2010年1月

健康診断の結果と風邪 (1月31日・日)


私の健康状態なんて下らない情報だが将来の私のために記録しておこう。先日受けた健康診断の結果について。「日常生活に注意を要し、経過の観察を必要とします」という区分だったのは脂質と肝機能と尿一般・腎の3項目。おっと体重も。BMIが23.3って。

肝機能はGOTが32(標準は30以下)でGPTが43(標準30以下)でγGTPは84(標準50以下)。3項目全てで標準外の数値になったのは覚悟していたから驚かない。でも前回2006年5月のデータを見るとGOT18にGTP28にγGTP74と全ての項目で今回は上昇。

毎晩ビールを飲む習慣は15年以上だし特に上勝に越してきてからは量が増えたから当然の結果。自宅で飲む量は東京時代後半5年間と変わらないはずだが地元で寄り合いが頻繁にあってその度に3L〜4Lぐらい飲んでいる気がするわけで。そりゃ肝臓も悪くなる。

先週末から風邪を引いたが多分しばらくビールを飲むなという体からのサインだと解釈している。今日で禁酒4日。鼻水は収まってきたが今度は鼻づまり。耳が聞こえにくく目の奥が熱い。もしかしたらパソコンのディスプレイを見続けるのも休めと言われているような気がしなくもないが。

ツイッター (1月29日・金)


日経ビジネスに「Twitterを『つぶやき』と翻訳した罪」というコラムがあった。確かに私も日々の些事をつぶやいて何が面白いのだろうと思っていた。ツイッターを始めた経緯は前に書いた通りだが始めてみると私にとって意味は全く違っていた。つぶやくことは全く重要ではないような気がする。

私が見いだしたツイッターの意味はジャーナリストや政治家の生の情報を得られることだ。IT系だけでなく上杉隆氏をはじめとする政治ジャーナリストの言葉がリアルを読める。例えば先日あった民主党・小沢幹事長の記者会見場の半分近くが読売新聞・日本テレビ系だったといった。

推敲されたブログなどではない瞬発的な短い情報であって即時性も相まってより真実の情報という印象を持つ。それにネット特有の嫌な感じがあまりしない。ブログのような炎上とも無縁。例え集中砲火を浴びてもフォローしていなければ無視できる。

ツイッターでの話題の流行は3時間だと何かで読んだが数時間も経てば特定の発言はタイムラインの彼方に流れてしまい話題をいつまでも引きずることがない。フォローされたからといってフォローする義務もマナーもない緩やかな大人のメディアというのか。私は面白いと思う。

上勝案内 (1月28日・木)


9時に月ヶ谷温泉。柿沢シェフとMさんをピックアップしてまずは「環境とまちづくり」。昨夜招いた若手2人らから改めて樫原の棚田について説明を受ける。そこから「いろどり」農家さん宅へ。出荷のためのパック詰め作業を見せてもらい桜を育てているビニールハウスの中にも。

射手座造船所の船に上がって海が見えるポイントにも行った。県道に下りてゴミステーション見学と明日オープンの「くるくるハウス」。次に樫原の棚田。偶然にも「もくさん」のU杉さんが通りかかり雑談しばし。さらに米作りでお世話になったTさんともお会いしテレビ番組のDVDをお渡しした。

また県道に下り偶然S氏と会った「いっきゅう茶屋」で昼食。そこにいたのが上勝のエンターテイナーT氏。簡単にヤッホーとホラ貝の説明を受け一旦別れ私たちは有機農業研究会F氏宅。畑にも行った。続いて上勝で唯一有機認定を受けているBさん宅。お父さんに話を伺う。

月ヶ谷温泉に戻って「いろどり」にも。Rちゃんプロデュースの石鹸をいただきY社長ともご挨拶。最後に再びT氏とダム湖。本格的にヤッホーとホラ吹き体験。ホラ吹きをMさんは一発で決め最後は第9交響曲の演奏までできてT氏が脱帽。シェフも私も妻も吹けるようになって楽しんだ。

市場小学校から上勝へ (1月27日・水)


9時半に出て市場小学校。先日来いろいろ走ってみたのだが高速経由と吉野川北岸堤防経由で差は約10分。今日は小学校での上勝商工会の人たちとの待ち合わせに遅れないよう高速を使った。11時過ぎから彼女らと一緒に授業を見学。徳島新聞など3〜4社のメディアが取材していた。

F先生はシェフのことを道徳の時間でも取り上げたらしい。諦めないへこたれない姿勢を学んだと授業中に言っていた。それを聞いて感動した私たち。妻は車に避難して涙を拭っていた。F先生の授業の進め方や子供の注意を向けさせたる技術ややる気を出させる心遣いなどとても勉強になった。

片付けの最中の私は校長先生から徳島の学校の状況について教えてもらい13時半頃撤収。高速経由で藍住の「みのり」でうどん。そして上勝へ。まずはくるくる工房でリサイクルされた衣服などを見てもらい商工会が試作したお菓子について意見を求め。町長とも偶然会ったのでご挨拶。

夜は我が事務所で上勝の若手も呼んでお食事会。お迎えに行ったとき役場のK課長とご挨拶。プロに出す食事を作る妻は緊張気味。で私たちばかり酔っぱらい。帰りは若手お二人にお送りいただいた。明日は上勝町内あちこちに出没する予定なので皆さんよろしくお願いします。

徳島空港から市場町へ (1月26日・火)


11:30着のJALで来られたポタジエ柿沢安耶シェフをお迎え。柿沢さんは市場小学校での食育授業で3回目の来徳。空港で待ち時間に歩いていたら某テレビK支局長と会った。テレビカメラを持って取材中なのはANAが羽田-徳島便を復活させるというニュースの資料撮影だったらしい。

ANA就航のニュースを知ったのはツイッターで。発言者はお菓子材料の通販で急成長しているクオカのS社長。先週金曜NHK徳島の経済番組に出ていたが先日来ツイッターでときどき絡んでいた。で今日の空港。K支局長に再び近づいたら一緒にいたのが東京出張に向かう当のS社長。

せっかくなので到着した柿沢シェフとS社長を引き合わせてしばし雑談。お菓子材料と野菜スイーツで日本トップ企業のオーナー2人。昼食は川内のアグリカフェ。私がJ社にいた頃はなかったお店。シェフも喜んでくれたがJ社が見える眺めは悪い。

午後は高速経由で市場小学校にお送りし私と妻は徳島に戻りリサーチの後市場小学校にお迎えしホテルにチェックインして徳島3度。「響」団長に教えてもらっていた仲之町のロティというお店で食事。お送りは友人のMちゃんにお願い。私は明日も市場小学校。そして上勝。

女声合唱と音取り (1月25日・月)


上勝町の若い女性たちが合唱グループを作った。言い出したのは東京出身20歳代のMりん。妻が面白がって加わって仲間を集めて10人ぐらいが参加しそうだと言う。私は現役の合唱団員という理由だけだろう最初の打ち合わせを少し聞いて今日は初練習に参加した。

女声合唱はたいてい3部。ソプラノとメゾソプラノとアルト。ソプラノはたいてい主旋律だから高い声さえ出れば問題ない。懸案はメゾとアルト。ピアノが弾けたらベストだが音楽に多少親しんでいて核となるパートリーダーを決めることが必要だと言ったものの。

各人のスキルを知らないけど声を出してみてパートは分かれて音取りを始めたらメゾとアルトは大苦戦。Mりんはアルトの音を取って次にメゾの音取りに。私も手伝おうとしたけどフラットが4つも付いた楽譜は難しくて妻に文句を言われてばかり。これは大変だ。

そうは言っても男声合唱曲だったら私は数回聴いて覚えられる旋律とリズム。だが初心者はパターンを知らないから難しいのだと思う。改めて「響」で継続してきたことの力を思う。でも音取りは指揮者に教えてもらってやっている私。ゼロから自分で取るのはピアノが弾けない私にも難しいかも。

F議長就任祝賀会 (1月22日・金)


一昨日は私がいる上勝町傍示地区にお住まいのFさんの上勝町議会議長就任祝賀会。地区の自治組織である傍示名(みょう)主催。約360人の地区から60名が集まり宴席となった。私は上勝で2度目のスーツ。隣の公民館前から月ヶ谷温泉まで送迎バスで。

既にツイッターには書いたが配布された式次第によると出席者60人。名簿を元に数えてみたら私が知っている人は29人。まずは食べてから挨拶に回ろうと思っていたら次々とビールを注がれて後半にようやくビールを持って回ってきたが既に酔っぱらって記憶が曖昧。

宴席の席順はクジ引き。座った隣のSさんは地元のお母さんだが私は初対面。聞けば妻とは面識があると。さてF議長からは1月4日の消防出初め式のとき話しかけられていたのだがそのときの内容に関わる人が隣のSさん。何という偶然! Sさんとは携帯電話番号を交換させていただいた。

私が知っていた29人の方の中にはよく会っている人もいたし数ヶ月ぶりの人もいる。妻が独自に知っている人が数人いて今回新たに挨拶した人が8人。誰それとは親戚といった話もたくさん聞いたが私のキャパシティを超えていた。すみません。もう一度お名前お訊きするかも知れません。

吉野川可動堰住民投票 (1月21日・木)


吉野川可動堰の是非を巡る住民投票が行われたのはちょうど10年前の2000年1月23日らしい。徳島新聞では当時の動きが囲み記事として連載されている。10年前。その前後は建設省や県の可動堰ありきの議論に反対した市民が「第十堰住民投票の会」を立ち上げ活動していた。

私は住民投票の1年前に引っ越し福岡にいたがこの会の代表世話人の1人B氏とは仕事で深く関わっていたから全国ニュースを興味を持って見ていた。これほど大きな活動になるとは思ってもみなかったが実はこの会の第1回会合にはB氏から誘われて私も出席していた。

多分1998年の秋だったと思う。昭和町のプレハブ小屋だった。後に会の事務局長として活躍し徳島市議になるM氏もいた。1999年は福岡からB氏の事務所によく行っていたが対立構造にあった建設省側の人が交渉に来ていたのを見たこともある。記者が張っていれば特ダネだったろうに。

民主党の高橋紀世子参議院議員の秘書になっていた後輩のY氏が住民投票の前年の徳島市議会議員選挙に立候補すると聞き仲間たちと応援する機運が盛り上がったのに彼は立たずがっかりしたことも。推進派の姑息なやり方に腹を立てたこともある。そうか10年か。

消防点検 (1月19日・火)


消防団では毎月1日と15日にポンプの点検を行っている。分団の詰め所にポンプ積載車が置かれているが町の何カ所かに消防小屋があってそこにもポンプが置かれている。そのポンプの2サイクル2気筒エンジンを始動させて充電するのである。合わせてガソリンとオイルの量も確認する。

点検は月2回だが分団員は2グループに分けられており私は1日組。基本的に毎月1日に行けばいいのだが行けなかったときは代わりに15日に行ってもいいし両日行っても構わない。最初は10月15日に行って11月1日と12月1日に行ったのだが私は操作が全く覚えられない。

操作は燃料コックをオンにしてチョークを引いて回転数を設定し始動スイッチをオンにする。エンジンが掛かったらチョークを戻してガソリンとオイルの残量を確認。5分程度エンジンを回したら燃料コックをオフにしてエンジンが止まるのを待って回転数を戻しスイッチを切る。これだけなのだが。

いつも分団長が直々に教えてくれている。分団長も50歳前後で消防団に入りいざというときのため点検には毎回参加したと聞いた。そして私。1月1日は休みだったし真面目に覚えないといけないと思い1月15日の点検に行った。これで2月1日にも行けば覚えるかなと期待を持って。

劇の打ち上げの大宴会 (1月18日・月)


日曜は昨年11月3日に地元の神社で行った奉納劇の打ち上げがあった。本来は直後に行うものなのだろうが全員が揃う日程調整がうまくいかず何度も予定を組み直し昨日になったというわけ。座長はその間調整に走り回ってくれた。この座長あってこそ実現した劇と打ち上げ。

宴会ではまだ酔っていないうちにSMAPのマネで舞台に上げられた私。その後はRちゃんとN氏の紅白歌合戦ばりの司会で元TVディレクターK氏の替え歌や諸々。詳しくはセノーさんrikkaiaiさんたけちゃんだー4さんMutsukow's に譲る。何せ笑い転げて寿命が半年延びたと思う。

宴会場との往復は月ヶ谷温泉の送迎バス。17時半に乗って23時過ぎに地元に戻った。温泉の宴会場で5時間近くも飲んでいたのか。さて2次会は我が事務所で同じ住宅のS氏や近所のMちゃんら。記憶が飛び気味で26時か27時頃に散会したように思う。

金曜も19時頃から飲み始め場所を事務所に移して26時頃まで飲んでいたような。このときは翌日が土曜だったからよかったが今日は月曜。いっきゅう茶屋はゴミステーションの奥にあると勘違いしたり弥生会計のツールボックスにある「設定」がやたら気になったり。頭が働かなかった今日。

大震災から15年 (1月17日・日)


15年が経った。何度か書いたが改めて記憶を記録しておく。1995年は前年4月に離婚してから徳島市南昭和町5丁目にある1DKのマンションで一人暮らしをしていた。成人の日が日曜で休日を含めた3連休明けの火曜日。私は朝1便の飛行機で東京に行く予定があった。

強い揺れで起きて5インチのポータブルテレビの電源を入れ10分ほどしてNHKが放送を始めたと思う。私は徳島空港が閉鎖されて東京に行けなくなったらいいのになと思っていた。徳島空港が大丈夫と聞いたかどうか定かではないが7時頃家を出て空港に行った。空港は普段通りだった思う。

羽田に着くとテレビ前が人だかりだった。当時はインターネットはなく社内でテレビは見ないから情報がなく午後になって阪神高速が倒れていると聞き驚いた。夜は後にMSに転職する同期のEら4〜5人で浜松町の割烹料理屋で飲んでいたがラジオから聞いた死者数にびっくりした。

東京で何泊かして帰るときモノレール浜松町駅から本社に電話して近く発売する新製品に寄付金分を上乗せした版を出す案を聞いた。PR会社に意見を求めつつ22時頃から営業企画部のスペースで会議をした。社長のその案は売名行為だと私は反対した。でも今の私なら賛成すると思う。

HDRのリモコン (1月16日・土)


ハードディスクレコーダー(HDR)のリモコンを買い換えた。ボタンを使いすぎて感度が鈍くなってきたから。まず最初にダメになったのが早送りボタン。仕方ないから30秒スキップボタンを多用していたらこれも鈍くなった。これではCM飛ばしができないから買い換えたというわけ。

このHDR。過去の日記で調べてみたら買ってから何ともう5年。2004年の12月に買って年が明けてから感想を書いている。そうそう。PDAの師匠にしてIT専門誌記者のM氏と赤坂見附の「三間堂」という居酒屋で飲んでいて一緒にヨドバシ新宿マルティメディア館に行ったのだった。

このHDRでのTV録画は基本的にLP画質で妻の仕事で放送された番組や上勝関連のものや映画を録画したままにしていて残り録画時間は減ってきているが常に55〜70時間分はある。でも5年も経った。HDDが壊れることも考えておかないと。必要なものはDVDにしておくか。

2番組同時録画では足りないことがあると書いて当時もM氏に突っ込まれたが今もそれだけがときどき不便。でも他は特に不満なし。上勝に来てからテレビは有線放送で入ってくるから地デジチューナーの問題も無縁。というわけで壊れない限り当分使い続けることになりそうな。

『ひらがなでよめばわかる日本語』 (1月15日・金)


語源から日本人の精神性や文化性や宗教性を感じられるのではないかと思って読んでみた。中西進『ひらがなでよめばわかる日本語』(新潮文庫)。内容は予想通り。漢字で書くから分からないのであって「やまとことば」で見れば古代日本人の心と日本語が分かるという本。

神の語源は韓国語のコム(熊)だとする。アイヌ語で神はカムイだが熊もカムイ。アイヌ語で熊を指す言葉はカムイしかないらしい。日本語では狼がオオカミ以外に呼び名がないそうだ。オオカミは大神。神は姿を現さないが出現するときは熊や狼に化身するということか。

漢字の読みは訓読みと音読みがある。訓読みはやまとことばと思いがちだがウメ(梅)やムギ(麦)はバイやバクが訛っただけらしい。カミ(紙)も。紙が日本に入った頃に文字は木簡の簡(カム)に書いていたから訛って紙はカミになった。フミ(文)もブンの訛りだとする。

目と芽や鼻と花と葉は語源は同じ。さらに同じ「常」でもトコは永遠でツネは不変。時間概念のトコが変化しトキ(時)。トコに親しみ表現の接尾語が付いてトコロ(所)となって古代日本人にとって時間と空間は一組だったと。こんな話が満載。なかなか頭に入らないが面白い。

ツイッターウィジェットと寒い1日 (1月14日・木)


右端に付けたウィジェット。とりあえずHTMLをちょっと追加しただけだからページデザインは混乱しているが仕方ない。これで日記を書かなくてもツイッターでつぶやいていさえすれば更新したということで。ちなみに日記領域の幅を狭めたので5行×4段を今後のデフォルトにする。

最近日記を書こうとして前にも書いたような気がして過去の日記を見返して発見できないことが続いた。何のことはない。ツイッターで書いていた内容だった。日記とツイッターは役割分担をさせた方がいいのか適当に気分で書き分けるだけでいいのか。当面いい加減にやってみようと思う。

さて全国的に寒波吹き荒れる昨日今日。上勝の私が住んでいるところは大した雪ではないが夜間は路面凍結が怖い。でも夕方徳島に行って税務署で源泉税納付書をもらい振り込みを3件約125万円。そして「響」。早く着いたから医院で待たせてもらって指揮者と一緒にハンバーグ定食。

帰りは凍結もなく難なく帰宅したら女性ばかり来客5名。彼女らを横目にニュースをチェックしていたらJ社創業者夫妻の新会社の発表記事が。その情報は実は週末には聞こえてきていたのだが正直言って興味が湧かない。でもJ社の元社員が16人も参画していると知ってビックリ。

健康診断 2 (1月13日・水)


前夜は雨が降っている上に大寒波との予報だったから路面凍結が心配だったが8時半頃の県道はまず大丈夫だった。今日は5km先の公民館で健康診断。胸部レントゲンと胃のレントゲンは屋外にあるバスで。外で待つものだから寒い寒い。

でも受付と胃のレントゲンと心電図のほかは待たなかったから1時間少しで終了。J社時代や東京でやっていた腹部エコー検査はなし。公民館を一部間仕切りしただけだから待合いベンチも雑誌の類も当然なし。これまでの検診と趣が違って30年前に戻ったような。

30年前。もしかしたら35年前か。前にもこんなことがあったと思い出そうとしているのだが思い出せない。レントゲンだか何かの検診でバスに入ったことがある。小学校のときだったのか中学校のときだったのか。半ズボンだったような気がするから鳴門の小学校時代か。

4年前の検診は永田町の日枝神社の脇だったと思うが即日γ-GTP値が告げられている様子。さすがに今日は採血だけ。尿タンパクが+で腎臓疾患の疑いがあるほかは腹囲が大きいと言われた。腹囲は自覚しています。この調子だとγ-GTPが楽しみだぞ(とまた強がって見せる)。

健康診断 (1月12日・火)


妻から聞いた話だが仕事で付き合いのある女性が昨秋倒れ意識がないまま生体肝移植を受け生き返ったらしい。彼女は特に健康への意識が高く酒を飲まずタバコも吸わず食べ物に気を遣うような人だったにも関わらず。つまり何に気を付けていても病気になることはあるということだ。

私は約7年前にタバコは止めたがビールは毎日1.5L〜2L飲む。宴会になったら4Lぐらい飲んでいるかもしれない。だから病気になることは覚悟している。運命論者なので何が起こってもそれが運命と諦められるとも思っている。それなのに健康診断を受ける矛盾。

明日4年ぶりに健康診断を受けるのだ。J社時代やD社時代は毎年受けていたような気はする。そう言えば徳島の蔵本にある検診センターでバリウムを飲んで気分が悪くなって廊下のベンチで横になったのは95年か96年頃だったと思う。

4年前に受けたときγ-GTPが正常値をオーバーしていた。それにも構わず毎日ビールを飲み続け健康診断を受けなかった私。運命論者の面目躍如。と強がっていられるのは結果が返ってくるまでかもしれない。でも2012年の年末まで生きていられれば十分だ。と改めて強がっておく。

宴会とDVD鑑賞会 (1月11日・月)


ツイッターを始めて日々の細かな出来事を書いているとこの日記に書くことが苦痛になってきた。いつの間にか4行×4段で固定したこの日記の形式を変えるか止めるか考えたいのだが今まで続けてきたことを思い惰性で書いているようなところがある。どうしたものか。

今日はとりあえず最近の行動を書いておこう。まず木曜は今年初めての「響」。2月と4月に演奏する曲は難しいと書いたが音はだいたい取れた。難解なリズムは各パート同じでパターンも似ているから意外に乗り切れそう。アニメメドレーもまずまず。

金曜は東京とスカイプ。50分話をした。その前に慌てて郵便局に行き源泉徴収税の納入。私たちの役員報酬と外注給与あわせて4人分。土曜は地元の別の部落からお誘いいただいていた新年会に。妻は準備で早めに行き私は遅れて。大酔っぱらいで23時撤退。

日曜は妻が買い物に行った間にメディアリストの整理。月曜は鳴門J邸でDVD鑑賞会。上勝の棚田で米作りをやってテレビトクシマで放送された番組など。鳴門などテレビトクシマが見られない地域の人が多かったので。「響」定演のDVDなども鑑賞。

専門誌とメディアリスト (1月10日・日)


昨秋わざわざ上勝に来てくれた日経パソコンの編集長から届いた年賀状に「4誌を統括する立場になった」と書かれていたので最新号で一番最初に見たのが奥付。確かにF編集長は発行人と書かれていた。つまりパソコン局長にご昇進である。おめでとうございます。

そしてF局長からは厳しい経営環境についても聞いていたので奥付を見て仲が良い記者さんらに大きな異動がなくてホッとした。かつて35万部を突破したこともある日経パソコンも部数は激減しているらしい。そんな中で立場が高くなるのも大変だろうが。

J社時代の先輩で今はIT系ニュースサイトとして著名なインプレス系列の社長になったK氏から年明けにもらったメールには専門誌のビジネスモデルは破綻していてそれに代わって専門情報をいかにパソコンやモバイルで活用できるか事業化すると書かれていた。

専門誌を巡る環境もパソコンに関する状況も激変している。ある目的でメディアリストを整理していたが廃刊となった専門誌が多く異動の動向もよく分からず今の私には真っ当なリスト作成は難しいと思った。メールアドレスは会社を辞めない限り普遍だろうとは思いつつ。

タバコ (1月9日・土)


学生時代から吸っていたタバコを止めたのは2002年の秋だ。その春頃から止めようと努力しつつ止められず秋になって風邪を引いて咳が苦しくなって吸うのが怖くなった。当時は副流煙を求めて歩きタバコの人の跡をわざと付いていったりもしたが今は何ともない。

タバコを吸い始めたのは多分1983年だと思う。東京での仮面浪人を終えて京都に戻り工学部実験のレポートをまとめていたときだ。とにかく2週間に1度の割合で2日ぐらい徹夜しなければできないレポート作成に行き詰まって吸い始めたのが最初だったと思う。

1983年だと書いたが正確に言うと1984年の1月か2月だったかも知れない。レポートが書けず雪が積もった堀川通りを歩いて夜が明けた7時頃に郵便局近くの自動販売機でセブンスターを買った記憶がある。あれは既に吸い始めた後だったのかどうか。

そうだった。当時はセブンスターを吸っていた。就職後に東京のK元から勧められてキャスターに転向した。学生時代は3日で2箱ぐらいだっただろうか。就職してからは1日1箱ぐらいになったような気がする。タバコを止めライターを持たなくなってキャンプに行ったときなどに少し困る。

「龍馬伝」と「天地人」と「坂の上の雲」 (1月8日・金)


録画していた今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」第1回放送分をやっと見た。福山雅治が坂本龍馬を演じることで話題になった。三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の視点というのも新しい。香川照之はじめ脇役陣が素晴らしく第1回は面白かった。期待が持てる。

今回のドラマでも描かれていたが司馬遼太郎「龍馬がゆく」を読んで初めて知ったのが土佐藩の上士と下士の身分制度が厳しさ。そのルーツは山内一豊が連れてきた家臣が上士で元来の土佐人が下士と区分けされたと書いていたのは井沢元彦「逆説の日本史」だったか。

そう言えば昨年の「天地人」は面白くなかった。上杉景勝の家老・直江兼続が主人公でいかにも地味。主役の妻夫木聡は意外に良かったが結局ドラマは盛り上がりのない平坦なものだった。ここ10年の中で私は最低だったという印象。

一方で大河ドラマ枠で年末に3年かけて放送されるという「坂の上の雲」は今のところ面白い。司馬遼太郎の原作が面白いとは思わなかったがドラマは原作のエッセンスがよく表現されていて素晴らしいと思う。さて「龍馬伝」。岡田"人斬り"以蔵がどう描かれているのかに興味がある。

ツイッター 2 (1月7日・木)


昨日書いたツイッターだが丸1日で約40件つぶやいてみた。なるほど感じたことを1〜2行で書くだけなら何度でもつぶやくことができる。それほど心に去来する事柄は多いということか。文章にするとなると構成を考えるがツイッターなら思いついたことをただ書くだけ。楽といえば楽。

ただし読む人が面白いかどうかは別だと思う。昨日も書いたが「昼食にパスタを食べた」だけでは下らなさすぎる。味への評価とレストラン名と混雑具合や値段とお勧めメニューがあれば情報にはなる。私のつぶやきが価値ある情報かどうか問われれば否と言うほかはないのだが。

むしろツイッターの本領はフォローしあう人とのマッシュアップ(共作)にあるのではないか。何をマッシュアップするかといえば考え方だったり論理だったり。前向きな気持のマッシュアップというのもあるような気がする。断片的な思考が刺激しあう面白さはあるような。

ブログはある程度完成された文章であってトラックバックで意見を交換できるのに対しツイッターは完成された文章に至る論理や思考を他者と作り上げて行くツールと言うか。そのためには考え方や感じたことを書かないと「渋谷駅ナウ」ではやっぱりつまらないとは思う。

Twitter (1月6日・水)


ツイッターを始めた。ツイッターというのは1つのメッセージが140文字以内のミニブログとも説明されるコミュニケーションツールである。直訳すれば「つぶやき」。昨年から大流行でIT系企業の社長や芸能人や政治家などが始めている。鳩山首相が始めたことはニュースになった。

文字数が短いから気軽に書けてすぐ読めるというメリットはある。1日に何度もブログを更新する人はツイッターは向いているかも知れない。でも私は例え友人のメッセージでも「昼食はスパゲッティを食べた」とか「新年会帰りで渋谷駅ナウ」なんてことを読みたいとは思わない。

下らない。好きな人の行動を知るにはいいかも知れないが所詮は寂しい人が誰かと繋がっていたくてやるものだと思っていた。今でも同じで何が楽しいのか全く分からない。ツイッターを始めたとは書いたが何を書いたらいいのか困っている。mixiでさえ放置状態だし。

ではなぜ始めたかというと友人のニシノ説論者始めたから。何ができるか実験だと言う。典型的な文系人間の彼が試しているのにIT業界の端くれにいる私が食わず嫌いもどうかと思う。そんなわけで。とりあえず実験だからまずはガンガンつぶやいてみようか。フォローよろしく。

消防団出初め式 (1月5日・火)


4日は上勝町消防団の出初め式。昨年10月1日付で団員になった私はもちろん初体験。朝8時に地元分団詰め所から車に分乗して上勝小学校グランドへ。各地区から集まった団員は200名超ということだった。ポンプ積載車など赤い車12台も整列。

8時半頃から整列や行進の練習など。開会10時で11時半頃終了。事前にみんなから寒いと聞いて厚着していたが4日は太陽も出て式典中はさほど寒くなかった。でも1時間半ほとんど立ちっぱなしで動かないため肩は凝るし足は痛くなるし。

式典後は町営グランド脇に移動してポンプで川に放水。各分団が一斉に放水する様子はなかなか壮観。私がやったことと言えばホースを運んだぐらいだが。別の分団が消化剤入りの放水をするのも見学。地元に戻って氏神様にみんなでお参り。御神酒もいただいた。

午後は地元の公民館で宴会。その前に辞令や表彰状の伝達式。私も分団長から辞令をいただいた。13時頃から飲み始めて場所を変えて2次会に行き誰かに呼ばれたらしい妻もやってきて21時を回って一部の人が我が事務所へ。12時間ぐらい飲み続けて2人が宿泊。

初詣と土成と鴨島 (1月3日・日)


地元の神社にようやく初詣。その足で上勝からは60km強あると思われる阿波市土成町。月末に三度お客様が市場小学校を訪問されるのでそのアテンドの準備。今日は吉野川大橋を渡り吉野川北岸堤防で吉野町まで。やっぱりこのルートが一番素直そう。

土成では事前に調べておいたホテルに行って部屋を見せてもらった。きれいだが狭い。周辺の飲食店マップをもらって北へ西へ東へ南へ。居酒屋やうどん店ばかり。思い切って南岸に渡り吉野川市鴨島町へ。駅前の様子を見て別のホテルの部屋もチェック。

こちらは広くてホテルらしい作りだが宴会場外のタバコが凄い。鴨島駅周辺を車で走りながら別のホテルも見つけて部屋を見て周辺の飲食店を探したがよく分からない。正月で休んでいるところもあるだろうし。そんなわけでネットで調べて出直すことにした。

上勝への帰りに目に付いたイタリアンに寄ったのだが味が今ひとつ。こうやって自分の目と舌でお店を選ぶ作業は面倒でもあるが楽しくもある。少なくとも阿波市に行く最短ルートは昨年来いろいろ試してよく分かった。それでもって月末は上勝での計画も立てないと。

311HR同窓会と秋田町 (1月2日・土)


高校3年のときの同級生と会ってきた。妻と徳島に出て私は18時過ぎに秋田町の「ごま屋」。面子は内閣官房政府広報参事官Kと住友セメントKにNTT研究所Sと東京大学工学部准教授Sと松山赤十字病院救急部S。69歳という担任だったM島先生と幹事は徳島赤十字病院救急部F。

ごま屋は福岡に住む友人Tちゃんに教えてもらってN君らと行ったほか3年前の年末に母とも行った。先日は東京のパティシエ柿沢さんが徳島に来られたとき定休日を開けてもらい私の同期で上勝での米作りを一緒にやったM嬢がアテンドして行ったお店。まずはそのお礼やらお詫びやら。

そのM嬢をF氏が知っていると言い出した。M嬢の身内の主治医であったと。ひとしきり彼女が中高で私とFの1つ下だったことなどを説明。さて秋田町は同窓会や新年会で大賑わい。ロングバーに行く皆と別れ妻との待ち合わせ場所まで歩いていたら2人の知人とばったり会った。

秋田町では「響」元メンバーで歯科医のAさん。次に仲之町で「いろどり」Webサイトを制作したB社K社長とご家族。奥さんとは11年ぶり。上勝に帰ったら同窓会中の不動産T社長から電話をもらった。1982年に池袋で会ったY嬢と電話をかわってくれたのだが実はあまり覚えていなくて。

2010年の始まり (1月1日・金)


年越しを鳴門の実家で妻と母の3人で過ごし元旦夕方上勝に戻ってきた。30日は友人Mんの実家でお節料理を作りに香川県引田に行く妻を新浜のマルナカまで送り私が鳴門の実家に行ったのは31日。30日はビールを抜いて朝すっきり目覚めたのだが。

31日は寒波を心配して外を見たとき快晴の様子だったのに8時過ぎには雪。慌てて準備を始めたが30分後に外を見たら雪は溶けて積もってはいない。それで安心してシャワーを浴びて次に外を見たら今度は路面が真っ白。今度こそ焦って10時半過ぎに4WDのムーブで上勝を出た。

でも高鉾郵便局まで下りると全く積もっていない。勝浦も雪は降っていて徳島は強風だったが難なく鳴門着。夜になり妻を高島のJ邸に迎えに行き妻と母と紅白歌合戦を見て元旦0時を回って外に出て除夜の鐘を聞いた。満月がちょうど真上にあったので手を合わせた。

朝はお節料理と雑煮を食べて上勝に戻ってきての夕食は伊島の伊勢エビとサザエ。こうして私の2010年の始まり。さて今年。上勝での生活には慣れてきたから今年は数年かけるような全く新しい仕事に手を付けることになるだろう。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。


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© 2010 Takashi INAGAKI