2013年12月

帰省 (12月30日・月)


日曜は消防団の夜警で20時集合。いつもはポンプ積載車に乗って「火の用心」と集落中を1時間以上かけてアナウンスして回るのだが今年は雪が降ったので凍結路面が心配されて塩も撒いて回ることになった。

私は塩撒き班。軽トラの後ろを付いていったI氏の車に乗って適時降りて軽トラの荷台にある袋の中の塩を道路に撒く。日中に日が当たるところはいいのだが日陰は雪が溶けず凍結している。そういう箇所を次々と。

終わったのが21時半頃だったか。詰め所で24時まで待機して解散。帰宅して着替えたら電話で呼び出されてご近所のS氏宅。妻も一緒に行ってビールを飲み始めS氏のスパゲティやら料理をいただき激論エロ話を3時過ぎまで。

途中で帰ったのに妻と5時近くまでベッドで話をしてしまって今日は寝不足なのだ。午後になって鳴門の実家。19時に初めて行く焼き肉屋に弟と甥2人と母と6人。往復は寒い夜を甥のK君と3人で歩いた。甥2人の成長が目に見えておもしろい。

『宮本武蔵』 (12月29日・日)


吉川英治『宮本武蔵 完全版 』(ゴマブックス)をKindleで読んだ。6巻がセットで何と100円。ハワイに行く飛行機の中で読もうとKindleで買って実際に往復の機中で大半を読んでいた。その後の東京出張や就寝前に少しずつ読んだ。6巻あるからボリュームは大きいのだが面白かった。

物語は関ヶ原の合戦で新免武蔵(たけぞう)が敗軍の兵として生き残ったところから始まる。舞台は郷里である備前国美作宮本村や京や木曽路さらに江戸そして堺。江戸初期の京や江戸に堺の文化や風俗が詳しく書き込まれていてこれが結構面白かった。

登場人物は幼馴染みの又八やその婚約者で後に武蔵と相思相愛になるお通さらに郷里で乱暴者だった武蔵を開眼させる沢庵和尚そして武蔵への復讐に燃える又八の母お杉ばあら。武蔵とお通の恋物語でもあり孤児の城太郎さらに伊織という2人の少年と武蔵との師弟物語でもある。

長い物語だが同じ人物が繰り返し登場するから混乱することは少ない。一方で偶然が多くて物語に突っ込みたくなるシーンも結構ある。ストーリーを初めて知ったが一気に読める面白さ。巌流を称した佐々木小次郎との舟島での決闘で物語は終わるがその後のことも知りたくなった。

京元商事のお父さん (12月28日・土)


今年はもう一人お世話になった方が亡くなっていた。中高時代の親友の父上で東洋タイヤ卸「京元商事」のお父さんだ。5月に亡くなっていたことを夏になって聞いた。既に店は畳んでいたが長く商売をやっていた方だ。葬儀の列席者が多くて驚いたと友人が言っていた。

私の小中高大の学校時代を通じて友人の父上で最も多く話をした人だった。大学時代は阿南の蒲生田岬に毎年初日の出を見に行くのが恒例で中洲町の京元商事に集合していたし友人が帰省するたびに店舗のソファで話をするから父上とも話しをすることがよくあった。

それよりJ社に入社して自分の車に乗るようになって以来タイヤは京元商事で買っていた。峠の走り屋だった私は年に2回はタイヤを換えた。東洋タイヤのロード用で1番か2番目に高いモデルだったか定価1本36,000円をいつも4割引にしてくれた。タイヤの装着もお父さんにしてもらった。

そのたびにお父さんと世間話をするのである。日産シルビアを買ったのが1988年の秋。1995年にSUBARUインプレッサに乗り換えてからはタイヤ交換頻度は減ったと思うが10年にわたりお世話になった。年の終わりに改めて感謝の気持ちを捧げたい。ありがとうございました。

訃報続く (12月27日・金)


PDAの師匠M氏の死にショックを受けたが何故か悲しさがない。彼のそれまでの苦悩を思うとき同情はできるのだが自殺という行為が私には飛躍しすぎていて戸惑いの方が大きい。葬儀に出れば悲しさがこみ上げるかも知れないが事情があって葬儀も行われないらしい。それはそれで悲しいが。

そして訃報は今日も。高橋信頼氏が昨日亡くなったというのだ。念のために書くがJ社広報で私の2代後任あたりに当たる高橋氏とは同姓同名の別人である。亡くなった高橋氏とはFacebookの友達ではないが面識はあった。訃報は彼のFacebookに奥様が書き込んでいた。病気だったらしい。

その3日前に亡くなったPDAの師匠M氏が独身時代に私の妻が合コンを企画したことがあった。そのときM氏が若手を何人か呼んだのだが高橋氏もいたのではないか。彼とは仕事ではなく合コンで会ったのかも知れない。私と妻は付き合っていたが他は皆もちろん独身時代のことだ。

今年は1月の町職員の東ひとみさん。5月にJ社の先輩だった生原佳子さんと元会長の橋本昭さん。8月に高校合唱部OBの森泰人さんと尊敬していた先輩方が亡くなった。橋本会長を除く3人は50歳代前半だった。高橋氏とM氏はまだ40代。私もいつ死んでもおかしくない世代ということだ。

SNSのはかなさ (12月26日・木)


PDAの師匠M氏の自殺について考えながらSNSの儚さを思う。M氏とはFacebookでもツイッターでも繋がっていて毎日アップされる彼の投稿を読んでいた。読めば「いいね」をするしコメントを書くことも当然あった。彼も私の投稿にコメントを付けることが何度かあった。

Facebookでは2日前までの投稿を見ていた。3日前には私の投稿にコメントを残している。ツイッターでもときどき会話はしていた。探せば記録は残っているだろう。それなのに私は彼の異変に全く気がつかなかった。彼のFacebookを今になって読み返しても兆候は伺え知れないのだが。

つまり彼の心にあった覚悟なり望みはSNSでは全く発露されていなかったわけだ。ソーシャルネットワークサービス。そんなネットワークに意味があるだろうか。そんなソーシャルネットワーク特にFacebookなどは自慢したがりバカの落書き帳だと言うしかないではないか。

一方で。彼が自殺した4日前に私は東京にいた。そのとき彼と会って話をしたら何かが変わっただろうかとも思う。彼の気持ちを聞いたところで私に何ができたか。覚悟を聞けば翻意を促す努力を全力でしただろうが彼がそんな話をしたかどうか。Facebookにせよ何にせよただ空しいばかりだ。

PDAの師匠M氏の自死 (12月25日・水)


PDAの師匠M氏は自殺した。彼は私のこの日記を読んでいた。少なくとも東京時代は毎日読んでいた。死の前日まで読んでいたかも知れない。あぁ。そして私は彼が死を選んだ理由を知っている。2年前の夏に上勝に次男と遊びに来たときにも同年12月に会ったときにも事情を聞いていた。

今年2月にも新橋で飲んで彼が置かれている立場を聞いたのだった。そもそもツイッターでもFacebookでも繋がっていてときに会話もしていた。上勝TVにもときにコメントをくれていたし来年の夏にはまた次男と遊びに来るものと何となく勝手に思っていた。

2つある名刺の束の1つの一番上がM氏のものだと昨日書いたが20年以上の付き合いなので今さらM氏の名刺に関心はない。なのに何故一番上なのかと不思議に思ったのが昨日。M氏が自らを思い出してくれと私の意識に働きかけたとしか思えない。

私が上勝に移住してから東京で飲んだ相手はA社関係を除いて一番多いはずだ。東京時代は年2回ほど。15年前までなら2ヶ月に1回だった。彼の苦悩は知っていたが自殺との距離はあまりに大きい。そう思っていた私が甘かったのか。いろいろ問いたいことがある。既に空しいことなんだけど。

上勝5周年とM氏の死 (12月24日・火)


上勝に引っ越し住民票登録をして5周年である。東京に出張していた妻を徳島空港に迎えに行ったがクリスマスイブで雨模様。道路の渋滞が酷く到着はいつもより20分多くかかり10分遅れ。戻りも勝浦川橋まで標準35分なのに倍以上かかった。そこからコーナンで買い物をして。

その前に午後はCafe Polestarに行ったら上勝の仙人と言われるN氏と局長がいた。初対面の方は熊本のF氏。よく話は聞いていたが初めて会えた。次にT嬢が3番目の子を連れてさらにA子議員も合流して雑談。こういうのが楽しい。なるほどpolestarは地域の情報交換の場になっている。

その足で役場に行き現金を引き出し法人町民税を納め郵便局で消費税や法人税の納入。そして空港。夜は団十郎で焼肉を食べた。そう言えば5年前の東京最後の夜21日は義母と3人で「むぎばたけ」で焼肉だった。という感傷の前にコーナンで長靴を探しているとき電話を受けた。

相手は東京のF氏。上勝にも遊びに来たPDAの師匠M氏が亡くなったというのだ。前夜ニュースは見ていたが。私のデスクに名刺の束が2つあり1つの一番上が何故かM氏なのに昨夜気づいて彼の肩書きをまじまじ見た。あれは虫の知らせだったのか。衝撃の大きさに実は滅入っている。

忘れ物チェックリスト (12月21日・土)


今回の東京に出張するにあたって忘れ物が2つあった。一つは折りたたみキーボード用の単4電池2個。出張の直前に買ったのに出張の準備をしていたときに既に単4電池が必要なことを忘れていた。これはコンビニで買えるし実際にそうしたので大きな問題ではなかった。

もう一つの忘れ物は名刺入れ。仕事で出張に行ったのに名刺入れを忘れるとは。しかもこんなこともあるだろうと出張用のバッグのポケットに名刺を入れていたはずと探してみたがない。考えてみれば名刺を入れていたのは20年に買ったバッグで今回持って来たのは別のものだったのだ。

幸いにして仕事で名刺を渡すシーンはなく2日目の夜にT君夫婦と行った青山野菜基地でマスターに渡しただけで手帳に入れていた名刺でどうにか間に合った。それも残り数枚しかなく慌てたのだが。そう言えばマスクも忘れて有楽町のコンビニで買った。

そんなわけで出張中に忘れ物チェックリストを作った。以前忘れて行って切符をいちいち買う羽目になったのでPASMOカードは財布に入れっぱなしにしているがそれも含めて。バッグの中に入れた。年に何度も出張はないのでこのぐらいしておかないと自分が信じられないのである。

帰宅 (12月20日・金)


徳島に帰った。朝はゆっくり起きてチェックアウトは10時過ぎ。飛行機の出発まで2時間半もある。ただ昼頃から荒天という予報もあったので早めに出た。今回の出張は3日連続の雨。ただし今日は駅まで徒歩1分弱の距離を傘を差さずに行った。降ってはいたが大したことはなかった。

泊まったのはダイヤモンドホテル。地下鉄半蔵門駅に近く仕事で訪れる護国寺には永田町乗り換え。朝も夕もラッシュとは逆向きなので楽なのである。ただ宿泊料金は1泊あたり7,600円ほどで昨年より1,400円ほど高くなっていた。予約が遅かったからかバブルの前兆なのか。

羽田で昼食をとり飛行機に乗ったら知事が普通席の右斜め前に座っていた。子連れの若いお母さんも多かった。ご主人を残して早めの帰省なのだろう。徳島空港からは妻が前日に乗ってきて停めていた軽に乗った。事前に用意していたジムに寄って夕食は「こはくの天使」で。

上勝は雪が降ったとFacebookなどで知っていたのだが勝浦の気温は6度。路面凍結はないだろうと飛ばして帰ったら私の車のフロントガラスには雪が積もったままで驚いた。1日半空けていただけで部屋の空気も冷え切っていた。でもやっぱり上勝の我が家が落ち着くのである。

東京出張2日目 (12月19日・木)


小雨の中を折りたたみ傘でオフィスへ。といっても今回泊まっているダイヤモンドホテルは半蔵門の駅まで徒歩1分と掛からない。しかし風が強くて寒いのだ。事務所には9時半頃にい着いて10時頃から何となく打ち合わせ。

3人で気づけば正午のチャイムが鳴ってボスと昼食へ。蕎麦。帰りに講談社のロビーまで入ってみた。午後はまた打ち合わせを軽く。仲間とUstream のことを訊かれて答えたり。18時頃には撤収。一旦ホテルに戻ってから青山へ。

ここで元後輩で東京時代は家が近かったので何度か飲んだT氏夫妻と。妻も仕事で東京に来ているから合流して4人で久々に会った。彼らが観光に行った某所について妻が話を聞きたかったという目的。そのほか情報交換諸々。

1件目は南青山の野菜基地なるお店。何と上勝の地職住と関係があって昨日Cafe polestarにも行ってきたとマスター。しかも大学の後輩らしい。続いてCafe246。深夜でも客足が途絶えず。24時半頃解散。青山一丁目交差点から2方向に分かれタクシーを拾いホテル。

東京で税理士事務所と六本木で忘年会 (12月18日・水)


東京にいる。毎年恒例の忘年会と税理士事務所の訪問である。税理士事務所は午後に訪問するつもりだったが先方の事情で16:30に永田町。その前にホテルにチェックインしておいた。

去年までは一旦事務所に寄っていたと思うのだが永田町で終わったのが17:30近くでバッグも邪魔なので再びホテルへ。六本木の忘年会の会場へは直行した。

5年前まで通っていた半蔵門線で急行に乗ってしまい混雑するから永田町で降りたら仲間と合流。彼らについて行って六本木の豚しゃぶ。大食漢M氏の前に座ったのは不幸だったが楽しかった。

終えて5人で2件目に行ったが私は聞き役になってしまった。焼酎だったから悪酔いしないように慎重にゆっくり。今日は折りたたみキーボードを使っているが単4電池を忘れてコンビニで購入。冷たい雨の東京である。

石油ストーブ (12月16日・月)


事務所用の石油ファンヒーターを修理に出してから寝室用のファンヒーターを持って来て使っていた。同じメーカーだが暖房能力は大きくないもの。そうすると寝室はエアコンしかないのだが真冬の寒さには太刀打ちできない。それで石油ストーブを買った。

目的はむしろ災害用だ。ファンヒーターは停電になると使えない。ところが上勝では年に2〜3回も停電があって真冬に数時間以上も電気が止まることがないとも言えない。そんなときに備えて。もっと大きな災害にも役立ちそうだが灯油がないと使えない。

ストーブは先週土曜には届いて上勝TVが終わって同じものを使っているというT氏に組み立ててもらった。修理に出していたファンヒーターは土曜に直ったとの連絡があり日曜には受け取ってきたので今では朝に部屋を暖めるまでファンヒーターと兼用している。

届いてみたら意外に大きく灯油を入れると持ち運びが大変。給油は苦労しそうだ。とは言え昔ながらの単純な着火方式だったり火が見える機構には何か安心感がある。災害時には活躍してくれるだろう。ただし灯油を切らさないように注意しておかないといけない。

上勝TVでのトラブルと東さんのこと (12月15日・日)


14日(土)は上勝TVの配信日。ところが思わぬトラブルに見舞われた。配信は今日オープンのCafe polestarで行うから機材を17時頃から車に積み込みはじめ18時集合。まずは大テーブルを移動させるところから。うちの機材はデスクトップPCで運搬が面倒なので配信は今回N氏に依頼した。

N氏もMacBookを使った配信は久しぶりらしく配信ソフトの設定やミキサーの接続に戸惑ったりしながら20時過ぎには準備ができて21時前には配信を始めた。ところが10分過ぎに室内に何度も異音。原因は強風。搬入時には風はなかったのに変だなと思っていた。

そして写真切替をしようとしたN氏がMacBookのマウスが効かないと言う。どうにもならず再起動。配信が途切れた。その間に私がふと「今さらだけど録画大丈夫だよね」と訊いたら何と録画できてないことが判明。テレビトクシマ用に必要なので25分頃から番組をやり直すことになった。

終えて皆で話し合ったのはこのカフェの構想半ばで今年亡くなった東ひとみさんが録画忘れを教えるために強風とMacBookの故障を引き起こしたという推測。あるいは東さんが存在を知らせるために敢えて録画ボタンを忘れさせたのか。いずれにせよ東さんのことを感じた配信だった。

Cafe polestarと彼女らの思想性 (12月13日・金)


明日の上勝TVは翌15日にオープンする「Cafe polestar」から配信する。地元育ちで関学を卒業してUターンしたT嬢と夫で同志社出身のM君の2人が運営するカフェだ。昨年T嬢に出演してもらって構想を聞き彼女の母上の教育に感動した。その母上は今年1月に亡くなった。

告別式の日の日記に「これから娘と一緒にやりたかっただろうに」と書いた。さらに母上は今年3月に役場を辞めるつもりだったという噂を後に聞いた。今回の上勝TVにゲストとして出てもらうにあたりT嬢にこの噂の真偽を訊いてみたら事実だった。また私の声が震えてしまった。

このCafe polestarには12月3日(火)にスタッフ全員と初めて訪れて当日ゲストのT嬢M君と話をした。母上の構想でもあったらしいが大きな窓は2重ガラスの断熱。ごみゼロを推進した母上の次の構想であったカフェには随所に具体的な思想が見える。そのことは地元紙の記事にもなった。

7日(土)にも当日MCをやってもらうイマジンとカフェを訪れ写真を撮ったがT嬢らと話をしてから生きる上での思想性について考えている。どれだけ高い思想を持って実現させるかが現代の最も重要な価値ではないのかと。若い2人に大きな影響を受けて思索が回り始めた最近なのである。

折りたたみキーボード (12月12日・木)


先日書いた通りiPhoneで使うための折りたたみキーボードを買った。リュード製。以前使っていたPDA用の折りたたみキーボードが一部キー入力ができなくなった経験がありアマゾンやヨドバシのレビューを読んで参考にしてあまり安い製品は避けた。

単純な2つ折り。単4電池2本で動作する。iPhoneとの接続はBluetoothだ。iPhoneと接続させるにはiPhone側で設定を有効にしておく必要がある。最初にやったとき少し戸惑ったが接続は極めて簡単。キーボード底部に格納されている台を引き出せばiPhoneを立てかけることもできる。

キーピッチは18mm。モバイル環境で使う分には十分余裕がある。早速iPhoneで文字入力をしてみた。ATOK Padのメッセージが意味不明で何度かリトライしたが入力できるようになると当然のごとく速い。変更候補の選択など一連の操作を含めればフリック入力の10倍近いと思う。

出張や旅行にPCを持って行くのは最近は止めてiPhoneだけで済ませていたがこの日記を書くことだけがiPhoneでは苦痛だった。それが解決する。電池を除いて重さ190g。PCより格段に軽くPCを持ち歩くストレスからも解放される。今月の出張から早速使ってみるつもり。

米国で見る車 (12月11日・水)


海外に行くとそこが海外だと実感するのはトイレと道行く車の違いだ。25年前に初めて米国に行ったときそう思った。その後何度か海外に行くたびにその思いを強くしていた。今回のハワイでもトイレの違いでここが日本でないことを実感した。ただし今回は車を見て異国を感じることはなかった。

理由は2つある。まず日本車が増えたこと。もう1つは日本でも外国車を普通に見かけるようになっていること。もちろんリムジンやトラックやバスは日本とは全く違うのだが乗用車は95%の車が日本でも走っているものだと思った。驚いたのは私が乗っているフィットも何台か見たこと。

そんな話を妻にしたら彼女は日本とは全く違うと言う。理由は軽自動車が走っていないから印象が異なるということらしい。突き詰めると私は日本で外国車を含む自分が乗りたい普通車を見ているのに対して妻は次に乗り換える候補としての軽自動車ばかり見ているという差異が分かった。

それにしても米国で見る日本車の溶け込み具合には逆の違和感を覚える。BMWにもポルシェのSUVにも車格で負けていないのだがつまり日本車が大型化しているということだ。世界共通車がメーカーにとって効率がいいのだろうけど日本での使い勝手は悪い。ハワイでそれを実感した。

ハワイでのデジカメ (12月9日・月)


前に書いた通りハワイ旅行に持って行ったカメラは2台。安価な普及機だがバリアングル液晶が特徴のNIKON Coolpix S6600とF2.0のレンズと防水機能を持つOLYMPUS Stylus TG-2 Tough。それぞれを使い分けたので使用感を書き記しておくことにする。

S6600は画質には不満があったがこのカメラのコンセプトでもある自分撮りをするのにとても役立った。妻と2人で並んで背景を調整して撮ったり乗馬したとき後続の人を撮るのにバリアングルはとても便利だった。ジェスチャーで操作もできるらしくトライもしたが活用はしなかった。

TG-2はワイキキビーチとハナウマ湾でのシュノーケリングで海に入れた。使用後は洗面台に水を溜めて10分ほど浸した後に水道水を直接当てて数時間乾かした後に充電するためにケースを開けた。地上でもF2ということで夜の撮影はこちらをメインに使った。少々重いのが難点だったが。

TG-2で水中写真は結構撮ったがフラッシュの有無は最後まで迷った。フラッシュを使うと海中の浮遊物に光が反射してよくなかったかも知れない。それが再生データで分かりにくい。結局のところ軽さ故にS6600を思いのほか多用した。改めてバリアングルの利点を感じているところ。

石井で邦楽演奏会 (12月8日・日)


石井町中央公民館で箏曲演奏会という邦楽のコンサートがあった。我が「響」は「セレアンティスアンサンブル」の女性たちとともに応援を頼まれていて最後に演奏される30分に及ぶ大曲「日蓮」の合唱パートを担当するべく昨日の夜にリハーサルを行い今日本番の舞台に立った。

昨夜は18時前に会場に着いたのに舞台設営が始まったところでリハーサルは19時から。パンフレットを見ると琴33人に尺八30人。笙や胡弓も。指揮者はいるが客演の琴奏者の先生が振り向きながらいちいち指示を飛ばす。終わったのが20:30。立ちっぱなしの1時間半。1曲が30分なんだ。

昨夜は帰りに佐古の大吉に1人で寄って焼き鳥を食べ今日は14:30に練習場に集合。2台の車で会場へ。車は駐められず近所のスーパー駐車場。着替えて合唱だけで少し練習してステージへ。リハーサルでは女声とベースの人数が少なく檄が飛んだが今日はバランスは良かったと思う。

終わって帰りに元同僚で社長秘書だったK川さんに挨拶して写真も撮って。皆でマクドナルドに寄って軽く食べて徳島ヴォルティスがJ1昇格を決めた瞬間を団長の車の中で見て練習場に戻ったのが17:30。そこから本来の練習2時間半。そんなわけでクタクタになった。

コンクール全国大会の演奏 (12月7日・土)


11月24日に千葉であったコンクール全国大会の会場で私たちの演奏CDを買った。演奏後15分で用意してロビーで売っているのである。その後すぐハワイに行っていたので帰国してからまずは車の中で聴いて先日事務所でヘッドホンを着けてじっくり聴いてみた。

指揮者は演奏後に今まで一番いい出来だったと言っていたし私も特に破綻がなくよかったと思っていた。それでCDを聴くと車の中で聴いた限り何カ所か気になった。課題曲でディミネンドすべきところの音量の弱まりが急速すぎる点とか。繰り返し指揮者が言っていたことができていなかった。

さらにパート内でバラツキがある。いつも大きな問題となる音程については比較的大丈夫だが発声がバラバラなのだ。特に課題曲「水取り」では私も歌った主旋律のトップテナーがフォルテでE氏の声ばかり目立つ。E氏が息継ぎをすると全体の音圧が下がってしまう。

自由曲の「もちつき」「たたら」は特に発声の統一感がない。ベースは割と安定していているのだが私が歌ったセカンドテナーをはじめ多様な声が混じっていて軽い。「たたら」の音量変化もダメ。結局のところ雑なのだ。あの程度の練習人数でここまで歌えてよかったというべきか。

ハワイでのモバイルWi-Fiルーター (12月6日・金)


ハワイ旅行にあたって私のiPhoneと妻のXpediaの通信用にモバイルWi-Fiルーターをレンタルして持って行った。「イモトのWiFi」は知っていたのだが比較サイトで調べたところ価格にバラツキがあることが分かりハワイの価格が最も安かったGLOBAL WiFiに出発1週間ほど前に申し込んだ。

受け取りは宅配便も選べるが事前に「響」のコンクールで千葉に行っていたこともあり成田空港で受け取った。本体と充電ケーブルとUSBケーブルがセットになってポーチに入っている。SSIDとパスワードが本体に記されていてiPhoneなどのWi-Fi設定をすると簡単に接続できる。

オプションで予備バッテリや保険加入もできたがこれは申し込まなかった。バッテリ容量は十分あって午前のツアー後たいていホテルに戻って充電する時間があったことも理由だがエネループを持ち歩いていたものの外出中に充電することは1度もなかった。

通信速度はホノルルからバスで1時間ほどの距離にある乗馬体験をしたKUALOA RANCHで12:44に下り10.19Mbps上り5.41Mbps。ホノルル市内23時台に2度計り下り約2Mbps上り約3Mbps。速度もスマホで使用するには十分。1日720円で出国から帰国までがレンタル期間。合計4,320円。

ハワイの天気と日差しと海 (12月5日・木)


ハワイには現地時間で月曜朝に着いて金曜朝までいたのだが常に晴れだった。月曜時点の予報では木曜から雨だったが火曜になると雨天は金曜以降にずれていた。降水確率30%。木曜朝だけは出発前に雨が降っていて折りたたみ傘を持ち出したもののホテルを出るときには止んでいた。

気温は予報ベースで最高28度。最低21度。日中は太陽の光が強くて日向では肌が焦げるようだ。観光客のほとんどは短パンとTシャツという超軽装。私は短パンで歩いていたとき膝下が日に当たって痛くなるほどだった。当然眩しい。それで日本ではあまり着ない帽子が手放せなかった。

だが夜は24度ぐらいになるから短パンでは涼しすぎる。私は夜にはジーンズにTシャツと半袖シャツを重ね着してちょうどよかった。日中も日陰にいると風もあって涼しい。総じて言えば空気も乾燥していて日本の真夏より断然過ごしやすい。なるほどハワイが人気なのがよく分かる。

ちなみに海には2度行ったが水は冷たい。現地でサーフィン用の長袖ウェットシャツを買ったがそれを着ても30分も海にいるとからだが冷え切る。その度に浜に上がってシャツを脱いで身体を日に当てて温めた。11月末というのはハワイでも海水浴にはギリギリの季節だと感じた。

ハワイと言えば (12月4日・水)


そもそもハワイに行ったのは妻が言い出したからである。昔からハワイには行き慣れている妻が義母を初めての海外旅行にと連れて行ったのが今年初め。そのとき次は私と行こうと思っていたらしい。寒くなってきてハワイの暖かさが恋しくなったということもあったのだろう。

なので計画は全て妻が作り現地でも彼女の言うままに行動した。店の選択も支払いも全て妻。日本人客が多く日本人スタッフも大勢いるハワイではあるが私は英語で何かを伝える必要も機会も全くなかった。何かの折にThank youと何度か言っただけだった。

これまでにハワイに行く機会は一度あった。1994年2月にあったJ社の社員旅行だ。でも当時の奥さんとは別居を考えていたのに社員旅行に行ったら奥さんと同室になるし周りの皆も遠慮して私とは遊んでくれないと思ったのだと思う。その間に日本に残り引っ越しをした。

今や徳島でコピーライターとして活躍するN君も仕事だと理由を付けて不参加。引っ越し前夜はN君とプロカメラマンの故F氏とBARATEIで飲んでいてN氏と急きょF氏も手伝ってくれた。BARATEIのママさんに声を掛けられて落涙した記憶もある。ハワイと言うとあの引っ越しを思い出す。

ファンヒーターの修理 (12月3日・火)


石油ファンヒーターのエラーが頻発するので修理に出してきた。5年前に買ったコロナ。東京から上勝に移住して鳴門の実家から上勝に来る途中のヤマダ電機で一番出力が大きな機種として買ったのだった。今年の3月頃のシーズン終了間際から調子が悪かった。

症状は1時間ぐらいするとエラーで停止するのである。エラーコードをマニュアルで確認すると灯油に汚れやゴミが混じり停止するのだそうだ。対処方法はきれいな灯油でフィルターを洗えとある。昨シーズンの終わりにフィルターを洗ってみた。水抜きもした。

ところが今シーズンに使い始めて数日は問題なかったような気がするのだが徐々に同じ症状が出始めた。30分に1度エラーで停止するようになって使用を諦めた。とりあえず自宅で使っていたやや小型のファンヒーターを事務所に移して急場をしのいでいる。

でも寒くなってきて自宅でもファンヒーターを使いたくなった。でも事務所のファンヒーターは故障中。とうとう電話して購入した田宮のヤマダ電機に持ち込んだのが今日。ネットで調べると同じエラーは頻発しているらしい。修理代は最低9,000円少々。5年経ったわけだし仕方ない。

PCとキーボード (12月2日・月)


昨夜は12時半頃に就寝。1分と経たず寝入った。今日は7時半頃に目が覚めた。熟睡したと言っていい。起き出した後ところがPCが起動しない。電源を強制オフしたら修復プログラムが走ってこれが2時間。8日ぶりに起動したPCはアップデートなどが溜まっているのかなかなか元に戻らない。

さて今回のハワイ旅行にはノートPCを持って行った。4年前にデータ通信カードの契約とともにドコモでもらったネットブックだ。今回は期間が平日の1週間なのでiPhoneだけでは不安だと思ったのだ。この日記を書いてアップロードするのにもキーボードがないと不便だという点もあった。

ところが仕事で送られてきたメールに添付されたWORDファイルがネットブックで読めない。元々WORDやEXCELは入っていなくてIBM Lotus Synphonyを使っていた。それが最新版のWORDデータを読めなかったのだ。結局WORDの閲覧はiPhoneで行い返信はネットブックを使ったり。

シュノーケリングで同グループだった方に写真を添付して送るときには役立った。でもそれは帰国してからでもよかったこと。この日記を書くにはキーボードがあってよかったがiPhone用のキーボードがあれば済む。そんなわけでキーボードだけ買おうかと考え始めているところ。

徳島に帰った (12月1日・日)


前夜はホテルの部屋でビールを飲んでいるうちに寝てしまっていた。4時間ぐらい寝たけど一旦起きてもう一度寝た。朝は9時前まで。これで時差ぼけは解消したはずだと思ったものの今日の夜は猛烈に眠い。「響」の練習に行った帰り道に一瞬意識が飛んで対向車線に3度はみ出した。

羽田空港第2ターミナルビルにあるエクセルホテル東急のチェックアウトは11時。ゆっくり準備して昼食に蕎麦を食べて第1ターミナルに移動したらちょうどいい時間だった。徳島空港に着いてまずはムーブで鳴門の実家へ。千葉からコンクールで来た衣装と靴を送っていたのだ。

お土産も渡し10分ぐらいで実家を出て上勝へ。スーツケース2つと実家からピックアップした段ボールを運び込み私は着替えてそのまま「響」の練習へ。コンクールが終わって1週間だが2ヶ月後には定期演奏会。演奏曲も多いので練習は大変なのだ。

さて徳島は寒いと覚悟して帰ったわけだが意外に寒くないと感じた。日中の最高気温は28度に対し14度ぐらい。最低気温は21度に対して4度ぐらいか。夜は寒さを少し感じる。身体は元気だがホテルが長かったので肩こり。夜になり旅行の整理を始めたがゆっくりやろう。

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© 2013 Takashi INAGAKI