2006年5月

健康診断 (5月31日・水)


今日は年の1度の健康診断。赤坂。勤務先その1から徒歩10分。 隣駅で降りて着いたのは9時過ぎ。 それでも待たされるのはいつものこと。 別の健保組合で行った過去の健康診断に比べて格段にスムーズだと思う。

検診内容で昨年と顕著に変わったのは体重。3kg増えている。 そんなこと体重を量らなくても十分実感していた。 何せ去年のスラックスがとてもきつい。 ウエストを測ったらメタボリック症候群の疑いありと厚労省が発表した数値を上回る。 5年前の記録があったので見てみたら当時から12cmも増えていた。

他に変わったのはγGTP。とうとう来たかという感じ。正常範囲を上回った。 他の数値は正常範囲ということで飲酒量を減らせと言われた。 確かに飲まないのは熱が出た日と健康診断の前日だけ。せめてビールは1日1リットル程度を目標にしよう。

一時は毎朝バナナとヨーグルトを食べていたが最近は何も摂らない。 そういう日常生活でどういう診断になるか今回は試してみたわけだが結果は出た。 つまり何もしなければウエストサイズはどんどん増えγGTPはやはり増えるということ。

仕方がない。今週末から定期的な運動をすることにしよう。 健康のことよりウエストアップは困るのだ。 ファッションに興味がない私はたかがスラックスをこんなことで買い換えるのは許せないのである。

利口 (5月30日・火)


楽天から送られてくるHTMLメールに閉口してDMメールを解約したと先日書いた。 ところがその後にもDMが届いた。 最初に解約したのは個別DMであって後から届いたのは全員に送っているものなのかも知れない。 改めてこれだけの解約手続きをした。

なぜ楽天は嫌われるのか。 みんなが嫌っているかどうかは知らないが少なくとも私は好きでない。 と考えていて先日書いた司馬遼太郎氏の『人間の集団について』を思い出した。 「商人としての機才のある者を利口だと思う迷信が、経済社会として低い段階の社会ほどそれがある」という一節。

楽天は利口だと思う。 インターネットの常識では考えられない閉鎖的なシステムやユーザーの迷惑を考えないDMメールを当然のごとく駆使する。 インターネットの利用者やネットショッピングのユーザーが増加しているインフラの成長期には有利に働く手法だと思う。

先の本はこう続く。 「馬鹿者の集団には利口者の集団がもっていない文化性の密度というものをもっていて、じつはひそかに利口者の集団を軽蔑しているのではないか」  文化性の密度かどうかは知らないがDMメールが一歩間違えば迷惑であることもインターネットは開かれたシステムであるべきだと馬鹿者である私は思う。

ところで2度目のDMメール解約の後に楽天から今度はアンケートメールが届いた。 楽天のシステムにおいてユーザー情報はリンクさせていないのだろう。 この厚顔無恥さは確かにお利口である。

盗作 (5月29日・月)


盗作のニュースが相次いでいる。 今日のニュースは芸術選奨を受賞した画家の絵がイタリアの画家のものとそっくりだというもの。 その前は国会議員がブログで誰かの著書と同じような表現を使っていたという話。

ここで言う盗作というのは著作権法違反のことを言っているのだろうがネット上のニュースサイトを見る限り個別の盗作についての判断はできない。 伝えてられているのは似ているというだけで盗作を判断する事実が示されていないからだ。

著作権法はアイデアでなく表現にのみ焦点を当てた法律である。 似たストーリーやテーマであっても表現が違えば違法ではない。 そして盗作と言う場合は表現の類似性とさらに依拠性を言わなければならない。

報道を見る限り似ているのは間違いないように思える。 問題は今回の盗作疑惑の画家の作品Aは似ているとされるイタリアの画家の作品Bに依拠したのかどうか。 つまりAの制作以前にBを知っていたかどうかが焦点になると思う。 昔のデッサン仲間だと言うだけでそのことを報道では全く触れていない。

ニュースを見ていると「専門家が見れば全く違う表現だ」とAを書いた画家は言っている。 類似性で争うのか。つまり依拠していたと認めているのか。 そういうところを教えてくれないとセンセーショナルに盗作だと騒いだだけになってしまう危険も。 明日のニュースショーのコメンテーターがどんな無責任なことを言うか見てみようと思う。

ウェストバッグ (5月28日・日)


動物園に行ったり三社祭に行ったりするときは荷物をウェストバッグに入れていく。 かつて97年に川内に引っ越したとき壊れてしまったものに替えて買ったものだから9年も使っている。 バイク用だからタバコ用ポケットや小銭入れなど収納スペースは5つもある。

財布と手帳にサングラスケースと携帯電話が基本セットでこれだけなら余裕で入る。 これに文庫本を加えてもスッキリ収まる。 ところがデジカメやビデオカメラを入れると窮屈で出し入れに苦労する。 私のデジカメが大きいのも悪いのだがビデオカメラも同じぐらいの大きさ。 今ひとつスッキリしない。

そんなわけでバッグを買い換えようと目論んでいる。 ウェストバッグにはこだわらないが持ち物がきちんと入って出し入れしやすいようなもの。 あちこち歩いてバッグ屋があるたびに覗いている。

上野動物園に行った後に寄ったアメ横でも見て回ったが気に入るものはなかったのだが。 収納性とデザインの両方で満足するものはないのである。 ビデオカメラだけ別に収納する方が素直ではあるのだけれど。 そう言いながら探しているときがまた楽しいのである。

『アルファブロガー』 (5月27日・土)


何度も書くがこのサイトの目的は将来の私と一部の友人だけに向けて書いている。 ネット上にあるのだから誰が読んでもらっても構わないのだが自分から読者を増やそうとは思わない。 3年ほど前からは検索サイトにも引っかからないようにロボット検索を拒否していてYahoo!でもgoogleでも検索してもこの日記は出てこないはずだ。 世に言うSEOとは全く逆のことをしている。

当初はいろんな友人からもリンクされていたが多くがブログに移行したりして今もリンクしているサイトは極めて少ないと思う。 唯一mixiからのルートはある。 mixiでは本名はもちろん小学校以来の学校と会社名を明記している。 その気になれば簡単に私のページに行き着くことができるはず。

そうやって一部の方だけに向けて私を表現しているのだが『ウェブ進化論』を読んでから別の世界を見てみたいような気もし始めた。 私と面識がない人も対象にして。そんなわけで読んでみた。 徳力基彦・渡辺聡・佐藤匡彦・上原仁『アルファブロガー 11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣とインターネットのこれから』(翔泳社)。

まだ途中だが大きな影響を受けるようなことは書かれていない。 実際に彼らのブログを毎日見ている方が運営の思想が伝わるような気がする。 それぞれが何故ブログを始めたのかとか運営の上で心がけていることといった内容が書かれていて人それぞれだと分かる程度だ。 なお私のブログ構想はしばらく構想の域を出ないと思う。

『柔らかい個人主義の誕生』 (5月26日・金)


先日読んだ対談に続いて買った。山崎正和『柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学』(中公文庫)。 1960年代に比べて1970年代はどう変わったか1984年に書かれた論文である。 書名には記憶があったから時代の名著なのかも知れない。 1970年代の変化を微分した接線は未来を向いているはずだからその接線と2006年現在の近似または乖離もまたこの本を今読む面白さの一つだと思う。

これからの企業は需要探求型であるべきで論理や連続に基づくのではなく「直感的で飛躍的な創造活動が必要になる」と著者は書き 過去の産業化時代は戦闘的な生産組織がある一方で隣人の顔の見えない大衆社会があったのに対し現在は「自分の趣味を表現しあふ場所となり、暗黙の相互批評のなかで趣味の正しさを確認する場所になってゐる」とする。

「『顔の見える大衆社会』の予兆」と題された第二章で「情報を生産する消費」だけが不在だと書いている。 情報を生産するのは戦闘的で公的な職場組織ではなく私的な家庭でもなく趣味の場であろうとも。 1984年に書かれたこの記述を読みながら私はインターネットの出現が必然に思えてきた。 1970年代の接線の先に今日は予想されていてただそれを実現するための技術と機会がなかっただけだったのだと。

実はまだ半分しか読んでいない。それでもこの本が出色のものだと思う。 文語体だし最近読んだ本の中では最も論文調だが論理は平明でスラスラ読める。 精読すれば現代文化を読み解くヒントが山盛りになっていると思う本である。

HTMLメール (5月25日・木)


HTMLメールはなるべく使わないようにするのが常識だと思っていた。 Outlook ExpressはHTMLメールが標準だから気を付けようと専門誌の記事でもよく見かける。 ところがDMメールをHTMLで送ってくる業者がある。楽天だ。

楽天で最近買い物をした。DMメール送信を許可したかどうか定かではない。 だから個人情報保護法を持ち出すつもりはない。 しかしHTMLメールだけは許せないのである。

ほかにもRealNetworksとかJALなどがHTMLメールを送ってくる。 といっても1月に1通程度。楽天は度を越している。1日に1通か2通が届く。 そのたびに読まずに削除する。 別フォルダに振り分けてもいいが未読マークが消えないのは気持ちが悪い。 迷惑メールに指定してもいいが必要なメールまで迷惑メール判定されると困る。 そんなわけで手動削除。

DMメールは鬱陶しいと思う一方ときには読む。 だがHTMLメールは絶対に見ない。 楽天はこういうユーザー感情をどう思っているのだろう。 それより楽天のお得情報を見るためにHTMLメールに抵抗感をなくしたユーザーがセキュリティ上の被害に遭うような危険性は考えないのだろうか。

調べてみたら楽天のDMは約50もあってそのほとんどがHTMLだけ。 いつの間にか登録していた3通のDMはもちろん全て解約した。

先輩と後輩と (5月24日・水)


今週の飲み会は2回。月曜日はいったん元先輩の会社に妻と行き話を聞いた。 食事に行ったのは妻が洋食がいいと言うのでイタリアン。 赤坂界隈で最も美味しいと先輩は言う。 メインに私はウサギを食べ妻はハトを食べた。 両方とも初体験だと思う。妻が日記に書いていた獣を食べるということを考える。

水曜日は元後輩のK氏である。3月にも飲んだ。その模様はポッドキャスティングで配信もした。あのK氏だ。 その後になって徳島に引っ越すことにしたと言う。先日のOB会の直前に聞き驚いて改めて場を設けてもらった次第。 来週引っ越すと言うから急な話だ。

彼は全国を飛び回っていて横浜の家に帰ることがあまりない。 それなら徳島でも一緒だろうというが遠因らしい。お子さんの第一の友達が転校した直後というタイミングもあるそうだ。 5月に引っ越すことにしたのはマンションの買い手が付いてその条件が5月だったと。 思いの外の好条件ということで決めたと言う。

今日も話題はスピリチュアル。 私には彼が首長になるようなイメージがあると言えば彼本人は60歳になったら講演をして回るようなイメージがあると言う。 今は土と川をイメージしているそうな。吉野川第十堰と農地を生かした何かをするのかもねと私の感想。 ある人に彼は世代を代表する生き方だと言われたそうだ。それが一般に理解されるのは20年後かも知れない。

何だか惹かれるのである。話をして楽しいのである。続いて応援したいのである。 私にとって大事な友人のような気がするのである。

『日本人の内と外』 (5月23日・火)


『人間の集団について』の流れで司馬遼太郎氏と山崎正和氏による『日本人の内と外―対談』(中公文庫)を読んだ。 山崎氏は劇作家という肩書きだが日本文明論や社会評論などが多く読売新聞に数年前に掲載されていた長文の論文を読んでから興味を持っていた。

テーマは多岐にわたり対談が進行していく。新鮮な分析は日本には公文化と私文化しかないという指摘。 欧州の貴族は昼の公務と寝る間にオペラという中間がありドレスも社交マナーも含めてそこに文化が生まれるという説。 日本では宴会は仕事の延長かドンチャン騒ぎの私的領域になって中間がないという。

戦後なぜか都市に定着した盆踊りを「あれは文化でもなんでもない」と2人がこき下ろす。 あるいは明治以来猛烈な勢いで日本は西洋に追いついたというのはウソで日本史の中では江戸時代が例外だったに過ぎないと言う。 室町時代には鉄砲などの最先端技術を自分たちのモノにして西洋文明を取り入れていたのだと。 あるいは均一な大衆社会が出現したのは日本と米国だけだろうという説も。

教育や読書習慣と技術芸能仏教儒教に日本人の特質性格などなど日本の文化史をオーバービューするような多様な内容である。 話は多岐にわたるから全体を通して一貫した問題提起があるわけではないがそれぞれのテーマでいちいち納得する。 読みやすい日本文化論であると同時に常識が実は非常識なのだと視点を逆転させてくれる好著。

弟 (5月22日・月)


既に先々月になるかも知れない。弟からメールが届いた。携帯メールなので短いものだ。 内容は言えないがその文面に苦悩を感じた。

弟は大手出版社に勤めている。入社当時の週刊誌編集部では毎週何日か徹夜があった。 週刊誌出身の知人に聞いても大変だと言う。体力的にしんどい仕事なのだと思う。 その後いくつか編集部を移り今は比較的余裕があると聞いていた。

私とは6歳違い。 彼が幼稚園に行く頃までだから私が小学生の頃はかわいがったが私が中学以降遊んだ記憶はほとんどない。 私が大学を出るまで12年間ほとんど彼と私は共通点がないように思う。 弟に言わせると私にはいじめられたそうだから彼ばかりが鬱積していた可能性はある。 6つ年上の強権的な兄に恐れ反発したことがあったかも知れない。

父の葬儀に前後して話をするようになり彼の屈折した気持ちを感じることがあった。妻もそう言う。 しかし2人とも十分に大人である。 一方でサラリーマンである以上銀行であれソフト会社であれ出版社であれ辛いことはあるだろう。 少しはそういう苦悩を相談し合うような話ができるようになればと思う。 ある意味で兄弟関係だけはまだ大人になりきれていない。

三社祭と銀座とベトナム料理 (5月21日・日)


午後から妻と義母と浅草に行った。三社祭の最終日である。 勤務先その2の同僚が浅草町内の人で神輿も担ぐ。 数年前には家にお邪魔して法被も着せてもらい神輿も担がせてもらった。 今回もお誘いを受けていたが家にはお邪魔せず見物だけ。

田原町で地下鉄を降りて大通りや裏通りを歩きながら祭見物。 とは言っても飛び入りで神輿を担げるわけでもなく見る阿呆止まり。 大混雑の仲見世を通り喫茶店で一服し裏から浅草寺に入り浅草駅から帰路につく。

時間も早かったので途中下車して銀座。義母は行ったことがないので行ったり来たり。 歌舞伎座の前まで行って隣のベトナム料理店cho Viet Namで夕食をとった。 これが美味。『サイゴンから来た妻と娘』で奥さんが上野公園で蓮を採ったという話を妻がする。 そんな話の中で初めて食べただろう蓮の実が美味しいのである。

あまり辛くないから日本人向けにアレンジしているのだと思う。 この店はお奨め。 次の東京観光は私の勤務先その1周辺。赤坂から首相官邸と国会議事堂あたりにしようと話をしたところ。

父の癖 (5月20日・土)


あるとき歩き方が父とそっくりだと気づいて愕然としたことがある。 20歳を過ぎた頃。今出川大宮の第一勧銀に宝くじを買いに行ったときのことだ。 どんな歩き方だったのか今となっては表現はできない。 ただ父の癖に似てきたと気づいたとき嫌な気持ちになったことだけを鮮明な光景とともに覚えている。

癖と言えば父は鏡に映る自分の顔をしょっちゅう見ていた。 後に弟の部屋になる2階の奥の部屋に毎日夕食のあと行くのだが必ず階段を上がりきったところにある鏡の前で立ち止まった。 何を見ているのかと気にも留めなかったが変な癖だとは思っていた。

ところが先日これを私自身がやっていることに気がついた。 オフィスが暑く火照ったような気がして顔の赤みを見ていただけなのだが突然ふと父を思い出した。 この仕草は父と全く同じではないかと。 父をよく知る例えば母や弟なら私のこの姿を見れば父とそっくりだと言ったことだろう。

結局のところ父が鏡を見ることに深い意味はなかったことが分かった。 もちろん違うかも知れないが同じ仕草をするようになった息子が言うのだから多分当たっているはずだ。 20歳の頃の今出川大宮と違い今回はあまり嫌な気もしなかった。 父の子であることに諦めもあり今となっては懐かしい気持ちの方が勝っている。 つまり私が十分大人になったということなのだろう。

日経のスポーツコラム (5月19日・金)


日本経済新聞は記事は置いておいてもコラムの質においては随一だと思う。 勤務先その1で毎日読むのだが文化ネタで秀逸なコラムをときどき目にする。 これまで何回か切り抜いたことがあって思い出しては読み直したりする。

最近のお気に入りはスポーツ面。 スポーツ記事そのものでは一般紙に勝てるわけがない。 量が全く違うし誰も日経にスポーツニュースを期待してはいない。 そこでコラムだ。

サッカーと野球のコラムがあるのだが毎回ほんとうに感心する。 著者はローテーションなのか毎日同じ人ではない。 それでもテーマの選択もタイムリーだし分量もちょうどいいし文章がとてもうまい。

最近唸ったのは野球評論家の豊田泰光氏。 大リーグのドーピングについて書いた記事でサプリメントの是非を書いていた。 毒を感知する最初の器官である口を素通りさせるカプセルを飲むのはスポーツ選手として如何なものかという内容だった。

最近だと松井選手の怪我から書き起こし受け身の練習の必要性に言及していた。 単なる思いつきでもなく捕球後の回転レシーブを練習していたというキューバチームの例を引きながらである。

記事はもちろん通読するがチンギス・ハンが主人公の連載小説とスポーツ面のコラムは最近の日経を読む楽しみなのである。

飲み会 (5月18日・木)


今週は4日連続で飲んできた。 月曜は元同僚で保険会社に勤めるY氏。渋谷で2人。 火曜は勤務先その1のボスと勤務先その2のボスを引き合わせた。赤坂。 勤務先その1の地下にある高級そうなステーキ店。大きな空間に驚いた。 話の内容は内緒。コウモリみたいな私として大した気も遣わず難なく終わった。 解散後その2のボスを誘い料亭がやっているカウンターのお店でお酒を少々。

水曜は元同僚K氏。隣町に宿を取ったというのでホテルで合流。 事前に調べていたお店は満席で入れず時間を置かず妻も合流したので近くの店に飛び込みで入った。 飲み始めも早かった。 たまたま火曜から義母が旅行で不在。ちょうどいいので2次会は我が家へ。タクシーで1メーター。 結局1時ぐらいまで飲んでいたのである。 後で妻は「Kさんは面白いから楽しい」とニコニコしていたよ。

木曜はPDAの師匠M氏。4ヶ月ぶりの様子。 M氏の今の勤務先まで出向いた。日本のビジネスの中心地。 あのビル下まで行ったのは数年ぶりだと思う。 さてM氏。私と同じデジカメCanon G1を今も持っていて私が買おうか迷っているPonasonic FX01も使っているとか。 そんなわけでFX01を触らせてもらいながらデジカメの話。やっぱり28mmだよなぁと思った次第。

来週は月曜と水曜に既に飲み会の予定あり。 みんなJ社時代の人。少しドキドキしつつ楽しみでもある。

『人間の集団について』 (5月17日・水)


多分『沖縄文化論』を買おうとしたらアマゾンが推薦してきて一緒に買ったと思う。 近藤紘一氏の『サイゴンから来た妻と娘』などを読んでいたから「ベトナム」に引っかかった。 読み始めて知ったのだがこの本は1972年サンケイ新聞に連載されたもので「現地支局の近藤紘一氏にはお世話になった」とあとがきにある。 戦時下の南ベトナムで思索するエッセイである。 司馬遼太郎『人間の集団について―ベトナムから考える』(中公文庫)。

エッセイだから話は方々へ飛ぶ。特に前半は話が落ち着かない。 戦時下のベトナムで何を思うか著者の感性に賭けたような企画だったのかも知れない。 内容は人間の心や社会や文化や経済などあらゆるジャンルに及ぶ。 国家の意味や帰属意識や宗教や霊魂を例に人間の心を考えるヒントにはなる。 あるいはイデオロギーが作り出した幻想を元に単純な機械運動になってしまい継続が目的になったかのような戦争のことも。

「商人としての機才のある者を利口だと思う迷信が、経済社会として低い段階の社会ほどそれがあるが〜」とか 「日本国家というのは、経済社会で無秩序に競合しあっている無数の価値群をかろうじて調整、もしくは調整しているつもりでいる機関で、そこへ大衆社会が現出しているために、猥雑そのものになっている。」 という指摘は30年経った今にこそよく当てはまる。

歌謡曲で別離の歌が流行るのは日本とベトナムと韓国の共通項なのだそうだ。 稲作で地域に土着しているからなのかマインドが似ているらしい。 後半は読み応えのある文化論だ。前半をすっ飛ばせば面白い。

葵祭と阿波踊り (5月16日・火)


京都の葵祭で学生バイトを募集したら例年になく集まりが悪かったのだそうだ。 私は京都の祭でバイトをしたことはないが以前は受付会場に列ができたと言う。 今年は平日だったのが一因というが昨今の学生は授業をサボらなくなったのが遠因のようだ。

葵祭は1度だけ見たことがある。 入学したばかりの1982年。 上賀茂神社に向かう祭列が出発する下鴨神社の近くに住んでいたから下宿から5分ほど歩いて見物客の肩越しに少しだけ。 ただ宮中貴族の装束を着た人が歩いているだけだった。

祇園祭は宵山あたりに街を歩いたことがある。 普通に歩けないほどの凄い人出で祭の情緒を楽しむこととは無縁の世界だった。 祭としての楽しさ面白さで阿波踊りに勝るものはないのではないかと思った。

葵祭が学生のアルバイトで成り立っていることを改めて知ったわけだが学生でも衣装を着れば即成できるのが間違いではないのか。 平安貴族の装束でメガネをかけていたりしてウソをただ見るだけでは祭とは呼べないだろう。

神事なら神事だけをすればいいのであって形式だけを真似ても意味がない。 『沖縄文化論』にある「民衆はどんなに苦しくとも、その本質において明朗であり、透明なのだ」という言葉を思う。 祭は民衆のものであって岡本太郎の言葉は阿波踊りにこそ相応しい。

デジカメ (5月15日・月)


先日ビックカメラで気になるデジカメを見てきた。 条件は手ぶれ補正。だいたいデジカメ撮影の失敗は経験によると9割が手ぶれによる。 だからこれを基準に選んでいる。

ディスプレイが自由に動く機種なら候補はCanon PowerShot S3 ISだけ。 PowerShot G1を使っているから操作の継続性に期待して。 面倒だから実は他の候補を調べていない。

コンパクト機なら候補は2つ。Canon IXY DIGITAL 800ISとPanasonic LUMIX FX01。 違いは焦点距離35mmか「あゆは28mm」か。 かつてフィルムカメラを焦点距離が不満で買い換えたことがある。 最初の36mmか38mm機は後輩のZ嬢に譲って今も持っているのが28mmのMINOLTA Capios25。 そんなわけでLUMIXに強く惹かれる。

違いは露出を変えながら3枚撮影するAEB機能も。 シャッター時の手ぶれ画像を捨てて2枚目3枚目を使うためにこれまで多用してきた。 手ぶれ補正が機能すれば不要とも言えるがLUMIXにはあってIXYにはない。 付属バッテリによる撮影枚数も240枚対320枚でLUMIXの勝ち。重さもLUMIXの方が数十g軽い。 ハイアングル時の液晶画面を明るくする機能もあってポイントが高い。しかも実売価格が安い。

一方で手にした感じはIXYの方がしっくりくる。 小さすぎてホールドに難があるこのジャンルで重量感も含めてIXYの勝ち。 メニューの呼び出しや設定の分かりやすさも若干IXYに分があると思う。 画質も何となくIXYのいいような印象もあるし。 そんなわけでもう少し考えを熟成させながら悩むことを楽しもうと思う。

『沖縄文化論−忘れられた日本』 (5月14日・日)


『沖縄に恋する』が紹介された『楽園沖縄』に取り上げられた他4冊の沖縄本について西野氏は自分の本を除いても真っ当な著作が取り上げられていると言っている。 そんなわけで読んだ。岡本太郎『沖縄文化論―忘れられた日本』(中公文庫)。

第1章は「芸術は爆発だ」と理解できない私には難しい。 ようやく理解できるのは沖縄舞踊の素晴らしさの反動で日本舞踊をこき下ろすあたりから。 何もないのが沖縄文化の特徴だと大芸術家は言う。 歌も踊りも村々の聖地も。 ヤマトの神社は装飾が過ぎて嫌らしく権力を背景にした美術に騙されているのであって人間本来の精神は沖縄のように何もないものではないかと。

この本は沖縄文化論であると同時に対比としての日本文化論でもある。 日本文化の本質とも言われる「わび、さび」に対しても「その精神は貴族的であり、〜」 「禅が日本の貴族、インテリにはあれだけ力を及ぼしたのに、庶民層には浸透しなかった」と書く。

大陸の本家には正対できず素っ裸な日本にも正対せず斜めのポジションを強いられた逃げ腰が「わび、さび」の美学だとこき下ろし 「あんなしめっぽさはピープルのものではない」「民衆はどんなに苦しくとも、その本質において明朗であり、透明なのだ」と。

青い海や戦争モノを除けば沖縄を正面から捉えた真っ当な一冊なのだろう。 ただし「今」というのも米国軍政下にあった1961年頃の沖縄のことなので本当の今はもっと変わっているのかも知れないが。

「ラヂオの時間」 (5月13日・土)


録画していた映画「ラヂオの時間」(脚本・監督:三谷幸喜)を連休中に見た。 主婦が書いた脚本を元に制作された生放送のラジオドラマの収録中という設定のドタバタ。 生放送中に役者の主張でラジオドラマのストーリーがどんどん変わる。 ラジオ放送局のスタジオと会議室だけで物語が進んでいく喜劇。

中学高校のころ私はいわゆる「ながら族」だった。 FM放送を必ず聴いていた。 そして当時はよくラジオドラマが放送されていた。 映像がないだけ聴く人のイマジネーションに頼る部分は大きいのだろう。 結構面白かった。 NHK-FMの夜11時代のドラマなどよく聴いていた。

最近はラジオそのものを聴かないからよく分からないのだけれどラジオドラマって放送されているのだろうか。 ゆっくり聴く時間もないけどポッドキャスティングならうってつけのようにも思う。 もちろんCMも入れられるし通勤時間などに地下鉄の中でも聴ける。 ラジオ放送局にとってはメリットも大きいと思う。 それとも脚本と制作が面倒なのだろうか。

「ラヂオの時間」では効果音CDが倉庫から取り出せず音を手作りするシーンも。 手作りする音については福岡に住んでいたころ勤務先その1の大家にあたる放送局の人に少しだけ聞いたことがある。 今ならPCを使って録音も編集も誰でも簡単にできる。 脚本でもいいしドラマそのものでも聴取者から募集する方法だってあるように思うのだが。

ICパスポート (5月12日・金)


5月16日で期限が切れるパスポートでは心許なく先日更新手続きをして今日受け取ってきた。 10年期限のもの。ICチップが埋め込まれている。収入印紙に16,000円もかかった。

申請したのはゴールデンウィーク中日。東京・有楽町。 書類を取りに行くと申請の整理券待ちに長蛇の列。 少し経つと列が大幅に短くなっていたから時間が関係するのかも知れない。 そんなわけで翌日に少し遅めに行ってみた。

写真はデジカメで撮って印刷してもよかった。 そう思っていたがサイズについて細かな規定があって面倒になった。 1,700円を出してパスポート申請書の目の前にあった業者に撮影してもらった。

パスポートの申請は整理券の列に並んで約5分。整理券を受け取ったら順番は150人待ち。 約50分ほど待ったと思う。やれやれ。出来上がりまで5営業日という。 10年前は2週間と言われていたような気がするが効率が上がったのか東京だと早いのか。 ちなみに今日の受け取りの待ち時間は4分。

これで旅行も自由になったか。 ともかくせっかく更新したパスポート。 これからは妻の希望通り海外旅行三昧を目指そうと思う。 な〜んてね。

お誘い (5月11日・木)


今日は前から決まっていた前職のOB会。御大の先輩方らいつものメンバー。 幹事が大先輩B氏ということで会場はB氏の会社の近所。つまり私の勤務先その1の超近所。徒歩3分の距離。 今日は午後から勤務先その2にいたところ夕方に後輩K氏が電話を寄越し店の近くに早く着いたと言う。 それならばと勤務先その1に戻り会議室で待ってもらい仕事の電話2件をやって店に向かった。

店への道すがらK氏からは驚きの近況を聞く。うーん。本当に驚き。 改めて食事をしながら話を聞きたい気分である。 さて店に着き遠慮がちに座ったら幹事B氏がわざわざ横に来て諸々。 妻に仕事の相談があるとかで食事をセッティングせよとのご命令。 そういえば。

食事のお誘いが2日で4件。 水曜日にはかつての同僚の保険屋さんから電話があって来週夜会うことに。 水曜日深夜に別の元同僚K氏からメールがあって来週夜を仮予約。 今日午後はPDAの師匠Mから電話があって来週夜をお約束。 そして今日夜のB氏からのお誘い。

元々来週火曜は以前から食事会を設けていた。 全て来週に入れると平日5日の夜が全て埋まる。 さらに今日聞いて私が驚いた後輩K氏を誘えば6日目になる。 こんなに続けてお誘いが集中することは過去にないと思う。 何かが動き出した5月。そう前向きに思うことにする。 この飲み会の先に何が起こるのか楽しみな気分なのである。

『沖縄に恋する』 (5月10日・水)


ニシノ説論者である友人・西野氏に会ってきた。 近況報告と意見交換みたいなもの。 以前は新宿にいたが今は銀座にいる。行ってみたら銀座のど真ん中だった。いつものようにドトールでコーヒー。

最近のトピックは彼が書いた『沖縄に恋する―癒しの島へ渡ってみれば』(WAVE出版)だ。 既に私は2004年6月7日の日記で書いている。 つまり出版されてから2年近くになるわけだ。 それが『楽園沖縄』(昭文社)という本で紹介されているそうだ。 4月18日のニシノ説で知った。

『楽園沖縄』には5人の著作が紹介されていて他の著者は岡本太郎と澤地久枝に池澤夏樹と吉本ばなな。 私はこの4人の本を読んだことはないが名前だけは知っている。 十分すぎる有名人だ。

『沖縄に恋する』は本土から沖縄に移住した人たちを取材したノンフィクション。 タイトルはもちろん内容を表しているがそれも一面である。 移り住んだ人たちが見た沖縄の実態が書かれており「沖縄移住マニュアル」としても読むことができる。 素晴らしいところも悪いところも含めてヤマトンチュが見た沖縄を姿を知ることができる。

最終章にあたる西野氏本人の「半生記」を再読してみた。 淡々とだがユーモアを交え沖縄生活が書かれている。 沖縄で住む意味みたいなものも考えさせられる。 私の場合とりあえず今はまだ本だけで我慢である。

アフィリエイト (5月9日・火)


このサイトの右下にあるアクセスカウンタを最近1ヶ月ほど記録してみた。 毎晩アップロードしたときにチェックすると毎日30〜40ぐらい進んでいる。 土日は進みが悪くて20〜30。なぜか火曜ぐらいが多くて50を超えていたときもある。 平均すると毎日35といったところか。

こんなサイトでアフィリエイトプログラムに参加したところで儲けはない。 それにアフィリエイトプログラムには抵抗感があって私は無関係だと思っていた。 ところが『ウェブ進化論』を読んで少し考えが変わった。 やってみないと事の本質は分からないような気がして抵抗はあるが試行してみようと思う。

そんなわけでアマゾンのアフィリエイトである。 何と審査がある。考えてみれば当然だが少し怯む。 が何のことはない。午前中に申請したら夕方までにはアカウントが届いた。 紹介料は10冊以内で1%。11冊以上で3.25%らしい。四半期単位のようだ。

私が月に2冊紹介して仮に1人ずつ購入すると3ヶ月で6冊。平均1,000円の本だと料率1%で10円×6冊=60円。 1,500円に達して初めてギフト券が送られてくるから1,500円/60円=25四半期で1,500円になる。 25四半期は6年3ヶ月に相当する。なるほど。

期間を短縮するには方法が3つ。 母数にあたるアクセス数を増やすこと。紹介点数を増やすこと。1点当たりの購入者を増やすこと。 アクセス数は増やしたくないし購入を勧めるのも気が引ける。 せいぜい紹介点数を多くしてみよう。 それなら私の勉強にもなるし一石二鳥だ。

デジカメ (5月8日・月)


GW中に撮影しようと持ち出したデジカメが壊れた。 起動しない。ときどき起動するのだが撮影はできず今度は電源をオフにしてもレンズが格納されない。 これでは使えない。とうとう寿命だろうか。

キヤノンPowerShot G1。 この日記の記録によると買ったのは2001年7月。 初めて使ったヤフーオークションで手に入れた中古品だ。 新品実売価格の6割ぐらいで買ったような気がする。

300万画素。コンパクトフラッシュ。大きく重い。起動も今のデジカメほど速くない。 だがリモコン付きで最大の特徴はビデオカメラのようにディスプレイが前後270度と上下360度回転すること。 カメラを壁にくっつけても撮影できたし人混みの中で頭上から撮ることも簡単だった。 それがとても気に入っていたのだが。

今までも新しいデジカメを何度も買おうとして思いとどまってきたのに。 買い換え時なんだろうな。寂しいけれど。 これまで買い換えを考えたときは小型軽量のものしか考えていたなかった。 子細にスペックを見ていると小型軽量はやっぱり機能が見劣りする。

改めて最新機種を調べてみたらディスプレイの向きが自由になる製品は今もあった。 それよりリモコン付のデジカメはほとんどないのね。 そんなわけでIXYのようにコンパクトなのにするか大きくて重いのにするか悩んでいるのである。

『テロルの決算』 (5月7日・日)


『一瞬の夏』に続いて読み始めた沢木耕太郎『テロルの決算』(文春文庫)。 1960年10月12日の日比谷公会堂。右翼の17歳少年・山口二矢氏が当時の社会党委員長・浅沼稲次郎氏を日本刀で刺殺した事件に至る2人の人生の物語である。 東京で浪人生活を送っていた1982年秋に初めて読んだ。以後の私の読書傾向を決定づけたノンフィクションの傑作。 学生時代に2回ほど読み返した記憶がある。

あとがきに書かれていることは以前にも書いた。 17歳の少年か61歳の委員長か。どちらに肩入れすることもなく書けた年齢だったと著者が書いている。 私は2度読み返したときは委員長の章を飛ばして読んだ。

序章から引き込まれる。衆人環視の元での殺人事件にまつわる事実が持つ数々の偶然の怖さに。 少年が右翼に傾倒していく心の動きも私にはよく分かる。 委員長が日中関係の中で発した発言の背景についても。 事実だけが持つ偶然と必然が交錯するような凄い物語だと思う。

初めて読んだときは圧倒的に少年の気持ちに近かった。 今は少年の年齢とは26歳差。委員長の年齢とは18歳差。いつの間にか委員長の年齢に近づいていた。 初めて読んだときも身震いする感覚があったが主人公は少年だけではなかった。 あとがきに書かれているとおり少年の物語であると同時に委員長の物語でもあった。 それでもまだ私は右翼少年の心に感応するところが大きいのだが学生時代に読んだときは気づかなかった感想を43歳になって思う。

上野動物園とボタン鍋 (5月6日・土)


GW最終日は天気も悪そうなので観光その2で上野動物園に行ってきた。 園内は小さな子供連れか若いカップルだが妻と義母と3人で。 やはり凄い人だが広いだけに混雑具合はEPSON水族館ほどではない。 ジャイアントパンダから順に一通り見てきた。

夕方にはアメヤ横町。 こちらは凄い混雑。普通に歩けず。 ときどきバッグ屋などに入って物色しながら裏通りも行ったり来たり。

夕食時になって両国までいき「ももんじや」。 創業から280年というイノシシ肉の料理店である。 妻はかつて伊豆あたりで食べたことがあるようだが義母と私は初体験。 話のネタにと行ってみた。

すき焼きのように焼いて10分ほど待つように言われるのだが肉は固い。 30分も煮込むと柔らかくなる。 臭みはあまりないが肉の味が美味しいというわけでもない。 タレがしみ込んでそれなりに食べられるがそれだけ。 鹿肉の刺身も食べたがこれもまずまず。悪くはないがよくもない。 店を出た後みんなで「獣を食った」という実感を持ったのである。

動物園帰りだから個室の座敷で妻が動物の物まね。みんなで大爆笑。 そんなわけで歩いて飲んで大いに笑った一日。

学生バイト (5月5日・金)


先日読み返した『一瞬の夏』(上巻)を本棚から引っ張り出したとき最後のページから4つに折ったリーフレットが出てきた。 しおり替わりに挟み込んでいたのだと思う。 リーフレットは有料道路の「嵐山−高雄パークウェイ」のものだ。 そういえば紅葉の季節に料金ゲートでアルバイトをしたことがある。 文庫の奥付には昭和59年5月25日発行とあるからバイトをしたのは1984年か1985年の11月なのだと思う。 私は21歳か22歳だ。

バイトはゲートで通行車から料金を受け取るという単純なものだった。 交代要員もいて楽な仕事。 ところが日暮れ頃になって酷い渋滞になった。 何十分も渋滞に閉じこめられトイレはどこかと訊かれることもしばしば。 そのうちイライラした人たちから道路整備について文句を言われる。 渋滞の中で小さな追突事故も起こった。

日も暮れて動かない車列。 ぐったりと疲れた車中の人も気の毒だが私たちに何かを言われても実は何も答えられなかった。 その日1日だけのバイトで抜け道など知らないし地理も分からない。 しかもサークルの仲間数人で行っていたから多分ヘラヘラしていたような気がする。

大人になって学生バイトの態度の悪さに腹を立てることがあるのだけれど当時の私も同じだったかも知れない。 このリーフレットが出てきてそんなことを思った。

水族館 (5月4日・木)


GW都内観光第1弾。 品川にある水族館に行きたいと妻が言うので午後から行ってみた。 着いたのは2時前。入口前に長蛇の列。まずは昼食を取って再トライ。 それでも列は長くなった。いったん撤退して浜離宮へ。

浜松町で降り浜離宮に行ったつもりが芝離宮恩賜庭園。 入園してから妻が気づいた。何というドジ。 それでも広い日本庭園はゆったりして人も少なく十分堪能。 怪我の功名と言うべきか。

再び品川に戻って17時過ぎ。 15分待ちの短い列に並んで入場したら凄い人。 アシカショーの入場締切間際というので行ってみたら既に満席。 妻だけ座って私は後ろ。その時点で17:30より前。ショーが始まるのは18時。 うーん。確かに入場締切は間近だったんだろうけど入ったら30分以上待たされるというのは如何なものか。 着席した人たちは多分1時間ぐらい待っていたはず。

結局すぐに出て水族館見物。確かに見せる工夫はしているが驚くほど小さい。 ちょっと見たらすぐ出口。昔あった鳴門岡崎水族館の方が大きかったと思うぞ。 結局イルカショーの会場に腰をおろし始まりを待つ。こちらは客席も大きく余裕十分。 19時からのショーは間近に見られて面白い。十分に楽しんだのであった。

『一瞬の夏』 (5月3日・水)


かつての同僚Y氏に薦めたら読み始めたというので私も読み返してみた。 沢木耕太郎『一瞬の夏』(新潮社文庫)。 東洋ミドル級チャンピオンだったカシアス内藤氏がボクシングを辞めて4年後。 復活を目指した1978年の夏から翌年の夏までの物語。

学生時代に上下2巻を2晩で読んだ。 トレーナーの故エディ・タウンゼント氏と著者である沢木耕太郎氏の3人の物語だったことは覚えているが他は全て忘れていた。 ただ何がしかの感動の記憶だけがあった。

沢木耕太郎氏が見た情景や感じた心象が淡々と綴られているだけとも言える文体なのだが読み返し始めたら今回もあっという間だった。 一つ一つのエピソードや心の動きに何故引きつけられるのか分からないのだが読み始めたら止まらない。

1979年8月22日の韓国ソウル。 ラストシーンに向けて結果は暗示されているのにドキドキした。 それにしてもこの本の何がいいのだろう。 人は計算通りには生きられないという悲しさなのか。 それでも生きているための心の有り様に触れるからなのか。 青春の熱さにか。自分への諦めにか。

「カシアス内藤」で検索すると昨年開設した自身のジムのホームページに行くことができる。 ジムの名は名トレーナーと自身の本名。 物語の主役の一人とも言えるカメラマン内藤利朗氏が物語の中で撮影した写真を見ることもできる。 1978年夏の写真や26年後や27年後の写真に泣けてしまう。

司法試験 (5月2日・火)


勤務先その1でお客様3人。 一人はマニュアル本で有名な出版社出身だと話をしているうちに分かった。 昔一緒に仕事をした人の名前を言うと上司だったという。 それで当時の私の立場を話した。 するとマニュアル本を実際に書いたのは今日来ていたもう一人Nさんだったことが分かった。

マニュアル本を書いたNさんは私と一緒に仕事をしたライターK氏の部下だったと言う。 それなら当時からNさんのことを知っている。 K氏はパソコン通信をきっかけにライターになり最盛期は月収何百万円という稼ぎだったと聞いている。 そんなわけで2人してライターK氏の昔話で盛り上がった。

最も驚いたのはライターK氏が何と司法試験に合格していたこと。 そういえば私は彼が司法浪人中にパソコン通信で知り合ったのだった。 思いの外ライターとして売れてしまい回り道をしていたということだろう。 今は司法修習生だそうな。

業界の中で人は繋がっているんだなと思った。 同時にK氏が本分を忘れず勉強していたことにも驚いた。 10年が経ち変わったことと変わらなかったこと。 今日もそんな感慨を思うのである。

十年一昔 (5月1日・月)


パスポートの期限が5月16日で切れる。 更新したのは10年前。1996年5月。それは米国サンフランシスコに仕事で行く直前だった。 Sun Microsystemsが主催するJavaOneとかいう初めて開催されるイベントに会社が参加するため慌てて取得した。 同期だった専務室のTが「請願」手続きか何かをして通常より早く交付された。

サンフランシスコには2週間滞在した。 1週間目はオラクルのネットワークコンピュータの発表会が目的だった。 彼らの発表文に会社のコメントが掲載され確か独自の英語リリースも作成して発表会場のプレスルームに置いてもらったような気がする。 Netscape創業者のマーク・アンドリーセンを舞台上に見た。

準備段階でまだ日本にいたときオラクルの担当者には頻繁に電話した。 確かリサ・ダイヤモンドといった。日本語が上手な日系米国人だったような気がする。 彼女が日本から米国に行った後も1日1回以上連絡した。 発表内容が決まらなかったからだ。 最終形の数日前にFAXで送られて来たドラフトは1日ごとに内容が大幅に変わり最終日は3時間経つと全く別の文面になっていた。 米国のトップ企業でも発表は泥縄式なのだと知った。 自分たちの方がまだマシかも知れないとも思ったものだ。

あれから10年経った。 今から思うと面白いのは当時メールを全く使っていなかったこと。 だから電話するしかなかった。 そんな仕事の環境も私の立場も今は全く違うものになった。 そんなことを思い起こさせる1996年5月16日発行のパスポート。


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© 2006 Takashi INAGAKI