2009年12月

1年間の初体験 (12月31日・木)


上勝で本格的な生活を始めた今年。20歳を越えて新しい経験をこれほどしたことはなかった。お茶スダチウコウの収穫に田植え稲刈り消防団に入って動力ポンプの点検も初体験だったし29日は「火の用心」とマイクを通じて言いながら地区内を回っての消防警戒に参加した。

ビニールハウスの産直市を作る作業をしたのも楽しかった。でも初体験と言えば何と言っても11月3日の秋祭りでの奉納劇だ。地元のN氏やT氏と話をして台本を書いて何日も準備をし実際に劇が行われてそれが20年ぶりの奉納劇だったというのは私にとって大きな経験だった。

徳島男声合唱団「響」の定期演奏会も大きなイベントだったが定演自体は今までにもあったので3月の「三田はもらっせ」での最優秀賞の方が記憶に残るような気もする。でも私にとっては2月の全四国男声合唱フェスティバルでの180人の合唱の方が感動は大きかったかも。

鎌を使った草刈り草刈り機での作業も生まれて初めて。1年前に書いたとおり一度にこれほど多くの人と知り合ったのも会社に入った21年前以来だが今回は年齢層のダイナミックレンジが広い。その人たちと一緒に作業して飲んで話して。そうやって今を楽しく生きていることに感謝。

『図解 神道がよくわかる』 (12月30日・水)


紀伊国屋で見た中で一番分かりやすそうだったのがこの本。迷った末に結局アマゾンで買った。菅田正昭『図解 神道がよくわかる―日々の暮らしに生きる神道の教えと行事』(日文新書)。古事記の神々といった定型的な内容がないのが良い。

阿波の国は古事記において大宣津比賣(おおげつひめ)と称されるがこの神名の「け」は食物のことを指す。食物を取ることは「気」を取ることで「気」が「枯れる」と「穢れ」になる。こうした日本語の語源から神や神道の精神を解説していて理解が進む。

祭りで最も本質的で重要な儀礼は「神人共食」であるとも書いている。神を饗応すると同時に神のエネルギーを頂くことでもあると。「言い換えると、マツリとは神と人とが生命を更新する儀礼であり、これを象徴するのが食であったのだ。」(p.59)

正月は新年の神(年神)を迎える神事であって鏡餅やしめ縄は神座や依代であり年神は新しい年の霊魂を運んできてこれが本来の「年魂=年玉」であると。祝詞や神社全般や伊勢神宮の解説もあって全体的には総論的だがピンポイントで読むと面白い。

実験レポート (12月29日・火)


大学時代の思い出。金曜はKBS京都のMTVを2時50分まで見て寝た。他の日もFM大阪の放送が終わる3時に寝ていたが実験結果をまとめるときは徹夜になった。大学1年と2年のときに実験科目があり午後から半日の実験を経て2週間でレポートにまとめる必要があった。

実験で取得した生データを表にしたりグラフにする。グラフにすれば見えてくることがあるが通常のグラフにするか対数グラフにするか目盛の打ち方をどうするかと最初に考える。グラフの描き方にはルールがあり3種類のロットリングで線の太さを変えてグラフを作る。

この作業が意外に大変で修正液で直したり描き直したり。さらにグラフを見ながらレポートにするのだが書式に収めるためにまた悪戦苦闘する。ワープロは市販されていたが当時の私は手書きである。下書きを書いて万年筆で清書するにも時間が掛かる。

と書きながらも当時の作法はすっかり忘れた。基本的に学術論文の作法に則っていたはずなのだが。ただしグラフの描き方だけは少し覚えている。目盛線の太さや文字の太さは決まっているのだ。学術論文の様式を私は嫌いではない。

ブク (12月28日・月)


地元の秋祭で奉納劇をやったとき劇の発案者N氏は準備も含めて神社に来ることがなかった。1月ほど前に母上が亡くなったからだ。身内が亡くなると1年間は神社に行ってはいけないらしい。それは私の最初の奥さんが母上を亡くしたときに初めて聞いて彼女も神社を避けていた。

その期間を上勝では「ブク」と呼んでいる。その云われや語源が分からなかったのだが東京・新宿の紀伊國屋書店で神道関係の本を選んでいて知った。「服忌(ぶっき)」なのだ。江戸時代は幕府が武士に対して服忌令を出して身内の不幸に対する対処を定めていたらしい。

Wikipediaの記事を援用すると服忌令においては亡くなったのが親の場合は50日が忌で死者の穢れが他者に移らないよう家に籠りハレの行事に参加してはいけないとされるらしい。もちろん祭はハレなので避ける。一方13ヶ月間は故人への哀悼を表す喪の期間らしい。

それが1年と混同されたのだろうか。新年の挨拶も同じか。私が見た本によれば忌中でもお祓いを受ければ神社に行けるらしい。地域の習慣があればそれに従うべきとも書かれているが単に1年神社に行かないというのは本来のハレと穢れの思想からは離れているように思うのだが。

年賀状 (12月27日・日)


遅ればせながら年賀状の制作に取りかかった。昨年までの数年間はJ社の「楽々はがき」で裏面も作っていたが印刷が面倒なので今年は富士フイルムのサイトから調達した。その分の料金はかかるが手間を金で買った。自分で印刷すればインク代もかかるが当然それよりも高い。

宛名面は「楽々はがき」で印刷しようとしたのだが私が持っている2004年版にはバグがあって送受記録が正しく表示されない。いろいろ工夫をしてどうにかしたが今度はプリンタの調子が悪い。1年に1度しか使わないインクジェットプリンタでハガキ裏面がツルツルなのが悪いと推測。

仕方なく手書きを始めて妻も共通の知人の分を担当してくれたが宛名だけで3時間。2人で延べ5時間。J社時代は日常業務が忙しくて年賀状まで気を回さなかったのに会社を辞めて結婚してから年賀状ぐらい出しておこうという気持ちが強くなって枚数は毎年増えている。

世間には同僚のときには出していて会社を辞めると出さなくなる人がいるが逆の方がいいと思う。今の私もそうなのだが将来の可能性の広がりは人との関係の多さに比例するような気がするし。それに過去に縁があった人と繋がっていることがうれしいとも思うのだが。

経済ヤクザ (12月26日・土)


山口組3代目の田岡一雄組長は組員に正業を持つよう奨励したそうだ。仕方なくヤクザになったとしても賭博などはいずれ廃れると見て経済的に自立することを促したと。さらに組織を大きくする一方で子分を持たず経済活動に専念する企業経営者を舎弟として取り立てたとも。

こうした経営者または企業を経済ヤクザと呼ぶ。ヤクザが経済活動をやっているわけだが逆に一般企業であって行動はヤクザという人が現実に多いように思う。手段が暴力を背景にするか子会社いじめのような優越的地位を背景にしたものかの違いだけであって。

例えば私がD社の時代に経験したソフトウェア販売契約におけるJ社の振る舞いなどは圧倒的に力が違ったJ社による子会社いじめのようなものだった。あの担当者は単に能力のなさと社内力学で無理を迫っただけであって彼やJ社をヤクザと言うつもりはないが結果は同じだ。

少なくとも妻が書いた大手広告代理店は当てはまる。朝日に他社が追随しないのは収入源である広告を牛耳る電通の圧力をメディアが恐れているからだろう。暴力であれ他の手段であれ企業活動を封殺しているのは同じ。そうした企業こそ経済ヤクザと呼ぶに相応しいと思う。

京都の宗教と新左翼 (12月25日・金)


京都の思い出。私が住んでいた25年前は市民の1割が大学生だったからか宗教各派が活発だった。信号待ちではモルモン教の外人さんに声を掛けられるし鴨川河原の芝生の上で本を読んでいて声を掛けてきた中年女性3人は創価学会の人だった。

韓国の文鮮明率いる統一教会の学生組織「原理研」の活動も活発だった。大学には宗教組織からの勧誘に対する警告文が常に掲示されていた。学内でビラを配っていた原理研の人たちに新左翼の活動家が殴りかかって乱闘になったという話も聞いた。

つまり新左翼活動も活発だった。私の周辺は中核派が主流だったように記憶しているが京都大学では内ゲバと思われる殺人事件も起きた。祝日の京都大学で掲げられた日の丸にペンキが掛けられて「赤旗」になったのは共産党の学生組織「民青」の仕業だろうと噂された。

大学の門に机を積み上げるバリケード封鎖も1度経験した。工学部の実験で帰りが遅くなった私はバリケードの横から外に出た。全学連がデモ行進をしたときは見学にも行った。公安警察が撮影するビデオに映らないように遠巻きに見ただけの私は心情左翼のノンポリだったが。

A社のU氏と阿南高専と2年目の始まり (12月24日・木)


A社の中でも著作権法の専門家U氏が来徳。先週東京で「来週徳島に行きます」と聞いて徳島駅前のホテルを予約していたのを「うちに泊まればいいじゃない」と半ば強引に誘い水曜最終便で来た彼を徳島空港でピックアップ。鳴門の「あらし」で刺身を食べて上勝に。

木曜午前は上勝案内。射手座造船所に行ったりゴミステーションを見学したり。いっきゅう茶屋で早めの昼食。今日はU氏のアテンドなので朝からスーツ。きつくて何着か試して一番楽なものを着たのだが思い出してみると上勝でスーツは初めて。会う人ごとに珍しがられて恥ずかしい。

13時ちょうどに阿南高専。今日はU氏が教職員向けに講演をするのだ。私も聞いて講演後に教師のMさんと雑談。彼女とは上勝の棚田オーナーで知り合ったのだが私と中高が同じで2つ年下。一方で担当のH氏は上勝のAちゃんの元上司らしい。「さっきまでT岡さん来てたんですよ」と。

U氏は18:45発の飛行機を予約していたが17:00発の20分前の2分前に空港に到着して便を変更。さてU氏は私が上勝で会う人のほとんどと知り合いであることに驚いていたが私たち夫婦の上勝生活はちょうど1年前から始まった。1年で友だちが大勢。皆さん本当にありがとう!

ホテル (12月23日・水)


東京で泊まったのは「ホテルモントレ半蔵門」というところ。1晩目と2晩目の帰りの便利さで選んだ。三軒茶屋か渋谷か赤坂見附か飯田橋か九段下と探していって半蔵門。2連泊で1泊あたり7,000円の安さも決め手。地下鉄出口から徒歩1分。きれいでいいホテルだった。

それにしても半蔵門で1泊7,000円は安いと思う。J社時代は毎週東京で1〜3泊していたけど95年ぐらいまでは旧・五反田センターホテルが定宿だった。ロータス本社と反対側。ソニー本社側出口の風俗店街にあり古くて汚かった。1泊8,500円は当時としては格安だった。

当時J社のホテル代は確か12,500円とかの定額だったから安いホテルほど小遣いが増える。出張手当は平社員で日帰り1,500円に1泊2,500円とかだったから五反田センターホテルに泊まると1泊2日の出張で8,000円の臨時収入があったことになる。2泊3日で14,500円。

新宿東口すぐの旧・新宿セントラルホテルもよく泊まった。10,500円ぐらいだったか。そのうち会社契約のアートホテルズの浜松町か大森に泊まるようになった。新築16,000円ぐらいの部屋が1万円ぐらいだったような。調べてみたらどのホテルも当時より格段に安くなりデフレを実感。

ヤクザ (12月22日・火)


子供の頃にヤクザは身近にいたような気がする。実家の隣に昔あったアパートにヤクザが住んでいてマージャンの音がやかましいと父が怒鳴り込んで行ったことがあるらしい。ちなみに喧嘩直前に母がバケツの水を掛けて収めたと父が回想していたが母は否定している。

小学校3〜4年生のときだったかクラスにヤクザの子がいた。放課後に遊ぶことはなかったが学校では仲が良かった。何かの工作のとき前日ピアノ線を若い衆と徳島まで買いに行ったと言っていたのを覚えている。制服が上等だったから金持ちだったのだろう。

徳島は田岡3代目の出身地で神戸からも近かったからか4代目襲名式は鳴門で行われた。全国から親分衆が集結して大問題になったからよく覚えている。岡崎海岸のホテルだったと思う。1984年7月というから私は大学時代で京都の下宿でテレビを見ていたのだろう。

阪神淡路大震災のとき総本部前で備蓄食料を被災者に配布したニュースを見て感動した記憶もある。10カ所で炊き出しを行い夜警団を組み11億円に相当する救援物資をヘリやクルーザーなどで運び込み被災者に配ったそうだ。かように弱者救済が任侠の本来の姿なのだろうが。

『山口組概論』 (12月21日・月)


徳島出身で日本一になった人は2人いて1人は内閣総理大臣・三木武夫でもう1人は山口組3代目組長・田岡一雄。子供の頃に父がそんなことを言っていた。それもあって田岡3代目への関心はあったし山口組に関する報道はよく見たが情報が断片的でよく分かっていなかった。

それで読んだのがこの本。猪野健治『山口組概論―最強組織はなぜ成立したのか』(ちくま新書)。山口組の誕生から現6代目体制までの網羅的な通史である。この手の本の常か暗部についてはあまり触れておらずバランスは悪いが概論と割り切れば分かった気にはなる。

神戸の港湾労働者の組織が山口組の原点だが田岡一雄が組長になったとき戦時体制で弱体化して組員は20人ぐらいだったと書いてある。朝鮮人や被差別部落出身者など社会が受け入れない弱者を庇護する意図が田岡3代目や歴代幹部にはあったとも。

芸能界との歴史的関係もよく分かった。現在は厳しい取り締まりによって以前なら組織の中でワルが見えていたのに組織が見えにくくなっている問題点も指摘されている。本書は山口組やヤクザのことだけでなく事件報道では分からない社会を見ための別の視点を与えてくれる。

帰宅とDMメールと地元への感謝 (12月20日・日)


実家で上勝のSさんや妻よりも遅れて起きて朝ご飯。正午過ぎに上勝に戻ってきた。一旦買い物で隣の勝浦まで行き昼食も食べ戻ったのは15時頃。そこから出張の片付け。ノートパソコンから送信したメールで自分に送っていたなかったメールを自分宛に再送したり。

昨日の実家では2度しかネットにアクセスしなかったのにドコモ通信料が昨日だけで900円。相変わらずDMメールが届くので片っ端から購読解除をしていった。ヨドバシもアマゾンもJALも。これで全てのDMメールは購読解除したはずと思いたいが。

DMメールを解除する中で改めて分かったことだがソースネクストには嫌悪感を抱く。12月7日にDMメールの解除手続きをしたら15日に「500円割引券」をメールで送ってきた。しかも期限は15日当日。この嫌らしさは前にも書いた楽天のお利口さに通じる。

さて夕方にS氏がみかんをくれてHさんは伝言ついでにナマコを持ってきてくれ次にMさんは大根や芋や柚子など。夜はS氏宅で飲み始め結局途中から我が事務所で飲んで午前2時。地域のことを教えてくれて気持ちを支えてくれる今の仲間に感謝。本当にありがたい。

新宿で書店と鳴門でのライブ (12月19日・土)


今朝はゆっくり寝て11時前にチェックアウト。九段下経由都営新宿線で新宿三丁目。紀伊国屋とジュンク堂で1時間半いて神道関係の本を探したが意外に少なくてびっくりした。仏教やキリスト教の1/10ほどではないか。結局何も買わず13時頃新宿を出てJR品川経由京急で羽田。

14:55発という中途半端な時間の飛行機だったからか帰りもガラガラ。飛行機に1人で乗るとき席はたいてい中央の奥側の通路側にするのだが途中で窓際席に移って上空から深く冠雪した富士山を見た。徳島空港には母に迎えに来てもらい一旦実家。

19時過ぎに上勝から運転してきた妻と同乗の上勝S氏と実家で合流。母に送ってもらって鳴門中心街で3人で食事。なんと「響」マネージャのS子さんがお友達とお食事中。隣のテーブルで私は生ビール3杯飲んだ。S子さんに1時間遅れで向かいのライブハウス「D-BOX」へ。

20:15頃から3つのグループの音楽を聴いた。お目当ては友人のZ嬢とM嬢/Y氏。ドラムスは元同僚のI氏。聞けばキーボードのK氏も実は元同僚でしかも私の親友にして故・大道正徳と浜松で同僚だったと。他のバンドの22歳の子とも大いに話して徒歩で午前2時前実家に帰宅。

東京のA社と神楽坂での忘年会 (12月18日・金)


慣れないホテルなもので5時半頃起床。9時ごろ半蔵門から地下鉄に乗ったのだが女性比率がやけに高い。車両は永田町での乗換を考えて最後尾。この路線は女性が多いんだと発見したような気分でいて女性専用車両だと気づくまで約5秒。慌ててホームに下り車両を乗り換えた。

でも男が1人いたけどなぁ。間違いに気づいていないのか確信犯か。もしかして地方から来ていてルールを知らないのかも。さてA社に9時半過ぎに着いて原稿を2件送付。お昼は常連だった蕎麦屋に徳島出身のK氏と行ってざる蕎麦。夕方にも慌ただしく短い原稿を送付。

合間に銀行ATM。まず徳島にATMさえない三井住友。残金を引き出し三菱の口座へ。次に三菱ATMで会社口座から現金をおろし郵便局で税金の支払い。東京都と徳島県に住民税と消費税を国税庁に。上勝町分だけは郵便局で受け付けてもらえず徳島に帰ってからになる。

夕方ヨドバシ新宿店に行って夜は忘年会で神楽坂。2次会のカラオケも。忘年会最盛期だけあって神楽坂は結構な人出だった。ところが飯田橋から有楽町線がなかなか来ないと思っていたら人身事故だとホテルに戻ってから知った。年末だし死にたい気持ちは分からなくはないが。

東京で義母のマンションと名西酒蔵 (12月17日・木)


10時過ぎに出て空港で昼食。車の保険の更新で元同僚のT氏に来てもらい慌ただしく契約書にサイン。飛行機はガラガラ。羽田で京急に乗ろうとしたらパスモで改札が開かず聞けば半年使っていないとロックされるのだとか。磁気が死んだかと焦ったが窓口であっさりロックは解除。

京急で新橋乗り換え銀座線で赤坂見附。顧問税理士を訪問して上勝の話1時間。上勝町・H場さんの名前が入った法人住民税の納付書をもらってきた。そのまま有楽町線でA社。1時間半ほどいて一旦ホテルにチェックイン。荷物を置いて東急・田園都市線で駒沢大学駅へ。

昨年まで住んでいた上馬5丁目のマンションまで歩いて一旦通り越して世田谷通りまで歩き引き返して義母のマンション。テレビ台の足を応急修理しながら雑談1時間弱。義母は体が弱ったと盛んに言うが元気そううでホッとした。地域の老人会で嫌がっていた部長にさせられたらしい。

そこから隣町の三軒茶屋まで15分歩いて徳島にはない三井住友銀行で記帳だけ。20時前に「名西酒蔵」。昨年GW徳島に行く前に神山町長を紹介してくれた若い大将のお店。この店を最初に教えてくれた元同僚で後輩のT氏とは昨年11月以来で情報交換諸々。23時半頃ホテル着。

雪と出張準備 (12月16日・水)


上勝では朝に雪が降っていたらしい。私が表に出たときには止んでいたが郵便局に行くため車に乗ったら正面に見える山がうっすら白かった。そんなわけで寒いのである。妻が昨日から日中は別のところで働いているから事務所には私一人。ところが仕事が全然はかどらない。

今週から来週にかけて原稿の締切が合計3件。論旨が決まっていて材料があれば書くこと自体は私の場合は苦にならないし時間も掛からないと思っている。それでも時間が細切れだと集中できず不毛な時間が過ぎていく。大した分量でもないのに焦る。

昨日は妻が午後から携帯電話を忘れて行った。事務所に掛かってきた電話の相手に妻の携帯電話番号を教えて掛け直してもらったら目の前で着信音が鳴ってびっくりした。仕方がないので携帯電話を妻の元に届けに行ったり。

さて明日から今年1月以来の東京出張。仕事先の皆さんと年に1度ぐらいは会っておきたいと思い。それで今日は出張準備も。勝手にWindows Updateなどが走らないようにネットブックの設定をしたり仕事のファイルをコピーしたり。東京も寒いらしいからコートを着て行くかな。

『神道用語の基礎知識』 (12月15日・火)


1月ほど前の週刊文春で『超訳 古事記』という本が紹介されていた。著者は徳島の阿南市出身で興味を持って調べていて買ったのがこの著者の別の本。鎌田東二『神道用語の基礎知識』(角川選書)。ちょうど地元の秋祭で行われていることの意味を知りたいと思っていたし。

『古事記』については前に講談社学術文庫版梅原猛版で読んだのでストーリーや神々の説明は飛ばし読んだ。本書の内容は神道について網羅しているのかも知れないがそれだけに深くはない。ただし無知な私は初めて知ることも多い。例えば「祭り」の語源。

第1に「(神霊の訪れを)待つ」こと。第2に服従するという意味の「まつろう」。第3に「奉る」とある。神社は仏教寺院の影響で建てられるようになったが元は祭りのときだけ降霊する神を奉る清浄な場所があるだけだったと。そういえば岡本太郎が同じことを言い私もシャスタで思った

神の語源は「上」「隠身」「輝霊」「鏡」「火水」「噛み」と諸説ある。定義は本居宣長によると「尋常ならずすぐれたる徳のありてかしこき物」。神道には教祖も経典も教理も教団もない。「日本列島民に醸成されてきた『存在感覚の様式』の歴史的編成」とする著者の説明は納得がいく。

DMメールの整理 (12月14日・月)


先日FOMA通信カードを使ってインターネット接続してメールを受信したら約1,000円の最低固定通信料のうち600円ぐらいを使ってしまい驚いた。メインパソコンでの設定でメールを受信後1日間サーバーから削除しないようにしていたのが悪かった。大量の既読メールを受信したのだ。

そのほとんどが実はDMメール。今まで深く考えずにDM配信をOKしてきたが数えてみたら1週間で受信したDMメールは150通近くあってさすがに多すぎると見直しを始めた。実際に届いたDMでHTMLメールは無視しているし内容を見るのはアマゾンとヨドバシぐらいだったもので。

その過程で東急カードのポイントが350ぐらいあったのを発見。PASMOカードへのチャージに利用して貯めたものだと思うが特典を得るための単位ポイント1,000に至らないまま東京を離れてしまい350ポイントが無駄になった。大した額ではないが何となく悔しい。

せっせとメール配信の解除手続きを進めて多分もう20件ほど。何を解除したか分からなくなり小休止。日経BPのメールニュースも解約。ニュースサイトの情報はRSSでの配信で十分。さて封筒のDMが読まれるのは2%と昔聞いたことがあるけどメールの場合はどうなのだろう。

再開した合唱の練習 (12月13日・日)


「響」の定期演奏会が終わり10日だけ休んで練習が再開。次の本番は2月のアンサンブルコンテスト。県内の様々なグループが少人数編成で歌う。「響」は「巨人の星」「タイガーマスク」「アタックNo1」のメドレー。私は「パ〜パララパッパパー」に始まり「ブンブン」歌っていればいいみたい。

次は4月の「春爛漫♪コーラスジョイントコンサート〜耕さんと四国のゆかいな仲間たち〜」。作曲家の松下耕氏を迎え松下氏の楽曲を歌う。四国4県が持ち回りで開催していて来年は徳島の阿南市でコンサート。四国から10の合唱団が参加する。今日チラシをもらってきた。

今年2月のイベントは四国の男声合唱団が集合したが来年4月は混声合唱団が多く女声合唱団も3団体。男声合唱団は「響」だけ。そんなわけで合同演奏は混声曲。混声合唱を歌うのは1998年12月以来。今回は全く新しく覚える9曲を歌う。

そのうち「響」単独ステージは「彌三郎節」。青森民謡を松下氏が編曲したものらしい。音取りを始めたが音もさることながらリズムが難解。またゼロから始めるわけで気持ちが萎える。もう少し定演の余韻に浸っていたい感覚だが仕方ない。本番は2ヵ月後と4ヵ月後に迫っている。

元PC WEEKのT本氏 (12月12日・土)


「ネトラン」編集長の武本氏は私の2〜3歳下だったと思う。運のいいヤツでJ社の社長がサンタクロースの格好をしたとき彼は偶然取材に来ていて写真をPC WEEK誌に載せたはずだ。そんな偶然がよくあった。彼との電話は諸々の情報交換で1時間ぐらい話すとこも普通にあった。

彼は一見ヲタクだったが実は記者として極めて優秀で熱心だった。彼は情報が持つ価値を理解して私が持つ情報を引き出しにかかると同時に彼も私に情報をくれることが多かった。そういう神経戦は楽しくもあり私は彼を信頼して際どいリークもした。

こうした関係には私が彼から教えられたことが背景にある。ソフトバンクが泉岳寺にあった1990年頃。私は入社2〜3年目。品川で飲んだとき他社の動向やメディアのことを酔ってさんざんに質問した。そして聞いたばかりの話を私はトイレで小便をしながら必死になって手帳にメモした。

そうやって私は彼から教えられたことを自分の血肉にした。そういう意味で私の広報担当としてのキャリアを支えてくれた人物の一人である。メモをせず業界の相関図が頭で描けるようになってからも情報交換は欠かさなかった。ある意味で仲間だった。だから彼の動向が気にかかる。

※泉岳寺の居酒屋で広報について教えてもらったのは1990年12月4日(火)17:30〜23:00だったと出張報告書から判明。(2022年5月1日追記)

「ネトラン」の休刊 (12月11日・金)


月刊誌「ネトラン」が休刊した。IT業界ではそれなりのニュースになったがインターネットを使った違法に近い際どい使い方を「悪用厳禁」という謳い文句で掲載していた怪しい雑誌だ。私の本業においては歓迎する事態だが社長の動向が気になる。

元々はソフトバンクが出版して「ネトラン」と略称されていた「ネットランナー」誌が休刊して当時の編集長がスピンオフして出版社を設立して発行したのが現在の「ネトラン」だ。そのソフトバンクの元編集長にして現発行会社の武本佳久社長と私は実は一時期飲み仲間だった。

彼は大阪の旅館の息子だったが香川大学を出てソフトバンクに入社した。大学時代は四国女子大学周辺まで出張ってナンパに精を出していたらしい。ソフトバンク入社後はタブロイド週刊誌「PC WEEK」の編集者として活躍した。いい加減なヤツだが仕事はできた。

私がJ社時代に接した記者のうちインタビューのうまさで3本の指に入る。ネトラン創刊のお祝いに電話をしたが双方行き違いで最後に会ったのは私が福岡から東京に行ったばかりの2000年の目黒に遡る。彼との付き合いはいつも強烈だった。これからどうするのだろう。

決算 (12月10日・木)


2006年11月に設立した私たちの会社は10月に第3期の決算を迎えた。10月までの経費が出揃った11月下旬に弥生会計のデータを顧問税理士に送っていたら何度か質問のやり取りのあとメールで送ってくれて決算が確定した。第3期にして初めて単年度黒字を計上した。

と言っても減収である。黒字になったのは私たち2人の役員報酬を大幅に引き下げ上勝に引っ越したことで家賃が下がったからだ。減収に比例して外注費も下がった。そして赤字続きで資本金を累積赤字が上回る債務超過だったのだが第3期で純資産がプラスに転じた。

さて減収の理由は妻のマネージメント事業で東京のときのような活動ができなかったからだが実はそうなることが分かっていたから上勝に引っ越したとも言える。減収になることが1年前から分かっていたから先手を打った。ところが予想より意外に減収幅が小さく営業利益率が8.8%。

としたところで役員報酬の未払金が累積しているし短期借入金もある。累積損失があるから法人税はゼロだが住民税と今年初めて消費税を納入する。11月から始まった今期はさらに減収予想で役員報酬をもっと引き下げるべきかどうか検討中。やれやれ厳しいなぁ。

Google日本語入力 2 (12月9日・水)


今日もGoogle日本語入力を使って書いている。半角英字の入力後に大文字にすることだけが問題だと書いたがあっさり解決した。TABキーを押せば変換候補が表示されるからその中から選べばいいだけだった。操作方法は変わるがいずれ慣れるだろう。

それと入力中から変換候補がどんどん出てくるから特にキーボードに慣れていない人にとってはATOKより使いやすいと思う。ただし正しい言葉を使うにはATOKが安心だ。ATOKの辞書開発経験もある日経パソコンの八木記者も「Googleは仕事では使えない」と書いている

さて両者の変換を過去の日記など6種類の文章で比べてみたらGoogleの誤りは2つ。「今期」を「今季」。「買おうとしたら」を「花王としたら」。一方ATOKは間違い4つ。「今期」を「根気」。「受賞した画家の絵が」が「受賞したが庚が」。「対談」が「退団」。「近藤紘一」は「近藤公一」。

いずれも未変換のまま入力して一気に変換させた。特に人名などの入力はGoogleが優れている。Googleだと間違った日本語を使う可能性は開発者も認めているが言葉の判断は私自身が行う。結果Googleの方が入力時間は短縮できるというのが今のところの私の感想。

Google日本語入力 (12月8日・火)


パソコンでの日本語入力システムとして私は学生時代以来23年間ATOKを使い続けている。日本語入力システムはキーボードから入力した文字を漢字かな混じり文に変換するソフトだ。Windowsパソコンに最初から入っているマイクロソフトのMS-IMEというソフトもある。

でもMS-IMEはマイクロソフトの元社長が嘆くほど日本語変換がおバカで使い物にならない。仕事でパソコンを使う人はたいていATOKを買っているはずだ。ATOKは毎年バージョンアップをしていて最新版の発表が今日あったようだが私が使っているのは2006年版。特に不自由はない。

ところが検索エンジン大手のGoogleが日本語入力システムのβ版(開発途上版)を先週公開した。ニュースレビューで知って早速ダウンロード。先週金曜から使っているがATOKに引けを取らない変更効率の高さに驚いている。最先端の流行語やマニア語の変換も面白い。

ATOKユーザーの私は半角英字を入力後に先頭だけ大文字にするJ社の言う「Aa変換」を頻繁に使うがCTRLキーに割り付けられていないことだけは引っかかる。でも問題はそれだけ。タダで使えるから少なくともMS-IMEユーザーは乗り換えれば文章入力が断然楽になると思う。

『忘れられた日本人』 (12月7日・月)


昨年読んだ『日本文化の形成』がやたらと面白くこの著者の本を買った。宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)。民俗学者の著者が昭和14年から戦後にかけて日本全国を歩いて見聞きした庶民の生活を昭和30年代に発表したものを再構成した13編からなる。

昭和10年代の老人から彼が若い時のことを聞いた話も多い。中でも夜這いのことは面白い。たいてい親は納屋で寝て子供は台所にいたから戸に小便をかけて音を消し板間に帯を敷いて足音を消し髪の匂いで娘を見つけたと証言がある。美人と聞けば仲間と遠方でも出かけたと。

盲目の乞食になった土佐の老人の回想も凄い。夜這いで生まれた子として祖父に育てられたが母や祖父が死ぬと家がなく村の若衆に入れず極道に。子供の頃には子守の娘たちと楽しんだが若衆でないため村の掟で夜這いに行けず独立後に後家や地主の奥さんと通じたという話。

そうした回想の中に昔の庶民生活が垣間見える。村に課題があるときは戸主が全員参加して時に数日もかけ延々話し合い話題はあちこちに飛びながら合意を形成したのだとか。これらの話は昨年書いた単位系によれば私の2〜3人生前。とても面白い。お奨め。

ジャストシステムという会社は存在しない (12月6日・日)


U氏の言う通りJ社創業者が株を貸した相手がAMだとすれば創業者夫妻もまた情けない。J社が90年代後半から凋落を始めた理由はさまざまあるがAMはその端緒にいたと私は認識しており創業者夫妻が今もって彼と付き合っていたとすればその態度は最低なものだと私には映る。

それでも会社は存続している。ところが現在のJ社の態度もまた情けない状況にあるらしい。今回の創業者退任に際して私はメディアにいる複数の人と連絡を取り合った。そこで情報交換する中で彼らからはJ社に対して極めて厳しい言葉を聞いた。

最もショックだったことは「J社は過去から現在に至るまで存在しなかったことにしている」というものだ。それは社長交代に当たって取材を依頼しても一切応えないJ社の態度に呆れ諦めたものだ。広報の現場は努力しているとも聞いた。でもあの会社は広報責任者が癌なのだと。

年が明ければ主力製品の新バージョンをまた発表するのだろうか。メディアの依頼は断るが新製品の情報は書いて欲しいというご都合主義が通じるかどうか。そんな会社は存在しないとまでメディアに言われる中で売上責任を負わされる営業担当を思うと気の毒になる。

徳島の焼肉 (12月5日・土)


木曜は徳島に焼肉を食べに行った。東京時代は近所に4軒あった焼肉屋のうちたいてい2軒に交互に行っていたが徳島では過去のデータベースが役に立たず。というより街中の焼肉屋に私は行った記憶があまりない。今回は妻が調べた「なかむら」という店に行ったがこれがヒット。

徳島ではA社のボスが「カルネ屋」によく行ったと言うのだが私は同行した記憶がない。先日はB氏とM嬢と妻と4人で行ったがやはり思い出さない。その前に妻と行った店は全国チェーンで今ひとつだった。昔は接待を含めよく行った韓国焼肉店は友人から最近の評判を聞いて避けた。

それでも徳島で焼肉に行くことはなかったわけでもない。友人とよく行ったのが三軒屋あたりの「F」という店。「F」にはいつも車で行って生ビール2杯ぐらい飲んで平気で運転して帰っていた。塩タンが美味しかった。でも近くを通るたびに探したのだけどもうなくなっていた。

先日行った「なかむら」も塩タンが絶品。BSE問題でタンの値段が上がったことをきっかけに最近は食べてなかった。ここで食べると他で塩タンは食べられないかも。ただし値段は高め。でもわざわざ街に行くのだから仕方ない。美味しい店を見つけ喜んでいる。

上勝のインターネット環境 (12月4日・金)


今日正午頃アップした日記に書いたインターネット接続不能状態は11時半には復旧していたらしい。復旧を知らずFOMA通信カード経由でアクセスしたが実は事務所内ではドコモの電波が入らない。だからレノボのネットブックを持ち出し寒風の中を駐車場でメール受信などを行った。

NTTから原因と対策についてメールが届いたのは夕方。原因は「上位ネットワーク回線の異常負荷」で「異常発生元への負荷停止措置」を執ったとあるがこれでは何も分からない。上位回線が何に当たり異常発生元は何だったのか。個々にとれる対策があるのかないのか。

夜になって広島の福山からN君が「誰かがハブでループさせたなどブロードキャストストリームが原因ではないか」とメールをくれた。うーん。私には全く分からない。さて勝浦郡内でインターネットは月2,698円。通話料8円/分のIP電話込みだから徳島市内の同サービスの6割程度。

でも障害発生時の対応で本当の信頼度が分かる。結局のところ競争に揉まれていない地域限定サービスを使わざるを得ない点で上勝のインターネット環境は「安かろう悪かろう」だった。逆に言えばサービスは悪いが料金は安い。2,700円なりのサービスと納得しておこう。

勝浦郡内アクセス不能 (12月4日・金)


(この日記は4日正午ごろにアップしました)
上勝町のインターネット接続が現在できない状況にある。4日午前0時を回ったあたりで接続不能になった。昨夜は非常に細い100bpsにも満たない速度だが接続はしていて断線しているわけではなかった。役場からネットが使用できないことが今朝10時過ぎに防災無線で放送があった。

私がアクセスしているプロバイダは勝浦郡内だけをカバーするNTTだ。パソコンのネットワークコンピュータを見ると勝浦町の他人のコンピュータ名が何台か見ることができるから勝浦郡内で巨大なLANが構成されているのではないかと想像している。

だとすると原因はウィルスに感染したパソコンが多数あるからではないか。あらゆるIPアドレスにパケットを吐き出し続けるウィルスが2003年頃に流行ったが私のルータはWAN側インジケータが猛烈に点滅している。外部からパケットが送り続けられていると解釈しているのだが。

かつてD社で同じことがあった。ウィルスに感染した私物パソコンをLANに持ち込んだバカがいたからだ。原因が同じなら対策はパケットを吐き出し続けているIPを特定してウィルス対策を施すことだと思う。とりあえず私は先日買ったFOMA経由でこの日記をアップしてみた。

U氏の解説 (12月2日・水)


定演の翌日の夜。先月に続き米国から一時帰国している元同僚のU氏と会った。妻と3人で秋田町に行き「六右衛門」で飲みながら。前回会ったのは上勝に越したばかりの昨年末だが3人で会ったのは昨年11月の東京。今回の話題は今の仕事のことと今後のこと。それにJ社のこと。

U氏は当時の文系大学生の就職先人気トップ10に入っていた国内トップの生保と損保に勤め米国ニューヨークのウォール街で機関投資家として働いたこともある株式投資のエキスパート。それでJ社が投資家向けに10月立て続けに開示した情報の意味について解説してくれた。

U氏は一連の開示情報を見て株を貸した相手が誰か想定していたらしい。それは97年にJ社が株式を公開する前に外国人投資家向けの説明のため当時の社長らと海外出張する中で感じていた違和感があったからだと言う。その違和感の内容はU氏ほどではないが私も分かる。

そしてこの日記で紹介した風穴江氏の記事を読んで貸株の相手を確信したらしい。その社名のアルファベットを私は「アセット・マネジメント」ぐらいに想像していたがU氏は名前のイニシャルだと直感したそうだ。言われてみれば。それで当時のあの違和感を私も強く思い出してしまった。

定演後 (12月1日・火)


今日は力が抜けている。妻に言わせれば燃え尽き症候群だと。あまりの集中から平素に戻った落差が激しい。昨日は車に乗ったときICレコーダーはもう必要なく聴く音楽に困ったし寝るときにもICレコーダが不要だと思ったら少し寂しかった。緊張が切れて風邪を引き始めた感じもする。

声もきちんと出ない。そしてつい定演で演奏した曲を口ずさんでいる。「ある真夜中に」だったり「一詩人の最後の歌」だったり譜持ちで歌った「Gloria」も。前回の定演のときは十分に歌えなかった理由で改めて同じ曲を演奏したいと思ったけど今回はただもっと歌いたいという感覚。

当日の日記に書いたが4ステが終わる最後の音をritしながら歌っているとき「これで終わってしまうのか。もっと歌っていたい」と思った。今までステージの終わりでホッとすることはあってもこんな感覚を持ったことがなかったから後からそのときの気持ちを思い出して一人で感動している。

それと妻がブログで「今回 一番良かったのは〜『響』のメンバーも楽しそうだった」と書いていてうれしくなった。練習途中は嫌気が差したこともあったし終わった直後はしばらく合唱から離れたいと思ったのに今また歌いたいと思い始めていることに自分自身が驚いているところ。


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© 2009 Takashi INAGAKI