2016年11月

テルを偲ぶ会 (11月30日・水)


テルこと吉田晃之君の通夜に行った昨夜。元々は我が徳島男声合唱団「響」の練習と懇親会が予定されていた。懇親会なんて演奏会の打ち上げ以外でスケジュールが組まれたのは初めてのはず。そしたらテルの通夜になり練習は中止され懇親会は「テルを偲ぶ会」になった。

私と指揮者S神は練習会場に19時頃に入り小学校教師S先生と3人であれやこれや。団長も来て話をした後に元々懇親会場だった駅前の焼き鳥「とりけん」へ。私はS神と精神科医E氏夫妻と遅れて来た高校合唱部1つ後輩の内科医W君とカウンターで。テーブル席を含め最終的に14人。

訃報は最初テルの妹さんからE氏の奥様S子さんにもたらされたそうだ。そのとき高血圧で心臓が悪かったと聞いたと。介護職だったテルが出勤せず勤務先の人が来て発見したとも。高血圧なのに薬など飲んでいなかったらしい。その場合の死因が脳か心臓かを見分ける検視手段をW氏が語り。

2軒目はバー・ホグスヘッドに8人。茨城から駆けつけたY下君が遺体を見た感想を医者の立場から話したり。最後はバカ話になったがテルがいないことの現実感はまだなく私が今回の訃報に驚かなかったのは友人が死ぬことに慣れてきたのかも知れないと思ったり。明日は私だ。

吉田晃之くん (11月29日・火)


名前から私たちが「テル」と呼んでいた吉田晃之君が急死した。高校合唱部の2つ後輩にして我が徳島男声合唱団「響」のベース。51歳。「響」と男声が重なる混声合唱団「Serenitatis Ensemble」が鳥取の全国大会で銀賞を取ったときのメンバーでもある。それはつい10日前のことだ。

昨夜21時半頃に指揮者S神からのメールで知った。家族葬だが通夜には行ってもいいというのだが今日は17時半にS神歯科の予約があった。S神はどうすのかと電話をしたのが昨夜22時頃。予定通り歯医者に行きS神の仕事終わりを待って一緒に通夜に行って来た。

沖洲の家族葬の施設。一軒家のような風情で車は回り込んだ駐車場に駐めて室内に入ったらご親戚たち20人ほどが既に会食中。テルは白く蝋人形のように横たわっていた。その前で焼香。テルの遺体は見たが現実感がない。この事実を昨夜聞いたときにも実はあまり驚かなかった。

何年か前に鬱っぽくなり合唱も止めていた時期があるから私は自死を疑った。だから驚かなかったのかも知れない。S神は違うと言い団長はあり得ると。実家暮らしだが実質一人生活で心臓が悪く血圧が高かったらしい。そんなことを知らなかった私は人って簡単に死ぬんだなと・・・。

ドライブレコーダーの設定と交換 (11月28日・月)


フォレスターの後部に取り付けてもらったドライブレコーダーはオウルテックOWL-DR04という機種なのだが作動中は液晶モニターが点きっぱなしという初期仕様である。それだと特に夜は気が散るので広島に向かう途中の金曜にモスバーガー駐車場で3分で消えるように変更しておいた。

当初は設定方法が分からずマニュアルも持ち出したのだがフィットの前方に付けたドライブレコーダーも同じ機種。今日フィットに乗ったとき同じように設定変更をしようとした。ところが右側面に4つ並んだボタンのうち2番目のモードボタンが言うことを聞かない。

強く押してみたら1番目のボタンともども奥に引っ込んで使えなくなってしまった。仕方がないから購入先のヨドバシカメラに電話をしたら購入から1月以上経っているから有償交換になるかもと言う。だから早く取り付けて欲しかったのだ。これで有償ならT氏に文句の一つも言わないと収まらない。

結局メーカーに確認を取ってもらい無償交換に応じるというのでオウルテックのサポートセンターに電話。指示に従い本体とヨドバシカメラの納品書を箱に入れヤマトに取りに来てもらい着払いで送った。やれやれ。年度末に急いで買っておいたツケが出てきた。無償交換で済めば文句はないが。

広島から帰宅 (11月27日・日)


昨夜泊まった広島メルパルクの5Fで今日は間々田さんの講演。広島大学歯学部歯科衛生士学校卒業生たちのイベントらしい。ロビーに9時半集合予定だったが部屋を出たのが早かったので9:20頃に会場に行ってPCなどのセッティング。先日設定したレッツノートが早速役に立つ。予めパワーポイントのデータは入れていてHDMIでプロジェクタと接続。

車から本を入れた段ボールを持ち出し昨夜ご馳走してくれた地元のインストラクターMさんが手伝いに来てくれて販売する本を並べてからチェックアウト。荷物はホテルに預け会場で10時半始まり。2時間の講演の後は本の販売サイン会と間々田さんとの撮影。ここでも私は撮影係。

幹事さん5人と私たち4人でホテルからそごうを経由してリーガロイヤルホテル広島にある龍鳳という中華料理店。9人のうち男は私だけ。同年代と思しき歯科衛生士さんの方たちは話も面白く美味しくご馳走になった。そこから4人でインストラクターさんの自宅に移動し荷物を移し替えて。

妻と間々田さんはインストラクターさんの教室に向かい私は一人で山陽道。広島インター近くのシェルで給油してからPAでスーツを着替えて半自動運転。徳島では銀行に寄り記帳してこはくの天使で夕食。荷物を部屋に運び込んで20:50。今日だけで約320km。3日間700kmの行程だった。

宮島と広島風お好み焼き (11月26日・土)


ホテルを出たのが8:35。車で20分ほどの広島空港。駐車場が広すぎてバス降車場に車を停めて間々田さんをピックアップ。一路宮島へ。あなご飯を食べようと妻が調べていた店は店外に40人ほどが待っているので諦め渋滞の中を進んで1,000円の看板がある駐車場に入れてJRフェリーで宮島へ。

すごい人出で普通に歩けない。とりあえず厳島神社を参詣し奥へ。13時を回って人が来ないエリアの店に入ってあなご飯。結婚記念日なので間々田さんがごちそうしてくれた。そこから少し戻ってお寺に参拝しケーブルカー乗り口へ。整理券を受け取ったが順番は200人以上後。1時間ほど待った。

狭い8人乗りケーブルカーで10分弱。一旦降りて待つこと30分で30人乗りのケーブルカーに乗り換える。降りたのが15:45。17時半が帰りの最終というので急ぎ山頂の弥山へ。30分かかる道程を息を切らせながら25分で駆け上がり帰り道は20分。ケーブルカー乗り口に着いたのが16:38。

40分待ってケーブルカーからバス。ライトアップされた厳島神社を見ながらフェリーで本土。渋滞の中を車で広島。ホテルに車と荷物を置きタクシーで駆けつけたは予定の18時半から1時間遅れ。八昌なる名店らしく30人が並ぶ中を入店して顔ヨガインストラクター3人と飲んで食べて22時頃ホテル着。

広島・湯坂温泉 (11月25日・金)


広島県竹原市に来ている。明日は顔ヨガ講師の間々田さんを広島空港で迎え広島観光。明後日に広島で講演がある。私は例のごとく運転手というわけで今日は12:25頃に上勝を出発。郵便局に寄って沖浜のモスバーガーで昼食を取りスタバでコーヒーを買って。スタバでUstreamerのN氏とばったり。

徳大前のシェルで給油し14時頃に鳴門インターから高松道。瀬戸大橋を通り最初のSAで休憩して山陽道を爆走。頑張って走るつもりはなかったのだけどトラックが多くて追い越しを繰り返しているうちに後続もあるからスピードが出てしまった。最高128km/hだったか。だいたい120km/h超。

そんなわけで山陽道で2回休憩しながら鳴門インターから3時間半弱。約270km。湯坂温泉郷HOTEL賀茂川荘というところに泊まっている。和室10畳とツインの洋室が一緒になった部屋。17時半頃に大浴場に行ったとき3人だった先客は一旦ゼロになったものの18時頃には20人ぐらいいただろうか。

企業の宴会が2件入っている様子。女湯はガラガラだったらしい。夕食では生ビール3杯飲みながら会社の海外進出と人材確保をどうするかという真面目な話題を社長である妻と。寒かったので夕食後に再び風呂。この日記はパナソニック・レッツノートRZで書いているのだがやっぱりPCだと楽ちん。

痒みと 歯と特許事務所 (11月24日・木)


乾癬と思しき症状があると以前書いたが1ヶ月ほどの禁酒は効果絶大だった。右のくるぶし付近は完治した感じがしなかったが10月後半にE先生による鍼灸の治療でほぼ治った。ところが寝ていると脚や腕に痒みがあってビール解禁とともに収まっていたのに10月から症状が再発している。

さらに10日ほど前からは肩や胸や腹や背中まで痒くなってきた。乾燥する季節だからか。土曜から月曜まで3日だけの禁酒では効果なし。就寝後1〜2時間後に目が覚めて2〜3時間ほど眠れない日々。朝7時半や8時を回ってようやく眠れるような状態で睡眠時間は後ろにずれてしまっている。

そんな昨夜3時過ぎ。歯を磨いているとき歯周病で治療中の歯を歯ブラシで突いてしまい何と歯が抜けてしまった。昨年12月から歯科医のS神に診てもらっていたのだがあっさりしたものだ。血は出たがすぐ治まり痛みもない。今朝S神にメッセージを送ったが急いで治療することもないらしい。

これで歯医者通いから解放されるなら歓迎すべきだが左下の奥歯が抜け老人の第一歩という気分。さて今日は午後から特許事務所へ。昨年からお世話になっている高校の後輩に当たるらしい弁理士さんを訪ねて商標の相談をしてきた。夜になり妻と作戦会議して速攻で弁理士さんにメール。

ドライブレコーダーの取付とタイヤ交換 (11月23日・水・祝)


ドライブレコーダーを最初に買ったのは9月だった。山口出張に行く前とりあえずフォレスターの前だけに付けてもらったのが10月7日。後部にも付けて欲しかったが時間切れ。10月後半は祭り準備で忙しくそのまま時が過ぎてしまった。何度かお願いというか催促を繰り返して今日ようやく。

まず14時半過ぎにT氏にフィットを受け渡した。18時半を過ぎて工場に行って装着の位置決め。フィット後部用は安いものを買ったら電源コードが下から出るという仕様で格好悪いが仕方ない。このときフォレスターを持ち込んで10月になってから買っておいたドライブレコーダー4つ目を後部に。

フィットは5月の車検時点でタイヤの摩耗が気になっていたのだが9月に調達してもらっていたものも今日やっと交換。といっても装着したのは後輪2本だけ。急に寒くなったので12月で構わなかったのだがついでなので前輪はスタッドレスに。さらにフィットのオイル交換も。

23時を回って10月と11月の2度に渡る作業の請求書をフォレスターと一緒に持って来てもらい代金を支払った。そのまま一献。車のことからあれやこれや話をしながらビール3本。ともかくこれで年度末10月の経理業務の懸案が解決してホッとしているところ。年度末作業もう少し。

『柔らかい個人主義の誕生』 2 (11月22日・火)


著作権保護に関する仕事をしていてA社のボスと議論をするとき著作物を包含する「情報」の価値についてよく話が及ぶ。あるいは著作権が保護する「表現」ということについて。こうした議論の中で何か頭を整理するヒントがないかと『柔らかい個人主義の誕生』を読み直し始めたわけだ。

「現代人が『誰かであるひと』として生きようとすれば、第一に自分の集団への帰属意識を、これまで以上に自覚的に、積極的に作り出さねばなら」ず「新しくかかはる人間関係がサーヴィス交換の場所〜となると、その役割りの演技はさらに積極的なものであることが求められる。」

「期待されることは、一般に人間関係における表現といふものの価値が見なほされる、といふことである。」「すなはち、人間の自己とは与へられた実体的な存在ではなく、それが積極的に繊細に表現されたときに初めて存在する、といふ考へ方が社会の常識になることにほかならない」。

これは1970年代以降の「なま身のサーヴィス」の話だけにとどまらず2016年の現代においてインターネット上のSNSでの振る舞いに当てはめると分かりやすい。地域の時代というのは「なま身のサーヴィス」が届く範囲という文脈でこそ重要なのだという指摘にも頷くしかない。

『柔らかい個人主義の誕生』 (11月21日・月)


1960年代から1970年代の変化について劇作家の山崎正和が1984年に書いた論文『柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学 』(中公文庫)を読み返している。前に読んだのは10年前。3章からなるうちの第1章「おんりい・いえすたでい'70s」を読み終えたがこの社会分析が面白い。

1970年代の変化として家庭と職場の役割の減少を挙げ「もう一つ予想されるのは〜世代の観念そのものが崩壊する可能性」と言う。「社会の高齢化とは〜自分の属する共通の世代は存在しない、といふ事実に気づくことにほかならない」。そして青春のあり方が変貌し普遍的な不幸も減った。

家庭や職場で演じる必要もなく求められた役割が減り世代の紐帯がなくなり「いまや多くのひとびとが自分を『誰かであるひと』として主張し、それがまた現実に応へられる場所を備へた社会が生まれつつある」。工業製品で複製のサービスの一方で「なま」演奏の盛況が目に付く時代。

「70年代以来の変化は〜多数の人間がなま身のサーヴィスを要求し始め」「異質な個人としての処遇を受け、かけがへのないただひとりの人格として、具体的に他人の注目と気配りを要求し始めた、と見ることができるから」「人間の意識の歴史にとって革命的な節目」かも知れないのだと。

日経BPのM氏と初対面の先輩と (11月20日・日)


昨日夕方から出かけたドライブで日和佐から旧国道を通り小松島の立江側からこはくの天使に行こうとしたら警察官が通行止めにしている。事件があって立江中学まで通れないと。仕方がないので直線道路を経由して持井側からお店に行った。あれは何だったんだろう。

昨日は日経BP社M氏が徳島に来ていたので夕食後に連絡を取って会いに行ってきた。M氏は私が高校1年のときにアマチュア無線で知り合った当時大学4年生。私が大学を卒業するとき会社見学に行って再会。その後ソフトメーカーの広報である私と記者の関係で付き合いが続いた。

今は日経PC21編集部にいる。駅前のダイワロイネットホテルで待っていると出てきた彼は女性と一緒。高校地学部の横の繋がりで宴会があって参加者の一人と言う。M氏は城東高校だが彼女は市高。私の3つ上だが地学部に加え物理部にもいたそうだ。私の直系の先輩ではないか。

曽我部さんといい農水省北海道農政事務所の課長補佐とか。話せば当時の教師はだいたい共通。駅前のタリーズでM氏は三脚付きの変なカメラで360度撮影したり。小山助学館がなくなった話なども。22時前に解散して私は40分で帰ってきた。いろいろあって昨日今日とビール抜き。

フォレスターのナビデータの更新 (11月19日・土)


価格.comの掲示板で知ったのだがパイオニアのカロッツェリア楽ナビの更新データの提供が今日から始まったらしい。フォレスターに搭載しているナビである。早速検索してバージョンアップすることにした。ただし更新用のマニュアルを読んでいると手続きが面倒だ。

まず16GB以上のSDカードが必要というのでソニーRX100Vに入れているカードを流用。次に車に行ってナビ本体でSDカードをPCリンク用として登録。続いてSDカードはPCへ。一方で更新のためのランチャーソフトをダウンロードして起動してユーザー登録が必要というのでWebから記入。

ところが製造番号が分からず再び車に行って車検証ホルダーをひっくり返して見つけ出しPCから記入して。再びランチャーソフトから更新予約をしたところダウンロードが始まった。7.6GB。20分ほどで終わったと思ったらSDカードに自動コピーさらに安全性のセルフチェック。ほほぉ。

本体の更新に90分掛かるというので夕食がてらドライブへ。持井橋を越え加茂谷から阿瀬比経由で相生から日和佐。 調べてみると全データ更新が年に2回あり差分更新が年8回。知らなかった。フィットはDVDをディーラーで買って更新していたからWeb経由で更新できるのは素晴らしい。

コインカウンターと初「とっとや」 (11月18日・金)


たった2人だけの会社だが経理処理をしていると現金が帳簿と合わないことが多々ある。年度末にようやく合わせることもあったが多分3年越しぐらいの乖離が蓄積して今回計算すると額が大きかった。現金にこれまで無頓着だったのは言い訳をすれば小銭を数えるのが面倒だったのだ。

そんなわけでコインカウンター付のキャッシュボックスを買った。小銭の額がコイン種別に一目で分かる。意外に幅広で先日買った金庫にスムーズに入れられないのは計算外だったが仕方がない。会社も10年を越えたので現金にも目を配って真面目に経理処理をしようという決意なのである。

さてノートPCのメールはOutlookのデータファイルをNAS経由でコピーして解決。今後の運用は妻に任せる。今日は私のアカウントを作りブラウザやFTPやPDFリーダーなどの設定。メールソフトShuriken 2012はDVDからデータをコピーしたNAS経由でセットアップ。OneDrive for Businessも設定。

夜はS氏F氏と19時半出発。民宿をやってきたKさんちが新たに作った「とっとや」。S嬢のご実家でT嬢が働いている。鶏鍋と唐揚げなどを頂いた。BBQサイトも作るらしい。キャンプもできそう。溜ちゃんプリウスのボランティアタクシーで22時半頃撤収。理事長S嬢の結婚を聞いて大いに驚いた夜。

サブノートPCのセッティング (11月17日・木)


10月に注文して届いていたPanasonicレッツノートCF-RZ5の設定をようやく始めた。まずはWi-Fi設定で暗号化キーを入れネット接続を確認してウィルス対策ソフトのカスペルスキーと日本語入力システムATOKの体験版をダウンロードしアクティベーションコードを入れて。ATOK Passportも設定。

一旦設定を離れ保証を1年から4年に延長する手続き。Webに登録するだけだがパナソニックは他の会員サイトと統一感が全くない。次はノートPCに戻りWAN設定。モバイルWi-FiルーターからSIMを抜きPCに挿入。APNコードなどを入力してOK。これでどこでもネット接続ができるようになった。

マイクロソフトOfficeはOffice365からダウンロード。ファイルをデスクトップや東京のPCと同期させたいのだがOneDriveアプリはWindows 10には最初からあるらしく設定するとただただ29.3GBをダウンロード。Wi-Fiでは遅いので途中から有線LANを繋いだ。

問題はOutlookのメールデータでWindows10のMicrosoftアカウントを使えば設定が引き継がれるというがWindows7は対応外らしい。それでNASにアクセスできるように設定してデスクトップPCからエクスポートしてNAS経由で新PCでインポート。でも違う。というわけでメール設定で苦戦中。

住宅ローンの返済とボランティアタクシー (11月16日・水)


先週話をした住宅ローンの返済について月曜に連絡しておいたら火曜に電話が来て今日訪ねて手続きをしてきた。阿波銀行徳島北支店。窓口業務が終わった16時に裏口から入りカウンターに一人。担当者の提案通り住宅金融公庫の借入を全額返済することにして言われるまま書類に署名。

公庫の分がなくなるので阿波銀行のローンは返済額を上げた。それで金利分合計152万円を節約。残り期間も一気に短縮するので金利が大きく変わらないなら7年後の9月に全ての支払いが終わる。当初予定から9年短縮。私は60歳5ヶ月で借金から解放されるわけだ。

その時点で家賃収入があれば個人年金と合わせて公的年金支給開始の65歳まで仕事を辞めても生活できるかも知れない。家賃がなくても街に飲みに行ったときの宿泊部屋に使える。実家が住めない状況なら母が住むかも知れないし仕事をしているなら第2オフィスになるかも知れない。

今日は阿波銀行の前にボランティアタクシーの利用登録を行ってきた。事務所に行ったら関学AISEC出身の理事長S嬢がいて2年前の夏祭り以来だという話をする。すぐに事務局長A嬢が来て雑談。帰宅後23時過ぎからS氏宅でいつものT氏と3人で錦織対マレーの試合を見ながら。

みずほ銀行からの振込と年度末経理 (11月15日・火)


会社からの支払は基本的に毎月15日付で行っている。間々田さんや篠原さんといった顔ヨガ講師への報酬ほか多い月には10件以上の銀行振込があるが銀行に行くのは14日の15時を回ってからが多い。相手には15日付になるし銀行の駐車場が空いているからだ。

昨日も妻を松茂に送った後16時頃に三菱東京UFJ銀行に行った。三菱に口座を持っている人に振り込んでから150万円を引き出しそのままみずほに入金。みずほの口座の人に振り込んだのだが最後に通帳を確認したら1件振込ができていない。おかしいなと思いながら再度行ったがダメ。

3度行ってから限度額を超えているというメッセージが表示されていたことに気がついた。今まではできていたと思うのだが仕方がないので三菱に戻って振り込んだ。三菱からみずほだから余計な手数料216円が掛かったが仕方がない。全く銀行では毎度イライラさせられる。

夜は振込作業を弥生会計に記帳していて数字が合わないことに気がついて1時から確認作業。朝4時まで掛かった。3件の抜けと45円の間違いと大元の違いは1年前の数字にあった。今日も別の数字確認。1件の抜けと2重支払があって発見が遅れた。年度末処理はまだまだ続く。

理想の社会と私の役割 (11月14日・月)


『ポリアモリー 複数の愛を生きる』を読んでポリアモリストたちによる共同生活が人類社会の先端にあるライフスタイルではないかと書いた。そう思ったのには伏線があって結局のところ『神との対話』に戻る。誰かが専有するのではなくモノも愛もシェアするという考え方だ。

『神との対話』を読んだとき“神”が理想の姿と語った世界は私の乏しい知識によると日本の縄文時代の社会のような気がしていた。魂の世界では過去も未来も“今”起こっていることだとする世界観の中で見れば人類の最先端が縄文社会だったと考えても無理はないように思う。

この点で般若心経も同じ思想に基づいているように思う。深い知識があるわけでもなく単に3冊の共通点を見いだしただけかも知れないが。さらにこうした世界観を実現するのは難しいし実践したとしても狂人または変態扱いされるのがオチだという気もするのだが。

私が生きている間にこうした社会が普遍化することはないだろう。私にできることがあるとすれば私たち夫婦に関わる人々の幸せに何らかの形で寄与することぐらいかも知れない。それができれば十分だとも思うしそれが残りの人生15年の私の役割のような気もしているところ。

S嬢と3人で街飲み (11月13日・日)


昨日はS嬢を誘って妻と3人で街に行った。 9月 に2人で食事に行ったキュートな女性とは実は彼女で次は3人で話をしようということになっていたのだ。妻とS嬢はすだちを買いに行ったときに会っているが食事に行ったのは上勝TVスタッフ打ち上げ以来だから2年ぶり。

18時半に迎えに行き車はS神歯科に勝手に置いて19時半に駅近くの「柚」。街に向かう車の中からしゃべり続ける2人の会話に私は入っていけず。生ビールばかり6杯ぐらい飲んだかも知れない。妻は焼酎お湯割り。もう1杯というところで場所を変えようと店を出たのが22:20頃。

東新町を歩いて秋田町。S神お気に入りのバー・ホグスヘッド。ロングバーで働いていたマスターのO君は元「響」メンバーでもある。私はダイキリばかり3杯飲んだか。次の注文をしようと思ったら閉店だと言う。その時点で多分2時半を回っていたと思う。4時間もいたのか。

いつもの鳴門の代行さんに電話をしてS神歯科まで歩いて彼女を送り家に帰ったのは午前4時。今日は昼に目が覚めたものの苦しくて結局起きだしたのが妻ともども15時過ぎ。夜の「響」の練習を休んでしまった。さすがに今夜は大人しくビールも飲まず。

住宅ローン繰上返済で阿波銀行 (11月11日・金)


J社が沖浜から移転する半年前の1997年2月から住んだ川内の3LDKのマンションは35年ローンで買ったものだ。当時付き合っていた彼女と一緒に住もうと前年に契約していたが入居前に別れたし会社も辞めてしまって1999年4月頃からは人に貸している。今まで4組の家族が住んでくれた。

記録をひっくり返して今年3月に整理してみると東京時代に3度繰り上げ返済をしている。期間を短縮して住宅金融公庫のローンは13年前倒しして2019年に返済できるはずだった。でも会社を設立して徳島に移住する2008年に収入減を見越して期間を元に戻し返済月額を減らしていた。

家賃も減額したから今もローン返済額とトントンだが金利負担を減らそうと3年ごとの金利見直しに合わせ4度目の繰上返済を計画。今日まず三菱東京UFJから現金を引き出した。ATMでは1日の限度額が50万円というから窓口で手続き。450万円の札束を手に次に阿波銀行徳島北支店で口座に入金。

ところが公庫に連絡するから手続きはその後に一緒にと言う。せっかく来たのに。阿波銀行のローンも返済しおくつもりだったが後から電話があって公庫分だけを全額返したらどうかと言う。3月にEXCELで作った巨大な返済管理表でシミュレーションしているところ。ふーむなるほど。

シーズン初灯油とセンサーライト (11月10日・木)


今シーズン初めての灯油を買って来た。とりあえず18Lを2タンク。例年より早いと思うのだが11月に入って以来エアコンで暖房を使っていたのでやせ我慢することを止めたというわけ。灯油だけは一番近いスタンドで入れているので8ヶ月ぶりのJA東とくしま上勝支所。Yさんとの雑談しばし。

早速ファンヒーターに給油して運転を開始した。セットでサーキュレーターも。続いて年度末の10月に買ったまま放置していたセンサーライトも取り付けた。まず廊下側は東京の店頭で確認して年度末ギリギリにヨドバシ.comで買ったELPA LED防滴センサーライトESL-302BTという機種。

単2電池4本で動作する。付属のL字ボルトでは装着できないことは前のセンサーライトの経験から分かっていたので別売のステンレスバンドを使った。設置場所や取付方法をいろいろ試して市販の結束バンドも流用。ステンレスバンドは仮留め状態で明日日中にも締めようと思っている。

動作を試すと駐車場を歩いてもセンサーが反応してしまうので付属のマスキングカバーの一部を切り取りながら試行錯誤。前に買って廊下側に取り付けられなかったACコード付のPIXON PA-520というセンサーライトはベランダに取り付けた。灯油への夜間の給油などにも役立つと思う。

防災パレード (11月9日・水)


今日もまた消防団で出動である。火事ではない。防災パレード。上勝町消防団の分団が上と下の2手に分かれ消防車を連ねてアナウンスをしながら町内を回る。私は下手の旧高鉾村の班。3つの分団から4台の消防車と本団役員らが乗るバンが続く。計5台。

13時集合だったのだが昼食中の12時半前に分団長から連絡があり担当のT氏が行っていない場合は無線通信のチェックをしておくようにとの指令。詰め所に行き消防車を出したところでT氏登場。12:28。制服に着替えて13時前に集合。妻も本団女性消防として参加している。

消防車に分乗してアナウンスしながら山道を回る。我が分団では妻とA嬢が担当してくれて後部座席のO氏S氏と私はやることがない。地元を抜けるとアナウンス担当が変わるから我が分団は付いていくだけ。最後の福川グランドでの放水は藤川のポンプ車だけで。

終わったのが15時半頃。予定より1時間ほど早い。再集合は17時だというから事務所に戻ったのに16時半になったというので歩いて行っていたらO氏の車に乗ってM屋。結局始まったのは本団副団長待ちで17:15。初めて話をする他分団の6人だか7人を含め17人で酔っぱらい。20時半頃に分団長と帰宅して3人で飲んで22時過ぎに解散。

落ち込みとドライブ (11月8日・火)


日曜夜から落ち込んでいる。火事から秋祭りに続く怒濤の5日間でテンションが上がるだけ上がっていて日常に落ち着いた反動だと思う。他にも要因は思い当たるが何にせよ昨日は食事も取れなかった。結局スーパー杉屋で菓子パンを2個買って16時頃にコーヒーと一緒に食べただけ。

何度もソファで寝て私には珍しく23時台に就寝。今朝は10時半に電話の約束があったから仕方なく起き出した。こういう落ち込んだときはピンクフロイドを聴くに限る。昨夜から「狂気」を5回と「原子心母」を2回。今日は大音響で「狂気」を聴いていたら郵便配達があってちょっと焦った。

夕食に『笑い飯哲夫訳般若心経』を返しがてらこはくの天使に行ってふと思い立ってドライブへ。立江から国道に出る直前で左折から右折に変更して阿南から国道195号。鷲敷から太龍寺下を通り那賀川沿い西岸経由持井橋から帰ってきた。この道が好きなのだ。

1990年前後にシルビアで何十回と走った道だがフォレスターでは初めて。速度域は高く適度なワインディングと狭いところも多く目と頭は超集中。これがいい。90年前後に深夜の峠道ドライブを趣味にしていたのはこれで仕事のストレスを解消していたのだと実感。今も私にはこれが効くようだ。

『笑い飯哲夫訳 般若心経』 (11月7日・月)


1月ほど前「こはくの天使」に行ったとき般若心経の話になった。マスターが勉強していると言ったか意味から入ったから覚えられたと言う。それは昔の話か最近のことだったか話題の内容は覚えていない。人に貸していた本が戻ってきたというので借りてきていたのを今日ようやく読んだ。

えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経 』( ヨシモトブックス)。般若心経は私の最初の奥さんの母上が亡くなったとき毎週ご実家で僧侶が来ていて読んだから一度は覚えた。その後お遍路に行ったときに覚え直した。でも今は部分的な記憶だけで通して読めるわけではない。

なるほど意味を知れば頭に入るような気はする。本書はお笑い芸人による解説で説明の例がたいてい「うんこ」なので確かに分かりやすいがイメージが変な方に行ってしまう。それでも通せば2時間で読了できるだろう。音や字は知っていたからスラスラ読めた。

あらゆるものもイメージや意思にも実体はないという内容はすぐに落ち込んで悩み込んでしまう特に今の私には救いかも知れない。結局『神との対話』の世界観にも通じているように思った。暗記するほど読み込めば意味もあるかも知れないが実のところ私にはその気もなく。

『ポリアモリー 複数の愛を生きる』 (11月6日・日)


ツイッターで初めて知った。「ポリアモリー(Polyamory)」とは「複数」を表す「poly」と「愛」を表す「amor」を組み合わせた1990年代前半の米国発の造語らしい。浮気や不倫と異なり複数のパートナーを持ちながら全てをオープンにしているライフスタイルまたはムーブメントを指す。

検索したところ現在日本で入手できる唯一の関連本がこれ。深海菊絵『ポリアモリー 複数の愛を生きる 』(平凡社新書)。著者は出版された2015年6月時点で一橋大学大学院博士後期課程在籍の社会学者。内容は米国でのフィールドワークの非常に真面目なレポートである。

ポリアモリーの形態は夫婦それぞれに恋人がいたりその恋人同士がパートナーだったり妻と恋人女性がレズビアンカップルだったりとさまざま。共通するのは相手を所有するのではなくパートナーとして信頼し合って全てを話し関係をオープンにしていること。1対1関係の「モノガミー」が反対語。

嫉妬は面倒な感情だがパートナーが別の人を愛すことを喜びとするcompersionという概念もあるらしい。こうした考えでの共同生活が理想の社会だと妻は数年間から主張していたが実践者と理論的概念を知ると人類社会の先端とも思える。妻の進歩性と精神の自由に改めて驚いている次第。

金庫 (11月5日・土)


祭り期間中に金庫が届いていた。10月30日に注文した。火事の現場で妻と相談したが敢えて防火金庫ではない。防火金庫は重さが何十kgもあるし我が社の場合は火事で焼けても大した被害はない。さらに本格的な防盗金庫だと重量が100kgを超えるから現実的ではない。

常に置いてある会社の現金は数万円程度。それでも盗まれたのでは気分が悪い。そこで簡易的な金庫にした。ホテルの部屋に置いてあるようなタイプ。マスターロック・セントリー日本という会社のテンキー式パーソナルセキュリティ保管庫X055という機種。

今までは小型の手提げ金庫をデスクの引き出しに入れていた。ナンバーを合わせるダイヤル式だが常に解錠した状態だった。その手提げ金庫には会社の実印と現金もあるが古い通帳が増えてフタが閉まりにくくなってきていて対策を考えていたのだ。

金庫内から長いボルトで床に固定したから移動させることは困難。電池式の暗唱番号を入れるタイプで解錠することも普通はできない。これで7,750円だからうちの会社には十分な性能とコストパフォーマンスだと思う。現金や実印の取り出しが面倒になったがそれは仕方がない。

祭りの打ち上げと和歌山のS君 (11月4日・金)


火事で出動した日曜早朝から怒濤の毎日だった。ここ3日は酔っ払って翌日朝は絶不調。それでも日記だけは書いていたのだから我ながら大したものだ。ただ昨日は一昨日ほど酔わなかったのに妻と話をしてみると断片的に覚えていない。せっかくO嬢とハグしたというのにその記憶も曖昧。

そのO嬢には昨日の打ち上げでF氏との間に座ってもらった。そしたらN氏がO嬢と私の間に割り込もうとする。私が電話で席を外した隙にちゃっかり詰めていたから今度は私が呼び出してO嬢の隣をキープ。最後はまた席を取られてF氏が帰った後は逆側に。そんなバカをやったり。

デートに誘っていたら妻が向こうから「食事に行ったらバッグでも買ってもらったらいいよ」とO嬢に声を掛ける。「出張で留守の間は夫のことをお願いします」とも。妻によるとそれは事務所に戻ってからだというから私の記憶は混濁している。公民館では少し突っ込んだ話もしたつもり。

最後はT氏とN氏が口論になっていた横で私はN嬢と2人で別世界。そのN嬢をT氏が送っていき解散。今朝は和歌山のS君が自分の活動の紹介にとやってきた。昨日の祭りで撤収を手伝ってもらい宴席に来ると思っていたらKちゃんちにいたS君。梅干しをもらって余ったお菓子を渡した。

秋祭り (11月3日・木)


昨夜消防団の警備から帰って寝たのは25時。今日は10時集合で少し遅れてお宮に到着。風が強く夜中にテントが飛ばされていたと聞いたが元に戻って他のことを若者たちが復旧作業中。役場にいる地元のN君が自分で考えた段取りで進めていて感心した。

私は前夜のビールが残っていて辛い。車を置いてとき消防副団長にして副総代T氏のスーツ姿にヤクザみたいだと揶揄しながら一緒に神社へ。K団でコーヒーだけ買って飲んだのだが獅子舞のスピーカーなどの設置をしつつ午前中は全く飲めない。

ビールを飲み始めたのは12時過ぎて。神輿や子ども神輿の周辺のことを手伝って獅子舞の音響担当の仕事は13:15から。とりあえず終えて14時から餅投げ。例年は写真を撮っていたけど今年は拾う側に回って3個ゲット。でもキャッチした餅のサイドを抜けてきたのに鼻を直撃されて痛い。

お神輿が帰ってきたのが15時半。その前に発電機を4人がかりで返しに行き。新しいだんじりは動かなくて大変だったが16時半に撤収。17時半に公民館の作業も終わり。打ち上げは少人数だったが盛り上がって101に移動して最後の解散が24時過ぎ。私にとっては楽しい祭りだった。

秋祭り宵宮 (11月2日・水)


酔っぱらっているので手短に。朝10時に隣の公民館に行って必要なものをS氏の箱バンに載せて神社へ。地元の傍示八幡神社の秋祭りなのである。昨日買い出しに行ったO嬢は徹夜の夜勤明けで12時前に合流したのだったか。私にはできない頑張りに頭が下がる。

午前は役場に行ってテントや発電機をを借りたり。昼食に6人でいっきゅう茶屋。うどん定食ごはん半分。今年は手伝ってくれる人数が圧倒的に少なく大変だったが皆のがんばりで形になった。宵宮の参加者も少なかったが。終えて消防分団で宴席。

その時点で酔っぱらっている私は楽しく飲み23時半頃に片付けを始めたとき私の足下はフラフラ。それを役場の2年生T君がケアして私を後ろから羽交い締めしていたり。皆に心配されていることがうれしい。そんな酔っ払いのまま24事頃帰ったか。その後の話は明日にでも。

祭り準備の買い出しと10周年 (11月1日・火)


明後日3日は地元の秋祭り。明日2日から準備をして夜には花火が上がり消防団も警戒に当たる。そんな祭り前の今日。祭りの出店で使う食材や景品などを買いに行った。本当は日曜に予定されていたのだが火事で全ての予定が吹き飛んで今日になったのだ。

日曜は朝から竹を切り午後から買い出しに行く予定だった。私は朝の竹切りだけやって人数がいるから買い出しは行かなくてもいいと思っていた。でも火事で予定が狂い買い出しに行くことになった今日は多くの人が仕事。委員長の妻と前委員長のO嬢が行くとして他に空いているのは私だけ。

そんなわけで11時待ち合わせでビールの空き缶を積み出発。リカオーでジュース類を買い法花で昼食。業務スーパーやマルナカやダイソーで買い物をして帰ってきて倉庫などに搬入。運転手兼荷物運搬担当の私は気楽なものであくびばかり。それでも私が好きなO嬢と話ができて楽しかった。

さて夜は消防団の定期点検。18時に行ったときは昨日干したホースは片付けられていた。それを消防車に載せるのを手伝ったり点検は3人で日浦地区に。3日連続の出勤だが明日の煙火警備もあるから4日連続。それと11月1日は我が社の設立記念日。2006年に設立して10周年だった。

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© 2016 Takashi INAGAKI