2014年2月

東京から来たツイッター仲間K氏 (2月25日・火)


日曜は東京からK氏が来た。元々ツイッターで徳島の若者たちと仲が良く私もそんな流れで知り合ったのだと思う。よく上勝TVでコメントをくれている。美郷で配信したロケのときにパーソナリティRと一緒に来て初めて会い2年前に上勝にも遊びに来てくれて会ったことがある。

そのK氏が土曜夜の夜行バスで徳島に来るという。バスで勝浦に9:30に着くというので迎えに行くことにしていた。帰りも夕方なら送れるが時間が合わなかった。そんな会話をツイッター上でしていると鳴門のA氏が上勝まで送っていくよと絡んでくれて2人でやってきたのが9時半過ぎ。

その日は夜行バスが徳島に着く7時頃からツイッターを見てK氏の行動を見張っていた。A氏と駅前で合流した8:40頃に起き出していつでも出られるように。9:40頃いっきゅう茶屋とあったので私も追いかけたがそこにはおらずPolestarにも来ておらず神田茶屋で合流。

うどんを食べてPolestarに戻って彼らはカレー私はコーヒー。偶然J社同期で今はM産業社長の旧姓K村君が自転車で来ていて雑談少し。この日は着物の日イベントで華やぐ中をイベント拠点のZWAに寄って最後は上勝百貨店にしばらくいてから解散。わざわざ東京からありがとう。

悩み (2月23日・日)


悩みを抱えている。1年から2年に1度程度の頻度で訪れる。ある行動を起こすことについて。2週間で心の折り合いをつけられることもあるし4ヶ月掛かったこともある。そのたびに自分自身が納得してきた。行動を取れば方々に心配と迷惑を掛け周辺を戸惑わせるだろう。

今まで悩んだときは感情と理性がせめぎ合った。感情は直情的で理性は論理的だ。いつも感情が行動を取らせようとした。だが理性が思い止まらせる。あのときの感情と理性はどちらが正しかったのか今は分からない。おそらく10年後か20年後に分かることだろう。

今回は今までと少し違う。感情が先走らない。この行動は感情が命じるものではないのだ。感情はフラットであまり主張しない。むしろ理性がこの行動を勧めているように見える。論理的に考えて行動を起こすべきだと。理性が行動すべきと言うのなら今回はそうするべきではないのだろうか。

今までは自分一人で悩んできた。それを誰かに話したところで本当の理解は得られないだろう。今回も自分で判断するしかないとは思う。それでも誰かに話したい。この理性が判断する論理は正しいのかどうなのか。正しいと思う論理は共有されうる価値観なのかどうか。

中1で行った松山 (2月21日・金)


昨日の日記を読んだ中高時代の同級生I氏がメールをくれた。松山には中学1年のときにも行っているよと。何でだろうと一瞬考えたが1秒後に思い出した。そうだ。アマチュア無線従事者免許の国家試験が愛媛大学であり丸坊主の中学生が10人だったか15人だったかで一緒に行ったのだった。

多分夏休みの後半だったと思う。夏休みに徳島市文化センターの会議室で講習を受けていたから。会場の愛媛大学の窓は開け放たれていた。問題を終えて時間が余った私が窓の外を見ると引率してくれたアマチュア無線部の顧問である山本幸男先生が外から見ていた光景を覚えている。

10人以上いたので汽車で行った。ディーゼル機関車だ。皆は徳島駅から乗り私は撫養駅から池谷で乗り換えて合流したのだと思うが記憶に残っていない。汽車内で仲間と試験勉強をしながら話をした光景を何となく覚えているが曖昧だ。松山駅からどうやって会場に行ったかも覚えていない。

でも会場は確かに愛媛大学だった。あれが松山に行った2回目だ。ということで以下順番が繰り下がる。つまり今回の松山は9回目ということか。高松はともかく高知はもっと少ないと思う。同じ四国でもあまり行かないものだ。四国内をもう少し巡ってみたいと思ったりもしている。

松山には8回目だった? (2月20日・木)


松山に初めて行ったのは小学4年生の頃。夏休みに家族で四国一周旅行をしたときだ。高知の龍河洞に行き足摺岬で一泊して宇和島を回り松山の石手寺に行った記憶はある。今治の角屋という旅館の別館で泊まり船で井口島に行った。高速道路がなかった時代。2泊だったか3泊だったか。

2度目は1989年か1990年。ソフトの違法コピー販売店の調査で東京から来たK氏を高知空港に迎え高知大学近くの店舗を見て松山に入り一泊したと思う。翌朝に松山と今治の店舗を調査した。3度目は1993年で当時の元妻と義父に義妹とその彼氏で道後温泉に行き本館でも入浴した。

4度目は1995年ぐらいだと思う。愛媛大学教授との会食に行く社長の運転手として。夜に出発して新居浜で一泊し松山では今回と同じ旅館だった気もするが自信はない。5度目は2005年の2月。文化庁主催の著作権セミナーで講師として東京から行った。

6回目は2007年秋の合唱コンクール四国大会。このときは東京から参加。7回目は2010年の同じく四国大会。今回の松山は私にとって8回目ということになる。通過しただけならキャンプやバイク旅行のときもあったがいずれにしても数えるほどしか行ってないということだ。

道後から帰宅 (2月19日・水)


7時半に目覚ましを掛け起床して3度目の風呂。私は30分ほど。8時半から朝食。10時チェックアウトまで部屋でネットを見て過ごし売店で土産物を買い車で三越へ。午後訪問のお宅へのお土産。時間が余ったので松山城に登ろうとロープウェイ登り口まで行って諦め松山港まで行って再び道後。

事前に妻が調べていたお店に12時前に入り昼食。仕事のメールを返したりした後13時にgeroppaさん宅。松山で地域Ustream番組を早くから手がけ昨年上勝に来てくれ11月にも会ったので逆訪問。2年前に再婚したという奥様と豆柴交え愛媛の情報をいろいろと。

そこから一路徳島なのだが睡魔のため桜三里PAで運転を助手席で少し寝ていた妻と交代。覚醒したのは徳島の美馬あたり。徳島道は片側一車線で遅い車があるとすぐ数十台が連なる。そんな中を2車線になったとたん妻が追い越しを掛け数台先で車間10mの走行車線に強引な割り込み。

それが2度続いた。この危険運転を妻は謝っていたが前の車の速度が安定していなかったからと言い訳するから上板SAで諫めたら逆ギレされた。仲良い姿をFacebookにはアップしているがこんなものだ。上板SAからは私が運転して18時頃帰宅。ともあれ無事に帰れたことに感謝。

道後温泉 (2月18日・火)


道後温泉にいる。妻は愛媛に行ったことがないというのと寒いので温泉に行きたいという希望でもって一泊旅行となった。朝起きると上勝は雪。私の周辺でアスファルトには積もっていなかったが冬タイヤにしておいてよかった。上勝を9時半出発。

川内から徳島道に乗り吉野川SAと石鎚山SAで休憩。愛媛の川内まで2区間が雪のため通行止めで桜三里の峠道だけ国道11号で。川内から松山まで再び高速を使い妻が調べていた鍋焼きうどんのお店に着いたのは13時50分。

昼食を食べて旅館に直行。この時点で14時半前だがチェックインして15時過ぎから街を散策。過去に道後温泉本館には一度来たことがある。多分21年前。元妻と義父と義妹とその彼氏だったと思う。仕事では多分3度。合唱コンクール四国大会で2度ほど。

16時のからくり時計を見て旅館に戻り風呂に1時間半。夕食をとって買い忘れたビールをローソンまで買いに行って戻ってまた風呂1時間。道後館という割と高級な旅館である。目的もなくただ温泉に入るという幸せに浸っているところ。

除雪スコップと冬タイヤ (2月17日・月)


除雪グッズを買わないといけないというわけでスコップを求めて日曜にコメリに行くと金象印と銀象印があった。同じメーカーのようだが両方とも2,480円。次に小松島のコーナンにも行ってみたらこちらは金象印ではないが980円。年に1回しか使わないものだ。安い方を買った。

一方で先週ふと気になって記録を見ると車のオイルが前回の交換から約1万km。明日から高速に乗って遠出をするのでその前に換えておきたいと地元のT氏に連絡していた。でも先週後半の雪である。金曜に道路ですれ違ったときに改めて依頼して月曜と約束していた。

ところが明日から再び雪模様。高速で行くのにタイヤも気になり始めた。前輪は昨年交換して使えそうだが後輪は危なそう。スタッドレスタイヤにしておいた方がいいのではないか。そんな相談をT氏にしたのが今日の午後2時前。何とT氏はタイヤを調達して夕方5時には車を持ち帰ってくれた。

後輪タイヤは処分して前輪を後ろにローテーション。前輪には新しいスタッドレスタイヤを装着して持って来てくれたのが19時半。交換した冬タイヤはあと1月少々しか使わないが安心感の方が大きい。無理な相談に即応してくれて安心して車に乗ることができる。本当に感謝。

オリンピックと雪の影響 (2月15日・土)


金曜の夜はソチ冬季オリンピックのフィギュア男子のフリー演技ということで妻は24:30頃からテレビ観戦。私は後半の日本人が出るところから見た。結果は羽生結弦19歳が金メダル。さほど興味はないし転倒しての金メダルで妻ほど興奮はなかったが結果として寝たのは朝5時前だ。

土曜は仕事もなく起き出したのは既に夕方近く。表に出たらアスファルト部分の雪はほとんど溶けていた。一方で予報通り東京は凄いことになっている様子。金曜夜は羽田の駐機場が凍結して飛行機から7時間経っても降りられないという人のツイートを見たり。

東急東横線では追突事故が起こったり公民館の屋根が落ちたり。土曜には東名高速で一部の車が身動きがとれなくなっているらしい。事故で渋滞したところに雪が積もり動けなくなったとか。下道に誘導しようにも下道も渋滞していて動けないということなのだが考えただけでうんざりする。

FacebookではロータスからJ社を経てマイクロソフトで部長職にあったY氏が雪かき用品を紹介していたので今度やっぱり買っておこうと思う。金象印がいいんだそうな。車のタイヤも考えないといけないのだが雪の日は動かないと決めていて未だにノーマルタイヤ。これはこれでいいのかな。

大雪と除雪 (2月14日・金)


木曜は雪予報で帰りの路面凍結が怖いので「響」の練習には行かなかった。26:30頃から始まったフィギュアスケート男子を見始めて羽生結弦の演技と2つ後まで見て3時半頃に寝た。そのとき駐車場のアスファルトも真っ白だった。積雪1cmほどか。これは早朝凍結すると思っていた。

金曜起きると隣家の方が車出せるだろうかと思案顔。既に2台ほど通ったタイヤ跡が踏み固められるつつある。これが続くとタイヤ跡は凍結して除雪は難しくなる。というわけで妻と除雪を開始。といってもプラスチック製のちり取り。昨年使いすぎてボロボロに欠けている代物。

とりあえず緩いスロープなのに太陽が当たらない場所のタイヤ跡を中心に除雪。ついでに隣家の車が出やすいところも。気温は2度ぐらいだと思うが汗だくになり終わり。午後も気になって隣家のお母さんと一緒に駐車場奥に延伸。コーヒーを頂いて1時間ほどで終了。

15時を回って振込があることを思い出し徳島市までは行けないが郵便局に行こうと車の前を除雪。町道に出るスロープでスリップしたので帰宅してからそこを重点的に除雪。朝から3回。計2.5時間ほど。いい運動になったと言うべきか毎年のことなので除雪グッズは買っておかないといけない。

オリンピック (2月12日・水)


火曜夜はソチ冬季オリンピックをテレビ観戦した。午前2時過ぎからスノーボードハーフパイプの決勝とジャンプ女子の試合が予定されていた。妻はハーフパイプが面白くなったようで夜遅くても見るというので付き合った。結果は銀と銅。ジャンプ女子の17歳は4位だった。

テレビはハーフパイプが4ch。ジャンプ女子が3ch。頻繁にチャンネルを切り替え見た。ツイッターにも書き込んで同じくテレビ観戦している人たちと盛り上がったり。田中将大氏のニューヨークヤンキース入団会見を1chでやっているのを発見したりして。

それにしてもジャンプに出場した高梨沙羅さん17歳のコメントがけなげで泣ける。ニュースで何度も見たがメダルを逃したことを話す彼女の殊勝なコメントの裏にある表情の変化を読み取ろうとしてしまい勝手に感動しているかも知れないが。プレッシャを掛けるのは止めようよと思ってしまう。

開催地ソチはロシアの黒海沿いにあって日本とは時差が5時間らしい。欧州でのテレビ放送に時間を合わせて日本では深夜になるのだろう。それは仕方ない。フィギアスケートに私は興味はないが妻は絶対に見る勢いなので付き合って見てしまいそうな。寝不足が続く。

アンサンブルコンテスト (2月11日・火・祝)


定期演奏会が終わったばかりというのに今日も本番の演奏があった。徳島県合唱アンサンブルコンテスト。3人から16人以下の少人数アンサンブルの発表会だ。我が「響」が演奏したのは定演のアンコールで歌った「こころよ うたえ」と「てんとう虫のサンバ」の2曲。

一度覚えているから特に大きな不安はなかった。練習は2回だが先週木曜は雪で帰り道の凍結が怖かったから休んだ。日曜の練習だけだったがいつもは2時間半なのに1時間半で切り上げ。大丈夫だろうということだ。でも私だけは大丈夫ではなかった。何せ私が歌う2ndテナーのパートは私だけなのだ。

誰が出られるのか分からないまま当日になって並んでみたらトップテナーが6人。バリトン3人にベース1人。1曲はバリトンの1人がベースを歌ったのかな。指揮者が2ndを歌うと言っていたが本番ではほとんどベースを歌っていて2ndテナーはやっぱり私一人だけ。

間違えられないプレッシャーで少し弱気になったが同じ音が私の声以外にないというのは気持ちいい面もある。15時集合で16:30には解散。終えて上勝の友人のパイプ用葉たばこを買いに北島鯛の浜へ。帰宅してからソチ冬季オリンピックのハーフパイプをテレビ観戦。

上勝TV第39回 (2月9日・日)


土曜日は上勝TV第39回の配信。1月に依頼されていた商工会からのお知らせに来てもらったゲストが21歳の女性Sさん。しっかり話をしてくれた。メインゲストは古民家を改装したシェアカフェで金土の夜だけ営業しているBarIRORIのマスター。現役テレビディレクターでもあるN氏。

私は15時過ぎから準備を始めたがPCのHDDを交換してからWeb更新用のソフトBiND4のデータを書き戻すのを忘れていたことに気づいた。慌てて復元したが写真が飛んでる。ヘルプで調べてFTPの設定をやってサーバーからデータをダウンロードして何とか元に戻すことができた。やれやれ。

夕食はN氏も参加してすき焼き。配信は20:50過ぎから始めたがジーというノイズが乗っている。画像を転送しているUSBを抜いたらUstream Producer Proが認識してくれずソフトを再起動。今度はUSB帯域不足のメッセージが出てPC自体を再起動。音楽を飛ばして始まりが7分遅れた。

パーソナリティには忙しいT嬢に代わりS嬢。配信は始まってからは順調で最後にSさんと上司のY氏にも入ってもらい記念撮影。N氏を含め飲み始めたら消防分団総会が終わったT氏とS氏も来て出張バー状態。ビールが足りずカクテルやウィスキーも飲んでN氏が泊まっていき寝たのは朝4時。

「阿波」の演奏 (2月6日・木)


今回の定期演奏会は当初4ステージ構成の予定だった。ところが各ステージの組曲が3曲だったり短い。そこで1ステージを追加することになった。それが第4ステージ「阿波」だ。作曲した徳島出身の三木稔氏は一昨年末に亡くなった。追悼演奏ということで名目も立つ。

「阿波」は一度2007年の第3回定演で演奏していた。そして昨年11月のコンクールでは課題曲を含め3曲を演奏している。これに1曲目と2曲目を加えれば完成する。そんな計算も指揮者にはあっただろう。1曲目は各地で演奏してきたから覚えている団員は多かったし。

この日記のリンクを整理していて今日2007年の定演について書いた記述を読んだら「阿波」をもう一度演奏したいと書いていた。当時4曲目「水取り」は2ndテナーとして歌ったが今回はトップテナーで歌った。その違いはあるものの2007年に書いたことは7年弱経って実現したのである。

徳島各地の風土風俗を歌った曲だ。これからも「響」として演奏する機会はあるだろう。コンクールでの演奏を経て団として完成度を高められたのは良かったと思うし個人的にも2007年当時とは違うレベルに上がったことをうれしく思う。次は鳴門や脇町など歌の舞台で演奏したい気もする。

定演後の体力 (2月4日・火)


定期演奏会が終わって疲れている。今日までふくらはぎが痙りそうな感覚がずっとあった。太ももの膝上もピクピクしていた。どちらも右脚。「八木節」で中腰になりながらにじり寄ったのが影響しているのだろう。アンクルウェイトを着けてリハーサルに臨んだのも悪かった。

土曜日は既に書いたとおりリハーサルで疲れた。3ステの30分間は休めたが17時まで合計3時間を歌い続けたのである。立っているだけでなく中腰になったり踊ったりジャンプしたり走ったり。それで日曜は午後に起きたが昼食後すぐに昼寝。月曜も昼食後に昼寝した。なかなか回復しない。

それでも2009年の定演後よりはマシかも知れない。あのときは精神的にしんどかった。燃え尽きた感覚。徳島に戻って男声合唱団に復帰して10ヶ月。合唱技術は10年ぶりで感覚が戻らないままで歌詞を覚えるのにも本当に苦労した。元気を出そうと妻と焼き肉に行ったほどだ。

今回はあのときの経験があったから練習には通った。記憶力が衰えていく中で練習に行かないと如何ともしがたいのだ。でも復帰して5年も続けていると技術は向上していて当時より上手くなったように思う。そういう変化を感じるから止められない。ともかく明日には体力が復活して欲しい。

演奏曲と上勝の仲間 (2月3日・月)


今回の定期演奏会には上勝から10人以上の友人たちが聴きに来てくれた。最初にコンクールの記事を教えてくれたS嬢にFBメッセージでお誘いしてチケット2枚。妻が声をかけたA嬢夫妻。小松島から最近上勝によく遊びに来ているY氏に2枚。T氏と勝浦のT氏は妻と一緒に。

さらにK氏は指揮者Sとも顔なじみであって5日前にお誘いした。名簿を見てトップテナーS氏と高校の同級生だと言っていた。前日声を掛けてくれたT嬢夫妻も。歌について歌ったアンコール曲で何人かが泣いたと後から聞いたがN氏とA嬢には一度聴いてみて欲しいと前々から思ったいたのだ。

田舎の生活と歌を大切にしている彼らに響くものがあったのだとすればうれしい。響くのではないかと思っていたから聴いて欲しかったのだが彼らの感性や心内に遠くから触れられたような気もする。それがアンコールの信長貴富作曲「こころよ うたえ」だったことは意外だったが象徴的かも。

この曲の練習を始めたのは3週間前で歌詞と音を追うのに必死だった。でも2009年の定演で演奏した信長貴富作曲「きみ歌えよ」も歌いながら泣けた曲だった。あれもN氏やA嬢を思いながら歌ったのだった。信長氏の歌を歌うことの歌の良さについてベースのK君とツイッターで話をした昨夜。

第6回定期演奏会 (2月2日・日)


昨日は「響」の定期演奏会。11時過ぎに妻と出て文化センター前の橋本で昼食。会場は郷土文化会館で妻は一旦帰宅。13時集合でリハーサル。指揮者の怒号が響き動きの確認では爆笑が巻き起こる。最後の練習と気合いを入れて歌っていたら疲れてしまった。5ステ練習では手を抜いた。

3ステの混声合唱のとき休んでいたらピアニストと一緒に県吹奏楽連盟事務局長の従兄弟がいるのを発見。14年ぶりだ。本番は聴けないからとリハーサルに来ていたらしい。17時頃から夕食の弁当。リハーサルで疲労困憊していたが従兄弟が差し入れてくれた鯛焼きを5個も食べてやや復活。

副指揮者S氏のご実家差し入れのリポビタンDも2本飲んでから本番。2ステでは妻に持ってきてもらったキャップを被りオタクカメラマンに扮して走ったり1ステの「八木節」で中腰になったりしたからか太ももやふくらはぎがつり始めて幕間でストレッチしながら。

5ステで震えたところがあったが構わず声を出した。最後なのでffで。ロビーでは「いざ立て戦人よ」。上勝から来てくれた友人たちと挨拶した。ソウルからも同級生T氏が来てくれた。駅前で打ち上げ。秋田町でカラオケの妻や勝浦T氏と上勝T氏に合流し最後は「二等兵」。代行で3時に帰宅。

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© 2014 Takashi INAGAKI