2012年4月

敬老会と誕生日 (4月29日・日)


朝8時に隣にある公民館。今日は地区の敬老会があってその手伝い。まずは体育館に舞台を作るため地下から重い台を運び込む。2人がかりで運び上げて汗が噴き出す。敬老会の対象は75歳ぐらい以上らしいが準備しているほとんどの人が60歳代。私の年齢などぺーぺーである。

今回はT氏が音響を担当するということで次にその準備。ほとんどの機材を個人で買ったらしい。演目とマイクの割り当てを確認して会は11時頃に記念撮影でスタート。町長らの挨拶があり地元バンド「ほーじーず」や中学生グループにミセスの会の踊りなどがあり。いや結構面白い。

昼食はミセスの会の方たちが2日がかりで作った豪華お弁当。市販すれば3,000円クラス。妻も今朝から手伝っていて裏方5人で食べながら早くもビール。舞台の演目にはお年寄りによるカラオケも。その度にマイクやディスプレイの準備をしたり引っ込めたり。T氏の元で裏方作業。

15時に終わり撤収。また舞台の台を運び出し。会が終わって運営の皆さんの打ち上げに紛れ込みビール。19時頃からは友人たち何人かが集まって事務所でビール。何とバースデーケーキまで。23時頃には地元バンドの3人がマッコリを持ってきてくれて。皆さんありがとうございました。

阿波しらさぎ大橋と鳴門観光 (4月28日・土)


GWはそれなりに予定が入って自由に使えるのは今日を含め3日ぐらいしかなさそうだったので朝11時過ぎに出発。今週完成した吉野川河口に架かる阿波しらさぎ大橋を通ってみたかったので鳴門へ。勝浦川橋を北に渡って土手を走り末広大橋を経由して新しい橋を通って川内へ。

橋はきれいで気持ちよかったけど手前の住吉で渋滞。建設中の高架ができない限りスムーズには流れない。鳴門や空港までの時間短縮を期待したが国道ルートと変わらないか遅くなりそうだ。鳴門ではまず北灘漁協が運営しているらしい「さかな市」へ。1周年のノボリが立っている。

今週西新浜の魚料理店に行ったのと1月前に「あらし」に行っていたので比較しようと。でも行列だったので引き返して「びんび家」。ここの評価は思い出とともに改めて書こう。鳴門まで来たのでUst番組「109U」で紹介されていたカフェ「風待ちの丘ルン」。駐車場は満杯の人気だった。

帰りは鳴門スカイライン経由。国生み伝説はこの辺ではないかとまた妻と話す。そのまま鳴門北インター近くにある元花見山を見学。ほとんど知られていない元別荘地。ところが上勝で山火事との情報をネットで知り徳島で寄る予定を飛ばして帰宅。既に鎮火していたようでほっとしつつ。

「あわわfree」と住友さん (4月26日・木)


全国のタウン誌の草分けである徳島の「あわわ」が今月発売された号から無料配布誌になった。事前に編集長から聞いてはいたがそれなりに驚きである。発売直後はツイッターなどでも話題になった。それで今日昼食でラーメンを食べに行った帰りに小松島の書店でゲット。最後の1冊だった。

ラーメン店では偶然その「あわわ」の創業者である住友さんに会った。元徳島市議で旧知の村上さんとご一緒だった。以前読んだ著書『あわわのあはは』によると確か会社を香川の会社に売ったのだと思う。今は移動販売の新会社を興したばかり。Facebookでいつも第2創業日記を読んでいる。

住友さんとは何度かお会いしている。デザイナーで今は武蔵野美術大学教授の板東さんに連れられて焼き鳥をご馳走になったこともある。1990年代の中頃。仲之町の一鴻だったと思う。さて「あわわ」。Wikipediaによると1981年創刊とあるが私が知ったのは少し後の大学生のときだ。

弟は高校の頃か掲載されたことを喜んでいた。徳島で昭和40年生まれ以降の特に男は「あわわ」で育ったと言えるかも知れない。それが無料のイベント誌。しかもお金がないことがよく分かる誌面。創業者の気持ちはいかばかりかというツイートも見た。徳島の文化が一つ消えたようにさえ思う。

草刈り機とテニス (4月25日・水)


午後になり私が住む町営マンションの庭から草刈り機の音が聞こえた。同じマンションに住むS氏である。昼食後に合流。多分半年ぶりに草刈り機のエンジンを掛けた。実は半年間も草刈り機にはガソリンを入れっぱなしにしていてエンジンが掛かるかどうか危惧していたのだがあっさり始動。

草刈り機を買った当初にWebで調べたり近所の人に教えてもらったところによると草刈り機のガソリンは空にしておいた方がいいらしい。2009年に買って2回の冬は全てのガソリンを使い切って保管していたのに今冬だけはそのまま放置。ずっと気になっていたのだがホッとした。

上勝もようやく暖かくなりTシャツの上に長袖のシャツだけだったのに汗をかいた。暖かくなったと言っても徳島市に比べれば気温は低い。石油ファンヒーターはなくてもいい季節だが灯油が残っていることもあってまだ使っているし実際に寒いと感じる日もまだまだある。

夜はテニス。今日は地元企業に働きに来ている方が初参加。と言っても全員で4人。サーブは20本に1本しか入らなかったものの素人にしてはまずまずか。雨が降ってきたので1時間少々で撤退。コート代は1人275円。仲間がいて車で10分弱にコートがあって。今年はテニスを続けてみよう。

コーラスめっせの合唱団いろいろ (4月23日・月)


大阪で行われた「コーラスめっせ2012」で私は全国コンクール常連の淀川混声合唱団の演奏を初めて聞いた。昨年の定演で指導してもらった作曲家の北川昇氏も歌っている。というか同じ更衣室で着替えていた。作曲家の人だと分かったが名前を思い出せず話しかけられなかった。残念。

ステージではパナソニック合唱団が凄まじかったが一番良かったのはリハーサルで聴いた武庫川女子大学附属高校コーラス部だった。中高生130名の女声合唱。私たちが2年前のコンクールで演奏した「くちびるに歌を」を歌ったのだが合唱技術はもちろん何より表情が素晴らしく感動した。

リハーサルは分単位で進行していて持ち時間は12分。3分2分1分とスタッフが残り時間を知らせてくれる。この団は「終了」の札が出されると直ちに練習を終えた。もちろん我が「響」も。ところが「響」直前の女声合唱団エオリアンという兵庫の団は曲終わりまで1分以上超過して演奏した。

指揮者は洲脇光一という人物。兵庫県合唱連盟の理事長を経て最高顧問とか。進行を無視した身勝手さと団員から指摘が出ない関係性を見せられて極めて不愉快。合唱界の幹部にはこういう我が物顔の老人が多いように思う。狭い合唱界の権威の下劣さに嫌気が差す。

大阪コーラスめっせ (4月22日・日)


何カ所かの会場で2日に渡って開催された「コーラスめっせ2012」に「響」が出演するため7:02出発。風雨の中で開催されるとくしまマラソンのため市内中心部はやや渋滞。待ち合わせた応神サンクスまでちょうど1時間。ここで大学生A君を乗せて鳴門でS先生の車に乗り換え大阪へ。

徳島は台風みたいだとツイートを読んだが大阪は穏やか。小降りの雨が降ったり止んだり。大阪城近くツイン21というビルに11時集合で徒歩でいずみホール。ここで舞台リハーサル。と言っても動きを指示されただけで終了。またツイン21に戻って昼食。児童合唱を見てまたいずみホール。

着替えてリハーサル10分やって本番へ。天井が高い小ホールながら周りの音はよく聞こえず。終わって着替えて3F席。舞台を横から見る席で後半を聞いた。淀川混声やパナソニックなどコンクール金賞常連合唱団の演奏が聴けて良かった。最後は有志らによる合唱。

予想外に早く18時前に終わって団長と再びツイン21に戻り夕食。ぼたじゅうでお好み焼き。クレジットカードを使った会計のときトラブルになり随分と待たされた。帰りは団長の車で。駐車場代と淡路のスターバックスを負担させてもらい上勝に22:30帰宅。

『ブータン、これでいいのだ』 (4月21日・土)


御手洗瑞子『ブータン、これでいいのだ』(新潮社)。著者は東京大学を出てマッキンゼー時代に応募してブータンの首相フェローとして1年働いたという方。まだ26歳。最近はメディアなどでも取り上げられているが私が知ったのはツイッターで。この本も著者のツイートで知り買っていた。

ブータンは若き国王夫妻が昨秋来日して話題にもなった。GNP(国民総生産)ではなくGNH(国民総幸福量)を国家の指標として掲げていることで知られている。でも経済発展を拒否しているわけではない。経済が成長しないと幸せにもなれないというわけだ。

月給2万円程度なのに高級車やiPhoneを次々ローンで買うバブルにあるらしい。それは楽観的で快楽主義の国民性に依るそうだ。男は結婚していても浮気をするし離婚も多い。そもそも夜這いの風習は都市部を除いてまだあるらしい。夜這いして朝までいれば結婚して婿になるのだとか。

そして刹那的でもある。手帳など持たず予定は覚えられる範囲まで。2日後ぐらいまでの日程しか決められないらしい。人生は何が起こるか分からないから今やりたいことをやるだけ。何か問題が起こったら仕方がないと諦める。軽妙な文章ですらすら読めて面白い。

「阿波と古事記」講演会 (4月20日・金)


月曜の夜に「千年の森ふれあい館」に行ってきた。自宅から10kmほど奥にある施設。本当は隣にある「山の楽校」だったのだが急きょ場所が変わったらしい。ここで「阿波と古事記」と題した講演会があったのだ。旧知の講演者からFacebookで案内をもらっていたので出かけてみた。

古事記の神代の舞台は阿波だったという説を東京時代から本やWebで読んでいて今ではほとんど信じている。現在でも天皇即位後の大嘗祭には木屋平村にある三木家から麻が貢進されている。おそらく木屋平村に天皇の祖先の実家があったからだろう。

あるいは国土を生んだにも関わらず死後腐乱しておそらく神道の穢れ思想の元になったと思われるイザナミ命を祀った神社が西暦900年代に全国で美馬郡の1社しかなかった史実。その美馬郡がイザナミ命の実家だったのだろう。イザナミ命を祀る神社は今でも徳島の1社しかない。

講演の柱はイザナミに追われたイザナキが逃げたのが穴吹の高越山から上勝経由という話。雄中面(おなかずら)や生実(いくみ)という地名が証拠だと言う。それは少し疑問だが私が知らなかった事実も教えてくれた。伊島や勝浦や阿南にある神社のこと。これらの神社も訪ねてみようと思う。

『情報の呼吸法』 (4月17日・火)


今年1月の発刊すぐに買っておいたのに先日から読み始めて一気に読み終えた。津田大介『情報の呼吸法』(朝日出版社)。著者は著作権問題から始まって今は原発やマスコミ論などについても発言しているライターと言えばいいのか。ツイッターのエバンジェリストとしても知られている。

ソーシャルメディアとりわけツイッターとの付き合い方をベースに情報のインプットとアウトプットについて著者ならではの見解をまとめた本だ。特に目新しい内容があるわけではないが何となく感じているツイッターの特性や付き合い方を改めて適切な言葉で示された感じがする。

ネット検索で自分が欲しい情報だけを入手できるようになったがツイッターでは自分が求めていなかった「誤配」とも言えるツイートで新しい世界を知る効用があるとか「人間は『物事が動き出す瞬間に居合わせる』ことにものすごく興奮する生き物なんだ」とか。

陸前高田市で聞いたという「情報発信をしないこといはリターンがない」とか「人間関係資本が豊富な人へのアクセス権が〜持てるようになったというのが、実はメディア革命のいちばん大切なポイント」とか。ツイッターとの付き合い方の原点に立ち返らせてくれる好著だと思う。

ボストンの夜 (4月16日・月)


ボストンのある夜に皆でオープンカフェでビールを飲んだ記憶もある。全員で13〜14人ぐらいいたと思うが当時タバコを吸っていた人が私を含めて4人か5人いた。ところが社長は大のタバコ嫌いで宴会でタバコを吸っていた社員におしぼりを投げつけたといった噂があった。

でも場所は海外のオープンカフェ。アルコールも入った。当然タバコを吸いたい。そういうわけで私は社長の目の前でタバコを吸ったのだと思う。開発のY本さんが同調してくれて何人かが吸い始めたような気がする。当然そこで議論になる。タバコの是非を巡って社長対一部社員である。

議論になってどう話を収めたかは覚えていない。でも秘書のT山嬢によると社長は涙を浮かべていたらしい。「あなたたちのことを考えて言ってくれているのだから」という指摘も受けた。社長は私たちのことを本当に考えて言っているのかと少しだけ見方が変わったような気もしている。

そう言えばボストン空港に着いたときだったか誰かの荷物が1便遅れて届いた。どこの空港だったか出発が1時間以上遅れて空港内の本屋に行ってたら某氏がエロ本を買っていっていた。当時はカメラを持っておらず記録が何もないのが残念。記憶もどんどん薄まっている。

ボストン (4月15日・日)


世界のコンピュータサイエンスをリードするマサチューセッツ工科大学(MIT)はボストンにある。ボストンではMITメディアラボ訪問も重要なイベントだったと思うが最大の目的はMac Worldの見学だ。アップルコンピュータのMacintoshに関する世界最大の見本市。ボストンでは2泊か3泊したと思う。

1988年のボストンMac Worldの会場で覚えているシーンは数少ない。それより会場外でのことの記憶が多い。例えばボストン市内でタクシーに乗ったとき真夏なのにコートを着ていた運転手のことを薬物をやっているからだと開発のT沢氏が解説してくれたこととか。

ホテルは会場から遠くてタクシーで30分だか40分もかかるようなところだった。確か初日にタクシーでホテルに向かったときタクシーの運転手は道を間違え時間がかかった。でも彼は素直に「自分のミスだ」と謝って料金を割り引いてくれたような記憶がある。

それよりもこのとき私は助手席で居眠りをしてしまった。タクシーを下りてから当時は販推にいて後に経理部長になるT本氏に叱られた。自分たちがいたから構わないが海外のタクシーで居眠りするということは身の危険に直結するのだと。このことは未だに覚えていて肝に銘じている。

上勝TV第17回 (4月14日・土)


技術統括Mくんが来たのは18時半頃。淡々と準備を始めて19時半頃にはセッティングはできていた。20時にはスタッフ全員が集まり今回は順調に20:50から配信を開始した。Mくんが用意したDVカメラは3台。それにMくんはまた新しい機材を投入した。ローランドVR-5である。

VR-5はUst配信などで使うために開発されたビデオスイッチャーである。映像の切り替えはPCソフトでもできなくはないが負荷がかかりすぎる。VR-5を使えばDVカメラやPCから入力をスイッチしたり合成することことができる。音声だけは2chしかないらしくオーディオミキサーも併用した。

新品で買うと40万円するらしい。東京のUstreamerであるK氏に借りているのだとか。ちなみにK氏は徳島出身。ローランドは昨年秋にUstream配信により特化した使い勝手のいい後継機種VR-3(16万円)を発売して今やVR-5の出る幕は少ないということらしい。

配信内容は先日書いたT嬢の話が中心。終わってパーソナリティやスタッフ全員が感嘆の声を上げた。24歳にして初Ustでしっかり話をしてくれことに。そして彼女の熱意と準備に対して。同時視聴最高は61。この配信には仕組んでおいたことがいくつかある。波紋が広がっていくはずだ。

銀行巡りと福原皮膚科 (4月13日・金)


昨日書いた用で法務局に行かなければならなかった。それと会社の振り込みもある。14時過ぎに上勝を出てまずは三菱東京UFJ銀行。徳島駅近くにある。15時の5分ほど前に着き13日付で振り込み1件。ついでに個人口座から50万円を引き出してみずほ銀行へ。

みずほ銀行は東京にいる義母のマンションの家賃引き落とし口座として使っているのでここに入金。途中で阿波銀行本店に寄って記帳だけ。そこから徳島駅の北に回って徳島地方法務局。今日は書類を提出するだけ。登記簿謄本は改めて取りに来ないといけない。

軽自動車税の納付も必要だったので郵便局へ。徳島市中心街では車が駐めにくいので安宅まで行った。駐めにくかったのは同じだが税金は納付。ゆうちょ銀行の個人口座から固定資産税分を引き出そうと記帳したら残り4万円。全然足りずにここで撤退。

末広大橋経由で思い立って小松島。中高時代の友人が院長の福原皮膚科で薬を処方してもらった。左手中指の付け根や左肘などが痒かったのだ。他に患者はおらず雑談しばし。それにしても銀行口座の多さ。会社で3つ。個人で日常使っている口座が4つ。まとめる手続きも面倒だし。

徳島地方法務局と財布の忘れ物 (4月12日・木)


2日連続で徳島地方法務局に通っている。明日も行かないといけない。用件は取締役の変更登記である。変更登記だが実際には変更はない。設立当初の夫婦2人が取締役で重任である。でも2006年11月1日付で設立した会社は定款で取締役の任期を5年と定めてあったのだ。

昨年12月に東京の税理士さんから指摘されていたのだった。変更登記を怠っていると科料が科せられる場合があるらしい。で法務局に書類を提出しようとしているわけだ。改めて定款を読むと5年目の決算が終わった株主総会の日まで任期はある。既に数ヶ月遅れているが。

4月2日に徳島に出たついでに相談してみようと法務局に寄った。ところが相談窓口は大混雑で撤退。ネットで手続きを調べて我流の書類を作って昨日改めて相談に行った。修正点を数々指摘されて書類を作り直して出直したのが今日。「響」の練習ついでで夕方に行った。

ところが1万円の印紙が必要なのに財布を忘れた。辛うじて相談窓口で書式のチェックを受け17:15の受付時間までに銀行に行こうとしたがキャッシュカードもない。財布は買い物に出てきた妻に持ってきてもらったが結局何もできず。提出だけに明日また法務局という次第。やれやれ。

1988年の米国出張 (4月11日・水)


1988年の夏休みは会社で米国に連れて行ってもらった。徳島から羽田に行きバスで成田に移動した。ところが移動のバスを下りたところで販売推進のM田氏が忘れ物をしたと大騒ぎになった。バスの中に何を忘れたのだったか。そう言えば旅行用トランクもM氏とそごう徳島店で買ったのだった。

成田からはワシントンに入った。私は初めての海外旅行である。ここでは観光だけで確か皆でスミソニアン博物館に行って観光用ガイドブックを社長が買ってくれた。昼食を食べたとき専務が注文した料理が不味くて量が多くて彼女が辟易していたのを覚えている。

サウスカロライナにも行った。彼の地の大学の日本人教授が提携したいという商談だった。でも私が覚えているのは空港から大学の教授用レストランに直行して昼食を食べることになったのだがジャケット着用が義務ということでM田氏が途中でトランクからジャケットを取り出している光景。

あるいは大学の女性教授が運転するトヨタのスポーツカーに乗って湖畔のレストランに行き食事をしたことぐらいだ。でも料理が不味くてT山嬢と小エビのフライばかり食べていた。夜もサウスカロライナで食事を取ったのだから1泊しているはずだが覚えているのはこの2つのエピソードだけ。

上勝のT嬢の熱意 (4月10日・火)


関西の大学をこの春に卒業して上勝町に帰ってきた24歳の女性がいる。一昨年に初めて会って何度か顔を合わせていたので見知ってはいたが今日1時間半に渡って話をした。上勝TVに出演をお願いしていて事前インタビューをしたのである。彼女は上勝にカフェを作ろうとしている。

噂は聞いていた。彼女のブログも読んでいた。でも話を聞いて驚いたのは既に土地をさまざまな折衝を経て購入し設計図もできていて着工間近で本人は別のカフェで修行をしていて計画ができていたことだ。構想は既に数年に及び着々と準備をしてきたということだ。

東京を知らないからと大学を1年休学して東京で働いたらしい。聞けば母上が彼女の小学生時代からホンモノを見せ体験させていたようだ。カフェは母上の夢でもあったらしい。町内では知られた母上のことを私はよく理解していなかった。こういう子育てをされてきた方だったのか。

24歳の彼女は熱かった。爽やかでもあった。論理的だったし創造的でもあった。夢を持ち努力をしている若者と話をして私は感動してしまった。とにかく応援したい。上勝は高齢者が注目されるがこんな若者がいることも誇りだと思う。14日(土)21:00〜の上勝TVでぜひ彼女の話を聞いて欲しい。

MITメディアラボ 2 (4月9日・月)


MITメディアラボはコンピュータサイエンスの最先端の研究所である。私が訪問した1988年当時もそうだった。研究所内を一通り案内されてから最後に当時の初代所長ニコラス・ネグロポンテ氏と意見交換の時間があった。このシーンはよく覚えている。

一緒に行っていたT橋A子さんが「ネグロポンチッチ」と言っていたが穏やかな紳士だった。探せば当時のメモはあると思う。話が終わってから専務が「写真を撮ってなかった」と言ったのも覚えている。私が撮るべきだったのだと思った。けど英語でどう許可を求めていいか当時は知らなかった。

新聞をデータで各家庭に配信して高解像度ディスプレイに表示させるとか印刷するといったことは今なら想像もできる。が24年前には全く予想できなかった。後にWebで新聞記事を出し始めたとき新聞のレイアウトとは異なることにやっぱり紙には勝てないよと思ったような気さえする。

ネグロポンテ所長の著書「Being Digital〜ビットの時代」は改めて調べてみると1995年刊。ビット(デジタル)とアトム(物質)を対比させ未来を予測した名著である。研究は最先端過ぎて当時の私には理解できなかったが確実にメディアラボが予測した世界に近づいているのだろうとは思う。

MITメディアラボ (4月8日・日)


米国ボストンにあるマサチューセッツ工科大学(MIT)と言えばコンピュータサイエンスの分野で世界屈指の大学である。ここのメディアラボは特に最先端の技術を研究していることで知られている。昨年だったか所長に日本人である伊藤穣一氏が就任したことでも話題になった。

このメディアラボには1988年に行ったことがある。J社に入社した初めての夏休み。創業社長や専務らが訪問するのに同行させてもらった。通常は留守番が多いはずの総務Y原氏や秘書で今や社長夫人のT嬢に販売推進のM田氏さらに企画のT氏と販推T嬢夫妻のほか開発から5人ぐらい。

メディアラボは世界中からコンピュータサイエンスの俊英が集まっていたはずだが運営はスポンサー企業からの寄付で賄われていたように思う。日本からは当時日本IBMと朝日新聞がスポンサーになっていた。AERA副編集長などを歴任した辻篤子さんも留学していたと後に本人から聞いた。

私たちはIBMから招待されたと思う。でも詳細は覚えていない。新聞を通信回線で自宅のディスプレイに毎朝届けるといった研究の話を聞いたような気がするが当時はインターネットは一般に使えておらずディスプレイの解像度はVGA(640×480)だ。荒唐無稽に近い研究ばかりだったような。

徳島空港から「とんかつ潦」とUst (4月7日・土)


東京出張から帰ってきた妻を迎えに徳島空港18:40。車を置きビルに向かっているとき声を掛けられた。誰だか分かったが旧姓しか出てこなかった。プロ推にいてイタリア留学もしたM由嬢。今のO姓を思い出せないでいたら彼女は旧姓を名乗った。慌ただしくご挨拶。会ったのは14年ぶりだ。

上勝に戻る前に夕食をどこで食べようかと思案して妻の提案がトンカツ。調べていた店が蔵本にあると言う。国道192号からすぐ見つかったが駐車場を探して裏道を走り結局は蔵本駅前に駐めた。今やFM局に勤める中学の後輩R嬢の実家があったところという印象しかない蔵本。

「潦」という店。「にわたずみ」と読む。美味しさに驚愕。東京にもこんなに美味しいトンカツはないのではないかと妻と話す。Facebookに書いたらコメント付けた人の中で行ったことがある人が半分ぐらいか。医学部出身者には馴染みの店なんだろうが地元のR嬢も知らなかったらしい。

夜はUstreamを視聴した。出演者のN氏は金曜に上勝の事務所に来てくれていたし藤沢のM氏は私のボスと同じ講演をすると聞いているし山口のK氏の番組には明日夜妻が出演するというわけで。「ライブメディアは交流ツール、アーカイブメディアは拡散(広告)ツール」という発言があった。

徳島ラーメン (4月5日・木)


妻が東京に行くので空港まで送ってきた。11時半過ぎに出て新浜から末広の鳴門うどん「舩本」へ。空港に行く途中で昼食を取るなら吉野川を渡ってからにしたかったが思いついたのは徳島ラーメン店ばかりだったので止めた。昨日たまたま勝浦の「美渓」で食べたところだったのだ。

最近は夫婦で徳島ラーメンのランキング付けを行っている。ラーメンの好みは人それぞれで「うまい」と聞いて食べに行っても今ひとつと思ったことは何度もある。自分の好みは自分で食べてみるしかない。そんなわけで最近は名店と聞くや食べに行ってみることにしている。

今のところ私の好みランキングでは1位が勝浦の「美渓」。肉入りを注文するとチャーシューが10枚ぐらい乗っている。夫婦で行くと肉入りを1つ注文して分け合う。生卵とニンニクは欠かせない。でも肉もご飯もすぐ売り切れる。田舎の汚いラーメン屋だが私はNo.1だと思っている。

2位グループは川内の西食。いのたに鳴門店。ふくり利の吉野本町店。東大の応神店。勝浦の呑口。ほかに行った店は20店以上あるが思い出せない店もある。妻はランキング表を作り始めたらしいが私も記録しておかないと忘れてしまう。最近の私たちの趣味である。

空海 (4月3日・火)


弘法大師のことを調べようと思っている。弘法大師すなわち空海は四国八十八カ所の開祖であり上勝町の月ヶ谷温泉の発見者でもある。ツイッターにも書いたのだが5年前に東京から来てお遍路をやったときにも特段興味を持っていなかったのだが突然気になり始めた。

1998年の明石海峡大橋の開通によって徳島は本州と繋がった。これを記念して徳島県が制作したミュージカル「架けろ!駆けろ!YATTOSEY」には合唱団として参加したはずが何曲も踊ることになったことは何度か書いた。先日はミュージカルの仲間とも再会したばかりだ。

このミュージカルの何幕目かに狐や狸が人を化かす話がある。最後に弘法大師が登場して悪戯が過ぎた狐を追い払う。そして後に鉄の橋で本州と繋がるときまで阿波の国に帰ってはならないと厳命する。弘法大師が言ったこんな話はミュージカルの創作だと思っていた。

ところが最近ツイッターでフォローした人がプロフィールに「鉄の橋渡りて本土と阿波連なる時、本土を化かした狐たち今この時と逃げ戻る」 と書いている。ミュージカル関係者かと思い質問したら弘法大師が本当にこう言っていたらしい。1200年前に。そう知ってから気になって仕方ないのだ。

事業報告書の提出 (4月2日・月)


昨年2月から取りかかり今年3月まで行ってきた仕事が終わった。事業費をいただいているので報告書を提出する必要があり書き始めたのが3月21日(水)。必要なデータはだいたい用意していたはずだったが画面キャプチャやら諸々で夕方から始めて完成したのは深夜だった。

翌22日(水)に領収書を費目別に整理し集計し始めたがこれが難渋。金曜夜は実家に泊まったし日曜は午後に「響」の練習があったけど木土と日曜の夜までかかった。でも費目ごとに領収書をコピーして電卓で計算してもEXCELで作った管理表との間で数字が合わない。そんなことの繰り返し。

役場に持っていったのは28日(水)午後。でも認められない経費が合計85,000円もあって玉砕。でも別の費目が認められ書類を作り直して29日(木)に行ったらやっぱり費目についての指摘を受けて提出できたのは30日(金)。そのときも不要な文字が入ってしまっていて迷惑を掛けた。

今日は残務整理。小松島や徳島を回って一通り終わったはず。夜は書類の整理。先週提出した書類のコピーをファイリングしたり別のファイルからまとめたり。実は積み残した作業もあって近々やるつもりだけど一区切り。銀行も回って3月までの経理業務も片付けてちょっと一息しているところ。

地震と神社と空海と (4月1日・日)


NHKスペシャルを録画で見た。巨大地震のメカニズムを追う研究者たちの話。直後に福島沖でM5.9の地震があった。昨日は2008年以来に神山の立岩神社や上一宮粟神社と国府にある八倉比売神社に行った。それで妻と2人で思い出したのが2007年12月のことだ。

東京に住んでいて自宅に何故か私の携帯電話番号から着信があった前後のこと。いろんなことが起こり何かのメッセージだと感じた。神なのか祖父の霊なのか誰かが私たちに何かを知らせようとしたと思っている。それを契機に私たちは東京を離れることを考え始めたのだった。

その4ヶ月後の2008年4月に神山の神社を訪れた。立岩神社で頭から腰までビリビリきた体験をしたときだ。その年の8月には何も感じなかったし昨日も何もなかった。でも日記を読み返していたら1週間前にニュートンの巨大地震特集を読んでいたことに気づいた。

今またキーワードは地震と神社。4年間も放置していたが徳島の神社を調べる気になってきている。それと弘法大師。2007年にお遍路をしたときでさえ八十八カ所の始祖である空海には何ら興味を持たなかったのに。母方の祖父のことも気になっている。

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© 2012 Takashi INAGAKI