2010年10月

Ustream機材 (10月31日・日)


Ustream配信の技術担当をお願いしているM君が朝10時過ぎに来てくれた。スタジオに使う事務所の広さや音響特性やカメラを置いたときの画角などを確認するためだ。Core2 Duo 2GHz程度のパソコンではCPU負荷が100%に張り付く可能性があるらしくCore2 Quad 3GHzのPCも貸してくれた。

カメラの1台はIEEE1394に対応した古いDVカメラを使おうと1394PCIボードとケーブルを買ったがPCがDVカメラを認識しない。仕方ないのでコンポジット出力からUSB変換してPCに繋ぐことにした。そのほかWebカメラを3台。徳島市議M氏のWebカメラを借りてきてくれていて画角などのチェックも。

マイクだが改めて調べてくれることになった。スタンドマイク2〜3本とハンドマイクを1本になりそうだ。マイクケーブルも必要だしミキサーも。回線の非常事態に備えてM君のモバイルWi-Fiルーターも借りる。速度は落ちるが受信側もネットブックのドコモ通信カードを使いバックアップとする。

さてM君と昼食に勝浦町のラーメン「美渓」に行き帰宅して昼寝。最近睡眠が滅茶苦茶で昨日は明け方まで寝られなかったので。夜「響」から帰って三脚とDV出力-USB変換器をヨドバシで注文。三脚に取り付けてiPhoneなどを固定する器具も安かったので別サイトで2個注文。

JA5HTP氏 (10月30日・土)


9月に話をしたJA5HTPことY氏と仕事のことでメールや電話のやりとりをしている。私が2Fの屋根の上に6エレメント(素子)八木アンテナを上げていた30年以上前にHTP氏は10エレ八木を4Fだか5F建てビルの屋上に建てたタワーの上に上げていた。私のアンテナは地上高6mだが彼は30m。

50MHzというFM放送に近い周波数の電波を遠くに届けるには地上高は絶対的に有利である。さらに周辺に建物や山がないこと。八木アンテナのエレメント(素子)数は指向性を決定づける。素子が多いほど鋭い指向性を持ち同じ出力でも電波はより遠くに届く。

また出力(空中線電力)が大きいほど届く範囲は広い。おそらくHTP氏は第1級アマチュア無線技師の免許を持っていて出力は100Wを超えていたと思う。一方の私は電話級(現・第4級)免許で1.5Wだった。アンテナの地上高も指向性も出力も全くレベルが違っていた。

50MHzでHTP氏はアンテナを南から南東に向けていたと思う。交信相手は海外。シンガポールやサイパンだったのではないか。私には全く聞こえない相手の電波。憧れに近い存在だった。確か中高が同じで私の大先輩。徳島に戻って話を始めた彼との縁について考える。

祭り前の準備とUSTとネット (10月29日・金)


祭りを前に落ち着かない日々である。私は当日の余興の舞台には関わっていないので準備は特にない。でも音楽の編集や祭り全体の準備は手伝ったりもしている。今日は音楽の編集をDigiOnSound5でやって提灯の電灯をチェックするS氏の作業を手伝った。

祭りが近づくにつれ仕事も忙しくなり今日は役場に行ったりエクセル表と格闘したり。妻も忙しいらしく夕食は月ヶ谷温泉で議論しながら。夜になると祭りの準備で人が出入りし一方Ustream配信のスタッフたちとネットで打ち合わせをやった。ツイッターでやったり裏の会議室で話をしたり。

決めることが多すぎて一大プロジェクトに立ち向かっている気分がする。いや実際にその通りなのだけど。それでも上勝にいてネットの力を実感している。木曜はM君と会ったが彼とその後の打ち合わせはネットの掲示板で済ませている。それで十分。資料も共有し合って何でもできる。

別に直接会話を交わしたわけでもないけれどM君や地元のT氏やS氏と掲示板やスカイプやツイッターで話ができて物事が進んでいく面白さ。そういえば前に論文を書いたことがあるのだけれど顔が見える地域社会にこそネットの恩恵があるはずなのだ。あの論文のことは改めて書こう。

Ustreamの技術とM君 (10月28日・木)


夜ツイッター仲間のM君と会ってきた。私たちのUST配信では音響担当をお願いしている。今はパソコン関連企業に勤めているが元は音響が専門。徳島の仲間がやっていたUST番組「109U」ではスタッフであり出演者でもあった。iPadを徳島で1番に手に入れて新聞に載ったこともある。

時間帯を決めて定期的に配信したUstream番組として日本初だったはずの徳島「109U」のプロデューサーにしてスタジオ提供者であった通称ボスには昨日挨拶に行ってきた。デザイナーでもあるボスにはロゴのデザインも依頼。諸々の協力をお願いしたところ。

さて今日会ったM君にはマイクとミキサーの選定を依頼しているが同時にカメラの購入も彼の意見に従うつもりだ。現場ではスタッフとしてやってもらうが技術顧問でもある。ソフトの選択やDVカメラと1394のことなどさまざまな技術的な問題について意見をもらった。

ネット回線のバックアップとしてドコモの通信カードを使おうという話題の中で通信カードはUSBだからデスクトップでも使えると指摘された。当たり前だが私はノートPCで使うものだと固定観念を持っていた。私は場を作る。そこで活躍するのはM君のような人たちだ。25歳の彼に教えられている。

元同僚たちと女子コーラス (10月27日・水)


車の保険をお願いしている東京海上代理店のT君が手続きのため上勝に来てくれた。彼も私のJ社時代の後輩である。元高校球児で背が高く格好いい。彼がモデルになった徳島のタウン誌「ASA」に掲載されたJ社の広告は女性社員がこぞって自分のブースに貼っていたほど。

彼は仕事柄元同僚らと交流があり彼らの近況を教えてくれる。J社の元同僚のうちソフト開発会社を起業し経営している人は10人近くいるはずだが社員が10人いる会社もあるらしい。みんな凄い。私の同期M氏の会社は5年ほど前に10周年と言っていて今もがんばっている。本当に素晴らしい。

夜は女子コーラスの面々が練習に来た。何だか衣装とか小物とかの話で盛り上がっていたが練習を聴いて意見も言わせてもらった。高校での経験者が1〜2人だけだから合唱としての発声ができているとは言い難い。音もリズムも気を抜くとバラバラになっている。

でも合唱は発声だけではないということを再認識させてくれた。ある曲を聴いていてユニゾンからコーラスに変わるところで感動して震えそうになった。荒削りだが我が徳島男声合唱団「響」と方向性が同じ。感動させる演奏を目指し本人たちが楽しそうに演奏しているのが一番大事なことなのだ。

Dropboxと元同僚とバスケット (10月26日・火)


PCとiPhoneでファイルを同期させたいと昨日書いたら早速3人がアドバイスをくれた。まずツイッターのダイレクトメッセージでY氏。ツイッターでF氏とT氏も。2人がDropboxというアプリを奨め1人がEvernote。クラウドを介さずにできそうだったDropboxをとりあえずセットアップした。

Dropboxは英語版しかないようだ。iTunesでは日本語が表示されたがWebに行くと英語。最初に間違ってダウンロードしたPC版はセットアップも英語だった。でも書いていることは分かる。そしてダウンロードしてファイルを同期させると驚いたことにWORDもEXCELもiPhoneで見ることができた。

私の用途はこれで十分。ちなみにHTMLで書かれた法律条文は表示できなかった。それにしてもアドバイスをくれた3人に感謝。Y氏はJ社の営業部門のトップでF氏とT氏は開発部門だと思う。ツイッターでフォローし合っている元同僚たちは30人ぐらいいるが今の私にはとてもありがたい存在だ。

さて今日はバスケット。2週休んだから3週間ぶり。ハーフコートの3対3や4対3。今日は寒くてバスケットにはちょうどよかったかも知れない。ただし私は相変わらずポジションが悪い。ゴール下でボールを受けたのにシュートミスが5回ぐらい。久しぶりに汗をかいてすっきりしたからヨシとしよう。

iPhoneでテキストを同期したい (10月25日・月)


iPhoneを買ってPDAの出番がなくなったと書いた。確かにPDAを持ち歩くことはもうないだろうとは思う。でも持ち歩きたいデータをiPhoneでは同期できないことが分かった。多分何かアプリケーションを入れれば大丈夫なはずだが何を使えばいいのかがiPhone初心者の私には分からない。

同期させたいのはテキストファイルだ。OSがWindows CEだった私のPDAではWORDを使っていた。WORDとEXCELのPDA版が搭載されていて仕事で送られてくる添付ファイルを確認することもできた。PDAはサブセット版だから書式は崩れるが出先では文字が読めれば十分だった。

iPhoneでWORDを読みたいとは言わない。もちろんWORDとEXCELのデータが表示できれば1〜2泊の出張や旅行ならiPhoneで十分かも知れない。でも1泊するならノートPCを持って行く。だからWORDファイルは求めない。ただ単にテキストファイルを同期したいだけなのだ。

これまでPDAでPCと同期させていたテキストファイルは2つだけ。一つはIDやパスワードなどをまとめたファイル。人に読まれても分からないよう私だけが判読できるよう暗号にしていた。もう一つは著作権法全文。条文は諦めるから単にテキストをiPhoneと同期させる方法を誰か教えてください。

農村舞台の準備と「響」 (10月24日・日)


生活のリズムが狂っていて昨夜は2時半頃目が覚めて6時頃まで寝られなかった。8時半に来客がありUstream用にドコモの通信カードを貸して設定方法を伝えて私と妻は地元の神社へ。11月3日の秋祭りの舞台づくり。まずは神社で参拝した後に舞台での作業を開始。

神社脇の御神輿を格納している小屋から緞帳など布類が入れられた衣装ケースを運び出すところから。今日は緞帳を干す予定だったが雨模様で中止してそのまま吊り下げた。その間に音響装置を運び込み地元のNさんがセッティング。私が何をやったかと言えば荷物運びぐらいだが。

12時を回り今日の作業を終え隣町にラーメンを食べに行こうと住宅で集合したら隣の公民館で炊きだしをしていたお母さん方に呼び止められておにぎりや肉じゃがなどを渡された。非常時の炊きだし訓練だそうで断水の想定で川から水を汲んだりジュースを使って料理したらしい。

舞台作りの作業をした人たちと事務所でいただき私は仮眠。夕方から徳島に出て「響」の練習。2年前まで劇団四季で活躍していた元団員のO君が神戸から参加していた。私とは10年前に会っていたかどうかで当時の面影を思い出せなかったがそれは彼があまりに格好良かったからか。

hp iPAQ h2210 (10月23日・土)


iPhoneをPCとUSBで接続するとiTunesが起動して同期設定が行える。やってみたら私のPCにあるOutlookが選択されておりほとんど何もせずにiPhoneのカレンダーや電話帳と同期した。電話やメールのデータとして設定されたほか連絡先一覧もできる。これは凄い。

でもこれでhpのPDA「PocketPC iPAQ h2210」の出番が完全になくなった。2003年に買って2004頃からスケジュールは紙の手帳ではなく全てPC上のOutlookとそれに同期させたiPAQで管理していたがiPhoneで同期されてしまえばiPAQの出る幕がない。

iPAQでは当時出で間もなかったFOMAを買ってケーブルで接続してデータ通信もやっていた。折り畳み式キーボードも買ってPCメールの送受信やFTPソフトの試用版を使って日記の更新もやった。特に東京時代は必ず持ち歩いていたから使わなくなることに寂しさを感じる。

2003年に赤坂のD社オフィスでいたとき某誌編集部のM氏がメールで秋葉原の特売情報を教えてくれて即買いに行ったのだ。あのシーンは今も覚えている。7年か。この世界ではもう十分過ぎるほどに古い。でも捨てるには忍びない。当面Outlookのバックアップツールとして使い続けるか。

iPhone (10月22日・金)


iPhone4を買った。上勝に最近出入りしているソフトバンクの方に相談したら代理店の人を連れてきてくれて水曜に契約。今日宅配便で届いた。SIMカードをどう挿せばいいのか分からず困惑して営業さんに電話したり覚悟はしていたが電波は圏外なので自分の電話番号さえ分からない状態。

ツイッターを始めた頃からいつかは買わないといけないと思っていた。でも新しいガジェットを使うのが面倒な気持ちもあった。気持ちを押したのは親友ニシノ。典型的な文系人間が既に1年も使っていると知り。ツイッターも彼に刺激されて始めたのだった。

それとUstream配信にはiPhoneが使える。屋外のイベント配信のために早めに慣れておこうと思った。と言っても電波は弱い。一方で友人Y嬢が電波塔を建てるために上勝で奮闘していて応援するために私もその世界に入ろうと思った面もある。

iPadを営業に使いこなす企業の役員でiPhoneユーザーのI氏が電話をくれた。マニュアルがないから最初は戸惑うよと。仰るとおり。最初からアップル流の設定に戸惑っている。でも使い勝手は確かにいい。良くできている。私にとってiTunesやQuickTimeを除けば初めて使うアップル製品だ。

名刺 (10月21日・木)


新しい名刺が届いた。200枚。今までは東京の印刷業者に発注していたが今回は徳島の業者にお願いした。8月だったか既に妻が名刺を作っていた業者さんでそのときは特急で3日ぐらいで作ってもらったと思う。今回の私の分は結局3週間ぐらいかかってしまった。

理由は色が違っていて納品されたものを一度返したからだ。ゲラ段階でPDFファイルを送ってもらったとき色が違うと指摘しておいたのにそれが反映されていなかった。もちろん画面で見る色と実物の色は異なるが指摘した色が修正されず納品されたら受け取るわけにはいかない。

作り直してもらって受け取った名刺のこれまでと違うところはツイッターのアカウントを入れたこと。この日記は仕事相手や初対面の人には見て欲しくないがツイッターは人と繋がるツールだから面白いかなと。と言っても今は200枚の名刺を消費するのに2年ぐらいかかりそうだが。


農村舞台 (10月20日・水)


夕方から隣にある公民館での祭りの準備に参加した。と言っても看板を切って色を塗るマスキングを手伝ったことと題字を書いたぐらいだが。私を含めて7人ぐらいいた。昨年約20年ぶりに復活させた農村舞台の第2弾。今年は劇ではなくて「笑点」をやるらしい。

日本テレビで日曜の夕方にそういう番組があることは知っている。20年ぐらい前に見た記憶がある。でも最近20年はあの番組が始まるとチャンネルを変える癖が付いていて見たことがない。

祭りは11月3日だが今年は合唱コンクール全国大会の集中練習日に当たってしまった。7日にも本番があるが3日はコンクール向けの練習をピアニストにも来てもらって午後に行う。祭りの当日に人手は足りないと思いつつ申し訳ないのだが今年は練習を優先させてもらう。

それにしても昨年の劇から1年である。10月は毎週土日は背景画を描いたり舞台を整理したり古い緞帳を調べたり何かの作業をしていた。当時は作業をしては夜飲んでいた。今日は1年ぶりの状況で地元の仲間が集まって楽しい話と激論が交互にやってきて朝5時半でまだ飲んでいる状態。

若者と年齢論 (10月19日・火)


先週は体調不良でバスケットボールを休んだが今日も休んだ。急きょ徳島に行って打ち合わせをしていた。ツイッターで知り合っていた若者と会っていたのだ。彼が開発したネット上のシステムというかアプリを見せてもらい今後の可能性について話をした。

前にも書いたことがあるが年齢による能力差は絶対だと思っている。マイクロソフト日本法人の2代目社長でインスパイアのファウンダーである成毛眞氏が言う年齢論に共感している。若者は若者であるだけで価値があると思う。

J社の創業者である浮川さんも彼がまだ40歳頃に若者の可能性のことを盛んに言っていた。だから私は大学を出たばかりの20歳代半ばで重い責任のある仕事を任せられたし浮川さんは若者の発想に期待するような仕事を社員に与えようとしていたように思う。

今日会った彼も優秀だった。そしてストイックに仕事に忠実だった。それで体を悪くしてもなお自分の仕事のことを熱く語っていた。私も20歳代の頃はあんな感じだっただろうか。2時間半話をして頭が猛烈に疲れて成毛さんが言う年齢絶対論に改めて納得したのである。

Ustream配信トラフィック (10月18日・月)


Ustreamの配信を計画していることは既に書いた。この準備として念のためNTTさんに協力していただきUstreamによるトラフィックを調べてもらった。今日21時から配信を開始し勝浦郡内のトラフィックの変化を見てもらった。NTTから1人が我が事務所に来て話もした。結果は全く問題なかった。

Ustreamは新しい情報提供の手段である。1990年代後半に普及したWebサイト(ホームページ)や日本では2000年頃に登場したWeblog(ブログ)に似ている。いずれも当時は珍しかった。でもすぐに普及した。Ustreamも1〜2年経てばあらゆる企業が何らかの形で利用するようになるだろう。

上勝町内にも企業やNPOがいくつかあってWebやブログを利用しているが今後は情報提供の手段としてUstreamも加わるようになるはずだ。何せ映像がライブで流れてくる面白さはWebやブログにはない。私たちがやるのはその先駆けである。誰かがやっていれば敷居は低くなる。

それと同時に徳島県内の他の市町村へ波及すれば面白いと思っている。私たちも徳島で109U(トーク・ウィズ・ユー)の実験番組が毎週月曜に3ヶ月あったことの影響を受けている。その連鎖。誰かが先頭を走れば誰かが付いていく。私は先頭は走れなかったが2番手で走ってみる。

大麻中学校演奏会 (10月17日・日)


10:50頃に上勝を出発。行き先は鳴門市立大麻中学校。今日は徳島男声合唱団「響」が体育館での演奏会を行った。聴衆は全校生徒と先生と一部の保護者。見込み通り1時間10分で到着したが既に練習が始まっていて4Fの音楽室で歌いながら着替えをして。

学校での演奏会は1990年代後半に3回ぐらい参加した穴吹小学校と昨年の貞光中学校に次いで私は3校目。演奏会前にすれ違う子供たちが挨拶をしてくれてとてもかわいい。学校の合唱部は演奏会前一緒に「YELL」(いきものがかり)の練習をしたのだが難しい曲なのによく声が出ていた。

今回の演奏曲は昨年の定期演奏会や今年のコンクール自由曲などから本格的な合唱曲を4つと「さくら」「赤とんぼ」「花」など愛唱歌5曲。さらに生徒からのリクエストで「パフ」「浜辺の歌」など。「YELL」は申し訳ないが私は音取りができなかった。とにかく難しかった。

演奏はまずまずだったと思うがアンコールの「斉太郎節」でソロを歌うはずの団長が歌詞を忘れたとかで空白が約5秒。油断大敵。最後にちょっと恥ずかしい失敗をしてしまった。ともかくこれで今秋の演奏会のうち1件が終了。次は11月7日。そして11月21日にコンクール全国大会。

ミーティングと町長とグループウェア (10月16日・土)


昨日書いたUstream(UST)配信について夕方からミーティングを予定していた。ある事業についての内容の打ち合わせもあった。16時目標だと言っていたミーティング相手が来たのは17時を回っていた。そのミーティングを始めようと思っていたら来客があった。

何と町長である。町長とは電話では話をすることはある。8月にツイッターセミナーに行く直前にも電話があった。それから何度か電話をもらい金曜日にも移動中の車の中から電話をもらった。でも町長が私のオフィスに来たのは初めて。1時間半ぐらい話をされただろうか。

そんなこともあって本当はミーティングをやってから食事にしようと思っていたのに19時になってしまいまずは夕食。ビールを飲みながら19時半頃から会議を始めて結局終わったのは24時前。疲れてミーティング相手は24時半頃には寝てしまった。今日は我が家でお泊まりなのである。

今日話をしてた内容は書けないが思うことが多々ある。上勝のこと徳島全体のこと。若者のこと雇用のこと。サイボウズのようなグループウェアの話題も出た。サイボウズはD社で使っていたしJ社では独自アプリのJOSSというグループウェアがあった。そんなことあんなこと。

Ustream配信の準備 (10月15日・金)


うちの事務所をスタジオにしてUstreamを使った番組の配信を計画している。Ustream(UST)はインターネットのライブ配信サービス。運営会社は米国にあるが今年4月にソフトバンクが出資し7月に日本語化された新しいサービスだ。世界各地で個人による動画のライブ配信が行われ始めた。

日本ではソフトバンクがいち早く決算発表の配信に利用したりジャーナリスト佐々木俊尚さんとソフトバンク社長の孫正義さんの「光の道」対談で話題を集めた。徳島では4月から3ヶ月間「109U」という番組を実験的に毎週やっていたし阿波踊りの配信では8万以上の視聴者を集めた。

キャスターは決めている。109Uや阿波踊りUSTで活躍した2人だ。USTは同じ映像メディアでもテレビとは異なりツイッターのタイムラインをいかに拾うかで決まる。その経験に長けてUST界で知られた2人がせっかく上勝に縁を持っているのだ。彼ら以外に適任者は日本全国を探してもいない。

機材の調達を始めたところ。DVカメラのIEEE1394が使えると聞きPC側の1394対応PCIボードとケーブルを今日注文した。Webカメラも200万画素クラスが1〜2台欲しい。マイク2〜3台とミキサーにソフトも買う予定。三脚とマイクスタンドも。Webの制作にドメイン取得などやることが山積み。

妻の東京出張 (10月13日・水)


妻が東京出張から戻ってきた。徳島空港16:15着。14:40頃に上勝を出て三菱東京UFJ銀行に立ち寄って空港に着いたのは16時過ぎ。妻を乗せ上勝でお世話になっているT氏が経営する会社を小松島に訪ねてから最近のお気に入り「昴」で夕食。2人で飲んで食べて5,700円。

今回の妻の出張は2日に出て13日戻り。徳島から東京に行くと1〜2週間滞在することが多くウィークリーマンションに宿泊する。今回泊まったのは世田谷区上馬4丁目。何と上勝に引っ越しする前に住んでいたマンションから徒歩1分のところにある。

私たちが住んでいた頃は建設中だった。何か変なマンションができるみたいと話ながら前を歩いていた。義母が住むマンションは東に徒歩1分。妻は今回の出張の荷物をあらかじめ義母のマンションに送っていたしウィークリーマンションの鍵も義母宛に送ってもらっていた。

徳島の神山出身の一平さんが経営する三軒茶屋の徳島料理店「名西酒蔵」は歩いて10分強で私のJ社時代の後輩T氏夫妻と行ったらしい。よく通った世田谷1丁目の焼肉店「むぎばたけ」には義母と行ったらしい。私が出張したときもそこに泊まりたいが1〜2泊では無理か。

上勝旭・田野々の祭り (10月11日・月)


疲れていて今日は朝すぐ起きられないと思っていたのに20回ぐらいベルが鳴らされたもので起きたら宅配便。しかも同じ住宅のS氏の荷物。S氏が依頼していたらしいが私が連絡を受ける前の朝に来てしまったらしい。でもおかげで起きられた。今日は上勝の秋祭りに行こうと思っていたのだ。

上勝町には大字単位で5つの地域がある。その中に昔ながらの「名(みょう)」と呼ばれる集落がある。私が住んでいる傍示の中には名は一つしかないが他地域は大字単位の中に名が複数ある。その一つ。大字旭の田野々集落にある神社の秋祭りに行ってきた。

いつもお世話になっているT氏によると約100戸で約200人の集落らしい。朝10時半頃到着。まずはお参りして町外から来たツイッター仲間と合流。YちゃんとM君が今日は祭りの模様をiPhoneでUstream配信するのだ。私はデジカメで写真を撮ったりICレコーダーでだんじりを録音したり。

馬場でだんじりと御神輿。傍示とは微妙に違う。神社の造りも。さて午後は余興で歌と漫才と寸劇。どれも知っている人が出ているから面白い。徳島や鳴門からも何人か来ていて何と御大B氏の元奥様も。初めて話をした。他地域ながら見知った人たちと話ができて楽しい一日だった。

那智勝浦町の色川地区への視察 (10月10日・日)


上勝の私が住んでいる地区の人たちと和歌山の那智勝浦に視察に行った。一泊二日。何と初日は朝4時出発。前日ビール2本を飲んで寝ようとしたが2時間弱まどろんだだけだった。しかも雨。徳島港から南海フェリーで和歌山へ。海岸沿いに南下し潮岬経由で紀伊半島を回り込む。

今回は集落再生をテーマに勝浦町大字傍示の蔭井谷・西峯・西谷・下地の4部落から合計12人が参加。代理店のT氏は設立したばかりのカミカツーリストの代表。添乗したのはこれが初めてらしい。運転手のT氏は旭地区の方らしく皆さん顔なじみの様子。2人を合わせて合計14人。

着いたのは那智勝浦町。国道から細い山道を40分も上がった色川地区。何と422人の住民のうち158人がIターン。受け入れ始めた1977年からの経緯と現在の体制について話を伺った。先方参加者は13人。こちらは傍示12人に加え別ルートで現地集合した上勝生実の約20人も。

1時間ほど話を聞きホテルへ。風呂に入り夕食でビール。部屋に集まってまたビール。私は24時半頃寝て2日目は6時半起床。8時半出発で那智の滝を見物して南海フェリーで帰徳。急きょ小松島で夕食を取ろうと14人でラーメン店に行きここでもビール。帰宅してY氏と2人で最後のビール。

姫野雅義さん (10月7日・木)


姫野雅義さんが亡くなった。海部川で釣りをしていて流され捜索が続けられていた。そのニュースを読売新聞のWebで知ってツイートしたが徳島新聞も報じていたらしい。3日から行方不明になっていて遺体が発見されたのが7日。ご冥福を祈るしかない。

姫野さんは全国から注目された吉野川可動堰建設問題で住民投票を実現するために行動していた「第十堰住民投票の会」の共同代表だった。もう1人の共同代表だった板東デザイン事務所の板東孝明さんとは当時私は仕事で密な関係があってこの会の第1回会合には私も出席している。

あの会の事務局長を務め今は徳島市会議員の村上さんとはそのときに会った。最近ツイッターで繋がり直接話もした。でも姫野さんと話をした記憶はない。住民投票の問題で板東さんと一緒にテレビに映る姿を福岡や東京からテレビで見ているだけだった。

徳島県政にも政府のダム行政にも影響を与えた住民運動だった。住民投票から今年で10周年。推進派の姑息な手段に怒ったことも覚えている。今は武蔵野美術大学教授の板東さんも東京から捜索に参加していたらしい。そんな内容で板東さんのツイートを発見した悲しさよ。

上勝に移住してしまったN君 (10月6日・水)


J社の後輩N君は15年前当時キャンプ仲間だった。彼がJ社を辞めてマイクロソフトにいたとき鳴門で会ったしO氏の軽井沢の別荘に行ったこともある。新潟でスキーのインストラクターをやっているときにもニアミス。東京でも一緒に飲んだし徳島でもJ邸でも穴吹川キャンプも一緒にいた。

昨年遊びに来たこともあった。でも先日まで広島県福山市の実家にいた。ところが1月ほど前に妻のツイートを見て突然くるくるハウスにやってきた。そこでツイッター仲間のYりんから情報を聞き上勝の某社の面接を受けた。その日はうちに泊まった。合格したらしく今週から上勝で働いている。

私の周辺で起こっていることだが私は呆然と見ていた。くるくるハウスに突然現れたことにも驚いたがその数週間前にK嬢と我が家に突然来たこともあったので彼ならあり得ることではある。でも面接を受けて働くことになったというのには驚いている。とりあえず今は上勝で民泊しているらしい。

今日は小松島の「こはくの天使」に一緒に行った。上勝から2番目に近いカフェでツイッター仲間や上勝人脈が集う店。カウンターでマスターと3人で諸々話をした。ツイッターがなければ彼は上勝に来なかったかも知れない。これもツイッターの威力の一つだろうか。

原稿と銀行とバスケット (10月5日・火)


今週は原稿仕事に没頭している。というのは言い過ぎだが6,000字〜9,000字という原稿を書いている。目次のようなものは提供してもらっていたので全体の構成は考えなくて済んでいる。とりあえず今日までに8,000字。でも前半は癖が強すぎた感があるし残りで書くことが分からない。さて。

妻が東京で仕事をしているのだが一般の人から受講料の入金があってその確認のために頻繁に銀行に行った。木曜と土曜と日曜と今日だけだが。往復2時間。とりあえず全員の入金を確認したらよしとする。ちなみに帰りに勝浦のラーメン店に寄ったら上勝のT氏と会って情報交換。

夜はバスケットボール。3対3のハーフコートで2ゲーム。妻が出張中で食生活が悪いせいか今日は息が上がって全然ダメ。もう1人が来たところで私は休憩。続いて3対4。幸い私は4人のチームに入ったもので頑張らずにプレイして何とか3ゲームは持った。

それにしても今日の動きは悪かった。ゴールは2つか3つ。パスを受けるポジションが悪い。パスを受けてもそもそもカットインできない。ジャンプができないからゴール下のシュートは上から押さえつけられる。先週に続き左手薬指をまたも突き指。それでも楽しんだからいいんだけれど。

妻の見送りとすだち絞り (10月3日・日)


妻が東京出張に行った。13日間の長期だ。土曜12:20発。確か上勝を10時20分過ぎに出たと思う。通常なら11時半頃に着くはずだ。ところが徳島市中心部に向かう国道55号が大渋滞。左車線だけが流れていたり途中から右車線だけが流れ出したり通常の渋滞ではないと思っていたら。

南からの55号と北からの11号と西からの192号の国道3つが合流する裁判所前交差点で事故。そこを抜けてから飛ばしたが空港着は11:55。辛うじて昼食に徳島ラーメンは食べた。そのまま私は鳴門の実家に布団を返し駅前の銀行で会社の通帳に記帳して。

日曜午後はすだち絞り。友人に送った分は収穫したまま送ったが販売分は多少の選別をした。その残り分だ。時間が経って傷み出した。昨年は主に妻が絞ってくれたが今年は出張前で忙しく作業ができなかった。夕方から「響」の練習に行って帰宅してから作業の続き。

軽く水洗いして半分に切って妻が昨年買った絞り器に半分ずつ入れてボウルに絞りカスを別のボウルに移す。この繰り返し。午後2時間に夜3時間。洗うとき数えたのだが合計約500個。つまり1,000回絞ったわけだ。ペットボトルに入れて約5.4L。手がふやけたが懸案を片付けこれですっきり。


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© 2010 Takashi INAGAKI