2009年2月

神と魂と合唱の中の私 (2月28日・土)


「歌とは本来は神とのチャネリングなのだということを思った」と先日書いた。どういうことかを説明する。まず私は2度に渡って3部作の『神との対話』を読んだ。神とは我々個々人の魂の集合であり我々個々人の魂は神の一部であると書かれていた。

そのことを先日の全四国男声合唱フェスティバルの合同演奏で理解した。いや神の存在を理解したわけではないのだが声を通じて擬似的に。例えば全体を聴こうとすると全体が聞こえ左隣の人の声を聴こうと意識するとその声だけが聞こえるということなのだが。

普段の30人の合唱ではもっとバラバラに聞こえるか全体しか聞こえないか。180人いると離れたベースの音も意識を向けだだけで分かる。それでいて自分が歌うと全体に融け込むことができる。パート内で音を揃えるということもバリトンの音に合わせることも自在な感じだった。

これは30人の合唱では知らなかった感覚だ。神と一体となるような。あくまで声と聴覚が全体と融和する感覚と意識を持ったというのに過ぎないのだが。でも全体の一部であることに感動した。それは神と自分の魂の関係を擬似的にでも感じたからではないかと思うわけだ。

携帯電話の電波 (2月27日・金)


携帯電話でイヤホンを使わず通話をすると私は頭が痛くなると何度も書いた。事務所では外部アンテナを繋いだのでイヤホンマイクが使えず困っているとも書いた。それでも携帯電話に電話はかかる。最初のうちは固定電話から掛け直していたが面倒になった。

それに相手によっては掛け直すと言えない場合もある。それで仕方なく携帯電話を耳に当てて話す。受話音量を上げできるだけ耳から離して。でも頭が痛くなることは徳島に来てからない。妻とそんな話をしていて気がついた。私はとんでもない間違いをしていた。

頭が痛くなる原因は携帯電話から発する電波だ。でも事務所では外部アンテナから送波されている。頭に電波は浴びてないのだ。分かってしまえば自分のことを笑ってしまうほど間抜けな勘違い。一方でFOMAエリアとプラスエリアの電波周波数が違うことも気がついた。

FOMAエリアは2GHz帯でプラスエリアはmovaと同じ800MHz帯。私がFOMAを買ったのは2003年11月。頭が痛いと最初に書いたのは2004年8月。続いて2004年10月。もしかするとmovaと同じプラスエリアで話すときはイヤホンなしで頭が痛くなることはないかも知れない。

小学校4年のときの担任の先生 (2月26日・木)


今回の演奏会には母と私の親戚も聴きに来ていた。母の姉と母の弟夫婦。テレビ局のK支局長も家族で来られていてたまたま会ってご挨拶。さらに演奏会が終わり「響」のメンバーを中心にロビーに出てお見送りしているときに思わぬ人から声を掛けてもらった。

小学校4年のとき担任だった榊先生。音楽が専門で前に書いたように音感教育に熱心だった。どうも母が偶然会って挨拶をしたらしい。たまたま私の隣にいた小学校教師S氏は5年のときに担任だったと言っていた。そして今は家が近所だとも。

だから榊先生はS氏が響にいることは知っていたが私もいることは知らなかったらしい。と言ってもそもそも先生が担任だったときから35年。卒業してから33年が経ちその間一度もお会いしていないので先生が私のことを覚えていたかどうかも分からないのだが。

もちろん私の方は覚えている。前にも書いているが私が音楽に趣味として関わっているのは榊先生の影響が多少なりともあると思う。ロビーでは突然だったので言えなかったがそのことを先生に伝えて欲しいとS氏にお願いしておいた。

響の演奏 (2月25日・水)


180人の大合同演奏に比べれば響の演奏は些事のように思われる。それでも一応記録しておこう。響の単独ステージは個人的にはうまくいった。小さな音程の間違いや歌詞忘れはあったのだが大勢に影響しないレベルであって懸案の4曲目も私個人は破綻することはなかった。

ただし団としての演奏は音程が下がりバラバラになった部分があった。1拍長くなってしまったところもある。トップの音が消えて他のパートが次に続けなかったのが原因らしい。歌いながら長いなと思いつつ構わず声を出し続け指揮に従って破綻を免れた。

さて演奏前は声の出をよくするために私は軽い運動をする。ジャンプしたりダッシュしたり。この日も同じようにしてステージに出たらライトが強く汗が噴き出した。先日のアンサンブルコンテストに比べてネクタイをして上着を着たことで暑くなったのと演奏時間も長かった。

それで汗がしたたり落ちていたらしい。演奏後に妻が心配して楽屋に様子を見に来たほどだ。パッチを穿いたままだったのも悪かった。声の出を良くするために運動は欠かせないから暑くなるステージではこれからは冬でも夏服で臨もうと思う。

四国男声合唱フェスティバル 2 (2月24日・火)


男声合唱で感動したのはコンクールでの受賞を除けば多分3回目だと思う。1度目は大学の入学式。超有名なグリークラブが賛美歌を歌い出したとき。2度目は関西学院大グリークラブ出身のK元の結婚式2次会。レストランで座っていた周りの人たちが愛唱歌を歌い始めたとき。

3回目となった全四国男声合唱フェスティバルの感動はステージだけで終わらなかった。17時半からセンチュリープラザホテルでの打ち上げパーティ。各団の人たちも参加して立食。みんな男声合唱の人たちだから当然のように途中から愛唱歌を次々に歌う。

ビールを飲んで酔っぱらって歌う自由な合唱。他の団の私とは違うパートを歌う人たちが周りにいる。歌うことを止めて聴き入るとK元の結婚式2次会で経験した状況と同じですぐに涙を流せてしまうような感覚。そして再び歌った「遙かな友に」でビールを片手にまた泣いた。

それにしても徳島で180人の男声の大合唱は初めてだろう。徳島の音楽界にとって凄いことだったと思う。そしてこんな貴重な演奏会を徳島で開催できたのは響の活動があったからだし団長や指揮者が他団体と交流をしてきたからだ。そのことを団の一員として誇りに思う。

全四国男声合唱フェスティバル (2月23日・月)


日曜の全四国男声合唱フェスティバル。合同演奏は凄かった。7つの合唱団の180人がバラバラになって9列に並び「月下の一群」という組曲を演奏。私は前から3列目。密集していて前の列にいる2人の肩の間に楽譜を差し込むように持つもので歌いにくいと言えば歌いにくい。

それでも素晴らしい体験をした。まずは朝の合同練習。このとき演奏が始まったのに喉が引っかかったようになって声が出せなかった。結果として周りの音をただ聴くことになった。そして荘厳な響きに感動してしまった。涙が出そうになって余計に声が出せなくなって。

本番が終わりアンコールの斎太郎節。京都の団の指揮者が「宴会バージョンで」と指示した演奏。思い思いに大音響を響かせたはず。そして最後に客席と舞台に大きく広がり歌った「遙かな友に」。あまりに美しい演奏でステージ最前列に立った私は目に涙がたまり声が震えた。

なぜ一人感動したのか理由はよく分からない。180人という大人数の響きに純粋に感動したのかも知れない。その中で歌っている自分と179人のつながりを感じたような気もする。神を感じたわけではないが歌とは本来は神とのチャネリングなのだということを思った。

大酔っぱらい (2月22日・日)


(この日記は月曜午後にアップしました。)日曜日は全四国男声合唱フェスティバルが終わり打ち上げに参加し団長に車で送ってもらった。これまでは当日のうちに何かを書いてアップロードしてきたのだが昨日はそれができなかった。日記が書けないほど酔っぱらったからだ。

事務所に戻ったのは予想していたより早く21時より前だったと思う。打ち上げでビールはだいぶ飲んだが帰ってからは団長と妻と3人で四方山話をしながらお茶だけを飲んでいた。と22時頃に電話があり同じ地区に住んでいるN氏とT氏とY氏が遊びに来てくれたのだ。

少し遅れて同じ住宅に住むS氏も。そこから飲み始めてT氏は寝てしまいY氏が帰ったのが何時なのかは覚えていない。散会して時計を見たら3時半。T氏には事務所で寝てもらいN氏には家の方に布団を敷いて私は足がふらついていたのを覚えている。朝起きたら10時前。

何を話したのかよく覚えていない。でも裏紙に書いたメモが残っていた。N氏やY氏が言った上勝・傍示地区のキャッチフレーズのようなもの。酔って話したアイデアなのだが素面で見ても良い。大酔っぱらいも含めてこういうことが本当に愉快。いや楽しかった。

町内巡回セミナーと演奏会の練習 (2月21日・土)


昨日と今日はパソコンで何ができるかを町内の各地区を回って説明する巡回セミナーが開かれていた。初心者以前の方が対象でICTへの関心を高めようという企画だ。今日午前はたまたま私の地区で開かれていたので隣の公民館を覗いてみた。

講師はセノーさん。2時間みっちり。でも価格.comやアマゾンやgoogleアースを使うといったものでブラウザだけで十分な使い方。上勝で盛んなブログを読むというのもあった。ワープロや表計算やメールさえ出番はない。特に高齢者の初心者は最初はそれで十分だと思う。

午後から私は徳島市文化センター。明日の演奏会の準備で舞台作り。16時から舞台で練習。まずは「阿波」。音の不安は何カ所もあるが一昨年4月の定期演奏会のときより私自身は格段に良くなっていると思う。ただし4曲目が全然ダメ。私だけでなくみんなが苦しんでいる。

今日は声の出も悪く客席の階段をときどき駆け上がって運動したり。合同演奏の「月下の一群」はピアノ伴奏で初めて歌った。こっちは譜持ちOKだから気分は楽。四国男声合唱フェスティバル。7つの男声合唱団が次々演奏する。お祭りなので演奏自体を楽しもうと思う。

大臣の辞任と報道 (2月20日・金)


イタリアで開かれたG7の記者会見に泥酔して出席ししどろもどろになった中川昭一財務相が辞任した。本人は泥酔ではなく腰痛の薬が原因だと言っている。世界に醜態を晒したのだから批判されて当然なのだが問題を本人の自覚のことにしてしまっていいのだろうか。

周囲にいた人たちが何をしていたのかという問題もある。同行した記者たちの体たらくも情けない。でも勝谷誠彦氏がメールニュースで指摘しているのが鬱病とアルコール依存症の可能性のことだ。酒好きと言われるのは単なる嗜好ではなく本当は病気ではないのかと。

世界政治の中で酒での失敗は大きな問題だが本当の病気であることを知られる方が政治家としては致命的だろう。いずれにしても仕事が控えている日中に泥酔するほど飲むという行為は常識的に言って無自覚だけでは説明が付かないと思うのだが。

中川一郎氏は札幌のホテルで泥酔して自殺した。調べてみると1983年1月。57歳。今の昭一氏は55歳。政治生命が終わろうとも本人の命のためと同病の人たちのためにマスコミはここに踏み込むべきではないか。面白おかしく結果を批判するばかりの報道を私は見たくない。

灯油の消費とステッパー (2月19日・木)


上勝は寒い。それで部屋の中では石油ファンヒーターを使っている。でも事務所は72m2のワンルーム。東京のときのように暖めたら灯油の消費量が半端ではない。最初の頃20何度かに設定していたら7.2Lのタンクが1日で空になって慌ててしまった。

そこで設定温度を低めにしたが14度〜16度の設定で妻がもらってきた温度計で実質18度ぐらい。一時期は設定温度を13度にしていたが風邪を引いて諦めた。ギリギリで18度。夜になるとビールを飲んで暖かくなるので設定温度も低めになったりする。

一方で朝や日中に体を温める方法を思いついた。ステッパーを使うのである。室温を上げるのではなく運動によって体を温める。歩かなくなった体にもよい。アルコールで温めるよりも健康的だ。でも本格的に長くやると汗をかいて逆に冷える。適度にやるのがコツだと思う。

健康によく灯油代の節約にもなる。とてもいいアイデアだと思うのだが暖かくなる頃には疲れてくるのが難点。いや健康にはそれがいいのだ。と理屈で分かっているのが結局のところ面倒になってファンヒーターの設定温度を上げてしまう私。既にアイデア倒れ。

散歩と花粉症 (2月18日・水)


既に妻がブログに書いているが月曜の午後に近所を散歩した。家の横を流れている川沿いの道をずんずん上る。先に行っていた妻に追いつき神社へ。引っ越してからずっと気になっていたのだがようやくお参りすることができた。

神殿に向かい手を合わせていると強い風。と思ったら私はくしゃみ。あやややや。花粉症である。鼻がグズグズしはじめ帰宅後の夜に突然目が痒くなり。毎年のこの季節は風邪か花粉症かよく分からなかったのだが今年ははっきりした。

上勝は杉の町だ。町の9割以上が山林でその8割以上が植林された杉と聞いたような。私の事務所の目の前にも杉の山がある。おそらく上勝町内を歩いていて私が浴びる杉花粉の量は東京の街中の1万倍ぐらいになるのではないか。

東京にいるとき乾燥した冬の間は電車に乗るときや人混みで必ずマスクをしていたのだがこの山の中でも春はマスクが必須らしい。今までは軽い症状だったが1万倍の花粉を浴びれば急速に悪化するかも知れない。そう思うと憂鬱だなぁ。

鳴門うどん (2月17日・火)


そもそも鳴門うどんの存在を教えてくれたのは日曜に上勝に来た大先輩のB氏である。B氏に言われて食べてヘナチョコ麺にびっくりしたが先日読んだ「鳴ちゅる」を読んで認識が変わってきた。B氏は日曜に話したときも鳴門うどんのことを全国の広める価値があると言っていた。

鳴門うどん。私が子供のときに食べていたうどんだ。妙に懐かしい。柔らかく消化に良さそうな麺と透明で素直な味がする出汁は「鳴ちゅる」で書かれているように二日酔いにはとてもいいと思う。香川とはすぐ隣なのに讃岐うどんとは対極にある。

本を読んでいると鳴門の高島ではおやつとして食べていたという記述がある。それで思い出したが父の実家で従兄弟と外から帰って来ると伯母か祖母が「うどん食べるで」と言っていた。うどんは我が家では昼食に食べるものだったので不思議に思ったことを覚えている。

伯母は鳴門の瀬戸町あたりの出身らしいが祖母は高島出身だ。おやつに食べるうどんは鳴門の文化だったのかも知れない。『鳴ちゅる』はそういう認識を持たせてくれた。我が鳴門の食文化。深く掘り下げたら面白いと思う。今度鳴門にいる伯父や伯母にも聞いてみようと思う。

『鳴ちゅる』 (2月16日・月)


一昨年8月に食べた大井食堂の鳴門うどん。腰のないヘナチョコ麺だと書いた。でも子供の頃に家で食べていたのはこのヘナチョコ麺だったと思う。やや細くて平べったくて長さも太さも不揃い。讃岐うどん全盛の現代において如何にも田舎の完成されていないうどんに見える。

ところがこのヘナチョコうどんに魅せられた人がいる。「鳴門のちゅるちゅるうどん」と名付け本も出されている。私がこの本を知ったのは数年前に帰省したとき母が置いてあったメモによってである。東京の出版社に勤める弟が「徳島で買って送って欲しい」と母に頼んでいたのだ。

中野晃治『鳴門のちゅるちゅるうどん探訪記 鳴ちゅる』(メディコム)。著者とは実は先月一緒に飲んだ。28日に激論した相手でもある。今日も散歩中にお会いした。つまり同じ地区のご近所さんなのだ。そんな縁があるし鳴門のことなので駅ビルの本屋で買って読んでみた。

ここには鳴門うどんに欠かせないお揚げを作る住谷豆腐店や麺や出汁を売るスーパーがある高島を「聖地」だと書いている。県内の鳴門うどん店訪問記でもあり鳴門の食文化研究の入口に立つ本でもある。軽妙な文章でどんどん読める。徳島に縁のある人やうどんファンにお奨め。

B氏と上勝 (2月15日・日)


東京から御大B氏が急に来徳。東京のM氏が上勝町長や産業課長のアポを取って私は連絡係。11時に迎えに行って上勝へ。正木や傍示の集落を車で走らせながら諸々説明。我が事務所にも寄ってもらったが妻は薪ストーブのクッキングイベントで外出中。

日比野克彦氏制作の山上の船「射手座造船所」やゴミステーションにも回り妻が合流して役場へ。町長が声をかけてくれたF氏もいらして6人であれやこれや2時間も。その後F氏の畑を見学させてもらった。いや凄いことをやっているのを目の当たりにした。

凄いことは分かったのだがB氏とF氏の会話は2割ぐらいしか理解できなかった。21年前のJ社1年目にOSだかBIOSの技術会議に出たときの感覚。技術担当だったK川さんにトイレで「分からんだろ」と声を掛けられたときのことを思い出した。あのときの相手はフェニックスの人だったか。

徳島に向かう車の中で「勉強してますよね」とB氏に言ったら「死ぬほど本は読んだ」と。歳を取っても新しいことに取り組みそのために勉強をする。その姿勢を見習おう。IT業界もそうだと思うが勉強なしに新しいことは何もできないのだ。その刺激だけでも今日同行した価値があった。

上勝のテレビとネット事情 (2月14日・土)


郵便の集配は1日1回だが上勝町のネット環境は完璧である。光ファイバーが町内全戸に引かれていると聞いたが我が事務所にはNTT西日本の光ファイバーがVDSL式で導入されている。これが月2,698円(税込)。都会のどんなプランより安いと思う。

テレビも光ファイバーに乗ってくるらしい。うちのテレビは地上波しか見られない旧型だからダメだけどテレビに接続したハードディスクレコーダー経由でBSやケーブルテレビの無料チャンネルが見えるようになった。東京ではBSが見れなかったので上勝に来てチャンネルは2倍に増えた。

さらにIP電話も使える。新宿ヨドバシで買ってきた電話機からVoIPアダプタに繋いでいるのでISDN電話回線かIP電話かを自動判別して架けてくれる。110番など特殊な番号以外はIP電話が選択される。町内の050相手なら料金は無料。

ネットの回線速度は20Mbps前後。これまで計った中で最低が12Mbpsで最高は35Mbps。東京ではADSLの3Mbps程度だったから十分早い。テレビもIP電話もFM放送もネットも含めて月2,700円。郵便の不便さなど有り余ってお釣りが来るほど。日本で最も進んでいると言えると思う。

上勝の郵便事情 (2月13日・金)


上勝に移住して田舎だと実感したのが郵便事情。一番近くの郵便局の前にあるポストに行ったら収集されるのは毎日15時だけと書かれていた。1日1回。これには少しばかり驚いた。特に引越直後で住所変更手続の手紙を何通も出していた時期だったので。

その郵便ポストまでは車で行く。計ったら1.4km。2分半ほど。これなら歩いても行ける距離だ。東京の前の自宅から駒沢大学駅を越えて東京医療センターに行くより近い距離のような。でも山道。たまに自転車に乗っている人を見かけるが歩いている人はまずいない。

ちなみに徳島に行く途中にある隣町の勝浦町の郵便局に行ったら1日3〜4回の集配がある様子。最後の集配も17時頃だったか。上勝で15時を逃したら車を飛ばして10kmの山道を下り17時までに隣町の郵便局に行けばよい。

さて最寄りの郵便局は中に入ると職員は3名。客はいつも私だけ。東京で徒歩1分の距離にあった駒沢二郵便局に比べると広さは4倍。このゆったりした感じがいいと思う。1日1回の集配もそれに合わせよう。スピードに価値を求めないのも地方のいいところだと思うわけで。

徳島市一番町 (2月12日・木)


15時半過ぎに出て今日も徳島。沖浜のナカイで桶の中蓋を買い徳島法務局で登記簿を取り三菱東京UFJ銀行で振込3件。合計69万円。今日は「響」の練習なので会場に移動し車を置いて18時を回り両国で夕食。それまで駅前の一番町周辺を散策してみた。

かつて毎晩通ったBデザインのオフィスは今は学習塾になっていた。日比野病院の隣の喫茶店には高校時代によく行ったが名前に記憶がない。小山助学館は私が中学時代には徳島で一番大きな書店だったはずだが今行ったらあまりの小ささに感覚が変になりそうだ。

「横綱」という居酒屋を見つけたがJ社の部署の宴会で飲んだことがなかったか。確か米国人のキャプランが初めて参加した宴会で皇太子の結婚が決まったとニュースでやっていた日だったような気がする。キャプラン。勉強熱心だが変な日本語が面白かった。違う店だったかな。

でも父を呼び出して初めて酒を飲みながら話をしたのは「横綱」だった。それで思い出したが父の葬儀は4年前の今日だった。なので阿波観光ホテルにも行ってみた。父は仕事帰りに前の飲み屋で一杯やるのが習慣だと言っていたので。15年以上も昔のことだが。

アンサンブルコンテスト (2月11日・水)


11時を過ぎて起き出して昼食は鳴門の「いのたに」で徳島ラーメン。午後は昨日の練習を録音したICレコーダーのデータをノートPCに取り込んで「DigiOnSound 3」で再生。覚え切れていない箇所を繰り返し繰り返し再生させて頭に叩き込む。でも振りまでは頭が回らず。

15時過ぎに徳島市文化センター。心配していた駐車場は余裕で停めることができ早速楽屋に行って練習。ではなく雑談。上勝を出るとき舞台用の黒靴を忘れてしまい今回はE氏に借り15:45から15分間の練習。この段階で振りはOKだがリズムがダメ。

本番でも音と振りは大丈夫だったがリズムで失敗したところが2カ所。最悪なのが歌詞を間違って歌い出したところが1カ所。テナーの歌い出しが1小節早いと指摘されたところも。結局みんなメロメロだったわけだ。その割に審査結果は金賞・ベストハーモニー賞らしい。

さて今回の演奏曲は「夫婦喧嘩」というタイトル。歌詞は江戸川柳を繋ぎ合わせたものらしい。「女房を恐ろしがってただ帰り」「朝帰りそりゃ始まると両隣」。男声曲に相応しい歌詞だ。そしてお笑い「響」に相応しいノリだ。今回の演奏は出来はともかく楽しんだからヨシとしよう。

弟の帰省と「ソロモン流」DVD (2月10日・火)


鳴門。今日は父の命日なのだが弟が最近信心深くなったのかこの日に合わせ帰省してきた。それで母が4人で食事をしようと言い出したので行ってきた。私の「響」の練習時間に合わせ18時に徳島駅前。名店街の中にある中華料理屋。

弟は東京の大手出版社に勤めている高給取りだが話題は昨今いかに本が売れないかという話。50歳まで勤められるか分からないと言っている。安いコースでそこそこ食べて私は19時前に退席して「響」の練習。明日はアンサンブルコンテストの舞台があるがまだ音が怪しい。

男声合唱というと堅いイメージだが「響」はお笑いに走りがち。本当は基礎があって歌を聴かせて少しだけ遊びを取り入れるのが理想だが歌そっちのけで笑いに走る。それはそれで楽しいが私は音も怪しいのに振りまでは覚えられない。大丈夫だろうか明日。

妻は鳴門の実家からM嬢の車に拾ってもらってZ嬢んち。24時前に戻ってきてZ嬢が録画してくれた「ソロモン流」のDVDを2人で見た。なるほどこれを見たらフェイシャルヨガやってみたいと誰もが思うだろう。問い合わせ殺到の理由が分かった。

「ソロモン流」の反響 (2月9日・月)


これまでも高津文美子さんは「思いッきりイイテレビ」や「金スマ」に出演してきたが今回の反響が最も大きい。日曜日にテレビ東京系列で放送された「ソロモン流」である。放送中から問い合わせの電話がかかってきたし今朝から問い合わせ電話が数十件。

情報はWebにあるので電話をかけてくる人はインターネットを使っておらずテレビ局に問い合わせてこちらの電話番号を聞いていると思われる。ほとんどがDVDや本を買いたいというものだ。ちなみに最新刊はアマゾンの全体ランキングで瞬間ながら何と19位。前の本まで25位。

中には大企業からの講演依頼や超高級ホテルのスパでの講師依頼もある。Webにはヨガクラスの予定が3月までないことを書いているが4月以降の予約をしたいとメールが数十通も来たらしい。昨日のWebアクセスはリクエスト数が通常の30倍。先週の「おネエMANS」放送日の3倍。

「おネエMANS」のときは放送翌日の方がアクセス数が多かった。今回も放送が日曜だったため月曜に会社からアクセスする人が多いと思う。これで本やDVDが売れればありがたい。心配なのは商品の欠品だったりするのだが。

仕事とルピアと「ソロモン流」 (2月8日・日)


この1週間は喉の痛みはさておき熱はあったがさほど苦しくもなく。いや火曜と水曜の午後は寝たがそんな中一通り仕事は片付けた。まず月曜日に原稿1本。金曜日はスカイプを使ってボスと話をして事務局から諸々の資料をメールでもらい金曜から土曜にかけて原稿を書いた。

さらに48ページのゲラチェックはA社の校正とマージして追加の文章を作り差し替えの図を探し土曜日に送った。と言っても複合機で連続して読み込みPDFにしてWebストレージ経由。便利な時代だ。というか山の中にいて不便さが全くない。

今日は夕方から徳島へ。妻が長靴を買いに。ついでにルピアで買い物。そう言えば従兄弟がルピアで私を見かけたと叔母に言っていたらしい。従兄弟は私の移住を知らず何で小松島にいるのだろうと思ったそうだ。こうやって私の行動は誰かに見られている。気をつけておこう。

夜は高津文美子さんが出演した「ソロモン流」を見ようとしたらテレビ大阪が見られない。BSジャパンでも番組を放送していない。がっかり。さて風邪はまだ咳が出るし喉の痛みもあるにはあるがほぼ大丈夫。そんなわけで風呂に入った。数えてみたら1週間ぶり。

合唱コンクール (2月7日・金)


先日たまたまNHK FMで放送されていた全国学校コンクール中学校の部の合唱演奏を聴いた。「我が道標(マイルストーン)」。この曲を歌ったのは中学だったか高校だったかと思っていたら演奏後の講評によると1981年の高校の部の課題曲だったらしい。私が高校3年のときだ。

高校3年のコンクールは前年に続き金賞を獲得した。結果発表は会場で行われるのではなく18時台のローカルニュースで伝えられていたような気がする。演奏した徳島市文化センターの向かいにある徳島公園の芝生の上でOBが持ってきていたラジカセで結果を聞いたような。

部長だった2年生のW槻が泣いていたのを覚えている。茶店に何かを買いに行ったら前年の表彰状だかを渡された。前年の部長だったK元が置き忘れていたらしい。ともかく当時の私は反抗的な生徒だったが金賞は嬉しかった。夏休みはほぼ毎日練習をしていたわけだから。

それにしても課題曲と自由曲の2曲だけの音取りを6月頃から始めて夏休み中毎日2時間も歌い込んでいたことが信じられない。今なら音取り数回の週2回練習で1月歌えばステージに立っているわけで。今が安直なのか当時の蓄積があるから今があるということか。

風邪 (2月6日・金)


今まで病院に行ったのは健康診断とヘソの炎症で2005年6月に通った以外あまりない。記憶と記録にあるのは2005年1月から2月にかけて。父が亡くなる1週間前に松山から徳島に行った直前だ。その前は2004年1月。このときは酷かった。世田谷病院の混雑とともに覚えている。

さて今回。先週木曜日に喉が痛くなって1週間後に病院に行った。その時点でいい加減ピーク近くだっただろうと想像している。体も免疫君が直そうと努力していたことだろうから点滴打って薬を飲んだら免疫君の力を後押しして急速に回復するはずだ。そう思っていたのだけれど。

風邪は引き始めに直す方が早く直るの。とは妻の弁。引き始めだと悪くなる向きと薬で治る向きが拮抗して治りが遅いのではないのか。違うのか。何か私は勝手に変なイメージを持っている様子。いずれにしても本当は薬ではなく自力で直したかったのだけれども。

今日は母が午後シチュー鍋などを持ってやって来た。勝浦から電話して「今から行くから」と。やれやれ。とりあえず私は薬を飲んで食事に支障はなくなった。それでも痛いし咳は前よりも酷くなった。自力で直そうと意地を張ったのが悔しいけれども間違いだった。と今日も反省。

病院 (2月5日・木)


今日とうとう病院に行った。先週から調子が悪かった喉の痛みは悪くなる一方で月曜夜に熱が出たと書いたが火曜も水曜も午後は熱があった。37.7度とか。明日は良くなっているだろうと毎日過ごすのだが翌日になると逆に悪くなっていて。これはもう限界だと思い。

喉は食事を飲み込む度に痛む。昨日はバファリンを飲んで痛みを和らげてから食事をとった。水を飲んでも痛い。寝ようと横になると咳が出て眠れない。そのうち妻も風邪を引いて熱にうなされる状況になってしまった。午後から2人揃って初めての上勝町診療所。

外来を診ているのは医師一人と看護士3〜4人。よくある小さな開業医のような体制だが建物は立派だった。東京時代近所にあった総合病院の駒沢病院ぐらいあるのではないか。診察まで30分弱待ったと思うが患者は数人。通された点滴室にはベッドが6つもあった。

さて採血検査の結果は白血球が通常5,000のところ13,000でCRPという数値は通常0.1が4だと言われた。数値が10だと即入院とか。しんどかったでしょうと看護士さんに言われたが一昨年の高熱に比べて全然楽。逆にそれですぐ直ると勝手に思っていたのが間違いだった。

会議 (2月4日・水)


J社での仕事について昨日書いていて思い出した。なぜ私は会議が嫌いなのか。当時のJ社は会議が長くいつも始まる時間が大幅にずれた。例えば14時開始の予定が16時にずれさらに17:30に変わり夕食後の20時になり結局22時から始まるといったことは日常茶飯事だった。

あとの時間に予定があってもなくても構わず続けるのが当時の流儀だったが夜は余計に始末が悪い。徳島は車社会で終電という概念がなく本当にエンドレスになる。私は25時ぐらいまで会議に出ていたことがある。だから特に夜の会議と聞くとあの不毛さを思い出してしまう。

表計算ソフトで有名だったL社出身のY氏はこの状況を指して私にこう言った。「この会社って面白いよね。大事なことは夜決まるよね。でももっと面白いのは夜決まったことが翌日になったらまた元に戻ってることだよね」と。仰るとおり。

会議に何時間もかかるのは中心となる担当者がいなかったからだ。議事を進めるためには一人が方向を仮決めし論点を整理しておくべきなのに誰もしない。担当と呼ばれる人はただ会議を招集するだけ。誰もが知識と経験に乏しく皆で右往左往するしかなかったのかも知れないが。

走りながら考える (2月3日・火)


先日セノーさんと話をしていてJ社時代の仕事のあり方を思い出した。若い会社だったが業界もまた若く前例は会社にも業界にもなく試行錯誤の連続だった。だから常に走っていた。そして方向転換も頻繁だった。社長自身に迷いがあったのだろう。私たちはただ走るだけ。

中心にいる社長は向きを変えれば済むだろうけど外周を走っている我々はヘトヘトだよな。夫婦で勤めていたT氏がよくそうぼやいていた。それで私はあるとき堪らず新人なのに社長に意見した。仕事の準備を整えず着手してしまうようなやり方では非効率ではないですかと。

社長は「とにかく動きが速い世界だから考えてから歩き出したら遅いんだ」と言った。そう言えば当時これに似た比喩をよく聞いた。考えてから歩き出すのがA社。走りながら考えるのがB社。走って着いてから考えるのがC社。A社がIBMでB社がアップルでC社がJ社?忘れた。

でも確かにまずは走り理屈は後から考えるという世界だった。今のJ社は知らないが次第に理屈ありきの比重が高まったような気はする。あの頃はC社スタイルに辟易していたがA社のようなやり方を見ると今度はC社スタイルが懐かしい。中間を取ってやっぱりB社が正しいのかな。

ゲラチェックと発熱 (2月2日・月)


昨年11月と12月に引越準備と並行して進めていた原稿仕事のゲラが先週末に届いた。引越作業が控えていたため早めに入稿したのだが先方の都合で今になった。今日は通して読みながらチェックを諸々。これにA社側のチェックをマージして今週末に提出する予定。

それにしても読んでいると所々で引っかかる。たいてい編集部が手を入れて流れが悪くなっている箇所だ。編集部が切ったから意味が分からなくなったところに校閲さんが意見を付けていたり。なかなか一筋縄ではいかないものだ。A社のチェックを見てから判断しよう。

さて喉の痛みと咳は悪くなる一方。朝から昼はマシなのだが夜になると苦しくなる。さっき計ったら熱も出てきた。やれやれ。10月中旬以来ずっと風邪を引く訳にはいかないと思い続けて12月の体調不良も気合いで乗り切ったのに緊張が緩んだのかも知れない。

記録を見ると体調を悪くしたのは昨年は3月10日。一昨年は3月24日前後。その前は2月6日。2005年は1月末。2004年は1月下旬。今回も年中行事の一つだということで諦めることにする。とにかく一晩で高熱を脱した一昨年の合宿を倣って水だけは飲んでいるところ。

湿度と喉痛と加湿器 (2月1日・日)


冬は一般的に湿度が低い。東京で住んでいた頃は湿度20%という日もあった。ところが上勝の湿度は意外に高い。手元にあった温度湿度計が壊れているのかと思っていたが妻の友人が贈ってくれた電波時計に付いた湿度計でもやっぱり高い。

徳島新聞のWebによると同じ日でも鳴門より4%〜20%ぐらい高いようだ。加えて室内で石油ファンヒーターを使っているのも理由らしい。エアコンは乾燥させるが石油ファンヒーターは加湿効果があるらしく。低くて58%。高くて72%とか。だから事務所では加湿器の使用を止めた。

ところが寝室は石油ファンヒーターを使う間もなく布団に入るので湿度が低め。それが原因かも知れない。口を開けて寝ていて乾燥したのか木曜未明から喉が痛い。構わずビールも飲んでいたが酷くなる一方で今は喉全体が腫れた感じ。おまけに気管支も悪く苦しい咳が出る。

特に布団に入ると具合が悪い。熱はなく多分これは風邪ではない。古くなった布団の繊維に引き起こされているのではないかというのが妻の推測でとりあえず寝室では石油ファンヒーターで部屋を暖め加湿器を使い始めた。オーディオタイマーに繋いで深夜でも切ったり入れたり。

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© 2009 Takashi INAGAKI