2007年7月

呼び出し電話 (7月31日・火)


台風の連絡網で思い出したが私が小学校の頃は電話がない家庭が結構あった。そういうときは呼び出しである。隣の家に電話を掛けて呼び出してもらう。私の記憶にあるのは実家に黒電話があって隣のアパートの大石さんを呼びに行っていたこと。

大石さんの実家は鹿児島。ときどき電話を掛けることもあった。そんなときは電電公社に電話して繋いでもらい料金を直後に教えてもらう。大石さんは多分その都度電話代を母に払っていたのだろう。電話中は母は気を遣って席を離れていたが私は構わず電話の近くいた。

でも何を言っているのかサッパリ分からなかった。この体験は貴重で同じ日本語でも地域によって言葉が通じないことを知った。鹿児島弁で理解できたのは徳島とか鹿児島という固有名詞だけ。あとは全く本当に全然理解できなかった。

電話の呼び出しは年に1〜2回だったと思う。今から思うとよほど緊急だったのかも知れない。普段は手紙でやりとりしていたのだろう。鹿児島と徳島なら当時は片道3日ぐらいかかっただろうか。近所で助け合っていたという意味ではいい時代だったのかも知れない。

選挙報道と投票行動 (7月30日・月)


投票日夜の選挙報道をテレビで見ていて一番安心して見られたのが10ch(テレビ朝日)だった。他のチャンネルはキャスター総出で仕切が悪くて見てられない。4ch(日本テレビ)なんて島田紳助が全て仕切った方が絶対に面白いと思うのに。

それはそうと年金政策について私は自民党支持である。でも今回の選挙で自民党はあり得ない。理由は私の場合ただ単純に赤城農相の不明朗な態度への不満とそれに対する首相の対応への批判である。だから改造で内閣がまともになる条件で首相の続投は構わないと思う。

さて10chで面白い解説を聞いた。小泉改革で地方が自民党を見限る一方ブームが去って都市部も自民党を見捨てたという説明。なるほど。田舎党だと思っていた自民党は小泉さん時代で都市政党化しつつある一方でその批判勢力として民主党が地方基盤に変わりつつあるのか。

私はむしろ都市政党としての民主党に期待していたのだが発足当時のイメージと捻れてしまった。でもどちらの党も一枚岩ではなさそうで捻れを解消すべく揺り戻しがあるかも知れない。捻れを現実化していくかも知れない。どちらにせよ今のままでは多くの議員たちは不本意だろう。

参議院議員選挙 (7月29日・日)


今日は参院選挙投票日。テレビでは民主の圧勝だとやっている。東京は定数5で候補者は20人いたから選択肢があったが徳島などでは1人区に候補が3人で自民か民主か共産しか選べないらしい。自民への批判となれば民主に入れるしかなかったのだろうけど・・・。

選挙区はともかく比例区の政党は今日決めた。新聞によると大部分の野党は年金制度を抜本改正し消費税で賄うと言っている。25年の受給資格も止め全員が基礎年金を受け取れるようにするそうだ。さらに民主党は年収600万円以上の人の基礎年金は一部カットと言っている。

つまり「年金は将来もらえないから払わない」と言ってきた人にも年収600万円以上の人を犠牲にしてすべからく消費税を財源に支払うということだ。それはそれで不公平ではないか。制度を無視して義務に反してきた人を救済するため真面目に制度に従ってきた人に負担を強いる。

しかも消費税率は据え置きだというのは現実離れしていると思う。いくら何でも野党の主張は調子よすぎると思うし「制度と記録問題は別」と言う与党の方に理があると思う。と言って今回ばかりは与党はダメだ。私は結局消去法でもって比較的現実的な野党に投票したが・・・。

8耐 (7月28日・土)


29日に鈴鹿サーキットで決勝レースが開催される8時間耐久レースが今年で第30回になるそうだ。観客は90年がピークで16万人。昨年は7万3000人だったと朝日新聞夕刊の連載記事にある。2輪の販売台数は82年がピークで300万台を超えていたが昨年は70万台らしい。

朝日の連載によると千石清一氏が故障した200kg近いマシンを最後の3km押して雨の中ゴールしたのが91年とある。私は現場で見たような気がする。とすると私が8耐に行ったのは92年でなく91年だったのか。あるいは両年行ったのか。記憶が混濁している。

8耐は過酷である。2人が交代で2輪に乗るレーサーもそうだが観客にとっても。前に書いたように豪雨のときもあったがたいてい梅雨明けの炎天下だ。そう書いていて雨上がりと炎天下の両方を経験していることを思い出した。ともかく炎天下は遮るもののない太陽の下。

救護テントがあちこちにあり場内放送は1時間に1リットルだかの水分を摂れと繰り返し放送している。私たちは不真面目で午後の一番暑い時間を隣の遊園地に行ってプールに入ったりして過ごした。28歳のときだろうか。今もって懐かしさより過酷だった印象の方が勝る。

ケーブルテレビ (7月27日・金)


ケーブルテレビの加入について調べてみた。実家をカバーするケーブルテレビ局であるテレビ鳴門のWebページを見ると月会費1,890円。これでアナログBSまで見られる様子。ところが問題は加入費である。

何と84,000円。考えたことがなかったので全く知らなかったのだが結構高い。しかも今のところ地上デジタル放送を見ようとするとセットトップボックス(STB)が必要で別途39,800円。工事費込みで5万円近く。レンタルでも月1,575円。CSチューナー内蔵だそうでそんなものか。

でも世の中には毎日テレビを何時間も見て過ごしている老人が数百万人いると思う。彼らはどうなるのだろう。ケーブルテレビに加入しなくても地上デジタル時代になればアナログテレビに繋ぐSTBとアンテナ工事も必要だろう。数万円の出費を年金の中から賄えるのか。

アナログ放送が終わればケーブルテレビのSTB代も下がるとは思う。総務省も安価な数千円程度のSTB開発を働きかけていると報道されている。それでも加入費と工事費で10万円。我が実家は私が負担しても構わない。でもこれを負担と感じる世帯は多いと思う。老人世帯の生活に直結する何だか凄まじく大きな問題のように思うのだけど。

地デジの混乱 (7月26日・木)


実家のテレビがマンションの共同アンテナから中継されているのだとすると2011年にはテレビが見られなくなる可能性がある。地上デジタル放送でテレビを買い換えてもマンションが邪魔。マンションの共同アンテナは地上デジタル放送まで保証してはくれないだろう。

アナログ放送の時代は正常に入感していたテレビ電波をマンションが遮ればマンション側が対策を取る必要があった。ところが既にマンションが建っているところに地上デジタルになると電波が届くかどうかマンション側に責任はないと考えるのが一般的だ。

そうなるとマンションが原因でテレビが見られない地域の住民は自分たちで共聴アンテナを設置せざるを得ない可能性がある。設備負担は厳しいだろう。これは我が実家だけでなく全国で何百世帯が直面する問題だ。あと数年で大問題になってくると思う。

現実的な解決策は有線放送への加入。たかがテレビを見るために数千円の出費は年金生活の母には負担だろうが仕方ない。あと3〜4年の世の中の動きを見ておかないと。これは大混乱になると思う。

実家のテレビアンテナ (7月25日・水)


四国のテレビはNHKと民放2つという県が多いがテレビだけをとれば徳島は関西圏である。つまり大阪と同じチャンネルを見ることができる。アンテナは大阪に向けたVHF帯4ch以上のと徳島に向けたVHF帯3ch以下の2つあるのが一般的だ。1chが徳島唯一の民放で3chがNHK総合。

実家の北東にマンションが建ったのは15年ほど前だろうか。大阪からの電波が遮られる。それでマンションに中継アンテナが設置されている様子。母によると以前の台風でアンテナが倒れ電器屋に修理を依頼したらアンテナなしでクリアにテレビが映り以来アンテナがないそうだ。

ところがテレビ映りはクリアなときとほとんど見られないほど乱れるときがある。前から不思議だったが今回の台風の間は素晴らしくクリアだった。台風が過ぎると画面が乱れる。でも数十分で回復することもある。そこでアンテナケーブルのテレビ側端を見て理由を推測してみた。

同軸ケーブルの被覆の内側はベトベトしている。アンテナを外した際にターミナル処理をせず同軸内に雨水が浸入して錆び始めているのではないか。雨が降ると通電がよくなり晴れると錆で通電が悪くなるのかも。次回帰省したら改めてケーブルを確認してみようと思う。

台風の楽しさ (7月24日・火)


私が子供の頃は年に1度ぐらい強烈な台風に遭っていた印象がある。台風が接近すると雨戸を閉め外から釘で板を打ち付けていた。今はなぜ板で打ち付けないのか母に訊いたら今はアルミサッシだけど当時は木枠のガラス窓だったからと言っていた。確かにそうだ。

当時は全ての窓と玄関に木を打ち付けていたから台風が来ると家の中は暗かった。非日常で子供にはこれが楽しい。ときどき停電なんかするものだからロウソクの火だけで過ごすこともある。父母は大変だっただろうけど私は台風は楽しくて仕方がなかった。

学校が休みになることも楽しさの一因だ。朝2時間ぐらいで帰されたこともあるし休校が前日決まることもある。朝の連絡網が間に合わず風雨の中を学校に行ったら休校でそのまま帰宅したこともある。母は慌ただしいが平日のテレビを見たりしてこれもうれしい。

台風は過ぎれば急速に天気が回復する。休校が決まっていて晴れた日は最高だ。溢れたどぶ川は格好の遊び場だった。当時は汚いなど考えもせず冠水した道を自転車で走り回った。水田と道とどぶ川の境界は全く分からず他所から来た子供たちは次々どぶ川に転落していたが。

台風とどぶ川 (7月23日・月)


私の実家の周辺は今は建売住宅やマンションが建ったが子供の頃は北東方向に水田が広がっていた。実家の東側には小さなどぶ川を挟んで狭い私道が2本。このどぶ川は水田の用水路であり生活排水路なのだがこれが台風で水が溢れる。だから床下浸水は何度もあった。

トイレは10年前ぐらいまでは汲み取り式だった。いわゆるポッチャン式。この汚水槽のコンクリート壁がいい加減だったのかどぶ川の水が浸み込んでいたようだ。つまり台風でどぶ川の水位が上がると汚水槽の水位も上がる。大便器から汚水が溢れ出ないかと気が気でなくなる。

一度だけ床上浸水があったらしい。ということは糞尿が溢れたはずだ。今回母に聞いたところ父母の結婚前で父もまだ住んでなかったときらしい。ともかく台風の一番の恐怖はトイレが溢れ出ないかどうかだった。実家前にあるどぶ川の水位チェックは重要だった。

さて汚水槽にどぶ川の水が浸み込んでいたということは我が家の糞尿もどぶ川に浸み出ていたということか。私と弟を含め近所の子供たちは必ず1度はどぶ川に落ちた経験があるのだが・・・。

公園ウォーキングと広角レンズ (7月22日・日)


夕方から近所の大きな公園に行った。目的はウォーキング。公園の中の道は案内板によると一周すると2,148mとある。今日は2週少しで一度休憩してペースはだんだん落ちたが3周した。約6.4km。自宅から公園まで2km弱あるから今日1日で10km歩いた計算になる。さすがに疲れた。

ステッパーは今回の徳島以来10日間やっていない。徳島に行く1週間前ぐらいに2kg体重が減っていたが結局今では1.2kg減程度。こと体重に関しては「三歩進んで二歩下がる」でいいと思う。急に痩せてもリバウンドするだけだ。地道に運動していこう。

さて今回の公園では新しく買ったコンパクトデジカメ用の広角レンズを試用してみた。ちょっと怪しいのだけどデジカメレンズに磁石で付ける。0.45倍だから36mmの私のFinePixは16.2mm相当になる。

使用感は案の定なのだが非常用という趣だ。帰宅してPCで見ると撮影画像周辺部のボケは大胆で通常使用には耐えられない。ある種の効果としてなら見られなくもない。非常用に撮影対象の雰囲気を収めたいようなときに使ってみよう。

偶然か必然か (7月21日・土)


今回の帰省はキャンプは諦めたがZ嬢宅には行く予定だった。帰省前も後もZ嬢と頻繁にメールでやりとしていた。そんな7月13日。徳島空港に迎えに来てもらった母の車に乗ったら何とまさにこの日にスーパーで偶然Z嬢と会ったと言う。

母とZ嬢は10年ほど前に2回ぐらい会っているはずだが母のことを覚えていたZ嬢から声を掛けられたのだとか。母は全く覚えていなくて父の入院中の看護師さんだろうかと瞬間思ったらしい。それより不思議なのはこのタイミングでなぜ2人が会ったのかということ。

シャスタに一緒に行ったサトコさんが言ったなら私はただの偶然だよと片付けるところなのだが。私の疑問に対してZ嬢からは台風接近に備えてお母さんと一緒にいなさいということだろうとメールをもらった。そうかも知れないが本当にそれだけなのか。

偶然だとは思うが10年間のなぜこの日なのだろう。GWのBBQで感動したとまで言う妻と一緒に帰省した日だし何か意味を見いだす方が自然な気もする。これは世のできごとに偶然はなく全て必然だと捉えるスピリチュアル思考になってしまいそうなエピソードなのである。

お遍路 4 (7月20日・金)


お遍路は以前バイクで高知と愛媛を回ったことがある。そのときのことはほとんど忘れたが愛媛の終わりに近いお寺で大阪あたりから来ていたおじいさんの話を聞いたことを覚えている。

膝だか脚が悪くて杖をつき仲間に助けられて寺を巡っているらしい。それがここに来て何年来も悪かった脚が治ったと言っていた。それで「凄い。四国は凄い。弘法大師さまのおかげだ。奇跡が起きた」と。

なぜ直ったかというと普段使わなかった筋肉を使ったことと自分の意志で動いたからだと私は思う。どう考えても弘法大師さんが治してくれるはずがない。祈ることによる一種の自己暗示かも知れないが。

だから思うのは気持ちの力のことである。自己暗示は重要なファクターだと思うようになった。何より前向きな気持ちが重要なのだろうと思う。それと体の筋肉バランスのこと。

今回の私は12kmでもしんどかった。60歳を越えて全行程1,100kmを歩くのは無理だろう。でも車で行っても階段や境内は歩かざるを得ない。それだけでも筋肉を使い前向きな気持ちが持てれば意味がありそうだ。四国八十八カ所は心と体を整えるリハビリ施設とも言える。

お遍路 3 (7月19日・木)


たった1日遍路をしただけである。準備に行ったのは台風接近の雨の日だし巡ったのは平日だったから人は少なかった。それでもお寺で会う人々のことを思う。各寺で2〜10人。

準備の日に会ったのは団塊世代の団体さんと2組の夫婦。東京から来た坊主頭で作務衣の若者。それと20歳前半の静かな女性。遍路を始めて会ったのは40歳代〜60歳代の男性が数人。50歳代女性ばかり7〜8人の団体。50歳代の夫婦。40歳代の男性と年老いた母親。

それと中学生ぐらいの息子と母親。多分子供の体が悪いのだろう。子供は大人しいが母親の般若心経が寺中に響く。四番から車で帰る途中で50歳ぐらいの女性が一人で歩くのを見た。2人や団体なら分かるが1人で巡る人に会うと気なってしまう。あの作務衣の若者のことも。

巡礼の地の近くに住んでいながらよく知らなかったのだがお遍路に食べ物やお金を渡すお接待という風習があるそうだ。心に何か引っかかりを持って四国に来ると優しくされて感動する人がいるらしい。実は私自身がそういう人を見かけて気になり始めて何となく人に優しくしたい気分になっている不思議。

お遍路 2 (7月18日・水)


お遍路はある種のスタンプラリーである。納経帳に300円で朱印をもらう。本堂のお参りと納経帳だけで済ます観光遍路もいるが正式には真言宗のお経をあげるらしい。私たちは一番さんでもらった冊子にある通りにお経を読むことにした。

事前にCDを聴いていたのでお経は少し読める。でもつっかえる。初めは恥ずかしくて声が出なかったがだいぶ慣れた。でもお経を読むことに意味があるのではなくその過程で自分が考えること感じることに意味があると思っている。だから本当は全て歩きたいのだが・・・。

寺はゆっくり見て感じようと思う。西暦800年代に弘法大師が巡った寺だ。少なくとも1200年の歴史がある。何もないことに価値があると書いたが大師が霊山と定めるにあたりそこに意味はあると推測する。建造物と自然が溶け込んだ寺には日本人の心を呼び覚ます何ものかがある。

一番さんでもらった冊子を見ていて『神との対話』の世界観と同じことを書いている思った。この本については後日書くが般若心経への理解が少し進んだような気がした。できれば覚りを得たい。物質文明から離れてそれが生きる意味のような気がしてきているところ。

お遍路 (7月17日・火)


八十八カ所巡りの始まり。8時半過ぎに実家を出て一番さん。母に送ってもらった駐車場で白衣(はくえ)を着て本堂へ。まず売店で地図を買った。お札を納めロウソクと線香を上げ本を見ながらお経も読んだ。同じことを太子堂でも。ここまでで30分弱。二番へは1kmぐらいで徒歩10分。県道を歩くお遍路姿の自分に少し照れる。

三番へは3kmぐらい。参拝後お昼には早かったが母が持たせてくれていたおにぎりを食べて出発。地図を見て距離が短かそうな五番に向かう。約6km。お寺裏手の五百羅漢も見て今日の最後が四番。約2km。羽田行16:15発の飛行機だったので余裕を見て14時に母に迎えに来てもらって車で帰宅。四番から一番は車でたった10分だった。

今日は結局500mlペットボトル4本を飲み合計12kmを歩いた。時間の制約がなければ七番まで歩ける。ただし体力があれば。私は足の裏が痛くなった。今日は12kmで5寺回れたが寺の間が最長95kmとか数十kmというのが何度もある。一度に歩いても50日かかるという。本当は全て歩きたいのだが現実的ではなさそうだ。

個人的に面白かったのは妻が一緒に歩いていること。しかもお経を読んでいること。これまでの妻にはない意外な姿。汗をかいて歩いて手を合わせて父母に感謝し周りのみんなの幸せを願うって清々しいなんて言っている。帰京して早速次の計画を立てていたりする姿にも驚き。

J邸でBBQ再び (7月16日・月)


昨夜はJ邸で飲み過ぎて今朝は10:40起床。今日もJ邸でバーベキューというわけで簡単に朝食を食べて12時頃行った。N君は昨夜J邸で泊まっていて程なく食材を買い込んでM嬢とご主人のY氏が到着。近所のT社長も今日は車でやってきた。

J君ちの双子の3歳T君Cちゃんともすっかり馴染んで遊び仲間。妻も子供達に大好きなんて言われて夫婦でヘロヘロ。追っかけっこしたり抱っこしたり。話はZ嬢M嬢が屋久島ツアーを豪雨で途中中止した話やZ嬢のJ君攻略作戦などで笑い転げる。門前の小僧状態の妻の数秘術も。

夕方になり「あんぱんまん」から始まるY氏のギター弾き語り3曲歌ったところで雨。雨の中でうどん。タープの下に避難し釜玉。そのまま片づけてデザートのメロンをいただき一旦解散。みんなは引田の花火を見に行くそうだが私たちは疲れて帰ることにした。19時過ぎに実家に帰宅。

J邸まで車で10分。巨大なスーパーまで5分。空港も10分。海にも山にも10分で行けるいいロケーションなんだけど楽しさの根元は仲間の存在にある。GWに続き今回も楽しい休日にしてくれたJ君Z嬢にY氏M嬢とT氏N君と昨夜のみんなに感謝する次第。皆さんありがとうございました。

台風後の一日 (7月15日・日)


深夜3時前後は全く雨も風もなかった。直撃された割には拍子抜けだった。朝起きたらすっかり晴れていた。ただし風は強し。

妻はPCで仕事を始め私はママさんコーラス大会を見に行くという母を送って文化センター。そのまま妻のリクエストで北島のお菓子屋さん。目の前は我が損保屋のT君の会社。このお菓子屋さんは入れ替わり立ち替わりお客さんが多くてビックリした。

帰宅後いのたにで徳島ラーメン。そのままマイケルで買い物。すだち1箱特価780円。お土産も一緒に買ってビールも買い込んで次に松茂でバーナーガスを購入。そのままJ社同期でソフト会社社長のT氏宅に妻を案内して見学させてもらう。森と海を見渡せる絶景に今日も感激。

でGWにBBQをやったJ君ち。キャンプに行けなかった今回もお誘いいただき庭のBBQコンロで焼き鳥とカレー。広島からN君がバイクで来て先ほど見学させてもらったT氏も来てM氏夫妻とF氏夫妻も合流。代行を呼んで撤収したのは24時前。今回もすっかりお世話になりました。

一番さんと台風4号 (7月14日・土)


実家の車で四国八十八カ所一番札所霊山寺。10時前に着いて本堂内の売店で買い物。ほどなく12人の団体さんと2組のご夫婦が来て賑やかに。いずれも団塊世代ぽい。大声で呼び合い杖を横にして持つ傍若無人ぶりは88カ寺をまわる間に直してもらえるとありがたい。

団体さんが去るのを待って白装束と納経帳とお札ほかを買った。坊主で作務衣の青年は東京から来て今日から歩く様子。それに若い女性が1人。一緒に札所の作法の説明を聞く。この後キャンプ用品を買いに松茂を経由し川内ナカイで実家用を兼ねた電池式ランタンを買った。

ちょうどお昼で川内のうどん屋に行こうとしたら猛烈な雨。うどん屋は閉まっていて道路は一部冠水するほどで退散。視界200mの豪雨。お遍路を歩き始めたはずの作務衣の青年を思う。結局お昼は実家に戻って焼そばを食べた。夜も実家で鰻。お遍路本を読んだりして過ごす。

台風は徳島の南をかすめる様子。25時現在で室戸岬西あたり960hPa。3時頃再接近と覚悟していたが実感として急速に衰えていると思う。まだ接近中だがピークは過ぎた気配。経験的に台風進路の左は大した影響がないが今回も。明日は晴れる?そんな期待で頬が緩む。

徳島 (7月13日・金)


お昼前に家を出て飛行機で徳島。少し揺れたが難なく着陸。こんなときに全く物好きだと我ながら思う。明日14日夜に台風が直撃の可能性。それはともかく届いていたテントを取り出し少しだけ広げてすぐ片づけた。本格的に立てるには場所がない。

それより仕事のメールが次々とやってくる。実家ではダイアルアップ接続だから受信に時間がかかる。それにいつものことだがSMTPサーバーを変えないと送信できない。それと我がIBM ThinkPadでは個人用アカウントからはなぜだか送信不可。

もっと言うとこのPCのShurikenでは送信待ちにしてもエディタが画面に出たままだし一太郎が入ってなくて添付ファイルが読めずWORDに変換して送ってもらったりドタバタ状態。いつもと違う環境にイライラする。

ところが夜になると暇である。ネット環境は最悪だしテレビ映りも悪い。と言いつつビールを飲みながら母を交えNHKニュースを見ながら雑談。調子に乗ってビール1.5リットルを飲み干し家にあったワインを飲んでまだ24時前にすっかり酔っぱらった徳島1日目。

帰省と台風 (7月12日・木)


台風4号は沖縄に暴風雨にもたらしている。930hPa。今日現在の予想進路図を見ると四国は15日頃まで暴風圏にあるかも知れない。それなのに。結局のところ予定通り徳島に帰省することにした。

妻は台風が逸れた夢を見たと言う。仲間の一人は台風が過ぎて15日は晴れるような気がすると言う。もし仮にそうなったら連休に何もせず東京でじっとしていたら後悔が大きいと思う。

そんなことなら終日雨でも徳島に行った方がマシだ。シャスタから帰ってほぼ4週間机にかじりついて原稿仕事をやってきた妻にとっても気分転換になる。キャンプを楽しみに必死に仕事をしたのだし。

今回の帰省のチケットはノースウェスト航空のマイレージを使ってJALを予約した。一応変更ができるかどうか妻が問い合わせようとしたが電話が繋がらなかった。あっさり諦めた。素直に予定通り行動しようと。

そんなわけで明日夕方から火曜日夕方まで徳島にいる。晴れたらキャンプに行くかお遍路さんをする予定。台風が直撃したら東北出身で台風の怖さを知らない妻にも貴重な経験になるだろう。後は成り行き任せ。

梅雨と台風(キャンプ中止) (7月11日・水)


梅雨らしい天気である。つまり雨。ニュースによると九州では豪雨で土砂災害も出ている。四国の水不足はこれで解消されたのだろうか。あれだけ水不足と報道しておきながら続報がないのが不満である。

東京は天気予報で見る限り西日本ほどの雨はない。昨日と今日は雨だけどそれまでは曇りの日が多かった。気温もほとんど30度以下。暑くはないが湿度が高いので少し歩くと汗がしたたる。

それでも我が家は今夏まだ冷房をかけていない。窓を開ければ風が通る。湿気はあるが気温が30度に満たなければ風が涼しく感じる。ステッパーで運動するのにいい気候ではないが無理でもない。

それよりも台風である。960hPa。明日沖縄に接近とある。予想進路を見ると14日には四国が暴風圏の可能性もある。梅雨前線も停滞している様子でいずれにせよ連休の雨は免れないだろう。

そんなわけで週末のキャンプは中止になった。残念。買って実家に配達してもらったテントをどうしてくれよう。と言ってもまたの機会に取っておくしかない。週末はステッパーでの運動に励むことにする。残念!

DNSの教訓 (7月10日・火)


ヨガのフミコさんのサイト「bms-c.net」のホスティングサービスの登録情報を変更した。妻の前の会社の管理だったものを移管。ところが登録者の変更はできず一旦解約して新規契約を行う。

手順はホスティング会社のサポート担当からメールで送られてきていた。よく分からないところもあったがエイヤでやったらサイトが見られなくなった。即日解約したのが悪かったようだ。新規契約のサーバー設定は2時間後にできたたと連絡がありコンテンツはアップしたがDNSが切り替わらずサイトは見えないまま。

この間メールの送受信もできない。サポートメールを読むと解約してもしばらくサイトは維持されると読めたが違った。解約日は何日か先にしておいて新規契約をするという意味だった。とんだ失敗だが分かりにくい説明手順に少々不満。

夕方になってアクセスしたら見られるようになっていた。ホッとしたが午後は慌てた。ドメインのレジストラ情報の変更もしようと思っていて現契約が切れる前にと焦っていたのだった。何事も落ち着きが必要だと分かっているのに。今日のことは改めて教訓にしておこう。

恵比寿の飲み会 (7月9日・月)


飲み会で恵比寿。1年前まで仕事をしていたD社と協業関係にあった今はなきE社の2人。H氏とNさんと。前回飲んだのがいつだったかと話題になったが日記に書いている。去年の11月9日だ。

今回の話題はスピリチュアル。H氏は私の6月23日の日記を読んで背の高いビルとは日経BPだと思ったそうだ。そのビルの他のテナントは保険系の金融会社だからとか。うーん。私が聞いたイメージとは違う。日経BPなら既にコラムを書いているし。ゴーストライターとしてだけど。

Nさんは霊能者に見てもらったら黒系の服を止めろと言われたという話。まずはインナーからだそうでH氏がその色を聞き出しているの。サイパンに先週行ってきたという話からダイビングをやれば一人で来ている男性もいるよといった話も。

仕事でも今は全く関係なくプライベートでも深く付き合ったわけでもない2人。気兼ねなくバカ話ができる。ちなみにH氏は私の2年前の日記を読んでステッパーを買ったそうだ。でも使っていないと。私は今日計ったところ2週間と4日で2kg減。とても順調なのである。

体重 (7月8日・日)


同じ話で恐縮だが体重は2週間と2日で1.2kg減っていた。特に腹回りの脂肪が落ちてきたことは触っても分かる。この調子で運動を続けようと思いつつ土曜は時間がなく日曜は二日酔いの体調不良で断念した。

代わりに腰回し運動。ただ立って円を描くように腰を回すだけ。体幹筋肉に効くのだろう。効果はよく分からないが運動としては楽なので一応毎日やっている。それとバランスボール。こちらは股関節周辺の筋肉と腹筋に効く。楽ではないが座っていればいいだけなのでときどき。

さらに妻のアドバイスでヨガのポーズも。床に座って上半身を捻る。腰と胸の向きは90度違って腹が雑巾を絞るような格好になる。この体勢を1分も維持するのは大変で汗がにじむ。右と左と交互に何度か。

これは内臓脂肪に効くらしい。腹筋に力を入れると皮下脂肪はさほど厚くないことが分かる。なのに腹が出るのは内臓脂肪が原因なんだろう。確かにステッパーよりじわじわ効く感じがする。

体のエネルギー消費は特別な運動によるものより日常生活によるものの方が量は多い。だから日常生活の方が重要だと思う。そういうわけで仕事中も姿勢をよくしたり腹筋や呼吸を意識したり。この調子なら4.5kg減はできそうな気もする。ただし飽きなければ。それが問題。

シャスタの写真上映会 (7月7日・土)


シャスタのツアー仲間が自宅に集まった。リフティングフェイスヨガのフミコさんとミュージカルのサトコさん。シャスタ以来の2人。17時半過ぎにやってきてフミコさんと妻は仕事の打ち合わせ。サトコさんが遅れて来て雑談いろいろ。これに合わせて写真のCD化を都合4枚。

自宅でサトコさんのオーラチェッカーすなわちデジカメの液晶を見ると紫の光が見える。理由を求めて屋外に出た。発生源はただの夕日だった。サトコさんは東京に戻ってもオーラチェッカーは有効だと言っていたが違う。今回も光は見えたがシャスタのときのような光ではない。

日が暮れて妻が作った夕食。フミコさん出演のテレビ番組を3つ飛ばしながらみんなで見てその後はシャスタで撮影した写真の上映会。これがオーブだとかUFOが写っているとか大騒ぎ。だからホコリと鳥だって言うのに。サトコさんが撮影した写真も全て見た。彼女たちがニューヨークに行った後のものも含めて。いや楽しい。

みんなが帰らなきゃと言い出して時計を見たら23時45分。私はまだ21時頃だと思っていた。お母上が心配なサトコさんが車で帰ってフミコさんは居残り。フミコさんと妻は仕事の件で緊急ミーティング。その間に私は洗い物。27時頃解散。大いに笑って楽しかった夜。

四国八十八カ所 (7月6日・金)


四国八十八カ所巡りをしようかと妻と話をしている。これはスピリチュアルな発想やシャスタ体験とは全く関係がない。一番札所まで実家から車で15分程度だから面白そうだという軽い考えだ。そんなことをなぜ考えたのか覚えていないが今年初め頃から話し合っている。

私は94年春にバイクで高知と愛媛のお寺を回った。母は車で父と回ったことがあるそうだ。父が1度目の脳腫瘍の手術をした後だろうか。まだ一人で歩けた頃。それと最近知って驚いたのだがA社の同僚で20歳代の女性Iさんは8月末にバスツアーで行くそうだ。

私は行くなら歩こうと思っている。車やバスで行ったのでは真価が分からないような気がする。13年前に経験したが寺でお経をあげただけでは通り一遍のような。連続して歩いても50日ぐらいの行程だそうだから東京からだと10年ぐらいかかるかも知れないが。

そんなわけで本を2冊買ってきた。『四国八十八ヵ所を歩く』と『四国八十八カ寺&周辺ガイド―ふれあいの遍路 旅に出かけよう』。さて今年から歩いてみるか。計画するとしても1番まで母の車で送ってもらい例えば5番に迎えに来てもらうというズボラなスタイルで考えている私。

フィットネス (7月5日・木)


ビリーズ・ブートキャンプのDVDが大流行らしい。米国陸軍式フィットネスをアレンジしたという触れ込みだがテレビショッピングで見る限り私はついて行けそうにない。あんなもの誰が買うのかと思っていたらA社の同僚が欲しいと言っている。別の同僚で持っている人もいた。

私は数年前に妻に連れられスポーツクラブに行ってボクシングフィットネスをやったことがある。初めは息が上がって倒れそうになった。妻はこういう運動が好きで単調なエアロバイクやウォーキングマシンはダメだと言う。私は逆だ。ストイックで単調なのが性に合ってる。

そんなわけでステッパー。先日書いたが一応2日に1回程度のペースで続けている。2週間ですっかり慣れて脈拍もさほど上がらなくなり数分ずつ休憩しながら今日は10分を5セット。約5,000歩で1時間。

体重は今朝計ったら2週間で1kg減っていた。でも夕方計ったら400g増えていた。都合2週間で600g減。でも少しずつは減っているようなのでヨシとする。当面の目標は1年前レベルの1.5kg減。できれば2年前レベルの4.5kg減を目指す。できるかなぁ。

仕事と生き方 (7月4日・水)


先日書いた通り我が社最大のクライアントに対し契約の見直しを提案したら先方から契約を終了したいと言ってきた。もっけの幸い。これで数ヶ月に及ぶ不愉快から解放される。どうも本当にお金がないようで契約終了の合意書案を提示したら料金を都合よく誤解して安く続けてもらいたいと言ってきた。冗談じゃないと突っぱねた。

ノウハウや知的財産に対してダンピングを要求するのは非文明人の発想である。ましてや一度合意した契約を無視するような要求ばかり言うのは最低のビジネスだ。仕事相手に信用されない企業の心根はたとえ宣伝で取り繕ってもエンドユーザーにゆっくり伝播していくだろう。

それはともかく我が社の売上は激減する。今期の大赤字は必至になった。6月の役員報酬は未払いにしてある。でも私も妻もこのこと自体はさほど気にしていない。前にも書いたが売上のために仕事をしているのではない。人の役に立っているという実感を持ちながら楽しくできるのが第一だ。大赤字になっても生活だけはできるだろう。

シャスタのジャパニーズ・オーガニック・レストラン「ViViFY」の入口に置いてあった大将サチオさんが書いた絵と文を添える。これは日本の現代社会にこそ求められている価値観であり考え方であり生き方だと思う。
© さちお。クリックで拡大します。本webへの掲載については6月11日、サチオさんから許諾をいただきました。

6月後半 (7月3日・火)


シャスタから帰ってからの生活をまとめておく。妻は原稿仕事にかかり切り。秋に2冊同時刊行するキャロルの本の翻訳仕事。和訳はカオルさんがやっているがそれは直訳で後工程として日本人に合う表現に変える作業をしている。義母もイベントが続いて外食が多かった。

まず6月21日はハーブ栽培のT社長らと赤坂。シャスタの電解水がいいという話を聞いたのは以前書いた。翌22日は渡米直前の8日にも飲んだPDAの師匠M氏と永田町。彼とは3度目の黒澤。黒澤明をモチーフにした店だが前よりメニューが減って高くなっていたような。

30日は徳島のK氏が泊まりに来た。近所の神社に行ったら閉門していて居酒屋に行った。妻は原稿仕事で1.5時間遅れで合流。私は店で生ビール5杯と帰宅して350ml缶を3本。翌日は久しぶりの二日酔い。K氏は寝袋持参で妻の仕事部屋。深夜まで私が一方的に語っていた風。

昼は近所で蕎麦を何度か。19日は妻と義母と3人で鍼灸治療院に行って上記K氏と合流してうどんを食べた。ちなみにE先生は新規の患者を断っている。私も日記で書くのは控えよう。次は早くて秋だけど。

腰痛はすっかり治ったがシャスタで痩せた分は元に戻った。なので21日からステッパーを再開。週3回ペース。体重計によると10日かかって400g減。誤差の範囲だ。先は長い。

インテリジェンス (7月2日・月)


インテリジェンス 武器なき戦争』を読んでいてインテリジェンス活動は広報業務と一緒だと思った。広報とは対外的なスポークスマンだと思われているが私は諜報活動も重要な仕事だと思っている。

諜報と言うとイメージが悪いかも知れない。でも自社に対する社会あるいはメディアの見方を知ることは広報の基礎の基礎だ。あるいは記者さんとの付き合いからライバル企業の情報を断片的に収拾するのも重要な仕事だと思う。断片情報を並べれば分析に耐える情報にもなる。

メディアの人事情報もインテリジェンスだ。編集長の人物像から編集方針を予測することもあるしメディアとの対立に備えて内部の人間関係を把握しておくこともある。今は情報の利用機会がないから何もしないが現役時代は雑談からでも情報を集める意識を持っていたと思う。

日本陸軍参謀本部の「秘密戦」の定義によると「諜報」「防諜」「宣伝」「謀略」の4つの分野があったらしい。この定義に従えば広報の仕事は宣伝が主だが諜報と謀略も仕事の範囲だと思う。

そう考えると私は宣伝としての対外PRには向いていないが諜報と謀略は得意かも知れない。雑談から情報を集め分析し利用するのが仕事の醍醐味だと思っていた。そういう視点からもこの本には共鳴した。

『インテリジェンス 武器なき戦争』 (7月1日・日)


外務省でこの人のための役職があったものの「国策捜査」によって起訴されたラスプーチンとNHKワシントン支局長などを歴任した外報部の元エースとの対談。手嶋龍一・佐藤優『インテリジェンス 武器なき戦争』 (幻冬舎新書)。外交の舞台裏が垣間見えてこれはお奨め。

国家が外交戦略を練り戦術を立てるための基礎となる情報をスパイ活動も含めていかに得て分析し判断するかという話題が具体例とともに語られている。具体例がまさに現実の具体例であって読んでいて飽きない。報道の裏側の事情も次々と披瀝されていて一気に読める。

外交戦争で相手国のインテリジェンス(機密情報)を入手できていない日本。あるいは最高度のインテリジェンスを手に入れて利用してきた日本。どちらも現実で2人の知識と見識と思想がよく分かる。少しでも政治に興味がある人なら一読しておくべきだと思う。

東京はインテリジェンス活動の一大拠点だそうだ。世界の機密情報が集結しているらしい。ただし外務省警察庁防衛省公安調査庁財務省海上保安庁検察庁経産省マスコミ商社などに分散している。それを海外の機関が集約して情報戦を行っていると。そんな話が満載。それにしても刑事被告人である佐藤優氏の凄まじい知識見識に圧倒される。

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© 2007 Takashi INAGAKI