17歳への共感 (1999年12月31日)

 NHK教育の「日本人こころの風景17歳」は、帰国子女や、ある分野で既にトップランナーとなっている17歳にインタビューしただけの番組だった。そこに吸い込まれて何時間も見てしまったのは、彼らの個性や自信が面白かったからだと思う。人とは何かが違っているだけの高校生の言葉に、彼らが感じたままの言葉で語っているだけに真理があったのだと思う。

 17歳。私は高校の合唱部員で、確かアマチュア無線1級の試験を受けていた時期だと思う。おそらく電子工学系大学生の基礎が必要な工学と、電波関連の法規試験があった。それに加えてモールスの英文と和文。私は、和文モールスは習熟できていなかったため受験することなく不合格が確定したが、工学と法規は合格点は取ったはずだと思っている。熱中して、よく勉強した。

 その受験経験から自然に進路は電子工学系に向いていたが、大学に入学したのは勉強したかったからではない。今思えば大学に行くにあたり単に学部選択の理由付けになったに過ぎなかった。18年前、時代の空気がそうだった。アマチュア無線への熱中も、学校の勉強からの逃避でしかなく、比較的、物理と数学が得意だったから工学部を受験した。それだけのことだ。

 勉強からの逃避で熱中したことはもう一つある。19歳。予備校に通いながら東京で仮面浪人をしていた頃の読書である。確か、定食屋で読んだ週刊現代か週刊ポストに載っていた泉谷しげるのインタビュー記事がきっかけだった。その記事の後半で、最近読んで凄いと思ったと、沢木耕太郎の「テロルの決算」を挙げていた。その足で書店に買いに行った。

 それ以降、沢木耕太郎をはじめ立花隆や柳田邦男のノンフィクションばかり読む日が続いた。受験勉強はしなくなり、2年目の受験は当然失敗して京都に戻ることになるのだが、それはそれでよかったと思っている。大学に入り、薦められるままに向田邦子や村上春樹、筒井康隆と読み進み、それぞれ影響を受けてきたと思う。

 沢木耕太郎の「テロルの決算」は、1960年10月12日、日比谷公会堂での立会演説会で当時の社会党委員長、浅沼稲次郎が右翼の少年に刺殺された事件を扱ったものだ。沢木耕太郎のあとがきが印象深い。・・・もし、自分がもっと若ければ、少年の立場に寄りすぎていたかも知れず、もっと歳をとっていれば、委員長の立場に寄りすぎていたかも知れない。対照的な二人を描くのにちょうどいい年齢だったような気がする・・・。

 19歳で読んだ私は、国家や組織の中で翻弄され続けてきた浅沼稲次郎氏よりも、刺殺した側にいた少年の心情に共感した。山口二矢、17歳。
 今、「テロルの決算」を読み返せば、むしろ組織の中で苦闘した委員長に共感するかも知れない。17歳の心情にどれだけ近いかを図ることにもなるかも知れない。最初に読んでから17年。そう思いつつ、まだ読み返してはいない。

 

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© 1999 Takashi INAGAKI