2009年1月

携帯電話の外部アンテナとアダプタ (1月31日・土)


携帯電話の外部アンテナとイヤホンマイク両方が使えるアダプタがあればいいのにと先日書いたが怪しいアダプタを見つけた。説明によると充電プラグとイヤホンマイクが同時に使えるものであって外部アンテナが使えるとは書いていない。でも値段は1,000円。ダメ元で買ってみた。

結果は×。そのことは諦めたが今日は山を下りて小松島のNTTドコモに行って外部アンテナをもう1台借りてきた。1台目は私名義で借りたので2代目を妻名義で借りるために彼女が東京出張から帰ってくるのを待っていたのだ。妻が往復を運転し帰宅してから早速取り付け。

1代目はアンテナ面を東西に向けたが今回は上下に向けた。紙テープで固定させているだけなのだが上下の方が取り付けが簡単だったもので。でも上下だと電波強度はやっぱり弱い。それでも入感するからヨシとしよう。早速かかってきた電話には折り返して電話できたし。

さて先のアダプタはアマゾンで買った。東京では深夜に注文したら18時間後に届いたりしたが上勝では発送から丸2日。それは徳島市でも同じはずで仕方ない。それはともかく買ってしまったFOMA用アダプタ。電源とイヤホンが同時に使えるものなのだが誰かいりませんか?

週刊新潮と発売日 (1月30日・金)


週刊新潮を買ってきた。1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件の実行犯を名乗る人物の告白を載せた話題の号だ。朝日新聞が反論記事を載せているが新潮は来週も続報があるだろう。朝日の反論がどう変わっていくか興味がある。

それはさておき週刊新潮を買ったのは隣町にある小さな書店。10kmぐらいだったから車で10分強。面倒だけど仕方がない。東京でだって電車の移動途中に買っていたわけだが駅まで10分歩いていたのだから。価値ある情報の入手にはコストがかかる。そう納得しておくことにする。

ちなみに今日の書店で配達の可否を聞いたら上勝までは行けませんと言われた。それはそうだ。320円の週刊誌を往復20kmかけて配達していたらガソリン代だけで大赤字になってしまう。週刊誌は何かのついでに隣町に買いに行こう。

さらにちなみに週刊誌の入手は東京に比べて1日遅れ。木曜発売の週刊文春は木曜には買えない。昨日は徳島市に行ったついでに駅ビルの書店に寄って買った文春は先週号。先週号を買っていなかったので1日遅れでちょうど良かった。今日は今週号の文春も買ってきた。

町内企業の見学 (1月29日・木)


役場のK課長が8:30に来てくれて今日は町内企業の見学。事務所で少し話をして9時過ぎに出発。まずは葉っぱビジネスのいろどり農家Tさんに話を聞きに行った。作物の育て方は試行錯誤だそうだ。30分ほどかけてビニールハウスの中などを見せてもらい次は農協。

出荷はここから行われる。農協のN課長によると農家によって作物が違うとか。日射量や土や水分は隣の畑でも違うらしい。やるなら最初に得意な木を季節毎2つぐらい持つのがコツで冬期の育て方が大事だと。と言っても木が育つまで10年かかれば安易に参入できる仕事ではない。

続いて地元産の杉を加工販売している株式会社もくさん。防腐防蟻の含浸処理施設や廃材をチップにする機械などを見学。さらに椎茸の菌床生産や加工を手がける上勝バイオ。いろどりは有名でも年間売上2億円台。対して椎茸は30億を売り上げるらしい。

さらに道すがら棚田や荒廃した杉林の説明を受けながらK課長の自宅まで行き山を下りて有限会社環境とまちづくり。初対面のお二人SさんとMさんにご挨拶。午後は月ヶ谷温泉のWebをリニューアルしたビザンコムの近藤社長が来て雑談しばし。夜はテレビ徳島の取材の中で響。

地元で激論 (1月28日・水)


今日はM社のM氏とN社のM氏が東京から来ていて会議をやっていたらしい。私は関係ないが昨日の夕食に誘われていた。月ヶ谷温泉。初めて会ったのはNPO理事だという28歳の方お一人。仕事の話は全くなしで結局8人であれやこれや。

東京のお二人とはほとんど話さず日曜日に会ったばかりの地元の写真家N氏と激論。飲み過ぎの妻が暴走を始めN氏と妻を中心に朝生状態。M社のM氏が部屋に引き上げ閉店時間になっても収まらずN社のM氏の部屋に移動し激論の続き。

ホテルの入口を閉める段になってようやく散会。午前0時。凍り付いたフロントガラスにホテルのSさんがお湯を掛けてくれて同じ方向のN氏を送ってまずは我が事務所。ここで飲み直して激論三度。迎えにきたN氏の奥さんにも上がってもらって話は続くよいつまでも。

結局昨日も最後の散会は午前2時。日曜日に初めて会ったN氏は熱い心と素直さが同居している。酔って何時間も話をしたので既に旧知の親友のようになった。私も青い議論は好きなのだ。だとしても酔ったN氏はともかく奥様には迷惑をかけた。夫婦して恥ずかしい。

電波時計 (1月27日・火)


妻がニューヨーク留学時代の日本人の友人たちからプレゼントをもらってきた。ロフトで買った3点。傘立てと電気スタンドと時計。このうち時計が曲者。温度計と湿度計が付いた液晶画面で太陽電池搭載。しかも電波時計。この多機能なおかげで置き場所が難しい。

バックライトがない液晶なので光が当たらないと文字がよく見えない。だから照明が当たるようにある程度の高さに若干上向きにして置く。ところが太陽電池は上面にあるから傾けすぎるとパネルに光が当たりにくくなる。さらに温度計があるから熱を持つテレビの上には置けない。

最大の問題は電波の受信。電波時計は佐賀と福島の2カ所から送信される電波を受けて時刻を自動修正してくれる。この電波が部屋の中では弱い。置き場所を変えたり時間をおいたりして試してみて何とか入感したが1日経つと受信していない様子だったり。

置き場所の問題もあるが電波の伝搬状況が一定でないことがよく分かる。ちなみに電波は60kHz。計算すると波長は何と5km。こんな電波は馴染みがなくて想像できず。小さな筐体でどうやって波長5kmの電波を受信しているのかに興味を持った。

地区の宴会と中学の同級生 (1月26日・月)


昨日は地元の地区の会合に誘われたので行ってきた。一種の地域活性化運動でソバを使ったお菓子を試作しみんなが持ち寄っていた。それとは別に私たちは13時に行ってソバ打ち。新参者なのに妻は一番にやらせてもらっているの。並行してみんなが鍋の準備。

16時から宴会。30人ぐらいと子供たち数人。ほとんどの人が初めて会う方。宴会から参加した方にはビールを持って挨拶回り。途中で私たちの紹介も。とにかく飲んだ。23時頃に散会したが若手のお二人を誘って事務所に戻りさらに続き。終わったのは26時。

宴会が行われたのは私が住むマンションのすぐ隣で元は小学校の体育館だった建物に付随した集会場だ。体育館では子供たちがキョクチョーと一緒にバスケットボールをしていたので飛び入り参加。シュートは入らず転んでばかりで今日は腿の筋肉と掌が痣になって痛い。

さて宴会前に廊下で地元のF氏と会話していて判明したのだが彼と私は中学校の同級生だった。あまりに驚いて自宅から卒業アルバムを持ち出し2人で見た。さらに同じ住宅に住むS氏は別の高校の同じ歳で共通の知人が何人もいた。人はどこかで繋がっていることを実感した一日。

PDAでFTP (1月25日・日)


先日のPDAでのアップロードは苦戦した。設定画面の項目名がよく分からず最初のうちはアップロード先のURLや名前を間違った。次にアクセスはできたがアップロードが許可されていないとメッセージが出る。いろいろ調べるとFTPソフトの設定が上書き禁止になっていた。

PDAの不便なところはハードディスクがなくメモリ上にプログラムもデータも全て置かれていること。だからバッテリが切れたら全てが消える。そのときは母艦であるPCから再びプログラムをセットアップしデータをコピーする。その度に全ての設定項目が初期値に戻る。

そう言えばPDAに繋いだ折り畳み式のキーボードは右上のキーが認識しなくなっている。pとか@とか-などの入力とBSが効かない。これらのキーは画面上のソフトウェアキーボードから使って入力する。しかも普段のキーボードと配置もピッチも違うからイライラする。

FTPは1年半ぶりなので使い方も忘れていた。しかも英語。さらに無料の試用版だからアクセスする度にアカウント情報がリセットされ20秒待たされる。ともかくアップロードできたから良しとしよう。確認したらタイトルを入れ忘れていたし本文もいい加減なものだったが仕方がない。

妻の帰宅 (1月24日・土)


17日間の長い出張から妻が帰ってきた。大阪のホテルを出たはずの妻から10時過ぎに電話があったが泣き声で「新大阪の案内所で聞いた徳島行きのバス乗り場にグルグル回って探して行ったら徳島行きはないって言われたん。どうしたらいい?」と。

だから調べときって言うといただろ。と電話で言ったら「徳島に帰れない」と泣きながら電話を切った妻。もしやと思い徳島新聞を広げて時刻表を見たら新大阪発がない。神戸空港から帰るとき高速バスは必ず新神戸に寄るから新大阪からも乗れるだろうと私自身も思い込んでいた。

「御堂筋線で梅田に行きな」と携帯メールを送るとタクシーで向かっていると。ともかく11時発のバスに乗り無事徳島へ。高速鳴門バス停に迎えに行き隣の巨大なショッピングセンター「マイケル」で食材を買い上勝へ。大寒波だが心配した雪はなく15時頃に帰って来た。

数えてみると妻は上勝で過ごした日よりも出張で東京にいた日の方が長い。私は1週間前に東京で8日ぶりに会ったとき小さく感動したが今日は全く感慨がない。どちらかというと気楽な一人暮らしが終わったことを思う。いずれにしても2人の上勝生活は今日から仕切り直しである。

社会保険事務所と散髪屋 (1月23日・金)


この日記はPDAに折り畳み式キーボードを繋げて書いている。このあと古い方の携帯電話を繋いでFTPでアップロードするがうまくいくかどうか。PDAで更新するのは一昨年の8月以来だと思う。さて今日は午後ゴミステーションにビール缶を出して「ひだまり」に挨拶して徳島へ。

会社の移転登記の完了を昨日電話で聞いていたので法務局に行き登記簿をとって沖浜の社会保険事務所へ。世田谷の事務所より小さいかも知れないが来客が5人だけだったのは驚いた。世田谷では常時40人はいたもので。書類は2ヶ所だけ判子を押し直したが他は大丈夫だった。

書類の書き直しと混雑を予想していたのに3分で終わった。そのまま鳴門に行き子供の頃一時期行っていて川内に引っ越した96年頃から通った理髪店に。福岡時代も帰省して行き東京に行く前まで行っていた。私の6つぐらい年下の店主は覚えてくれていた。

散髪屋で話をするのは好きではないが彼とはなぜかよく話す。当時はチャットでのナンパに熱心だったが結婚して奥さんに見つかり酷い目にあって止めたそうだ。そんなバカ話で大笑い。上勝や神山の裏情報を教えてもらった。夜は「響」。明日はバスで大阪から帰る妻を迎えるので今日は鳴門の実家に泊まる。

外部アンテナとイヤホンマイク (1月22日・木)


12月に買った携帯電話は外部アンテナ端子とイヤホンマイク端子が共通になっている。それで事務所で外部アンテナを使うとイヤホンマイクが使えない。メールのやりとりには十分だが通話ができない。イヤホンを使わず通話をすると私は頭が痛くなるのだ。

ところが東京に行くに際しPDAでメールをやりとりするため古い携帯電話にFOMAカードを入れ替えたら好都合なことに外部アンテナ端子とイヤホンマイク端子が別。古い携帯電話でも外部アンテナを使えばアンテナマークは2本。通話には支障がないことが分かった。

これで十分ではないか。せっかく買い換えた携帯電話が無駄になった。と思っていたら今度は外出すると古い携帯電話では電波が入感しない。いっきゅう茶屋でも最も近い郵便局前でも圏外。そうだった。月ヶ谷温泉でも圏外だったのだ。これでは携帯電話の意味がない。

事務所でしか使えないなら固定電話で十分なわけで結局のところ携帯電話を携帯して使おうとすると新しい方でなくてはならない。というわけで元に戻る。外部アンテナとイヤホンマイクが両方使えるアダプタがあれば解決するのに。

徳島地方法務局 (1月21日・水)


徳島地方法務局に行ってきた。会社の移転登記を完了させ代表取締役の住所変更をするためだ。事前に地図で見て徳島市立体育館の前だと分かっていたが行ってみて思い出した。そこはJ社を辞めて失業保険をもらっていた98年に毎月1度来ていた合同庁舎だった。

移転登記申請書類は年が明けて東京地方法務局世田谷出張所に発送した。ところが印鑑書類が足りないと電話があったのが1月第2週。だから事前に2度もチェックしてもらったのに。という不満を抑え普通郵便で提出したら今度は名義人が違うとまた電話。

さすがに先方も面倒になったか「こちらで訂正しておきます」と言うから任せていたら今度は徳島地方法務局から電話があって代理人申請が必要だと。いずれにしても代表取締役の住所変更手続きが必要だったから今日行ったわけ。言われるままに書類を書いて判子を押して。

鳴門から徳島に移転したA社のZさんが法務局の融通のなさを怒っていたから警戒していたのだが私を担当した女性は優しかった。これで移転登記は終わったはず。さて続いて社会保険事務所に行こうと市役所前に行ったらそこは徳島税務署。このばらけ方は世田谷よりタチが悪い。

Outlook予定表 (1月20日・火)


Outlookを使い始めた経緯は先日書いたとおりだがPDA購入にあたっては私がPDAの師匠と呼ぶ今は日本経済新聞記者のM氏にお世話になった。当時M氏に教えられたがメールで来た情報をOutlookに貼り付けれさえすればPDAでどこででも見ることができるメリットは大きい。

一方でgoogleカレンダーを使ってみたらシンプルで分かりやすくよくできている。私のPCはWindows Vistaで画面右端にガジェットを置いているがgoogleカレンダーのガジェットもあってこれが便利。1ヶ月のカレンダー表示も1日のスケジュール表示もできる。これは使いたい。

でもPDAと同期ができない。Outlookとさえ同期は試してみたらできなかった。そして原点に返る。そもそもA社に私のスケジュールを知らせるのが目的だった。A社のシステム担当N氏に言われていたのだがメールソフトとしてOutlookを使うなら可能らしい。それが気になり試してみた。

OutlookのメーラーにA社用アカウントを登録。Outlookに予定を入れたらA社の私のアカウント宛に出席依頼を出す。そしたらA社の私の予定表に登録される。試してみたらできた。A社で私の予定は「仮の予定」だそうだが運用でカバーできる。とりあえず当初の目的はできた様子。

『ジャパンクールと情報革命』 (1月19日・月)


年末にA社のボスに渡された奥野卓司『ジャパンクールと情報革命』(アスキー新書)を東京への移動時間に読んだ。著者は関西学院大学 社会学部教授。著者はジャストシステムのユーザー情報誌「月刊JUST MOAI」に連載していたそうだから私も会ったことがあるかも知れない。

内容は「情報社会は遊牧民族特有のもので農耕民族には向かない」が「情報社会は工業社会の次に来る連続性のものではない」とか「ジャパンクールの原点は室町や江戸時代から萌芽があった」とか。言いたいことが分からなくはないが事実認識も論理展開もいい加減。

例えば著作権と知的財産権を全く別のものとして捉えている。さらに梅棹忠夫が『情報産業論』で「情報への対価は、享受者の一方的な価値判断によって支払われる『御布施』のようなものだと論じている」と書いている。でも私が読んだ限り「一方的な価値判断」ではないはずだ。

ソニーのウォークマンを録音機能の実現が難しく技術的に不完全だったからこそ成功したと前段で書く一方で技術ばかり追う姿勢がiPodに負けたと後段では書く。印象だけで書かれたことが見え見えの駄本である。2ちゃんねるのひろゆきより肩書きがあるだけにタチが悪い。

明治神宮と帰宅 (1月18日・日)


仕事に行く妻に合わせ10時前にU氏のマンションを出た。有楽町で妻と別れ千代田線に乗り換えて明治神宮前駅。東京を離れるにあたって明治神宮を見ていなかったことだけが少し心残りだったのだ。妻も今回の出張で最初に明治神宮に行ったというので私も行ってみた。

地下鉄の2番出口を出ると実は知らなかったのだが目の前はJR原宿駅。東京で増えた荷物で重くなったカバンを肩に掛け長い参道を歩いて行った。京都の平安神宮をスケールダウンした感じ。明治天皇に日本の平和に感謝を捧げ皇室の安寧をお祈りした。

そのまま原宿からJRで品川経由京急で羽田。12時過ぎに着き14:05発の飛行機で徳島に帰ってきた。徳島は雨。行く前より寒さは緩んだ気がする。鳴門の実家に行き夕食を母と食べ大相撲で朝青龍が8連勝したのを見届けて鳴門を出発。

小雨の夜。慎重に運転して山道で4台に抜かれながら上勝に戻ってきた。49km。1時間10分。さて今回の東京ではU氏のマンションに泊めてもらったが2晩目には慣れた。2週間以上にわたる出張中の妻と中日に会う機会となったわけで今回の東京出張には感謝しよう。

U氏のマンションと東池袋の会議 (1月17日・土)


7時に起きて妻は8時過ぎに仕事に行ったが私は二日酔い。頭が痛くなることは最近ほとんどないのだが昨日は薦められるままに最初から日本酒を飲んだのが悪かったかも知れない。二度寝して起きたら今度は乾燥した部屋で鼻づまり。

さて今いる部屋には2ヶ月前にも来た。今日は昼食のため向かいのショッピングセンターに行き定食屋でコロッケカレーを食べたが24時間営業というのは凄いと思う。しかも安い。と思ったらカレーはレトルトパックを温めてご飯にかけていただけだった。

東京はただ4週間ぶりで昨日のA社もそうだが何の違和感もない。行くと決まったときは何で東京なのかと実はセノーさん相手に電話で悪態を付いて迷惑をかけたのだが来てしまえば何ともない。徳島だ東京だとこだわる必要はないのかも知れない。

それでもやっぱり会議は苦手だ。結論が決まっているなら会議をする必要はないし議論をしたいならテーマをはっきりさせないといけない。真剣に考えるなら2日かけて合宿でやるほどの内容なのに19時始まりというのが間違いだと思う。私は諸々の状況が分かったからヨシとするが。

東京出張 (1月16日・金)


木曜は夕方家を出て「響」の練習。夜は実家で泊まった。練習後の夜中に上勝に帰るのは路面凍結が心配だったし今日は空港に行くのだからと。PCは妻が東京に持って行っているので日記の更新ができなかった。PDAを携帯電話に繋いでやろうと思ったが面倒だったし。

日記を書いてFTPでアップするのは面倒だったがメールはPDAを携帯電話に繋いでチェックした。そのために古い携帯電話にFOMAカードを入れ替えて使っている。同じNで買い換えておいて良かったと思う。操作性を含め特段の不都合はなく。

さて東京に着いたらビルや電車の中など暖房が効いていて暑い。汗だくになって京急とJRと地下鉄を乗り継いで護国寺のA社。15時過ぎに着いたが何の違和感もなく席に着いた。スタッフの皆さんも私の存在が自然だったらしくしばらく経って驚いていたり。

夜はボスに誘われて大塚の「江戸一」。1週間ぶりに会う妻も合流して諸々。すぐ近くの焼肉屋でさらに飲んで池袋経由終電間際の有楽町線でU氏のマンションに帰ってきた。妻は1週間前から住まわせてもらっている。お世話になります。>U氏

スカイプと銀行巡り (1月14日・水)


一昨年夏に徳島空港で偶然会ったY氏が電話をくれた。大学時代からプロカメラマンとしてJRなどの広告写真を撮っていた人である。昨今は奥さんのビジネスを手伝っていると聞いてはいたが検索したら社員が数十人もいる会社でびっくりした。

Y氏の電話の前にN氏がスカイプで呼び出してきた。Outlookのスケジュール共有について教えてくれるのだなと思って出たら何と中国の上海からだった。S氏も一緒。東京よりも動画がスムーズに見えたがPCの性能のせいだと言う。しばし雑談。何だか本当に凄い時代だ。

さて上勝は小さな町だから外食に出ると人に会う。月曜はキョクチョーに会ったので食事をしながら諸々知らないことを教えてもらった。昨日は月ヶ谷温泉でパソコンの先生Uさんを見かけたので立ち話をしたのだが今日はいっきゅう茶屋でまた会った。役場のNさんやセノーさんらとも。

午後は銀行巡り。勝浦の阿波銀行で電気代を納付し通帳を更新。そのまま徳島駅前の三菱東京UFJ銀行で振込。郵便局に寄り源泉徴収税の納付も。一旦上勝に戻り経理処理をして現金を預けに近所の郵便局に再び。それにしても藍場浜地下駐車場は30分でも300円。高い。
(※急に東京に行くことになりました。明日の日記はお休みします。)

雪と徳島の渋滞 (1月13日・火)


今日は全国的に寒かったようだが上勝も寒い。徳島新聞のWebページにある天気予報によると昨夜24時の気温が-2度だった。その24時過ぎには既に家の前は真っ白。霜のような雪がアスファルト全面を覆っていた。今日午前中も同じような状況だった。

そんな朝に母から電話。叔父夫婦が私の部屋を見たいと今日行くと言う。一旦は承知したが雪の状況を思い出して後から断った。さて雪を理由に断りはしたが私自身は冬の道路事情について楽観し始めている。上勝の方のブログによると地元の人ほどノーマルタイヤらしいし。

午前5時なら分からないが幹線道路が9時に凍結していることがあるのだろうか。調べれば私の自宅はたかだか標高200m少し。凍結することがあったとしても凍結して困るのは例えば出張で徳島空港に行くときぐらい。例えチェーンをしても問題は上勝よりも徳島市内の方だと思う。

徳島市内は橋ばかりで冬は橋が凍る。県庁前の橋で1台滑るとアウトである。滑らなくても慎重になった車で渋滞する。渋滞はすぐ郊外に波及し上勝から国道に合流できない。これが冬の徳島の渋滞メカニズムだと思う。上勝だけ凍結して徳島は大丈夫という場合があれば別だけど。

予定表のネット経由の同期 (1月12日・月)


私のスケジュール管理にはOutlookを使っている。OutlookはA社の標準メールソフトだが予定表の共有に使われていたためPDAに予定表を同期させ自宅でも使い始めた。こうしておくとA社のPCと自宅PCとPDAが常に同期していて便利だったのだ。5年前から使っている。

ところが引っ越してA社に行かなくなった。当然ながらA社から私の予定が見えなくなった。そこで毎朝1日の予定を書いてメールで送ってみたが面倒だ。それで全体のスケジュール感が伝えられればいいのだろうと思いOutlook予定表をネットで共有できないか調べてみた。

最初に試したのがOutlookデータをネット上のMicrosoft Office Online 経由で同期させる方法。ところがA社側のポートを開ける必要がある。セキュリティに気を遣わなければならないA社としては難しい。次にgoogleカレンダーで入力してOutlookで購読する方法を試してみた。

ところが今度はPDAと同期できない。それ以前に正しくOutlookに反映されない。現実的な方法はOutlookデータをHTMLで書き出しメールで送るかサイトから見てもらうか。でも何だか原始的でがっかり。googleカレンダーも便利そうだがあちらを立てればこちらが立たず。

響の練習 (1月11日・日)


徳島を通り越して鳴門の実家に行き昼食後徳島に取って返して今日は午後から徳島男声合唱団「響」の練習。藍場浜地下駐車場に車を停めたがえびす神社の祭で車も人もいっぱい。神社には人が山と集っていて凄いなと思ったが渋谷ハチ公前の人よりは全然少ない。

練習の場には一昨年の年末にも行ったがみんなと一緒に歌ったのはコンクール全国大会まで遡る。一昨年の11月だ。つまり今日は14ヶ月ぶりに参加したことになる。1年以上のブランクだが見知った顔がほとんどで何の違和感もなくあっさり入って歌い始めた。

と言っても最初は新曲の音取り2時間。次に2月に演奏する「阿波」は一昨年4月の定期演奏会でやった曲。あのときは不完全燃焼だったから今回は納得できるよう歌ってみたい。もう一つ楽譜1冊5曲の新曲。みんなは音が取れている様子。でも音程もリズムも難しくはなさそう。

練習が終わって法科大学院に通い出したというK氏と徳大医学部のW君と奥さんの実家に帰省している北九州の薬剤師M君と食事に行った。北九州のM君とは定演以来。それより医学部のW君の留年と試験の話は新鮮だった。医学部のシステムはそうなっているのかと。

FM放送局 (1月10日・土)


事務所ではFMをかけておくことが多いが引っ越したばかりでコンポ付属のワイヤーアンテナを付けていただけだった。でもここは山の中。辛うじてNHK FMがモノラルで入感するだけだった。そこでテレビに来ているアンテナケーブルをオーディオにも繋いでみたらこれが大成功。

妻からはよく非難されるが私は基本的にモノを捨てない。捨てられない。大学時代に使っていたスピーカーケーブルもまだ持っている。今回は10年前まで徳島市川内で使っていたのだろうアンテナの分配機を持ち出して何年前から持っているか分からない同軸ケーブルを接続した。

そうしたら何局かFM放送が入感。成功したと思ったら今度は何の放送局かが分からない。FM徳島は徳島市内では80.7MHzだがここでは入感せず。すぐ分かったのはFM802と85.1MHzのFM大阪だけ。ネットで調べたり実際に聴いてサウンドロゴで確認したり。

チューニングしたのはNHKが82.5MHz。FM徳島は81.5MHzで入感するが公式には知られていない周波数だ。どこで拾った電波なのだろう。ともかく登録したのは神戸のKiss FMや10年前にはなかったはずのIntereFM系FM COCOLOを含め全6局。深く考えず満足しておこう。

クロネコと原稿と従兄弟 (1月9日・金)


2日続けてヤマト運輸で荷物を出した。2日ともインターネットから集荷を依頼したが1時間も経たず取りに来てくれた。小松島からやってくると聞いたが実は上勝周辺で作業中だったのかも知れない。東京でいるときよりも反応が早くてうれしい。東京に翌日届くのは市内と同じ。

午前は妻から頼まれた荷造りや原稿の確認を東京とやったり細々した仕事を片付け午後から新しい3,500字の原稿執筆に取りかかった。ところがこれが難儀。12回連載の最終回で「まとめ」という漠然としたテーマだったもので何を書いていいのか悩む悩む。

1年ほど前だったか外務省起訴休職中の佐藤優氏が週刊文春に書いていたのだが飴をなめると原稿執筆が進むのだそうだ。それを読んで以来まねをしていたが上勝で飴を買うのに車で出かけるのも面倒で今日はエネルギーの補給なく午後いっぱいかけて何とか形にしたところ。

夜は22時を過ぎて鳴門で金時イモを作っている本家の長男である従兄弟が来た。月ヶ谷温泉に行くはずが小松島の別の風呂に行って上勝まで来たらしい。一緒に来たK氏は消防団の後輩で30歳のイケメン。イモとナシを作っているとか。こうやって縁が濃くなる。ありがたいことだ。

徳島空港と元同僚と鳴門往復 (1月8日・木)


10:35分に出て徳島空港。妻が今日から東京出張なので送ってきた。県庁交差点まで43分で空港駐車場に停めて1時間1分。昼食を取り妻を見送り鳴門の実家に寄って使われていないカラーボックスなどを引き取ってきた。

帰りは途中で沖浜のJビルに寄った。88年から8年半だか9年半通ったオフィス。今はテナントビルになっていて何社かが入居している。公園側の庭だったところが潰されて駐車場になっていた。会社案内冊子でパッケージを並べて撮影した渦潮を模した石は壊されたのだろうか。

ビルに入ってまずは私の大先輩にしてJALの元国際線スチュワーデスという経歴を持つKさんが社長のT社。Kさんとは外出間際の1分だけご挨拶。取締役T氏も紹介いただいた。名前に記憶がなかったが会ったら思い出した。Mさんとしばし雑談。そう言えば高校は違うが同学年だった。

帰ろうとしたら同期入社で総務にいたI嬢とエレベータで一緒になった。先日の同期会で会ったばかりだが代表取締役の名刺をもらった。さて帰宅して実家から運んだカラーボックスの類を配置。妻に頼まれた荷物を発送。車で鳴門まで往復2時間強は結構疲れる。

TAとPLC (1月7日・水)


事務所の電話とFAXはISDNで2番号。11月に書いたとおりK氏に譲ってもらったターミナルアダプタ(TA)を使っている。当初はTAの無線子機でコードレス環境にしようと思っていたのだが止めた。工事のおっちゃんがIP電話と固定電話は1台の電話機で使えないとウソを言ったからだ。

IP電話は収容できないと言われたので固定電話機の置き場所は当初想定していたところから私がデスクで使うために変更した。そのためにTAの位置も変わりFAXには無線子機を使わず直接ケーブルで接続できるようになった。工事費が余計に8,000円もかかったが。

その後IP電話も収容できることが分かり固定電話機の置き場所を再び変えたがTAの位置はそのままなので無線子機を使う必要がなくなった。結果として確実に接続できたので納得している。電話機の子機も無線だから電波干渉のリスクを回避することにもなった。

もう一つPLC(電源インターネット)を使おうと目論んでいたが試していない。手元にあるハブとLANケーブルだけで事足りたので。LANケーブルをなくしても電話線は這っているので見た目は変わらないし。今回は接続の確実性を最優先した状況。そんな感じ。>TAを譲ってくれたK氏

『TSUNAMI(津波)』 (1月6日・火)


今週ニューギニアで地震が起こり津波注意報が出ていたが引越前後にこんな本を読んでいた。高嶋哲夫『TSUNAMI(津波)』(集英社文庫)。日本で発生が予想されている東海から南海にかけての3つの震源域でほぼ同時に地震が起こったときのシミュレーション小説である。

描かれている時代は阪神淡路に続き東京直下型地震が発生した後という想定。原子力発電所の職員や原発がある町の職員が主人公。さらに副首相や地震学者や防災担当の女性副大臣などが登場。原発などの地名は架空だが静岡と首相官邸と名古屋が舞台。

東海地震の予知情報が出たものの発生した地震は小さく油断した後に本当の東海地震が発生。名古屋の高層ビルは長周期振動で倒壊。続いて東南海地震と南海地震が起こり3つの地震による津波が合成波となり静岡から名古屋や大阪を飲み込むという物語である。

地震や津波でどういう被害が起こり発生後の行動として何が重要なのかがよく分かる。実のところ表現は稚拙で主人公に語らせる背景説明もまどろっこしく小説の質としては今ひとつだが半ばあたりからは一気に読ませる。一読しておく価値はある。

住所変更手続き諸々 (1月5日・月)


朝から移転手続き。ネットでできる手続きは済ましているが電話をかける必要があるところは今日から開始。まずは法人契約のKDDI。続いて生命保険会社。合間に郵便局に出向いて家賃引き落とし手続き。ところが町の言うことと郵便局の言うことが違い書類をさらに2種類書いた。

一方で法人口座の銀行に問い合わせたら口座開設支店に問い合わせろと言うので支店に電話したら今度は最寄りの支店に行けと言われた。文句を言ったら書類を送るという話になったのだが何故に三菱東京UFJ銀行は問い合わせ対応を統一していないのだろう。

午後になり住民票を持って妻と2人で徳島にある運転免許センターで住所変更。仕事始めでもあり1Fフロアには大勢の人。2Fに上がり書類を書いて待つこと30分以上。その前に昨日来てくれたBPQの実家に伺い母上に移転のご挨拶。ちょうど通り道だったもので。

夜は東京で利用していたプロバイダ「Asahiネット」をWebから解約。長く使っていたと思っていたが2003年8月からだから5年少しだけだった。接続事業に徹するAsahiネットは好きだった。鳴門の実家での契約は継続するが何となく解約を寂しく思う。ただのプロバイダなのに。

友人の電話と来訪 (1月4日・日)


正月になって初めて迎える上勝の朝。これまで何度も実家に泊まってきたがそれでも引っ越したばかりの我が家が落ち着く。何が理由だろう。使い慣れたベッドだろうかソファだろうか。そうした細かな生活環境の積み重ねなのだろう。これから本格的に上勝での生活が始まる。

年賀状を見たJ社時代の友人がメールをくれた。それに返信したら電話がきた。入社1つ下のN氏。彼の家がある小松島から上勝まで30kmの山道を昔は自転車でよく走りに来たそうだ。棚田での米作りにも興味を持っていたと言う。情報交換しつついずれ遊びに来てもらうことにした。

夕方には帰省中のBPQが横浜ナンバーのエスティマに乗ってやってきた。2日に会ったBPNと3人で学生時代は初日の出を見るために蒲生田岬に毎年行っていた仲間。かつて彼がコースを作ったお遊びラリーに私も出たことがあるのだが上勝も通ったらしい。そんな話を諸々。

彼の実家は勝浦川を下って55号線を越えたあたりにある。多分30分少々で行くことができる。徳島を離れて丸10年が経ち再び徳島の仲間との縁が強くなって何だかうれしい。妻も人がやってくるのがうれしいのだとか。徳島の皆さんどんどん遊びに来てチョーね。

J社同期会 (1月3日・土)


お昼過ぎに荷物を積み込んで実家を出発。妻が運転。徳島駅西のグランドパレス前で下ろしてもらい今日はJ社同期入社が集まってのパーティ。時間が早かったので駅前をぐるり一周してポッポ街を抜けて改めてホテルへ。集まったのは同期の半数以上の37人。

頻繁に会っている人もいるしメールだけの人もいる。私が辞めて11年ぶりに会う人もいるしそれ以上の人も。特に専務秘書だったO嬢は3年で辞めたというから18年ぶり。海外出張から帰国した社長専務を淡路のフェリー乗り場に2人で迎えに行ったこともあった。

「何しよんえ?」と言われて「上勝に引っ越したんよ」と何度説明しただろう。13時始まりのパーティで食事をとらずビールばかり飲んで話をした。結局みんな変わっていなかったというのが全体の感想。4年ぐらいで辞めたN君とはK氏の結婚式以来。

そのN君が営業の悲哀を歌った替え歌を2次会のカラオケで聴いた。彼自身も途中の歌詞を忘れていた様子。でも楽しかった。さて帰りは上勝までタクシーを使った。全国一安いはずの金比羅タクシー。本社から42分。5,380円。予想通りの安さ。これならタクシーで帰ることもできる。

親戚回りと同級生 (1月2日・金)


午後から帰郷の挨拶で親戚回り。先日飲んだF編集長の実家の前を通ってまずは父の墓参り。F編集長の実家は墓参りのときに毎回通っていたところにあった。続いて父方の先祖の墓参り。そのまま鳴門市大津町の父の実家へ。砂が付いたままの鳴門金時を何十本ももらった。

さらに徳島に行って母方の先祖の墓。何度行っても道順を覚えない。続いてデザインのB氏の家の前を通り常三島にある母の実家に行き叔父と叔母と話をして17時前に中吉野町。中学以来の親友BPNが昨日連絡をくれてローソンで待ち合わせて会ってきた。

BPNの実家は中州でタイヤ卸をやっていたが数年前に止めて今は中吉野町に住んでいるとか。妻と母は一瞬BPNに挨拶して私一人でBPNの実家に行き父上と母上に挨拶。ご両親にはJ社時代タイヤ交換でお世話になったのだ。そのままBPNと2人で沖浜の珈琲美学。

18:30前にBPNに送ってもらって沖浜の家紋というお店。高校3年のクラス会。といっても集まったのは5人+家族。昨年の東京で会ったNTT研究所Sと東京大S。徳島の救急医療Fと松山日赤病院S。この松山のSは新婚の奥様を連れて。何と12歳下。運はこれからやねという話。

楽しい1年に (1月1日・木)


あけましておめでとうございます。私は昨年末に環境を大きく変えたため今年は生活の隅々にまで変化が訪れることになる。引越前は少し不安があったが不思議なことに今は特段心配がない。それは上勝の先輩と話ができたことが大きいが変化することに慣れたこともあると思う。

思えば11年前にJ社を辞めたときも福岡行きも東京行きもA社の仕事を始めたことや会社を作ったことも判断は全て経済的リスクの大きい方を選んできたように思う。そのときどきで悩みはしたが結果として今がある。それが多少の自信になっているようにも思う。

J社を辞めたときは追われているしんどさがあったが今は時代の変化より先に自分で変えている感覚がある。錯覚かも知れないが多少の自信はこの錯覚から生まれている。変化を先取りすれば面白いことがある。ここ11年で辛い時期もあったが今から見ればそれも含めて楽しかった。

今朝は鳴門の里浦海岸に初日の出を見に行った。雲の下から赤く大きく丸い日が見えた。今年は初めて会う人と新しいことをやることが多くなる。それは心配性な私の性格にも関わらず楽しみだったりする。今年も楽しい1年になると思う。どうぞよろしくお願いします。
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© 2009 Takashi INAGAKI