2013年5月

シジミ取りと膝の怪我 (5月27日・月)


テレビ東京の「アド街っく天国」の東京・穴守稲荷の回を録画で見ているとシジミの話題がやたらと出てきた。大ぶりだと盛んに言うが東京湾のシジミには抵抗があるなと話していてシジミ取りに行ったことがあるかと妻に訊かれて思い出したこと。

子供の頃は父が好きだったのかシジミ取りにはよく行った。たいてい近所を流れる撫養川の河口あたりだったと思う。長靴を履いて熊手か何かを持ってバケツに入れていった。私が右膝を切って病院で3針縫ったのも父と汐干狩に行ったときだった。今も傷跡が残っている。

バランスを崩して岩にぶつけたのだろうか。よく覚えていない。ただ父はHONDAスーパーカブで行き私は自分の自転車で行ったときだ。怪我をした私に驚いた父が私をカブに乗せて病院に連れて行った。「僕の自転車は置いていくの?」と気にした記憶がかすかにある。

後に自転車は父のカブに乗って取りに行ったのだろう。このときだったか別のときか父のカブと自転車で併走しながら鳴門市営バス車庫前で時速を訊いたら「20キロぐらい」と言われた記憶がある。それは確か小学1年のときだった。母に訊くと私が怪我したこと自体の記憶がないらしいが。

地震対策の金具 (5月25日・土)


先日来ホームセンターに何度か行って金具をいくつか買ってきた。地震に備えて本棚を固定するためのものである。最初に沖浜のデコール(旧ナカイ)で買ったL字型の金具は大きすぎて本棚の天板と柱を固定する用にしか使えないことが分かり寸法をメモして出かけたのが金曜。

小松島市にあるコーナンという巨大なホームセンターで物色。欲しかった金具は3種類あったのだが買うべきものを決めるのに時間がかかった。現在のところ本棚は側面の一部を柱に接しているだけで壁に着けているわけではない。天板と天井の間を突っ張り棒で支えてはいるが。

最初の結婚のときに買ったものなのだが本当は食器棚だと思う。上下2つに分かれ上部は単に乗せているだけ。だから地震には弱いと思う。前に倒れれば私を直撃する。後ろに倒れると妻のデスクがつぶれる。運が悪ければ私か妻は押しつぶされる危険がある。

そこで上部と下部を留めて本棚を柱や床に固定するようにしようというのが今回の計画。でもネジを入れるのが面倒で逡巡している。電動のインパクトドライバーを借りてくればすぐ終わることは分かっているが。いずれ模様替えするかも知れないと考えたりして作業は進まず。

ダイエットとマクロビ料理 (5月22日・水)


先日書いたダイエットはまだ続いている。読みもしないかも知れないと書いた「ターザン」は読んで一部を実践している。座っているときの姿勢をよくしているという程度だが。肝心の体重は順調とは言えないが全体的に見ると減っている。最初に計ったときから2kg程度。

他にテレビを見ながら片足立ちしてバランスを取ったり。そうやって体幹のインナーマッスルを鍛えると脂肪燃焼効果があるとテレビでやっていたので真に受けて。数日前からは何年も前に買ったまま使っていなかったウェイトを足首に付けている。片側1kgある。

これでウォーキングでもすればいいのだろうが面倒なのでパス。せめて動くときの負荷を増やそうという計画である。たいてい部屋の中なのでたかが知れているが。それとソファに座ったまま腹筋運動を少々と腕立て伏せと。器具がなくてもできる範囲で。

食事は野菜から食べてご飯は最後。白米の量は減らした。今日の昼は上勝のシェアカフェでマクロビ料理。町内の見知った人が次々と来るから合流して話をしながら。ただいま右手が不自由な妻が作る料理もヘルシー志向。多分だから運動より食事の成果が出ている様子。

アプリ「Sleep Cycle」とiOS6 (5月19日・日)


元々仕事で知り合って数度しか話をしたことはないのだが東京・三社祭に命を駆けているI氏が自身の睡眠状況を毎日Facebookにアップしている。それで興味を持ってアプリをダウンロードしてみた。Sleep Cycleと言う。iPhoneに入れて寝るときに枕元に置いておくだけ。

iPhoneの加速度センサーを使ってベッドの動きを検知して記録する仕組みらしい。睡眠の深さが時間軸とともにグラフ化されて表示される。おそらく全く動かない時間を深い睡眠だと推測してグラフ化しているのだと思う。トイレに起きた時刻は当然「覚醒」とグラフでは表示されている。

7時間から8時間の間に4回ぐらい深い睡眠がある。何となく寝不足な気がしているがグラフを見ればしっかり寝ていると納得する。このアプリのいいところは指定した時間の前30分の間で眠りが浅くなったタイミングで目覚まし機能があるところ。比較的すっきり起きられる。

使い始めて3日ぐらいなのだが結構面白い。日中に何があったかメモしておく機能もあり睡眠との関係を検証する役にも立つ。さてiPhoneをPCに繋ぐたびに告知が来るのが面倒なのでOSを今日アップデートした。iOS6。6.1.3だ。これでiPadもiPhoneも最新OSになった。

橋本昭会長 2 (5月17日・金)


徹夜の件で叱らたほかは橋本昭会長と話をした回数は多くない。一度灰皿を借りに行ったことはあった。J社は当時から禁煙だったが会長の部屋だけは治外法権で喫煙が許されていた。そんな中1990年代前半だったか会議室に来ていた客人が灰皿もないのにタバコに火を付けた。

誰だったか忘れたが蛮行ではある。今から思えば事前に禁煙だと言えばよかった。ともかく慌てて会長室に走って行った。確か百十四銀行出身のT井さんが経理部の部屋にいて事情を話して借りた。あの灰皿は会長室からT井さんに持ってきてもらったと思う。

橋本会長は香川の第1地銀である百十四銀行の出身だ。私がJ社に入って間もなく世はバブル経済で猫も杓子も株式投資で儲けていた。J社には既に投機に回せるだけの潤沢な現金があったと思うのだが株には手を出さなかった。それは銀行マンとしての会長の判断だったのだろう。

アスキーが後にバブル後遺症に苦しんだのにJ社は本業だけで儲けを積み上げていた。だから私が10年間に渡り本業のことだけを考えて仕事ができたのは会長のおかげだと思っている。若い会社において会長の存在は安心感があった。改めて感謝しご冥福をお祈りします。

『約束の日〜安倍晋三試論』 (5月15日・水)


昨年12月に就任した安倍晋三首相は私の好きな政治家の一人である。政治思想には共感しているし首相として実行されている現内閣の政策も素人視点では100点に近いと思っている。それで話題でもあったのでKindle版で読んでみた。小川榮太カ『約束の日 安倍晋三試論』(幻冬舎)。

発行されたのは昨年10月。つまり首相ではなく自民党総裁就任直後。有名なのは書き出しのフレーズだ。「『安倍の葬式はうちで出す』安倍内閣当時の、ある朝日新聞幹部の発言だ」。昨年秋に安倍内閣誕生を見ずに死去した評論家の三宅久之氏の発言が続く。

「安倍首相をいたずらに叩くけどいいものは認める報道はできないものか」と三宅氏が朝日新聞論説主幹の若宮啓文氏に聞くと言下に「できない」と。その理由を「朝日新聞の社是だからだ」と答えたというエピソードである。最近は手打ちを行ったと週刊誌の報道にあるが。

第1次安倍内閣当時官僚の不祥事が相次ぎ自殺者まで出たがそれを「反安倍勢力が〜今までにない基準や騒ぎ方で、閣僚のバッシングをし続けた」とする主張は理解できる。ただし安倍氏を支持し擁護する論調が過ぎて白ける。安倍氏を知るための資料ではあるが読むほどではない。

体重計とダイエット (5月14日・火)


体重計を買った。確か5月5日だかに届いて毎日計っている。東京時代から体重計は持っていたが壊れて2年ほど前に別のものを買っていた。でもアナログ式でメモリが読みにくかった。しゃがんで500gの判別ができる程度で1kgぐらい読み間違えかねないものだった。

これでは意味がないと思い買い直したわけだ。体重計を調べてみるとオムロンやパナソニックの製品ではAndroidのスマホにデータを送信する機能を持つ機種などがある。でも私が買ったのはSDカードでデータを記録するタニタ製。体重はもちろん内臓脂肪量などまで推測値を出してくれる。

あらかじめ身長などを登録して計測することで乗るだけで人物を判別して自動的にデータを記録してくれる。私と妻を登録したのだが乗るだけで電源がオンになって自動測定される。しかもSDカードに記録されているからときどきPCに読み込んで推移を見てみる。

5月6日から努力して既に1kg程度減ったようだ。努力と言っても食べる順番を意識した上に炭水化物を若干減らしているのとインナーマッスルを鍛える軽い運動と腹式呼吸だけ。楽して痩せたいもので。今日は「代謝upでやせ体質」特集の「Tarzan」も買ってしまった。

大阪コールブリランテ演奏会 (5月12日・日)


上勝を出たのが6:37。末広大橋経由で川内に寄りY氏をピックアップして実家に車を停めてS氏の車に同乗。さらにT氏と鳴門教育大学1年生N君を乗せて大阪。女声合唱団コール・ブリランテの演奏会に招待されたのである。徳島からの参加は総勢16人。

8:10頃に鳴門北インターから高速に乗って大阪の目的地いずみホールに着いたのは9:40過ぎ。1時間半で着いた。控え室に入って11時まで待機。リハーサル室やステージで順次練習して用意された弁当を食べて本番は15:10から。昨年4月にも演奏したホールはものすごい響く。

単独ステージで歌ったのは4曲。「もちつき」は以前歌ったし「八木節」は今年3回目。あと2曲は最後の最後までICレコーダーに入れておいたデータを聴いて歌詞を覚えた。でも本番では歌詞が飛んだところが2〜3カ所。でも大学1年生の3人組に救われたような気がする。

「もちつき」には会場から拍手とともに「面白い」という声が聞こえた。「八木節」の演出には大きな拍手をもらった。徳島にはない一流の素晴らしいホールで演奏できた。17時からは懇親会。最後に「もちつき」と「鴎」を歌ってお開き。帰りもS氏の車で。皆さんお疲れさまでした。

上勝TV第30回 (5月11日・土)


上勝TV第30回。昨日書いたように今回はライトを買って使ってみた。100Wの電球型蛍光灯4つが付いており400Wの明るさで照らしてみた。木曜に届いていたのだがスタンドが必要だと気づいて慌てて注文して今日届いた。合計25,100円。安くはないがテレビ番組の制作としては安い。

さらにミキサーも買った。サブに使う。前にピンマイクを1個追加して4個になっていたのだが私が使うハンドマイクが1本あって合計5個のマイクを使いたい。ところがマイクのケーブルを挿入する口が今までのミキサーには4つしかなくピンマイクを4個使うことができなかったのだ。

これまではマイクを2本スタンドに立てて音を拾っていたが周辺のノイズをやっぱり拾うのでピンマイクを使いたいと考え私のマイクだけを処理するサブミキサーを買ったのである。今回の音声はよかったと思う。ただし勝浦郡内でUstreamは見られない可能性があった。

先日来Ust受信ができないと書いていたが町内配信のUstが町内では受信できないことが昨日分かった。昨日教えられてGoogleのパブリックDNSを設定などもしてみたが。番組は野尻地区の農家民宿さんら女性2人がゲスト。MCはイマジンとまりりん。ピークは38だったと思う。

Ustream用データとライト (5月10日・金)


月1回Ustreamで配信している「上勝TV」は編集した上で徳島のケーブルテレビ「テレビトクシマ」で再放送されている。一昨年秋に提供を始めた当初はUstreamに配信したデータを使って編集していた。だからテレビで見るには品質の悪い画質だった。

著名なUstreamerであり徳島に移住したノダタケオさんに昨年配信をお願いして撮影用ホームビデオのデータを使う方法を教えてもらった。ノダさんのカメラからデータを移すのにHDDをやり取りしていたがビデオカメラを購入して今では私自身でデータの処理を行えるようになった。

ただしテレビトクシマへのデータの受け渡しはDVDで行っていた。この方法は元々テレビトクシマに指定されたものだったが放送番組を見るとデータの劣化が気になる。それでDVDにするのではなく編集データをそのまま書き出してUSBメモリで受け渡すようにしてみた。

DVDはデータサイズが4GB以下だがUSBメモリに書き込むと9GB以上ある。やっぱり4GBに圧縮するために劣化していたのである。この方法は2月配信分から採用している。テレビで見ると明らかに違いが分かる。でも今度は明るさが気になってきた。そんなわけで照明用ライトも買ってみた。

Ustreamの受信ができない (5月9日・木)


先日からUstreamの受信側PCに動画が表示されず困っている。例えばMacBookで配信して同じLAN環境にあるWindowsPCで動画を見ようとすると表示されない。最初はチャンネル名がいけないのかと思い変えたりしたが関係ない。気づいたのは4月25日(木)夜だったと思う。

協力するという人がツイッターに書いてくれていたので26日(金)に再度配信をしてみた。このときは配信中であることをツイッターに書き5人ぐらいがソーシャルストリームから意見を寄せてくれた。同じマシンで配信と受信をしたらどうだとかFlashの問題かとかChromeが原因かとか。

アドバイスに従い試してみたが唯一成功したのはiPhoneから配信してPCで受信するというパターンだけだった。5月1日(水)だったかに今度は上勝TVの配信環境を作ってみたけど現象は同じ。さすがにやばい。問題はルーターにあるのではないかということで買い直しもした。

NEC Aterm WR9500N。これの設定をしたのが5日(日)。WAN側はあっさり設定できたがLAN側のプリンタやNASのIPアドレスなど面倒なことをやってみたがUstreamの状況は変わらず。プロバイダの問題ではないかと疑ってプロバイダにも連絡したが解決せず。まじで困っている。

生原佳子さん (5月8日・水)


月曜に行った1件目は生原佳子さんの葬儀だった。何年か前に離婚されて北村佳子さんと名乗っていた。56歳だったと言う。生原さんからは入社前の研修で名刺交換のやり方などビジネスマナーの基本を教えられた。お客様へのお茶の出し方は実演入りで初めて知ったことなので印象深い。

私が2年目の冬。広報部門を作れと命じられた私は浮川初子専務から新入社員の女性の中から1人を部下として選びなさいと言われ指名したのが生原さんの部下だったN嬢だった。そして私の部署に引き抜いた。彼女には期待していたのにと生原さんからは文句を言われた。

それでもいつも親しく話をさせてもらった。6歳も年上だけどいつも私たち若手の味方をしてくれる人だった。最近はTSSリンクという会社の社長だった。私が徳島に戻った4年前には会社に生原さんを訪ねた。私が入社した当時のJ社のビルにオフィスはあった。

そのとき電話をしたら今から外出するから時間がないと言うのを無理矢理押しかけて1分だけ話をした。それがお会いした最後になった。亡くなった妹さんの子2人を引き取って育てていたと言う。葬儀では高校生だろうか女の子が生原さんが生前に書いた挨拶文を読み上げた。悲しい。

橋本昭会長 (5月7日・火)


月曜に葬儀に行った2件の訃報は土曜にFacebookのメッセージで連絡を受けた。皆が関係者を追加してスレッドは150人を超えるまで増えた。亡くなったお一人はJ社創業者である浮川初子専務(当時)の父上であり代表取締役会長だった橋本昭氏だ。

橋本昭会長は若い会社にあって当時唯一60歳以上であって私にとっては雲の上の存在だった。私は当時著作権侵害の告訴状を何十通も作成して代表取締役印が必要だったが会長が管理していたので決裁書を書いた上で押印をいただきに会長室に行く機会があった。

そういうときに声を掛けられる。そして緊張する。最初は1989年の4月か5月だったと思う。1988年の秋だったかも知れない。警察に提出する鑑定書類が整わず徹夜した翌日だったか17時近くになって告訴状の押印をもらいに会長室に行ったとき。そしたら会長から声を掛けられた。

「徹夜したというのは君か。1人が徹夜すると電気代が掛かるんぞ。経費が掛かることなんだから徹夜などせず仕事をしなさい」といった意味だったか。恐縮した。でも経理の皆が声を殺して笑っていた。その雰囲気に会長の言葉の暖かさを感じた。そして会長が好きになった。

葬儀2件 (5月6日・月・祝)


8:25に上勝を出て40分ぐらいで着いたかも知れない。徳島市寺町にあるイマデヤ。葬儀場である。J社でお世話になった北村(生原)佳子さん。56歳だったと言う。JAL国際線スチュワーデス出身で入社式時にビジネスマナーを教わった講師でもあった。

営業マンをサポートする部門の長く責任者だったから当時の部下だった女性や営業担当らを見かけた。別部門からは私の先輩女性も。私が辞めて以来15年ぶりあるいはもっと久しぶりの方々と話もした。目礼だけの方も多かったが元同僚は30人ぐらいいたのではないか。

10:30過ぎの出棺を送り友人Kの車で秋田町のヤラカス。ここも葬儀場だ。亡くなったのはJ社の元代表取締役会長であり創業者浮川初子さんの父上である橋本昭氏。86歳だったと聞いた。私たちが着いたときは既に始まっていた。生原さんの葬儀から20人以上が移動してきたと思う。

こちらだけで会った方も何人もいた。自衛隊出身で総務で力仕事中心にされていたT林さんは80歳だと言う。製品部のO元部長や試験のM氏に総務K氏らとご挨拶。終わってKの車で元営業部長K氏を徳島駅までお送りし最初の葬儀場の車をピックアップ。鳴門の実家から「響」の練習。

お松権現と八鉾神社と生夷神社 (5月5日・日・祝)


午後になって車で15分のコンビニに買い物に行く用があった。妻も誘ってついでに短いドライブ気分。コンビニ往復ではつまらないのでそのまま阿南に向けて走っていて看板に吸い寄せられてお松権現に行ってみた。大量の招き猫が置かれている猫神様だ。

謂われを読むと何とも切ない。代官にだまされた未亡人が直訴に及び処刑されたが猫に後を託したところ代官宅などに化け猫が出て絶家したというもの。何故か受験の神様として徳島では知られている。親に連れられて来たことがあったかどうか。

阿南に皇太子殿下も来られた神社があると以前聞いていてiPhoneで調べて行ってみることにした。敢えて那賀川を上流に向かい阿瀬比から195号線経由。日亜化学の近所にあるその八鉾神社は何の変哲もない地元の氏神に見えたが相当の由緒がある由。

そのまま帰りに事代主神を祀る生夷神社へ。勝浦町にあるがこれも地元の氏神の趣。国譲り伝説の大国主神は阿南から勝浦にかけてのものだという説に納得はしていないが一目見ておきたかったのだ。GW午後の2時間半ショートトリップは神社巡りとなった。

GWで海岸巡り (5月4日・土・祝)


ゴールデンウィークである。今年は3連休のあと平日が3日あり4連休。後半4連休の初日の金曜は遅く起きて妻と買い物へ。でも前日木曜夜に事情があって自宅まで行って会った友人が暇だと言うからFacebookのメッセージで連絡を取り合って末広の「ガス灯」で3人で会った。

今日は12時前に出発して県南へ。実は妻が怪我をしていて右手が使えない。ストレスを溜めているしGWを楽しめないと酔っては泣くのでドライブに行くことにした。昼食は妻が事前に調べていた伊座利カフェ。結構な山越えで行く漁港のお店。地元の人たちが運営して評判なのだ。

でも13時過ぎに着いたときは終わっていた。GWの人出をバカにしてはいけない。それで再び峠道を戻って日和佐へ。と言っても当てはない。看板に従って行った店も終了していて。そのまま走っていて見つけた「御食事処むらかみ」。ここで美味しくいただいた。

上勝の棚田米のお酒があるので上勝から来たことを言ったら2年前に移住したO氏の叔父さんが大将なのだとか。そのあと大砂海岸や愛宕山や高知の東洋町の海岸を見に行った。夜は焼き肉。女将さんは右手指を骨折して1年かかって元に戻らなかったと妻が盛んに同情されて。

50歳 (5月2日・木)


4月29日は誕生日だった。50歳になった。Facebookではウォールに50件だか60件のお祝いメッセージをいただいた。おかげでKlout Scoreが跳ね上がった。昨年はあまりの数に途中から返信を諦めたが今回はこまめに返信してみた。相手に合わせてコメント書いてそれはそれで楽しい。

さて50歳である。何人かのメッセージに返信したことなのだがこれで私はおじさんではないとを全く否定できなくなった。どういう角度から誰が見てもおじさんである。妻は甥が「おばさん」と呼ぶことに抵抗していたが今年50になることを覚り諦めたと言った。そういうことだ。

30歳のときも40歳のときも私は何の感慨も持たなかった。これまでで一番年齢を意識したのは28歳だ。私がJ社に入社したのは24歳ですぐ25歳になった。そのとき営業企画部門を総ていた喜屋武さんが28歳だった。私が入社したときの喜屋武さんの年齢28歳は意識した。

今回の感慨は28歳のとき以上かも知れない。私がJ社を辞めたのは34歳で会社勤めの定年を60歳とすると10年勤めて10/35しか経ってなかった。今や25/35。いつの間にか残りの仕事人生が短くなっていた。そういうことも考えた50歳の誕生日。

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© 2013 Takashi INAGAKI