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2020年7月

スイッチングハブとUPSバッテリ (7月31日・金)


昨日の昼食前に妻のデスク近くから変な音がする。突き止めたのは妻のデスク左の金属ラックにマグネットで付けているスイッチングハブだ。邪魔な手前のパーティションを動かしていたらLANケーブルを引っ掛かけてハブが落下。と音が止んだ。ネット接続は問題ないが危ない兆候かも知れない。

このハブはいつ買ったものだろう。この日記を検索すると一番古いのは2007年2月に買っている。これは東京時代の私の部屋に4ポートの正方形で小さく白いプラスチック筐体があったあれだろう。今は使っていないから2010年4月に買い換える前のものだと思う。その新しい方は私のデスク脇にある。

とすると音がしていたハブは2007年3月に買ったものだと推測。13年だ。ハブの機能は単純だが電子機器には違いない。4ポートハブが3年で壊れたのだから買い換えた方がよさそうだ。このハブが壊れると私と妻のPCにプリンタとNASやらほとんど全てのネットワーク機器が切断されてしまう。

それで昨夜22時過ぎにヨドバシ.comで注文したら今日15時過ぎに届いた。固定用のマグネット2つを引き剥がすのに苦労したが付属のネジで留め今までのものと交換。同じバッファローの黒。LSW6-GT-8NS/BK。4,240円。ところが再び音がする。本当の原因はUPSのバッテリ警告だったというオチ。

新型コロナウィルス感染者 (7月30日・木)


新型コロナウィルス感染者が全国で初めて1,000を超えたと言っていた昨日は徳島でも夜になって発表があり計7人だったか。今日も続いて累計24人だとか。うち死亡した1人は淡路の人だし7月の連休に鳴門の親戚宅に来ていた家族3人というのは大阪に帰ったし純粋に徳島の人は20人弱だろうが。

今日367人だという東京はホストクラブなどに協力してもらい無症状の人を検査しているから数が多いらしい。重傷者や死者は4月に比べ大幅に減っているので問題ないと言う人もいる。集団免疫を獲得するまで解決しないと言われればいつか罹ることもあるかも知れない。でも今は困る。

徳島で既に24人と言っても我が町ではまだゼロ。5月に比べて警戒感は薄れたがそれでも1人目になるわけにはいかないので慎重になる。「響」の練習もなく徳島に行く用がないから基本的に上勝で籠もっているわけだが逆に上手くいかないことも出て来ている昨今。

外出自粛で車に乗らなくなってフォレスターのガソリンは2ヶ月ぶりに給油したが前回のオイル交換からまだ1,600km。8月の12ヶ月点検にオイル交換がセットなのでなるべく遅い日を予約した。散髪にも最後に行ってから2ヶ月と2週間。昨日梅雨が明けたからいろいろ動かないといけないのだが。

『記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞』 (7月29日・水)


朝日新聞の内定を留年で取り消され後年毎日新聞に入社し初任地が福島支局だった高校以来の友人ニシノがブログに書いていて買って読んだ。門田隆将『 記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞』(角川文庫)。2011年3月10日の夜から数日間の福島民友新聞の記者たちの実話である。

震災前夜に始まるのは浜通りと呼ばれる福島県の海岸沿いの7つある支社支局から記者が集まり歓送迎会をしていたからだ。そして当日。各支社支局から津波の写真を撮りに海岸に向かい最も若い24歳の記者が死んだ。片や津波を目の前に人を助けられなかったことを悔い続ける記者がいる。

夜になり停電した本社の非常用電源が始動できず苦闘する中で偶然東京にいた常務が提携先の読売新聞社での紙面編集を依頼して浜通りで配布される翌日の新聞紙面ができ上がる。ライバル紙が配布できない中その新聞を自らも被災した人が配達して回る下りは昨年会った友人の苦労と重なり泣ける。

浜通りで長く暮らした東京電力常務が謝罪会見を終えて民友記者と目が合ったとたん号泣したという話も身につまされる。記者たちが未曾有の災害の中をどう行動したか。目の前の人を助けられなかったことを悔やむ記者の話は震災から5年後の文庫版あとがきまで続きまた涙。一気に読んだ。

上勝TVデータをYouTubeにアップ (7月28日・火)


2010年12月6日から4年弱続けたネット番組「上勝TV」は今でも十分有用だとふと思いついてUstreamが撤退する前に配信サーバーからダウンロードしていたファイルを少し編集した上でYouTubeにアップロードを始めた。当時3分程度にまとめた動画を公開していたチャンネルをそのまま利用。

第1回はWeChatやツイッターの説明を省き配信されなかった町長コメントの大部分をカットしてロゴとタイトルなどをYouTube用に入れて日曜にアップ町長コメントは別途アップ。月曜には第2回分も編集して公開。さらに上勝TV公式サイトからのリンクも復活させてトップページも書き換えた。

この過程でWebサイトはHTMLを編集できずBiNDというソフトを使っていたことを思い出したが今のメインPCには入れていない。何せ10年前のソフトである。旧PCを数ヶ月ぶりに起動してBiNDの使い方を思い出しながら更新した。YouTubeチャンネルのURLはブラウザChromeを同期させてコピペ。

音楽を提供してくれていた旧姓U野嬢に楽曲使用の許可を改めてもらい第1回のイマジンとるぱんにもアップロード前後に連絡。当時イマジンは徳島市在住だと話していたが3年前から上勝町民。この上勝TVも移住の契機になったのだとすればうれしいが同時に時代の変遷も感じさせられている。

「阿波百景」 (7月27日・月)


先日の写真集に続いて檜瑛司氏が収録した徳島の民謡CDの第2弾「阿波百景」もヨドバシ.comでから土曜に届いた。1988年にコロムビアからカセットテープで発売された「阿波の民踊集」からのリマスタリングらしい。録音は1987年で1曲目の「阿波よしこの」を歌うお鯉さんは当時81歳。

お鯉さんの歌は60歳当時の「阿波よしこの弐」と24歳のときの「阿波盆踊り唄」「徳島風景」が収録されている。昨日書いた「阿波の遊行」収録CDの「よしこの」「西祖谷の粉引き唄」「祖谷甚句」と小松島の「せきぞろ」に松茂の「麦打ち唄」「西祖谷の茶もみ唄」が重なるが歌い手と演奏が違う。

「徳島の麦打歌」では「響」で歌った三木稔作曲の組曲「阿波」の「麦打ち」と「山鳥ゃ飛ばぬ可愛い我が子にひかされて」の歌詞やトヨエーのお囃子が重なり「鳴門大漁節」は「鯛締」のハーキリワイエーホー/エエホー/ヨーイヤマカセノ/ヤレコラホイというお囃子が共通。でも旋律は全く違う。

改めて「阿波」の楽譜を見ると末尾の解説に「多くは全く原型を止めぬものや、架空の旋律で構成されている」とあり「鯛締」のキリワイエホの意味は不明と。「阿波百景」のCDには鳴門の「凧うた」という曲も収録されているが初めて聴いた。知らなかった古い徳島の音の世界である。

草刈り (7月26日・日)


地域の草刈りなのだが昨夜の段階では雨予報。6時から時間雨量3〜4mmの予報だから中止だろうと思っていた。ところが今朝6時過ぎに目覚めると降っていない。iPhoneでYahoo天気を見ると8時以降1mm程度。Wether Newsで雨雲の動きを見ると10時半前から雨。でも8時前でも降っていない。

諦めて起き出しゆで卵2個食べて草刈り機を持って8時集合。カッパの上だけをTシャツの上に着て行ったがT中氏の車に乗るとき長袖のシャツに着替えてカッパは持参した。私の担当は昨年と同じ傍示生実線でT中氏Y山氏N谷氏K本君O西さんというメンバー。K本君に鎌を貸して。

休憩したとき少し降り出したがカッパを着るほどでもない。10時過ぎには薄い雨の中を日が差してきた。帽子は不要だと思っていたのに。さらに右頬上を何かに刺されて腫れてきて終わってみれば右耳数カ所に左手甲も。痒い。11時頃に下地組に合流してN峯氏の軽トラから刈った草を下ろしたり。

カッパを着て下地でフェンスのツルを刈っていた妻と11時半頃に合流して解散。というタイミングで雨が本降りになってきた。帰宅してシャワーを浴びて妻と2人でいっきゅう茶屋で昼食。睡眠3.5時間だから眠いし疲れた。午後はずっと雨で朝に草刈りできたのが不思議な感じがする。

Bluetoothマウスの電池 (7月25日・土)


Bluetoothマウスのホイールあたりが赤く点滅していることに気づいたのは一昨日。何だろうと深く考えていなかったら昨日PCの電源を入れたときマウスが使えない。マウスの電源をオフにしてオンにしたら使えるようになって電池が切れかかっていたことに気づいた。

2週間ほど前に西新浜のマルナカで電池を買おうか一瞬考えた。でも在庫がどの程度あるのか把握しておらず大丈夫だろうと買わなかった。マウスには単3電池2本が必要だが在庫は1本だけ。後10分以内の注文で土曜に配送という表示を信じて昨日ヨドバシ.comで買ったのに今日届かない。

今日15時頃には10分ごとに電源をオフにしないとマウスが使えなくなってしまった。とりあえず妻が借りてきていたDVDで映画「天気の子」を観た。電池が届かないとツイッターで愚痴ったらアドバイスをもらい古い方のHDRのリモコンから電池を抜いてマウスに挿入。ところがこの残量も怪しい。

単3のエネループがあったはずと探して見つけたのがミニキーボードの中。「響」で使っていたものだ。このエネループも放電してしまっていて4本を充電して何とかマウスが使えるようになった。定期的に交換が必要なのだからマウスにはこのままエネループを使うようにしようかと考えているところ。

写真集「阿波の遊行」 (7月24日・金・休)


2年前に買った音楽CD「阿波の遊行」と同じタイトルの写真集が出るとあすなろバレエスタジオのFBページで知り購入。5年前に「響」で歌ったバレエ教室であり主宰者の檜千尋さんは小学校の同級生だ。同時に第2弾のCDも発売されたがヨドバシ.comでは取り寄せになって写真集だけが先に昨日来た。

阿波の遊行: 檜瑛司 民俗芸能写真集」。 B5版128ページだが帯の推薦文は作詞家の松本隆。巻頭に檜瑛司氏の次女である檜千尋さんが本名の唐崎千尋としてあいさつ文を書いている。それによると日本舞踊家だった父上は徳島の民謡を舞踊にしようと民俗芸能にのめり込んだとか。

ほとんどが1973年の撮影。元NHK徳島ディレクター皆川学氏がNHKでは記録的な誰でも撮れる写真を求められたが檜氏の写真には動きがあると解説している。確かに。西祖谷山村の神代踊りは1997年に私が出演したミュージカルでもモチーフになったが今も独特の笠を被って行われているのだろうか。

音楽CD付き。1970年代末にビクターから発売された「正調 阿波の民謡」というレコードからの抜粋とか。「阿波よしこの節」に始まり「祖谷の粉引き節」が東祖谷と西祖谷で2曲。「鳴門ぶし」「鳴門馬子唄ばやし」「撫養の子守唄」と鳴門里浦の「棒づき唄」いった全20曲がある。これは貴重な。

岡本中華から立江寺の寺市 (7月23日・木・休)


今日から4連休。旅行代金の一部が返金される政府のGo Toトラベルキャンペーンは東京都発着を外しドタバタの中を昨日から開始。私たちはキャンペーンとは関係なくお遍路に行こうと話していたが天気が悪そうなので止めた。その代わりでもないが小松島のお寺のイベントに行って来た。

その前にまず昼食。上勝に越したばかりの11年前に中高時代の友人BPQが遊びに来てお土産にくれたのが岡本中華の持ち帰りセットで以来何度か店に行こうとしたがいつも閉まっていて今日こそはと13時頃に行った。タイミング良く駐車できたが店内は常に満席。いわゆる白系。美味しかった。

そこから四国八十八カ所19番の立江寺。第五回十九番寺市。10年前に知り合い何度か会ったRiuさんが宣伝しているので市の存在は知っていたが彼が主催者と。今回は上勝にいるY木嬢が出店するというので会いに行った次第。300円の駐車場に駐め寺に行くと境内ではなく正面の会館内でびっくり。

右手前端で上勝阿波晩茶を売るY木嬢は浴衣姿。Riuさんとも5年ぶりぐらいで話したが何と本家松浦酒造も出店していてネットショップ店長M谷嬢と2年ぶり。妻は8年ぶりぐらいか。15分ぐらい話して妻がサワーを試飲して柚すだち青リンゴの3本買ってきた。帰りにローソンでソーダとアイスも。

YCZ後輩の徳島合宿 (7月22日・水)


大学時代のサークルであるアマチュア無線同好会JA3YCZの合宿旅行は2回生の山中湖と3回生の小豆島と4回生の金沢能登だけだと思う。5回生の1986年のときは岡山のMEK小野君が部長で2回生にもS井君やI藤君らがいたし1回生には片腕のN村君とかもいたのに一緒に行った記憶がない。

6回生の1987年も同様。さすがに同級生たちが卒業したのに私が参加しては後輩たちは扱いにくいだろうと考えたのかも知れない。単に資金がなかっただけかも知れない。彼らがどこに行ったか土産話ぐらい聞いたはずだが何も覚えていない。もっと記録を残しておけばよかった。

ところが多分1990年だと思う。私が卒業して3年目だから私が6回生のときの1年生が既に4年になっていたと思う。私と重なっていた4年生から連絡をもらったのだろう。3年生以下が合宿で徳島に行くと言うのである。聞けば阿南の津乃峰にある国民宿舎に泊まるらしい。

日を聞いて夜に車で出かけた。旧知のメンバーは誰もいない。彼らからすれば知らないOBが訪ねてきたわけだが30分ほど話をして旅行の足しにと1万円を渡した。大学グッズを買ってくれるよう頼んで後日届いたのだがあれは何だったか。名前も忘れたが代金は前払いだったのか少し気になっている。

YCZの合宿でストリップと金沢医科大学 (7月21日・火)


YCZの合宿で1985年の4回生のときは京都から車2台で金沢へ行った。1台はレンタカーだがもう1台はQKLのレパードか巧のセリカだったか。最初に泊まった山中温泉の部屋での夕食で仲居さんがここがどういう温泉か知っているかと訊く。答えられないと男が男になるところだと言う。

ソープもあると言われたが金はないので皆でストリップに行った。30歳前後の夫婦という男女がステージで体位を変えながらセックスするのだがときどき抜けて入れ直す。大変な仕事だと感心。最後に男が口に付いていた彼女の陰毛を客席に投げて大笑い。細かな演出がいろいろあって面白かった。

札幌出身AZHの友人がいる金沢医科大学にも行った。医者の親に買ってもらった排気量5Lのアメ車が燃費2km/Lだからタクシーを使う友人と聞いていて大学だけでも見よう行ったら駐車場で本人にばったり。でも車はトヨタのクラウン。訊けばアメ車は札幌にあると。本物の金持ちは違うとまた感心。

翌日は車で乗り入れられる海岸脇の民宿に泊まった。砂浜で男ばかりで花火。宿の人は優しくてまた来たいと言ったような。市内で前の車がフラフラしていたとか諸々の土産話を4年生で参加しなかったEUXの下宿に行って報告した記憶がある。3回生AZHとVUF以外のメンバーを思い出せないが。

YCZの合宿 (7月20日・月)


大学のアマチュア無線同好会JA3YCZは8月に合宿という名のサークル旅行に出かけていた。大学2年の1983年は山中湖にある大学の保養所で泊まった。当時は先輩たちが実家の車などを持ち寄ったのだと思う。3台か4台いたのではないか。それでも無線サークルだから車同士の連絡はお手の物。

覚えているのは前を走る多分FDM花尻氏の車から白煙が出ていて無線で連絡。サイドブレーキを引いたまま走っていたということだった。どんな保養所だったかもどんな観光をしたかも全く記憶にない。2回生ではあったが実質1年なので大人しく後部座席に乗っていただけのような気がする。

3年の1984年は私が合宿担当にさせられて図書館のガイドブックで調べて提案書を作った。副会長だったEUXが自分がやるよりよくできていると私を褒めたのだがその後やる気をなくして最後はドタバタ。小豆島の民宿で2泊したように思う。小豆島でレンタカーを2台ぐらい借りたのか。

夜の海岸を歩いていたら大学生らしい女子2人が水着でいてFYYしまうまが盛んに声を掛けて嫌がられていた。朝だったか厨房のガラス戸を開けると60歳ぐらいの宿主の親父が奥さんに抱きつこうとしているようなタイミングでお互いびっくり。お茶のやかんに糖尿病の薬と書かれていて閉口した。

カレーと体重と水やりと「半沢直樹」 (7月19日・日)


火曜に阿南でカレーをナンと一緒に食べたら最近60kg前後だった体重が翌水曜に61kgになっていた。それ以前にいつ61kgだったか調べると4月2日。食べ過ぎると体重に響く。でもうんこの状況を観察していると3日目の朝には出ているようだ。5日目の今日測ったら60kgまで落ちていた。

いつから習慣化されたか分からないのだが我が家の日曜はたいてい妻が作るカレーだ。これが美味しくてカレーのときは食べ過ぎる傾向がある。今日はご飯と一緒に食べた上に先日の余ったナンを持ち帰っていた妻の分を少しもらった。明日と明後日はまた体重が増えそうだ。

さて今日は特に何もしないまま1日が終わった。義母と妻が採ってきた紫陽花の枝をプランターに植えていたら花が咲いた。すっかり桃色。もう1つの枝からも花が咲きそう。今年の梅雨は雨が多く太陽の出る日が少なかったのだが中2日空いた水やりを夕方に。梅雨が明けたら毎日必要かも知れない。

夜はたいていテレビ三昧なのだが新型コロナウィルスの影響で収録できないらしいNHK大河ドラマも休みで「ぽつんと一軒家」も昔のVTRの再利用。「半沢直樹」の新シリーズが始まったからHDRで録画したものを追っかけ再生で観た。メール削除など突っ込みどころはあるがまずまず面白い。

つるぎ町へドライブとうな重とお遍路 (7月18日・土)


家にいてもPCの前ばかりで何もしないので思い切って妻とドライブに出かけてきた。たいていは南に向かうが日和佐や宍喰は何度も行った。そんなわけで徳島まで行って助任橋で給油をしてから吉野川北岸堤防を西に向かった。広い吉野川の眺めも美しいが特に目的があるわけではない。

阿波市に入り阿波高の横を通りナビを見て堤防と思われる道に入ったがどんどん狭くなるので諦めてUターン。阿波中央橋を南岸に渡り川沿いの道から川島で国道192号に。そのまま西へ。時間はあるので山川も穴吹も通り過ぎつるぎ町。何度か寄った道の駅貞光ゆうゆう館でトイレと買い物。

帰りは美馬橋を北岸に渡り美馬ICから17:15に高速に乗った。上板SAに寄って再び買い物。昨年秋の高知で買ったカツオや魚肉ソーセージなどを4,000円分も購入。徳島ICを18時頃に通過して夕食は二軒屋の山口屋でうな重を食べた。土用の丑の日が7月21日とかで店内は何組も客がいた。

20時前に帰宅したのだが昨今の新型コロナウィルスで旅行にも行きにくい。そこで東京時代の2007年に帰省してはお遊びでやっていたお遍路の続きをするか妻が言い出した。当時の納経帳とかガイドブックを自宅押し入れから探し出して妻が本を見ながら般若心経を唱え始めた夜。

コーヒーミル (7月17日・金)


昼食後に食器を洗うと毎日コーヒーを淹れるのが私の役割である。コーヒー豆はこはくの天使で買ってきたものを使っていて手動のミルで挽く。あれはいつ買ったものだったかと検索すると5年前だった。以来ほぼ毎日このコーヒーミルを使って豆を挽いている。

このミルの本体はステンレスの筒が2つ。上部の筒に入れた豆をハンドルを回して挽くと下の筒に粉として落ちる。挽いた粉をコーヒーメーカーに移すときは2つの筒を外すようになっている。ところが最近この2つの筒の合わせが悪くなってきた。外すのに力がいるしきっちり嵌まらない。

どうも粉がへばり付いている様子。そもそも分解して洗浄できることも理由で買ったのに洗ったのは購入直後と次に数ヶ月後だけだったような気がする。覚えていないが購入後1年も経たず洗っただけ。つまり4年以上洗っていなかったことになる。内部にも粉がこびり付いているだろう。

というわけで午後になって全ての部品を外して洗った。粉を挽く部品はセラミックだが爪楊枝で粉をそぎ落とし。しばらくお湯に浸けて再び爪楊枝。茶色く変色していたセラミックも本来の乳白色になった。これでスッキリ。粉の細かさの設定が変わったはずでしばらく試行錯誤しそうだが。

マスク (7月16日・木)


新型コロナウィルスCOVID-19の流行でマスクが欠かせない世の中になってしまった。昨日の消防点検でも役場勤務のM下氏とK本君がマスクをしていて庁内では着けざるを得ないという話。私の場合は上勝で暮らす限りマスクはしないが徳島市まで買い物に行くと店内では着けておかないと憚られる。

不織布マスクは妻のものを3月頃にもらい洗濯もしつつ使い回していた。でも不織布マスクでもウィルスの防御機能は弱く自分の飛沫拡散防止が主な目的とされている。いや今やマスクはしているという単なるアリバイが目的だと思う。それなら機能性より好きなデザインの布製などでも構わない。

こはくの天使の常連の女性がしじら織りでマスクを作っていて店にも置いていたのだが独自のロゴが今ひとつ。そんなとき6月に行ったバー・マンテンサンでお客さんが作ったというしじら織りの藍色マスクを見せてもらった。デザインで2つのどちらかと迷ったが酔っていたこともあり両方買った。

それを先週スーパーで着けたが店内でも暑い。一方で夏用マスクと謳ったものをヨドバシ.comで予約していて届いたのが先週。水に濡れると蒸発して涼しくなるのだとか。ともかく東京の電車通勤だったり人と接する仕事の人は大変だ。マスクのストレスはほとんどない今の私の境遇に感謝している。

消防点検 (7月15日・水)


最近の長雨で福原の一軒が土砂崩れに遭って余所の分団が出動したらしい。という話題から始まった今日の15日の消防点検。先月15日も私が住んでいる住宅裏に消防車を入れて川から水を汲みポンプを作動させたのだが今日も。2人が中央と買い出しに行き別の2人が他の2カ所の点検で残り6人で放水。

分団長と私のほか新人と2〜3年目の4人。N野君にY田君と役場のT君とK本君。操作に慣れない人がいるということで10分ほどエンジンを回して放水した。私が運転をしたのだが消防車をたった50m動かすだけに何度切り返したことか。終えて5人が帰り残ったメンバーで宴席。

今日は重鎮N岡氏がいるので料理をお任せして350mLスーパードライを4本を飲んだ。話題は月曜に会ったY山氏の怪我のこと。息子のSちゃんが面白おかしく話してくれた。N野君が一人暮らしをする話とか。そのほか総務部長を最後に数年前に退団して転居したO氏が亡くなったと聞いたが本当か。

Y田君の祖父は雨が降ると仕事をしなかったとかY山氏の父上のところに出入りして酔っていたという話とか新型コロナウィルスの噂話も諸々。郵便物にだってウィルスが付着しているかも知れないという話の中で配達をしているY田君がそれを菌一封だと言う。大笑いして21時半過ぎになって解散。

小松島市の「みらい飯」 (7月14日・火)


こはくの天使のマスターがFacebookでちょうど1月前に書いていて知ったのだが小松島市で「みらい飯」という制度が始まっていた。地域飲食店応援クラウドファンディングということらしい。個人が例えば1万円を拠出すると小松島市が2割を追加負担して1.2万円分の商品券になるものだ。

新型コロナウィルスの影響で外食を控える人が増えたためレストランなどに売上を前倒しで提供しようというプロジェクトである。拠出額が3,000円と1万円3万円5万円10万円で店舗を指定するコースと指定しない方法もある。とりあえずいつもコーヒー豆を買うこはくの天使に1万円を出してみた。

カードは今日コーヒー豆を買いに行ったときに受け取った。1,000円券が綴られているような形式かと思っていたら利用日と使用額を記載していく方式だった。数えると42回分も記載欄があるが10万円券も兼用しているからだろう。こはくの天使では20人ぐらいが拠出した様子。人気店じゃないか。

サイトでは期限が半年とあったから1万円にしたがマスターによると期限後の扱いは店舗任せだから無期限にしたと言う。それなら3万円でも拠出したのに。今日はグァテマラ250gとブラジル250gを買い夕食に妻と神龍に行ったら臨時休業でラーメン店を探したが結局2ヶ月ぶりの阿南のカレー店。

傍示八幡神社夏の例大祭 (7月13日・月)


今日は地元の傍示八幡神社の夏祭り。朝に録音を聞き直して復習。健康診断の車が何台も駐まっているところを9:50に出て神社に行った。Y山氏の左頬と顎に傷があり聞けば足が引っ掛かって倒れたのだとか。いつも交代で3人いた当屋は足や腰が痛いと言う人ばかりだからと今回からなしにしたらしい。

10:15頃に演奏を始めたが懸案の変拍子の1回目は失敗。私と同じ大鼓を叩いていたN谷氏が急きょ小鼓に持ち替えたが合わず。S蒲氏が小太鼓から大鼓に参戦するもやっぱり間違ってやり直し。小鼓は神社総代N岡氏が担当してようやく落ち着いた。変拍子は3度あったが以降は安定。やれやれ。

10:35に終わって太鼓を片付け次は神事。当屋がいないから神社総代3人が準備をしてくれたのだが拝殿から本殿に向かう階段を何度も上がり降りする太夫の足元がふらついて。後から聞くと80歳を超えているらしい。全て終えたのは11:15頃だったと思う。そこから次は小さな宴席。

平均年齢75歳ぐらいだったか。50歳代の私が最年少。今朝は雨は降っていなかったがTシャツの上に半袖シャツでは寒かった。M本氏のスーパードライ3本をいただき山っこ餅や皿鉢の唐揚げなどを食べた。チンドン屋をやりたいというY山氏の話やら話題は飛び飛び。13時半頃に解散して小雨の中を帰宅。

月ヶ谷温泉から喫茶いくみで地元の宴会 (7月12日・日)


昨夜は17時集合の送迎バスに乗って月ヶ谷温泉。妻が委員のいっきゅうの懇親会である。役場から徳島市内に出向して今春から住吉に住んでいるF澤君がO嬢を乗せて来ていて妻が先に出た。町民限定のビアガーデンだが曇り空なので室内で。行くと既に2グループが飲んでいる。一番奥の大きな席へ。

ソーシャルディスタンスなのかテーブルがやたらと広くて大声になる。喫茶いくみのI本氏がビールをサーブ。飲んでいた女性がビールを運んでくれて誰かと思えばM岡社長。前の消防団長K石氏やY畠氏ら見知った人も。ビールは4杯飲んだと思う。最後はY木嬢の隣で現代美術について教えてもらう。

この会場は19時終了。温泉の若い女性スタッフは出初め式後にも会った。神田茶屋のFBページを担当していると聞き帰りに引き返して挨拶。高知出身と言っていた。喫茶いくみに移動するバスに乗ったもののY木嬢が車で行くようなので追いかけて助手席に乗って。彼女の車でバスの後。

喫茶いくみで古いレーザーカラオケを何曲か。ハイボールなどを口にして酔っ払い。迎えのF井嬢が来て北海道のS嬢のことを聞く。事務所に戻り22時過ぎから3次会。またT中氏とN野氏が喧嘩しそうになり皆で抑え込んで24時解散後はソファで寝て行くF澤君とあれやこれや。今日は二日酔い気味。

飛び込み営業 (7月11日・土)


1985年か1986年の夏休みに徳島でベンチャー・リンク社の飛び込み営業のアルバイトをした。事前に徳島市内の企業リストを渡されていたような気もするし自分で探して回ったような気もする。だいたいが興味がないと玄関先で追い返されるのだが中には話を聞いてくれる人もいた。

印象深いのは東新町の鞄店。今から思えばオガワだろう。当時40歳代か50歳代の社長が出て来て私の営業そっちのけで雑談をした。多分大学生の思考や流行に関心を持って聞き出そうとしていたのではないか。あらゆる機会を捉えて情報を集めようとする姿勢の人だと敬意を持った。

助任橋の旧道沿いにプレハブのような小屋があって話をしたこともある。塾か何かの起業準備をしていたのだろうか。20歳代か30歳前後の若い人だった。自分の立場では難しいと言いどこかの会社を紹介してくれた。中吉野町の花屋さんも数人いた社員さんが明るく雑談してくれたような記憶がある。

今から思えば銀行員だった父の伝手を頼れば効率が良かったのだろうがそんな発想もなく闇雲に訪問しては断られて落ち込んでいた。精神的に参ってお腹を下し住吉のキョーエイのトイレに入った記憶もある。徳島には実家の車で行ったのだろうか。スーツを着ていたはずだが記憶の彼方。

日本LCAとベンチャー・リンク (7月10日・金)


先日のZoom飲み会でYCZ出身のS藤由氏も参加されていた。84年の名簿には載っていないから2学年上の経済学部だったか。新潟出身で北白川の下宿に何度か行った。後に和歌山あたりで教師になったと聞いたが卒業して就職したのは京都にある日本LCAというコンサルタント会社だった。

この会社が設立したベンチャー・リンクは牛角のフランチャイズ化を進めたと後にニュースで知った。調べると日本LCAもベンチャー・リンクも2000年と2001年に上場したものの2015年と2011年に上場廃止になりベンチャー・リンクは村上ファンドに買収されたと関わった方のブログにある。

S藤氏が入社していた1985年か1986年に私はベンチャー・リンクでアルバイトをしたことがある。と言っても地元の徳島で飛び込み営業だ。京都の本社で名刺交換などビジネスマナーの研修を受けて夏休みに地元の小さな企業を回った。でも突然訪ねる学生風情が相手にされるはずもない。

何を売りに行ったのかも覚えていない。ベンチャー・リンクだから会員組織の紹介だったのだろうか。1週間だか10日だか歩いて回ったが成果はなかったように思う。それでも訪問企業と日時を日誌にまとめて本社に行って提出すると担当の若い女性が10万円ぐらいのアルバイト料を払ってくれた。

YCZの女性 2 (7月9日・木)


大学のアマチュア無線同好会JA3YCZの1987年の名簿には29人がいる。私の同級生は皆無で1学年下にK西。でも後輩たちばかりであって記憶がほとんどない。特に9人いる女性の記憶は薄い。84年入学で4年間一緒だった同志社女子大のM留祐子さんが唯一の例外。コールサインからOFJと呼んでいた。

局免許を持ってる女性は他に2人。T田美樹子さんは4学年下だったか。堺から通っているが87年には神戸出身のI藤君と付き合っていた。あるときI藤君のアパートから帰るT田嬢と千本今出川のバス停で一緒になり高校時代の男関係など深い話をし始めて驚いた。社会学の本を2冊借りたままだ。

局免許がある人で5学年下にI豆英子という人がいるが記憶にない。福岡出身だからOFJと一緒だなと話した記憶が辛うじてある程度。この時点で留年していたK西の妹は覚えている。背の高い子だったが免許はない。この学年にはT中嬢の名前も見えるが神戸大学農学部らしい。なぜYCZに入部したのか。

A根嬢とI阪嬢は名前には記憶がある。3学年下に京都女子大のN村嬢とH本嬢の名前があるが覚えていない。でも新歓コンパか忘年会で飲み過ぎて入院した子がいるのでこのどちらかのはず。私がバイトしていた塾近く七条大和大路の病院だった。OFJ以外は今会っても絶対に分からないだろうが。

YCZの女性 (7月8日・水)


大学時代のアマチュア無線同好会JA3YCZの仲間とZoom飲み会をやった翌日に妻と話をしていると彼女は友人のCB無線機を使ったことがあるらしい。低出力で無免許で使えるトランシーバーでスキーのゲレンデなどでよく使われていた。そのとき女性だからか男が大勢声を掛けてきて怖かったらしい。

一般的に男の趣味であった無線の世界で女性はもてた。知らないおじさんが次々と無線で呼びかけてくると怖かったかも知れない。それでも大学のサークルYCZには女性もいた。私が大学3回だった1984年の名簿によると29人の部員のうち女性は7人。1987年には29人中9人もいる。

84年時点でA木かおるさんは格好いい人で友人と借りている1軒屋の食事会に呼ばれたこともある。U田時世さんは穏やかでにこやかな人だった。S水氏と結婚して後に亡くなったらしい。先日もいたT崎浩子さんは童顔のかわいい人だった。シェリーさんことH川千草さんは長い髪できれいな人。

同級生の郁乃ちゃんは女子大でEUXがご執心だったが卒業後に結婚したのはWDU。九州出身で奈良や滋賀の親戚宅にいた1つ下のM留祐子さんもめちゃかわいかった。もう1人いるのだが記憶にない。幽霊部員だったか。にゃんこさんことN川郁子さんの名前がないのだがそんなに先輩だったのか?

母の電話 (7月7日・火)


昨夜20時前に自宅で顔を洗っているとき携帯に電話があったらしい。受信記録を見ると19:58に鳴門の母からだ。何だろうと思い架け直す。でも出ない。その後に留守電が入っていることに気づいて聞いてみたのだが無言のまま時折ノイズが入るだけ。まさか倒れているようなことはないよな。

固定電話や携帯に架け続けるのだがやっぱり出ない。風呂にしては時間が早い。21時になって連絡が付かないなら実家まで行ってみようかと思っていた。いい機会だからと妻には東京の義母に電話しておくように言い実際2人が話をしている間の20:41に母から電話があった。

夕方庭仕事をしたから早めに風呂に入っていたという。用は何かと訊くと勝手に電話していたようだとか言う。そう言えば前夜日曜の23時頃に事務所に着信があって何も言わずに切れた。それも母が架けてきたようだ。らくらくスマホの操作ミスだと思うが母は何もしていないと言い張る。

仕方がないので電話を切ったがどうしたものか。実家の様子を知るには電話しかないが母が倒れれば連絡は付かない。月数千円を掛けてネット回線を引いてWebカメラで見張るほどではないように思う。たまに様子を見に行けばいいのだが他に用がないので億劫でもあり。結論は出ないまま。

YCZのBOX (7月6日・月)


土曜にZoom飲み会をした大学時代のサークルJA3YCZの仲間のことは今までも書いたコンテストでよく比叡山に行ったコンパもあった。土曜の飲み会ではアマチュア無線のサークルではあったがバイク部でもあったという話も。でもロック談義も盛んだったから音楽サークルの趣もあった。

当時の部室はBOXと呼ばれ室町南別館という部室棟2Fにあった。1987年には京都府南部の田辺校地の運動グランドの脇にBOXができ私は何度か行った。門から徒歩15分も掛かり遠かった。中心の今出川校地でも室町南別館の敷地を再開発するとかで新町校地の新しい建物に移転した。

それは1987年だったか1988年だったか。既に就職していた1988年のクリスマスパーティに誘われて車を飛ばして京都に日帰りした記憶はある。その新町BOXも1990年代後半に政治団体に乗っ取られたらしい。無線関係の部員はいなくなり本来の活動をしていないと部は潰されたそうだ。

そんな窮状を知った京都に住んでいる先輩H本氏のメールが回ってきたのが2001年2月。BOXからは1970年代卒業の先輩が機材は運び出したらしいが一部の写真を許可を得てH本氏が持ち帰ったとか。でも会社の倉庫で誤って処分したと。いずれにしても私の後輩も数年で途絶えたのは残念だ。

消防草刈り (7月5日・日)


昨夜は夕食前から飲み始めたのでZoom解散後は水だけにした。おかげで二日酔いは免れたが深夜に3度もトイレに行った。結局正味4時間も寝ないまま起きたのは7:37。慌てて準備をして妻が前夜用意してくれていたゆで卵を2個食べて8時前に消防詰め所。今日は消防団の草刈りである。

5班に分かれ今年は多分2度目の下地。私が住んでいる地区だが担当は消防詰め所裏の山の斜面。ここは初めてだ。分団長H木氏と一昨年に同班だった近所のK山氏の3人。スロープを上って下の方を刈っていたがK山氏が3m上にいる。彼が落ちてきたら草刈り機でケガをしそうで場所をずらしながら。

8:20頃から始め途中フェンスに絡まる蔓を切ろうと鎌を持ち出したが分団長の燃料が切れたとかで9:10頃に休憩。10分ほど休んで60度の斜面を登った。未明までの雨で草は濡れているし斜度60度だと土も滑るから足場を確保しながら慎重に。分団長やK山氏の下あたりで作業をして10時過ぎに終了。

斜面上でしばらく休み慎重に下りると前分団長K浦氏が私が登る斜面とちゃうと言う。でも怖いわけでもなかったしまだやれる。今日は雨は降らず途中太陽が出て暑くなりそうだったが概ね曇りで助かった。塩飴を舐めながらポカリスウェット1Lとお茶500ccを飲んでケガもなく無事に終了。

大学サークル17人とZoom飲み会 (7月4日・土)


一昨年上勝に来た大学サークル時代の友人WDUから1月近く前に連絡をもらった。アマチュア無線同好会JA3YCZでZoomを使った飲み会をすると言う。18時スタートの15分ほど前に参加したら1学年下で今は大学講師もしているK西君がいる。今回の幹事役だ。次に参加した人はKaoruと書いている。

格好いいお姉さん青木かおるさんかと思ったがた画面にはオッサン。誰だろう。大先輩かと思っていたら同級生のN垣氏だった。昨年来たEUXと同じ三田工業に就職して今は買収されて京セラ勤務。三菱の車に乗っていた。ほかの同級生はNDTことA川氏と日産技術部門の大幹部EIKにEUXとWDU。

先輩は確か富士通のXFMことK田氏。面影がない。大学院から三菱電機に行かれたM部氏も分からない。S藤氏もH川氏もすっかり姿が変わられているが見ているうちにかつての面影が蘇ってきた。後輩はPanasonicのVUFことN畔氏とオムロンのQKLことW辺氏。この2人とは12年前に東京で会った。

女性は1つ上にゃんこさんN川さんと旧姓T崎H子さん。WDUと結婚した同級の郁乃ちゃん。金ちゃんヌードルを食べビール1.5Lを飲み3つに分かれたセッションを含め4時間。YCZ消滅時のことなど京都のコンサルタントH本氏の話が大半だったか。16画面17人。変わった人と変わらない人と。

PayPalでの入金と動画編集 (7月3日・金)


昨日送ったPayPal請求書に対して今日未明ポーランドから入金があった。これもメールで知らせてくれる。ログインして確認して印刷もした。手数料が500円弱引かれていたが送金側と受け取り側の両方で掛かるのだろうか。よく分からないのだが目的は達成したのでヨシとしよう。

ところが弥生会計に記帳しようとして困った。科目が分からない。預金ではないが普通預金がしっくりくる。検索すると現金か預け金か普通預金という説がある。税理士さんに尋ねると彼は現金で処理しているそうだ。できれば合わせて欲しいというので現金にして補助科目としてPayPalを登録。

午後は妻が顔ヨガ講師の延村さんにZoomでインタビューをして夜になってYouTube用に編集した。PowerDirector17での編集はだいぶ慣れた。基本的にパターンは同じなので今までに編集したプロジェクトを読み込んで画像やキャプションのフォントを流用している。

実際の音声を聞いてキャプションを入れるのが面倒だが3〜4分なので時間さえ掛ければどうにかなる。そんなわけで今日も何とか仕事をやった。と言っても仕事も途中からビールを飲み日本酒を2合ほど飲んだ。飲みながら気楽にしているわけで恵まれた境遇だと感謝するしかないと思う。

PayPalを使って請求書送付 (7月2日・木)


5月以来手続きを進めてきたPayPalから今日になって2通のハガキが書留で届いた。法人宛とPayPalで操作をする私個人宛で各々5桁のパスワードが書かれている。PayPalにアクセスすると入力項目が表示されていて各5桁を入れて終わり。これでPayPalの全機能が使えるようになったらしい。

国内法人からの入金は基本的に三菱UFJ銀行の口座を使っていて個人からは今は住信SBIネット銀行やゆうちょ銀行がメイン。一昨年は顔ヨガ指導者養成講座を受講するモンゴルからの入金に徳島銀行を使っていたがマネーロンダリングでないことを説明するためいちいち電話が来るのが面倒だった。

10年前はよく米国に三菱UFJ三軒茶屋支店に行って書類を出していた。今も海外の送金側は面倒なはず。そこでPayPal。件数は多くないがとりあえずポーランドに住んでいる顔ヨガ協会の会員さんの送金用として請求書してみた。システム化されていてメールアドレスと料金と項目名を入れるだけ。

本文も入れられるが今回はブランクで。送金手数料は100万円まで499円。これは彼女が負担することになるのか。銀行を使うよりは安いはず。日本円に通貨換算の場合は+4%。1万円で900円か。こちら側で銀行への引き出す場合5万円未満で手数料250円。5万円以上なら0円。覚えておこう。

三菱UFJ銀行の口座明細 (7月1日・水)


7月になり6月末の入金を確認するため三菱UFJ銀行に行く必要があった。今日は午後からA社との会議があったので明日にも徳島往復しようと思っていた。と三菱UFJ銀行から4月に加入したネットバンキングBizSTATION Lightの明細確認試用版が6日までだというDM。そうか。その手があったのか。

ログインは最初に登録したパスワードと専用トークンによるワンタイムパスワードを使う。相変わらず見にくいが入金と社会保険料の引き落としも確認して徳島往復2時間を節約することができた。ただし入金を確認できるのは毎月1,760円の正規料金を支払うつもりがないので試用期間の6日まで。

一方で今やメインに使っている住信SBIネット銀行は妻の事業で5月の入金が30件。10件を超えたので翌々月にあたる今月は振込手数料が10件まで無料になる。三菱UFJ銀行まで行かず住信SBIネット銀行から振り込むつもり。6月も25件の入金があったから8月も振込手数料は10件まで無料だ。

住信SBIネット銀行は入金があるとメールで分かるのでログインして確認できる。ますます三菱UFJ銀行からは遠ざかる。さて先週申請した町独自の持続化給付金は今日振り込まれたらしい。こちらは町に登録してある徳島銀行の口座。隣町の支店まで車で10分。何かのついでに記帳してこよう。

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© 2020 Takashi INAGAKI