2017年5月

スティングの2枚のアルバムCDを購入 (5月31日・水)


5人組ヴォーカルグループのペンタトニックスの新譜「PTX VOL.IV -クラシックス」を買って聴いている。1曲目はクイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」。この名曲をヴォーカルだけで再現していて2曲目はジョン・レノンの「イマジン」。どれも知っている曲ばかりで素晴らしい。

先日スティングのCDも2枚買った。これまで持っていたのは去年買ったものも含めて6枚。このうち「ブルー・タートルの夢」「ナッシング・ライク・ザ・サン」「ソウル・ケージ」は1990年代に深夜の峠道に車で走りに行って聞き込んだ。いずれも徳島市沖浜にあったフジレコードで買ったのだと思う。

元々ポリスを聴いていたのでスティングのCDも買ったのだと思うが店頭で見つければ購入するというスタンスで当時は仕事が忙しくCDを管理することもなく何と「ソウル・ケージ」は2枚持っている。でも峠道ドライブを楽しんだのも1990年代半ばまでで以後はCDもあまり買わなかったのだろう。

そしてスティングのアルバムで持っていないものがあることに気づいてアマゾンで買ったのが先日の2枚。1996年の「マーキュリー・フォーリング」と1999年の「Brand New Day」。もう20年も前のアルバムだが今まで聴いてこなかったことを残念に思う。これから聴いていこうと思う。

妻のPCのHDDからデータを救出 (5月30日・火)


妻のPCが壊れたことは既に書いた。データファイルは2年前からOffice365で同期させているから問題ない。と思っていたらデスクトップに一部のファイルを置いていたと言う。確かデスクトップも含めてNASにバックアップしていたはずだが最新ではないと思う。

どうにか救出して欲しいと言われヨドバシ.comでハードディスクケースを物色したのが月曜。選んだのはセンチュリーの「スライディング裸族」。一時的な使用だから脱着が簡単な方がいいし3.5インチSATAだけではなく2.5インチSATAにも対応しておいた方がいいと思い。

ヨドバシのサイトには対応OSがWindows8までしか書いていないがメーカーのWebにはWindows10まで明記してある。月曜は大阪出張に行く妻を松茂まで送ったのだがその前に注文しておいたら今日の午前に到着。PCからHDDを取り出すのに最初は構造がよく分からず少し手間取りながら。

外したHDDを買ったばかりのケースに装着してUSBでPCに繋いでから電源を入れて。ユーザー領域の妻のフォルダには当初アクセス権限がないと言われたが結局は難なく入れてデータはNASにコピーした。そんわけであっさりミッション終了。夜は同級生F氏とS氏宅。3人であれやこれや。

あみん「待つわ」と1982年デビューの歌手 (5月29日・月)


土曜の宴会で妻とO嬢が「待つわ」をカラオケで歌っていた。1982年に女子大生デュオ「あみん」が歌って大ヒットした曲だ。私は入学した大学に行かず東京に転居して後期から予備校に通っていたとき。テレビもラジオも持っていなかったのにこの曲だけは覚えるほど聴いた。

Wikipediaで調べると発売は1982年7月21日。オリコンチャートで8月20日から10月4日まで6週間1位だったとある。コンビニに行っても駅前の松屋でも掛かっていたのだと思う。友人N野が「待つわ/いつまでも待つわ/他の誰かにあなたがふられる日まで」という歌詞を怖いと言っていた。

この年は女性アイドルの当たり年だった。松本伊代・小泉今日子・中森明菜・堀ちえみ・早見優・石川秀美。中森明菜を初めてテレビで観るチャンスを定食屋のオヤジに邪魔されたことは前に書いたが浪人生でテレビがなかった私は悔しい思いをしていた。

当時よく一緒に行動していた中高の同級生T取と西荻駅前の商業ビル2Fにあった電気店のテレビでNHK日曜夕方の歌番組を見に行ったりした。石川秀美の脚の美しさに感動してバスケット部で鍛えたと聞き納得したものだ。あみん「待つわ」を聴くと当時の気分に引き戻される。

秋祭り獅子舞の打ち上げ (5月28日・日)


昨年11月の秋祭りで役場の若者が演者となって獅子舞をやったのだが打ち上げがまだだった。私は忘れていたのだがT氏が気にしていて実行が昨日になった。1Q委員会と名3役との懇親会も兼ねることになったようで参加者は獅子舞の音響を担当した私や前委員長の妻を含め13人。

ちょうどT氏の誕生日。妻が提案したのかS氏がケーキを買ってきてうちの事務所に保管。N氏が取りに来るのが遅れ18時半の集合時間ギリギリになってドタバタ。ボランティアタクシー3台に分乗してお店に向かった。私はS氏F氏と前に行ったことのある野尻のとっとや。

妻は委員長を3月で辞め1Qも難しいと言っていたのだが結局やることになった。1Q委員の紹介を含めた挨拶の後に獅子舞の指導役として参加している野尻のT木君が音頭を取り乾杯。飲み始めると生ビール2杯目で混沌としてきた。後半は主に妻とO嬢が踊りながらカラオケを歌いまくる。

最後はO嬢の隣で話ができて幸せな飲み会。気づけば24時。帰宅後は役場の若者T君F君を含めN氏S氏と6人で二次会。結局解散したのは午前3時で今日は何度も目が覚めながら頭が痛くて起き出したのが15時過ぎ。何もできず「響」の練習も休んで夜までソファで横になっていた。

妻のPCの故障とDELL Precisionの発注 (5月26日・金)


今朝PCが壊れたと妻が言う。見ると電源が入らない。ケーブルを抜き再投入すると1秒ランプが付くだけ。おそらく電源ユニットが死んだのだろう。このPCを私は2011年6月12日に設定している。もう6年。買い換え時を逸していたのかも知れない。それで午後からDELLのサイトを物色し始めた。

Windows7は2020年でサポートが切れるからWindows10にするしかない。インテルのCPU Core iシリーズは第7世代が最新。デスクトップは法人向けだとVostroかOptiPlexだが部品の信頼性を重視してVostroは除外。他に即納品を見ていると個人ユーザー向けWSであるXPSに安いモデルがある。

よく分からないのでDELLにチャットで質問。XPSは保証の最長が4年だがOptiPlexは5年と。それを信頼性の差と解釈しXPSは脱落。次にCPUとメモリの組み合わせで質問するとグラフィックスカードがない場合は1世代前のi7の方が最新i5より速いと。でも会員向け15%引きで17万円もする。

次に法人向けWSを見ると意外に安い。再びチャットで訊くと部品に差はないと。夜になりi7はやり過ぎと思い直し最後に筐体で悩んで第6世代i5のミニタワーにした。HDD1TB。5年サポート。メモリは大奮発の16GB。モニターなしで14万円。明らかにオーバースペックだが5年後に快適であればと。

堀川の下宿に来た彼女とW氏と大宮通 (5月25日・木)


堀川鞍馬口の学生アパートには当時の彼女が泊まりに来たこともある。大宮通の銭湯にも2人で行った。共同トイレなので気を遣ったが他の住人に見られても仕方がない。既に書いたように隣の部屋に声が筒抜けなので静かに話した。6月頃だったと思うが夜は窓を閉めたような気がする。

京都の駿台予備校に通っていたW君が遊びに来たこともある。後に徳島大学医学部に進み2011年の「響」定演で再会し今や一緒に歌っている仲間だが1983年は私の下宿でトトの「ロザーナ」で知られる4枚目のアルバムの最終曲「アフリカ」を掛けたら何か琴線に触れたのか涙を流していた。

当時の食事は大学生協か大宮鞍馬口の角にあった大眠。2004年に行った京都旅行で存在を確かめたが今もあるかどうか。大将の奥さんが徳島の人だと言っていた。大宮上御霊通上ルの喫茶店にもよく行った。週刊プレイボーイをここで読んでいた。隣のパン屋ではいつも三角パンを購入。

喫茶店の先に銭湯があり逆に南に下がると上立売通あたりに当時はまだ珍しかったローソン。今出川通手前左にレンタルレコード店がありよく借りていた。今出川通を渡ったところに第一勧銀。堀川通に店はなく私の生活は大宮通を上がったり下がったりしていたわけだ。

同志社ラグビー同好会の谷口さん (5月24日・水)


堀川鞍馬口下ル西入ルの下宿に何人が住んでいたのか分からない。1階の住人とは顔も合わさなかったし同じ2階に住む人とも挨拶さえしなかった。そんな中で北側2部屋目つまり私の斜め前の部屋にいた人が声を掛けてくれた。同志社大学の商学部3年生だったと思う。谷口さんといった。

出身も聞いたはずだが記憶にない。同志社の超有名で強豪だったラグビー部ではなくラグビー同好会に入っていると言っていた。中背だが背中が前に曲がっていたように見えたのは肩の筋肉のせいかも知れない。体型から見ればフォワードだったと思う。

その谷口さんにあるとき飲みに誘われた。今出川通を1本か2本下がり大宮通の西に入ったあたりのカウンターのある小料理屋だった。谷口さんの高校時代の友人の京都大学生も一緒。その人が店の近くの学生マンションに住んでいて2人でよく飲みに行っている様子だった。

何を話したかは覚えていない。当時は酒を飲む習慣のなかった私だが遠慮なく飲んでいたような気がする。支払をどうしたかも記憶にないが先輩2人が多めに払ってくれたか奢ってくれたのだと思う。谷口さんが誘ってくれたのはそのときだけだから私は飲み過ぎたのかも知れない。

「週刊現代」の徳島新聞社批判記事 (5月23日・火)


昨夜ツイッターでMんがリンクしていたサイトを読んだ。「週刊現代」6/3号に<この夏、「阿波おどり」に中止の危機−徳島の地元財界は大騒ぎ>との記事が掲載されているという。このサイトには内容のほとんどが伝聞の形で書かれていて著作権侵害の疑いもある。原本を読まなければ。

そこで大阪出張に行く妻を送って松茂に行った帰りマルナカ西新浜店に寄り「週刊現代」を買って来た。阿波おどり桟敷席10万枚のチケットのうち2〜3万枚をいい席から徳島新聞が持って行くとか広告看板の制作が身内への随意契約で高すぎるとか倉庫の利用が県の指針に反しているとか。

チケットをオープンに販売したいと徳島市観光協会が申し入れると「徳島におれんようになるぞ」と脅されたという。ありそうな話だ。25年も前だが同じような話は何件か聞いた。他紙に折り込み広告を出そうとしたある店は徳島新聞から広告を拒否するぞと恫喝されたとか。そんな類の。

新聞紙面で叩けば政治家も事業家も徳島では活動できなくなる。そうやって何人もを叩いてきたし広告担当や事業局はメディアの力を背景に恫喝して自社に有利な商売をする。それが圧倒的シェアを持つ地方新聞のやり口なのだ。それを30年以上踏襲してきた田舎新聞社。酷いものだ。

堀川上御霊前通の下宿 (5月22日・月)


下鴨の下宿を引き払い東京で浪人生になった後やっぱり受検に失敗して京都に戻った私は堀川鞍馬口下ル西入ルの木造2階建てアパートに入居した。すぐ南が上御霊前通。興聖寺という寺の参道に堀川通から入って南の大家さん宅の西裏にあった学生専用アパートだ。1983年のこと。

北側の外階段を上がり左にトイレ右に共同炊事場。正面の部屋の前で廊下は左に曲がり南側に4室北側に3室。南西の角部屋は大家さんの物置で私は南側2部屋目。4畳半の畳部屋の南側窓を開けると空き地。窓の左側から1m先に建物があり西陣織の機械の音が朝から夕方までしていた。

部屋に入ると右に半畳の押し入れ。正面にデスク。左に緑のカラーボックスを置き左に壁に沿ってベッド。カラーボックスの最上段にオーディオコンポがあり天板にレコードプレーヤー。スピーカーは北西の入口上と北東の角に天井から吊した。当時の長いスピーカーケーブルはまだ手元にある。

夏は暑く南側の窓も廊下側のドアも開けっ放し。入口には何か布を垂らして目隠しにしたような気もする。隣の住人とは話をしたことがないが深夜にピンク・フロイドを聴いていると隣の友人らしき人がプログレッシブ・ロックの名曲だと解説していた。それほど声は筒抜けだった。そこに2年住んだ。

鳥よけ猫とH君夫婦 (5月21日・日)


鳥のフンが車に落とされるという話を先週書いたが毎日チェックして拭いている。ツイッターに1週間メモしてきたデータによると月曜9火曜12水曜10木曜9金曜12。土曜は朝9時半に出たのでそれまでで3カ所。ところが今日は午前2カ所で午後まで合わせても3カ所と減っている。

というのも昨夜車に細工をしておいたのだ。昨日高知に行く前に阿南アピカのダイソーで買って来たものを昨夜のうちに車内に吊しておいた。目だけビー玉になっている猫の形をしたただの板。それを2台の車それぞれサンバイザーにくくり付けて吊しておいた。

ネットで調べて鳥を追い払うグッズを探していたのだが効果があると書いている人も。車外に置くものは難しいのでこの安いもので様子を見ようと考えた。日中に車を覗いてみてもよく見なないのだが鳥は感じるのだろうか。もしかしたら鳥はすぐ慣れてしまうかも知れないが。

さて今日は昼食後にH君が夫婦で訪ねて来た。山犬嶽に行っていたらしい。神山視察を案内してくれて以来。同じJ社にも勤めていた奥様と会ったのは20年ぶり以上だろうか。ミス岡山大学だと聞いていたのにガセだと否定された。夜は「響」。6月の合唱祭と7月のコンクールに向けて音とり。

55号線〜室戸〜龍河洞〜195号線 (5月20日・土)


土曜は天気が良さそうだから遊びに行こうと話したのは木曜。海がいいと妻が言うので調べてみると宇和島や足摺は遠いが今治の来島海峡に観潮船がある。でも今は小潮。海ではないが私は小学校3年か4年のとき以来の龍河洞はどうだろうと話して高知を中心に妻と2人で行程を考えた。

かつおばかりもつまらないので昼食は鍋焼きラーメンなる須崎名物にして妻は行ったことがないという桂浜と土佐神社と龍河洞に寄り帰りは195号線の鷲敷で夕食という大まかなスケジュールを立てた。9時半出発予定。早く行こうと言ったのは妻だ。ところが今日朝になると起きてこない。

準備を整え声を掛けると起きてきたものの気分が悪いと言う。飲み過ぎなのだ。そんなわけで私一人で10時半出発。結局こはくの天使で昼食後アピカ阿南のダイソーに寄り室戸へ。駐車場に車が多くスルーしてキラメッセ室戸という道の駅。ここは10年前ダイビング帰りに来たことがある

龍河洞まで行ってみようとナビに従って入口まで。近くの鏡野公園というところのトイレに寄ったら17時のサイレン。ほどなく195号線に乗って約2時間。元々予定していた鷲敷のカントリーロードでステーキカレー辛口1,630円の夕食。阿瀬比から加茂谷経由持井橋を渡って20時半頃帰宅。

S見の下宿 (5月19日・金)


京都下鴨に住み始めた頃はS見の下宿によく遊びに行った記憶がある。中高の同級生だが高校2〜3年が同じクラスで現役で京都大学理学部数学科に入学していた。彼は北白川つまり白川通北大路の交差点を下ル西側にあった下宿屋の確か1階に住んでいた。

大家さん宅に隣接した木造1階だか2階建てで広い庭に面して縁側があったような記憶がある。ガリガリに痩せていた彼は下宿の先輩から鉄アレイを渡されたが筋力と体力は別物だと自説を唱えていた。北白川と言えば餃子の王将の大きな店舗が近くにあってS見とも何度か行ったと思う。

S見は翌年か2年後に引っ越したと思う。東京から高校以来の親友で早稲田大学法学部生だったN野が遊びに来たときS見を訪ねたのは銀閣寺道だった。銀閣寺に続く参道の一本北側の木造アパートの2階。そのときの写真が残っているのはN野のカメラで撮ったのだろう。

4年生のS見は蹴上あたりから滋賀に抜ける峠道の途中に住んでいた。キヤノンに就職する彼が卒業する直前。AKAIのカセットデッキをもらい受けに行った。確か左コーナーの右側だったような。車で行ったような記憶があるのは誰かに連れて行ってもらったのだろうか。

浪人用下宿のY原とK人と財布 (5月18日・木)


中高の同級生で後に大阪市立大学医学部に進むY原が出雲路橋を渡ったところにある浪人生だけの下宿にいると知って会ったことがある。Y原ともう一人いたと思うが3人で鞍馬口通にあるお好み焼き屋に行った。驚いたのがY原がお好み焼きと一緒にご飯を食べていたこと。

もう一つマヨネーズを掛けていたのにもびっくり。高校までの私にはその習慣がなかった。そのときY原は東京には行かないと言っていた。佐古育ちの彼は近くに山がないと落ち着かないのだと。だから京都で浪人していたのだろうが大阪市立大学の近くには山はあったのだろうか。

彼が暮らしていた下宿には翌年K人君がいたと聞いた。中学バスケット部の1つ後輩で当時の主将。城北高校から浪人していたのだが受検直前にベッドの布団が電気ストーブの上に掛かってぼやを起こしたと京都新聞に載った。彼も動揺しただろうが同じ下宿の人も大変だっただろう。

外出時は2つ折りの青い布財布をジーンズの後ろポケットに入れていたのだが自転車に乗っていて落としたことがある。すぐ教えられたのだが私は恥ずかしくてお礼を言わずに走り去った。それを思い出しては後悔していたから覚えているのだがあれは高野の交差点を西に走っていたときだ。

下鴨の定食屋と宗教の勧誘 (5月17日・水)


下鴨の下宿に入居したのは3月30日より前だったと思う。以前書いた大学の入学式は4月1日か2日だったはずで少なくとも1日は空いていたような気がする。引っ越して一人になった夜は下鴨神社の方に歩いて学生向けマンション1Fの洋食屋に入った。若い夫婦2人がやっているような店だ。

これからたびたび来ますと挨拶したのだが食べてみると不味くてびっくりした。2〜3度行ったと思うがいつも不味いので少し手前の定食屋に行くようになった。たいてい阪神戦のテレビが付いていた学生向けの小さな定食屋。その並びに銭湯があった。

引っ越した翌日あたりに定食屋付近で外人2人組に声を掛けられた。付いて行くと下鴨神社前の建物。十字架がないから教会じゃないと説明されたのは覚えているが意味が分からないので帰ってきた。大学に入って宗教の勧誘には気を付けろと聞きそれがモルモン教だと初めて知った。

加茂川まで徒歩1分。気持ちのいい春の日に加茂川沿いの芝生の上で本を読んでいたら中年の女性2人に声を掛けられた。今度は創価学会。大学でさんざん聞いていたから興味がないと断ったが当時の京都は学生を狙う新興宗教と新左翼の活動家が跋扈する街だったという印象だ。

下鴨の下宿と大谷大学3年生 (5月16日・火)


1982年4月から2ヶ月半住んだ京都下鴨の下宿に決めたのは3月下旬だったはずだ。大学近くの不動産屋の車で2〜3カ所見た中から決めたような気がする。母と2人で行ったのだと思うが記憶がない。引っ越しは家の車を父が運転して母と3人で布団とコップの類を持って行ったように思う。

安いシングルベッドや水屋は下宿を決めたときに大学生協で注文していたのかも知れない。引っ越しに小学校を卒業したばかりの弟はいなかったと思う。父と母は荷物を下ろし1時間もしないうちに徳島に向けて帰って行った。大家さんの物置部屋を除き3部屋に南端の私だけ。

東の大家さん宅に向いた玄関を入ると南北方向に廊下がありすぐ左に10円玉しか使えないピンク電話。一度部屋の鍵が壊れて大家さんの息子が直しに来た。工場勤務のような制服を着た30歳半ばか。ずっと鼻をすすっていたのは風邪を引いていたのか花粉症だったのか。

4月半ばぐらいに大谷大学の3年生が引っ越して来た。追いかけてくる女がいて困っているのだが一度会って感想を聞かせて欲しいと言うので会った。申し訳ないがかわいくもないし私なら逃げると答えると彼は友人ともども「やっぱりそうだよね」となった。あれも35年も前のことか。

葵祭と下鴨の下宿 (5月15日・月)


今日は京都の葵祭だったらしい。夏の祇園祭と秋の時代祭と合わせて京都三大祭りと言われる。平安貴族の衣装を着た人たちが京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社まで歩いて行くのが今日らしい。その行列を道端で人の頭越しに見たことがある。1982年。もう35年も前のことだ。

高校を卒業した年で同志社大学に入学していた。でも元々は高松での入学試験を模擬テストのつもりで受けたら合格してしまっただけという思いが捨てられずGW前には国立大学を再受験すると決めていたと思う。だから大学には行かず下宿で受験勉強をやり直していた頃だと思う。

その下宿は左京区下鴨にあった。今出川通と北大路通の中間に位置する鞍馬口通から加茂川に架かる出雲路橋を東に渡ると下鴨。すぐ左折してすぐの路地を右折すると突き当たりの北側が大家さん宅。その手前にあった共同トイレ共同炊事場の木造平屋4畳半のアパートに住んでいた。

全4室のうち北端は大家さんの物置で私は南端。6月13日頃には東京に引っ越すのだが下鴨神社まで徒歩5分の距離にあって葵祭を見に行ったのだと思う。でも時代衣装を着た人たちがただ歩いているだけ。阿波おどりに比べていかにも地味。何だこれだけかと思った記憶がある。

鳥のフンと草の伸びと冬じまい続き (5月14日・日)


車を毎朝チェックしている。鳥のフンを除去するためだ。土曜はフォレスターとフィットの2台合わせて何と8カ所にフンが落とされていた。春先のものと違って最近のフンは大きい。濡れティッシュで拭うのだが今日は朝10時頃に3カ所。午後になって2カ所のモノを拭き取った。

鳥も元気だが草も伸びている。駐車場出口の左側は伸びた草が邪魔で見通しが悪かった。草刈り機に昨年の残りの混合油を入れ刈り取ったのが土曜。住宅の南側もずいぶんと伸びている。コンポスト周辺は栄養がいいのか伸びも早い。ここはおそらくY氏が刈ってくれているみたいだが。

かように自然はすっかり初夏の趣だ。一方で事務所のファンヒーターとストーブは先日片付けたがPCの前で座っている椅子のクッションと部屋用スリッパが冬使用だったもので暑くなってきた。それでニトリに行って空気を通すというクッションとスリッパを買った。今日はそのまま八万へ。

元同僚で米国在住のU氏が帰国したとかで声が掛かり会ってきた。前回は1月だったらしい。米国マイクロソフトの広報を1982年から手がけ先日71歳で亡くなった女性を紹介する記事が載ったニューヨーク・タイムズ誌をもらってきた。そのまま「響」。定演後の練習は音とりだけ2時間弱で終了。

新作と旧作の音楽CD (5月13日・土)


昨日深夜FM802からピンク・フロイドの1983年のアルバム「ファイナル・カット」に似た曲が流れていた。DJの話によるとロジャー・ウォータースのアルバムからだと言っている。でも私はそんな曲を知らない。PCをシャットダウンした後だったから今日になって調べると6月に新作が出るらしい。

ロジャー・ウォータースのアルバムは25年ぶりだとか。もちろん買う。一方昨日3日連続で「こはくの天使」に行ったときミュージックライフ誌のロックアルバムベスト200という本があって見ていた。1位はビートルズ「アビーロード」。ぺらぺらめくると95%は聴いていないアルバムだ。

例えばザ・フーは「四重人格」とロックオペラで知られる「トミー」を持っているが「フーズ・ネクスト+7」は聴いてない。ローリング・ストーンズも「アンダーカヴァー」「スティール・ホイールズ」とベスト盤を持っているが「レット・イット・ブリード」は聴いてなかった。

ニール・ヤングは高校時代にI氏が「ハーヴェスト」とジャクソン・ブラウンだったかのアルバムのカセットをくれたのだけど「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」は知らない。そんなわけで「ハーヴェスト」含め4枚のCDをアマゾンで注文したところ。10日後にはペンタトニックスの新譜も買う予定なのだ。

フォレスターのオイル交換とタワーバー装着 (5月12日・金)


木曜は17時にスバル阿南店に行ってフォレスターのオイル交換。スバルカードで年1回だけオイル代が無料。少し高いものを入れているので差額と工賃とエレメント交換で今回は4,709円。前回の交換から4,250kmとちょっと早いのだが8月には1年点検でオイル交換が付いているので間を狙った。

もう一つこの日にしたのはフレキシブルタワーバーなる部品の装着もあったのである。フォレスターには概ね満足しているがコーナリングには不満が少し。低重心の水平対向エンジンだとしても車高があるのでロールは気になる。内輪にブレーキを掛け回頭性を上げる機構の動作にも慣れない。

そこでスバルのモータースポーツを担うSTI製のこの部品。ネットでの評価はすこぶる高く何かが変わればと思い他の用品と合わせ注文していた。乗ってみると店から道路に出た低速の左折で違いが分かった。ハンドリングが素直になった。ハンドルを切り増すことなくきれいに曲がる感じ。

営業氏によるとコーナリング中に路面からの反力によって左右のサスペンションで並行がずれるのだとか。それを固定してコーナリングを安定させる部品らしい。昨日も今日も自宅に帰る最後のトンネル下の上り左コーナーを今までになく高速できれいに抜けた。というほどに効果を実感。

H氏宅のPC (5月11日・木)


PCの動作が遅いと地元の町会議員H場氏から相談を受けたのは町内一斉清掃のときだった。もう2ヶ月も前だ。Cドライブの空き容量をチェックしてデフラグを実行してみるようにFacebookのメッセージで伝えておいた。分かりやすく操作手順も書いておいたのだが返信が来ないまま忘れていた。

それは読んだけど分からなかったと聞いたのは敬老会の席。では一度見に行きましょうと言ったきり声が出なくなって見合わせて5月になったら忘れてしまっていた。昨日地元のT鉾建設酒販事業部にビールと焼酎を買いに行ったらばったり会って思い出し。今日午後電話の上ご自宅に。

環境をチェックするとメモリ4GBでHDDは400GBぐらい空きがある。デフラグは毎週行う設定があり断片化は0%。想像していた問題はない。ただWindows7を10にアップデートしていてマイナスポイント。USBメモリ2個とメモリカードリーダーが接続されていて起動を遅くさせているような気はする。

CPUはCore2Duo P8700。検索すると2009年10月発売らしい。買ってすぐに私に無線LANの設定をしてもらったと言う。あのときのPCか。それは2010年7月だ。7年。私なら買い換えを考えると伝えたがそれももったいない気もするし。手間賃だと第3のビール350mL6本頂いてしまい恐縮しきり。

「響」定演でのミス (5月9日・火)


6日前の「響」演奏会の内容について記録しておく。オープニングで緞帳が上がったところで私の右前2列目に中高の同級生T岡K子がいるのを見つけた。隣にいる男性も同級生K本君だ。妻と母と甥を探すが早く来ていた割に前の方にいない。ようやく見つけたのは右側後ろから1/3あたり。

オープニングの「酒頌」では杯を掲げる動作付き。妻を見て掲げたがちょうど横を向いていた。1ステの黒人霊歌は2曲目「Soon-a will be done」で最後の8分休符で飛び出してしまった。今まで間違ったことがないノーマークの8分休符。リハーサルで茨城の医師Y下君がやったミスを本番で私が。

黒人霊歌5曲目「Ain'-a that a good news」はテナーソロで始まるが何とE氏が歌詞を間違えた。観客は分からないだろうが私たちはびっくり。目立ったミスは4ステ2曲目の荒井由実「瞳を閉じて」で繰り返して2番に入るところ。バリトンだけが歌うが1人か2人が1拍早く出たように聞こえた。

そのまま指揮者が歌って流したがこれもびっくり。後で団長に聞くと指揮が1小節早かったのではないかと言う。打ち上げで指揮者とピアニストのやり取りを聞くとどうもピアノが間違ったらしい。私が関わる部分でなくてよかった。ほかは大丈夫。翌々日から声の出が悪くなったが本番中は持った。

GW明けと洗車と冬じまい (5月8日・月)


GW明け。身体が怠い。甥と遊んだ疲れもある。妻は今日から10日間の大阪〜東京〜大阪の出張なので14時半頃出て妻を送って松茂。そのまま川内の洗車場。黄砂舞う中。しかも明日は雨予報だが前回の洗車以降GW中はフォレスターに乗らなかったこともあり屋根が汚かったのだ。

そのままS神歯科に行くと彼は定演後に熱を出していたとか。私は舌の裏に口内炎のようなものがあったり疲れが出たのだという話をする。さらに帰りに100円ショップでスポイトを買ってきた。ファンヒーターに残った灯油を吸い取るため。店内を探していたら灯油ポンプの近くにあった。

今冬ファンヒーターの灯油は4月10日ぐらいになくなり以後の寒い日はエアコンを使っていた。ストーブを付けたのは結局1月中旬から1ヶ月ぐらいの朝2時間ほどだけ。自宅のファンヒーターは朝と夜に着替えをする各10分ほどしか使わなかったから2回しか給油せず最後は事務所で使っていた。

そして今日になってファンヒーター2台の底に残った灯油を買って来たスポイトでストーブに移して最後の燃焼をさせているところ。ファンヒーター2台はトランクルームに片付けた。ストーブも最後の灯油を燃やし切って明日には片付けようと思う。ようやく我が家の冬が終わる。

高松空港で見送り上勝に帰宅 (5月7日・日)


昨夜は甥が21時過ぎに寝て私と妻は22時半就寝。結局寝たのは24時頃か。何度も目が覚めながら5時起床。慌ただしくコーヒーを飲んで甥と弟と妻を乗せ5:31出発。タダでANAを使っている甥と弟は空席がないと飛行機に乗れないのである。そんなわけで高松空港7:35発の朝1便。

高松IC経由で6:34着。3人を下ろし車を駐めてから妻と2人で待合室に入る2人を見送った。ガラス越しに何度も手を振る甥がかわいく少し寂しい。帰りは6:52に駐車場を出て檀紙IC経由で実家に7:56。行きも帰りも1時間5分以内だから所要時間は上勝から徳島空港と同じぐらいだ。

実家で今度は自分たちの荷物をまとめキャンプ用品なども積み込み8:16出発で上勝へ。幼児用のチャイルドシートをゴミステーションに持ち込みBBQのとき壊れた私のキャンプ用のイスの処分も依頼。9時半には戻ってきた。荷物を片付けコーヒーを淹れて落ち着いたのは10時頃。ふぅ。

妻は2日夜に出張から戻り3日早朝から鳴門に行っていて明日からまた出張ということで仕事ばかり。私にしても日中は経理の仕事ばかりで日が暮れた。猛烈に眠かったが夜は撮りためたドラマなどを見ながらビール1Lと焼酎を飲んでいたら元気になって24時半に就寝(予定)。

キャッチボール (5月6日・土)


昨日は上勝から鳴門に戻ってすぐ飲み始めBBQの間を含めビール2L。それで23時頃には寝て6時に目が覚めたのに二度寝の末に起き出したのは10時半。コーヒーを入れ妻と母は昼食に焼きそばを作ろうと準備を始め私は昨夜のBBQの片付け。炭を一部戻して残りは捨てて網を洗った。

午後は鳴門ウチノ海公園に行ったのだがキャッチボールを始めたところで雨。一旦車に待避して再びキャッチボール。グローブを着けて軟球を使うのだが投げる方は短い距離ならストライクを投げてくることも。キャッチはまだ5球に1球程度だが徐々にうまくなっていく。

滑り台に行ったがやっぱり雨で帰ってきた。結局すぐ止んだけど。実家前のドブ川にいる亀を2人で探して昔は田んぼだったんだと話をしたら6歳はヒルもカブトエビもミズスマシも知らないと言うから実家に戻って図鑑で調べて。ヒルなどは載ってなかったけどカタカナもだいぶ読めることが分かった。

私がいつも行っている散髪屋に甥が弟に連れられ16時前に行って私は買い物から帰ってきた妻と見に行ってやった。甥は大人しくしていたのに私たちが行ったとたん騒ぎ出したらしい。夜はスーパーの刺身とご飯。甥の小学校入学祝いで赤飯。夜はプラネットアースなど動物もののテレビばかり。

上勝でアメゴ掴み取りと実家でBBQ (5月5日・金)


9時過ぎに起きコーヒーを飲んで10時半前に2台で出発して上勝へ。私は一旦事務所によって不要なジャケットや靴を置き月ヶ谷温泉。キャンプ場に行って甥6歳がアメゴの掴み取りに挑戦したのである。捕りたい数を申告して料金を支払いバケツを受け取る。数が増えれば追加料金というシステム。

見知ったNN山氏が仕切っているが30分待ち。掴めない甥にしびれを切らした弟も池に入ってバケツで1匹。それを妻がビニール袋に移して今度は甥がバケツで挑戦。何と2匹同時に捕まえたと大興奮。そこから炭火で焼いて30分待って4匹を甥が2匹と弟と母が食べ月ヶ谷温泉でまた30分待って昼食。

夕食について話していてBBQをやってみようということになり再び家に寄りキャンプ用品を積み込み川内のデコールで網と炭を購入。途中勝浦で弟と母が乗った車が戻って行ったから何事かと思ったら左前輪のホイールキャップが外れて後続車に教えられて探しに戻るところと。結局見つけて。

妻と母が食材を買ってきて実家駐車場で準備をしてBBQ。17時半頃から弟と炭を起こして食べ始めたのが18時過ぎか。準備から甥6歳も手伝って大騒ぎ。花火も買っていたが風が強くて今日は少しだけ。20時半頃撤収して甥は風呂に入り21時には寝に行った。大騒ぎで疲れたけど楽しかったのだ。

甥とあすたむランド (5月4日・木)


3日夜は妻から甥が何をやったかという話を聞いた。例えば家でうとうとしていたら甥が妻の腕を取って一緒に寝ようとしたそうだ。「かわいくて堪らん」と妻。結局そんな話を1時間。24時半頃に寝たが4時半頃から1時間ほど起きていて起床したのは9時。既に甥と弟はあすたむランドに行った後。

コーヒーを飲んで3日の日記をアップして10時半頃に妻と車で追いかけた。あすたむランドは入口で渋滞。駐車場はまだ空いていたが親子連れがすごい数。科学館のチケットを買うために妻が列に並んでいたら先週大阪で会ったばかりという鳴門の認定インストラクターさんがすぐ後ろにいて驚いたり。

科学館には私と妻と甥だけが入り恐竜の絵に塗り絵してスキャンされた絵がスクリーンの中で動くというものを経験。意外に楽しい。12時半頃になって妻が並んで揚げパンを買い弟だけ先に帰りベンチに3人。実家に戻ろうとしても甥は遊具で道草ばかり。4時間ほどしかいなかったのにクタクタの巻。

帰りに駐車場で見ると香川や高知や神戸ナンバーが多数。練馬ナンバーまであった。帰宅して隣の空き地でキャッチボールをしたが甥は素手でキャッチできたり暴投したり。少しうとうとして17時頃からビール。妻と母は買い物に行って夜は手巻寿し。これが美味しく夕食後またうとうと。

徳島男声合唱団「響」第8回定期演奏会 (5月3日・水)


(この日記は4日10時頃にアップしました)
3日は7:10頃に起きてコーヒーを飲んで8時出発。定期演奏会の会場は初めての徳島県教育会館大ホール。同乗していた妻は1人で鳴門の実家へ。集合の9時過ぎにはリハーサル開始。立ち位置や入場退場の流れを確認しつつ練習は比較的淡々と進んだ。私は声を優先して途中歌わなかったり。

3ステのセレアンの演目は初めて聴いたが途中で「伊勢佐木町ブルース」のため息を団長がやって爆笑。最後に指揮者がピコ太郎に扮してまた爆笑。リハーサルを終えると客席にお婆さんたちが数人いる。ロビーに行くとここにも既にお客さん。ホール入口は開いているから入り込んでいたらしい。

ロビーコールで歌う「鯛締め」「いざ立て戦人よ」の練習を終え弁当を手にしたところで「おじちゃん」との声。甥が妻と母とともに入ってきていた。少し話をして控え室で弁当を食べ着替えて14時開演。いつもの「あわぎんホール」に比べて小さいが800ある客席は全席左右を残してほぼ満席だ。

さらに1ステ途中で曲ごとに10人単位で入ってくる。演奏の方は失敗もあったがロビーで甥とまた話して着替えに降りたときで16時。団にもらった差し入れを団長の車に載せて駅前に移動。団長とタリーズで休んで「ひら井」に18時前。打ち上げのあとバーに移動して団長に送ってもらって鳴門に23時。

演奏会前日 (5月2日・火)


定期演奏会の前日なのである。昼食に以前食べたピザの残り物を解凍してこはくの天使のマスターから貰ってきたスティック状の鳴門金時。午後は楽譜を見直して不安な箇所を頭に入れていく。甥が今日と明日に分かれて帰省するというので定演が終われば鳴門に行くための準備も。

フィットにガソリンを入れておこうとスタンドに寄って黄砂で汚れていたので洗車も。ところが最後に風が出るところで機械がストップ。クラクションを鳴らして人を呼んだら最初から洗車のやり直し。前日練習に間に合うよう早く出たのに給油と合わせ20分もロス。

連休前に記帳しておこうと三菱東京UFJに回ってからコインパーキングに駐め徳島銀行とゆうちょ銀行も。「響」の練習には25分遅れで参加。声は本調子ではないので頑張って歌わずときどきサボり。20:40になって退出して大阪出張から戻ってくる妻を迎えに松茂。

かつやで遅い夕食をとり帰宅してシャワーを浴び妻の出張精算など経理の仕事をしていたら24時になっても終わらない。明日は7時起きで9時集合なのだが。昨日から腰も痛くて不安を抱えながらの本番を迎える。寝不足は覚悟して明日きちんと声が出ることを祈っているところ。

実家からスバルと平日の日常 (5月1日・月)


土曜は実家に泊まり日曜は遅く起き出しコーヒーを飲んで何だか私の誕生日だからと母が買って来ていた赤飯を食べさせられ昼食。12時過ぎに実家を出た。前夜タクシーで送っていたK野宅に寄ってコーヒーをいただき銀行で記帳をしてからスバル阿南店に寄ってきた。

割引きが利く2週間前に注文していた用品が届いていたのだ。1つはトランク用のネット。今まで使っていたのはバイク用で多分27年物。どこが端か分からず毎度イライラしていたのだ。さらにバッグ。買い物をして後部座席に置いたものが固定できるように。それに小物2点。全て20%か15%引き。

帰りに早めの夕食でこはくの天使。マスターの幼馴染みでヒーラーの女性に場所を貸したら彼女が掃除をしてくれると。それを意識して自分でも掃除し始めると客が増えたと言い出す。先週はツバメが店内に舞い込んできたらしい。マスターはとうとうそっちに行ったかと揶揄して遊んで。

GW中の平日の今日はいっきゅう茶屋で昼食を取り帰ろうとするとイマジンが来た。茶屋の姐さんに紹介して下りて今度はK田嬢と3人で話をしていたらT笑店店主が来て久しぶりに雑談。次々に知人が来て話が広がるのは楽しい。夜は7人で消防点検。最後は4人で今日も楽しく飲んで来た。

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© 2017 Takashi INAGAKI