの問題だと思った。でもMS-IMEに切り替えても症状は同じ。

PCを再起動すると直る。これが1日に1回以上起こるようになり試しにキーボードの電池を抜いて入れ直すと直ったり。ところが次に症状が出たときキーボードの電池を抜いても直らない。別のソフトでは入力できることもある。そうすると直るが別のソフトでも同じ症状だと再起動するしかない。

CDリッピングを始めた頃から始まったような気がするからメモリが圧迫されているのかと考えてみたり。でも今日はリッピングもせず日本語入力も全くしないうちから症状が出た。もしかしたら新たに入れたソフトが悪さしているのだろうか。でも法則性がない。

キーボードの問題かも知れない。9月にマウスを交換したがキーボードは古い方をそのまま使っていた。そこで今日は新しいキーボードに切り替えた。でも症状は直らない。とりあえずPCの設定−デバイス−入力−キーボードの詳細設定−既定の入力方式の上書きを日本語ATOKにしてみたが。さて。

バイク遍路の記憶 (10月17日・土)


先月のお遍路で思い出したことがある。八十八カ所のうち高知と愛媛のお寺は1993年のGWにも行っている。当時の奥さんの母上が前年末に亡くなり彼女が行きたいというのでバイク2台で回った。今回改めて回って道もお寺もほとんど初めて行くような感覚なのだが一部覚えていることがあった。

一つはお寺からの戻りの下り道で上がってくる車とすれ違うのに苦労した右ヘアピンカーブ。バイクは下り坂でバックができない。しかもダート。倒れないだけで精一杯。今回あれが27番の神峯寺だと分かった。今も車の対向には気を遣う狭さだが少し拡幅されたと思う。さすがに舗装もされていた。

記憶では坂道から視界が開けていたが今回は木に覆われていた。車道を作るのに周辺の木を伐ったが27年経って育ったのかも知れない。2つ目の記憶は36番の青龍寺の直前で2本に分かれた道を左側を進んだが正しくは右の道だった。途中から戻れたが1993年も同じ間違いをしたような気がする。

次に回る予定の37番の岩本寺への道は1993年は雨だった。当時高速はなく国道を54km。後ろを元奥さんが付いてきているが激しい雨の中カッパを着て1時間は辛かった。岩本寺では元奥さんが納経帳を寺のドライヤーで乾かすのを眺めていた記憶もあるが私は納経帳は持ってなかったのだろうか。

TOTOとペンタトニックスと芸能山城組 (10月16日・金)


カートに 入れていたピンク・フロイド初期のアルバムだがアマゾンが年に1度のセールだったので注文して今日CD計5枚が届いた。さらにペンタトニックス。3年前に知って聴き始めた5人組アカペラグループだ。日本版1&2と4枚目は持っていて何度も聴いているので今回は3枚目「Ptx 3」も購入。

それからTOTOの3枚目「ターン・バック」。1981年発売で高校3年のときLPを買った。おまけだったバッヂを探したら見つかった。後に京都の駿台予備校にいた後輩W君が私の下宿で聴いて涙した「アフリカ」が入っている4枚目はレンタルレコードをダビングしたものだった。これも買おうかと。

さらに芸能山城組。前に書いたが高校の音楽の授業で川人先生に教えられてLPで「恐山/銅之剣舞」を買った。CDで買い直し仏教の経典をモチーフにした「輪廻(りんね)交響楽」も繰り返し聴いた。今回はやっぱり買っておこうとまずアニメ映画「AKIRA」の音楽集「Symphonic Suite AKIRA」。

もう1枚「翠星交響楽」。英語タイトルが「Ecophony Gaia」で地球の歴史をモチーフにしているが西洋音楽と能楽と仏教の経と具象音が混じり合っていかにも芸能山城。歌詞の一部を小松左京が書いている。中古で3,980円もしたが今はアマゾンで9,800円になっている。これも聴き込もう。

※TOTOの1枚目「宇宙の騎士」と4枚目「TOTO IV~聖なる剣」は10月19日に購入。(2020年10月19日追記)

『メガバンク宣戦布告 総務部・二瓶正平』 (10月15日・木)


ドラマ「半沢直樹」が盛り上がっているとき日経新聞の広告で知って買った。今さら「半沢直樹」の原作を読む気はないが同じように銀行を舞台にした小説で幻冬舎が全5段広告で大プッシュしているなら面白いのだろう。波多野聖『メガバンク宣戦布告 総務部・二瓶正平』(幻冬舎文庫)を読んだ。

日本最大のメガバンク東西帝都EFG銀行が舞台なのだがどう読んでも三菱東京UFJ銀行である。財閥系の帝都銀行出身者が幅を利かせ頭取は帝都銀行への名称変更を画策する。交渉の末に金融庁長官が条件にした大量の超長期国債を購入をしたとたん金利が急上昇。巨額の含み損を抱えてしまう。

主人公は東海銀行出身ながら本社で生き残ってきた総務部次長だが物語の中心にいるのは東京銀行出身で相場師の専務。さらに三和銀行出身の2人の常務も出てくる。ここに農林中金やら香港で成功したヘッジファンド総帥や米国大統領候補に通じるファンドの女性らが登場して物語が絡み合う。

銀行の社内論理だとか役所の行動基準だとか随所にあって面白いのだが登場人物のうち香港の総帥は主人公の同級生で専務の愛人に片思いしているとか米国の方は専務の自殺した同僚の元恋人とかややこしい上に偶然が多すぎる。主人公の同級生で専務の愛人がキーなのだが今いち没入できなかった。

ピンク・フロイド初期とシド・バレット (10月14日・水)


音楽CDをPCに取り込んで整理したところでピンク・フロイドの初期のアルバムを持っていないことが気になった。大学時代にLPを買って実家に置いてあるがCDがない。青春時代に親しんだ音楽を聴くと落ち着くからやっぱり欲しい。妻に言わせればピンク・フロイドは悪魔の音楽ではあるが。

アマゾンで調べると同じアルバムでも数年おきに新盤が出ている。最新は紙ジャケット仕様。2万ポイント以上あるヨドバシで調べても売られている。でもヨドバシのポイントを差し引いてもアマゾンの方が安い。「夜明けの口笛吹き」「神秘」「雲の影」「モア」をアマゾンのカートに入れた。

2枚組の「ウマグマ」だけは値段が大きく違わないのでヨドバシのポイントで購入。こうなるとピンク・フロイド初期のリーダーで精神を病んで脱退したシド・バレットのソロアルバムも欲しい。これもLPで持っていて学生時代に聴いた。「帽子が笑う・・・不気味に」と「その名はバレット」。

これにピンク・フロイドのデビッド・ギルモアがプロデュースした「幻夢 シド・バレット・オールタイム・ベスト」があると知り購入。この3枚は先月発売されたばかりの紙ジャケットで今日届いた。これにポリスとペンタトニックスとキング・クリムゾンのCDを忘れていたので合わせてリッピング。

顔ヨガオンライン講座と今期の売上 (10月13日・火)


コロナ禍で妻の仕事は壊滅状態だと8月に書いた。その後8月の売上は8割減の前年比19.1%。妻の業務だけなら9割減。しかし9月は前年比141.7%。今期初めて前年を上回った。10月は前年比78%予想だが5月から8月の状況は脱した。10月決算の通年では前年度比62%の売上を予想している。

8月には今年度は5割減だと考えていたので何とか持ち直した。140万円ほどの赤字になるが最後に持ち直したのは9月と10月にオンラインで顔ヨガ指導者養成講座を始めたことに依る。オンラインではZoom画面に妻と講師の2人を入れて16人がちょうどいいと定員は14人。絞っている。

リアル講座では定員25人程度だったから効率が悪い。それでもコロナ禍では仕方がない。それに東京や大阪の講座に来られない地方の人や子育て中の人も参加できるからむしろ市場を広げたと言うこともできる。ありがたいことにキャンセル待ちも発生して11月と12月にも講座を追加した。

初級講座は9月に1度4日連続で開催し10月は土日土日の4回と月火月火の4回が続いた。土日月火の4日連続が2回。それが今日終了。妻は一昨日も昨日も禁酒して臨んだから今日はビールを飲むと張り切っていた。周りの状況も自分たちも常に変わる。常に変わるのが常であると改めて思う。

三原山の噴火とニシノへの電話 (10月12日・月)


NHK「ブラタモリ」が再開した今回は伊豆大島の三原山の話だった。最も最近に噴火したのは1986年らしい。それで思い出したのはその日が金曜日だったということだ。調べてみたら11月15日。あれれ土曜日だ。Wikipediaの記述を読んでいると6日後の11月21日に最大の噴火が起こったらしい。

この21日の金曜日は午後からテレビは三原山の報道一色だった。NHKはもちろん日本テレビも三原山。金曜の夜8時からは日本テレビ系列で「太陽に吠えろ」の放送が始まる。でも早々に変更が告知されたか番組は変更されると私が思っただけか東京の友人ニシノに電話をしたのだった。

ニシノは「太陽に吠えろ」の大ファンで金曜は19時を回ると電話を押し入れの布団の間に押し込んで着信があっても音が聞こえないようにして集中する。だから早々に今日は「太陽に吠えろ」はないよと教えてやろうと思ったのだ。というか残念だったねと冷やかそうと思ったのだ。

でも1986年のニシノは5回生。4年で落第した科目があって追試の連絡も沖縄旅行中で繋がらず留年して沖縄で暮らしていたはずだ。1987年3月に私が沖縄にニシノを訪ねているのだが。曖昧な記憶だ。気になるので本人に訊いたら沖縄は2月からだと。やっぱりあの日に電話をしたのは東京だった。

CDリッピング合計237枚 (10月11日・日)


ほぼ1週間掛けたCDのリッピング作業は昨夜終わった。リッピングしたWAVEとエンコード後のFLACを1TBの外付けHDDに入れた。計177GB。数えてみたら洋楽が137枚。邦楽が54枚。クラシック7枚。合唱曲は「響」がほとんどで18枚。民族音楽10枚。お経など宗教系が4枚。ほか合わせ全237枚。

個人制作の「響」のCDは回転音が凄くて途中で止まりトレイが出てこなくて焦ったが他は順調。CDを入れてExact Audio Copyで提示されるアーティスト名とアルバム名をコピペしてフォルダを作る。このフォルダを指定してリッピング。FLACだけコピーして一部を除いてソニーのMusic Centerに登録。

この作業をCDを入れ替えて237回。最後に177GBをNASにもコピーしてバックアップ。中にはCDDBにデータがなくアルバム名などを手入力するものもあって手間が掛かった。ジャケット写真も邦楽中心に20枚ほどデータがなくてスキャン後リサイズしてMusic Centerにドロップして登録した。

ウォークマンに転送したのはごく一部。昨日はヘッドホンがiPhone7と接続していてびっくり。iPhone7のBluetoothからヘッドホンは削除。ヘッドホンの左耳にウォークマンを近づけるとNFCで瞬時に接続することを知って便利さを実感している。ノイズキャンセル機能とともに快適な環境ができた。

※手元に洋楽6枚が残っていたのでこの時点で所有していたCDは洋楽143枚。合計243枚。(10月14日追記)

高知の宿2軒 (10月10日・土)


2週間近く前のことだがお遍路で泊まった宿をまとめておく。28日北川村温泉ゆずの宿3年前の夜に通った。うさぎを轢いた場所にも気づいた。宿は迂回路に入らず通行止め道路に入ったところにある。宿の入口で靴を脱いでサンダルに履き替える。部屋は奥から2番目。畳敷きのツインベッド。

2018年5月に完成したらしく新しくきれいだがトイレから出て手を洗うには洗面所に入り直すのが地味に不便。ローテーブルは使いにくく椅子2脚の前のテーブルは小さすぎる。隣の部屋の声も壁から聞こえる。食事は量が少なめで美味しかった。とろとろした湯の露天風呂も好印象だった。

29日に泊まった三翆園は聞けば全121室で最大約300人の大きなホテルだが29日は21室50人だけ。施設工事中で安かったのだが車止への進入が制限され駐車場が向かいの立体駐車場になっただけで特に不自由はなかった。ただし昔の大旅館の趣で夕食会場は大きな畳敷きの宴会場だし風呂が遠い。

部屋は507号のツイン。24畳ほどある洋室にソファにテーブル。別に4人掛けのテーブルに椅子が2脚。さらにドレッサーの机と椅子。ユニットバスに古さを感じるし廊下から部屋の声が聞こえる古い作りだが悪くなかった。山内家屋敷跡なので3年前に泊まった鹿児島の城山観光ホテルを思い出した。

コーヒー豆ボトルとすだち搾り (10月9日・金)


コーヒー豆はたいていグァテマラ250gとコロンビア250gを買ってくる。コロンビアの代わりにブラジルだったりモカにすることもある。しかし合計500gでは2週間ぐらいで飲んでしまう。5月頃だったかこはくの天使のマスターにペースが早いと言われた。妻が出張に行かなくなったのが原因だが。

こまめに買いに行くのも面倒なので先週250gずつ3種類の豆を買ってみた。ジッパーの付いた袋に入れてもらい帰宅してから瓶に移し替えるのだが今まで瓶は2つだけだったが1つ足りない。それで新たにカリタのAll Clear Bottle 300を買った。これからはブラジルを300g買ってくることにしよう。

今夜は秋の恒例行事であるすだち搾り。9月25日に買って来たすだちの大半は仕事先などに送ったがまだ10kg程度が残っていた。これを貝印のすだち絞り器を使って日本酒の4合瓶に流し込んだ。妻が用意したすだちは残り物の半分程度だったが4合瓶でちょうどいっぱい。

そして今日もCDのリッピング。「響」のCDが何十枚もあったがDVDが交じっていたり。楽曲に分かれていないものがあったりしたのでリッピングしただけ。一方で妻のCDをリッピングしていると邦楽中心だが洋楽もある。こんな曲も持っていたのかと20年目にして知る。範囲を広げ聴いてみよう。

※すだちは残りを10月17日に絞ってさらに4合瓶2本とポン酢の瓶に。(2020年10月17日追記)

USBハブとウォークマン (10月8日・木)


最近キーボードやマウスやオーディオ送信機などBluetooth機器を買ったことと充電するためのケーブル類でPCのUSB端子が満杯になってしまった。充電ケーブルは共用できればいいのだがソニーのヘッドホンは端子が違う。そんなわけで3台目のUSBハブを買った。バッファローの4ポート

さらにPCに取り込んでいる音楽を聴くためウォークマンも買った。NW-A55のゴールド。価格はソニー公式サイトが送料込21,991円。ヨドバシは22,060円。ポイントを引いて19,854円。2,137円も差があるのでソニーの3年保証は諦めてヨドバシで購入。シリコンケースCKM-NWA50も一緒に。

今日届いたのだがサイズが小さくてびっくり。まずは液晶フィルムを貼ってケースに入れて充電。4時間も掛かるということで昼過ぎに始めて夕方まで。ヘッドホンとのBluetoothのペアリングはすぐできたが曲を聴いているとき有効にならないと思ったらヘッドホンケーブルが繋がったままだった。

使い方はだいたい分かった。メモリが16GBなのでマイクロSDカードを買おうかと思っていたが全アルバムを転送させることもないと様子見することにした。CDのリッピングはクラシックや民族音楽などCDDBにないものもあるし演奏者名の修正などに手間取ってペースダウン。残るは邦楽50枚ほど。

ロジャー・ウォーターズとニック・メイスン (10月7日・水)


ツイッターでプログレッシブロックの情報について書いているshig-sakという人がピンク・フロイドのアルバム「アニマルズ」についてCDの音質は紙ジャケットのリマスタリング版が出てようやく良くなったと書いていて過去のCDをリッピングしている折なので思わず買ってしまった。

「アニマルズ」は学生時代にLPで持っていて1990年頃にCDで買い直したから今回で3枚目だ。早速PCに取り込んでFLAC化はこのCDだけにした。大学時代以来何百回と聞き込んだアルバム。ピンク・フロイドの4枚目までのアルバムはLPでしか持ってないのでこの機に買い直そうかと考え中。

shig-sak氏が意外によかったと書いていたのがピンク・フロイドのドラマーであるニック・メイスンのバンド「ニック・メイスンズ・ソーサーフル・オブ・シークレッツ」がフロイド時代の楽曲を演奏して今年9月に発売したアルバム「ライヴ・アット・ザ・ラウンドハウス」。これもCDで購入。

それから1983年のアルバム「final cut」までリーダーだったロジャー・ウォーターズのソロアルバム「アス・アンド・ゼム(完全生産限定盤)」をブルーレイで買った。shig-sak氏はロジャー・ウォータースのメッセージについてブログに書いている。これは時間のあるときにゆっくり観るつもり。

CDをWAVEで取り込みFLACにエンコード (10月6日・火)


Exact Audio Copy(EAC)というリッピングソフトをダウンロードして日本語化はこのサイトを参考に。さらにEAC単体ではFLACにできないのでこのサイトを見てエンコーダーの最新版らしきファイルをダウンロード。最初にCD全体をイメージとしてリッピングしたのだが個々の曲名が分からない。

それでアルバム単位でリッピングかつエンコードしてみた。ところがWAVEとFLACが同じフォルダに入ってしまうから同じ曲が2つずつあるように見える。エクスプローラーでフォルダの種類をミュージックからドキュメントに変えてWAVEとFLACを分けた上でFLACファイルだけをコピー。

このフォルダをソニーのMusic Centerにドラッグ&ドロップしてCDDBからジャケット写真も得るという方法にした。ソニーのソフトを使えば演奏者とアルバム名でフォルダを自動で作ってくれるのにEACだと全てを手作業でしなければならない。正確なリッピングを優先するから仕方ないのだが。

リッピングすると4枚に1枚程度「正確であるか確認できませんでした」というメッセージが出る。古いCDでも聴いた回数が少ないと出ない。ただ全てCDの終曲で最後の様子なので気にせずコピー。今日までに約80枚をリッピングしたが全体のまだ5割弱。PCのドライブを休ませながらも酷使している。

リッピングソフトと可逆圧縮FLAC形式 (10月5日・月)


音楽CDをPCにWAVEファイルとして取り込んでウォークマンにコピーしてBluetoothかケーブルで聴くのがいいように考えたわけだがそもそも音楽CDには寿命があることを思い出した。30年だったか40年だったか。物理的に劣化する。それならバックアップのためにもリッピングしておいた方がいい。

どうするんだっけかと調べてみると専用ソフトがある。さらにファイル形式はmp3やwmaなど不可逆圧縮は論外だが可逆圧縮のFLACという形式があると知る。ハイレゾ音源の膨大なデータをどう配信しているのか今まで疑問だったのだが圧縮率50〜65%のFLACが使われていると。知らなかった。

さてリッピングソフトを探していたらソニーがウォークマン用のMusic Center for PCというソフトを無料で公開している。試しに使ってみたら超簡単。これでいいかという気になった。ファイルは覚えたばかりのFLAC形式。CDDBから曲名やジャケットも取得して表示するのは便利だ。

デビッド・ギルモアの「On An Island」を取り込んだがオンキヨーからBluetooth経由より音がいい。でもソニーのソフトはリッピングが早すぎてバックアップとしては少し不安。結局このサイトを参考にExact Audio Copyというソフトをダウンロード。日本語化して諸々の設定をしている。

『邦人奪還―自衛隊特殊部隊が動くとき―』 (10月4日・日)


この本もツイッターで知って買ったように思う。伊藤祐靖『 邦人奪還―自衛隊特殊部隊が動くとき―』(新潮社)を読んだ。呉にある海上自衛隊特殊部隊第3小隊の隊長が主人公。第3小隊の隊員や習志野の陸上自衛隊特殊部隊の小隊長や首相と官房長官と陸海自衛隊の幹部たちが登場する小説である。

物語は尖閣諸島魚釣島に海上保安庁の目を盗んで3人の男が上陸し日本国旗を中国国旗に差し替える事件から始まる。日本政府は中国政府が動く前に上陸した人物を「蒸発」させよと海上自衛隊特殊部隊を差し向ける。ヘリコプターで海上に下り泳いで魚釣島に上陸したのは第3小隊長と部下2人。

ここでの相手の心理を読んだ作戦はプロローグ。本当の物語は北朝鮮で起こったクーデターに乗じ米国が爆撃を予定する地区に日本人拉致被害者6人がいるとの情報を知った日本政府が邦人奪還に自衛隊を差し向けるという物語。主人公は首相に向かって自衛隊員の死亡を引き換えにする覚悟を問う。

法解釈や政府内の権力闘争も絡むし自衛隊幹部の権威主義を批判的に書いているがテーマは特殊部隊の戦闘能力を知らしめることと国民のために死ぬという隊員たちの覚悟だろう。米国の影がちらつき最後はどんでん返し。途中から止まらなくなって一気に読んだ。面白い小説だと思う。

ノイズキャンセリングヘッドホン (10月3日・土)


日曜に届いていたソニーのノイズキャンセリングヘッドホンWH-1000XM4の設定を行った。まずはマニュアルを読むところから。ボタンは電源とカスタムの2種類のみ。右の外側をなぞるだけで音量などの操作ができる。まずはiPhoneとのペアリングをしてコントロールアプリをダウンロードした。

ノイズキャンセル機能は思い通りで音楽を流さなくてもオンライン講座中の妻の声がほとんど聞こえなくなる。1m先の電話から聞こえる声のよう。よく行く場所ごとにレベルを登録できたり外音取り込みの調整もできる。自分がしゃべればノイズキャンセルがオフになるし手動で切ることもできる。

ただしiPhoneの音楽を聴くと低音は響くが音は良くない。次に5月に買った送信機とペアリングしてオンキヨーのプレーヤーからCDで同じ曲を聴くと音が断然いい。なるほどiPhoneで取り込んだアマゾンミュージックの配信ファイルの音質の問題か。PCのUSB送信機からBluetooth接続はできず。

次にPCで同じ曲を掛けてケーブル接続で聴くともっと音がいい。ただし付属のケーブルは短くて実用的でないし延長ケーブルを使ってもヘッドホンを忘れて立ち上がって抜けるリスクがある。さてどうしたものか。夜はコーヒー豆買うついでに阿南の桃李で夕食。帰りに勝浦の2カ所で花火を見た。

国勢調査とアンケート回答とだんじり保存会 (10月2日・金)


国勢調査にネットで回答。業種に何と書いていいか分からず時間が経ってIDとパスワードを入れ直した。次に中小企業庁から届いた「委託元との取引に関する調査」。不当な圧力を受けていないかという調査だが今までは郵送で返信する形態だったから無視していた。今回はネットになったから回答。

徳島県からは立地工場等実態調査が封書で届いた。希望者にはExcel書式をメールすると書いてあるが私はここ数年メールで回答している。なぜ最初からメールしてこないのか。行政のデジタル化が課題の折にバカな仕事ぶり。今回は無視。催促の電話があるはずだからそのとき文句を言おう。

夜はだんじり保存会の会合。11月3日の秋祭りは花火も出店もなく神事のみ実施とのことだがだんじりも中止と。あれれ。だんじり囃子は神事じゃなかったのか。コロナ禍の今年でも3月の春祭りも7月の夏祭りも実施したのに最も大事な秋の例大祭にだんじりはやらないという意味が分からない。

と思ったら別に新嘗祭があるとか。ならいいかと飲み始めたが酔ったと斜め前にいた84歳M本氏が口火を切ってM下氏やN谷氏が神事を止めていいのかと発言。私も同調。A総代の反論を解釈すれば神事の中で線を引いたと。納得はしていないが理解はした。隣の妻ら1Qに手伝ってもらい片付けて解散。

『反省記』 (10月1日・木)


西和彦『反省記―― ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”で学んだこと』(ダイヤモンド社)を読んでいる。西氏はパソコン専門誌の草分け月刊アスキーを創刊したアスキーの創業者だ。マイクロソフトの日本での先兵がアスキー・マイクロソフトだった頃の社長でもある。

アスキー創刊時は風呂場で原稿を書いたとか伝説は数多いがインテルにヘリコプターで乗り付けたとか知らない話が山盛り。特にIBMがデジタルリサーチのOS CP/Mを買おうとしたのに社長が遊びに行っていてマイクロソフトにお鉢が回る話は有名だがMS-DOSを開発する決断の場に西氏がいたとか。

ビル・ゲイツとポール・アレンのマイクロソフト創業者2人と2代目CEOになるスティーブ・バルマーがいて西氏の主張でMS-DOS開発を決めたとか。J社が一太郎より前に開発したワープロソフトJS-WORDをアスキー経由で提供したNECのPC-100に西氏はWindowsを搭載しようとしていたとか。

当時はWindowsという名前もなかったがJS-WORDがMacやWindowsと同じGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)だった裏にはそういう動向もあったことに今さらに驚いている。マイクロソフト帝国の初期の発展に西氏は多大な貢献をしたというのに。なるほど反省記というわけか。

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© 2020 Takashi INAGAKI