2010年4月

ある会合と総務大臣と母弟と (4月29日・木)


先週来咳が出て土曜と月曜は熱があった。なので今週火曜のバスケットボールは休んだ。ところが火曜は地元の人たち5人が会議の後やってきた。内容はいずれ明らかにしよう。そして飲んだ。ただ毎度一番遅くまで飲んでいるN氏が1週間も飲んでいないらしい。タバコも吸っていないと。

実は翌日も我が事務所にN氏とS氏が集まった。呼び出して来てもらったY氏も遅れて。さらにMちゃんも。Y氏とMちゃんに説明というか説得である。公式には私は関係ないのだけど初日に来たF氏とS氏は同い年だし我が家においてY氏はヒーローでMちゃんはマドンナ。最大限協力しよう。

今日は遅く起きて昨夜来のツイッターを読んでいたら原口一博総務大臣が上勝のことを書いている。思わずリツイート。そしたら原口大臣からフォローされた。原口氏のことはテレビでしか知らないから元マイクロソフトの成毛さんにフォローされたときに比べれば小さいものの驚いた。

今日は一応誕生日。妻が提案して今日帰省した弟に合わせて母と4人で食事をしてきた。北島の中国料理。明日は弟が再婚するという人と彼女の子供が初めて徳島に来る。その件で弟に事前インタビュー。意外に訊くことはなかった。いきなり私は3歳の子の伯父になるらしい。

はなはるフェスタと徳島マラソン (4月25日・日)


徳島市で今日まで3日間開催されていた「はなはるフェスタ」というイベントに行ってきた。毎年4月下旬にやっているらしい。実のところ全く興味はなかったのだが晴天の休日だったので出かけてみようという気になった。徳島ラーメン店が10店ぐらい出ていたのと阿波踊りもやっていた。

メイン会場から徒歩2〜3分の新町川ボードウォークに出店していたツイッター仲間の徳島バーガーを食べた。会場を一周した後ツイッター仲間の別のお店へ。何度か会ったことがある仲間が既に3人。ケーキを食べ北島のシネマコンプレックスに初めて行ってみたが何も見ずに撤退。

今日は徳島マラソンの日でもあった。これも数年前から始まったイベントだから私には馴染みがないし興味もない。コースは吉野川の南北堤防。聞けばゴールが陸上競技場だから田宮街道も封鎖と。徳島と西部を結ぶ3本の幹線が通行止め。なるほど迷惑だと感じる人がいることにも納得。

徳島マラソンには友人が何人か出場している。聞けば練習で足を痛めた人もいて苦労しているらしい。昨年だったか一昨年だったか徳島新聞に掲載されていた何千人の名前から友人を見つけ出して喜んだこともある。今年はどうだったのだろう。疲れてツイートさえできないのかな。N君。

『図解 わかる著作権』 (4月22日・木)


社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)著・中川達也弁護士監修『図解 わかる著作権 クリエイティブ×ビジネスの基礎知識』(ワークスコーポレーション)がACCS事務局から送られてきた。4月21日発売。この本の一部を実は私も執筆しており著者分として送ってくれたのだ。

執筆したと言っても『デジタル時代の著作権基礎講座』という元になった本があって私はその該当箇所を引き写し構成を若干変え文章量を調整しただけ。しかも全7章のうち1章分のみ。それも校正の段階と監修でほとんど書き直されたから私が書いた残像はほとんどない。

だから執筆したとは言い過ぎなのだが一応巻末には関わった一人として名前を載せてくれた。ちなみに私は校正者としても関わり索引の絞り込みもやったから本書の内容は既にほとんど読んでいる。タイトルに「図解」とあるように見開きの右ページは図表による解説があり理解しやすいと思う。

内容は特にクリエイターに求められる知識の説明が厚い。6章の「現場レポート」はお奨め。映画やゲームに広告写真さらにWebやおもちゃなどの制作現場が自分たちを守るために何をしているかがよく分かる。著作権の内容を網羅しながら難しすぎず類書の中では中心に位置する。お奨め。

バスケットボール (4月21日・水)


火曜夜にまたバスケットボールをやってきた。2週間前に続き2度目。先週は腰が痛くて念のため休んだ。2週間前に突き指した右の人差し指はまだ痛い。昨日は仲間の肩と衝突して右の肋骨あたりが痛い。腹筋を使うようなとき痛む。笑ってもくしゃみをしても。数日で直るだろうが。

さて前回は滑って転んでばかりいたので先週水曜に徳島でバスケットシューズを買ってきた。沖浜のALEXスポーツ。4割引になっていた店頭在庫の中からサイズが合うという理由だけで決めたasics。昨日使ってみたらキュッキュッと小気味いい音を出してくれ滑ることはなくなった。

私がバスケットボールをやっていたのは中学校時代。3年生は夏に引退したはずだから数え直してみると32年前まで。当時は角度のないライン際からもシュートしていたのに今は全く届かず。そもそもシュートの方法を忘れていて砲丸投げのようになってしまっている私。

それでも昨日はコート半分を使った4対4でゲームをして4本か5本のシュートが決まった。練習では全く入らなかったドリブルでのレイアップシュートも1度入った。問題は体力。昨日は人数が少なく休めなかったので息が上がって何分も続けられず勝手に休憩何度か。続ければマシになるかな。

徳島阿波踊り空港 (4月20日・火)


妻を送って新しい「徳島阿波踊り空港」ビルに行ってきた。4月8日オープンの前日Webページを見たら「準備中」ページばかりで堪らず徳島県のWebサイトから知事宛にメールを送った。今も「準備中」ページばかり。しかもWebのタイトルは「徳島空港」のまま。観光立県が聞いて呆れる。

実際に行ってみると旧ビルから車で4分もかかる。途中の直線は搭乗を急ぐ利用客でサーキットと化すと思う。駐車場は乗降スペースを設けたことと1時間無料は評価できる。ただ出口案内に矢印がなく分かりにくいのに加え海のすぐ脇にあるため毎週車を置いている人は塩害が心配だろう。

新ビルは元々ジャンボジェット就航を目指し滑走路を延長したのに合わせて建設されたらしい。ところがジャンボは時代遅れになってしまった。ジャンボに合わせたらしい搭乗口からの乗降は坂道になり一方で搭乗カウンターは明らかに縮小。チグハグな設計ばかりが目に付いてしまう。

新ビル運営会社は徳島空港ビル株式会社。調べてみると徳島県が30%を出資し役員13人(常勤2人)に職員8人。徳島新聞によると周辺整備含め国と県を合わせ総工費853億円かかったというがバスの時刻表はWebにも切符販売機周辺にもない。利用客のための空港ビルとはとても言えない。

ネットへの接続不能とハブ (4月18日・日)


金曜夜に私のPCからネットに接続できなくなった。妻の女声合唱の練習で数人が来ていたからLANケーブルを引っかけて接触不良になったかと思った。でも接続を確かめても復旧せず。サブPCであるネットブックからは何故か普通にアクセスできる。

いろいろ試してサブPCからルーターに入ってDHCPサーバーの設定を行いローカルIPアドレスを再発行すると接続できることが分かった。その時点で原因は私のPCかルーターを疑っている。そこでローカルIPをDHCPではなく固定にしようとも考えたがうまくいかない。

土曜になり小松島のカフェ「こはくの天使」のマスターに教わりPCの電源ケーブルを抜いたが改善せず。DHCP再設定の後10分から15分で接続が切れる。土曜夜には一時メインPCが復活してサブPCが不調になった。そしたらツイッターで福岡のT氏からハブが原因の可能性を教えられて。

言われてみれば問題が発生しているのは1台のハブから分岐したPCのみ。そこで日曜午後ヤマダ電機で新しいハブを買ってきた。バッファローの8ポート仕様。とりあえず約2時間で不具合はなし。やっぱり原因はハブだったか。これに懲りてルーターも予備を買っておこうと思っているところ。

※(4月20日・火、夜、追記)その後月曜は最初のPC起動と外出から帰宅したときの2度アクセスできなかった。サブPCからDHCPサーバーのローカルIP再発行で使えるようになったのは同じ。そこで原因はハブではなくルーターということになったのだが火曜になると全く不具合なし。今のところ原因不明。

川人先生の妹さんと教え子と (4月16日・金)


私が前に混声合唱を歌ったのは1998年12月だと昨日書いて思い出した。このとき合同演奏した女声合唱団「グリューン・コール」の団長は私の高校時代の恩師である故川人昭夫先生の妹さんだった。そのことを知ったのは3団体合同の打ち上げの席だった。

この演奏会と打ち上げは12月19日。川人先生が亡くなったのは直前の12月7日。告別式が12月9日。妹さんは演奏会に向けた練習中に病院に駆けつけるようなこともあったらしい。川内の葬儀場で行われた告別式に何百人もが集まり私も川人先生作曲による市高賛歌を歌った。

告別式では高校時代の先輩や後輩と会ったが「響」メンバーだった高校教師のM氏とも会った。M氏は阿波高校で川人先生の教え子だったらしい。当時の「響」に川人先生の教え子は私と彼の2人だけ。そして19日の打ち上げでは座敷にM氏と並んで座った。

そこには60人とか70人がいたと思うが後から私とM氏の正面に座った女声合唱団の方と話をしていて彼女が偶然にも川人先生の妹さんだと知った。告別式から10日。川人先生が3人を結びつけたんだなと話し合った。あのときの光景はまだよく覚えている。

混声合唱と男声合唱 (4月15日・木)


今回のジョイントコンサートでは160人が演奏し私は4曲目から涙が出ていたわけだが感動した理由は楽曲にあったと思う。谷川俊太郎の詩と曲が相まって感情を移入した。練習のときは下手くそだったアルトが本番では凄みとも言える演奏をしその感情の塊を私も感じたのかも知れない。

ステージで泣いたのは2度目だ。昨年秋の定期演奏会でも練習のときは涙ぐんだ曲があったが本番では堪えたように思う。それより昨年2月の全四国男声合唱フェスティバルで震えたことが印象深い。あれは楽曲に感動したのではなく合唱団の1人に融け込んだ自分の存在に感動していた。

大人になって混声合唱を歌ったのは2度目だと思う。前は1998年12月。混声合唱を11年半ぶりに歌ってみて混声合唱は楽だと思った。私はテナーだがときどき主旋律も回ってくる。ソプラノと同じ旋律のときもある。女声との掛け合いもあって覚えやすい。楽曲に依るのかも知れないが。

確かに今回は自分でも感動したステージだったが混声合唱より男声合唱の方が歌っていて面白いとも思った。今回ほど大人数であれば女声も迫力があったが数十人だとつまらないような気がする。それもあって私は男声合唱の方が好きだと再認識した。

デジタルネイティブ (4月14日・水)


1月ほど前の「朝まで生テレビ」で出演していた猪子寿之氏が徳島出身ということで興味を持って彼の発言をいくつか読んでみた。彼は「デジタルネイティブ」という言葉を繰り返し使っている。デジタルネイティブ。私は違う。初めBASICで初歩的なプログラムを書いたのは22歳の頃だし。

会社に入ってパソコン通信を仕事で使ったがインターネットが商用サービスを始めたのは結婚してさらに離婚した後だった。携帯電話のiMODEが始まったのは10年勤めた最初の会社を辞めた後。おそらく私より10歳ぐらい下まではデジタルは後から体験したのだと思う。

10歳から中学生ぐらいでインターネットを使い始めた人はデジタルネイティブと呼べるかも知れない。そしてデジタル社会を否定的に語る人は大勢いるが私はそんな彼らに否定的。アナログの良さは私も思うが時代は変わっているのだ。アナログは趣味の世界で生き残るだろうが。

デジタルネイティブは1980年代前半以降の生まれだろう。私はデジタル世界で彼らに勝るものは何もない。趣味としてのアナログを楽しみながらアナログと比較できる強みを意識すべきだろう。ネイティブではないからこそデジタルを理解する努力をしないといけないと強く自覚している最近。

スカイプ実験とUST番組 (4月13日・火)


日曜にあったジョイントコンサートで歌った曲の作曲者にして指揮者の松下耕氏から月曜夜ツイッターでメッセージをもらった。現代日本を代表し欧州でも楽曲が演奏されている著名人である。ありがたいことでこのことは「響」のメーリングリストでも自慢した。

演奏会が終わった日曜夜は地元の仲間がスカイプを試していて実験に加わった。妻も含め4人でスカイプ会議。音声に入るノイズをどうすれば除けるかとか諸々。Webカメラを借りた友人と私が最後に残りテレビ会議もやってみた。2人だけなら映像も音声も非常にスムーズ。

そして月曜夜はUstreamの番組を見た。ツイッターで知り合った徳島市などに住む人たちの生「放送」。出演者は21時から22時までの第1部が2人で22時から1時間の第2部は3人。番組は基本的にトークだけだが全員が知人だけに言い間違いさえも面白い。

何よりツイッターで感想や意見を書くとスタジオが即座に反応する双方向性。視聴者数は最高52。ソフトバンクの1.2万には遠く及ばないがこの誕生したばかりのメディアを使った新しい試みに興奮した。2時間があっという間。3ヶ月間実験で毎週月曜21時からここで「放送」される。

歌って感動 (4月12日・月)


指揮者を見たら泣くから目を合わさなかったと昨日の演奏会後に何人かが言っていたが私は指揮する松下耕氏をずっと見ていた。朝の練習で泣いていたピアニスト大澤宣晃氏もときどき見た。本番では涙を堪えるようにときどき上を向いて弾いていた。感情がこもった凄いピアノだった。

アンコールまで含め全ての演奏が終わって退場したとき舞台裏に大澤氏がいて泣いていた。打ち上げで挨拶に立った大澤氏は「ピアニストとして自信と不安が混ざり合っている」と言った後はあっさり挨拶を終えた。それ以上話すと泣くと思ったのだろうと推測した。

近くのホテルであった打ち上げの最後に全員が手を繋いで「世界が一つになるまで」を歌った。歌いながら100人近くいた人たちの顔を見た。みんな笑顔だったが私は泣きそうになった。そう言えばアンコールで歌ったこの曲のとき舞台でも自然とみんなが手を繋いだ。

松下耕氏は「四国の仲間たち」と繰り返し言っていたが彼は本当にそう思っているのかも知れない。感情表現を何より優先させ感情を込めた指揮をした松下氏はだから芸術家なのだとも思った。しかし歌う側がこんなに感動していいんだろうか。アマチュアなのだからそれでいいと思うのだけど。

松下耕氏とジョイントコンサート (4月11日・日)


徳島南部の阿南市にある新しいホールで四国の10合唱団が集まってジョイントコンサートが開かれた。作曲家であり現在は東京を中心に10の合唱団を指導する松下耕氏を迎え四国で3回目のコンサート。私は松下氏の指揮で歌うのは初めて。高松と徳島で合同練習には参加した。

合同演奏は松下氏作曲の組曲「この星の上で」。谷川俊太郎による人の裏切りや不幸や悲しみを表した詞。それでも生きなければならないと最後の5曲目で歌う。松下氏はうまく歌うことより感情を込めることを繰り返し求めそれに応えようとする私はどんどん詞の世界感に感情を入れ込んでいく。

朝の合同練習は5曲目途中で終わった。「こうやって泣かれると作曲家冥利に尽きる」と指揮をする松下氏が言うので見ればピアノの大澤宣晃氏が泣いている。私はその姿を見て涙。そして本番の4曲目。冒頭のアルトソロで私は感情が揺さぶられた。後から聞いたら彼女は泣いていたらしい。

本番5曲目に入ると松下氏が汗と涙を滴り落としている。私も声が震えたがこのぐらいのノイズがあった方が音楽性は高まるはずだと音を外しても声を出した。「松下氏を見ると泣きそうだから目を外して歌った」と後から何人かが言っていた。160人の感情の表現。いや凄い演奏だったと思う。

バスケットボール (4月6日・火)


バスケットボールをやってきた。夜8時から隣の体育館で。地元のバスケットボール経験者と以前からやりたいねと話をしていたのだが既にやっていることを先々週ぐらいに知って今日初めて行ってみた。本当は先週行くつもりだったが体調が悪く今日になった。

私がお誘いした地元のT氏は50歳。先週行って大変だったとは聞いた。事前に運動しておいた方がいいと忠告もしてもらっていたが何もしなかった私。そのT氏は驚いたことに若者と一緒に走る走る。フルコートの端から端まで攻守交代で一番に走っている。参ったなぁ。

そのT氏を除くと全員が20歳代に見える。今日集まった13人中女性が2人。男性の1人は昨年まで大学でやっていたそうだし180cmはありそうな人いるし場違いな私と思いつつゲームに参加。フルコートの最初は10分ぐらいで勝手に休憩。4on4で何ゲームかやって最後にフルコートで再び。

ドリブルはまずまずだがゲームでは足が滑って転んでばかり。それでも最後に右45度からドリブルで切り込んでシュートが決まって皆に拍手をもらった。それにしてもこの歳になってバスケットボールで遊ぶなんて上勝ならではだと思う。東京でも徳島市でも絶対にやっていない。

さらに宴会とUST中継 (4月5日・月)


金曜の「ツイ花オフ」に続き土曜は我が事務所で地元の宴会。半年間いた友人の送別会。地元の秋祭りメンバーを中心に20人弱が参加して朝4時まで。飲み物持参でお願いしていたら料理を持ってきてくれた友人多数。最後は10人弱でグダグダになった。

日曜は二日酔いの中を妻はダム湖のカヌーへ。午前の回に参加していたツイッター仲間の方に正午頃会いに行き13時には別のツイッター仲間と事務所で合流して私も付いて行って写真を撮ったり。周辺道路を車で走って探したけどダム湖3周して見つけられず。

夕方からカヌー組は上勝の体験施設「くるくるハウス」で宴会。私は一旦「響」の練習に行き21:30頃くるくるハウスに合流して宴会参加。累計20人ぐらいいた。カヌー参加者も含めれば徳島や小松島のツイッターユーザーが多分7人。上勝のツイッターユーザーが私らを含めて6人。

車の運転がある私は飲めず24時過ぎ事務所に戻り飲み直し。土曜の宴会でもしたのだが日曜もUST中継。くるくるハウスと相互中継をしたかったのだが「放送」すると先方が見られず途中からは見るばかり。あるハプニングに事務所の4人とUST見ていた徳島の方々と大盛り上がり。

ツイ花オフと若者たち (4月4日・日)


金曜夜。徳島城公園で行われたツイッター仲間の花見オフ会(ツイ花オフ)に妻と2人で参加してきた。350mlのビール1ケース抱えて行ったが場所が分からず右往左往。会ったことがある人がいたとしても1度だけだし暗いから散々歩き回って辿り着いた。

前に徳島城公園で花見をしたのは21年前。入社して1年が終わった3月末だったような気がする。J社「花子」開発チームが呼んでくれて参加した。G田さんにタバコの火を舌に押しつけて消す技を教えられO西さんのバク転を見たような気もする。でも何せ寒かった。

今回の参加者は30人いたそうだが年齢は多分私が上から2番目。妻が3番目。ほとんど20歳〜30歳代。あるツイッターユーザーさんの彼氏でツイーターはやっていない29歳のS氏と話し込んで私が最近書いている年齢論にますます自信を深めた。

特に思うのは今の若者は自分の考えに従って自ら行動しているように見える点。私より上の世代は私も含めて理屈と批評を口にはするが動かない。若者は経験がないから端から見るとまどろっこしいが行動することの意味は大きいと思う。とオヤジであることを昨夜ことさら自覚した私は思う。


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© 2010 Takashi INAGAKI