2010年11月

K氏の助言 (11月30日・火)

先日5年半ぶりに再会した徳島単身赴任中のK氏はJ社に入社したとき沖浜のお地蔵さんの前を歩きながら「付いてくるな」と無人の後方に向かって叫んだことがある。それは金曜のことで週が明けた月曜の朝礼で話して同僚たちからその交差点でいかに事故が多いか知らされたと言う。

その話を私が聞いたのは会社近くにあったTK25という飲み屋でだった。K氏が家族と住んでいたマンションはすぐ目の前で私たちは毎日のようにTK25に通ってビールを飲んだ。K氏の奥さんは徳島に知人がおらず子育てで息抜きもなかったから先日会ったM嬢がときどき奥さんと飲んでいた。

長野の会社から転職してきたから私はいつの間にか前職をエプソンだと思い込んでいたが松下系だったらしい。先日情報を訂正された。TK25で一緒に飲んだ回数は100回は超えているだろう。秋田町の「ソロモン」辺りにも一緒に行ったことがあるような気がする。

1998年3月には私がJ社を辞めることを伝え聞いたK氏から電話をもらった。「いろんな思いがあるだろうから会社を辞めるなとは言わない。でもせっかく辞めるなら次の会社にはすぐ行かず1〜2ヶ月遊んだ方がいい」と。その助言は後輩が会社を辞めると聞く度に私から彼らに伝えている。

棚田米の分配会 (11月28日・日)


午後早くに出て小松島で友人をピックアップして今日は鳴門の高島へ。今年1年上勝の棚田で米作りをやった仲間たちと棚田米の分配会。仲間が午後から準備をしてくれていたのだが私たちは16時前に到着。その前に徳島市佐古に寄って仕事の打ち合わせを1件。

分配会という名の宴会はT社長宅。12人ぐらいいただろうか。棚田米と上勝産ゆこうでばら寿司。「材料は上勝産ばかりなや」と言ったY氏にM嬢が「米と酢だけやけど」とすかさず反論。私は到着後からビールを飲んでテラスではJ君が炭火をおこしてサンマを焼いて。とても美味しく頂きました。

棚田の仲間ではなかったがJ社の元同僚で今は松山から単身赴任しているK氏とも会った。私より7歳も年上だが15年前当時は週に何度も会社の近所で一緒に飲んでいた仲間。前回会ったのは調べてみたら私が著作権の講演で松山に行った2005年2月。この12年間で3回目。

5年半ぶりのブランクもなく12年で3度目という感覚がないのはそれ以前の信頼関係が大きいからか最近ツイッターで繋がっていたからか。K氏らと大いに話したが今日は小松島の友人Nが子供たちと全力で遊んでいたのが面白かった。帰りに3人でラーメン東大。

結婚10周年 (11月26日・金)


妻とは10年前の11月26日に結婚式を挙げた。当時の日記を読んだ山形に住むIT業界の重鎮Y氏がメールをくれたし後にマイクロソフトのNo2になるM氏も祝福メールをくれた。でもそんなことを当時の私は何も書いていない。あの日のことも。忘れないうちに改めて記録しておく。

あの頃は世田谷区南烏山5丁目に住んでいた。京王線の千歳烏山駅から徒歩6分ぐらい。2階の角部屋。月2万円の駐車場まで徒歩5分ほど。前日マンション下で車に荷物を積み込んでいたとき腰を痛めた。前日は父母や義母と新宿の京王プラザに泊まったが夕食会で腰が痛かった。

受付は福岡のT君と妻の友人Y子に頼んだ。教会での式直前の写真撮影で弟夫婦がおらず私は苛立っていたのを覚えている。T君と社長のTさんが福岡から来てくれ関西テレビK支局長や日経新聞Kデスクも。「響」指揮者は徳島合唱団で出た札幌の全国大会から直行してくれた。

イベントを仕切る仕事をやっていた妻と私は披露宴では自分たちで司会をしてみんなにマイクを回し話をしてもらった。親友の徳間書店Kと「響」団長と指揮者で「筑波山麓男声合唱団」を歌ったり。妻の友人はオカマのマユミら個性豊かで面白かった。10年の感慨はあまりないが懐かしさはある。

「響」対「お江戸コラリアーず」 (11月25日・木)


先日の全日本合唱コンクール全国大会で我が徳島男声合唱団「響」が出演した一般部門Bグループ(33人以上)16団体の中で男声合唱は3団体だけだった。課題曲は4曲の中から選ぶ。自由曲は文字通り自由。ところが3団体のうち我が「響」と全く同じ課題曲と自由曲で臨んだ団があった。

東京都代表の「合唱団お江戸コラリアーず」。大阪にある「なにわコラリアーず」の東京転勤者などを母体に結成された団だと聞いている。「なにわ」も「お江戸」も演奏はプロ級。「響」が38人で出演したのに「お江戸」は倍の77人。演奏順は「お江戸」9番目で「響」11番目。

自由曲も課題曲も全く同じ曲を偶然選び演奏順も1団体を挟んだだけ。今回のコンクールの聞き所の一つだったかも知れない。知名度でも人数でも不利な「響」。結果は「お江戸」は金賞で我が「響」は銅賞。結果を見れば全く歯が立たなかった。その差は歴然だったかも知れない。

だが「お江戸」の録音を聴いたら緻密だが軽い印象。「お江戸」は東京のスマートさがあり「響」は田舎の合唱だと今日の練習で指揮者が言った。でも泣けるのは「響」。私はやっぱり感情を前面に出した「響」の演奏の方が好きだ。技術がない私にも演奏の感動を与えてくれた指揮者に感謝する。

ソフトバンク孫さん (11月24日・水)


iPhoneを買ったが部屋の中や上勝のほとんどの場所で電波が入らない。でもiPhoneが使えずICTの町とは今や言えない。だからソフトバンクには頑張って欲しいが私たちも努力すべきだ。そんな話をソフトバンクモバイルの社員にしつつ思い出したことがある。ソフトバンク社長の孫さんのこと。

私は孫社長の名刺を2枚持っている。ただ名刺交換しただけだが何度か会っている。おそらく社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会の部会や孫さんが徳島に来られたとき。私は個人的な話しをしたことはないがJ社の浮川社長から孫さんの話はときどき聞いた。

当時ソフトバンクは最大の取引先で気に入らないことも多々あったが孫さんの評価は悪くなかった。覚えているのは彼の社員が我が社員にセクハラしたとき。取材を断るにあたり事情を聞いた社長が「孫さんは絶対にそういうことを許さない」と自らソフトバンクに電話をしてくれたことだ。

電話の相手は担当取締役だったが孫さんに対する見方がよく分かった。そういう信頼が背景にある。今は会社の利益のこともあるだろうが通信行政に切り込んでいる姿勢を私は応援している。応援するなら製品やサービスを買うことで態度を表明するのが現代の生き方だと思うわけで。

液晶テレビ (11月23日・火)


新しいテレビを買った。液晶。しかも2台。事務所用と東京にいる義母用。未配達だが事務所用のは三菱の40インチ。実のところ5月ぐらいから考えていてヨドバシの価格をチェックしていた。通常15万円以上のシャープのLED液晶40インチがときに9万円台になったのは6月のワールドカップ前。

そのときは決断できなかった。その後ウォッチしていると通常13万円台まで下がってときどき1晩だけ9万円台に下がるときがある。そうこうしているうちにエコポイント23,000円分が12月から11,000円分になる。買うなら11月中。しかもパネル価格が上昇していて値下がり要因はないとM君。

Ustreamのモニターにもしようと思っていたのでタイムリミット。そんなわけでPCと接続できるアナログ端子搭載で最も安い製品にした。今のブラウン管テレビは妻によると28年使っている三菱。私の大学サークルの先輩が三菱電機にいるのでその縁もあって「エイヤッ」と。

5月からウォッチしていると通常20万円ぐらいの46インチ液晶が13万円台になる夜が何度かあったが決断できなかった。義母用のテレビは現時点で最安値のシャープ32インチ。確かに品薄らしく12月中旬に配達される。今見たらほとんどのテレビが入荷後出荷と。駆け込み需要は凄まじそう。

「響」の演奏 (11月22日・月)


日曜夜は西宮での打ち上げと神戸のホテルでも飲んだもので二日酔い気味。遅く起きて11時前に神戸を出発。高速道路は路面が濡れていたが雨は降っていなかった。鳴門ICで降りると雨。回り道して「大井食堂」に行ったら路上駐車が凄くて「あそこ食堂」に。鳴門うどん。

さて事前に申し込んでいた演奏CDを演奏終了後に受け取っていたので帰りの車の中で聴いた。いい演奏だ。帰って落ち着いてからも聴いた。リズムにも音程にも破綻がない。自分が歌ったからかも知れないが指揮者が泣いていた自由曲の後半は聴きながら涙が出てきた。

でも何度か聴いていると信長貴富氏による楽曲の素晴らしさに感動するのだが演奏自体には物足りなさも見えてくる。自由曲後半のppは四国大会の方が感情がこもっていたような気がするし最後に向かうffは盛り上がっているが雑な印象も受ける。

それでも。昨日一般B部門最初の4組を1階4列目で聴き最後の2組の演奏はホールを回り込んで配置された客席の4階左前で聴いた。いずれも素晴らしい響きだった。その素晴らしい兵庫県立芸術文化センターで耳の肥えた満席の人たちの前で演奏できたことに改めて感動している。

合唱コンクール全国大会 (11月21日・日)


全日本合唱コンクール全国大会。9時にJR西宮近くに集合なのだがホテルで靴を立体駐車場の車の中に置いていて取り出すのに手間取ったりして5分遅刻。午前の練習は2時間50分ほど。阪急西宮北口までY氏の車に同乗して移動。近くの小さな中華屋でラーメンとチャーハンを食べて。

兵庫県立芸術文化センター前で時間をつぶし午後の部の最初から4団体だけを聴いた。3団体目まで我が指揮者と一緒に聴いたが彼は外国曲の美しい演奏で感動できるのかといったことを言う。あるいは人生をあの若さで表現できるのかと。同感。あまりに美しすぎるのでしっかり寝てしまった。

本番は14:45に集合して案内に従って分単位で着替えをしてリハーサルをやって。さて本番で私の隣は絶対音感を持つ医学生W君。特に音程には気をつけた。演奏は失敗もなく皆もベストを尽くしたと思う。自由曲の後半で指揮者は泣いていて特に感情を込めるppで私は声が震えたが。

だとしても結果は銅賞。コンクールの審査としては16団体中で下から5団体の中。3年前のコンクールでも感じたことだが合唱の技術評価としてなら今回の結果の通りだと思う。でも歌の本質は違う。19:30を過ぎて居酒屋で打ち上げ。40人ぐらいが参加。電車で戻って今日も神戸泊。

神戸 (11月20日・土)


金曜夜は妻と2人で徳島市内にいて帰宅したのが25時。そこからヨドバシで調べ物と買い物を始めて終わったのが27時。今朝は起きられず起きたら起きたで重要な仕事のメールが入っていて昼食も食べずにメールの返信。途中で電話をしたり妻に相談したり。

メールを送るだけ送って15時過ぎに出発。勝浦でラーメンを食べてガソリンを補給して一路神戸へ。淡路島の高速道路は意外に交通量が多い。80km/hから100km/hと走行車線をゆっくりめに走ったのだが燃費はみるみる下がってメーター表示は22.6km/L。

淡路SAで休憩しつつ神戸・三宮駅前のホテルモントレ神戸に着いたのは18:40頃。上勝を出て食事と給油を除けば3時間弱。鳴門ICから2時間ほど。昼食が遅かったのでホテルでPCのセッティングなどをしながら20時頃に食事に出た。三宮駅前のステーキハウス

明日は朝9時に西宮に集合。全日本合唱コンクール全国大会。今日は神戸や西宮や大阪に集まってくる仲間からのメールが頻繁に入る。明日朝西宮に来る人たちもいる。とりあえず今日はホテルの狭い部屋で妻とビールを飲んでいるところ。

銀行とUST機材とドル相場 (11月19日・金)


木曜日。「響」の練習に合わせて銀行に行ってきた。未だに抱えているローンの返済について固定金利の契約期間が終わるから更新が必要だと言われていたのだ。印鑑登録証が必要と言われていたのにそれを思い出したのは出発直前。役場の支所に駆け込んで作成してもらった。

途中でクリーニングを受け取り妻のテニスラケットを受け取り銀行から取って返して「響」の練習。コンクール全国大会前に徳島で行う最後の練習。日曜日より人数は少なかったが指揮者の意図は十分分かった。あとは当日朝の練習次第。いや本番の集中次第。

22時半前に上勝に戻りUstreamの機材チェック。徳島からM君が来てくれてカメラやマイクを接続して。ドライバのインストールやらもあって時間がかかる。テスト結果はマイクとカメラの双方に1つずつ問題があった。カメラはM君が持ち帰って追加テストをすると言う。

それに先立つ木曜午前にソフトのアップグレードも行った。Ustream Producer Pro。ダウンロードで199ドル。10月末に見たときは日本円で17,000円を切っていたのに木曜は17,500円を超えていた。ドル相場は3週間前より円安になっていたことを知ったわけである。600円は仕方ない。

弥生会計のバグ (11月18日・木)


我が社は10月が決算月である。11月から第5期に入った。まだ経費が出揃っていないので決算処理は12月に入ってからになるのだが11月に入ってから日常の経理処理をおいていた。でも今期の処理をいつまでも放置しておくわけにもいかず経理ソフトで繰り越し処理をしようとした。

使っているのは「弥生会計07スタンダード」。会社を設立した2006年11月に買って翌年無償アップデートしたのだ。それ以来07版を使っている。そして昨夜。会計期の繰り越し処理をしようとした。弥生会計では3期分しか使えず今まで2期〜4期だったデータが3期〜5期に切り替わる。

ところがデータ自身は3期〜5期に替わったようだが表示が変。3期と4期と4期なのだ。4期の表示は2つとも今年10月まで。バックアップから復元して再度やってみたが結果は同じ。明らかなバグである。仕方がないのでバックアップファイルを税理士さんに送って繰り越し処理だけやってもらった。

今朝受け取ったデータで正しく表示されこれで経理処理を進めることができる。それにしも弥生会計のバグ。古い07年版から最新版にバージョンアップさせようという魂胆かと邪推した。最後は税理士さんがチェックするので私は07年版で十分。意地でもバージョンアップはしてやらない。

音楽配信 (11月17日・水)


昨日書いたとおりiTunesがビートルズの楽曲を配信することは米アップルにとって極めて大きな出来事である。でもだからといって私はビートルズの楽曲がiTunesで提供されることを喜んでいるわけではない。ビートルズに限らずどんな音楽であっても。

iTunes Storeで配信されている音楽はWikipediaによるとAAC形式でビットレート128kbpsだそうだ。iTunes Storeのm4p形式とMP3形式の違いを私は理解していないのだがMP3の128kbpsでは確か12kHz以上の高音域がカットされていたと思う。

デジタル化するにあたってCDのサンプリング周波数は44.1kHzで人間の可聴域と言われる20kHzまで再現できる。ところがMP3は12kHzまでしか再現できないとするとCDより音質は劣ることになる。この件では過去に何度かこの日記に繰り返し書いた。

加えてアルバム単位ではなく曲単位で聴くことには賛成しない。音質の劣化とアーティストの意図に反するバラ売りによってネット配信は音楽文化を破壊しているとさえ感じる。少なくともLPやCDの時代に制作されたアルバムはレガシーメディアで買うべきではないか。

iTunesがビートルズ楽曲を配信 (11月16日・火)


米アップルが11月17日0時に重大な発表をするという予告をしていた。ツイッターで話題になっていて米国ウォールストリートジャーナル誌はアップルがiTunesでビートルズの楽曲を販売すると報じていた。0時。発表はまさにその通りだった。それに対してガッカリしたというツイートもいくつか見た。

だが私は逆だ。ツイートもしたが大ニュースだと思う。米アップル(旧・アップルコンピュータ)とビートルズの音楽を管理していた英アップル(旧・アップルレコード)は激しい訴訟合戦をやっていたのだ。その訴訟の和解条件で米アップルは長く音楽ジャンルに参入できなかったのだ。

私が2000年頃に関わったソフトウェアの商標表示で米アップルの条件を調べたところ摩訶不思議な表記が求められた。例えば「Macintosh、QuickTimeは、ライセンスに基づいて使用される商標です」と。ここにはアップルの名前が出てこない。米アップルも英アップルも。

それほど複雑な和解条件に米アップルは拘束されていた。友人がリツイートで知らせてくれたのだが両者の訴訟はWikipediaによると1978年に遡る。30年以上対立し続けた両者の結末。ソフトウェア業界にいて仕事で知的財産権に関わってきた私にとっては感慨深く大ニュースなのである。

とくしまWeb大賞 (11月15日・月)


徳島県庁の地域振興総局地域情報課というところが2008年から「とくしまWeb大賞」を決めているらしい。パンフレットによると「Webサイト(一般)部門」とクリエイター自身が応募する「Webクリエイター部門」とアプリやツイッター活用など「とくしまe-ネタ部門」の3つがある。

このうちWebサイト(一般)部門に「やるでないで上勝!」がノミネートされている。私が制作管理しているものだ。県から来たメールには「他薦によりご応募があり,先日1次審査を実施したところ,同審査を通過いたしました」とあった。誰かが推薦したらしい。

ただし素人が作ったサイトである。プロにソースを見られたら恥ずかしい。県からのメールによると受賞辞退もできるとあったので妻と話し合った。だが誰かは知らないが推薦してくれた人に申し訳ない。恥ずかしさを我慢すれば敢えて辞退する理由もないので放置しておいた。

そして先週公表されたサイトを見ると「とくしまe-ネタ部門」で仲間がやっていた「109U」と「阿波踊りUST」がノミネートされている。ほかのサイトも調べれば私の知人が関わっているかも知れない。徳島ウォシュレットマップは早速お気に入り登録したところ。県のこういう試みは悪くない。

テニスラケット (11月14日・日)


夕方早めに家を出て小松島のN氏に「ゆこう」を届けてきた。先週収穫した仲間から受け取っていたようだが美味しかったと言うもので。待ち合わせて彼の家にも。大きなショッピングセンターのすぐ近く。なのに車が10台は置けそうな広い庭にびっくり。

その後は「響」の練習前に妻と一緒にテニスラケットを買いに行った。この20年間で3回しかやってない私は店頭で一番安いの。妻はガットを張ってもらうのに預けたまま。ボールは買わなかった。コートを借りるならボールも借りられるし。妻は徳島でテニススクールを探し始めているところ。

私も過去にテニスラケットは持っていた。J社同期のK保君と新町橋に買いに行った記憶がある。多分22年前だろう。彼からは練習用ラケットも借りていたはずなのに返さないまま処分したような。J社に入社した頃は何度かテニスに行ったこともある。でもそれでメガネを割ったことも。

同期ら10人以上で安宅あたりのテニスコートでK村さんの強烈なサーブにラケットを振ったら自分のメガネに当てて壊した。恥ずかしい過去の失敗。メガネをなくしたまま沖洲の喫茶店に行くのに車の運転が怖かった記憶がある。もうメガネに当てるような無茶な振りはしないようにしないと。

テニス (11月13日・土)


8時半に出て徳島市川内のブレインズパーク。ジャストシステム本社にあるテニスコート。なぜか妻が誘われて参加。私は運転して行って見ているだけ。ここにテニスコートがあったことさえ記憶にないし入ったのも初めて。毎日通っていたが半年だか1年半だけだったし。

参加した12人中3人は今年一緒に米作りをやった仲間。ほか3人はツイッターで繋がっている。かつて私のマンションを借りてくれていたW君家族も。初対面だと思った2人も私のことを知っていると言う。T氏は高校の同級生だし後から見にきた2人も知っていて今年結婚したK君とも話ができた。

試合の組み合わせはよく分からなかったがダブルスで何ゲームかやった。10時から16時過ぎまで。私は見ていただけだがみんなさすがに上手い。経験者の妻も歯が立たない様子。同期入社で棚田仲間のT社長にも驚いたしK嬢がここまでやるとは。人は見かけによらないなと。

今日は鳴門の本家松浦酒蔵で蔵開きイベントも行われていた。ここの社長はJ社で同期だったM嬢の兄上。M嬢も今はここにいるから行こうと思いつつ時間切れ。iPhoneでツイッターもチェックしていたが仲間が何人も蔵開きに行った様子。ちょっと残念。

会議とプリンタと飲み会 (11月12日・金)


木曜は午後から会議。大阪や岡山から来た方とITインフラについて情報交換。ここで書くのは遠慮するが先方のある方が言った推測に衝撃を受けてしまった。多分それが事実だろう。田舎に住むということはこういうことなんだ。ITインフラの現実を今になってじわじわと思い知らされている。

その後ツイッター経由で相談されていた某社のプリンタ環境を見に行った。1台のPCからのみ印刷できないと。IPアドレスの問題だと思ったがネットには繋がっているから問題ない。そんなことで社員さんを巻き込んでああだこうだ。私には解決できず。早々に撤退。

夜になって誘われてご近所宅へ。行ってみれば都会や徳島から来た協力隊の若者たち。元協力隊の人も集まってきて焼肉をご馳走になった。それに銀杏。私は多分30個ぐらい食べた。大いに笑い持参したビールは早々に飲んでしまい何だかビールもご馳走になって大酔っぱらい。

金曜は夜になって小松島市にある「こはくの天使」へ。水曜夜も食べに行ったのに冬季限定メニューのビーフシチューを食べたいと妻が言うもので。ソフトバンクの電波は弱いが店内のWi-Fi使ってiPhoneからツイッター。フリック入力にはまだ慣れない。

バスケットと飲み会と偶然の出会い (11月10日・水)


火曜はバスケットボール。先週は地元の祭りの宵宮で参加できなかったので2週間ぶり。短パンで行ったのだがさすがに寒い。でもゲームが始まると半袖Tシャツで十分。さて昨日は最初7人でハーフコート。すぐ9人に増えたので4対5でフルコートのゲームを5試合ぐらい。

後方からパスを受けてゴール下のフリーシュートが6〜7本あったのに半分は外した。焦ったのが原因。ペナルティエリア内からのミドルシュートも全然ダメ。いつもに比べてパスだけは通った。昨日は地元で初めて会うT君が参加。いつも消防団でお世話になっている人の次男だとか。19歳。

私がバスケットをやっている間に地元の友人が車のオイルを替えてくれていた。2台分も。それで彼とバスケット仲間の地元のT氏を誘って自宅で飲み会。弟が先日旅行先の伊豆から送ってきていた魚やエビが肴。何だかいろいろと話をしているうちに朝3時まで飲んでしまった。

水曜は夕食に「こはくの天使」へ。お客さんとして来た人を紹介されたのだがイタリアンレストランを複数経営する青年社長にして徳島商工会議所青年部の方。立ち話をしただけで私の友人2人の名前が。徳島の面白さは人と人がどこかで繋がっていること。しかもみんなツイッターユーザー。

東京の「人身事故」 (11月8日・月)


地域のことは住んでみないと分からないことがある。例えば上勝の季候。冬の寒さや雪は予想の範囲内だったが夜と昼の気温差が大きいことと湿度が高いことは意外だった。雨の日の霧は幻想的で雲が誕生する瞬間を見ているような不思議さもある。

一方で東京。住んでいるときニュースで報じられないのが不思議だったのが自殺の多さだった。駅で急行電車などに飛び込むのだ。どこかの駅で起きると電車が止まるから駅で「人身事故」のアナウンスを聞くことになる。今年も寒い季節になってきて人身事故が出始めているのではないか。

私が住んでいた頃はニュースにならないほど多かったのかも知れない。冬は毎日聞いた。もちろん東京は地下鉄や郊外へのJR・私鉄を併せ数十の路線と数百の駅があるから人身事故を知る機会は多かったのだと思う。それにしても毎日どこかの電車が止まることは気が滅入ることだった。

ところが毎日起きれば慣れる。人身事故と言い換えられていることもあって「またか」と思うだけになっていく。東京では他人の苦しみや死に鈍感になっていくような気がする。ニュースにならないほど自殺は多いが他人の自殺に慣れていくことには報道の価値があると思うのだが。

合唱の演奏と棚田音楽祭 (11月7日・日)


11時半頃出発して徳島市中心部にある伊月病院デイケアセンターに行って「響」で演奏してきた。聴いているのはデイケアに来ている方なのかお年寄りと家族と思しき方々。場所が場所だけに演奏中も動きがあったことを指揮者は気に入らなかったらしいが私はどうでもいいことだと思う。

自由にならなくなった体で退屈な日々を送っている人たちにとって日常とは違う刺激の場なのだから私たちが生で演奏したそれだけで十分だと思う。それでも体調を思いやらないといけない介護士さんたちの動きは仕方ない。私はこういう場で演奏できたことを喜んでいる。

ただし演奏内容はダメだった。ベースの人数が足りず指揮者が演奏者の列に加わった。おかげで指揮が見にくい。しかも15人の列の中央付近の私にはバリトンの音がほとんど聞こえない。タイミングがずれそうになったところがあった。加えて「時代」の歌詞を2箇所で間違った。

妻は棚田で行われた音楽祭にコーラスで出演。屋外でマイクを使ったらしくパートごとに3箇所に分かれたため別パートの声が聞こえず私と同じ状況に陥ったらしい。このときの写真を見たら揃えた衣装がなかなか良かった。夕方早速写真を届けてくれたS氏と飲み始め夕食も一緒に。

菜の花の種まきと「ゆこう」と棚田米 (11月6日・土)


棚田オーナー制の仲間であるY氏夫妻がやってきた。収穫した後の田んぼに菜の花の種をまくためだ。来年春の桜の時期に咲くらしい。先日は地元のNPOが徳島のボランティアらと休耕田を耕し菜の花の種をまいたらしいが今日は私たちが担当していた3枚の棚田に4人でまいた。

菜の花の種は小さい。コップ4つに分けて分担してまくのだが見ていると妻はいい加減というか適当にやって早く終わった。私は几帳面にまいていって時間がかかった。几帳面と言っても等間隔にまけたはずはなく何がいいのかよく分からない。咲いたときどう違うのか楽しみである。

その後は農家さんちで「ゆこう」の収穫。ゆこうは上勝町と周辺に自生している柑橘である。柚に近いがスダチと同様に酢を絞って使う。酢飯にはゆこうの酢に限ると地元の人は言う。スダチと違って枝にトゲはない。今日は4人で1本の木から全ての実を取った。コンテナ3個分60kg弱。

それと棚田から取れた米60kgももらってきた。これはY氏が持ち帰り改めて鳴門のT社長宅で分配会をやることになる。夜は「響」の練習。「花」「さくら」「この道」など愛唱歌中心。でもこうした曲は私が東京にいた時代に皆が歌っていたもので私は音取りができた程度の段階。なかなか厳しい。

秋祭りは神事 (11月5日・金)


秋祭りの精算で22時を回ってから何人かがやってきた。上勝には大字単位で5つある地区ごとに「1Q(いっきゅう)運動会」という任意団体が組織されていて地区の町興し活動を行っている。今年から妻は9人いる委員(うち3人は役場職員)の1人になり会計を担当しているらしい。

1Q運動会は夏祭りや地区の草刈りを主催したり秋祭りの出店などを担当している。秋祭りは神事であって地区にいる神社総代が仕切るものだが出店と余興は1Q運動会が担当している。ちなみに今年の我が地区の1Q委員長は中学の同窓生であるF氏。

秋祭りは無事に終わり1Q運動会が担当した部分の後片付けなのである。精算やクリーニングや借り物の返却などやるべきことはまだある様子。私は2日に買い出しに行った交通費をもらった。役場のM氏は飲まずに帰り結局いつものF氏とS氏と25時まで。

さて秋祭りとは神事である。神様をお移し奉った御輿が地区を回るべきところ今年から馬場に留め置かれたらしい。余所から招いた神官や子供だんじりの事情があると聞いたが農村舞台やだんじりを復活させて神事を蔑ろにしては本末転倒だ。秋祭りの本来の趣旨から離れることを私は憂う。

祭りの片付けとUST機材 (11月4日・木)


朝9時半に公民館。昨日まで地元であった祭りの後片付けに行ってきた。役場の2人と妻と出勤前のS氏と私。役場の方は公民館を掃除して私らは段ボールをくくったり荷物を倉庫に運んだり。私が行く前に役場に運んでいた方が戻ってきたので荷物を軽トラに載せて運搬作業。

ゴミ・ゼロを目指すゼロ・ウェスト運動を町を挙げてやっている上勝で開かれるイベントでは紙コップなど使い捨てのものはなるべく使わない。運動の推進母体であるNPOがリユース食器を管理して貸し出している。今回の祭りでもそのリユース食器が使われた。

ケース5つに入れられた食器類。結構重い。これを軽トラに載せて返却。運び込んでNPOの人たちと妻が数えたところ紛失したのはコップ1個だけだったらしい。これは極めて優秀な数字だと聞いた。さて役場のM氏と私はさらに某社で不要なコンテナ50個を借りて倉庫へ。午前中に終了。

午後はUstream用機材の発注。Webカメラにマイクやミキサーなど。今日だけで9万円ほど買った。この機材リストは私が原型を作りM君が機材を嵌め込んでくれたのだが最安値のサイトへのリンクもあって何も考えずに発注が進んだ。彼のような優秀な若者と一緒に仕事ができる幸せ。

秋祭りと「響」 (11月3日・水)


起床したのは徳島から来てくれたY嬢の電話でだった。今日の祭り用に私のiPhoneを貸す約束をしていたのだった。それ以前に設定をしなければならず事前に連絡をもらっていたのに結局Y嬢に指示を受けながらPCで設定。でもタグがうまく付かない問題があった様子。

Y嬢に遅れて神社に行って関係者の方々に挨拶したり舞台の準備を少し手伝ったり。それより普段あまり会わないY嬢と突っ込んだ情報交換ができたことは良かった。いろいろと構想が広がる。さてiPhoneによるUstream配信は電池の問題もあったし後から見たら映像が止まっている。

11:40頃に私は撤退。事務所に戻るとPCが不調で再起動2回ほど。それから「響」の練習へ。11月21日のコンクール全国大会の練習。今日はピアニストが参加して徳島で行う最後の練習。いつもの会場ではなく福島町にある謂東コミュニティセンター。25人が参加。

13時から17時前まで4時間弱。指揮者の指示を楽譜にメモはするがすんなり頭に入らずなかなかうまく歌えない。隣には絶対音感を持つ医学生W。18時頃上勝に帰ったが片付けはほとんど終わっていた。それで打ち上げだけに行くわけにもいかず4時間練習でクタクタで勝浦まで戻ってラーメン。

祭りの宵宮 (11月2日・火)


地元の祭りの宵宮。今日は午後になって祭りの準備で買い出し。その前に銀行に行って記帳してから沖浜でうどんを食べて業務用スーパーに。既に代金の支払いも済んでいて私は荷物運び。そのまま神社に車を乗り入れ荷物を下ろして昨夜使った鍋を近所のスーパーに返しに行って。

今回は出店をやっている妻の指示で事務所に戻って荷物を持っていたり動いてばかり。夕方一旦帰宅してUstream配信ソフトをiPhone4にダウンロードして設定もした。夜になって花火の模様をUSTしたがアドレスが入らずうまくいかなかったようだ。そのまま煙火警戒を消防団で。さらに宴会。

23時過ぎに解散したのだが残った数人で何となく相撲を取ろうという話になって最初に私はKんちゃんと。山で木を伐る仕事をしている彼には絶対に適わないと思ったがタイミングを見て上手の投げ合いで勝った。続いて副団長N君の相手をしたがタイミングを見る間もなく投げ飛ばされた

いや私が山の男に勝てるわけがない。でも相手をしてくれて多分ちょっと手を抜いてくれただろうKちゃんらとのコミュニケーションの面白さ。そう言えばH氏が私の右手の指を踏んだ。一生これをネタに言ってやると思ったが既に中指だったか人差し指だったかを忘れてしまった。残念。

ANAの就航 (11月1日・月)


昨日から羽田-徳島間のANA便が復活した。7年ぶりらしい。私がJ社に入った頃はJAS(日本エアシステム)だけだった。報道によると最初にANAが就航したのは94年11月らしい。でもANA便はいつもガラガラだった。JAS-JALの既得権を崩せず時間が中途半端だったように思う。

先日亡くなった元徳島県知事の三木伸三氏はANA就航を陳情に行ったときANAの役員が約束の時間から10分遅れたことに怒って席を蹴って帰ってきたらしい。当時聞いた噂だ。その後に就任した運輸省出身の圓藤寿穂・元知事がANA便を誘致したと私たちは解釈していた。

後にANAが撤退したのは圓藤氏が逮捕されてタガが外れたのだろうか。ともかく今回は新しい空港ビルが批判される中での再就航だ。旧ビルより狭くなったカウンターはまた批判されるだろう。ようやく検査ゲートを2つにするそうだが1日2回だけらしい。何にしてもちぐはぐな空港である。

それにしてもANAのマイレージカードを持ち続けていて良かった。ただしANA社員の親族は半額で搭乗できるらしい。弟の再婚相手がANAのキャビンアテンダントで実は私は該当者。ANAのマイレージとかは関係ないのだろうか。詳しく聞いておかないといけないと思いつつ。


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© 2010 Takashi INAGAKI