2007年11月

イタリアのプログレ (11月30日・金)


最近イタリアの著作権に関わる仕事をしている。そんな縁でイタリアやEUに詳しい弁護士や大学教授に役所の方と話す機会がある。昨日はイタリア出張中のN弁護士がスカイプでフィレンツェの朝の町並みを見せてくれたし今日はローマと仕事の話をした。

そんな昨日アマゾンから配達されたのがイタリアのプログレバンドNew Trolls(ニュートロルス)のCD「Concerto Grosso」(コンチェルト・グロッソ)。実はAERAで来日公演が紹介されていて初めて知って注文していたのだ。数ヶ月も前のことで注文自体を忘れていたのだが。

欠品していたCDが届き聴いてみて驚いた。まさに私好み。ピンクフロイドの初期の厭世観とイエスのクラシックスタイルが合わさったような。それでいてハードロックである。特にヴァイオリンが良い。学生時代に聴いていたらはまっていただろうと思う。

学生時代はプログレッシブロックが好きでよく聴いたが英国のバンドばかり。欧州はせいぜいドイツのクラフトワークやタンジェリンドリームぐらいか。そう言えばイタリアに詳しい人が言うにはメンタリティが日本人に似ているそうだ。イタリアのプログレは意外にいいかも知れない。

全国大会のDVD (11月29日・木)


日本合唱コンクール全国大会の演奏DVDが届いた。専門業者が録音録画し著作権処理されているDVD-R。我が団の演奏だけが収録されている。1枚7,000円。4週間かかるとのことだったが注文から2週間で届いた。全出場団体名と日時が記載された特製クリアファイル付。

早速見た。演奏中の顔を見ることは普通ないので変な感じ。私は眉間に皺を寄せて歌っている。力を込めて体が動いていたと思っていたが意外に大人しい。団長の前のめりスタイルは知っていたが結構みんな動いていたのは意外だった。それだけ意志が統一されていたのだと思う。

さて肝心の演奏は四国大会に比べベースがよく鳴っている。課題曲「田植唄」が意外にいい。同じ課題曲を歌った大学Aの早稲田大学コールフリューゲルは金賞を獲ったが今もっても子供の田植え体験という印象が残る。一方の我が団はより土着的で曲に合っていたとやっぱり思う。

自由曲「勧請」はメーリングリストでも聞かれた意見だが途中破綻しかけて辛うじて留まったところがいくつか。それにあれだけ心を込めて演奏したのに迫力はまだ足りない。発声がバラバラだから個々のがんばりがパワーにならないのかも知れない。

それでも四国大会より明らかにうまい。破綻も少ないし何より統一された意思の強さを感じる。ただ曲間などでもう1呼吸分余裕を持てたら良かったと思う。それが経験の差だ。時間が経ち反省点ばかりが目立つが同時に銀賞を目指す道も見えた気はするのだが。

『憑神』 (11月28日・水)


妻は浅田次郎のファンで次から次へと本を買ってくる。私も何冊か読んだ。嫌いではないがファンというほどでもない。でも手元にあるし少なくとも失敗の確率は低いからついつい手に取ってしまう。そんなわけで読んだのが浅田次郎『憑神』(新潮文庫)。

舞台は江戸幕末。本所深川というから今でいう墨田区だと思う。麹町や半蔵門あたりも舞台の一つ。物語は酔っぱらって土手の草むらに隠れていた三巡稲荷を拝んだところから話は始まる。拝んだがためにありがたくない神に憑かれて右往左往するというお話。

そこに主人公の家が代々就いてきたお役目や婿養子先から離縁された不幸や相撲やら諸々の幕末の政治や文化のことが入り交じって話が進む。ただし江戸言葉で書かれているからすんなり読めない。妻はそこがいいのだと言うのだが。

商人・伊勢屋や相撲取り・九頭龍など憑神のユーモアとお家大事の侍気質が織り交ざった物語の上に読んでいると随所で裏切られる。それが面白い。特にラストシーンは意外だったがこの著者らしいかも知れない。筋を通した主人公にホッとする。

年末の帰省 (11月27日・火)


正月は今年も昨年も母を東京に呼んだ。父の命日が2月で法事があって帰省せざるを得なかったから正月の帰省は止めて代わりに母に来てもらっていたわけだ。私たちが帰省すると弟も含めて3人。母1人の方がトータルで交通費が安く付くという事情もあった。

2回の母の上京は私のマイレージを使った。今年「響」の練習やお遍路で帰省するときもたいてい妻のマイレージを使った。9月の合唱の四国大会はマイレージが足りず自費で行ったが調べてみたら2人分のマイレージが再び貯まっていた。

来年2月は法事がない。12月末はフミコさんも米国に帰るから仕事が来ても動きようがない。妻はお遍路に行きたいと言っている。そんなわけで今年は私たちが帰省することにした。でも今度は東京で義母を1人にしておくのも忍びなく元旦に帰京する予定。

元旦に帰京するので帰省も前倒し。こうすればマイレージも使える。そういうわけで12月26日(水)に徳島入り。徳島滞在中の2〜3日はお遍路の予定。冬の歩き遍路は夏よりマシだと踏んでいるがさて。それ以外は今から予定を考える。

『国家の罠』 (11月26日・月)


佐藤優『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて 』(新潮社)。著者は鈴木宗男議員に連座し東京地検特捜部に摘発された外務省職員である。この事件の背景にあった日露関係を巡る政治活動の詳説と拘置後の取り調べの様子が生々しく書かれていて面白い。

著者の立場から事件に関する事実を述べるという効果にもなっているが全体を通して印象深いのは国策捜査の手法に関することである。拘置3日目に「これは国策捜査です」と言った担当検事と著者は取り調べの中で取引をしていく様子がリアルに書かれている。

登場人物は外務省職員や三井物産社員に検事に至るまでほとんど実名。日露問題で関係の深かった大学教授が供述調書で裏切るところまで実名で書かれている。一方でロシア情報のスペシャリストとして仲間は絶対に裏切らないという著者の姿勢もよく伝わってくる。

体制の内側にいるとする著者が「国家が本気になれば事件は簡単に作られる」と言う。役者(被疑者)を決めて物語(事件)を作り役者をはめ込むという捜査手法も拘置所内の生活もよく分かる。当時は私も信じ込んだがニュース報道を鵜呑みにしてはいけないという実例でもある。

文章の校正 (11月25日・日)


読みやすく分かりやすい文章にするために人の目は欠かせない。そんな単純な法則を知らない人が世の中には多い。有名作家になれば例外だろうが通常は人に見てもらって赤を入れてもらう作業をしないと独りよがりの読めない文章でしかない。

会社に入って2年目か3年目の頃に社内報の原稿を書いたことがある。提出したら赤字を散々入れられて戻された。文章に自信があったわけではないが当時の社内報編集者より文章力はマシだと思っていたから反発した。でも読んでみたらいちいちもっともな指摘だった。

このときによく分かった。完璧と思った文章も人には伝わらないものなのだと。だから第三者の目を経ないと逆に危ないのだと。新聞業界では記者が書いた記事はデスクや校閲と何度も修正が加えられると知ったのはこの頃だと思う。プロでも第三者がチェックするのである。

私が仕事をするA社では外部に出す文章は必ず4人の部員が赤を入れる。好みの違いもあるが多くは修正された方が圧倒的に読みやすい。だから個性を全面に出す文芸作品以外については何人もの目を経て文章を変えないといけないと思う。私にとってこの日記は例外だけど。

プリンタのトナー交換 (11月24日・土)


カラーレーザー複合機のトナーが切れかけていると前に書いた。最近はカラー印刷を控えモノクロ中心で使っていたがモノクロでさえかすれてきて面倒だから全色を一気に換えた。9月末時点で1月前から警告が出ていたと書いてある。警告が出始めてから3ヶ月弱持ったことになる。

トナーカートリッジには2種類あって2,000枚印刷できるものと6,000枚のものがある。標準品がどちらか分からないがそれでも2,000枚も印刷していない。と思っていたがプリンタの設定画面を見ると4,000枚弱とカウントされている。うちカラーが1,000枚弱。

しかも買っていたA4用紙500枚×10冊の箱に残り3冊。元々あった用紙もB4用紙もあるから確かに4,000枚ぐらいは印刷している様子。妻が一時原稿校正で大量に印刷していたし製品説明などでカラー印刷していたからそんなものなのかも知れない。

トナーは換えたが今度は廃トナーボックスが満杯近いとメッセージが出始めた。こちらはモノクロなら4万枚持つと書いてあるが何か使い方が悪いのだろうか。いずれにせよこれも注文しておかないといけない。その上でトナーの回収依頼も必要。カラーレーザーは手間がかかる。

合唱コンクールの審査 (11月23日・金)


今日は東京男声合唱フェスティバルというイベントがあり聴きに行こうと思っていたが風邪が治らず諦めた。先日の全国コンクールでの金賞受賞団体も演奏するので聴いてみたかったのだが。出場団体の名前で検索すると混声合唱団の男性メンバーだけのユニットも多い様子。

さて我が徳島男声合唱団「響」の全国合唱コンクールの審査結果が15位だったことは前に書いた。審査員9人が付けた順位の加重平均は13位だから変だと思い調べてみた。これは新増沢方式という採点方法によるものなのだそうだ。

要は審査員9人中1位の数が最も多い団が総合1位。2番目に1位の数が多い団が総合2位。そうやって上から決めていく方式らしい。公表された基準がなく審査員の好みと言って良さそうな審査で総合順位を付けるにはいい方法なのかも知れない。

審査員のバラバラな感性が多様な演奏を評価することを担保しているとも解釈できる。さて審査は下から決めた人もいるだろう。なので新増沢方式で16位から決めたらどうなるか試してみた。結果1位と16位は変わらず「響」は12位。銅賞には変わりないがこれにも納得した。

灯油と加湿器 (11月22日・木)


昨日書いたばかりだが早速に灯油を買った。18リットルタンクを2つ分で4,000円。昨年は3,400円だったから2割近く値上がりしている。来月にはさらに1割ぐらい値上がりするだろうと言っていた。

昨年末から灯油を配達してもらっているのは義母のマンションの大家さん。それまではENEOSのGSから配達してもらっていたが大家さんが灯油屋さんと知ってから毎回頼んでいる。配達料を含めGSより若干安い。

電話をして名前を言うとすっかり覚えられている。マンション名を言うまでもない。あまり配達先がないのか電話するとすぐに来てくれる。タンクに注油中も終わってからもしばらく雑談。

今日は加湿器のメインテナンスもやった。我が家の加湿器その1は水タンクに金属棒2本が突っ込まれている単純な機構のもの。効率よく蒸気を発生させるには棒に付着する不純物を落とさないといけないのだ。

多分2年ぐらいやっていなかった。今日の作業でスッキリしたか蒸気の出もよくなった様子。東北では何十センチもの積雪らしい。一気に本格的な冬支度になった。

風邪 (11月21日・水)


風邪を引いた。月曜夜から変だったが構わずビールを飲んだ。深夜に喉の痛みで目が覚めた。火曜夕方からは熱っぽくなってきた。水曜になり喉の痛みは小さくなったが鼻が詰まる。元々は金曜から熱っぽい感じがあったのだった。ちょっと油断した。

先週から寒くなった。なのに最高気温が20度の日もあった。揺り戻しの寒さに体がついていかない。うどんやラーメンを食べて汗をかいた後に気持ちがいいからと冷たい外気にあたって冷えたりしたのだと思う。駅まで歩くとたいてい汗をかくから薄着でいたのも悪かった。

風邪を引いたのは3月の徳島以来かも知れない。その後は割と快調で禁酒と言ったときも結局3日飲まなかっただけ。もちろん昨日から禁酒再び。この風邪も禁酒のいいきっかけである。この時期に風邪を引くのは冬を越すために悪くないような気もしている。免疫ができるような。

それはともかく火曜からパッチもはき始めた。気づけば部屋の湿度は40%以下で加湿器も使い始め外出時はマスク。灯油はまだ買ったおらずエアコンの暖房でしのいでいる。週末には灯油を配達してもらおう。冬支度。去年も同じ日に同じようなことを書いている。

『新聞辞令』 (11月20日・火)


高杉良『新聞辞令』(集英社文庫)。珍しく就職してから読んだ本の再読。多分この著者の『広報室沈黙す』という本が当時広報担当だった私には面白く読めて買った2冊目だと思う。でも最初に読んだ本は行方不明。それで仕方なく読んでみた。5つの短編が収録されている。

どれも企業小説だが表題作は社長人事を巡る社内の派閥抗争に新聞による社長人事のすっぱ抜きが絡むのがミソ。会長と対立する社長が新聞辞令を利用して後任社長人事を敢行するという物語。新聞記者や広報担当者が準主役なので広報畑の私にはまずまず面白い。

でも2編目もモチーフが同じ。朝トイレで読んでいた新聞の記事に驚いて飛びだしてくるといった描写も同じ。舞台を変えただけでよく似たパターンの小説のつまらなさ。3編目は日本興業銀行の実名小説。4編目は倒産した大沢商会で5編目は三越がモデルと解説にある。

でも何だかストーリーをなぞっているだけで全然臨場感がない。主人公の視座も定まらない。企業の中を少し覗いてみるという意識で学生が読むには向いているかも知れないが実体験を積んだ後では何とも物足りない。ちょっとガッカリ。

ホームパーティ考 (11月19日・月)


ホームパーティをやって分かったお客様の行動パターンがある。今回は妻も初対面だった人が4〜5人いた。お客様同士で知り合いなのは3組ぐらい。妻としか繋がっていないメディアの人も数人いたし集英社の方など同じ会社なのに雑誌と書籍で初対面らしく挨拶していたり。

そんな薄い関係の人たちだから一応皆さん遠慮がち。例えば来る人はみなリビング入口で挨拶される。勢い通り道がふさがれる。あるいは家中のイスを総動員して置いていたが皆さん最初はリビングの床に座られる。イスの分が使われないから皆さんがいるスペースが狭くなる。

だからと言って次のパーティに生かせる教訓がない。リビングの入口は1つしかない狭いマンションの一室なのだ。工夫するにも限度がある。リビングのスペースを最大に使うべくテーブルやイスを再配置したわけでさらに広いスペースを生み出すのは無理なのだ。

でも入口での滞留もイスの不活用も遠慮が原因。解決策は何度も繰り返しやるしかないのかも知れない。土曜夜に仕事半分で来る人もいないかも知れないが電車で2駅の人も数人いたので年に何度かの宴会など。こっちに遠慮も配慮もないので2回目以降は平気だと思うわけだ。

男の子 (11月18日・日)


昨日のパーティでは4歳の子が2人いた。聞けば誕生日が2日違いの男の子と女の子。女の子とはシャスタでも一緒だったけど男の子とは初対面。パーティは妻の仕事関係の人ばかりで私はコートを預かりハンガーに掛け新しいお客さんを迎えるようなサポート役。

一通り挨拶はするが誰が誰だったか片端から忘れる。しかも土曜日のホームパーティだから名刺がない人が多い。それでエネルギーが有り余っている4歳の男の子が走り回らないよう捕まえ遊び相手を始めると キリがなくなってしまった。

体ごとぶつかってくるからこっちも抱え込んでくすぐっていて思い出した。6つ年下の弟とよくこうやって遊んでいたことを。やりすぎて弟が泣き出し母に怒られたこともあった。弟が5〜6歳の頃だっただろうか。ある日のことをとてもよく覚えている。

後から来たPDAの師匠で新聞記者M氏の子どものあしらいを見て感心した。2人の男の子のお父さんでさすがに慣れている。私は最初こそ子どもと遊んで面白がったが体力が持たない。それより面倒になる。こんなのが家にいたら大変だと私に子がなくて良かったとさえ思った次第。

ホームパーティ (11月17日・土)


キャロルが来日したのでパーティを行った。と言ってもお金がないので我が家で。ホームパーティである。18時からの予定だったが子どもがいる人は早めがいいだろうと16時から先行。キャロルは14時前に来たが風邪で体調が悪くベッドで寝てもらっていた。

フミコさんとテレビで共演した野菜ソムリエ安原さんの友人でお茶のソムリエMさんが最初のお客様。同じく安原さんの友人の野菜ソムリエの方。キャロルの本の翻訳家カオルさんとご主人とベネッセの編集の方2人。さらに集英社から編集の方数人と幻冬舎の方。

キャロルとカオルさんフミコさんに私たち夫婦5人を含めてピーク時に15人以上と子ども2人。イスを総動員したリビングに結局みなさん床に座り込む。入れ替わりで20人以上来られたはず。キャロルは風邪なのに別室で皆さんのリーディング。新聞のMさんも信じてしまったとか?

走り回る子どもが2人いたから混乱したが大人だけなら15人のパーティはできるかも。キャロルのリーディングに使った妻の部屋も使えば狭いが20人は入れる。メディアの方との懇親会は次も家でいいかも。それにしても集英社幻冬舎の方の編集魂には心打たれた。23:30頃解散。

男声合唱 (11月16日・金)


私が男声合唱を初めて聴いたのは大学の入学式だと思う。講堂で校歌だか賛美歌を歌うとき超有名だったグリークラブがいつの間にか中2階席にいて頭上から音が降ってきた。高校時代に混声合唱部にいた私は驚いたし感動した。男声合唱の格好良さに参ってしまった。

とは言いつつ結局大学では入団しなかった。いや入団したのだが仮面浪人の後3回生になってから。2回生にとっての私は上回生なのに新人という中途半端な存在で扱いにくそうだった。それで御所での少人数の自主練習に数回行って新人歓迎コンパに行っただけで辞めた。

学生時代は何度か男声合唱を聴きに行った。友人Kが関西学院大学グリークラブにいたからだ。男声合唱を聴いて一番感動したのは彼の結婚式の2次会。90年頃の神戸。普通のレストランに座ったまま彼の仲間数十人が周りで歌い始めた。これには鳥肌が立った。

95年の「響」結団前に現指揮者から誘われたとき合唱には興味がなかった。でも男声というのに少し惹かれた。入学式やKの結婚2次会で聴いた感動を思い出した。それから12年。今年ほど合唱に浸ることはもうないだろう。記念としてコンクールの演奏DVDを注文してしまった。

審査結果 (11月15日・木)


コンクールの詳細な審査結果が届いたと団長から連絡があった。出演した一般Bの16団体の中で我が「響」は15位だった。9人の審査員の中に16位を付けた人は1人もいない。15位の人も2人だけ。加重平均すると13位なのだが何故15位になるのかは今度誰かに聞いておこう。

審査員の中で韓国合唱連盟会長が銀賞に当たる9位を付けてくれている。しがらみがない人には魂が伝わったものと勝手に解釈して喜ぶことにする。最下位を付けた審査員がいなかったことと相まって進歩は進歩なのだろう。素直に喜ぼう。

合唱という音楽ジャンルである以上は技術の土台がないと高い評価にならないのは当然である。魂だけで歌うのならミュージカルにでも転向するほかないだろう。それを承知の上で「響」は全国コンクールに出ても実力は下位で今後の目指す方向性も違うとよく理解した。

それでも私個人は技術を向上させたいとも思う。技術が高まった先に表現の幅があると思うから。金賞団体は技術の先にある表現を獲得したから金賞なのだ。どこかでつまらないと思っていた合唱の奥深さに触れたようで個人的にはそれも良かった。いい経験だった。

コーヒーメーカー (11月14日・水)


我が家のコーヒーメーカーはポットを外すと抽出中のコーヒーがドロップしないような機構付き。先日ポットをセットし忘れたままコーヒーメーカーを作動させた。当然ドロップしないのでペーパーフィルタ部分にコーヒーが溜まるばかり。

ペーパーフィルタ部分に満杯になったコーヒーの中ではコーヒー粉が舞っていただろう。そこにお湯の抽出口も浸かっていて一部が逆流したのかも知れない。ドロップしない機構のおかげで台所をコーヒーで浸水させることは避けられたのだが壊れてしまったようなのだ。

お湯の抽出口からは水蒸気が出るばかり。1日は普通に使えたはずなのだが何をやっても元に戻らず分解しても原因は分からず。土曜日はホームパーティの予定で修理に出す時間的余裕もなく。出しても数千円かかるのなら新しいのを買った方がマシでもあり。

それで昨日買ってきた。今まで使っていたのはポットが金属製。買ったのは同じメーカーのガラスポットモデル。これに今までの金属ポットを組み合わせることにした。金属ポットは保温性が高いが容量が小さい。大人数用にガラスポットも使えれば一石二鳥というわけで。

歌は魂 (11月13日・火)


我が「響」の指揮者がブログで私の昨日の日記を引用したと連絡してきた。いや恥ずかしい。でも合唱コンクールの世界は芸術の前提として結局は技術を求めているのだろう。だとしたらやっぱりそんなコンクールはつまらないと思う。

私は中高時代に合唱をやっていたが当時は技術の向上だけが練習の目的だったと思う。合唱技術を高めればそれが芸術だと漠然と思っていた。でも妻が日記に書いている通り音楽芸術とは魂に訴えるものではないか。技術ではなく。私がそう思うようになったのは10年前。

それは劇団ふるさときゃらばんのミュージカルに「響」のメンバーと出演したときのことだ。合唱をすればいいと思っていたのにミュージカルを演じさせられた。その中に「ツバメよ飛べ」と全身を使って歌う曲があった。動作は自由。でも素人に何ができるわけではない。

演出家は私たちに「バカになれ」と言った。「自分が感動せずして客が感動するわけがない」と言った。「全身を使って心から叫べ」と言った。「きれいに歌うな」と言った。仕方がないから本番では必死に体を動かし叫んだ。見ていた友人はそのシーンが一番感動したと言った。

このときに歌は技術でなく魂だと知った。だから私は技術だけに立脚する合唱をつまらないと思う。技術向上への努力は大切だがそれ以前に魂に訴える心を持つ方が大事だと思う。そういうわけで少なくとも演奏者である自分たちが感動した今回の演奏には満足と誇りを感じている。

合唱コンクールの審査 (11月12日・月)


合唱コンクールの審査基準はどうなっているのだろう。私のような素人で判断できる差もあるが順位を付ける客観的な基準はないと思う。演奏後に帰って妻と話をしたのだが合唱にもフィギアスケートのように技術点と芸術点を付けて公表してくれればいいのにと思う。

審査の観点が複数あれば例えば技術点は最下位でも芸術点で20団体中10位なら納得もできる。あるいは合唱経験者に限らずプロではない審査員を複数委嘱して審査してもらう方法もあると思う。プロの評価は低かったが素人審査員は感動してくれたならそれもうれしいと思う。

こんなことを考えるのも昨日の演奏が私たちなりに感動しているからだ。でも銅賞。それに納得がいかないというのではなく審査基準が分からないから何を評価され何が失敗だったのかが分からないということに疑問を感じるわけなのだ。

いや減点ポイントは自分たちで分かっている。それでも3分類された賞では評価が中途半端と感じるのだ。審査基準が分からないコンクールはつまらない。下らない。価値軸が1本あるが曖昧。しかも多様性がない。これでは合唱人口が減るのも道理だと思うわけである。

全日本合唱コンクール (11月11日・日)


土曜日に聴いた大学と一般Aの感想から単に正しい演奏ではなく感動できる演奏のため子音を強調すべきだと皆にメールして朝9時前に池袋。東京芸術劇場リハーサル室で直前練習。9時過ぎに鍵を受け取り9時半までほぼ全員が揃い練習開始。12時までたっぷり2時間半。

土曜夜の2.5時間練習は平気だったが今朝の練習で精気がなくなった。そう言えば土曜夜は緊張からか寝付けず夜中にも起きて「天下法界 」という夢を見ていたのだった。お昼は池袋で助っ人のN氏と昼食をとり上野の喫茶店で時間を潰し精気が蘇ったあたりで集合時間。

舞台では周りの人の音が聴こえないと聞いていたが実際に声を出すと普通に聞こえる。それで特に問題なく実は気持ちよく歌った。いや歌っている最中は指先がしびれ出すほどで何かが違ったのだろうけど少なくとも私は歌えた。どうも皆も同じ感覚だったらしい。満足感があった。

演奏後はチケットを無くしたという団長に付き合いレストラン。審査結果は他団体の銅が続くから期待したが結局は銅賞。金銀銅の必ずどれかはもらえるのである。3年連続5度目の挑戦も銅賞だったが実は私には充足感がある。打ち上げから帰って妻と話して感動に浸っている。

合唱コンクール前日 (11月10日・土)


休憩後の11:40の開演ギリギリに上野・東京文化会館。大学B部門の後半を聴いた。我が徳島大学リーダークライスは意外と言っては失礼だが私には十分に合格点の演奏に聞こえた。驚いたは関西学院大学グリークラブが40人しかおらず演奏もパッとしなかったこと。

私が学生の頃なら100人ぐらいでド迫力の男声合唱を響かせていたのに何とも寂しい。夜飲みに行った仲間に聞くと広島大学も一橋大学も男声合唱は10人だとか新人が入らなかったとかの話ばかり。これほどまでに時代は変わるのか。連まない学生気質の反映か。

さて演奏は宮崎女子短期大学合唱部がダントツのうまさだった。どの団も音程も発声も問題ないが迫力がない中で宮崎は全く違った。音程と発声が完璧な上に子音の使い方が素晴らしく情感の表現が全然違った。感動させる演奏とはこういうものなのだと勉強になった。

大学A部門の少しと一般Aを少し聴いたが飽きてしまった。夜は亀戸で合同練習18時から。1時間ほどで学生たちが結果を聞きに会場に戻りおじさんたちばかりで3時間弱。終了後は雨の中事前に調べておいた宮崎地鶏専門店へ9人で。本番は明日。成否は朝の練習の出来次第か。

ウィスキー (11月9日・金)


友人がブログでウィルスキーのことを書いていた。サントリーオールドが最近のお気に入りなのだとか。私が学生の頃は定番だった。高校を卒業して友人の家に遊びに行くのに近所の真田酒店に行って何を買えばいいか相談したら奨められたのがこれだった。

今は全く飲なくなったが学生時代のコンパの2次会はウィスキーだった。それで思い出すのが私の失敗。1983年か84年のGW。アマチュア無線同好会JA3YCZでBOX(部室)に泊まり込み徹夜で無線交信をしたときのことである。無線機に向かわない部員は廊下で酒盛り。

そこで飲んだウィスキーに思わず「うわー不味い」と言ったのだ。多分その1ヶ月ほど前に飲んだウィスキーと味が違うというだけだったと思う。言って周りの空気が微妙に変わったのに気づいた。理由はそのウィスキーが卒業したばかりの先輩の差し入れだったからだった。

その先輩が目の前にいた。実家が酒屋で宝酒造に就職していたのにサントリーの一番安いウィスキーを差し入れていたのだった。このときの経験は酒席の発言には気をつけるべきと知った教訓だ。もっとも以後も酒席の教訓を作り続けるのではあるが。

2人で練習 (11月8日・木)


合唱コンクール全国大会が週末に迫り助っ人のN氏との合同練習を行った。A社の会議室。小さなキーボードを持って行き18時過ぎからまずは発声練習。家で練習していたがきちんと声を出すのは四国大会以来で少し戸惑う。

自分のことは棚に上げN氏の発声に注文をいくつか。なるほど人はこう聞こえているのかと思う。私が指揮者に指摘されても自分ではよく分からないが人の声は何が悪いかよく分かる。我が指揮者は天才だと思っていたが人の声なら分かるものなのだな。知らなかった。

少し時間をかけて発声練習をやってから曲を歌ってみる。N氏は独学ながら音も歌詞も完璧。あとは長音の長さと休符。細かなクレシェンドや息継ぎなどの注意をすればよい。ときどき止めて楽譜を見ながら解説するのだが私も四国大会時点の歌い方だから少々不安。

それより問題は発声である。20年近いブランクはすぐには戻らない様子。私は歌詞のパターンを忘れて間違うこと数度。これはまずい。前日の合同練習では発声も歌詞も音程も完璧にしておきたい。気になるので明日も2人で練習することにした。

防犯対策 (11月7日・水)


我が家は3階建てのマンションの3階で狭いベランダが2カ所と5畳ほどあるルーフバルコニーがある。2カ所のベランダは普段いるリビングと私の部屋に面しているがルーフバルコニーは寝室からしか出られない。寝室にはもちろん日中は誰もいない。

このルーフバルコニーは我が家の防犯の上で最大の弱点である。日中はいない寝室側だしマンションの共同廊下から塀というか手すりを2カ所飛び越えればルーフバルコニーに至る。マンション屋上からも飛び降りられる。それでいて春から秋まで窓を開けっ放しにしている。

そこで引越当初から赤外線センサーを付け人の動きを感知して音や光が出るようにしていた。そしたら夜中にセンサーが動作して警告灯が点いたことがある。慌てて見たらネコだった。最近は毎朝6時前後に警告音が鳴る。カーテンを開けて見たらスズメである。

そんなわけで防犯対策のつもりが6時前後にやってくるスズメに反応したセンサー警告音で起こされる始末。先日警告音を最小にした。秋も深まり寒くて窓は閉めたっきり。警告音は威嚇になれば十分である。そうやって防犯だったはずが妥協を始めてしまうわけなのだが。

VistaとOffice 2007 (11月6日・火)


妻がWindows Vistaに悲鳴を上げている。あまりの操作性の変更に対してだ。いやVistaはまだよい。問題はOffice 2007である。WORDもEXCELも操作性ががらりと変わって戸惑っている。前と同じメニューさえないのだから困惑する。そしてイライラする。さらに腹が立つ。

操作性が変わることは私も知っていてそれでも慣れれば使いやすくなるのだろうと考えていた。でも半年経っても妻は慣れない様子。それより最悪なのがファイル形式の変更である。素直に保存したファイルを仕事先に送ると先方で読めないという「事件」が頻発している。

ファイルの拡張子が変更されるとは私も知らなかった。誰かに送るためのファイルは保存するときにはいちいち旧タイプを選ばないといけない。旧タイプをデフォルトにする方法はないかと調べたがどうもない様子。全く使い物にならない。

検索性などを考えたファイル形式らしい。でも結局はユーザーに犠牲を強いる。WORDとEXCELは仕事のインフラである。我がJ社がやった過去の失敗に何も学んでいない。学んだ人がいなくなったのか。とにかくOfficeは使わざるを得ないのだからどうにかして欲しいのだが。

『楽園』 (11月5日・月)


『模倣犯』の続編とも言える宮部みゆき『楽園』(文芸春秋社)を読んだ。交通事故で死んだ少年が生前書いていた不思議な絵の真相を求めて母親が主人公を訪ねてくるところから小説は始まる。主人公は『模倣犯』で犯人を追い詰めたルポライター・前畑滋子。

私のJ社時代の同僚に同名の友人がいて最近も一緒に飲んだ。年齢も主人公と近いはず。だからこの前畑滋子シリーズを読むとついその友人を想像してしまっている。彼女のご主人がライターさんというのも連想関係を強くさせている。

そう言えば友人と同姓の男性が書いた本を今年の夏に買った。著者は彼女のご主人に違いないと先日飲んだときに話題にしたら全く別人でガッカリした。それならば次に飲んだときは彼女のことを前畑さんと呼ぶことにしよう。多分とても嫌がられるような気はするのだが。

さて作品。妻は『模倣犯』の方がいいと言うが私は逆。上下2巻だから大部だが『模倣犯』ほど長くない。ストーリーが込み入りすぎてなく犯人の心理や行動の執拗な描写がないのも良い。前畑滋子の世界が熟成してきて安心して読めたのも良かったのかも知れない。

打ち上げと携帯メール (11月4日・日)


来週ある合唱コンクール全国大会の打ち上げ会場を予約した。2週間前から参加者の確認を始めて当初はなかなか返信がなかったが土曜日までに全員から返信を得たと思う。出場者の名簿は持っていないので何となく人数を合計したら全員だろうという感覚でしかないのだが。

全国から集まった合唱団が当日打ち上げを行うはずだから早く予約しないと会場がなくなると徳島からは言われていたが場所は上野である。神田や浅草お茶の水まで含めれば1週間前で十分だと高をくくっていた。懸念は日曜日だから閉店が多いかなというぐらい。

金曜日夜中から「ぐるなび」で検索を始めて候補をいくつかピックアップ。できれば個室で料金は高くなくコンクール会場から遠くないという条件。学生は演奏後に徳島に帰るから打ち上げはおじさんばかり。第一候補であっさり予約が終わってしまった。

さて全員への連絡はメーリングリストを使うが打ち上げ参加者だけへの連絡は同報メール。そこでアドレスを整理して登録していたら7割が携帯メールだ。平均年齢45歳のおじさんの携帯メール。そんな時代なのかと驚いた次第。

『役員室午後三時』 (11月3日・土)


高校卒業後初めて読んだのが『総会屋錦城』だと書いたのは間違いだ。谷沢永一なんかの方が先だった。しかも城山作品で最初に読んだのはこっちだと思い出した。何かの経済事件で知ったと書いたのもこの本のことだと思う。城山三郎『役員室午後三時』(新潮文庫)。

1982年秋。三越で催されたペルシャ秘宝展の出展物が贋物だったと大騒ぎがあった。しかも社長の愛人の納入業者に不当な便宜供与があったとかで大スキャンダル。この騒ぎで社長は取締役会動議で突然解任され社長が言った「なぜだ」という言葉は流行語になった。

『役員室午後三時』は取締役会の緊急動議で社長が解任される場面が三越事件と同じだと報道で知って読んだのだと思う。文庫は1975年発行。物語は華王紡績という名の大会社を舞台にした企業小説。会社を舞台にした実力社長と元腹心の人間ドラマである。

社長は業績や社員との一体感など過去の栄光が忘れられず虚栄心だけが経営の判断基準になっていく。そこに運命共同体を唱える元腹心が会社のためには社長こそ阻害要因と対決を挑む。出自や経験が生む価値観の差と社長の悲哀。著者は新しい経営者像を示そうとしたのかも知れない。今となってはそれも古いが企業人なら面白く読めると思う。

Edy (11月2日・金)


いつもコンビニでは現金で支払う。198円のペットボトルを買うのに200円を出して1円玉2枚を受け取る。いつも行くコンビニはSUICA決済もできるのだが習慣で小銭を出していた。でもオートチャージのパスモに変えたわけだからコンビニでも使ってみようと思い立った。

そう思ってレジに行ったらEdyの文字が目に入った。D社にいた頃1Fのコンビニではクレジットカードに付いていたEdyで支払いをしていたことを思い出した。もしかしたら残金があるかも知れないとEdyで決済したら何と6,200円も残っていた。ちょっとビックリ。

Edyもレジに行けばクレジットカードからチャージすることができるはず。でもD社1Fのコンビニで試してみたらできなくて現金1万円を出してチャージしてもらっていた。クレジットカードからチャージできたらEdyを使うのとパスモはどっちが得なのだろう。

電子マネーは他にも種類がいくつかあるが訳が分からないのでこれ以上増やしたくない。電車用は関西版もあるし福岡ではニモカとスゴカだって。互換性はあるのだろうか。少なくともEdyは全国共通だろう。これからはもう少し電子マネーを使ってみることにする。

パスモ (11月1日・木)


パスモカードが月曜に届いた。9月末に新しいJALカードを申し込んで申請用紙が届くまでに3〜4日。10月13日に新しいカードが届いてここからやっとパスモの申し込み。これはWebだけでできた。オートチャージ機能付きパスモが届くまで4週間と書いてあったが結局は2週間だった。

クレジットカードを換えたわけだからカード支払いの登録の変更も必要だ。このカードで支払っていたのは幸い1カ所だけだったからすぐに済んだがJALの登録も変えないと。そして旧カードの退会と廃棄。手続きはやっぱり面倒だ。

パスカードは既に使い切り最近はSUICAを使っていた。A社の往復も9月からは後から精算することにしていたので料金の減りが早くSUICAへのチャージは10月だけで2回もした。でもパスモが届いたのでSUICAは用なし。母が上京したときのためにでも取っておこう。

早速パスモを使ったら改札で一瞬引っかかった後オートチャージ3,000円の表示が出てあっさりチャージされた様子。残額2,000円を切ると改札通過時に3,000円がクレジットカードからオートチャージされる。券売機でお札を入れていたSUICAと違いこれは便利だ。

<Diary Index Page>
<Top Page>

© 2007 Takashi INAGAKI