2007年12月

岡崎と南浜 (12月31日・月)


今日も遅い起床。カレーを食べて北島の洋菓子屋さんでロールケーキを買ってから岡崎へ。昔は海水浴場だったから毎年来ていたが改めて鳴門海峡や淡路を臨む景色を美しいと思う。さて今日は前職時代の取締役T氏のお誘いを受け別荘に遊びに。

94年末に建てたログハウス風。当時場所を聞いて外からだけ見に行ったことがあるが今日は途中で迷ってしまった。T氏邸からは里浦の町から松茂の空港や遠くは阿南の火力発電所まで一望。1尾丸ごと買ったというかんぱちを刺身で頂きご自身で打ったそばも食べさせてもらった。

一旦帰宅して連絡を受けていたテレビ局K支局長とマザーズに行こうとしたがお休みだったので南浜のマクドナルドで合流。徳島では有名人の奥様とは8月以来。諸々の情報交換で仕事の話も少し。20:30前に帰り母と妻が料理した伊勢エビとサザエを食す。

そのまま3人で紅白歌合戦を後半あたりから見始めた。コブクロの歌に感動して妻と涙。24時を回り表に出て除夜の鐘を聞き新年の始まり。今回の帰省も母に頼りきりだが妻がすっかり自分のペースで母と付き合っていて3人で笑ってばかり。そういう妻と母にも感謝する次第。

13番から17番 (12月30日・日)


父の実家がレンコンを持ってきてくれた。堀りたて泥付き。お節料理作りのM嬢に電話したら外出とのことでZ嬢に渡しに再び高島。T氏邸に忘れた妻のマフラーも取りに。一旦帰宅しコーヒーを飲み母を乗せ出発したのが11時頃。徳島最後の13番から17番の5か寺を歩きで回る予定。

ところが朝は晴れていたのに移動中に雨。田宮街道は大雨。13番に向かう鮎喰川南岸を走り始めて急遽変更して寺間距離が長い17番を先に行くことにした。そしたら北の阿讃山脈上空は快晴。17番・井戸寺に着いたとたん雨が止み太陽が差し上空は全天の青空。

のぞき込んで顔が映ると願いが叶うという井戸が17番にはある。曇天や夕方なら顔は映らないだろう。顔を映し願いを叶えられるために井戸寺に連れてこられたのだと妻は言うから素直に信じておこう。母と3人で参拝後改めて13番・大日寺へ。母は帰り2人で歩き遍路を再開。

ところが参拝後から再び雨。以後ほとんど雨ときどき雪。母のおにぎりは15番・国分寺の山門下のベンチで食べたが寒かった。路上掲示板で見た気温は12:30頃4度で16:30頃は2度。妻のスニーカーは水が浸み冷たそう。結局駅まで行かず16番・観音寺に母に迎えに来てもらった。

一旦家に戻り着替えたり暖まったりして予約をして19時に秋田町の「ごまや」。今回の帰省も母に頼り切りなので一応ご馳走というわけで。夜は風呂に入りようやく落ち着いた。夏の遍路も辛いが真冬の冷たい雨はもっと辛い。ともかく徳島一国はこれで結願。

板東と高島 (12月29日・土)


今日も遅い起床で大麻。第一次世界大戦のドイツ人俘虜収容所の自由を描いた映画「バルトの楽園」ロケセットを見学に。1人500円。ガイドさんが付いてくれて1時間ぐらい。丁寧な説明でよく分かる。3月で取り壊されるが人の生き方を考える上でとてもいい教材だと思う。お奨め。

同時に行こうと思ったドイツ館は休館。ロケセットを一緒に回った人たちは和歌山や淡路から来たと言っていた。私たちは東京から。県外客が来る時期に休館していることにロケセットのガイドさんも憤慨していた。いつも現場が一番正しいと思う。

一旦帰宅し母を乗せてスーパーに寄ってビールとイチゴを買い高島。スーパーは凄い人出で驚いた。高島では大きな海沿いの公園をゆっくり車で回って別荘分譲地を探索。奥の方は売地も売住宅もある。とてもいい感じなのだが高いところは風が強そう。

それからようやくT氏邸。J君夫妻とM嬢夫妻に遅れてK氏が合流。M嬢が差配して今日はブリ鍋。K氏の生きたサザエはY氏と2人で殻を金槌で割り刺身に。伊勢エビも生きたまま刺身。美味しく頂き21時過ぎMさんの車で送ってもらった。今日も本当に楽しかった。皆さんありがとう。

恩山寺と薬王寺 (12月28日・金)


昨夜は体の疲れで逆に神経が冴えてよく眠れなかった。PDAの師匠M氏から夜中に電話をもらったが内容は私からのメールが来たからと言う。でも私はメールは送ってない。そのメールを返信してもらうと2006年12月28日付のものだった。M氏の勘違いなのか何なのか。

さて今朝は疲れが取れず遅い起床。雨。歩きは諦め11時過ぎにブランチを取り車で出発。まずは7月に回り切れていなかった小松島の18番・恩山寺。駐車場に車を停め石段を少し上る。小雨ながら傘を差すので難儀する。車に戻ったらエンジンがかかりにくくバッテリ不調ぽい。

天気予報では太平洋側は大雨らしいがさらに足を延ばすことにした。旧・日和佐町で現・美波町にある23番・薬王寺。県南最大の初詣客の多い寺で既に新年の準備が進んでいる。駐車場も私がいつも休憩所に使っている国道沿いに停められず少し離れた大きな広場に停めた。

ここでもエンジンがかかりにくい。帰りはライトやワイパーを停車するたびに切ったり省エネより回転数を上げることを意識して運転。17時過ぎに帰宅。県庁付近は大渋滞ながら薬王寺から1.5時間強。今回は南進した55号バイパスを素直に往復。今や県南にはこのルートが早いかも。

切幡寺から藤井寺 (12月27日・木)


母が毎週通っているという老人向け脳トレから11時頃に帰宅して早めの昼食。12:25に出て母の車で西へ50分。阿波市の10番・切幡(きりはた)寺。参道手前で下りてここから歩き遍路の始まり。参道を抜け333段あるらしい石階段で息が上がって参拝スタート。

14時になり次の11番・藤井寺まで約10km。昔ながらの遍路道を小さな案内標石を頼りに歩く。ところが最高気温15度は冬衣装の徒歩には暑い。途中の休憩所でパッチを脱ぎフリースの服を脱ぎTシャツに白衣だけになった。ただひたすら歩く。

途中の無料配布所に置いてあった地図をもらってこれを見ながらさらに歩く。潜水橋を2つ渡り迷っていたら散歩中のおじさんの案内を受け土手を歩き旧道に入る。192号を渡る頃には寒くなり再び着込む。藤井寺に着いたのは16:10。参拝を終え今度は鴨島駅まで3kmを歩く。

タイミング良く来たキシャに乗った。2両編成のワンマン運転。電車ではなくディーゼル機関車だから地元ではキシャと呼ぶが社内アナウンスは電車と言っていた。ともかく徳島駅に着きここからバスで帰宅した。夜はすき焼き。風呂に入りビールを飲んでいるがもうヘトヘトだ。

帰省と祖父のこと (12月26日・水)


昨夕から風邪気味。昨夜は下痢で早めに休んだ。でもビールを抜いたから寝付けず。帰省の準備もあり一度起きて支度をし今朝はそれでも9時過ぎに起床。12:40の飛行機で今は徳島。空港ではカードをかざすだけで搭乗できるシステムを戸惑いながら初めて利用。

徳島に着き母の車で一旦は実家に荷物を置きすぐ外出。父方の先祖の墓に寄ってから母方の実家へ。先日来気になっている祖父のことを聞きに。叔母と話をしていたら2時間経って仕事から帰宅した叔父と5人で近くに魚料理を食べに行きご馳走になった。

叔父宅では祖父が書いた随筆も読んだ。祖父の祖父のことを書いた文章。淡路の骨接ぎ医者で大阪の相撲取りを徳島に呼んで寺の境内で興業をしたようなことが書いてある。明治年間のことだろう。祖父の祖父が受けた勲章なども出てきた。

叔父が20年以上前に整理した家系図を改めて見て写真に撮ってきた。養子に行った人も多く私の知人の中に4代遡れば親族が何人もいそうな気がしてくる。さて叔父夫妻と別れて「響」の練習の始まりに顔を出して年末の挨拶。たった3人しかいなかったが。

『黄金の日々』 (12月25日・火)


歴代のNHK大河ドラマの中で78年の「黄金の日々」は傑作の一つだと思う。主人公が商人だったのは初めてで架空に近い人物だと思う。戦国時代の自由都市・堺が舞台で豪商だった今井宗久の小僧から出世しルソン(フィリピン)貿易でのし上がる助左衛門の物語である。

希代の盗賊・石川五右衛門と鉄砲打ちの名人・善住坊が元同僚でドラマでは準主役。秀吉や三成に高山右近と千利休などが脇役である。私は何となく作者は堺屋太一だと思い込んでいたら違った。本も持っていたので再読してみた。城山三郎『黄金の日々』(新潮文庫)。

ドラマでは今井宗久の養女・美緒は五右衛門に犯され醜い顔になるが原作では主人公のマドンナのクリスチャンというだけの描かれ方。峠で首をのこぎり引きされて死刑になる準主役の善住坊は前半であっさりいなくなった。舞台設定と主人公は共通だが物語はほとんど違う。

しかも原作は説明調で淡々と進む。ルソンに旅立つ印象的なラストシーンも原作では炎上する堺に戻ってきたところで終わる。よく描かれているのは利休も助左衛門も秀吉に徹底的に反抗する様か。それにしてもドラマとの違いに驚いた。その意外さに実はがっかり。

HDR (12月24日・月)


ハードディスクレコーダー(HDR)を使い始めてテレビを生で見なくなった。必ず録画する。たまたま面白い番組を見始めたら一旦まずは録画する。録画中は別の録画済み番組を見て後に先ほどの番組の録画を呼び出して見始める。もちろんCMを飛ばして見るためである。

録画中の番組でも追っかけ再生ができる。1時間番組なら録画をしながら10分遅れで再生を始めると番組が終わる頃に再生が追いつくからCM時間10分を節約できる。我が家のHDRには1.3倍再生モードというものもあるので併用しながら飛ばし見る。

放送局としては困った視聴者なのだろう。ときどき放送局からしっぺ返しを受ける。例えば楽しみにしながら見ていたドラマ「働きマン」の最終回は時間が延長されていて最後まで録画できていなかった。このときは慌てて再放送を探し出して録画予約した。

見た番組は基本的に消すが出演番組など仕事用のは置いておく。また見たいと思う映画も消していない。買って丸3年が経ち録画番組も溜まってしまった。それで年末年始の特番用の録画スペースを空けるため1.3倍再生とCM飛ばしで急いで見て録画を消しているところである。

ホームパーティ (12月23日・日)


田園調布と言えば東京でも高級住宅街で知られている。そこに住む友人に誘われてホームパーティに行ってきた。誘ってくれたのは93年に若手広報担当者の会で同じ分科会だったホテル広報の女性。当時は本当の若手だったが何度かの異動を経て今は広報責任者になっている。

彼女とは今まで20回程度しか会っていないはずだが何だか濃い付き合いをしている。で毎年のようにパーティの案内はもらっているが勇気がなく遠慮していた。今年は我が家でもホームパーティをしたので勉強のつもりで妻と2人で行ってみることにした。

田園調布からタクシー。ゲストは最大で25人ぐらいいただろうか。メディアや中央官庁や弁護士さんが目立つ。セルフサービスの気楽なパーティながら料理隊が次々食事を作ってテーブルに並べてくれる。それでも気後れしそうでビールばかり飲んで受付係の男性と話を始めた。

彼は理化学研究所の化学者で徳島文理大学の研究室で数週間いたことがあるとか。徳島それも沖浜や佐那河内にホテル野上屋などディープな話で盛り上がる。共通の知人が3人ぐらいいそうな人で多分また会うことになるだろう。彼と知り合っただけで行った甲斐ががあった。

年賀状印刷 (12月22日・土)


夜になって年賀状の印刷を始めた。ところが印刷するまでに紆余曲折。まずEPSONのカラーレーザー複合機のマニュアルを読むと裏紙印刷すると紙詰まりする可能性があると書いてある。最近頻繁に紙詰まりを起こしたこともあり両面印刷させることを躊躇。

さらにインクジェット用紙もダメらしい。一方のhpインクジェット複合機はカラーインクの残りがあまりない。そこで普通紙はがきを買って裏面はカラーレーザーでカラー印刷した上で宛先はhpのインクジェット複合機で印刷することにした。

ところが宛先印刷用にインクジェットプリンタを私のPCにつなぐとドライバーを削除していたようで認識せず。ゼロからセットアップを始めたものの途中で間違えたようでアンインストールして再セットアップで1時間。ともかく両プリンタの設定ができて印刷を始めたものの。

カラーレーザーを経たハガキは大きくたわむ。これが原因なのかインクジェットプリンタでは失敗印刷が続出。印刷してから住所間違いに気づいたハガキも複数。ともかく10枚以上を無駄にして妻のエクセルリストも取り込んで5時間がかりで印刷は完了。やっと一山は越えられた。

税金 (12月21日・金)


税理士さんのオフィスを初めて訪ねた。申告書は税理士さんが提出してくれるらしい。会社としての納税は初めてなので細かく説明してくれた。個人の確定申告書のような書類と添付書類が20枚ぐらいに及んでおり分かったような気になったけど実はよく分からなかった。

今日は税の納付書だけをもらってきた。これで来週中に納付する。さらに溜まったDMの類を整理していたら個人の予定納税の納付書が出てきた。今年度の所得税を昨年の納税額に応じて事前に納付する制度である。1期分は納めたが11月期限の2期分を忘れていた。

今期は7月以降の報酬をもらっていないので確定申告で還付されるはず。どうせ還付されるのに予定納税が必要なのかと疑問に思いそのまま忘れていた。今年は住民税も自分で納付したし昨年度分の個人事業税も納めマンションの固定資産税もあった。

何だか毎月のように納税している。サラリーマンなら全て会社が代行してくれるのだが逆に自分で手続きをすべきだとも思う。面倒だから私たちは会社の年末調整を忌避し確定申告で調整することにした。来年1月は妻の分の確定申告もやらないと。納税の手続きには苦しめられる。

NHK大河ドラマ (12月20日・木)


今年もNHK大河ドラマを全回見た。「風林火山」はまずまず。昨年の「功名が辻」や2002年の「利家とまつ」よりも良かったかも。大時代的な演技が目立ったが大河ドラマはそのぐらいの方が落ち着くような気がする。妻はよく居眠りしていたがゆったりした演出も私は好きだ。

改めて過去の作品リストを見ると1973年の「国盗物語」から知っている。70年代の中で私のベストは平将門と藤原純友を描いた76年の「風と雲と虹と」。次いで戦国時代の堺の物語「黄金の日々」(78年)。北条政子が主人公の75年「草燃ゆる」と74年「元禄太平記」も捨てがたい。

80年代は見なかった年もあるが何といっても87年の「独眼竜政宗」。 90年代で好きなのは95年の「八代将軍吉宗」。西田敏行が主役から三枚目に転じた2000年の「葵徳川三代」も面白かった。これ以降は毎年見ているがやっぱり2004年の「新選組!」がベストである。

一律の基準で評価はできないが私が見た大河ドラマの中でベストは「新選組!」と「風と雲と虹と」。次いで「八代将軍吉宗」「黄金の日々」「独眼竜政宗」「元禄太平記」といったところ。来年は舞台が薩摩だから妻は難色を示している。何だか軽そうな不安も少し。

決算 (12月19日・水)


夫婦2人ながら一応会社組織の我が社は10月が決算である。先期はどうせ赤字だし事前に特例申請していたので決算処理を急ぐことはないと思っていた。でも税理士さんに連絡したら税の納付はやっぱり2ヶ月以内。決算書類の提出が1ヶ月延長されていただけだった。

それで1年間こつこつと弥生会計に記入した経理データを先週になって税理士さんに送った。何度か電話やメールで確認のやりとりをして昨日決算数字が確定した。私が記帳した経理データは何カ所か修正され今期の記帳方法についていくつか指導も受けた。

あとは税理士さんから送られてくるはずの書類を税務署に提出するだけのはず。それと法人住民税だけは納付しなければならない。それにしても税理士さんの事務能力には感心した。私も日々の経理事務はある程度できるようになったが最後はプロに任せるのがやっぱり正しい。

今日は溜め込んでいた11月以降の経理事務。請求に応じて発生する外注費はエクセルで整理しながら何度もチェックして入力。途中銀行にも行って一気に処理をしたら午後から始めて21時過ぎまでかかった。ちなみに今期も相変わらず役員報酬は未払いのまま赤字が続いている。

動揺 (12月18日・火)


夕方妻に事務連絡で携帯メールを送ったら灯油をベランダにこぼしたと返信があった。臭うから外食にしたいと言い何度目かの返信でこぼした灯油の量を1リットルだと言う。それはただ事ではない。妻は謝るが状況を確認すべく家に戻ってベランダを目視した。

状況はさほどではない。話を聞けば電動給油ポンプのスイッチをオフにせず溢れたらしい。漏れた灯油も100〜200cc程度だと推測した。どうも妻は動揺していたようだ。私が帰宅しても動揺は収まらず何度も泣いている。火事になったわけでなく良かったと思うことにしよう。

思えばこういうことは起こりうる。ちょっとした思い違いでスイッチをオフにしなかったのが今回の原因だがポンプから溢れてしまうと正常な判断を失ってしまう。話を聞く限りその後の対処は正しかったようだが想定外の状況に陥って焦ってしまうことはある。

子供の頃ヘタに手伝ったことで叱られたことがあったような気がする。今回の妻がまさにそれ。私も話を聞いて焦ったのだが動転するような経験はときに必要かも知れない。気が引き締まるし同じ間違いは絶対にしないから。それにしても何事にもならなかったことに感謝する。

通産官僚 (12月17日・月)


『官僚たちの夏』を読んだのは通産官僚について知りたいという動機があった。当時毎月出席していた業界団体の部会にときどき通産官僚がやってきて新しい政策の説明をしていた。だから私は中央官庁の役人がどういう思考をするのか興味を持ったのだと思う。

1990年頃のIT業界は成長産業だったはずだが我がパッケージソフト業界は産業全体の中では異端だったと思う。学生上がりの無礼で世間知らずたちのイメージだ。ライバルへの対抗心を隠さず夢という言葉を好む。その部会にはジーンズで長髪の社長もいた。

だからなのか説明に来た官僚は課長補佐ながら飛びきり若かった。住田さんと言った。部会の委員たちは相手が若かったからか生来の無礼さからか露骨な質問もしていた。自由に事業をやってきた社長たちは足かせを嵌められるのではないかと通産省を警戒していたのだと思う。

そんな不信を前に住田さんはどんな質問にも淀みなく答えた。ある不躾な質問には通産省を知ってもらおうと彼は入省した動機を語った。内容は忘れたが東大出身の28歳だと言っていた。私と同じ歳か一つ上だった。同じ歳でも官僚は頭の出来が全く違うと心底思った記憶がある。

『官僚たちの夏』 (12月16日・日)


城山三郎『官僚たちの夏』(新潮文庫)。これも再読。ストーリーを割と覚えていたが奥付によると1990年以降の会社に入ってから読んだ様子。でも舞台は古い。解説によると1960年代。通産省の役人たちの物語である。ほとんど官僚と大臣しか登場しない。

主人公は局長として日本の産業が競争力を付けるため新しい法案を打ち出す。ここに国会議員である大臣の思惑が絡み何より産業界の大反対にあって結局は廃案にされる。傍若無人な振る舞いの主人公の言動が最後は仇になるというお話。

多分実話に基づいているのだと思う。NHKの追悼番組でもモデルとされた人物周辺のインタビューが出ていた。それにしても描かれている人物の個性の多彩さ。政策とは妥協の結果であることもリアルに分かる。何より人の相性や好き嫌いで物事が決まる現実も想像される。

それにしても古い。通産省の建物は足音が階下に響きクーラーもない。それでも人事制度や大臣秘書のあり方などは連綿と受け継がれ変わっていないのだろうなとも想像する。産業政策史を知らないので何の話かピンと来ないが役人の思考や行動を垣間見た気はする。

年賀状 (12月15日・土)


年賀状の準備を始めた。と言っても昨年受け取った年賀状を元にリストを整理しただけ。年賀状作成ソフトの「楽々はがき」にあるリストとOutlookの住所録を見直した。ほぼ一致していたが違いもいくつか。分からないのがシンガポール赴任から帰国したはずの従兄弟の住所。

デザインはこれから。楽々はがき2004のサンプルディスクの中に使えそうなものがあるからそれでいいかな。アスクルなどのデザインを使おうかと思ったりもしたのだが差出人の印刷が面倒で敬遠してしまう。自分で印刷した方が納得がいく。

例えば我が家は2人いて住所は共通だがメールアドレスは別々。そう言えば楽々はがき2004の差出人欄のメールアドレスは一つしかなかったような気がする。結局のところ自由な文字枠で設定することになるが思い通りにできればそれでよい。自分でデザインすれば自由度は高い。

年賀状はまだ買ってもいない。エプソンのカラーレーザー複合機ではがき印刷ができるのかどうかも未確認。何だかリストを整理してデザインの目処が立ったところで満足してしまった。遅くとも来週末がタイムリミット。まずは年賀状を買わないと。

変な1週間 (12月14日・金)


将来のために記録しておく。先週は怒ったり不思議な着信があったり変な1週間だったが実はそれ以外にもあった。まず12月3日(月)に近所のいつも行く店に焼肉を食べに行った。店のテレビでは野球のオリンピック予選の台湾戦をやっていた。日本が7回に勝ち越して店を出た。

妻が自宅の鍵をなくしたと言い出したのは翌日だと思う。でも焼肉屋でバッグをひっくり返したときに落としたのだと冷静だった。翌日は焼肉屋が定休日で結局さらに翌水曜日に電話した。もちろん鍵は保管されていて夜2人で受け取りに行ってついでに食事もした。

その水曜は朝シャワーを浴びていたら給湯器のリモコンに661というエラー表示が点滅し始めお湯が出なくなった。管理会社に連絡した後2人とも外出したから夕方になり給湯器メーカーや東京ガスに連絡。管理会社とも連絡しながら修理代金は大家さん持ちで即日修理ができた。

妻が鍵をなくしたのは20年ぶりぐらい。そのタイミングで給湯器が壊れ悪意のWeb攻撃を受けた。偶然だとは思うが意味がありそうにも思う。何かが動いているのかも知れない。それなら考えるのではなくただ意識を持っておこうと思うわけで。ともかく変な1週間だったのである。

祖父の家 (12月13日・木)


先日来書いているせいで祖父の夢を見た。正確には祖父の家の夢だった。祖父の家は10年以上前に建て替えたが祖父母の葬儀があった頃は戦前の建物だった。徳島市の中心にも近く空襲もあったが周辺だけ焼け残ったと聞いた。今でも間取りをよく覚えている。

東向きの玄関は木の引き戸でカランカランと鳴った。玄関左に4畳半。その西に縁側のある8畳ほどの応接間。仏壇があり天狗の面も2つ飾ってあった。夜中に観ると怖い。この北側に暗い廊下があって洗面所と便所。当時は豆球ほどの明るさの裸電球でこれも怖かった。

ここより北側は生活する部屋で祖父母や叔父夫婦がいたわけで記憶が乏しい。一番北の東端が台所で西端が風呂場だった。大学の近くだから離れに学生さんが下宿していて私も高校2年の1学期だけ下宿させてもらった。北東端に納屋があり屋上は叔父の盆栽で埋まっていた。

南の庭は小さいが日本庭園風。西の裏庭には枇杷の木があり洗濯物も干していた。北の庭というか通路には犬がいた。北の離れに私は下宿したが当時は南の離れを祖父母が隠居部屋として使っていた。思い出すまでもなくはっきりしたイメージがある。年末にまた訪ねてみよう。

祖父のこと (12月12日・水)


着信アリについて仲間と話をした。彼の奥さんのお祖父さんが亡くなる前に壊れていたテレビが突然付いたり別のテレビの音量が大きくなるといった変な現象が起こったそうだ。お祖父さんはテレビを見るのが大好きだったと。こういう話はときどき聞く。

それで気になって母にメールをしてみた。元気かと聞くのも変なので別の用件のフリをしたら機嫌の悪い返信があった。生きていることに安心したが腹が立った。私と親しい誰かに生命の危機が訪れているのではないかという推測は今のところ外れている。

変な電話が1回目に鳴ったとき私は土曜の日記を書いていたと思う。15年ぐらい前に死んだ祖父のことだ。だから祖父が何かを伝えようとしたのだろうと今は解釈している。日記を書いていたという以上の根拠は何もないのだけど。しかも伝えたいことも分からないのだけど。

この祖父つまり母の実家は真家と言う。「まや」と読む。前にも書いたが淡路出身で阿波藩主から下賜された姓らしい。私の姓よりよほど格好いいと思う。私の従兄弟は既に嫁いだ女性が2人。家の制度にこだわりはないがこの姓がなくなるのは惜しい。という話を妻としているところ。

裁判の傍聴 (12月11日・火)


元同僚Y氏が民事訴訟を起こした。先日証人尋問で出廷してきたとブログにある。車同士で衝突された交通事故で本人に大きな怪我はなかったものの過失割合算定に納得できないらしい。左折時に横腹に当てられたが相手は真後ろにいた車だと言うのだから提訴も当然だと思う。

私は裁判を2度傍聴したことがある。と言っても民事ではなく刑事裁判。1度目は昨年2月。この裁判の第2回以降の公判が2度目。昨年も書いているが入廷してきた被疑者は手錠がかけられ腰縄を引かれていた。その姿はショックだった。違法なことは絶対にできないと思った。

この裁判は被疑者が7人もいた。中には女性もいた。手錠も腰縄も開廷前に解かれるが被疑者1人に刑務官2人が付いて物々しい。後で知ったことだが傍聴席には逮捕した刑事さんも数人来ていた。被疑者が多かったこともあり傍聴席は半分ぐらい埋まっていた。

傍聴席にいた女性が証言台に立ったのには驚いた。主犯とされた被疑者のお母さんだった。情状酌量を求める証言で親子の関係や心情が垣間見えたが裁判官からも突っ込まれていて可哀想になった。裁判所ではリアルなドラマが展開される。傍聴マニアがいるというのも分かる。

着信アリ 2 (12月10日・月)


昨日書いた不思議な着信のことはまだ何も分からない。でもビジネスホンの着信履歴に昨日の2件以前に1つの番号を挟んで私からの電話が続けて4件あったことを見つけた。仕事の電話は1日何本かかかってくるから4件の着信があったのは金曜かどう遡っても木曜か水曜のはずだ。

私に霊感はない。でも霊の存在も魂も信じている。だからこういう不思議なことが起こっても驚きはしない。霊感のない私に何か伝えるためにより強い物理現象を引き起こしたのだろうと考える。でも伝えようとしていることが何なのかが分からない。

父の葬式の朝のことは当時書いた。葬儀場で私一人になったとき誰もいないトイレの水が勝手に流れ父が存在を知らせて来たと思ったこと。私には霊感がなく霊視もできないから音で知らせたと思う。同じように今回の電話も音で知らせようとしたのではないかと想像はできる。

でも音に気づかなかった4回の着信は何だろう。携帯電話からは10月2日以来かけていないのだ。4回2回で「死に」か。考えても仕方がないので何かに気づくことを待つしかない。とりあえずメッセージが不明につき地震に備えて風呂に水を貯めてみたり。

着信アリ (12月9日・日)


土曜の深夜に不思議なことが起きた。自宅は仕事場でもあり電話はISDN回線で2番号ある。番号Aは妻が使いBは私専用。その電話が鳴り1回で切れた。Aは公表しているから深夜の着信は想定しているが鳴ったのは私だけが使う番号B。ビジネスホンのランプで分かった。

時間は覚えていないが0時過ぎから2時前までの間。そして2:30にもう一度鳴った。今度はBにかかったかどうか分からずビジネスホンの着信履歴を見た。でも履歴では着信がAかBかは分からない。時間も不明。電話番号だけが表示される。電話帳登録していれば名前が出る。

そして表示されていたのは何と私の名前。その番号は私の携帯電話。でも携帯電話は手元にあり当然かけていないし自宅にかけた発信記録は最新でも10月2日まで遡る。ビジネスホンの不具合を疑って様々な実験もしてみたが理由が分からない。合理的な説明が何もできない。

ここからは想像だがまさか未来の私が何かを伝えようとしているとか。命の危機の警告とすれば大地震か。あるいは昨日書いた祖父からのメッセージとか。不吉な印象や怖さはない。夜が明け妻は夢で0:30というデジタル時間のイメージだけを見たと言うが。一体何なんだろう。

祖父 (12月8日・土)


父が死んでから祖父母に畏敬の念を持つようになった。昔から家系の歴史に興味はあったが死んだ人には関心がなかった。でも3年前に父が亡くなりその前年の夏に妻のお父さんが亡くなっていたことが分かってから私たちは部屋に写真を飾りときどき話しかけるようになった。

お互いの節目で会うことが多い友人K氏はJ社で入社が1つ違いの後輩にあたる。4月にも偶然会った。そう言えば最初の結婚を伝えたのは彼の年代ではK氏が一番だった。あれはサンシャイン60だった。離婚することを最初に言ったのも彼だ。神戸あたりの駅のホームだった。

こういう細かいことを彼との関係においてなぜか覚えている。それで何となく関係性を意識している。その理由が昨日K氏のブログを読んで分かったような気がした。彼のお祖父さんと私の母方の祖父は同じ職場で働いていたことが分かったのだ。思わず反応して彼にメールした。

徳島県土木部。出先機関もあるが話をしたことぐらいあっただろう。K氏のお祖父さんは明治43年生まれ。私の祖父は明治30年生まれである。90歳を超えて15年ぐらい前に亡くなった。彼のブログを読んで祖父母のことをより意識するようになった。

怒りと可能性 (12月7日・金)


ちょっと大げさだが怒りに震える毎日である。でもそのおかげで目が覚めた。風邪を引いた頃から精神的にも不調で先行き不安を感じていたのだが文字通り覚醒した。怒りはエネルギーに転化すると実感した。頭の回転が速まったし生きるエネルギーが蓄積している感じがする。

朝の本当の目覚めも良くなった。目覚めると怒りで眠れなくなるだけなのだが。でもスッキリ目覚める。何かのスイッチが入ったような。それに数日来この件を毎日妻と話をして取るべき手段や心構えなどを話し合っているのだが同時に諸々が整理されてきている。

今回の怒りの対象への対処といった枝葉のことではなく根本的な生き方に関することである。不思議なことにこの状況と同時進行で人生で最大級のチャンスではないかという話も舞い込んできている。今回の怒りがなければこのチャンスも気づかず見過ごしたかも知れないような。

感覚や感性のアンテナを張れという意味はこういうことなのかと思う。このチャンスがものにできたら私の今までのキャリアが全て集約されるような気さえする。20年来の仕事経験はこのためにあったのかと思うような。今日は妻と二人で将来の可能性に震えている。

法的対策 (12月6日・木)


先日書いた悪意について考えた。内容からは私たちのこととは思えない面もあったが考えているうちに80%ぐらいありそうな気がしてきた。でもそうと気づくのは当事者以外は数人だろう。そして事態の背景になった真実を知っているのはその数人だけであって当事者は知らない。

だから短慮なのだ。断片情報を繋ぎ合わせて推理するのは楽しいが別のピースの可能性を無視して公表してはいけない。何かクレームなり言いたいことがあるなら直接訴えるのが筋である。喧嘩をしたいなら正面から向かわなければ卑怯である。そう思うと非常に腹が立つ。

それでこれから何をすべきか。何せ自分でも20%ぐらいは違うような気がしている段階で文句を言うのも筋が違う。実名が出ていれば法に基づいた削除要請や告訴も考えられるが私たちのことだと思っているのは今のところは数人だけ。

仕事で関わるプロバイダ責任制限法に則った削除要請は一度自分でもやってみたいがまだ早い。裁判で事実をつまびらかにしたい欲求もあるが飛躍しすぎだ。でも仕事上はこれからも起こりうること。これを機会に法的な対策をもう一度勉強し直しておこうと思う。

PDAのデータ (12月5日・水)


PDAのバッテリを交換してから満充電にならないよう少し気にしていた。バッテリは種類によって過充電や過放電によって寿命が縮む。我がPDAのバッテリの種類はよく分からないが充電しすぎることは良くないだろうと新品バッテリだということもあって充電を控えていた。

気がづいたらバッテリが空になっていた。PDAはハードディスクがあるわけでなくメモリに全てのデータが格納されている。このメモリはバッテリが切れればデータが飛ぶ。つまりバッテリが切れると当然のように私のPDAの全データは消えていた。

こうなるとPCと新たな接続設定をしてデータを同期させるしかない。以前はここで手間取ったがもう慣れた。年に1回以上はデータを飛ばしているのである。簡単にPDAとは同期でき勤務先A社でのPCとも同期できた。これですべてが元に戻る。

こういう一手間を考えるとハードディスクがありがたいと思う。でもハードディスクが壊れたらPDAも終わってしまう。メモリの方が総合的に安全性が高いということはできるかも知れない。そして手間がかかることが愛着になったりもするわけで。

悪意の想像力 (12月4日・火)


人の日記は結局何を書いているのか分からないことが多い。私の日記にしても将来の自分のために書いているつもりなので人がどう読むかをあまり考えていないことがある。それでも書いているテーマに関係する人を思い浮かべてメッセージを込めたり失礼にならないよう気を遣う。

いつも楽しみにしているWeb日記を読んでいたら私たちのことと思われる記述を見つけた。ところが何だか随分と悪く書かれている。豊かな想像力が悪意にのみ使われたような書き方だ。悪意を基点にすると何とでも人を貶めるお話を作れるということか。

佐藤優氏曰く国家がその気になれば犯罪もでっち上げられる。それと同じようなものかも知れない。ちょっとした事実があれば繋ぎ合わせて想像を膨らませて何とでもウソのストーリーが作れる。私たちのことだとすればそんなサンプルのような物語である。何も事情を知らないのに。

でも人間関係でこういう想像がマイナスに働くことは普通は若いうちに経験する。そういう機会がなかったのか単に噂話で盛り上がったことを書いてしまったのか。怒るというよりその短慮を情けなく思う。悪意はスルーしよう。本当のところは何を書いたのかやっぱり不明なんだけど。

S13シルビア (12月3日・月)


昨日書いたが私が自分で初めて買った車はS13シルビアである。この車の発売は1988年の夏頃のはずで私は10月ぐらいに注文して11月に納車だったと思う。当時の日産はどん底一歩手前だったがこの車はヒットして納車まで1月ほどかかった。

昭和町の日産で買ったのだがカタログをもらって数週間悩んだ記憶がある。私が最も惹かれたのはフロントエンジン・リアドライブ(FR)だったこと。次に外見。ターボ付175馬力のK'sというグレードと装備が劣る135馬力のJ'sがあったが私は中間のQ'sにした。

J'sはパワーウィンドウもなかったと記憶している。ほとんどの人がQ'sを買った。でも注文の契約を土曜か日曜にして月曜日に会社に行ったら私が注文したのと同じ車が駐まっていた。先輩のN氏が買っていたのだ。カラーも同じ。慌てて販社に電話してカラーを変えてもらった。

昨日書いたEIKから依頼を受けるのはさらにこの後だと思う。販社の営業さんには迷惑をかけたと思う。後にアマチュア無線のアンテナを後部に取り付け私のトレードマークになった。契約や納車のことは覚えていないが初めての車でもあり印象深い。

GT-RとEIK (12月2日・日)


NISSAN GT-Rのことを前に書いたが先週末に日産自動車からGT-Rのイメージカードが届いた。送り主は私の大学時代の友人EIK。日産の開発部門で働いている。昨年2月にも会った。当時書いた凄い車とはやっぱりGT-Rのことだったらしい。

1988年10月頃に私は初めて自分で車を買った。NISSANシルビアQ's。 S13という型式のFR車。注文してから電話か手紙で知らせたら彼が慌てて自分が紹介したことにしろと言ってきた。販売会社に連絡してそういうことにしてもらった記憶がある。ノルマがあったらしい。

それ以来のこと年に1〜2度はDMを送って寄越す。たいてい私信付き。シルビア以来買ったのはスバルWR-Xだけで日産車とは縁がない。息の長い販促活動である。そして今回はGT-Rのカード入り。なかなか格好いいので書棚にクリップで留めておくことにした。

送ってきたDMのメモで彼はGT-R開発責任者の一人だったと書いてある。彼は仕事内容を明かさないが走行データの取得と解析などテスト系の仕事をしていると想像する。5年間盆も正月もなかったと書いてあるが多分誇張だろう。でも今度会って自慢話を聞いてあげようと思う。

クレーマー (12月1日・土)


金曜日の仕事中にクレーマーの話題になった。同僚がご主人のことをクレーマーだと言っている。私の周りにも何人かいる。たいてい本人はクレーマーだと思っていない。でも相手側から見れば結局のところクレーマーに分類されるだろう。そんな人たちのことある。

クレーマーの動機は正義感である。私の行動でも思い当たることがある。間違いを正す意見なのである。でも相手が間違った対応をするからより強い態度に出ざるを得ない。特にサービス業を相手にすると態度は極端になる。そして世はそれをクレーマーと呼ぶ。

自分の行動がクレーマーかも知れないと客観的に見られる人は良い。悪いのは自覚がない人だ。実際サービス業でもミスはあるし確かに多いと思う。一方ユーザーのクレームがサービス品質を上げる面もあるとも思う。でも最近あまりに寛容さがなくなっているのではないか。

クレーマーとは相手が非を認めて謝っても納得しない人である。一般常識に照らして過剰なサービスを求める人である。その一般常識が自分と相手とで違うからクレームになるのだが私はなるべく相手の事情に合わせようと思う。相手が非を認めたらならそれで十分だと思いたい。

<Diary Index Page>
<Top Page>

© 2007 Takashi INAGAKI