2009年11月

「響」第4回定期演奏会 2 (11月30日・月)


演奏会後17時過ぎに徳島駅前で宴会。疲れていたのでビールがすぐに回る。酔って途中から記憶が曖昧。2次会は若手たちとポッポ街の「笑笑」。私が最年長だった。店を出たのは23時過ぎ。車が出せない時間だったのでタクシーで川内のY氏宅。朝8時過ぎに送ってもらった。

さて皆にはやり遂げた感じがあったように思う。アンコールの「人生に乾杯を!〜別れの曲」は歌詞が覚えきれず皆も同じでときどき音が消えたがそれも一興。妻が撮っていた動画を聴いていたら「15の夜」で私だけが半拍早く出ていたところがあると妻が指摘してきたがそれも一興。

親戚らと聴きに来ていた母が午後に電話を寄こし「感動した」と妻に言ったらしい。毎週2回必ず練習で夜は留守にするから「響を辞めて欲しいと思っている」と妻が言ったら母が「辞めさせないで」と言ったそうだ。妻も定演を聴いて感動して辞めることはないかと思い直したそうなのだが。

当日のチケット入場者は定員809人の会場に700人と聞いた。ステージから見ても空席は前の方に少しだけ。イベントとしても演奏も大成功だったと思う。不安や心配は私の比でなかったはずの正指揮者や3人の副指揮者と団長やマネージャそして一緒に歌った仲間の努力に感謝する。

「響」第4回定期演奏会 (11月29日・日)


(この日記は30日午後にアップしました)
29日(日)の本番。朝8時に上勝を出て県郷土文化会館。9:30前後からロビーで発声練習。ステージに移りみっちり3時間リハーサル。指揮者の指示に応えようと声を出しすぎ午前だけでぐったり。控え室で弁当を食べ差し入れのリポビタンDを2本飲んで本番へ。

1ステのバリトンの出だしは美しかった。数小節目で右隣で歌う正指揮者Sがこっちを向いて歌った。音程への注意だと解釈して意識を集中。長い曲なのでときどき歌うのを止めて休みもした。聴衆が微動だにしていなかったと終わって皆が口々に言っていた。

2ステの曲は午前のリハーサルで6拍伸ばすところを3拍で切っていた私たち。不安になって本番では譜面を持ったら安心してしまい別のところで歌詞を間違えた。「あなたに」のところを「あなたを」と。聴衆には分からなかったと思うが譜持ちの罠に陥ったと反省。

3ステの「15の夜」は先端まで出て激しく歌った。聴衆まで2m。そして歌詞を間違えた。「This is HIBIKI」と題したステージだからそれで良い。4ステは気持ちよく歌った。周りの人の表情を見る余裕も持ちながら体全体で歌った感じ。もっと歌っていたい感覚は初めてだったかも知れない。

前日練習と音程の維持 (11月28日・土)


何故か金曜は深夜に起きて眠られずベッドの上でICレコーダーのデータを定演2回分聴き通した。今日の練習は団員の体調維持を優先し元の2時間に短縮。夕方2時間が自主練習。私は声をしっかり出しておいた方が明日の声の調子がいいはずだと思い自主練習から参加した。

さて合唱で苦しむのが音程である。歌っていると必ず音程が下がる。ピアノの鍵盤でレからドに1音下がれば音痴だろうが微妙に1/10音ぐらい下がってしまうことがある。それではパートごとに声を合わせる合唱にならない。だから音程の維持に努めるのだがこれが難しい。

対策は正しい発声のために口を縦に開ける。そのために頬と眉を上げる。合唱は顔で歌うのだ。それで顔の筋肉を解そうと先日の練習でフェイシャルヨガを合間にやってみた。妻がマネージメントしている高津文美子さんのメソッドである。これが効いたか音程が安定したような気が。

明日は子音の使い方をはじめとする表情付と音程の維持に意識を集中して歌おうと思う。音取りを4月頃から始め合唱祭の練習もあったが正味6ヶ月間毎週2回2時間半の練習を繰り返したのだ。明日は徳島県知事も途中から聴きに来るらしい。いい演奏ができると信じて歌おう。

本番2日前 (11月27日・金)


ICレコーダーに整理した歌データを繰り返し聴いている。寝るときも。たいてい途中で寝て気づいたらイヤホンを外している。今朝はゴミ箱の中に落ちていた。日中はときどき歌う。ステージ曲は多分大丈夫だと思うがアンコール曲はまだ歌詞が覚えきれていない。あぁ。

それと全ての演奏が終わった後にロビーで帰りがけのお客さんに向かって演奏する。その曲が予定では「いざ起て戦人よ」と「斎太郎節」。ともに男声合唱ではポピュラーな楽曲だ。でも「斎太郎節」の音を忘れ楽譜を探したが見つからず。ロビーコールは適当に歌うかな。

さて一般論として多くの人は合唱演奏をつまらないと思っているはずだ。実のところ私自身がそう。正直に書けば混声合唱には全く興味がない。聴きたいとも思わないし歌いたいとも思わない。私がやっているのは男声合唱である。何が違うかは聴いてみれば分かる。

そして我が「響」は楽しく激しく歌うことを指向しているところが面白い。今まで3回の定期演奏会のうち私は1回目3回目だけに出たがいずれも東京から参加した。今回は徳島にいて練習段階の出来は今までで最もいい。本番では歌うことを楽しみたいと思う。

男声合唱マニアと「荘厳ミサ」 (11月26日・木)


「響」は今日も合同練習。しかも本番前日の練習は2時間半の予定だったはずがここに来て全ステージ分の集中練習に変更。不安は取り除いておくに越したことはない。さすがに私も火曜は休んだものの水曜からは個人練習をやっている。特に直前に追加されたアンコールの2曲。

それと第1ステージの「荘厳ミサ」5曲も。この1ステの曲はキリスト教のミサ曲で歌詞はラテン語。しかも他のステージはピアノ伴奏があるがこの1ステだけは伴奏なし。音は覚えたが歌詞は覚えられないので楽譜を持って歌うが私はこの1ステが最も苦手なのだ。

ところが全国には男声合唱マニアと呼べる人が少なからずいて彼らにとって今回の定期演奏会ではこの1ステが目玉なんだとか。当日は大阪や京都から耳の肥えた男声合唱マニアがやってきて耳を澄ましていることだろう。

そんな話を聞いて力が入り最初は面白くない選曲だと思っていたが練習を重ねるうちに凄い演奏になりそうな気がしてきた。重厚な音の重なりは男声合唱の魅力が一番伝わりやすいかも知れない。それでも私にとっては難曲。音程に最大の注意を払いながら歌おうと思っているが。

Windows 7 (11月25日・水)


Windows Vistaは不評だが私自身は不満がない。確かにファイルコピーは遅いがセキュリティ重視だという理由に納得している。OS以上に不評のOffice 2007のユーザーインターフェースも初めて使うなら分かりやすいと思う。よく考えられていると私はむしろ評価している。

それでも妻には不評。動作が不安定になってきているのが最大の原因だ。それなら思い切ってWindows 7にアップグレードしようかと少し調べてみた。妻のWindows VistaはBusiness版。これに相当するのはWindows 7 Professional。

アップグレード版はパッケージが通常27,000円。マイクロソフトの直販サイトでは発売記念優待版が約19,000円。むむむ。それでも高い。Windows XP互換モードは魅力だが今やほとんどのソフトはVista版で揃えていて今さらメリットは少ないか。

逆に全ソフトをWindows 7対応版にしなくてはならない手間の方が大変だ。それに最新版の日経パソコンで知ったのだがWindows 7にメールソフトは付かないらしい。新たなメールソフトを使い始めるのは妻にとってストレスの方が大きいだろう。というわけでWindows 7はまだ様子見。

Windows on Macintosh (11月24日・火)


合唱練習は休み。さて最近IT業界の話題はWindows 7である。評判が悪いとは言えVista発売からまだ3年なのに。そもそもVistaの初期の評判を悪くしたのは周辺機器やソフトの対応遅れだったと思う。当時も書いているがマイクロソフト自身の怠慢がVista不評の最初の原因だと思う。

我が家でも妻のVistaパソコンが不調で評判が悪い。その原因はソフトのアップデートをしていなかったりする妻の使い方の問題もあるように思うが先日話をした日経パソコンのF編集長によるとセキュリティを重視するあまり動作が遅いのも不評の原因らしい。

それで奨められたのが何とマッキントッシュ(Mac)。世界初の「パソコン」を開発したアップル社製。Windowsが真似をしたウィンドウシステムやマウスを持ちマイクロソフトとは常に対立してきた。常識的にはMacかWindowsか二者択一なのだがMac上でWindowsを使うといいのだとか。

同じ話は上勝のSさんからも聞いた。昔もMacでWindowsを動作させるエミュレータがあったが動作が遅く不安定だったはず。ところが最近のMacはCPUがWindowsパソコンと同じインテル製。知識として知っていたが編集長が奨めるほどとは思っていなかった。私の常識が覆った。

6時間練習と「新しい歌」 (11月23日・月・祝)


日曜は21時過ぎまで練習をしたのに月曜は朝9:30から最後の集中練習。お昼の休憩は30分だけで16:20終了。正味6時間を超えた練習で腰が痛くなりながら3ステで歌う「バナナを食べる時のうた」の踊りや学ランと女装セーラー服が登場する「15の夜」などの動きも確認した。

さて4ステの組曲は信長貴富作曲「新しい歌」全5曲。ほとんどの人が初めて聴くはずだが曲相は様々だしppからfffまでダイナミックレンジの広い四部合唱で男声合唱の醍醐味が味わえると思う。しかも歌詞が歌に関するものであって聴衆も何かを感じられるのではないか。

私は3曲目の谷川俊太郎「きみ歌えよ」のとき声が震える。<きみ歌えよ/きみのこと 洗いざらい/ひとりで歌えよ/こわれたギター抱きしめて/歌えば 歌えば 歌えば ああ/誰かがいつか耳すます>この曲は「『きみ』の傷を引き受ける」と語る優しい歌だと作曲家から聞いた。

作曲家も言う通り歌が神に捧げるものだとすれば5曲目はそれに相応しい。H.アンデルセン(山室静・訳)<私は神が命じた道を進んだ/額をまっすぐにあげて/私が与えたすべては、神よ、あなたのもの>この歌の真価が文字で伝わらないのがもどかしい。

いい夫婦の日 (11月22日・日)


妻は腰痛だが私は風邪気味である。しかし定期演奏会まで1週間に迫りここで風邪を引くわけにはいかず昨夜はビールを飲まず昨日も今日も昼まで寝た。上勝は寒く先日から石油ファンヒーターを使い始めている。痩せ我慢して風邪を引いたら元も子もない。

今日は夕方から3時間半の合同練習。この間の休憩は2回で合計5分程度でクタクタ。懸案の3ステは昨日やった個人練習の成果で楽譜を見ずに歌った。尾崎豊の2曲はまずまず。アンジェラアキ「手紙」は後半が危ない。でも見えた。これなら当日は暗譜で歌を楽しめる。

今日の練習で2ステで歌う瀬戸内寂聴作詞・千原英喜作曲「ある真夜中に」も暗譜で歌ってみた。歌詞も音も覚えているが休符なのに歌いそうになったり歌うべきところで歌わなかったり。つまり楽譜が頭に入りきっていない。明日の集中練習では楽譜を頭に叩き込むことに注力しよう。

さてこの組曲の詞はどれも美しいが特に2曲目が好きだ。<淋しさや悲しみにも出逢った/それでも/あなたに出逢えたから/この星に生まれてよかった/愛する幸せ溺れるほど恵まれた/生きる喜びあふれるほど贈られた>これを歌うとき妻との出会いを思い一人感動している。

個人練習と「人生に乾杯を! 〜別れの歌〜」 (11月21日・土)


明後日は1週間後に迫った定期演奏会の最後の集中練習。それに備えて今日は個人練習。午後から深夜まで。これまで録音したデータの重複部分を整理したりファイル名を書き換えてICレコーダーに書き戻したり。その過程で楽譜を見ながら声に出して歌ってみたり。

まずはオープニングの三木稔作曲「合唱による風土記 阿波」の「もちつき」。この曲は前回の定期演奏会でも2月の全四国男声合唱フェスティバルでも演奏したが音の動きも歌詞も忘れていて。ちなみに今も徳島の脇町では餅つきのときにこの曲と同じような節で歌われているらしい。

今日の練習は意外に全然ダメな3ステの曲も。尾崎豊「僕が僕であるために」と「15の夜」にアンジェラアキ「手紙」と和田アキ子が歌った「あの鐘を鳴らすのはあなた」。音はだいたい大丈夫だが問題は歌詞。今日は楽譜を見ずにDigiOnSoundで繰り返し聴いて頭に叩き込んだ。

さらにアンコール曲が2曲。山下達郎「クリスマスイブ」は曲自体は知ってるから努力次第で覚えられそうだがコーヒーカラー「人生に乾杯を!〜別れの曲〜」は初めて聴いた曲だし長い。まずはYouTubeで雰囲気を掴もうとしているところ。それにしてもこのプロモーションビデオは泣ける。

徳島の道 (11月20日・金)


柿沢シェフとアシスタントのMさんを市場町にお送りするとき初日は素直に高速を使った。徳島空港からたらいうどんに行くには高速の土成で下りるのが一番早い。2日目は徳島駅からだったし朝5時代だったこともあり高速を使わず田宮街道を西進したがこれが失敗だった。

早朝だから信号は黄色点滅で交通量も少ないと想像していたが実際の田宮街道はいちいち信号で止められトラックなど車も多かった。早朝こそ徳島インターまでの国道11号線は空いているから思い切って高速を使うべきだった。反省。

あるいは田宮街道に入らず旧11号の吉野川橋を渡って信号がない吉野川北岸堤防を西進するべきだった。阿波市に入ると主要交差点以外の信号は黄色点滅だったから鴨島ぐらいまでをいかに信号のない道を走るかを考えると堤防道路のはずだったのだ。

かつて徳島から美郷に行くのに一旦吉野川北岸堤防に乗って石井町で南岸堤防に入り現在の田宮街道を鴨島まで西進する道を使っていた。田宮街道が拡幅されて便利になったと思っていたら便利になったがために混んで使えない道だった。道の感覚を思い出すには時間がかかる。

プロの言葉 (11月19日・木)


市場小学校での食育授業が終わって徳島市まで戻った昼食のときポタジエのオーナーシェフ柿沢安耶さんにパティシエに最も求められる資質は何かと質問した。答えは「根気」だった。お菓子作りは料理と違って厳密さが求められ小さなことを積み上げる根気が何より必要らしい。

同じように作っても出来が違うことがあるらしくその原因を考えて修正する学習能力も必要だと聞いた。それは見た目や手の触感から判断する経験能力らしい。まさに職人ということか。何の仕事でも同じかも知れないが華やかに見える表の姿とは全く違う努力と能力が支えているのだ。

さらに話をしていると体力も要るらしい。確かに授業を見ていてお菓子の材料をかき混ぜるときなど体力がモノを言いそうだった。何より睡眠1時間でもやるべきことをやりながら子供たちに笑顔を向けて明るく話をし続ける姿に体力と集中力を感じざるを得なかった。

でもシェフは「好きだから楽しいですよ」と言った。やっぱりそこなのだ。好きだから楽しい。野菜のおいしさを知って欲しいからか子供たちの野菜嫌いをなくしたいからか何が突き動かしているのか次に聞いてみたいが社会に影響力を持つプロの言葉はいちいち私の心に染み入った。

プロの仕事 (11月18日・水)


阿波市市場小学校で食育の授業をされた柿沢安耶さんは私が月曜の14時過ぎ小学校にお送りしてから準備は21時までかかったらしい。それでも終わらず徳島駅前のホテルに戻ってから部屋で準備を続けたそうだ。それで火曜は朝5:10待ち合わせ。1時間しか寝なかったらしい。

授業は市場小学校4年の2クラス51人が野菜を使ったお菓子を考えて柿沢さんにアイデアを事前に送っていたそうだ。柿沢さんはそれを受けてレシピを考え当日はみんなでお菓子作りを行うという授業だった。試食用にあらかじめ作るお菓子に前日は時間がかかったと聞いた。

お菓子に使う野菜は地元産である。お菓子作りを通じて子供が嫌いな野菜に親しもうという狙いがあるわけだがお菓子を作るなら野菜本来の味を知らないといけないと事前に野菜を食べる授業もF先生はやったそうだ。そしたら嫌いだった野菜を美味しいという子が大勢いたらしい。

さてシェフは授業の中で時間が押しても子供全員に何らかの作業を任せていた。そして前夜1時間しか寝てなくて疲れているはずなのに笑顔が絶えない。そのことに感動した。間近でプロの仕事を見させてもらった。そして市場小学校の子たちの素直さにも感じ入った。

柿沢シェフと市場小学校 (11月17日・火)


F編集長といた土曜に妻の携帯電話にかかってきた電話。野菜スイーツ専門店「ポタジエ」のオーナーパティシエ柿沢安耶さん6月に続き市場小学校で授業をするのでアテンドして欲しいとB氏から。IT業界に長年いるB氏とF編集長は当然知人だから電話を替わって話をしてもらったり。

柿沢シェフは月曜に来徳。空港に迎えに行ってから前回は鳴門うどんを食べたが今回は土成でたらいうどん。お送りして上勝小学校勤務経験もあるF先生ともご挨拶しコーヒーをいただいて私たちは撤収。夜のお迎えは私の友人で造り酒屋M酒造のM嬢が担当してくれた。

火曜は急遽朝6時からと予定変更。つまり私は4時半に上勝を出て徳島駅前経由。お送りして妻と車で仮眠を取り9時からの授業を写真を撮りつつ見学。12時半に終わり片付けを済ませ友人に教えてもらった田宮のイタリアンに14時半。M酒造の見学を経て16:25空港でアテンド終了。

さて月曜は空港でお迎えしていて高校時代の級友で大塚製薬工場のDと偶然会った。昨年の東京クラス会以来。それから市場小学校の会議室で歴代校長の写真を漫然と見ていて山本幸男さんを見つけた。私の中学1年のときの担任だ。市場町の方だとか。懐かしい気分になった。

日経パソコン誌のF編集長と (11月16日・月)


土曜日は東京からお客さんがやってきた。日経パソコン誌の編集長F氏。日経パソコン誌と言えばパソコン業界で最も古く最も売れていて最も権威のある専門誌である。F氏は徳島出身で私の上勝での暮らしぶりに興味を持って帰省ついでに見に来たといった趣。

F氏と私は専門誌記者とメーカー広報という立場をベースにした飲み仲間であった。F氏は1989年に光学メーカーから転職して日経バイト誌というパソコン技術誌の記者になって私とはその頃に知り合った。それ以来毎月のように東京で飲んでいたような気がする。

でも実はF氏の実家は鳴門にありF氏と私は同じ小学校に通っていて当時から知っていた。小学校6年のとき私は校内放送を担当する放送委員会の水曜担当だったのだがF氏は同じ水曜担当の5年生だったのだ。高校も一緒で同じキシャで通ったが当時はほとんど話をしなかった。

今回は徳島駅まで迎えに行って上勝へ。樫原の棚田と修復イベント中の射手座造船所と灌頂ヶ滝を見学して上勝を扱ったテレビ番組を観たり。夕方徳島に出て「とゝ喝」。F氏にご馳走になり「ロングバー」に行き帰りはF氏を金比羅タクシーまで案内して私たちは代行で深夜に帰宅。

IBMロータスのシンフォニー (11月14日・土)


レノボ製ネットブック(パソコン)のセットアップをやっている。ASAHIネットのIDがまだ来ないのでFOMA通信カードを使ったインターネット接続はできないが有線LANで繋いで社内ネットワークに接続しプログラムのダウンロードやら設定を行っている。

このパソコンにはワードやエクセルがないが対処はできると書いた。そのとき想定していたのは受信したファイルを確認できればいいと考えていたのでマイクロソフト製のファイルビューアだったのだがこの際だからマイクロソフトオフィスの互換ソフトを使ってみようと調べてみた。

有名なのはOpenOffice.orgだが表計算ソフト「Lotus 123」で一世を風靡したロータスのブランドでIBMがシンフォニーという互換ソフトを出していることを知った。もちろん無料。これもOpenOfficeをベースにしているらしい。サイトは英語だがダウンロードしたプログラムは日本語版だ。

シンフォニーを起動するとワード互換のワープロとエクセル互換の表計算とパワーポイント互換のプレゼンソフトがランチャーとして表示される。ここからブラウザのようなタブ形式の画面で操作する。もしかしたらMSオフィスは不要かも。互換度は分からないが少しずつ試してみようと思う。

FOMA通信カードとネットブック (11月13日・金)


FOMA通信カードを買ってきた。先日書いてから従量制も検討したがネットブックをタダでもらうには2年間拘束される定額制が条件だった。ただし従量制で無料パケットが発生する最安プランを年間4ヶ月だけ選択した場合の定額制との差は2年間で4,000円安いだけだった。

つまり私にとってネットブックのコストは4,000円というわけだ。通信カードも安い「L-02A」にしたから割引などで12,000円超がタダになった。それでADSLより2年間で1万円安いし実家のNTT回線をパルスからトーンに変えていたから元に戻すとさらに母の負担も2年間で7,560円安くなる。

さてFOMA通信カードでインターネット接続する場合はNTTドコモに支払う通信料のほかにプロバイダ料金が別途かかる。ドコモはMoperaという独自プロバイダがあるがASAHIネットなら月105円安い。そんなわけで実家のADSL用のASAHIネットは解約したが新たに3たび加入した。

そう言えば我が社のインターネット接続が最近不調で何が悪いのか分からないのが光ファイバーでの接続が長時間できなくなった場合でもFOMA通信カード経由で接続できるようになる。素晴らしい。最悪の最悪は64KbpsのISDN回線で繋ぐ方法もないわけではないが。

劇で使った音楽の著作権 (11月12日・木)


先日の奉納劇では音楽を5曲使った。私は著作権に関する仕事をしているし音楽の著作権をないがしろにはできない。農村舞台での劇だけなら非営利無償の演奏にあたり著作権者の許諾なく利用できるがDVDにするとなると話が別で無料配布であっても許諾が必要になる。

さらに音源に市販のCDなどを使うと著作隣接権を持つ演奏者やレコード会社への許諾が要る。そこでDVD化を見越してなるべく許諾が必要ない音楽を選んだ。まずはAさんがバイオリンを弾いてデータを送ってくれた「宵待草」。作曲家は1929年に没しているので著作権は切れている。

次はサウンド編集ソフト「DigiOnSound 5」のサンプル曲で商用でなければ大丈夫。だんじりの音は子供だんじりの練習を録音したもので問題はないだろう。それから「結婚行進曲」は1847年没のメンデルスゾーン作曲だから著作権は切れている。演奏はAちゃんのキーボード。

劇の最後はドリフターズの番組で使われていた「盆回し」という曲。演奏はAちゃんだがこれだけは許諾が必要でJASRAC(日本音楽著作権協会)に利用申請をした。今朝FAXしたら午後には許諾番号がFAXされてきた。費用は1,300円でA社のボスが面白がって払うと言ってくれたが。

レノボのネットブック (11月11日・水)


メールやWebなどネット接続に機能を絞ったネットブックと呼ばれるパソコンが昨年頃から流行っている。でも我が家には2001年に買ったノートパソコンIBM ThinkPadがあるしメールだけならHPのPDAと携帯電話を繋いで送受信することはできる。だからネットブックには興味がなかった。

でもPDAと接続しようとすると携帯電話のFOMAカードを今は使っていない旧型に入れ替えないといけない。やっぱり面倒。それにメールを使うだけなら実家のADSLをデータカードに換えるだけで支払い額が安くなる。しかも2年間拘束の条件ながらタダでもらえるならうれしい。

このネットブックは夏モデルでCPUがインテルAtom N270。クロック周波数1.6GHzは我がThinkPad Celeron 500MHzより断然速い。メモリは増設して256MBのThinkPadに対し標準で1GB。HDD 160GB。Windows XP Home。有線LANと無線LANが使える。130万画素カメラまである。

USB2.0端子は3つあるがFD/CD/DVDドライブなどはなし。1.2kgは決して軽くはないし画面は1,024×600ドットで縦が短い。最大の欠点はWORDが付かないことだが対処のしようはある。出張や遊びで1晩か数日間だけ使うサブマシンだ。スペックは十分すぎるほどだと思う。

Outlookと米国のU氏とドコモショップ (11月10日・火)


今週金曜締切の原稿仕事があったのだが私のOutlookに締切日が登録されておらず昨日になって知って焦った。原因はA社から送られたスケジュールメールを私がOutlookで開かず削除していたからだった。きちんとリマインドしてくれたNさんに感謝。これから注意しておこう。

さて米国のU氏に言われたことを先日書いたら当のU氏から昨日電話があった。米国からかとビックリしたのだがたまたま徳島にいるらしい。メールと電話で連絡を取り合ったが時差ぼけが酷いというので今回は会うのを止めた。彼は時差ぼけのまま米国に帰り通常生活に戻すのだろう。

今日は夕方になって昨日書いたドコモのデータカードを買うために再びショップに赴いた。いろいろ確認するとタダでもらえるパソコンは店頭のASUS製ではなくレノボ製らしい。改めてスペックを調べてやっぱり買おうと思ったらデータカードは2日後に安くなると教えられ出直すことにした。

1万円の割引もある。貯まったポイントも使い17,000円超のデータカードは結果として3,000円弱。月1,000円の最低料金で2年間使って支払い総計約4万円。この通信料だけで夏モデルの型落ちながら同等品がヨドバシで約3万円するレノボのネットブックが手に入れば安いのではないか。

NTTドコモのデータカードと違法コピー (11月9日・月)


鳴門の実家では電話回線でADSLを使っている。東京から帰省したとき56Kbpsのモデム接続では仕事にならず昨年7月に契約した。当時としては安かった月額2,000円弱。でも上勝に引っ越して実家で泊まることが昨年より減った。使わなくても月2,000円は必ずかかる。

そこでADSLに代わる方法はないだろうかと探していて検討を始めたのがNTTドコモのデータカード。下り7.2Mbps。定額で最低1,000円から最高5,985円。全く使わなくてもプロバイダ代含めて1,420円で今よりは安い。でもデータカード代が分からず今日ドコモショップに行ってきた。

そこでデータカードは15,000円ぐらいだとは分かった。そしたら新製品の契約をするとネットPCがタダでもらえると言う。むむむ。それはうれしいかも知れない。シミュレーションしたところドコモのバリュープラン2年間拘束で月1,000円なら今のADSLよりもトータルで安くなるし。

話を聞いているとネットPCにはエクセルとワードは入っていないらしい。でも業者が入れてくれると言う。正規品ですかと訊くとそうだと答えるがおそらく違法コピーだろう。そのことを指摘して止めて欲しいと伝えた。大丈夫かなぁNTTドコモ。近日中に再訪するつもり。

農村舞台の片付けと妻の出張 (11月8日・日)


朝遅く起きて農村舞台の撤収に行った。劇に向けてがんばったみんなも日常生活に戻り忙しい。座長が一人でやっていたところに合流して妻も遅れて合流。幕を外してたたんでケースに入れて。これで片付いたと思う。また舞台を開けるのは来年だろうか。

そのまま座長に付いて机を返しに行ってFさん宅にも初めて行った。私はお借りしていた古い写真の返却で。家に戻って近所の方と立ち話。話をしていると次々に近所の方が集まって来て初めての方とは挨拶したり。その内容について思うことがいろいろあるが今は控える。

午後は出張で大阪行きの高速バスに乗る妻を送って徳島駅まで。ついでに三菱東京UFJ銀行で記帳して近くのみずほ銀行まで歩いて記帳。みずほは東京時代の家計用通帳だが記帳してみたら昨年12月3日付までで満杯になった。また繰り越しに行かないといけない。

さて今日は「響」の練習が1時間早まったが始まりまで1時間もある。練習場に行ったら駐車場が一杯で停められず仕方なく沖洲まで回って時間を潰した。今日の練習は4時間だったが集中力は今ひとつ。残る時間は3週間。状況は極めて厳しい。

棚田米の食事会 (11月7日・土)


上勝の棚田で米作りに参加して収穫した米30kg。鳴門のT社長に持ち帰ってもらっていて今日はT社長邸で食事会と相成った。鳴門のJ氏家族と徳島の川内からY氏夫妻に小松島から後輩N氏。鳴門のM嬢は仕事で不参加。その代わりK氏と子供たちにK嬢が加わった。

私たちの米作りの撮影をしてくれていた上勝のS氏も一緒。勝浦で合流して2台連ねて鳴門の高島に行った。16時半頃に着いてすぐ餃子作り。早速ご飯を炊いて乾杯をしてS氏が撮影をしながら私たちは食べる食べる。22時過ぎまで食べて騒いだ。飲まなかった妻の運転で帰宅。

さて途中でS氏に話をしていて思い出したのがT社長邸に初めて来た日。記録によると会社を作ったと2006年10月にメールをもらい2007年2月に再会した。メールをもらったとき私はA社ベランダから携帯で電話したことを覚えている。

その年のGWのJ氏邸バーベキューで妻の心が溶け出し7月に再びバーベキューをしてもらいお遍路をして妻が「徳島に住む」と言い出したのだった。S氏と話して思い出したがやっぱり呼ばれていたのだろうなと思う。そのキーマンが今日のZ嬢とT社長とM嬢だったことは間違いない。

下鴨の下宿 (11月6日・金)


今は米国に住んでいるU氏から京都時代のことを書いたらどうだと以前に提案されていた。私も記録しておこうと思いつつ先日も書いたが学生時代は暗い日々だったから気分が当時の精神状態とシンクロしないと書けなかったのだと思う。思い出しついでに当時を記録。

最初に下宿したのは1982年。京都市左京区下鴨。大家さんの家の西隣に建てられた平屋のアパート。共同トイレ共同炊事場。4部屋あったがトイレ横の一番北側は大家さんが物置に使っていた。私が入居したときアパートには私一人だった。南側の4畳半だった。

アパート入口にピンク電話があった。窓は南と西。後に大谷大学だったかの3年生が越してきた。彼が追い回されているという女性も紹介された。「どう思う?」と聞かれて「正直言ってかわいくないですね」と答えた。彼も彼女の扱いに困っているようだった。

大学へは自転車で通った。食事は近くの定食屋。夕方行くといつも阪神タイガースの試合をテレビで流していた。少し先のマンション1Fに別の定食屋があったが不味かった。モルモン教の教会に連れて行かれたのは転居2日目だった。2ヶ月しかいなかったが印象は強い。

学生時代 (11月5日・木)


先月末に夕食後すぐに寝て23時頃起き出した日があった。そのままテレビを漫然と見てFMラジオを付けた。こんな気分が前にもあったなと思い出したのは大学時代のことだ。当時は時間だけがあり何もせず好きなときに寝て起きたとき軽い後悔とともに本を読んで思索した。

私は入学した京都の同志社大学に1月だけ通い6月中旬に東京に引っ越した。国立に行こうと東京工業大学の入試に挑戦したのだが玉砕して翌年京都に舞い戻った。当時は人生最大の挫折だと思っていた。だから京都での大学時代は無気力だったような気がする。

東京時代の1年間は留年扱いでもう1年さらに留年した。堀川鞍馬口で暮らした2年間と千本上立売での3年間は怠惰だったと思う。深夜に食事を取り金曜は23:30から午前2時50分までKBS京都放送でミュージックTVを見ていた。平日は23時頃から午前3時頃までFMを聴いた。

工学部だったから他学部の学生に比べれば授業には出ていた。それでも眠くなれば寝て腹が減れば食べ他の時間はテレビを見て飽きれば本を読んだ。でもあの頃の生活について今は後悔も反省もない。本も友人も私の財産になった。そんなときが人生の中にあっていいと思う。

J社の態度 (11月4日・水)


私はJ社に怒っている。創業者の浮川夫妻が会社を離れると発表があって6日。ライターの風穴氏が記事に書いているが何か意味のあるコメントがあるだろうと待っているのに未だに何の発表もない。製品に関するDMメールが何ごともなかったかのように虚しく送られてくるばかり。

90年代前半までならJ社の財産はユーザーとの信頼関係だったと思う。マニアしか使っていなかったパソコンの黎明期から浮川さんはユーザーの利便を第一に考えてきたはずだし実際に熱烈なファンが大勢いた。そうしたユーザーから見れば浮川さんとJ社は一体だったはずだ。

12年前からは主力製品のバージョンアップを毎年繰り返し信頼関係を露骨に売上に換える愚挙に出てから多くの熱心なユーザーに見放されたと私は解釈しているが今回のことと合わせて思えば都合が悪いと黙りを決め込み自分の都合を押しつけているだけに見える。

創業者に対して批判があるのも事実だが何らコメントを発表しないのはファンの心情を踏みにじる行為と感じる。ユーザーとのコミュニケーションはどうでもいいということか。だとすればあまりに情けない態度ではないか。そこまで暗愚な会社に成り下がったということか。

祭当日 (11月3日・火)


(この日記は4日午後にアップしました)地元の秋祭の本日が終わった。朝10時に神社に行き農村舞台の最後の飾り付け。賄いうどんを食べたりして12時過ぎから幕を引いて化粧など本格的な準備を開始。懸念はヒロインを演じるT氏がぎっくり腰になったこと。コルセットを着けて。

境内では鉦太鼓でリズムを刻む子供たちを乗せただんじりが移動したり御輿に神様を乗せるのだろう所作をふまえた儀式があったが私は秋祭の一般的な知識がなくこれらのことが説明できない。少し勉強しようと思う。さて町からはJ氏家族やY氏夫妻とK嬢などが来てくれていた。母も。

劇の開始は直前に決まって13:30。語りを浄瑠璃に模して舞台右上の太夫席で行ったがライトがなくて暗いと地元のお父さんI氏に言われた。既に劇は始まっており私は動けない。結局I氏が投光器を持ってきてくれ芝居中に付けてくれたがその様子に気を取られていて音出しを2度失敗。

私は舞台下手の客席側で音響担当のN氏と一緒に見ていたが全体的に言えば上出来である。終わってみれば一瞬だった。そのまま獅子舞を見て舞台で飲み始め夜は場所を変えて打ち上げ。地元のお父さんが劇を見て泣いたという話も聞いた。うれしくありがたいことだ。

神様と宵宮 (11月2日・月)


祭は11月3日が当日で2日が宵宮だが本当は1日から始まっているらしい。1日の午後に農村舞台の最後の調整に出向いたとき地元のY氏から教えてもらった。でも実はそれより前に私が「響」の練習から帰った午後に妻も同じことを言っていた。

妻は地元の風習を知らないはずだが天照大神に関しては前から不思議なことを言う。雨だった1日。晴れ間の太陽に柏手を打ったら巫女として髪を束ねていないことを咎められたらしい。それで天照大神が降りてこられていることが分かったのだと。そして雨は祭の前の禊ぎであると。

座長のT氏によると農村舞台での劇は神様への奉納であって劇中に起こることは全て神様の思し召しと解釈するらしい。御神輿の酔った担ぎ手が行く先も神様の思し召し。そう考えると劇の出来は私たちの手を離れているということなのか。

さて前夜は飲んで帰宅して水ばかり飲んだがまた大泣き。今朝は地元のK氏に来てもらって伊島からもらった鯛とハマチを捌いてもらい消防団に差し入れ。午後から祭の準備。提灯を吊ったりノボリを立てたり。夜は花火が上がり消防警戒。そのあと農村舞台で大いに飲んだ宵宮。

作曲家 (11月1日・日)


前夜の酒が残った感覚の中を8:30出発。末広大橋経由で今日は福島町で「響」の練習があった。定期演奏会の第4ステージで歌う曲の作曲家が東京から来て指導してもらう練習。指揮者から基本的に暗譜との指令が飛んで歌ってみたら意外に歌詞を覚えていてビックリ。

それより驚いたのが作曲家の信長貴富氏が若かったこと。帰宅後にWikipediaで検索すると38歳。実際にはもっと若く見えた。練習は指揮者の指揮で歌い信長氏がコメントを付け実際に指揮も受けて歌って気になるところを繰り返す方法。

歌う曲は「新しい歌」と題された5曲。歌詞は信長氏が「歌」に関するものを採択して曲を付けたもの。10年前に作曲したときは先輩として学生たちにメッセージを託したつもりだったと聞いたしそれぞれの曲が表している世界観を直に聞けてとても参考になった。

歌は神に奉るもの。帰宅後は農村舞台の最後の調整を手伝い。祭は1日から始まっているらしい。それは地元のY氏から聞いたことだが妻がまた天照大神のことで不思議なことを言った。私は劇のことでの不安は消えたような気がしているが・・・。


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© 2009 Takashi INAGAKI