2016年3月

バー「WestEnd」のマスター前田慶之助さん (3月31日・木)


28日に夕食をとっているとき近所にバー「WestEnd」があるはずだと思い出した。元々は渋谷の東急百貨店近くの1Fにあったが三軒茶屋に移転していた。一昨年に自殺したPDAの師匠M氏と2人で飲みに行ったのは2011年12月。近くにいるので再び行ってみようと場所をネットで検索した。

WestEndが渋谷にあった頃は日経BP社の記者たちと月に3度も4度も飲みに行っていた。妻といるときPDAの師匠M氏と偶然会ったのはここだし私の最初の奥さんの今のご主人Y氏に妻を紹介したのもここだ。2000年代も年に何回かは行っていたし上勝に引っ越す直前にも飲みに行った

マスターは石井町の出身で城北高校卒業。父上が城ノ内高校開校時に教師をしていたと聞いていた。2010年に渋谷の店を閉めたのはリーマンショック後の不景気の直撃を受けたのだろう。M氏と2012年に行ったときマスターはやつれたように見え移転などで苦労したのだろうと思っていた。

ところが検索するとマスターは1年前に癌で亡くなったという情報。Facebookに書いたら石井中学出身の元同僚E氏が後輩に確認してくれた。1年前なら47歳か。中高と野球部で亡くなる前まで野球をしていたというからM氏の息子Y君と天国でプレーしているかも知れない。それにしても残念。

東京から帰宅 (3月30日・水)


東京サテライトオフィスは2LDKで義母と同居。昨夜は12時前に寝たのに義母の生活音で4時半から1時間おきに目が覚めて起き出したのは10時だった。11時過ぎに妻と出て大通りでタクシーを拾い駒沢大学駅。東急に乗り渋谷で別れ私はJRと京急を乗り継ぎ羽田。昼は搭乗口近くでカレー。

徳島空港に着いたが夜には妻を迎えに来なくてはならない。とりあえず歯医者が1時間半後。沖浜まで行き「やまなみ」でコーヒーを飲んで診療を受け松茂の書店で時間つぶし。車の購入検討をしている千葉に住むK氏がFacebookに書いていた自動運転の記事をカートップ誌で見たり。

到着1時間前に出て夕食を思い立って鳴門の「あらし」にしたのだが本日「休養」。結局松茂の旧国道沿いの「とば作」でうどん。妻を19:20に迎え上勝に戻ってきた。風邪を引き咳が続く妻はもちろん久しぶりの東京で歩き回った私もぐったり。腰も痛い。

東京では昨夜からPCの私のアカウントで同期設定をやり直した。上勝に戻ったらこれまでのショートカットの中に2重にフォルダが作られていて困惑している。同期できているのは2重フォルダの中の方なのでそちらを優先するようにしたが。今ひとつしっくり来ないOne Drive for Business。

護国寺と新宿 (3月29日・火)


義母が5時過ぎに起きてテレビを見るから目が覚めて7時頃はウトウト。結局8時に起き出した。PCは妻のアカウントについては朝までにOneDrive for Businessで同期できたようだが私のアカウントは同期できてない。Office 365にもすんなりログインできず諦めて9時半に出かけた。

バスと東急地下鉄を乗り継いで護国寺。日大豊山高校が高層ビルに新築されていてびっくり。A社に着いたがボスはおらずS嬢もM氏もいない。K氏と高校野球の話をしてN氏とスバル車について雑談。お昼はY嬢と2人ですぐ近所のそば屋。13時に退去して新築の大塚警察署を見てから地下鉄。

市ヶ谷から都営線で新宿。新しくなった南口を見て東急ハンズで足マッサージ器を試して西口に回ってヨドバシカメラ。ソフト売り場が2Fの一番奥に追いやられていた。B1の周辺機器売り場やカメラ館トラベル館を見て回りノートPCをチェック。歩きすぎてふくらはぎがつったりして撤退。

16時半頃オフィスに戻り仕事から帰った妻と義母と3人で18:40頃出発。昼間は暖かかったが夕方から冷えてきた中を世田谷通り方面へ。目指した沖縄料理店が準備中だったのでボロ市通りを経て焼き肉。21時頃に戻って風呂。妻は風邪と寝不足で早々にダウン。

東京でPCのメンテナンス (3月28日・月)


10時前に上勝を出て11:45発の飛行機で東京に来ている。分かっていたのに上勝を出るとき寒かったからそれなりの服装で着たら東京は暑い。電車が暑いのだ。リュックに荷物を入れお土産の紙袋を持ちジャンパーを手に持ったら両手がふさがり階段を上がったり下りたり歩いて歩いて。

羽田でカレーを食べ京急で品川。JRで渋谷。バスに乗ろうと思ったのに渋谷は工事ばかりでバス停が分からず東急。三軒茶屋からバス。義母の住居を兼ねた東京サテライトオフィスに14:35頃に着いたと思う。昨年7月以来だ。義母は日帰り旅行中。妻は風邪で病院。早速PCを立ち上げて。

OneDrive for Businessの同期は先日マイクロソフトの営業が電話で言った方法でやったが全く解決しない。7367ファイルが同期中のままで全く減らない。結局1月に徳島でやった方法でトライ。同期ファイル数は7000ぐらいから順調に減ってきているところ。その他諸々の設定をチェックしたり。

夜はA社のボスと3人で食事をするつもりだったが妻の風邪が治らないのでキャンセルして2人で三軒茶屋でメキシコ料理。20:41のバスで帰って30分したら雷雨。ファイルの同期が2700まで減って続いているPCを使ってこの日記を更新している。同期の状況は明日朝確認することにする。

教員異動の団長と梅ちゃん (3月27日・日)


3月は異動転勤の季節である。私自身は異動に縁はないのだが今も活動している「響」メンバーには教員が3人いるから少し気になる。赴任先によっては平日の練習に来られないことも起こりうる。これまでも団長は徳島中央高校定時制の教頭だったから平日夜は仕事で来ていなかった。

今年の教員異動は木曜夜ラーメン呑口で徳島新聞夕刊を読んで知った。団長は名西高校に転勤。これで平日の練習にも来られる。名西高校と言えば私の高校合唱部の4歳上で徳島県合唱連盟理事長の音楽教師N氏がいる。面白いのは連盟理事の団長が理事長の上司になることだ。

一方で母校徳島市立高校の合唱部は部員が1年生の1人だけという。先生に反発して上級生が辞めたと聞いている。今週あるだろう定期演奏会は1人を除いてOBばかりが出演するはず。私は定演に出るわけでないし何ができるものでもないが少しばかり気になっていた。

それが母校には音楽教師が転任してくる。何と「響」で何度かピアノ伴奏してくれた梅本敏行氏。科学技術高校で男子高校生ばかりの合唱部を新設して合唱祭などに出演していた。Facebookでも「友達」。これは期待してしまうと「響」の練習でも合唱部OBのE氏らと話しているところ。

OneDrive for Businessの設定とバックアップ (3月26日・土)


午後からPCのメンテナンスばかりやっていた。そもそもWindows10にアップデートしないためWindows Updateは手動にしていたのでこれを実行。妻のPCも。設定を変えて1月ぐらいだと思うがアップデートが溜まっていて何度も再起動がかかる。タスクトレイのWindows10告知もオフにした。

妻のPCでOneDrive for Businessと同期できないファイルは128あったが手動でコピーしてみた。そもそもファイル名に#など禁止文字を使っていたのが悪かった様子。そうでないファイルもあるから面倒なのだが。しかもクラウドにコピーできたのにフォルダに同期マークが付かなかったり。

同期ファイルは残り96。夜になってOffice 2010対応の旧同期アプリをダウンロードしてみたがすぐに新しいファイルに切り替えろというメッセージで元に戻る。残り96は減らないまま。何が悪いのか分からないのだが昨日から2日がかりで作業をして手順は把握できたと思う。

さらに私と妻のPCのデータをNAS(ネットワークストレージ)にバックアップ。さらにNASだけにあるデータを外付HDDにバックアップ。このNASを買ったのは2007年2月で既に9年。そろそろ新しいNASに換えないといけない。それよりiPhoneとOutlookで予定表の同期ができなくなった。やれやれ。

マイクロソフトに翻弄される (3月25日・金)


今日は17時半から歯医者で「響」の練習もある。16時半には出るつもりが15時半にマイクロソフトが電話を寄越した。Azureの営業である。メールを送りたいというからOKしたがOffice365ユーザーに電話したようなのでOneDrive for Businessで同期できず困っていると文句を言った。

いつ導入したのかと訊くから昨年6月と答えたら同期アプリが昨年末に更新されているから新しくした方がいいと言う。妻の徳島のPCは1月にキャッシュを削除したりして新規に設定し直したが電話の彼はもっと簡単な方法があると言う。それでサイトから設定して夕方出かけたのだった。

ところが帰ってみるとOffice 2013が削除されている。WordもEXCELも使えない。仕方がないからサイトからインストールしようとするとOffice 2016しか表示されない。それなのにこれをインストールしたらOneDrive for Businessが使えなくなるという警告が出る。どういうことだ。

結局▼のクリックでOffice 2013の情報も出た。この人を食ったUIはどうだ。サイトのヘルプは自動翻訳で分かりにくいし英語のままの情報もある。25時まで掛かって復旧したが来週は東京のPCのメンテナンスのために出張する予定なのに何が正しいのか分からない。マイクロソフト最低。

光栄の襟川専務 (3月24日・木)


コーエーと言えば「信長の野望」などのゲームで一世を風靡したソフトメーカーである。今は合併してコーエーテクモゲームスだが私がJ社に入った頃は光栄だった。J社と同じく夫婦で創業した企業だがJ社とは逆で社長であるご主人が開発を担当して奥様が営業系を統括していた。

このコーエーの創業者夫婦が揃ってインタビューを受けた記事が業界の一部で話題になっている。私は1988年から1990年頃にかけて奥様である襟川恵子専務と業界団体でよく顔を合わせていた。その頃の業界団体「パソ協」理事会後に会食したときのことは特に忘れられない。

そのとき私はJ社の社長秘書として同席して中華料理の丸テーブルに着席した。新入社員か2年目のときだ。周りは業界の社長ばかり。右隣が恵子専務。正面に我が社長。そのとき隣の恵子専務がタバコを取りだしたもののライターがない様子。それで私がライターを渡したか火を点けてあげた。

そしたら「あんたも吸いなさいよ」。でも我が社長は大のタバコ嫌い。遠慮すると「この人は今日はパソ協の理事なんだから関係ないわよ」と。それで吸ったか忘れたが相手が通産省の課長であれ遠慮がない強烈な人だった。写真を見て28年経って当時のままのお姿にちょっと感動している。

交通安全協会職員の通行区分違反 (3月23日・水)


妻が昨日東京に行ったので今日は昼食で隣町。美渓でラーメンを食べてきた。帰宅してテレビを付けるとTBS「ひるおび」で徳島県鳴門市というテロップ。鳴門で何か事件があったのかと見始めたら4つ角の右折をショートカットして歩道を車で走っているという交通違反の映像を流している。

大麻町の「舩本うどん」の前を北に進み鳴門市街方面に右折する信号の手前で右側の歩道に乗り信号をショートカットするダイハツの黒の軽。毎朝8時3分に歩道を走行しているのだとか。誰が撮影したのか知らないが追跡すると運転手は女性で勤務先は何と鳴門警察署。

交通安全協会から鳴門警察署に派遣されている職員なんだとか。藍住あたりから鳴池線で通っていたのだろう。それにしても堂々たる交通違反。免許証の更新で最近は交通安全協会への支払を拒否しているのだが次は嫌みの一つも言ってやろうという気になった。

25年前に鳴門から沖浜に通っていたとき信号待ちで右折車線から右折せずに本線の先頭に割り込んで来る車が多くいたが今回の通行区分違反は同じようなもの。当時に比べると交通マナーはずいぶん良くなったが未だにアホはいるものだと再認識。巻き込まれないように気を付けておこう。

ラーメンくにおかとつるぎ町の天磐戸神社 (3月21日・月)


10:20に出て吉野川北岸経由で脇町へ。Facebookなどで美味しいとよく見かけるラーメン店「くにおか」。12:15頃に着いたとき店外に行列が15人ほど。店に入ったのは25分ぐらい経ってから。ゆったりとした作りで4人席が4つとカウンターに5人。味の方は私には今ひとつだった。

車を駐めていた隣のコンビニでコーヒーを買い貞光の道の駅で休んでから国道438号線を剣山方面へ。阿波古事記研究会のFBグループに名古屋の女性が「行きたい」と投稿していた神社があって興味を持ったのである。つるぎ町の旧・一宇村。天磐戸神社という。

道の駅を13:20頃に出て車を駐め鳥居を通ったのが14:20。拝殿は閉まっていたが戸ののぞき穴からカメラを差し込むと上部を黒い影が右に動いた。写真を撮っている間に影は左へ。帰宅して確認すると中央にあった影は左にも動いているが右にもある。霊魂を写してしまったのだろうか。

裏には天岩戸と言われる巨岩と岩舞台。古事記の記述に符号する気もする。帰りに拝殿で再び拝み車を出したのが15:10。国道192号には穴吹から下りようと剣山駐車場まで行ったが東も西も通行止めで来た道を戻り1時間で貞光の道の駅。美馬から高速に乗り18:45帰宅。

南昭和町5丁目 (3月20日・日)


古いファイルの中には離婚して借りたマンションのものもあった。契約書はなく不動産屋の計算書。二軒屋にある藤本不動産。飛び込みで入り相談して紹介されたのを覚えている。住んだのは徳島市南昭和町5丁目26-1ニートビルII-302号。固定電話番号が088-624-2496だったようだ。

2月4日付の計算書によると手数料が48,000円だが日割り家賃から逆算すると共益費を含め5万円だったと思われる。中山実太郎さんと言う大家さんは通りを挟んだ南側に住んでいて元消防署長と言っていたような。J社の社員旅行で皆がハワイに行っている間に私は参加せず引っ越した。

引っ越しはレンタカーのトラック。今や阿波おどりポスターを毎年手がけるコピーライターN君も社員旅行に行ってなかったので手伝ってもらった。前夜はバーBARATEIでN君と東京のカメラマン集団日本写真工房の藤原さんだったかと飲んでいて急きょ藤原さんも手伝ってくれることになった。

BARATEIのママさんに優しいことを言われて落涙した光景を覚えている。カウンターの右から2番目か3番目に座っていた。 1994年のカレンダーを見ると引っ越したのは祝日だった2月11日(金)か12日(土)だったかも知れない。1DKの単身用。思い出もあるが3年しか住まなかった。

阿波観光ホテルとインプレッサ試乗 (3月19日・土)


昼過ぎに出て妻と阿波観光ホテルに行ってきた。4月10日にある間々田さんの講演で使う機材の接続を確認するためだ。車を置いて急いでいたので餃子の王将でラーメン。高い割には今ひとつだった。14時から宴会場でPCとプロジェクタさらに持ち込んだiPadや音響設備と接続。

HDMIで繋いだりアナログで接続したりして結局HDMIで本番は行うことにした。終えて40分。意外に早く終わってホッとしたところ。せっかく徳島まで出てきたのでWRX S4を見に行こうと川内のスバルへ。ところが香川の店舗に行っているとかで試乗できず。

それならと阿南のスバルに。前に来たときインプレッサ2Lモデルも候補にしようかと考えたので見てみようと。運よく置いてあった5ドアモデルに試乗してみた。3人乗車。妻はサスペンションが柔らか気味だと言う。私の印象は悪くはないが加速性能は2.5Lのアウトバックに明らかに劣る。

1.6Lターボのレヴォーグにも負けている。これまで乗った中では質感と乗り心地と加速性能でアウトバックが最も良い。ここはS4に乗ってみるしかなさそうだが年次改良が多分6月。10月にはインプレッサがフルモデルチェンジと言われているので本気で検討するのは早くて年末頃か。

福岡で住んだ部屋 (3月18日・金)


福岡時代のことを記録しておく。領収書によると2月9日に不動産屋で手付金を払っている。家賃7万円に共益費5,000円と駐車場代15,750円さらに町費/水道代3,000円で月額91,750円。契約書は2月23日付。カーサヴェント百道という8F建てマンションの207号室だ。早良区西新2丁目24-30。

ここに決める前に勤務先となるD社の管理部長だった藤本さんに紹介された不動産屋から別のマンションを見に行った。もっと天神寄りだったがマンション1Fの駐車場に柱やらが多くて駐めにくく部屋も古かったので遠慮した。元部下のM嬢に西新がお奨めと聞いて自分で探したのだと思う。

部屋は室町時代に元寇を防御した古い堤防沿い。海を埋め立てた旧海岸が「よかトピア通り」ですぐ南の小路に面して棟が並んでいた。福岡に来た劇団四季の役者が空き部屋に住むような変におしゃれでバブルの香りがしたが棟の中央北に入口があり管理人が常駐していたのは便利だった。

マンションを出て西に行くと養老の滝があり通りを渡れば角にローソン。そこから南に歩けば10分弱で地下鉄西新駅。北に歩けば百道浜。福岡タワーの西隣にあるRKB毎日放送ビルに出勤するのに徒歩で15分弱だったか。福岡ドームも歩いて30分弱で行けたのではないか。

叔母からの電話と講演用動画の編集 (3月17日・木)


今日さあ昼食を食べようかというタイミングで叔母から電話。母の弟の奥さん。私が小さいころから可愛がってくれて親戚の中で一番好きな叔母である。誰かに不幸があったか母の認知症の疑いについてかと身構えたら妻に相談があると言う。何のことはない。顔ヨガの話だった。

4月10日に阿波観光ホテルで今年も間々田さんの講演が開かれる。これに行こうと誘われたが年寄りが行っていいものかといった話だったらしい。叔母はこの阿波観光ホテルを経営している岡田組の親戚で今の社長は従兄弟の娘と昨年聞いた。関係が遠すぎて会ったことはないそうだが。

妻によると今年の講演では2月に発売された講談社本でやった音楽に合わせた顔ヨガを披露するらしいが本の付録DVDでは長いから元ファイルをもらって編集することになった。まずは小サイズのファイルで2パターン作ったのが今日の夕方。夜になってフルサイズのファイルが届いて編集。

MacBook ProのiMovieを使って私はファイルを読み込んだだけで編集作業は妻がやった。クローズドな講演用なら十分なクオリティ。改めて凄い時代だと思う。データはiPadに入れた。土曜にはホテルの機材との接続を確認してくる予定。オーディオケーブルなども準備しておかないと。

福岡でもプロジェクタ (3月16日・水)


川内のマンションには2年だけ住んで1999年2月に福岡に引っ越し。変におしゃれな1DK。南側の部屋の入口すぐ右にデスクを置き東側にソファとベッド。西はトイレなど。これは8畳ほどの部屋で北西角になる左奥に4畳ほどのDK。ただし床が1段上がっていて不便だから全く使わなかった。

廊下に面した南はガラスブロックで明かり取りレベル。そしてここでもテレビはプロジェクタだ。道路に面した北側の窓のカーテンレールからスクリーンを吊した。正面に植木台を置きプロジェクタを載せ左隣のパーソナルチェアが私の定位置。20万円のソファは全く使わず洗濯物置き場と化した。

オーディオラックはスクリーンの下に置いたように思う。そこからプロジェクタまでAVケーブルを3本接続して引っ張ってきて操作はリモコン。でもノートPCを置いたデスクに座るとスクリーンは後ろ側で観ることができない。しかもプロジェクタはファンの音がやかましい。

さらにハロゲンランプは寿命が短いから節約する意味もあってプロジェクタの電源は切ってテレビは音声だけをスピーカーから流していた。ニュースは自然災害を除けば音声だけで把握できたしドラマも映像はなくても筋は分かった。テレビは音声こそが大事なのだと理解したのである。

プロジェクタテレビ (3月15日・火)


川内のマンションに引っ越した1997年1月からしばらくは4.5インチの液晶テレビを使っていたが4月にビデオデッキとプロジェクタを買った。ビデオはVHSとHi8のダブルデッキ。今も手元にあるソニーWV-BW1。VHSは壊れHi8は7年ぐらい前に使ったことがあるが今は動作するかどうか。

このデッキをテレビチューナーにしてプロジェクタに出力した。プロジェクタもソニー製で倉庫に置いてある。家庭用のもので10万円ぐらいしたのかも知れない。壁に映写しようとしていたが具合が悪くスクリーンを追加購入したのだと思う。南東向き窓のカーテンレールから吊した。

しばらくは床にラグを敷いて寝っ転がって観ていたような気がするが6月になってソファを買ったのだろう。Villageカキハラで3段の植木台を買って来てスクリーンの正面に置きプロジェクタを載せた。プロジェクタを中心にスクリーンに向かって左にパーソナルチェア右に3人掛けソファを置いた。

ビデオはオーディオラックに入れて私の左に置きスクリーンの左右にスピーカー。ただしこのシステムは欠点が2つあった。私が座るソファの脇にあるプロジェクタのファンがうるさいこと。それに昼間は部屋が明るく映写した画面がよく見えなかったこと。テレビは音で理解するような状況だった。

※プロジェクタはParty Vision CPJ-200。(2023年12月1日追記)
※プロジェクタは1997年4月19日にに沖浜のコール徳島で購入。製造番号480103。スクリーンも同日購入。プロジェクションスクリーンSPJ-N80。(2023年12月23日追記)

4.5インチのテレビ (3月14日・月)


1997年4月からテレビはビデオからプロジェクタに映し出すようにしたと昨日の日記で書いた。それ以前はどうしていたかというと4.5インチだかのテレビで観ていた。今のスマホ画面の大きさだ。あれは業界団体のクリスマスパーティに行ったときクジに当たってもらったものだった。

1990年かその前後。社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(現・コンピュータソフトウェア協会)略してパソ協にはソフト会社だけでなくNECや富士通などPC関係のハードメーカーも加盟していて私のテレビは彼らがパーティに供出した景品だった。メーカーは忘れた。(※追記:思い出しました。カシオ製です。)

離婚して1994年2月から住んでいた徳島市南昭和町の1DKからこのテレビを使っていた。現役のタンスとして使っているローボードの上に置いて回転する座椅子に座って観ていた。あの光景を今も思い出せるが1995年1月17日の阪神淡路大震災もあの小さな画面でニュースを観たのだった。

座っていながら必要なものに全て手が届く環境が好きで川内の97m2だかの3LDKに引っ越しても5畳間のシングルベッド脇ローボードの上の小さな小さな画面でテレビを観ていた。でもそれで不自由は全くなかった。そうだ。テレビで重要なのは映像より音声だと気づいたのだった。

ソファ (3月13日・日)


事務所で今も使っている緑の革製ソファは旭木工で買ったものだと思っていたが末広家具だった。古い領収書を探し出してきて確認した。計算書の日付は1997年6月15日で領収書は22日。配送されたとき現金が足りず後から持って行ったような気がするから配送はこの間だったのだろう。

価格は14万円ぐらいだと記憶していたが実際は税込21万円だった。イタリア製だったかヨーロッパからの輸入品だったはず。もう一つリクライニングができるパーソナルソファはオットマン付で税込89,250円。今はテレビを見るときの妻の指定席になっている。

川内にマンションの部屋を買って引っ越したのは1997年1月末だったはずだが最初は3LDKの最も狭い5畳の部屋で暮らしていた。荷物が納まったからだ。でも遊びに来たJ君Z嬢夫妻が広いリビングがもったいないからプロジェクタでテレビを見るという提案をしてくれて買ったのだと思う。

この年は4月12日付で沖浜のコール徳島の183,750円の領収書もある。19日には28,900円。VHS/Hi8ビデオデッキとプロジェクタと大きなスクリーンを買ったのがこれかも知れない。ソファと同日に沖浜の牛島家具でAVボードも買っている。ソファは高かったが今も現役。気に入っている。

家具店まわり (3月12日・土)


妻がベッドが合わないと言っている。元々は東京時代に大塚家具新宿店で買ったダブルベッドに2人で寝ていたが4年前に一度別居したとき妻は自分のベッドを買った。ニトリで買ったシングルベッドなのだが気に入らないのだという。聞けば表にある低反発ウレタンがへたっているのだとか。

安眠が確保できないと以前から訴えるので今日は家具屋に行って来た。まずはニトリ。妻によれば今も低反発ウレタンが使われているそうで却下。続いて我が「響」の元団員が経営している家具卸F商事。城南高校のすぐ横にある。「響」の第1回の練習が彼の自宅だったのは20年前だ。

アイシン精機と言えば自動車部品メーカーの超大手だがF商事ではそこが製造販売しているASLEEPというブランドのベッドを売っている。今日は休日だったらしいがFacebookでメッセージを送っていたら店を開けて待っていてくれた。いろいろ話を聞いた。続いて末広の旭木工。

今も使っているソファはここで買ったが当時は末広ボウルの隣だった。今日の店舗は初めて。ベッドはシモンズ。つきっきりのおっちゃんに話を聞いて帰りにソファも見て20年前に買った話などして撤収。妻は何を買うかほぼ決めたらしい。沖浜で焼肉を食べコンビニでアイスクリームを買って。

年金シミュレーション (3月11日・金)


土曜にやってきた住友生命の2人組から説明を受けた話をきっかけに老後の金銭シミュレーションをしている。個人年金は妻も私も60歳から受給できるが公的年金は65歳から。69歳にはマンションのローンを払い終えるから少々の家賃収入は期待できる。

つまり足りないとすれば64歳まで。いつまで仕事ができるか分からないが60歳で辞めると生活費が足りない。そんなわけで保険を検討しているわけだ。住友生命の提案は保険料の半分を損金にして毎年一定額を払い込み解約返戻金を退職金に充てるという方法なのだが。

男は早死にするから返戻率が低い。損金算入による法人税の減少を考慮しても返戻率は100%に満たない。女性は6年後ぐらいから100%を超える。だから妻にだけ掛けておこうかと考えたのだがネットで調べていると退職金を支払った後に働くと税法上の問題が出てくるらしい。

結局は働けるところまで働くしかなさそう。60歳より早く会社を畳めば保険は役に立つだろうが貯金しておくのが確実か。それより私が死ぬとその分の年金がなくなるわけで残された妻が生活できるだけの保険として考えようかと当たり前の結論になりつつあるところ。

スズキ・イグニス (3月10日・木)


カメラはニコンの高級コンパクトに興味を持っているわけだが車はスズキである。アルトワークスもいいが軽ではない小型車でイグニスという車種が発表された。これが小さいのだ。横幅は5ナンバー車の規格が1,700mm未満だからフィットでも1,695mmあるのにイグニスは1,660mm。

しかも最低地上高は180mm。最近の私は新型車のニュースをWebニュースで見るたびにまずは横幅と最低地上高を確認する。横幅はクラウンと同じ1,800mmまでは許すがこれを越えると興味をなくす。最低地上高もベンツなど欧州車セダンの110mmなどは論外なのだ。

スズキのイグニスは4WDでも車重が920kg。私のフィットがほぼ1tだからさらに軽い。エンジンは1.242Lだから1.339Lのフィットより小さく燃費はカタログ値で4WDなら25.4km/L。FFだと車重880kgで燃費28km/L。1台は軽が欲しいとアルトワークスに興味を持っていたがこれでいいのではないか。

大儲けしたら妻と2人分の車はスバルWRX S4とフォルクスワーゲンPOLOとスズキ・アルトワークスの3台あれば完璧だと思うのだがどう考えても贅沢なのでWRXとイグニスの組み合わせが次善の理想かも。今後5年ぐらいかけて検討するテーマである。想像している今が一番楽しいわけで。

「さよなら東海たてがみ」 (3月9日・水)


今日は雨の中を東京から戻った妻を空港に迎えに行って来た。さて最近FM COCOLOで立て続けに「さらば恋人」が流れてきた。歌っているのは南佳孝。「さよならと〜書いた〜手紙〜テーブルの上に置いたよ〜」で始まる堺正章が歌って大ヒットした曲である。

Wikipediaによると1971年5月発売。堺正章は24歳だったらしい。でも8歳だった私は当時「さよならと書いた手紙」ではなく「さよなら東海たてがみ」だと思っていた。東海たてがみをテーブルの上に置くとはどういうことか。私も変だと思ったのだろう。自分で歌詞を変えて歌うようになっていた。

私が中学のとき。勝手に変えた歌詞で「さらば恋人」を歌い出したら後に城南高校から京大経済学部に進学する佐古出身のSに「ほんなウソを歌とて」と言われた。あれは中学を卒業した春休みに同じクラスの仲間6人で萩・津和野に旅行したときだと思う。

私が何と歌ったかは覚えていないがこのとき初めて正しい歌詞が「さよならと書いた手紙」だと知ったのである。意味が変だと思っても「さよなら東海たてがみ」と歌っていた方が正しかった。でも南佳孝が歌っても私にはやっぱり「さよなら東海たてがみ」に聞こえてしまう。

新型カメラ (3月8日・火)


車もそうだがカメラの新型は常にチェックしている。と言ってもカメラは気軽に持ち歩けるスナップ用と割り切っているので大きくて重い一眼レフには興味がない。今のメインは5年前に買ったニコンCOOLPIX P7100。シュノーケリングなど海や川で遊ぶときはオリンパスSTYLUS TG-2 Tough

自分撮りするのに便利なバリアングル液晶モデルのニコンCOOLPIX S6600もTG-2と同時に買ったが画像素子が1/2.3インチと劣るため結局はiPhoneの方が活躍している。そう。結局iPhoneで十分なことが多い。メインのカメラは何か特別な機能がないと今ひとつ食指が動かない。

撮像素子が1インチのソニーCyber-shot DSC-RX100M4はこのシリーズの最初の機種が出てから興味を持っているが店頭で持ってみると小さすぎて今ひとつしっくり来ない。キヤノンの同等機種の方が持ちやすく現在は新機種キヤノンPowerShot G7 X Mark IIが候補になっていた。

そこへ先月ニコンが新シリーズを発表。基本性能を製品名にしたDL24-85f/1.8-2.8。まだ情報は少ないが連続撮影機能で甥っ子のバッティングフォームを撮ったら楽しそうだ。6月発売で実機はまだないと思うが今のところ第一候補。現行P7100は秋で丸5年だから今年は買い換えようと思う。

講演用機材としてのiPad (3月7日・月)


金曜に顔ヨガインストラクター向けのDVDをさらに20枚作った。今回で2月16日に60枚注文した最後の20枚を使ったので合計93枚だ。さらに20枚入りセットを4セット合計80枚のDVD-Rを注文して昨日届いたところ。家内制手工業はまだまだ続くのである。

さらに久しぶりにiPadを持ち出した。4月に再び間々田さんの講演が徳島であるのだが昨年6月は会場となった阿波観光ホテルのPCとディスプレイの接続がうまくできておらず表示まで20分も手間取ったらしい。偶然参加していたJ社時代の後輩で上勝にいるN君が助けてくれたらしいのだが。

先日はJ社の後輩M嬢とZ嬢の馬頭琴演奏読み聞かせユニットの小学校での失敗をFacebookで読んだ。学校PCのWindows Updateが始まり画像を見せられなかったと。それに対しバックアップは必要だからPCは持ち込むと言うY氏の意見に今はスマホからでも出力できるというコメントが。

そこで1年以上使っていなかったiPadで実験いろいろ。動画や写真にPDFは手持ちのHDMIアダプタを使ってテレビ出力ができることを確認。さらに汎用性のあるアナログVGAアダプタ3,780円もアップルのサイトでも注文して今日届いたところ。アナログ出力の場合は音声出力が別途必要なのだが。

町内一斉清掃 (3月6日・日)


昨夜の消防分団の総会の後寝たのが25時前。今朝は6時前に目が覚め寝られなくなってしまった。仕方がないので7時過ぎに起き出し準備して外出した。8時集合で恒例の町内一斉清掃なのである。昨日一緒に帰ったS氏とS氏宅に泊まったらしいN氏が遅れてきて総勢32人だった様子。

いつもの県道沿いの崖を下りてゴミを拾っていく。最初の方で見つけたのがビニール袋に入れられたおむつ。一部が外に出ているし水を吸って重い。目立ったのはコーヒー缶とコンビニ弁当のケースや袋。それでも発掘された古いものと1年以内のものが交じりながら昨年より減っていた。

終えて帰宅したのが10:15。ゴミを拾っていたのは1時間半ぐらいだったと思う。シャワーを浴びコーヒーを飲みS氏と昨夜飲み過ぎて寝ていたらしいT氏の3人でいっきゅう茶屋に行ったらインターン生を引率した青年団T木君A原君やN氏親子にゴミステーションのK原君らが来て帰りに立ち話。

帰りの車で話題になり古いアンクルウェイトをN氏にあげた。午後は昼寝。今日は斜面を下りたり上がったり運動したので精神的に安定したか。夜はS氏を誘ってこはくの天使でコーヒー豆を買って敢えて阿南まで行ってリチャードという店でハンバーグ。深夜に妻から電話があり母のこと諸々。

保険の話と消防分団総会 (3月5日・土)


妻と昨日話をして楽になったはずなのに今朝も午後も動悸がするほど。このままだと本格的に鬱病になりそうと身構える。とにかく深呼吸。深く長く胸式呼吸を心がける。そんな気分の中を先日やってきた住友生命の2人組が今日も来た。新しい保険の提案である。

面倒だから適当に話を聞いてお引き取り願おうと思っていたのだが興味を持ってしまった。要は会社契約で経費として保険料を支払いつつ一定期間後に解約すると個人の退職金などの費用が返戻されるというタイプのもの。今までも他社から何度か話を聞いたが。ふむ。

18時半からは消防分団の総会。18:20頃出て2軒隣のK氏と歩き始めたら軽ワゴンが停まり元分団長T氏の車で近所のみつさんへ。左隣に座ったY氏とは懇親会で人口減少を食い止めるには地元を一夫多妻制にすればいいという話。2期目を宣言した分団長に防衛大臣をしてもらおうみたいな。

総会で決まったのは30年で一旦退団する人が役を降りるという理由で私が班長という役員になってしまったこと。妻を迎えに吉野川大橋を渡っていた先月に分団長から電話をもらい内示されていたのだが。明日は7時起きだからセーブしながら飲んだものの分団長とS氏と店を出たのが23時半。

妻への相談と一抹の恐怖 (3月4日・金)


朝はすっきり目覚めたのに昨日より気分が落ち込んでいる。結局横になったまま12時。いっきゅう茶屋で定食を食べ郵便局で外注源泉税を納入してコーヒーを飲んで実家に向かおうとしたのだがその前に妻に諸々の確認をしておこうと電話で話をした。

結局妻に説得されて今日の実家行きは止めた。理屈で母の間違いを正した上で病院行きを納得させようと思ったのだが妻によれば母が論理で動くことはなく私が怒って感情的な言い合いになるだけだと。それで妻が帰るまで待つことにした。相談して少し気分が楽になった。

妻から指摘されて思い出したが2年近く前にも同じようなことがあった。そのときは母の勘違いだろうという程度で気にしていなかったのだが当時から進行していたのかも知れない。夜になって妻から再び電話をもらって話をした。対応は自分に任せろと言うのでそうすることにする。

母の話も落ち込むが実は私自身も問題だ。物忘れも勘違いも頻発していて先日は領収書を書いてもらった原本が手元にあるのに無意味に複写の控えも保管しようとしていたことが発覚。脳の劣化は著しい。あと10年ぐらいで妻の顔さえ忘れるんじゃないかという一抹の恐怖が頭をよぎる。

認知症の疑い (3月3日・木)


昨日の暗い気分を引きずっている。夜はすぐ眠れて朝7時半にすっきり目覚めたのにそこから諸々考え始める。横になっているのだが眠っているのか起きているのか。何もやる気が起こらない。起き出す気力もない。こんなことではダメになると深呼吸を何度もやって起き出したのが15時。

鬱状態のとき私は胸の中央が痛くなる。本当は痛いわけではないのだが深い胸式呼吸をすると胸がすっきりする感覚がある。多分焦りに似た状態で呼吸が浅くなっているのだと思う。そこを腹式でなく胸を膨らませて深く大きく長く呼吸をすると少し気分が楽になるような気がするのである。

夕方からポリス「シンクロニシティ」を大音響で聴きながら経理の仕事をしていたらA社のボスK氏から電話。仕事の話からお互いの鬱症状の話に及び母の認知症を疑っていることを言うとK氏の身内が秋から施設に入ったらしい。早く薬を飲み出せば症状の進展を遅らせることはできると言う。

電話を切って中高時代の後輩のW医師に相談してお奨めの病院を教えてもらった。今日の食事は呑口でラーメンと餃子の1食。21時までかかって月末の経理業務をやってビールを飲み始めたら昨日と同様少し気分が落ち着いている。明日は頑張って病院に電話してみよう。

徳島から空港そして鳴門と認知症 (3月2日・水)


1日は月が変わったので記帳に行くつもりでS神歯科に予約を入れていた。まずは徳島に行くついでに先日口座開設を依頼していたみずほ銀行。漆島さんという担当が丁寧に対応してくれた。そこから妻が依頼している筆耕書類を受け取りS神歯科。三菱東京UFJ銀行で記帳も。17時半帰宅。

18時からは消防点検だ。昨日は防災週間の始まりということで消防車に乗ってスピーカーから呼びかける。マイクを持ったのはN君で私はT氏とポンプのエンジン掛けをやっただけだが。終えて詰め所で食事。途中で分団長も合流して24時近くまで飲んでいた。帰宅後の記憶が途切れ途切れ。

そんなわけで今日は二日酔い。朝は昨日忘れていた郵便局での記帳をして午後の便で東京に行く妻を乗せて徳島空港。二日酔いだが昼食はいつものモスバーガー。空港まで行ったついでに鳴門で散髪。終わっても大将と雑談。定休日の話題から認知症の話に。

その後実家に行ったら母が変なことを言う。言い合いになったのだが認知症を疑っている。二日酔いも手伝って気分が落ち込んでため息ばかりの夜。懲りずに一人でビールを飲んで少し気分は持ち直してきたが近くもう一度実家に行って母の状況を確認してみようと思う。面倒なことだ。

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© 2016 Takashi INAGAKI