2014年12月

鳴門で大晦日 (12月31日・水)


(この日記は1月1日午後にアップしました)
6時過ぎになると犬が吠えるのである。それで目が覚め次に子供が起き出し仕方なく起きようかということになる実家の朝。妻は9時過ぎから母とお節料理を作り始めて昼は皆でラーメンの三八(さんぱ)に行ってお好み焼き。

午後は妻と散歩に出かけ鳴門総合運動公園まで行ってみた。小学校4年から5年の頃だったか私たちの遊び場だった。当時はスタジアムの外壁に登ったりローラースケートで走り回ったり池の石を伝って行ったりしたのだが全く変わってしまっていた。

帰ろうとしたところで雨が降り始め慌てて早足で帰宅。夜は18時過ぎから家ですき焼きを食べた。卵が嫌いな上の子も卵を溶いて。兄弟で食べ物の好みが全く違うのである。

夜は洋間で紅白歌合戦。和室では弟がこの日のために1月契約したWOWOWでサザンオールスターズのライブを見ている。子供は22時過ぎに寝て私と妻はビールを4本飲んで25時半頃就寝。

鳴門に帰省 (12月30日・火)


(この日記は1月1日午後にアップしました)
11時に出発してガソリンを入れて一旦出たが思い直してUターンして洗車もした。年末なのである。そこから銀行で記帳して川内の西食で徳島ラーメン。チャーシュー入を選んだら量が多くて食べ過ぎた。鳴門の実家に着いたのは13時過ぎ。

27日あたりから帰省している弟と甥2人とは8月以来だが4歳になったばかりの下の子がすっかり意味のある言葉を話していることに驚いた。小さな飛行機の形をしたぬいぐるみを使って私が遊んだのは1年ほど前だったはずなのにそれを覚えていて遊ぼうと行ってきた。

言葉がしゃべれなくても記憶はあるのだとわかった次第。この日は天気もよかったので14時頃に妻と甥2人と内の海へ。今まではキャッチボールだったけど今回はサッカー。上の子は右でも左でも蹴る。フェイントをかけて私を抜き去ろうとする。昨今の子は凄いなと思った。

飲み物を買いに行って木のデッキでゴールキーパーの練習も。私はアンクルウェイトを着けたままだったし寒風が吹き付ける中2時間も動き回ってヘトヘトになったのである。夕方ビールや食材などを買って夜は母と妻が作った生姜焼き。子供は21時過ぎに就寝。

消防年末警戒 (12月29日・月)


今年も29日に回ってきた。消防団の年末警戒。20時集合で赤いポンプ積載車に乗って「火の用心」と拡声器で言いながら地域を回るのである。26日に役員と一緒に回った本団付の妻がアナウンスしていたのを聞いたところ例年とフレーズが変わっていて新しい台詞を言いながら。

今年はだいたい例年と同じメンバーで役場勤務の同い年I氏と中学の同級生F氏にご近所で車やバイクに乗るO氏。それと日本酒専門のT氏。それに別の日から今日に変わってもらったという超近所の同級生S氏。さらに新人で役場勤務のN君。合計7人。

O氏とT氏が夜食担当で他はポンプ車に乗って「火の用心」と言って回って。F氏の運転で20:15頃に出発して帰ったのが21:35過ぎだったか。5年目だしアナウンスをS氏やN君にやってもらったこともあって例年と違い少しばかり走っている場所を把握することができた。

詰め所に戻って待機するのだがO氏が先週買ったVWビートルの話から車やバイクの話に終始した。O氏は確か昨年まで2輪のレーサーレプリカに乗っていたし過去にはポルシェのオーナーでもあった。ターボだとかロータリーエンジンだとかそんな話題で楽しく解散の24時を迎えたのである。

シェアカフェ忘年会 (12月28日・日)


土曜はシェアカフェでの忘年会に参加した。今年何度か行われたライブ出演者が中心だったと思うのだが多くが地元の知人である。妻が行きたいと言い出したのだが車は徳島から参加した上勝TVスタッフにしてベーシストのイマジンに乗せていってもらった。

近所のNさんも参加するのでイマジンに回ってもらって現地に着いたのは19時半を回っていたと思う。私と妻はビール。最後はなくなったので焼酎のお湯割り。一緒に行ったNさんからは向かいの山の持ち主だったと聞き驚き田や墓があることも聞いて。

仲間と同じZという姓の方が参加していて興味を持って話しかけた。漢字は違っていたが池田の方で妖怪の話などで盛り上がった。パンクバンドのドラマーだからくるくるハウスでのライブで挨拶ぐらいはしていた人だった。そのほか初めての人ともだいたい話をしただろうか。

翌日の今日結婚式を挙げるというA嬢とH君も来ていた。途中から記憶は飛び気味でN君にきついことを言った記憶が残っている。ごめん。イマジンの車で帰ったのは25時を過ぎていた。帰ってからも妻とビールを飲んで3時まで。今日は起き出したのが15時回って。よく飲んだが楽しかった。

一を聞いて十を知る (12月26日・金)


実名を書いたのでそのまま通すが私の部署に来た松川美鈴さんは優秀だった。私が後に暮らした福岡西新の修猷館高校という福岡随一の進学校から九州大学に進学。なぜか徳島のJ社に入社したのは福岡研究所があったからだろうか。彼女が乗っていた黄色のシビックが印象に残る。

私の妻も仕事で会ったことがあり彼女のことを美人だと盛んに褒める。確かに美人だと思うが正直に言うと当時の私は彼女に美しさを見ていなかった。ところが妻によると何故あれほどの美人が自分が美しいことを自覚して飾ろうとしないのかと言っていた。もったいないと。

それはともかく私が一緒に仕事をした多くの同僚の中で彼女ほど優秀な人を知らない。J社の社長室広報グループは私を除いて全員女性で優秀な人が集められていたと思う。その中でも彼女は抜きんでていた。普通は先輩の指示だけでは情報が足らず右往左往するものだと思うのだが。

ところが早い段階から指示以上の情報を補足して仕事をしていた。先輩に的確に質問していたのか普段の仕事から感じ取っていたのか。一を聞いて十を知るとは彼女のことだと思った。妻が言うもったいないは私には分からないが結婚して仕事を辞めたことだけはもったいないと思っている。

真実(まさみ)君と美鈴さん (12月25日・木)


年賀状の宛名を書いていて友人の名前に思いを馳せたのだがもし私に子どもができたら付けようと思っていた名前がある。学生時代から考えていて23年前に結婚した最初の奥さんにも伝えていた。その名前は「真実」と言う。「まみ」ではない。男子の名前だ。「まさみ」と読む。

小学校の5〜6年のクラスメートだった三浦真実君に由来する。キリスト教会の次男だった彼は修学旅行の船やバスの中で乗り物酔いした同級生を率先して看病するような好人物だった。明るいしリーダーシップがあった。親しい友人だったが私は小学生なりに尊敬していたのだった。

もし子ができてそれが女なら「真実」で「まみ」でもいいと思っていたのだが大学時代の先輩に松川真美(まみ)さんという女性がいた。今は同志社大学理工学部の教授になっているが当時は大学院生ながら私と同い年だったので親しく「まみちゃん」と呼んでいた。

その松川教授と同姓の女性が部下になったのは1994年頃だったか。つい松川真美教授を連想して彼女のことを「まみ」と呼んでいたのだがJ社に入った彼女の名前は美鈴。年賀状を書いていて思ったのは優秀だった彼女にあやかって女子なら名前は美鈴もいいなということだった。※松川美鈴さんが入社したのは1995年(2018.2.22追記)。

年賀状と名前あれこれ (12月24日・水)


今年の年賀状は12月に入ってから準備した。例年カメラのキタムラに注文していると思っていたが昨年は地元でお世話になっている郵便局のY氏に注文していて今年も同じようにした。昨年は料金が安い10月中に注文していたのに今年は最も高い12月11日を過ぎてからになった。

早く注文すれば確かに安いのだが結局ギリギリにならないと書き始めない。今回は昨日届いてすぐに宛名を書き始めた。ただしFacebookで繋がっている人は後回し。日常を知っている人には賀状は不要でないかと思い始めている。宛名書きが面倒なので数を減らしたいのだが。

ともかくJ社のはがき作成ソフト「楽々はがき」で管理している住所録を見ながら宛名を書き始めて改めて皆の名前に思いを馳せた。接点のない2人の友人が同じ名前だと彼らの共通項を想像して自分に子どもがいたら絶対に避けただろうと思ったり。逆に好きな名前だと思ったり。

ただし名前の語感や字面で好き嫌いがあるのではなく友人である当人の性格やこれまでの行動と名前を結びつけているのは確か。それは名前が当人を導いたのか私の偏見か。女性は結婚して姓が変わるがこれは単純に字面だけで格好良くなったとか旧姓の方が良かったとか思ったり。

茂木さんの自死から1年 (12月23日・火・祝)


PDAの師匠M氏こと茂木龍太さんが自殺して1年だ。あの後3月頃まで毎日このことを考えていた。12月になり寒くなってまた毎日思い出すようになった。当時は衝撃が大きくて曖昧に書いていたのだが1年が経った。私が知っている事実を書き残しておくことにする。

12月23日に茂木さんは徳島にも一緒に遊びに来た次男の陽太郎君の小学校にいた。小学校2年生だった陽太郎君が所属する少年野球チームが練習試合をしていたらしい。その途中に陽太郎君を呼び出して校庭横の学校敷地内で灯油だかガソリンを被り陽太郎君を道連れに焼身自殺をした。

テレビニュースや新聞で知ったことは以上だ。陽太郎君は1週間後だか10日後に亡くなったと確か実家にいたときに新聞で知った。茂木さんは奥さんと別居して離婚調停中だった。子どもを2人とも奥さんに取られ会えなくなることに悩んでいた。そのことは昨年の2月に聞いていた。

奥さんが有利になる調停への不満も言っていた。焼身自殺には強い抗議が込められていたのだろうがFacebookツイッターは残ったままだから衝動的だったと思う。この日記の読者でもあった彼に私はまだ書けない気持ちもある。ただ今となっては安らかな魂となって欲しいと願うばかり。

楽譜が読めるということ (12月22日・月)


2週間ぶりとなった日曜の「響」の練習に見学者が来ていた。55歳だと言う。合唱経験はなく楽譜を見るのは中学以来と言っていたか。人数が減っているバリトンとして団長の横で歌ってもらったが最初の音が1オクターブ高く注意されて以降結局楽譜を見つめるだけのようだった。

楽譜が読めないと難しいですねと最後に感想を言っていたが私自身が前から疑問なのが「楽譜が読める」という意味だ。楽譜を見て音程まで含めて正しく歌えるという意味なら今の「響」には指揮者とトップのE氏と団長ぐらいしかできないと思う。彼らもいつも必ず確実というわけではない。

ピアノなどを使って音とリズムをトレースできるという意味なら私を含めて団員は全員ができるだろう。もしかすると昨日参加した彼はそれさえできないのかも知れない。練習中には楽譜の解釈を巡り皆で議論になることもあるがそういう音楽用語も理解できないとしたら厳しいなとふと思った。

例えば「ここはピアノまで落とす」とか「テンポプリモから」とか「ヘ音で読めばいい」とか。楽譜が読めるという意味はともかく楽譜の基礎的な用語が分からないと我が「響」で歌うことは難しい。一般社会では役にも立たない知識で議論している男声合唱団とは相当に特殊な集団だと認識した。

今年はなくなった東京出張 (12月21日・日)


もうすぐ上勝に引っ越して丸6年になる。それ以来5年間12月には毎年東京に出張していたのだが今年は初めて行かない。出張と言っても用件はA社の忘年会に参加するためだったのだが今年は皆の予定が合わず新年会をすることにしたとのこと。そんなわけで12月に行く用がなくなった。

2006年に設立した私たちの会社は10月が決算。全ての数字が出そろうのが11月下旬になるので弥生会計のデータを税理士事務所に送って12月中旬に決算がまとまる。A社の忘年会に合わせ税理士事務所に行って書類に押印して税金の納付書を受け取ってくるのも恒例でもあった。

でも昨年からだったか一昨年からだったか電子申告になったからか押印が不要になり実は税理士事務所に行く意味もなくなっていた。単に決算数字について説明を受けるだけ。説明と言っても私は売上も経費も把握しているので雑談しているだけに等しかった。

税理士事務所に行ったところでこれまでも決算書類は重いから郵送してもらっていたので納税額を書き込んだ納付書も一緒に送ってもらい一件落着。今年は9月に仕事で行ったがこうやって東京が次第に遠のいていく。年に2〜3度は行った方がいいような気がしているのだが。

レヴォーグ1.6LとXVハイブリッドの燃費 (12月20日・土)


スバルの2Lターボエンジン車を買うと年間で7万円程度ガソリン代が増えることが分かった。月に6,000円だからバカにならない。そこでレヴォーグの1.6Lターボ車ならどうかと計算してみた。レヴォーグの1.6Lターボエンジンはレギュラーガソリン仕様だから単価140円/Lで計算する。

JC08モードはGT-Sモデルが16km/Lで20kg軽いだけのGTが17.2km/L。買うならビルシュタインダンパーのGT-Sのつもりで実燃費は15km/Lで計算してみよう。するとガソリン代は5年半83,000kmから78万円弱。フィット比で年間2.9万円増だから月平均2,400円程度。増加額は2Lターボの4割だ。

スバルには小型SUVのXVにハイブリッドモデルがあるのだがこれで計算してみるとどうなるだろう。実燃費を18km/Lと仮定すると5年半でガソリン代は65万円。年5,000円増に留まる。ただしハイブリッドではないモデルの燃費は16km/Lで実燃費を15km/Lと仮定するとレヴォーグ1.6Lターボと同じ。

5年半のガソリン代はハイブリッドの有無で差額13万円。11年で26万円。XVとハイブリッドモデルとの車両価格は30万円だから12年半乗って初めて元が取れる計算だ。バッテリーの交換費用や故障確率の上昇を考慮するとやっぱりハイブリッドはあり得ないという結論。

スバル2Lターボ車の燃費 (12月19日・金)


昨今の自動車会社は衝突回避技術に熱心だが最も進んでいると目されているのがスバルのEyeSight(アイサイト)だ。高速道路での前車自動追尾や衝突回避ブレーキやら本当に必要なのかと私は思っていたが評価は高い。先日は実際にEyeSightの自動制御で衝突を免れた映像を見た。

水平対向エンジンとEyeSightから次に買うならスバルだと考えている。候補はスポーツセダンのWRX S4かワゴンのレヴォーグかSUVのフォレスターか。ただしこれら車種のトップモデルのエンジンは2Lターボ。もし買えたとしてもガソリン代が高くなる。そこでどの程度の負担増か計算してみた。

まず現在のフィットの燃費はカタログ上21.5km/L。実燃費は5年半の平均で18.9km/L。カタログ比88%。スバルの2Lターボエンジン車は13.2km/L。ただしフィットが10・15モード燃費なのに対しスバル車はJC08モード。10・15モードより数値は低く出るらしい。

5年半にフィットに給油した平均ガソリン単価は140円/Lだがスバルの2Lターボエンジンはハイオク仕様。そこでハイオクガソリン単価を150円/Lとし実燃費12.4km/Lと仮定してフィットの5年半の走行距離83,000kmで計算すると必要なガソリン代は100万円強。フィット62万円より66%も増加。

昔のガソリン価格と燃費 (12月18日・木)


ガソリン価格が下落している。東京では10日ほど前で135円/LというFacebookの投稿も見たが徳島では昨日144円/L。それでも1月前は152円/Lで2ヶ月前は159円/Lだったから確かに安くなっている。それで昔はどうだったのだろうと気になりこの日記の記述を探してみた。

見つけたのが2000年3月に福岡から東京に引っ越したときの記録。高速道路の3つのサービスエリアで給油して全て110円/Lだったようだ。一般のガソリンスタンドならもう少し安かったのだろう。現在の3分の2強。ついでに当時乗っていたインプレッサWRXの燃費も調べてみた。

この福岡−東京のときの記述で給油量は分かるが距離が分からない。調べると福岡−徳島が595km。徳島−東京は別の帰省の際に685km。合計1,280km。ただし福岡出発時点でのガソリン量が不明だし諏訪湖SAで給油したガソリンも使い切っていないはず。

そこでこのサイトで検索すると鹿野SAから鳴門の実家付近まで395km。諏訪湖SAまでが482km。合計約880km。この間のガソリン量は88.3Lだから約10km/Lとなった。ぶっ飛ばしたし除雪待ちもあったから高速での燃費は普段もう少しよかっただろう。逆に一般道では一桁だったと推測できる。

大雪 (12月17日・水)


火曜夜から降り始めた雪は車の屋根に午前2時頃10cmほど積もっていた。朝8時に見ると車に乗った雪の厚さは25cmはあるだろうレベル。駐車場のアスファルトは5cm強だろうか。Facebookでも地元の人たちが次々と積雪情報をアップしていたが山の上と積雪量は変わらないように見える。

前夜ワイパーを立てていたのだが雪の重さで折れないだろうかと心配になってフロントガラス部だけ除雪した上で下ろした。それでも車で出勤した人がいるようだが住宅の駐車場には多くの車が駐まっていた。学校も休校になり地元のカフェやいっきゅう茶屋も臨時休業にしたらしい。

車のタイヤは月曜に地元のT氏が冬用に交換してくれていた。だからといって特に用はないので車で出かけることはしなかった。日中も断続的に雪が降り予報では明日まで続くらしい。明日の日中の最高気温予報は3度。家に籠もっているしかなさそうだ。

鳴門の実家で喉が痛くなったこともあり寝るときはマスク着用。眠りが浅かったり寝ている間に外していたりするのだが。それでも先週までならファンヒーターの設定温度が17度ぐらいで室内気温は20度強だったのに寒さに慣れたか14度設定の気温18度と2度ほど低い室温で過ごしている。

投票率と政治姿勢 (12月16日・火)


徳島1区の後藤田氏には選挙公報で大きな違和感を持った。何せあらゆるテーマについて徳島のためにと書いてある。県知事の立候補者か。国会議員が言うべきことではないと思う。結局のところ徳島のためといった利益誘導なのである。旧来の自民党的なこういう姿勢が私は許せない。

それでも徳島2区の山口氏に比べればまだマシだとも思った。とにかく自民党の古い嫌なタイプの政治姿勢。私が2区に住んでいたら棄権しただろう。それは投票率にも表れていて全国平均が戦後最低の52.66%。徳島1区は48.94%。徳島2区は44.89%。

後藤田氏は前回に比べて力の入れ方も弱かったと思う。前回は夫人で女優の水野真紀さんが上勝にも来たらしいが今回は何も聞かなかった。動員も私のところにはかからなかった。今回は民主党の敵失で当選したが票数は92,166対69,188だから意外に差は付かなかったと言える。

次の選挙は2016年7月の参院選だが衆院も解散して同日選挙という説もある。私は憲法改正には賛成なので公明を追い出して民主の一部と維新を取り込み衆参で2/3を持って一気に進むと予想。外交をはじめあらゆるテーマで布石を打って攻め続けている安倍首相に期待している。

衆議院選挙 (12月15日・月)


昨日は衆議院選挙の投開票日。1票の格差是正の0増5減で徳島は定員3が2に。私が住んでいる上勝町は3区から1区になった。立候補者は自民党の後藤田氏と民主党の仁木氏と共産党の人。私は安倍首相の政策をだいたい支持しているが自民党大勝との事前報道を見て投票は考えた。

争点はアベノミクスだと自民は言い民主党が反対する構図。経済政策の是非について私はよく分からないのだが民主党政権時の補助金ばらまきには私は恩恵にあずかったものの結果としては地域のためにならないと思うので私の姿勢は反民主である。

それに解散にびっくりしたか2区には民主党候補がいない。旧1区の仙谷由人氏は若い人にバトンを譲るときれい事を言って逃げたし2区の高井美穂氏も早々に県議に鞍替えを宣言していた。民主党は政権党の体を成していないのである。ただこのサイトを見ると後藤田氏にもピンと来ない。

こういうときは健全な野党に期待と共産党に投票したこともあるがそれもどうかと思い結局のところ自民党候補の名前を書いた。比例区はみんなの党が解党してしまったので次善として維新。結果は自民291民主73維新41公明35共産21。公明を合わせた与党で改選前から2増の326議席と。

鳴門の居酒屋2軒と鰻丼 (12月14日・日)


土曜は実家の用で鳴門に行った。そのまま泊まる予定だが雪予報。もし雪で日曜も泊まることになったら投票に行けない。というわけで土曜午後に役場に行って期日前投票をしてから鳴門に向かった。本当はスバルに寄りたかったが暗くなりかけていたので実家に直行。

しばし母と話して妻と私は徒歩で鳴門駅方面へ。なるみやという焼肉屋を探して銀天街の北をウロウロ。ここは休業していた。今日の目的は大将が上勝出身と聞いたので行ってみた愛鳥という居酒屋。教えてくれた散髪屋のサカイによると大将は徳島に行き娘がやっているのだとか。

ここで生ビール3杯ほど飲んで帰りがけに女将に聞くと確かに父上が上勝の出身だとか。店を出て19時半。まだ早いので駅前にできた「ゆるり」という居酒屋へ。店員さんたちが気持ちよく働いている。ビール2杯。帰りに妻がタバコ入れを置き忘れたのを追いかけて届けてくれた。

片道1km強の道は寒くて凍えた。ローソンでビールを買って帰ったのがまだ21時半頃だったか。母と話をして24時前には寝たと思う。今日は母と妻とうずしお公園近くの天野屋で鰻丼。帰りにスバルでフォレスターを試乗して夕方帰宅。「響」の練習は指揮者インフルエンザにつき中止と。

大前研一氏と大塚製薬のジャガー (12月12日・金)


鳴門で生まれ育ったので子どもの頃から大塚製薬は身近に感じていた。近所の1歳上の薮内幸子ちゃんの父上もクラスメートだった三尾谷慈さんの父上も大塚製薬に勤めていた。後に私が就職した頃だったか正月の新聞全面広告で2人の父上がともに取締役だと知り驚いたことがある。

大塚製薬と言えば新入社員時代の思い出が懐かしい。社長室に配属されたのは6月の月曜日だったが2日前の土曜日に出勤するよう言われていた。マッキンゼーの社長として有名なコンサルタントの大前研一氏が社長を訪ねて来ることになっていて同席するように言われたのだ。

実際は大前氏に断られ私は同席しなかった。後で社長から会談内容を教えてもらったところ業界の枠組みが一変する凄まじい提案だった。大前氏は社長が用意していたお昼の会食を断ったので社長と専務と秘書のT嬢と私の4人で料亭・謂水苑で会席料理をご馳走になった。

大前氏が会食を断ったのは午後は徳島で釣りをするというのが理由だった。メンバーは大塚製薬の明彦社長とオムロンの立石社長だということだった。J社沖浜ビルの正面に大塚製薬の社長車である深緑のジャガーが大前氏を迎えに来ていた光景をよく覚えている。

大塚製薬の大塚明彦氏と伊藤本部長 (12月11日・木)


実家にいた11月30日に読んだ徳島新聞の1面で大塚製薬の元社長にして大塚ホールディングス会長だった大塚明彦氏が亡くなったことを知った。前に書いたがJ社の社長夫妻との会食に同席させてもらったことがある。そのすぐ後だったと思うがJ社に来られたこともある。

そのとき沖浜のビルを浮川社長が案内したが大塚製薬の総務課長氏に後ろから写真を撮らないよう依頼された。明彦氏は当時ハゲを気にされていたということだ。社内報担当のM本嬢から伝えられたのだったか。そう言えばあの総務課長氏は常に明彦社長の傍らにいた。

大塚製薬鷲敷工場の落成式に招待されたJ社社長を乗せて社用車ホンダ・レジェンドで那賀町鷲敷に行ったことがある。勝浦から今のローソンを左折し持井橋を渡らず那賀川沿いの狭い道。鷲敷工場で何百人という招待客を明彦社長の傍らで一人一人紹介していたのもあの総務課長氏。

あの課長が現・徳島本部長の伊藤氏だ。昨年4月にJ社創業者でMetaMoJiの初子専務と大塚製薬に行って会った。当時の面影はなく堂々たる本部長だったが明彦氏の晩年の苦労を語っていた。縁を大切にする伊藤氏も巨大企業にした大塚明彦氏も一方の人物であると感じたのである。

山の聞き書き第2稿 (12月10日・水)


夏から関わっている「山の聞き書き」だが今日が第2稿の締切日で原稿をFacebookのグループにアップした。本当は1日早く昨夜送るつもりだったが直前に事務局から書式が送られてきて変更作業に時間がかかった。提出は縦書きだということを私も忘れていた。

ただ書式の指示が以前の話と矛盾していたりして昨夜のうちにメール3通送って今朝回答を得て修正作業。括弧などの約物の変更はWORDの置換機能で一発だが写真とキャプションをテキストボックスで貼り付けるのに難儀。テキストボックスは思ったところに素直に貼れないのである。

どうせ印刷用にはテキストボックスは使えない。途方もない無駄な作業をしている気分で滅入りながら何とか終えた。さらに2種類の括弧の使い分けができていないところがあって検索機能で探しながら。数字を漢数字に直しきれていないところもあってこれは目で追うしかなく。

何十回と読んでそのたびに分かりやすい原稿のために削除してきたが最後に何行分か消した。私の原稿は2本できて写真が多い技術編が約5,300字で15ページ。人生編が約12,000字19ページ。事務局はじめ皆さんの意見でさらに修正するのだろうがとりあえずホッとしたところ。

フォレスター (12月9日・火)


スバルWRX S4に興味を持っているのだが気になるのが最低地上高だ。スポーツモデルとあって135mm。レクサスRCなどは125mmだから気にするほどでもないとも思いつつ山に住んでいると荒れた路面や急な斜面などで底を擦るのではないかとつい気になってしまう。

そんなわけで先週スバルに寄ってフォレスターのカタログをもらってきた。最低地上高220mmだが幅や長さはWRXとほぼ同じのSUVだ。今のフィットを買う前に実は一度試乗している。当時のモデルは4速ATで車の重さと大きさだけが気になって候補から外した。でも妻は気に入っていたらしい。

荒れた路面を走る可能性を考慮すると最近モデルチェンジしたレガシィアウトバックが格好いいと思うのだがこちらは幅が184cmもあって山の狭い道では使い勝手が悪そうだ。スバルではXVというSUVもあるがWRX S4と同じエンジンを積む280馬力のフォレスターに惹かれてしまう。

フィットは来年5月で丸6年。現在83,000km。本当は20年か20万km乗るつもりだったが私は60歳になってしまう。そんなわけで来年後半に買い換えるべく今から検討しているのである。会社が大儲けするか宝くじに当たったときに備えておくのである。そんなのばっかりなんだけど。

大雪とIP電話 (12月8日・月)


12月初旬としては異常な降雪で徳島の三好市辺りで孤立した集落があるらしい。湿った雪によって木や電柱が倒れ電線が切れて停電しているとか。それも金曜に国道192号線が閉鎖されたときからだから既に3日とか。凍死者も出た。倒木の処理に時間掛かりまだ復旧していないそうだ。

徳島の沿岸部以外は地デジ化に伴いCATVの普及が進んだことで電話がIP電話に置き換わっているのだとか。それで停電でIP電話が使えず安否の確認が難航しているという。でも今どき電気がなくて使える電話機なんてほとんどない。うちも回線はISDNだから停電したらアウト。

ニュースの中にはIP電話にUPS(無停電電源装置)を組み合わせるべきだと言う人がいたが普及タイプのUPSが供給できる時間は長くない。うちの事務所で使っているUPSはPCをシャットダウンするまで15分程度だったと思う。IP電話のシステムに数時間も電力を供給できるのか。

そもそも電線が切れた段階で電話線も切断されているだろう。こうした事態のためには結局のところ携帯電話を併用するしかない。基地局の電源が切れたらアウトだが8月に停電したとき携帯電話の通話は生きていてスマホでネット接続ができた。複数の回線を確保しておくしかないと思う。

雪 (12月5日・金)


今年初めての雪である。同じ地域でも山の上の方では2日に雪が降っていたらしい。そのとき私が住んでいるあたりでは降っていなかったと思う。だから私にとっては今日が初雪。7時過ぎにFacebookで何人かが雪だと書いていて表を見たら車の上に積もっていた。

布団の中で表の状況が分かるのだから便利な時代である。今日は午後になって外出して18時頃に通りかかった勝浦ローソン前の気温計は3度。その頃も雪が舞っていた。国道192号線の徳島と愛媛の県境峠道は降雪で車が100台以上動けなくなっていたらしい。冬本番である。

今夜24時の予報気温が-1度。そろそろ道路の凍結に警戒しなければならない。今年2月に車のフロント2本だけ冬用タイヤに交換して今はトランクルームに置いてある。月曜に飲んだときT氏にタイヤ交換を依頼はしたが来週は最高気温が15度ぐらいまで上がりそうなので再来週あたりだろうか。

月曜には灯油4タンクを買い本格的な冬準備をしていたし地域で雪が降ったという火曜からはストーブも朝30分ほど使っている。月曜に油断をして風邪ぽくなったことを反省して昨年買ったダウンのベストを部屋の中でも着て足にも防寒具を穿いている。3月まで我慢の季節だ。

獅子舞の打ち上げ (12月2日・火)


月曜は夕方から経理業務。領収書の山と弥生会計にEXCELに集中して目と肩が疲れてしまった。そのまま18時になり消防点検へ。寒かったから真冬の格好をしたのだが最近よく着ているダウンのベストにすればよかった。疲れたところに山の上は寒く風邪を引いたようだ。

飲みには行かず戻ってシャワーを浴びて19時半に別の会合というか宴席。11月3日の秋祭りで演じた獅子舞チームの打ち上げだった。皆が用意してくれた手巻き寿司。風邪ぽいのでビールは進まず食べてばかり。公民館なので22時前から片付けはじめ飲み足りない面々が我が事務所へ。

これも11月3日以来だったか。2日の出店を手伝ってくれたインターンのN嬢が別のインターンで再び上勝に来ていて彼女も含め10人ぐらいか。何組かでバラバラな話をして最後はN嬢をはじめ若者たちの恋バナを聞き大声を上げながら皆で余計なおせっかいを焼いて。

26時に解散しようとT氏が声を掛けていたが解散したのは26時15分ぐらいだっただろうか。久しぶりに大騒ぎして飲んだ。そのメンバーでもあったN氏は今朝は仕事の説明に来てくれて雑談しばし。午後は経理業務の続き。これで10月までの先期の経費は出揃ったはず。

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© 2014 Takashi INAGAKI