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2018年5月

オーディオ機の物色 (5月31日・木)


妻を空港に送って行った昨日。実家で時間調整しS神歯科に行く前に松茂のヤマダ電器でオーディオのカタログをもらってきた。オーディオが壊れた件を夕方こはくの天使に行ってマスターに話をすると筐体の帯電を放電して直ったことがあると言う。それで帰宅後に電源ケーブルを抜いてみたがダメ。

ヒューズが切れた可能性も指摘されたから今日筐体を開けてヒューズを見つけてショートさせてみたが電源は入らない。電源ケーブルを繋ぐと1秒だけディスプレイに表示されるがすぐ切れる。そして電源ボタンを押してもダメ。私には手に負えないのでカタログを見ながら最新機種の機能を確かめる。

どのメーカーもハイレゾ音源対応を謳っている。PCでダウンロードした音源を聴くためPCと接続できる機種やUSBメモリやSDカード対応のものもある。有線または無線LANでHDDのミュージックサーバーに保存するという機種も。ほとんどがBluetooth対応でスマホの音楽を聴くことができる。

ハイレゾとスマホ対応がトレンドらしい。PanasonicとSONYは特にLAN対応でハイレゾ音源を直接取り込めたりDLNAでのミュージックサーバーを提案している。でも私はハイレゾで音楽を聴きたいわけではないしスマホに音楽データは全くない。FM放送と手持ちのCDがただ聴ければいいのである。

譜面台 (5月30日・水)


譜面台を買った。昨年あたりから「響」の練習で譜面台を持ち込む人が増えていた。最初は私と同じパートのS先生だったと思う。バリトンの団長やトップのW氏も譜面台を持ち込んで楽譜を置いている。そんなわけで私も仲間に入ることにした。先日買って日曜の練習で初めて使ってみた。

買ったのはキョーリツコーポレーションMS2800/BKというもの。特徴は高さが1.6mあること。重さが1.14kgと重いこと。皆は軽いものを好んで買っていたが指揮者と楽譜の目線移動を少なくしたかったので背の高いものにした。そうすると不安定になるから重いものがいいと考えた。

でも使ってみて気づいたのだが高い位置にセットすると確かに目線移動は少なくなるが距離が違うため楽譜に焦点が合わない。遠近両用メガネを掛けているので近くのものは視界の下の方でないとぼやけるのである。だから視線移動を少なくする位置に楽譜を置くと顎を上げないとはっきり見えない。

結局のところ楽譜は1.2mぐらいの位置がちょうどいいというのが結論。望んで買った重さが難点になってしまった。とは言え譜面台にICレコーダーやペンを置くことができるし床に置いた楽譜をしゃがんで取る必要がなくなり楽になったという利点はあるのだけれど。

オーディオが壊れた (5月29日・火)


事務所で使っていたオーディオが壊れた。2004年5月に渋谷のビックカメラで買ったオンキヨーFR-SX7A(D)。CDとMDプレーヤーにFM/AMチューナー内蔵のアンプ。CDトレイが出なくなる不具合2回あって以来CDを聴くときはDVDプレーヤーを使っていたが昨日から電源が入らなくなった。

事務所では昼食に合わせ正午前後から14時前までNHKニュースとTBS「ひるおび」を付けているのだが夕食時にテレビを観るまでFMラジオを掛けている。妻がいないときはCDを聴くときもある。いずれにしても電源が入らずアンプが使えないのではFMはもちろんCDも聴けない。

アンプなら最初の結婚をした1992年に買ったソニー製コンポがある。MHC-J900EX。カセットデッキは東京時代に既に壊れていてCDプレーヤーも使えずスピーカーと一緒に2年前に処分。ラジオチューナーはカセットデッキと一体だったから既にない。残ったのはイコライザーとメインアンプのみ。

これが私のデスク脇にあるからオンキヨーのアンプと入れ替えればCDは聴けるようになる。いや今でもヘッドホンを使えば聴くことはできる。でも一旦アンプを移動させると次に買い換えたときにまた面倒。そんなわけで逡巡しつつ新しいオーディオ機器の物色を始めたところ。面倒なことだ。

鳴門から藍住ゆめタウン (5月28日・月)


土曜はマンテンサンを出て金比羅タクシーに行ったのだが10組ぐらいが待っていたからBAR HOGSHEAD。ソルティドッグ1杯だけ飲んだのだが私が行く前にJ社の1つ後輩Y嬢がいたと今朝連絡をもらってかなり残念な思いをしている。彼女らの同期会があったらしい。総務のM嬢A嬢も一緒にいたとか。

金比羅タクシーはやはり10組待ちだったが次々と車が戻ってきて5分ほどしか待たなかった。日曜は母が子供たちの第九演奏を聴きに行くと出かけ作っておいてくれたピラフを食べ13時に犬のケースケに餌をやってローソンまで歩いて行った。歯ブラシを忘れていてこれを買いに。ついにでカフェラテ。

14時頃に実家を出て藍住のゆめタウン。確認したいものがあってモンベルに行ったがモノはなくてスポーツ店。イオンモールで気になっていたものの買わなかった靴と同じものがあってサイズをチェック。結局男性店員さんが丁寧に説明してくれて少しきついかなと思いつつ26cmのものを買った。

思いの外ここで時間が取られ大混雑のゆめタウンを出たのが16時頃。この日の響の練習は16時からで遅刻が決定。久しぶりに通った四国三郎橋も渋滞していて練習会場に着いたのは16:40頃だった。さらに銀行に記帳に行ってから練習参加。コンクールに向けた音取りは続く。

ナルトタイ蔵蔵たちきゅう (5月27日・日)


土曜は15時半前に出て木曜に会ったKの自宅近くに迷いながら16:20。バイパスのローソンでビールとおつまみを買い鳴門の実家に車を駐めてまずは乾杯。17時になり歩いて撫養駅17:19発。汽車で阿波大谷17:31着。本家松浦酒造の中庭で日本酒を味わおうというナルトタイ蔵蔵たちきゅうなのだ。

着いたのは17:40頃。元同僚で上勝のN田君がいて少し話してから昨年からオーナー社長になった喜屋武さんと半年ぶりに会ってテーブルを囲んだ。ほどなく上勝TVファンで2回だけ会ったことのあるF戸氏に話し掛けられて一緒に。長野出身で大企業S社の松茂工場に勤務していると初めて知った。

J社同期で松浦酒造のWEB広報を担当しているI嬢や後輩で上勝の棚田作りも一緒にやったM嬢もいてビール1杯の後チェイサーとともに日本酒2杯。20時頃にKと2人でI嬢の車に乗せてもらい両国橋。秋田町の柚で少し食べて先週も行ったマンテンサン。Kは歩いて帰ると先に出て私は最後にHOGSHEAD。

ところで撫養から汽車に乗ったとき徳島の小学校合唱指導の今や第一人者ともいえる響のS氏と会って雑談。マンテンサンでは1人いた先客が響の団長。秋田町は結婚式後の人や若者が大勢いて何の騒ぎだと思ったほどだったが金比羅タクシーで10組5分ほど待って25時半頃に実家に戻った。

文字化けとmetaタグの文字コード (5月25日・金)


この日記は毎日のアップを心がけているが執筆は毎日とは限らない。まとめて3日分ぐらい書きためておくことがある。以前はこのトップページに非表示タグで埋め込んでいたが何らかの理由で予定稿が見えてしまうことがあると福岡T氏から指摘されてローカルだけの別ページにまとめている。

そのローカルだけに置いている予定稿ページが1週間ほど前から文字化けで読めなくなっていた。ソースはエディタで読めるから予定原稿は書けるが表示のチェックができない。最後はこのトップページにコピーするから問題はないのだが何となく気になっていた。

今までもときどき起こり何か一文字を削除すると正常に戻ったりした。だから予定稿ページの文字を消したりしてみたが文字化けは変わらず。ところが昨日になってコンテンツインデックスなども文字化けを起こしていることを見つけた。数年間も変えていないページである。これはおかしい。

文字コードが問題になっているのは確かだから文字化けページは何が違うのか比べてみるとHTMLの冒頭のmetaタグのあるかないかだった。文字化けを起こしたページは文字コードを宣言していなかったのだ。そんなわけでmetaタグをコピーして復旧。文字コードのことはよく分かっていないのだが。

友人たちの来訪 (5月24日・木)


火曜はこはくの天使で遅い昼食後に空港に行って妻を迎えてきた。S神歯科の予約をすっかり忘れて空港から謝りの電話。帰宅したのは19時前だが地元のF氏からメッセージがあった。今日の飲み会は行くのかと。そう言えば先週電話があったが何の件か分からず火曜の夕方は予定ありと答えていた。

だんじり保存会の飲み会があったらしい。今さら行っても私の分の刺身パックは買ってないだろうから妻と夕食。22時前にF氏が流れてきて日大アメフト部の加害選手の記者会見をテレビで観ながらあれやこれや。22時過ぎにはN氏とA総代も来て最後はN氏と妻と3人で24時半頃だったか。

水曜は地元のH嬢。先週スーパーで偶然会ってアポがあったのである。用件は剣山近くにオリックスが計画している風力発電所への反対署名の件。那賀町木頭と神山町と美馬市木屋平にまたがる尾根に高さ175mの巨大風車40本を建てるとか。もちろん反対署名をした。その説明を含め2時間ほど。

今日は徳島からJ社同期のKが来た。3月4月にも会ったのだが時間があるということで。ポールスターは休みでいっきゅう茶屋は閉店間際だったので事務所に戻ってコーヒー。住宅裏の東屋で1時間ほど話をした。共通の友人の話だったりFacebookの使い方だったり。

ICレコーダーのファイル形式と操作感 (5月23日・水)


土曜の演奏が終わって翌日曜はまた練習。今度はコンクールに向けて音取りだ。自由曲は2曲歌う予定でうち1曲は2年前にも演奏した。もう1曲もそのとき練習したのだが断念している。だから音取りは一通りやっているのだが忘れてしまっている。とにかく難しくて難航している。

でも過去に音取りしたデータを聴き直そうとPCにあるファイルをICレコーダーに書き戻した。ところが聴けない。そもそもファイルがICレコーダーで認識されない。理由は2年前に録音したICレコーダーのデータはWindows Media Audio形式で今使っているレコーダーで扱えるのはMP3のみ。

2年前に使ったICレコーダーは2011年に買ったオリンパスV-65。これは液晶に横一筋の非表示領域ができてしまい新しく2016年に買ったのがV-842。操作性の継続を期待して同じオリンパスを買ったのにファイル形式が異なるとは想定外だった。MP3の特許が切れたという背景もあるのだろうが。

実は操作の継続性もなかった。消去ボタンの位置と電源オンオフの方法が違う。V-842はボタンの凹凸が少なく指の感触だけでの操作は難しいしバックライトがなくなったから暗いところでの操作ができない。次に買い換えるときはオリンパスにこだわらずトータルの使用感で選ぶつもりだ。

「花がなみだを落とすとき」 (5月22日・火)


土曜に歌った2曲は鈴木信夫という人の歌詞による。この演奏会自体が「鈴木信夫の詩による歌曲集」と題されていた。このうち「花がなみだを落とすとき」という歌は「あなたが触れた悲しみがいます/私が触れた悲しみがいます〜花がなみだを落とすとき心は愛で満たされますか」と歌詞にあった。

歌詞を覚えるために情景を想像するのだが私は男女の悲恋の歌だと思っていた。結婚を約束していた男女が何かを理由に反対されていたとか。そして演奏後の宴席で作詩者の母上が偶然にも私の隣におられてK本嬢が話をしていたので私も会話に加わって母上に訊いてみた。

この歌詞の意味を何なのだろうと。なぜ本人ではなく母上だったかと言えば作詞者は数年前に亡くなっているからだ。この作詞者は7歳で筋ジストロフィーと診断され26歳からは人工呼吸器を使いわずかに動く指先でマウスを操作しPCで詩を書き続け40歳で亡くなったらしい。

それを知って「あなた」が母親で「わたし」が自分かその逆かも知れないと練習のとき議論をした。でも母上は男女の恋愛の歌だと思いますと答えてくれた。あくまで母上の解釈だが最初は意味が分からないと思っていた歌詞に歌い終わってからだけど少しリアリティと魂を感じることができた。

とくさんとマンテンサン (5月21日・月)


シビックセンターで演奏した後とくさん2Fの座敷での宴席に参加した。行ってみるとなぜか「響」創立時の元団員で家具卸会社社長F氏と中学の同級生K本J子がいる。訊けばO井さんの関係らしい。F氏は彼がギターを担当するバンドの女性ボーカルがO井さんの関係と言っていたか。

K本嬢は離婚して実家に戻り同じく中学の同級生で不動産屋T石の古代米販売店で働いているのだとか。T石はO井さんにボイストレーニングを受けているらしいのだが彼はちょうど奥さんと両親を連れて出雲大社に行っているので彼女はT石の代理で宴席にだけ参加したのだとか。

徳島は人脈のレイヤーが1層だと前から書いているが元団員と中学の同級生と同じ宴席に出るとは思わなかった。ちなみにK本嬢とは20歳の頃の同窓会で会っていたとしても35年ぶりだし中学卒業以来だと40年ぶりだと盛り上がったが日記を読み返すと去年会っていたのだった。あれれ。

とくさんを23時過ぎに出て団長の車で紺屋町。上勝出身の有美ちゃんのバー。グラスホッパーという同名の店ができて改名したというマンテンサンに行ったのはトップテナーE氏W氏とバリトンS氏と団長と私。バカ話中心だったが何でもタダで頼んでくる徳島のイヤな体質についての話も少しだけ。

シビックセンターで客演 (5月20日・日)


土曜夜の「響」のステージはシビックセンターであった。青少年センターかと思っていたらアミコ内のイベントスペースだと知る。S神歯科に車を置こうと思ったが患者の車が2台。近くのコインポーキングに置きかけたが車が出たので結局S神歯科に置かせてもらいそごうの中を通ってアミコ4F。

城南高校から徳島大学を出た産婦人科医で横浜にいる西田玲子さんという方のリサイタルの客演である。徳島のソプラノ歌手であるO井さんが段取り一切を取り仕切ったらしい。行ってみるとO井さんのご主人がいて手伝っている。「響」の元団員で私が会ったのは20年ぶりぐらいではないか。

弁当があると聞いていたが数が足りずミニクロワッサンを食べて控え室で練習。2曲あるのだが歌詞が覚えきれず皆が間違いを連発して指揮者の怒りが爆発。30分ぐらい歌い込んで何とか形にして本番。小さなホールだが満席200人弱いたらしい。歌の方は一部歌詞が飛びかけたが破綻なく歌えた。

アンコール2曲も歌い居酒屋とくさん。「響」団員の懇親会だと思っていたら西田さんO井さんはじめ関係者ら30人ほど。21時過ぎから2時間。終えてグラスホッパー改めマンテンサンに団長ら5人で行き最後に私は一人でトリンタ。最近よく使う代行さんと話しながら帰宅したのが午前3時半過ぎ。

A氏のPCセッティング (5月19日・土)


土曜は18時半集合で「響」の演奏があったのだが午後に地元でPCの設定をしていた。昼食を勝浦のみやこ屋で急いで食べて14時過ぎに近所のA氏宅。4月に発注していたPCの出荷メールが届かないと気になりWebで確認すると10日に配達済みとあり木曜に電話をしてセッティングに行ったのが今日。

まずは旧PCから筆ぐるめの住所録データをUSBメモリにバックアップ。新PCを起動してWORDを立ち上げようとしたらサブスクリプションで面倒な要求が出てくる。そもそもプロダクトキーが分からず探し回って外箱に貼り付けられていた紙があることを発見してコイン削りでキーを表示させて。

次にマイクロソフトアカウントの設定をせよということだが携帯電話のメールアドレスは拒否され地域プロバイダのアドレスは分からないらしくOutlookでアカウントを作ってWORDは使えるようになった。。並行してキヤノンのプリンタの関連ソフトをネットからダウンロードして設定。

写真印刷はどうすればいいのかと最後に問われ何のソフトを使っていたか分からずキヤノンの関連ソフトをいろいろいじって元のソフトらしいものを設定してみた。終えて16時半。2時間半もかかり350mLビール1ケースをいただき歩いて持ち帰った。ここから急ぎ準備し徳島に向かったのである。

消防団員カード (5月18日・金)


数ヶ月前だと思うがよく行っている小松島のカフェ「こはくの天使」に「消防団応援の店」のステッカーが貼られているのを見つけた。マスターは小松島市限定ではないかと言うのだが徳島県と明記されている。こはくの天使では消防団員カードが示されればコーヒー1杯を無料で提供するらしい。

それで多分2月頃の消防分団役員会で質問した。そういうカードがあるらしいが上勝町消防団にはカードはないのかと。それが今月15日の消防点検に行ったとき新分団長H氏からカードを受け取った。今年度になり応援の店が増えたことから我が団でも対応することになったそうだと説明された。

私は消防団員になって9年目。団員が消防活動をするのは地元だけであって人的関係から証明書が必要なものではないことは分かるのだが消防団にはそれなりの使命感を持って参加しているつもりなのでお店での特典はともかく小さなカードだけでももらえると何となくうれしい。

さて特典についてはこはくの天使は繁盛店ではないので利用は申し訳ないとマスターに話をしていたら彼の思いはまた別で自分が消防団で活動できないからその代わりにできることをやっているだけだと格好いいことを言った。だとしても彼の店では豆代ぐらい出さないとやっぱり申し訳ないのだが。

佐多岬キャンプ (5月17日・木)


私は1994年4月に離婚したから以後は1人で行動するようになった。離婚後バイクで行った最初のキャンプは愛媛の佐多岬。J君は既に1,000ccのKAWASAKIに乗っていたかどうか。覚えているのは後に離婚する奥さんと車で来ていたK野が小さなテレビを持ち込んで観ていたこと。

キャンプ場まで来てテレビかよと私は批判的だったが彼はF1の中継を観ていた。アイルトン・セナがレース中に事故死したとK野が大騒ぎしていたから覚えているのだが調べてみると1994年5月1日だ。私は遅れて参加し皆とは1泊だけ一緒にいた。彼らが帰るとき途中までJ君のバイクに同行した。

そのままテントは残して夕方キャンプ場に戻った。そこに大学時代の友人2人が合流することになっていたのだ。同じ学科の同級生で同じサークル。所属年は違うが同じ研究室出身でもあった日産のJG3EIKと三菱重工のJR2TMCだ。2人とも今は大型バイクだが当時はまだホンダの400ccだったと思う。

携帯電話もない時代でキャンプ場の名前だけ伝えていたからなかなか来ない彼らに不安になって大通りの駐車場までバイクで出てみたり。結局彼らは日没頃にやってきたように思う。キャンプ場で3人で1泊したはずだが翌日に真っ直ぐ帰ったのかどこかに回ったのか既に記憶がない。

北海道ツーリング 2 (5月16日・水)


1992年に行った北海道ツーリングではサロマ湖あたりでJ社の後輩と偶然会った。今や室蘭工業大学の准教授になっているS藤君。今の妻とも何度か会ったT原君も同じ頃に北海道にいると聞いた。S藤君とバイクでしばらく一緒に走って別れた。最終日はフェリーに乗るため小樽に戻ってきた。

小樽では元妻が調べていた鮨屋に行ったような気がするだけで街の記憶がない。泊まった民宿では夜20人ぐらいの客が円になってオーナーと一緒に話をしたことは覚えている。ホンダの軽のビートで来たと言っていた若い子がいた。当時29歳だった私が最年長のように思うほど皆が若かった。

問題は台風で翌日の舞鶴行フェリーが出港するかどうかだった。情報を求めて何度か港に行った。そしたら一緒に混浴露天風呂に入ったEIKの弟とばったり。前月の鈴鹿8耐で一緒にキャンプしたから知っていた彼と情報交換。予約していたフェリーに乗れたのか延泊したのか今では覚えていないが。

舞鶴に着いたのは夜だった。20時とか21時だろうか。そこからひたすらバイクで徳島を目指した。当時は明石海峡大橋がなくフェリーに乗って淡路を縦断して鳴門海峡大橋を渡ったはずで今から思うと無謀な行程だったようにも思うが深夜に徳島市昭和町の自宅に帰ったのだと思う。

北海道ツーリングと紫のジャンパー (5月15日・火)


知床の滝に行った日はTシャツ1枚で十分なほど暑かったのに寒い日がありカッパを着ても寒いのでバイクショップを見つけてジャンパーを買った。バイクに乗らなくなって着ていなかったのだが最近は冬の定番着にしている。上勝でお馴染みになった紫のジャンパーは26年前のこのとき買ったものだ。

釧路で泊まった民宿は湿原保護のため石けんの使用を禁止していた。そうとは知らずチェックイン直後に風呂で持って行っていた石けんを使って申し訳ない気持ちになった。どこで泊まったときだったか忘れたが事前にスケジュールを知らせておいた友人が私たちが泊まっていた旅館に来た。

彼は近くのキャンプ場にいると言う。今や日産の技術幹部になった大学時代の友人JG3EIK。カワサキGPZ400に乗っていて前月の8耐でも一緒にいた。彼と私たち夫婦3人で旅館の混浴露天風呂に入った。そこには後からカップルが1組来たと思うがほどなく学生らしい男ばかり10人ぐらいが来た。

カップルの女性が上がったとき前は隠すがお尻が丸見えで彼らは無遠慮に嬌声を上げるから私たちもすぐに出た。内風呂に移動したが彼女への連絡がうまくできておらず何十分も待たせたらしいく酷く怒られた。EIKとは部屋で少し話をして翌朝は彼をキャンプ場に訪ねた。あれはどこだったのかな。

北海道ツーリング (5月14日・月)


1991年に買ったカワサキZZR250で鈴鹿8時間耐久レースにも行った。2月に結婚した1992年の7月で当時の妻と一緒。彼女もカワサキGPZ250を中古で買っていたのだと思う。テントが壊れたのはこのときだ。その翌8月には彼女と北海道ツーリング。京都の舞鶴から小樽までフェリーを使った。

会社の休暇より前に出発したのだろう。小樽に着いて9時半を待って公衆電話から会社に電話した。富良野と釧路で民宿に泊まったはずだが記憶が曖昧。どこだったか民宿に着いても人がおらず公衆電話から電話をして夕方なのに寝起きのようなおばちゃんが出てきて不安になった記憶がある。

知床半島の滝に行った記憶は強い。川を歩いて遡ると着替える施設など何もない露天風呂。私は入ったと思うが彼女はどうしたのだろう。ライダーら何十人もがいる中で彼女も裸になった気もするが。そこからの帰路で荷台のヒモを垂らしていたバイクがあって横に並んで知らせてあげた。

露天風呂からバイクまで歩いて戻る途中で中年女性が崖を下りようとしてお尻から落下した光景は驚きとともに覚えている。そのほかに覚えているのは富良野で泊まった翌朝同じ宿にいたカップルと出会ってバイク4台でしばらく走ったこと。ただただ信号のない一本道を延々と走り続けたこと。

Bar IRORI (5月12日・土)


月曜から丸9年の車検に出していたフィットが飲み仲間でもある近所のT氏の手から木曜に戻ってきた。重量税や交換部品を含めて5万円少々と相変わらず安い。その代金を支払おうとT氏に寄ってもらったのが昨夕。Bar IRORIに飲みに行こうと妻が言い出しT氏を誘って18時半頃に家を出た。

迎えに来てくれたのは上勝TVの元スタッフで移住してしまったイマジン。前回のBar IRORIでも一緒だったM川氏が乗っていて私の後にYさんもピックアップ。車の中でK下氏という方ともご挨拶。奥のテーブルで妻とT氏と3人で飲んでいたのだが次にJ社の元同僚でもあるN田君が来て4人。

そのうち上勝TVの司会もやってもらっていた若いS嬢が一人で食事に来てカウンターにいたのだが私たちと合流して5人。さらに妻が何度かデートしたT木君がもっと若いS嬢と2人でカウンター端に。T氏はカウンターに行って話をしたり妻もT木君のところにいって何やかんや。

私はビール3本ぐらいの後にホットゆこうジンジャー。妻はワインを私のビールと同じペースで飲んでいたからだろう悪酔いして途中から怒ったり泣いたり。23時半頃に店を出てソファで寝ようとした妻に自宅に行かせT氏と2人で1時頃まで話をしていた。記憶はあるのだがまた飲みすぎた。

盗まれたバイク (5月11日・金)


同僚M本氏から買ったスズキのバイクは1週間で盗まれた。キーは付けていなかったがハンドルをロックさせていたかどうかもう覚えていない。購入後あまりに短かったことでM本氏夫妻が10万円を負担したいと言ってくれたのだが既に私が所有していたところで盗まれたので筋が違うとお断りした。

当時バイクに乗っていた販売推進のK本君が犯人を捕まえようと言ってきた。それも面白そうだと同じ駐輪場に彼のバイクを置いて囮として2人で見張ることにした。沖浜の本社ビル西側にあった駐輪場。私は空き地だった南に車を駐めK本君は北側の公園脇で待機したと思う。

金曜だったか土曜だったか22時か23時から2時頃までいたように思う。2人は430MHzの アマチュア無線機で連絡を取り合った。でも犯人らしい人物は現れず見張りにも飽きて1日だけだったような。警察に届け出ていたが後日ナンバープレートが八万の田んぼの中で発見されたと連絡があった。

自賠責保険の解約手続きをすぐやればよかったのだが面倒だから放置していた。何ヶ月も経ってようやく思い立って徳島公園脇の保険会社に行ったが残りが数ヶ月になっていて戻ってきたのが1,000円とか2,000円でがっかりしたというか放置していた失敗を悔やんだ記憶がある。

バイク (5月10日・木)


GWに実家に行ったとき東京海上火災保険からの未開封の封書を渡された。どこかに落ち込んでいたらしい。ずいぶんと古いが念のために開封してみると平成8年6月26日から1年間有効のバイクの自動車保険証書だった。22年前だから1996年のもの。初度登録年月に平成3年6月とある。1991年だ。

先日来たEUXやWDUや同じサークルだったEIKにTMCなど友人は大学時代だいたい中型二輪に乗っていたのに私は免許を持っていなかった。J社に入ってから教習所に通ったのだ。住吉にある中央自動車教習所だった。一人で通ったはずだが後に結婚する当時の彼女も免許を取った。

最初のバイクは年下の先輩M本氏が持っていたスズキだった。20万円だか30万円で売ってもらったのだが会社の駐輪場から1週間ほどで盗まれた。バイクの保険は最初このスズキの中古バイクで契約したのだと思う。つまり初めて自分のバイクに乗ったのは1991年6月26日だったということだろう。

そのバイクは諦め次は当時の彼女が住んでいた常三島のマンション1Fにあった小さなショップで新車を買った。カワサキZZR250。青のツーリングバイク。納車まで2月ぐらいかかったはずだから1991年の秋から乗っていたと思う。保険証書には「1徳島か5174」という登録番号も記載されていた。

イオンモールでいきなりステーキ (5月9日・水)


筆耕をお願いしている認定証を受け取りに妻がA嬢のところに行きたいと言うのだがフィットは月曜からT氏の元で車検手続き中である。代車のムーブターボで行けばいいのだが一方で東京オフィスの5月分の家賃を払い忘れていることに昨日気づいて私は三菱UFJ銀行まで行きたいと思っていた。

そんなわけで2人で16時前に出て郵便局で荷物を出しフィットの自動車税を納め新浜経由で徳島駅前。夕食はどうしようかと考え妻が行ったことのないイオンモールに向かうことにした。事務所と自宅で使っているスリッパがボロボロでゴミをまき散らしているので新しいものも買おうということで。

ついでにユニクロで靴下も買った。何年か前に買った靴下は靴の中でずれるので少し小さめのものが欲しかったのだがそんな話を妻にするとレディースにすればいいと言われ女性用を買ってみた。6足。そこから妻は食材を買いに行き私は腕時計を見ながら時間を調整して一旦荷物を車に入れて5Fへ。

いきなりステーキで私も妻も食べたことがなくシステムが分からないのでこの機会にと2人で行った。私はヒレ300g。2人で5,000円を超えたから安いわけではないしイスはあるが落ち着きのない店で物珍しさ以上の価値を見出せない。1人で気軽に肉を食べたいならいいのだろうが。

ハズキルーペとドライヤー (5月8日・火)


ハズキルーペを買った。いわばメガネ型の虫眼鏡である。いろどり農家のK氏からネットで買って欲しいと言われ購入代行したのが調べてみると昨年6月。そのときはハズキルーペが何なのか知らなかった。でも今や歯医者のS神は治療中に使っているし「響」のS先生は楽譜を見るのに掛けている。

私は遠近両用のメガネを掛けているがどんなものだろうかと先日実家に行ったとき近所のケーズデンキで試して買ってみた。1.32倍のやつ。「響」練習中に楽譜を見るのに使えるかと思ったが指揮者がぼやけるから新聞を読むときぐらいかと思っている。でも慣れないから掛けると少しクラクラする。

髪を乾かすドライヤーも買った。今までのものは結婚前から妻が使っていた20年選手だと思う。その電源コードの根元が折れていることに気づいたのが4月中旬。高校生ぐらいの頃に実家のドライヤーの電源コードから火が噴いたことがあって怖いのだ。速攻でゴミステーションに持ち込んで捨てた。

それからは事務所にある妻のものを使っていたが彼女は事務所で使いたいらしい。私は自宅でシャワー後すぐに乾かしたい。今は髪が短いから放っておけば乾くのだがいつまでも自然乾燥というわけにもいかない。。そんなわけで新調した。ヨドバシで1,860円だが全額ポイントで。

VHF/UHFトランシーバーVX-8Dと無線交信 (5月7日・月)


三重の津に住んでいるJF2WDUは今もHFからUHFでアマチュア無線をやっているらしい。モールス信号を使ったCW通信までやっている。今回の上勝訪問にあたりGPSを付けたトランシーバーを持ってくると言う。APRSというシステムで位置を追跡できるらしい。初めて知ったのだがサイトにアクセス。

でもWDUは無線機の電源を入れ忘れていたりAPRS機能の設定が分からなくなっていたりで来るときは追跡できなかった。それでもサイトを見るといろんなアマチュア無線局や船舶の位置や移動方向が表示される。へぇ。こんなシステムが簡単に利用できるのかと驚いた。

FBメッセンジャーで430MHz帯の周波数を指定してもらって交信を試みたが適わず。後から気づいたが私の設定が間違っていた。ともかく上勝から帰っていくとき交信をしてみた。まずは事務所に来て2mの距離で交信してデータを書き込んだQSLカードをもらった。私のカードはないのだけど。

そこから私は外部アンテナに繋ぎ144MHz帯で交信。どこまで繋がるかチェックしたが隣町坂本の坂を下りたあたりで信号は途切れた。無線機は2人とも同じ八重洲無線STANDARD VX-8D4年半前に買ってから使っておらず操作方法が分からなかった。マニュアルを読み直しておこうと思う。

大学サークルの先輩や後輩 (5月6日・日)


先日来たEUXもWDUも20年前のTMCの結婚式にいたらしい。ということは2人とも20年ぶりだった。その前は12年ぐらいのブランクがあった。同じサークルの郁乃ちゃんとWDUが結婚したのは彼が入社4年目に英国留学した後から付き合い始めたらしい。2人のタイミングが合ったのだと言っていた。

そして静岡に彼らが遊びに行ったとき郁乃ちゃんが連れてきた会社の同僚とEUXが付き合い始めて結婚したのだとか。EUXの奥様とWDUの奥様つまり郁乃ちゃんは友人だと。何だそりゃ。いろいろ知らなかった2人の30年間を聞いた。彼らも知っている当時の彼女のことを含め私の話もしたのだが。

同じサークルにいてEUXと同じ三田工業に就職したNDTことA川はEUXが紹介した親戚と結婚したと。1つ上の機械工学科にいて日産自動車に就職したS水氏と結婚した同じサークルのトキヨさんは10年以上前に亡くなったとも聞いた。ほかにも32年間忘れていた先輩の名前を聞いて懐かしく思ったり。

私は今回の2人と同じ1982年入学だが仮面浪人をしたこととさらに1年留年したので卒業が2年違う。だから3つ下の後輩を私はよく知っているが彼らにとって印象は薄いらしい。そんな話から同じサークルで私が知っている人は30人を超えていることに気づいた。また会いたい後輩も多いのだが。

母と淡路の植物園 (5月5日・土)


0時半過ぎに寝て9時頃起床。妻と歩いてローソンでカフェラテを買い次にK'sデンキでハズキルーペを買って来た。カレーが美味しいという岡崎のカフェに妻が行きたいと言うので11時半に行ったが既に予約でいっぱいと。で木津のフレンチ。母は何度か来たことがあるらしい。妻のパスタまで食べた。

そのまま高速に乗って淡路北端手前の東浦ICで下りてウェスティンホテルの隣にある「奇跡の星の植物館」というところに行った。小さそうに見えたが意外に広がりがあって屋外まで見て回り。妻と母はいちいち足を止めて花を覗き込んであれこれ話すから時間もかかる。途中でアイスを食べ休憩。

さらに事前に買っておいたチケットで屋外の公園へ。淡路島国営明石海峡公園。山を切り開いた感じで遊歩道と植物が整備されている。ここでも花を見ながら。展望台まで行くと天気が良くて神戸はもちろん大阪湾の奥から和歌山の山まで見通せた。帰りは16時半頃に東浦ICに乗って鳴門ICへ。

実家に戻り少し休んで母の車に乗り換えて海鮮料理の名店「あらし」へ。17:50頃に着いたが7組が車の中で待っている。でも回転は早いから待つことにして25分ほど。店内で30分。19時頃に実家に戻りお茶を飲んで荷物をまとめ上勝に帰ってきた。今日は結構食べたが歩きもして足が怠い。

鳴門の実家と初「はんなり」 (5月4日・金)


ノートPCのUpdateを走らせたらなかなか終わらず家を出たのは14:40頃。松茂のヤマダ電機に寄ってコードレス掃除機を見たけどよく分からずバイパス沿いの書店に行って妻がなくした『竜馬がゆく』第3巻を買い直してシェルで給油。GWだからか混雑していた。というわけで今は鳴門にいる。

このGWは甥が帰省しなくなったので母も寂しいかと妻と2人で実家に来たのである。3人でただいても仕方がないので今日は夕食に鳴門駅近くの店「はんなり」に行った。J社の元取締役T氏が鳴門の別荘に来るたびに行っているから前から興味があったのだ。実家から徒歩で17分。

カウンターに7席と座敷が2つ。予約して18時に行ったが19時までに2組が来て満席だと帰って行った。さすが食通T氏が通うだけあって美味しかった。カウンターに3人いたが並びに座った老夫婦と母が鳴門第九を歌う会の関連で知り合いらしい。そのうち向こうから話しかけられた。

母と松浦酒造の話をしていたのを聞いていたらしい。奥様は松浦家とは親戚なんだとか。ご主人は亡父が勤めていた銀行の後輩で私の実家にも来たことがあると言う。亡父と一緒によく鳴門で飲んでいたのだとか。そんな話を帰り際にして19時半過ぎに店を出た。一泊して明日は上勝に帰る予定。

EUXとWDUの上勝観光 (5月3日・木)


JG3EUXとJF2WDUは2日11時半頃に鳴門のあらしに着き大麻比古神社と霊山寺を回って15:40頃に来た。EUXの次男が廃車にしたという車に代わり納車2週間のフィット。事務所で話をしていっきゅう茶屋と温泉で土産物を見て17時過ぎに生実の農家民泊「山挨」へ。まずは持ち込んだビールで乾杯。

檜風呂に入り18時半からとっとやで夕食。ビールとEUXが持ち込んだ生酒を部屋で飲みながら話。EUXはコピーの三田に就職したが1998年に経営破綻し今は救済した京セラの子会社らしい。WDUは四日市倉庫(現・日本トランスシティ)に就職し今は商社との合弁企業に出向し常務。実質社長だと。

早寝早起きのWDUが先に寝て0時頃に横になってEUXと先輩や後輩の名前を思い出しながら話をして入眠は1時半頃。ところがEUXのいびきで3時に目を覚ますと寝られなくなった。彼は無呼吸のときもあり朝になってWDUと2人でEUXに痩せろと言った。WDUは散歩に行き7:40頃にとっとやで朝食。

お母さんと立ち話して宿を出たのが9時。樫原の棚田に行き千年の森ふれあい館で写真展を見て同窓のM君がいるポールスター。EUXの長男は関学で次男が同志社だと。いっきゅう茶屋で昼食後に灌頂の滝と射手座造船所経由14時半過ぎに解散。32年間で2度目の彼ら。縁は大事だなと思った次第。

大学時代の友人2人EUXとWDU (5月1日・火)


妻との冷戦は2ヶ月で終わり離婚することなく普段通りの生活がまた始まった。妻が出張から帰ってくると豚しゃぶというのが最近の定番で今日も食べたが生ニンニクのすり下ろしを食べ過ぎて苦しい。妻は帰って来たが東京の甥はGWには来ないという連絡が弟から昨日あった。ちょっと寂しい。

でも明日は1泊で大学時代の友人が2人遊びに来る。大阪箕面高校出身で工学部機械工学科にいたEUXことD口と三重県出身で商学部のWDUことN野。私が所属していたアマチュア無線同好会(JA3YCZ)の副会長と会長だ。三重のWDUが結婚した静岡出身で女子大の郁乃ちゃんも同じサークルにいた。

EUXは当初は大阪から通っていたが最後の2年ぐらいは京都市内に下宿していた。私は堀川通りの下宿にいたがEUXと同じ千本通りアパートに引っ越した。私の部屋が2F入ってすぐ左でEUXは隣の隣の部屋にいた。WDUは大徳寺あたりにいたような。それぞれの下宿に行き来していた記憶はある。

当時EUXは郁乃ちゃんのことが好きでいつも彼女の名前を口にしていたのに結婚したのはWDU。この2人は当時から仲がよかったが郁乃ちゃんとの関係がどうだったのかを聞くつもり。EUXとは20年ぶり。WDUとは32年ぶりぐらいではないか。明日は3人で民泊の山挨さんに泊まり飲み語り合う予定。

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© 2018 Takashi INAGAKI