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2021年11月

映画「フラッシュ・ゴードン」 (11月30日・火)


NHK BSで放送されていた映画「フラッシュ・ゴードン」を録画して観た。高校2年だった1981年3月に当時数週間だけ付き合った彼女と劇場に観に行ったことは前に書いた。クイーンが音楽を担当していてCDで何度も聴いて来た。映画は前にも書いているが荒唐無稽なSFマンガの実写版である。

今回は字幕版だったがWikipediaによると日本語吹き替え版は日本テレビ「水曜ロードショー」で1982年10月20日とテレビ朝日「日曜洋画劇場」で1992年8月16日に放送されている。1982年は東京で仮面浪人中でテレビもなかったが1992年に観た可能性がある。だとしても29年ぶりだ。

ストーリーはだいたい覚えていた。記憶にあるシーンがいくつもあった。それはサントラ盤を何度も聴いてきて記憶が固定されてきたからか。アルバムにも含まれている「What do you mean Flash Gordon Approaching?」というセリフのシーンも29年ぶりに確認できた。

映画の前にNHK BSでは英国Wembley Studiumでのクイーンのライブも放送されていた。つい見始めたがDVDを持っていることを思い出した。ライブの前には99人が選ぶ2021年に聴きたいクイーンという番組があって「手を取り合って」が1位。2位が「Somebody to Love」だった。なるほど。

元F1レーサーの中嶋悟氏 (11月29日・月)


日本経済新聞の今月の「私の履歴書」は元F1レーサーの中嶋悟氏だった。今もスーパーフォーミュラやスーパーGTなどのレースに監督として参戦している。その中嶋悟氏とは何度か会ったことがある。一太郎データを探すと中嶋企画に鈴鹿から徳島への順路と所要時間を送ったFAX原稿が出てきた。

スーパーフォーミュラの前身フォーミュラ・ニッポン開始の1996年にJ社が中嶋企画のスポンサーになった。F1が最も盛り上がっていた頃に社長がF1モナコGPを観に行っていたからそういうときに知り合ったのだろう。社用車のホンダ・レジェンドも中嶋悟氏の推薦で買ったと社長が言っていた。

そのレジェンドを私が運転して助手席に部下のN嬢と後部に社長を乗せて鈴鹿サーキットにレースを見に行った。1996年のフォーミュラ・ニッポン鈴鹿サーキットでのレースは4月28日だったようだ。スポンサーだからパドックの中。レース前の中嶋悟氏と社長が数十分も話をするのに同席していた。

と言っても私は始まったばかりのフォーミュラ・ニッポンに関心はなかった。パドックだから各チームのレースクイーンが頻繁に通る。そのハイレグ姿ばかり見ていたように思う。帰りの暗くなった高速道路の渋滞で左路側帯から追い越していった車がいて社長と一緒になって憤慨した記憶もある。

Bluetooth受信機をテレビで使う変換プラグ (11月28日・日)


Lightning-VGAアダプタを買ってiPhoneの画面をテレビに出力できるようになった。でも音声は行かない。赤白のRCAプラグに変換できればテレビから音声を出すことができるのではないか。例えば実家で甥たちを撮影した動画をテレビで観るときなどに役立ちそう。

ヨドバシ.comに632円のものがある。実際にiPhoneの音声をBluetoothアダプタが受信できているかどうかステレオの標準プラグに変換して電子ピアノの上に出したミキサーに入れてみた。難なく成功。問題なく使える。ここでBluetoothアダプタのミニプラグは抜くことができることに気づいた。

つまりオスのミニプラグとピンジャックの変換ができればいい。該当製品をヨドバシ.comで見つけると2012年に買っていると書いている。それをヒントにICレコーダーで録音した「響」のデータを聞くため使っていたものをコード長は違うがフィットの中に見つけた。これを使えば済むと解決。

と思ったのにテレビのアナログ音声入力端子に入れても音が来ない。よく見ると背面にはミニプラグの入力端子があるではないか。BluetoothアダプタMM-BTAD5をその端子に繋ぐとあっさり音が出た。あれこれ考えたのに単純な解決。実家のテレビは分からないが今度試してみてこよう。

ナビデータのバージョンアップ (11月27日・土)


昨日は昼から日本酒を飲んで帰宅してイスに座ったまま昼寝。夕食後にもソファでウトウトして頭痛。夜は飲まず早々に寝に行ったが布団が夏用のまま毛布を掛けていて寒くて寝付けなかった。今日は復活。さてカロッツェリア楽ナビからバージョンアップ案内が水曜に届いた。

先日のアップデートでは全更新データをダウンロードしたらナビが反応せず小さな更新データだけでやり直したのだった。ともかく今回もNAVI*STUDIOというランチャーソフトを起動。いつも戸惑うのだがブラウザのSmart Loopというページに飛んでIDとパスワードを求められる。

それを入力するとMapFanプレミアム登録ページに誘導される。既に会員のはずなのだが。新規登録者を誘導するためのインターフェースであって既存ユーザー用にできていないから毎回分からなくなるのだと思う。ともかくクーポンコードを入手してダウンロードを実行。

前回の反省からSDカードは何もせずそのままリーダーに挿入。今日鳴門にコーヒー豆を買いに行くときにナビを更新した。ナビ更新中はバックカメラが使えず三菱UFJ銀行で難儀したが松茂のワークマンで冬用靴下も購入。晴れ予報だったのに勝浦までお天気雨で帰りは常三島で雹が降ってきた。

新嘗祭 (11月26日・金)


いつもはフィットを使うが今日はフォレスターで地元の神社。傍示八幡神社の新嘗祭である。だんじりで大鼓を叩くよう拝命して10時に行った。皆はドラム缶の焚き火に当たっていて準備はまだ。とりあえず太鼓を拝殿に出しておいた。今日は人が少ないらしいが担当の大鼓はN谷氏と2人で。

10:35から始め10:50には終わっていた。大太鼓のY山氏も帰り10:55頃から新嘗祭。脚の悪い太夫が階段から落ちるのではないかとハラハラする。私は寒さ対策で上はワークマンのアルミ裏のジャンパーを着ていたし足は靴下2重の上にさらに履いていたのだが床は冷たくて縮こまっていた。

神事は11:35に終わり皿鉢料理を食べながらまずは御神酒をコップで。ここまで居残ったのはH木氏とA堵総代と2代前の総代M下氏と私の4人だけ。ビール金麦350mLを2本飲んで後はM下氏に付き合って日本酒をやかんで暖めてコップ酒。7割ほどあった一升瓶を空にしたから3合ぐらい飲んだかも知れない。

最後は80歳のM下氏と神社総代グループから総代長Y中氏が合流して3人。Y中氏が1949年生まれの72歳と聞いてびっくり。話が聞き取りにくいが今日はM下氏が通訳してくれて半分以上分かった。15時半頃解散して片付けをしていちょうの葉で黄色に染まった境内で写真を撮ってから帰宅。

新型WRX発表と車中泊旅行 (11月25日・木)


フォレスターから乗り換えたいと書いたSUBARUの新型WRXが日本でも発表された。横幅1.825mはギリギリ許容できるか。新しい2.4Lターボエンジンで同時にレヴォーグにも同型エンジンモデルが追加された。でも477万円。総額550万円で割引があっても500万円といったところで手は出ない。

最近カブの話からキャンプへの興味が復活している。道具は揃っているからいつでもできるのだが1人で行く勇気がない。料理もできない。逆に旅行した先の名物を食べるような方が私には向いている。それでアマチュア無線で地元の人に教えてもらいながら旅行をしたら面白そうだと妄想している。

キャンプは設営と撤収が面倒だから車中泊でいいのではないかと関連情報も集めている。フォレスターでも後部座席足元スペースを埋めればほぼフラットになるとか。最近はエアマットやバッテリーなども充実していて例えば1週間ぐらい車中泊しながら旅行することに関心を持っている。

そうなるとセダンのWRXは向かない。レヴォーグは写真を見るとフラットになるようだ。でも車中泊をするなら多少室内高は欲しい。となると今のフォレスターがいいのかも知れない。むしろ横幅は大きくて敬遠しているがアウトバックが最も相応しいような気もする。と妄想を楽しんでいるところ。

Lightning-VGAアダプタでテレビ接続 (11月24日・水)


楽譜を液晶モニターで見れれば便利だろうとiPhoneから接続するLightning-VGAアダプタ検討したが純正品の定価が6,370円もするから逡巡していた。でもパソコン工房で1,980円の中古品を見つけた。送料660円を含め計2,640円。日曜にエイヤッと注文していた。今日届くはず。

それでデスク横に置いていた古い17インチモニターを自宅の電子ピアノの上に置いた。ところが電源が入らない。やっぱり壊れていたのか。思惑が外れてがっくり。と表に出たら2F廊下からT中氏に声を掛けられS田氏宅でコーヒー。事務所前に貼り紙をして荷物はS田氏宅に配達してもらった。

このアダプタを使えばiPhoneの画像や動画をテレビで観ることはできるから帰宅後に試してみた。でも音声は伝送しない。昨年買った受信モードもあるBluetoothアダプタを使えばいいと思い付いてiPhoneとペアリングしてみたがこのMM-BTAD5の3.5mmミニプラグを差し込む口がテレビにない。

3年前に買い換えたオンキヨーNFR-9TXにはBluetooth受信機能があったはずとマニュアルを見ながらボタンを押してペアリング。iPhoneからの音がオーディオコンポから出ることを確認。例えばYouTubeの動画をiPhoneからテレビで観ることはできるようになったのでヨシとしよう。

バイク用ヘルメット (11月23日・火・祝)


近所に住む中学の同級生F田氏に誘われてカブを買おうかと思っているのだが絶対に必要なのがヘルメットだ。30年前にバイクを買ったときは多分富田浜にあった南海部品で購入したと思う。確かARAI製で黒のフルフェイス。今も実家の納屋にあると思うが30年経ってさすがに使えるものではない。

H木氏が最新のものは5万円ちょっとと言っていて驚いたARAIで見るとフルフェイスの一番高いものが5万円超。ちなみにH木氏もY田君も私がSHOEIかARAIのどちらかは経営破綻したよねと言っても知らない。調べるとSHOEIが1992年に会社更生法を申請して1998年に更生手続きは終了している。

先日F田氏のカブに乗ったとき彼のヘルメットは内部が外せて洗うことができると聞いてびっくり。調べると最近のヘルメットはベンチレーション機能があって風が抜けるようになっているらしい。単純なヘルメットでさえ機能が進化しているが30年も経ったのだから当たり前か。

カブだからフルフェイスは大げさかとオープン型でシールド付きのSZ-Gぐらいがいいと思う。定価38,500円。中国製など安いものもあるようだがヘルメットは安全のキモであってARAIかSHOEIから選択するのが正しいと思う。アマゾンで31,127円だったのでとりあえずカートに入れた。

カノンの楽譜と「Lemon」 (11月22日・月)


電子楽譜カノンのサブスクリプションのライトプランに 昨日加入して「ありがとう」をダウンロードして印刷。昨日その練習をしたのだが全然ダメだ。前奏のリズムで躓いた。以前「響」で歌ったときもリズムが難しく歌詞が覚えられないほど長かったことを今になって思い出す。

サンプル楽譜を見ずに決めたのが悪い。でも教本も何度もダメだと思いながら乗り越えてきた。iPhoneで演奏を聴き右手と左手を別々に練習した上で何度か試すと1時間ほどで前奏から歌い出しの7小節は何とか弾けるようになった。ただ繰り返しもあるだろうが楽譜は10ページもあって先は長い。

こういうとき諦めて次の曲に行くために11月から加入したわけだからもっと簡単な曲を改めて探した。ハ長調で短くてできれば指番号の付いているもの。サンプル楽譜は1ページしか表示されないからよくは分からないが「ありがとう」よりは簡単だろう曲を10曲ぐらい選ぶことができた。

その中から米津玄師「Lemon」の初級楽譜をダウンロード。印刷して見ると1ページ目はどうにかなりそうだが何ページ目かにまた難しいリズムがあってこれも難しそう。とりあえず今日は1時間掛けて冒頭4小節を何とか。夜になって指番号が付けられると分かり再度ダウンロードして印刷した。

ピアノの練習と電子楽譜カノン (11月21日・日)


8月から始めたピアノの練習は9月から教本の下巻に入りほぼ課題曲10曲を終えた。9月は週6日ぐらい練習していたのに10月は3日に2日。11月は3日に1日ぐらいのペースに落ちていた。たった2小節だけに2時間×2日間を費やした曲もある。私には絶対に無理だと思った曲でもシナプスは繋がった。

それがモチベーションだったかも知れない。教本の1曲目も2曲目も指が動かず多分何百回も弾いたと思うが今では難なく演奏できる。後半の曲はまだ引っ掛かるが回数を重ねれば弾けるというメドが立った。おまけの練習曲もまだあるが上巻では意外に簡単だったからこれは飛ばそうと思う。

次に何を教材にすればいいか分からなかったが北九州のW君が書いていた電子楽譜カノンから選んだ。入門・初級・初中級・中級・上級とランクがあって馴染みのあるJ-POPの曲も多い。そこでアーティスト別に探していって入門と初級からまずは私が知っている曲をEXCELでリストにした。

1曲あたり240円か360円か480円。ただ月額定額のライトプランだと月に3曲までダウンロードできて528円。自分と楽譜のレベルを探るため敢えて12月を待たずこのプランに加入した。弾けないと諦めても12月までに6曲をダウンロードできる。まずはいきものがかり「ありがとう」入門楽譜を印刷。

カブ試乗と売り家 (11月20日・土)


カブに興味を持って先日の防災パレードのときF田氏に変速の方法について教えてもらっていた。クラッチがなくて変速はロータリー方式になっていると説明を受けたのだが実際のギアチェンジがよく分からない。と昨夜F田氏からお誘いがあって今日14時に中央地区。F田氏のカブに乗せてもらった。

まず変速の説明をしてもらってシートに跨がったがつい左手がクラッチレバーを握ろうとする。でも左にレバーはなくて左足のつま先を踏んでシフトアップ。かかと側でシフトダウン。中央のポンプ小屋周辺をヘルメットを被らず走ってみたがシフトダウンでガクンとしてしまう。まだ慣れない。

ポンプ小屋の隣がF田家の倉庫で中を初めて見た。義父の元町会議長F田氏が昨年亡くなって倉庫の中を整理したとか。今回のカブのほかカワサキの650ccやヤマハのセローとバイクが3台。さらに動かない古いカブが2台。亡くなった実兄が持っていた自転車などが3台。小さなショベルカーまである。

ここでバーベキューができそうという話から焚き火台を買ったとか話題は諸々。先日A堵氏から聞いた売り家を見に行こうとF田氏はカブで行き車を駐めて外から見学。この季節は14時に日が山に沈むが便利なところではある。帰宅してF田氏からいい土地を見つけたとメッセージ。妄想ばかりだが。

ピアノ練習録音用ミキサー (11月19日・金)


練習しているピアノ演奏を録画しておこうと思い立った。いつまで続くか分からないが現状のレベルを記録しておきたいし先々こんな下手だったと見直すのも一興。でもiPhoneで録画してみると鍵盤を叩くボコボコという音まで入る。音量を上げれば気にならないと思うが大きな音は出したくない。

そこで電子ピアノとデジカメをケーブルで繋いだ。そうすると音が出ないからイヤホンも使うことになる。電子ピアノに幸いヘッドホン端子が2つある。でもイヤホンでちょうどいい音量にするとデジカメでは音が歪む。デジカメで録音レベルを調整してみたがダメ。入力レベルが高すぎるようだ。

そこで10年以上前の小さなミキサーを取り出し繋いでみた。電子ピアノからミキサーに入れてデジカメとイヤホンに出力を分ける。ミキサーの出力レベルを変えてやれば上手くいくはず。上勝TVの機材からケーブルを探して何とか接続。ところが今度はイヤホンケーブルが画面に入って邪魔になる。

そこで秋祭りのとき使っている25年物のミニスピーカーを持ち出して接続。音は完璧。大げさになったがこれでデジカメに繋げばいつでも録画はできる。演奏は録画していることを意識するあまり引っ掛かってばかりなのだがそういう緊張感もいいだろう。夕方はK浦氏が来て一緒に部分月食を見た。

消防ポンプのバッテリー交換 (11月18日・木)


消防分団の消防車に載っているポンプは3年前に新調されたものだ。元のポンプは3年半前にエンジンが焼き付いてしまった。火事の現場で複数台のポンプで中継しながら何百メートルもホースを連結していて給水される水圧以上の放水をしようとエンジンを回しすぎたのが理由だと後から聞いた。

給水と放水の圧力バランスを取る必要があることは5年前の消防学校の研修で私は理解していた。でも当時の私は機械班ではなかったし団員は分団関係なく入り乱れていた。私はホースを持って走り回っていてどれが我が分団のポンプなのかも分からなくなっていた。

後にポンプには機械班の分団団員が張り付いておくことと通達もあった。その年の4月から私は機械班長になったので意識している。ともかくポンプは新調されたのだがエンジンの冷却水は放水用のものを流用する仕様のもので充電のためにエンジンをアイドリングさせるわけにはいかなくなった。

それで充電器に接続しているのだがバッテリーが上がったらしい。先日のパレードでは手動でエンジンを始動。結局バッテリーを買い換えて今日交換。T中副分団長から呼ばれて午後作業に参加した。バッテリー交換前後にプラスチックのパネルを外して再度留めるだけだったが。15分ほどで終了。

小学校のときの長距離走と肺活量 (11月17日・水)


中学1年の体育の授業で多分雨だったのだろう教室で肺活量を計ったことがある。順番に前に出て息を吹き込んで測定。肺活量の大きさで私は1番ではなかったと思うが2番か3番か。教師から水泳でもやっていたのかと訊かれた。「いえ」と答えただけだったが思い当たる節はないわけではなかった。

小学校で100m走などはトップクラスだったが長距離は上位1/3程度。女子も一緒に走っていたのだとすると男子の中で真ん中ぐらいだ。いつも脇腹が痛くなって苦しかった。それなのに6年のとき放課後にグランドを何周も走っていた。後に城南から上智大に行く金沢君と一緒に始めたのだった。

なぜ走ろうとしたのか全く記憶にないがグランドを10~15周ぐらい。3kmぐらいだろう。冬の間1~2ヶ月やっていたように思う。あれで心肺機能が鍛えられたと中学1年のとき教師に訊かれたときに思った。でも小学校3年か4年の頃も放課後に皆が自転車に乗るのに私だけ走って遊びに行っていた。

小学校低学年に乗っていた自転車が壊れたか小さくなって次の自転車を買う間。と言っても数ヶ月から1年ぐらい自転車なしで通したと思う。皆も私のペースに合わせてくれていた。私は体育の時間のマラソンは嫌いなのに走ることは苦ではなかったらしい。やっぱりあれで鍛えられたと想像している。

バイク用の革パンツ (11月16日・火)


昨日は15日の消防点検。9人がいて2手に分かれ私は消防車を運転して鹿子山に。分団長は待機してT中副分団長が買い出し。後席にK本君とS君。走行中に助手席のY田君が左ミラーを倒したままだと言う。でも景色が見えている。と思ったら前方右が映っていたのだった。後からY田君にバカにされ。

さて23歳N野君がバイクの免許を取りたいと言う。そこから分団長とY田君のライダー2人とバイク談義。ヘルメットが5万円ぐらいすると聞き私もびっくりしつつグローブは必須という話。私が免許を取った30年前は革グローブはもちろん皆からブーツも必要だと言われて買って持っていた。

出張ついでの東京神保町で革パンツも買った。平日午後だから客は少なく3人ぐらいの若いスタッフがいろいろと持ってくる。バイクの機種を聞かれ答えるとカワサキ乗りは変態が多いですもんねと言ったことを覚えている。それを以前H木分団長とY田君に言うと「分かる」と。

既にZZR250に乗っていたから1991年の秋か結婚した後の1992年か。北海道では穿いていたはず。徐々にウェストがきつくなり後に普段はジーンズだったかも。1998年にはバイクを売ったので穿かなくなった。20年近く前に実家の納屋の段ボール箱の中にあったがカビが生えていたと思う。

塾での友人 (11月15日・月)


小学校時代の塾での思い出。前に書いた聖母幼稚園の英語塾にはS井君もいたと思う。城南高校から関西大学を出て日興證券に入り今は広島の証券会社で役員をしている。彼の実家は鳴門市役所の西にあって聖母幼稚園に行くにも鶴屋百貨店の塾に行くにも私と同じ旧国道11号を通る。

そこで偶然会うことあって一緒に通うことがあったと思う。小学5~6年生で彼は別のクラスだが多分NHK大河ドラマを観ているという話題で仲良くなったような気がする。彼の実家には何度も行った。鉄筋作りで玄関は外階段を上がった2F。1F部分は土のスペースで卓球台を置いていた。

鶴屋百貨店屋上プレハブの塾に通っていたときに誰がいたか1人しか覚えていない。それは小学校の少年野球で3塁手だったか投手だったM原君。同じクラスになったことはなかったと思うが運動万能で格好よく皆から一目置かれていた。でもある日周りに何かを隠されるいたずらに遭って泣いていた。

塾では別のクラスで帰るときに気づいたのだと思う。周りに聞いて事情を知ったがスポーツ万能の彼が泣いていたことにびっくり。別の小学校から通っていた子たちがやったのかも知れない。こういうエピソードがない他の友人たちのことは何も覚えていない。塾の名前さえ記憶にない。

宵宮で取った相撲 (11月14日・日)


先日の防災パレードの後で飲んだとき前に秋祭り宵宮で相撲を取った話になった。あれは2010年11月2日だ。あの相撲のきっかけは当時知らなかったがT中氏とT口氏の喧嘩が原因だったらしい。私は未だ話をしたことがない当時のある団員についてT中氏が揶揄するようなことを言ったのが原因とか。

それにT口氏が怒って喧嘩になり円満に収めさせようと相撲で片を付けろと言ったのがN野氏だと。T口氏は今や本団副団長でT中氏は副分団長。N野氏は総務部長で9日はその3人が揃っていた。11年前の相撲でT中氏は上からT口氏に倒れ込まれ肋骨にヒビが入った。それは翌日知ったこと。

相撲をするならと私はK浦氏に申し入れ投げ合いの末に勝った。というか勝たせてくれた。Kちゃんに勝ったと喜んで騒いで次にT口氏に申し込んだ。T口氏はKちゃんに勝った私を強いと誤解して本気で相手をしたという次第。多分I本氏が私の被ったヘルメットが危ないと盛んに言っていた記憶がある。

私はT口氏に0.5秒で投げ飛ばされていたと説明している。そのときT口氏の指が掛かってジーンズ右のベルトループが千切られたこともネタにしてT口氏をいじめている。あるいは私相手に本気を出したT口氏は大人げないと。そうやって何度も何度も皆で思い出して混ぜっ返して大笑いしているのである。

額を3針縫った傷 (11月13日・土)


消しゴムのことでウソをついた相手のY内幸子ちゃんと仲良かったことで近所の友だちからからかわれた末に石を投げられたことがある。小学1年のときだ。実家前にあるドブ川の向こうの私道。今は住宅が建ったが当時は田んぼだった突き当たりを私が背にして大寺さん宅手前に3人。

今は舗装されたが当時は土の道で小石が混じっていたのだろう。もしかするとコンクリート片もあったかも知れない。それを拾って投げ合っていたのだと思う。その1つが私の額に当たった。左の眉毛の少し上。私は1年1組で石を投げたのは谷本基(もとい)君と言い1年4組にいた。

次の記憶は大道銀天街にある鵜飼病院の診察室。鵜飼先生は同級生の父上で右か左か手の小指がなかった。目をつぶってと言われたとき隣にいた母は目をケガしたと勘違いして不安だったと後に言っていた。3針縫った。すっかり忘れていたが額の左だと思い出せたのは今もわずかに膨れているからだ。

後日私が不在のとき彼の親がメロンを持ってきたらしい。1つか2つ下に妹がいてメロンをもらった私のことが嫌いだと言っていると誰から聞かされたが知ったことか。谷本君とはその後普通に遊んでいたと思うが1年の終わりに転校して行き同学年の児童全員が彼の親からノートをもらった。

冬支度 (11月12日・金)


先月22日に寒くなったと書いた。でも今年の秋祭りは例年に比べて暖かかったと思う。宵宮はだんじりの幕の中にいたから暖かったのかも知れないが3日もいい天気だった。いつもなら銀杏の葉が境内に落ちていたと思うのだが今年は見上げればまだ青々とした葉が茂ったままだった。

でも今週火曜の防災パレードの日はまた一段と寒くなった。それまで事務所の室温計が20度を下回ることなく部屋で料理も作るから22度ぐらいまで上がっていた。でも妻が出張に行き料理も作らず熱源がない。室温は18度ぐらいにまで下がり昨日はエアコンを暖房にして使った。

まだファンヒーターを使うには早い気もするのだが昨年は11月6日に灯油を買っているのでやせ我慢はしないことにして昨日とりあえず1缶18Lだけ買ってきた。今日はトランクルームからファンヒーター2台とストーブと窓の断熱材を持ち出した。結構重いので大変なのだが。

窓際に置く断熱シートは古いからカビも生えていたりするのだが気にせず設置。自宅の寝室にもファンヒーターを運んだが給油はまだ。寝室の暖房は12月中旬になってからで十分だと思う。勢いに乗って溜めに溜めた古新聞と段ボールを束にした。明日ゴミステーションに持ち込もう。

「CQ」誌と「モービルハム」誌 (11月11日・木)


中学1年の2月にアマチュア無線局を開局したのだが1977年当時の情報源は友人か専門誌だけ。それでCQ誌は必然的に毎号必ず買うようになった。CQ誌は月刊誌だが当時はアマチュア無線全盛期で厚さが今の倍ぐらいあった。値段も今は990円だが記憶によると当時は360円とか380円だったと思う。

当時の発売日は毎月18日だったと思うのだが待ちきれずに鳴門の大道銀天街にあった小山だったか本屋に行く。でも18日に入荷はしておらず買えるのはだいたい2日遅れだった。まだ来ていないと言われ落胆した日があったことを今も覚えている。あのとき徳島がいかに田舎かと思い知った。

今回最近のCQ誌を買ってみて記事より広告が目当てだったと思ったのだが技術的な記事はモービルハム誌を読んでいたような気がする。アンテナの自作記事などを参考にして自分でアルミパイプを買って来て水平ダイポールアンテナを作ったことがあったと思う。

ヘンテナというアンテナを中学で1級上のK戸さんが自作した聞いて私も作った記憶がある。電波は飛ばなかったが。検索したらモービルハム誌は2000年3月号が最後だったそうだ。CQ誌は寄稿によって経費を抑え広告中心だから生き延びているのかも知れない。でも皆は惰性で買っていると思う。

防災パレード (11月10日・水)


昨日は「119」の日で防災パレード。昨年に続き参加した。12時半からの無線テストも担当。H木分団長の指示に従い体育館の東に消防車を移動して助手席で無線を聞きながら待機した。役場から次々呼び出しが掛かるのはアマチュア無線におけるロールコールミーティングそのものだ。

13時過ぎから車両が集まって計6台。T中副分団長が運転して助手席に女性消防A川さんが座ってアナウンス。後部にN野総務部長とF田班長と私。T中副分団長は前夜の飲み過ぎからかやや慎重な運転。2日に聞いていたダンプが畑に転落していた現場も通った。ここでは重機がいて一旦退避してもらって。

3地区を回って福川グランドに着いたのは16時頃。前夜の雨でぬかるんだ河原に各分団から1台ずつポンプを下ろして放水。ポンプは4人で運ぶのだがF田氏が重いと言う。代わってみるとF田氏のところだけ体感2倍は重かった。分団に戻り私は着替えて16時半頃からみつさんで慰労会。

F田氏は帰り本団T口副団長が合流して6人。生ビール7~8杯に日本酒おちょこ3杯飲んで大いに盛り上がった。21時過ぎに帰ったがさらにT君を捕まえN野氏と3人で24時過ぎまで飲んだ。ビール1本。今日は10時から電話で原稿打ち合わせ。妻が昨日から1年半ぶりの東京なので夜は惣菜を買ってきた。

『コーヒーの「こつ」の科学』 (11月9日・火)


いつ買ったのか覚えていないのだが先日読んだ『コーヒーの科学』に似たタイトルの本を持っていることに気づいて続けて読んでみた。石脇智広『 コーヒー「こつ」の科学―コーヒーを正しく知るために』(柴田書店)。著者は全日本コーヒー検定委員会コーヒー鑑定士講師という肩書きだ。

『コーヒーの科学』の要点を簡便に分かりやすくした印象。全部で87のQA形式だからテーマが短く読みやすい。本書では抽出について2段階あると言う。1つはコーヒー粉の表面から湯に成分が移動する段階。2つ目は粉の内部から表面に移動する段階。淹れ方の差が味に出るのは後者の成分抽出だと。

同じコーヒー粉で味が変わるとすれば粉と接している湯温や湯量や抽出速度がある。先日の『コーヒーの科学』の内容も勘案するとドリップ方式は速度をコントロールする難しさがあるように思う。豆の特性などを熟知して速度を変えることで味を変化させる面白さに繋がるとも言えるのだろうが。

でも私はただ美味しく飲みたいだけ。フィルターの特性にも依存する抽出速度が重要なドリップ式よりも湯温と湯量と時間だけでコントロールする浸漬式の方が簡単でいいと考え始めている。というわけで今後コーヒーを淹れる方法としてハンドドリップではなくフレンチプレスに傾いているところ。

コーヒー浸漬式ポットとナビデータ (11月8日・月)


そう言えば2006年設立の我が社は10月末で第15期が終わった。それなのに月末の記帳がまだだったので日曜は銀行に。駐車場が満車なのでまずは鳴門へ。ザ・コーヒービーンズでまた100gずつ5つ買った。前回も買ったブラジルとグァテマラの深煎りに今回はホンジュラスとコスタリカとケニア。

浸漬式ポットに興味があって訊いたのだが満水容量500mLで実際には350~400mLになると言う。先日いつものコーヒーメーカーで計ったところ注水容量は500mLだから難しい。スノーピークのフレンチプレスにしようか。鳴門まで行ったが実家に行くと母と喧嘩になるので敢えて寄らなかった。

さてフォレスターのナビデータを更新しようと準備していたSDカードを挿入したのだが何も起こらない。SDカードのデータを一旦全削除したのが悪かったのか。帰宅して改めてマニュアルを見て確認。最初にPC連携用として登録するのだが何のメッセージも出ないから設定はできているはず。

もう一度PCからダウンロードしたがデータ量が少なくて何だか不安なまま。でも雨の今日午後SDをナビに入れると更新するとのメッセージ。ナビは使える状態のまま画面下部にパーセンテージが表示される。途中からエンジンを切って車から離れたが再起動が掛かり多分50分ぐらいで無事に終了した。

「CQ ham radio」誌 (11月7日・日)


先月だがアマチュア無線の専門誌「CQ ham radio」を買った。中学時代は毎号買っていて何年か前にも一度買った。CQ誌バックナンバーを調べると2020年12月号がリターンハム特集の2020年12月号。アマゾンでは1冊990円に送料が660円と出たのでCQ出版社のサイトに会員登録した上で購入。

送料250円だが1,500円以上買うと無料というので最新11月号もついでに買ってみた。最新のアマチュア無線機の購入ガイドだから少し勉強になるかと思い。高周波技術専門誌「RFワールド」のノベルティだろう国内周波数チャートなどが印刷されたクリアファイル3枚のおまけ付き。

リターンハム特集の昨年12月号を読んでみたが内容は今ひとつ。例えば1982年開始のリピーター通信を私は大学生だったが利用したことがなく使い方も理解していない。インターネットを介するD-STARという通信規格が2004年から使えるとは書いてあるがどちらも何をどうするのか分からない。

CQ誌のほぼ全記事が個人の寄稿によっていて各2~4ページと細切れで内容の重複も多い。そう言えば毎号買っていた40年以上の昔も記事より広告が目当てだったような気はする。ただついでに買った最新11月号がD-STARについては詳しかったし他の記事も含め結構じっくり読むことができた。

古いiPadとiPhoneからのモニター出力 (11月6日・土)


ピアノの練習はまだ続けているのだが「響」の元団員で北九州で薬剤師をしながらアコーディオン演奏家として活動しているもみ君が楽譜のダウンロードサービスのことをツイッターに書いていた。これはいい。iPadのビューアでも使える。8年ぐらい放置している初代iPadで使ってみよう。

と充電を始めたがiOSは私のiPhone SEが15.1なのに9.3.5で最新と出る。とりあえず楽譜ビューアをダウンロードしようとしたら互換性がないと。OSが古すぎるらしい。ビューアはiPhoneでも使えるからiPadにミラーリングしようと調べたがiOSのAirPlayも外部アプリもiPadが古すぎて使えない。

iPadのモニター化は諦め次に3年ほど前の中古品を調べた。でも12.9インチだと6万円はする。そこまで投資は難しい。ふと1年前に壊れた17インチモニターを操作すると電源が入った。iPadのDockコネクタからD-sub15端子の変換ケーブルがあるからiPadと接続するとモニターに表示された。

それならiPhoneのLightningからD-sub15への変換できればいい。でも変換コネクタは純正品が6,380円。社外品は使えないという口コミが多数。あるいはLightningからDockに変換ができれば多段接続だが出力できるはず。この純正品は3,850円。でもそこまでする価値はあるのだろうか。

バイク (11月5日・金)


J社の後輩で石井にいるE藤君がハーレーダビッドソンを買って二輪デビューしたし同期のO村もリターンライダーだと言っている。消防団でよく話をするY田君はカワサキZX-25Rの爆音を響かせているしH木分団長もライダーだ。二輪レースMotoGPもまた見始めたしバイクには少し興味はある。

でももう怖い。リターンライダーの事故もよく聞くしツーリングに行くのは面倒な気もする。今や車で行くのが楽ちんなのだ。ところがF田氏と話をしてカブの存在に気がついた。バイクというと250ccや400cc以上の中型または大型ばかりに目が向いていたが125cc以下という選択肢があったのか。

徳島市まで行くなら車の方が安全だし気が楽だが例えばだんじりの練習で神社に行くときバイクなら気軽だし祭りのときでも境内に乗り入れられる。狭い道が多い町内の探検には断然バイクが向いている。ヘルメットは必要だが自転車に乗るような感覚で町内の飲食店に行くのもいいかも知れない。

F田氏に教えられたYouTubeを見るとライダー向けのキャンプ機材も進化している。昔はよく行っていたので県内程度の近いキャンプ場ならバイクで行くのも楽しいかも知れない。と気分が盛り上がっているのだが従兄弟がモンキーを持っているのに今は乗っていないはず。譲ってくれないかな。

アンクルウェイト (11月4日・木)


アンクルウェイトをまた使い始めたのは2週間前。使っていたのはGawriと書かれた1kg。でも表面のビニールがポロポロと落ちてきた。まとまって剥がれるならいいのだが細かな粒になって落ちる。 足元がザラザラしてきた。重りとしては問題ないから使っていたがまだ剥落してきそうだ。

剥がれるなら剥がそうと手で擦ったがすんなり落ちない。鬱陶しいので思い切って処分することにした。で次のものを物色。初代のアルインコは金属ループに通してマジックテープで留めるタイプだったがベルトが重りのせいで片側に寄ってしまい上手くいかなくなった。表面のビニール加工も除外。

アマゾンでリーボックRAWT-11272 Flexlockを見つけてヨドバシで少し高い4,280円だったがポイントを使って購入。秋祭りで1Q売店の店長だと言って昨日朝から一緒にいたY田君が届けてくれた。今回は少し重くして片側1.5kg。今までのものは1つの布袋に鉄粒が入っていて重さの偏りがあった。

でも今回のものは6つの袋に分かれているから満遍なく重さが掛かる。マジックテープも2つあって一周させたところとさらに上から別のベルトを伸ばして留める。1.5kgだから厚さがあってジーンズの裾の中にギリギリ収まる感覚と赤色なのが難点だが日中は使い続けてみようと思う。

秋祭り (11月3日・水・祝)


7時過ぎに目が覚めてパジャマの上にコートを着て自販機でアクエリアスを買って来た。体調は悪くないが予防措置だ。5時間ほどの睡眠で10時にお宮に行くと既にだんじりはセッティングされている。少し寒くて日向に背を向けて丸まって。太鼓は10時半頃から叩き始めたと思う。

11時を回って1Qが売っていたおでんを食べた。太鼓を叩いている間に神輿が始まり境内から外に出たのかと思ったら拝殿に戻っていたらしい。13時頃に終わったように思う。続いてだんじりを倉庫に入れるのだが人手がいる。神輿の担ぎ手に声を掛けに行ったN岡君が戻って来ない。

待ち時間に1Qの出店でビールを買って1本目。そのうちだんじりを片付けイスに座って仲間たちとビール2本目3本目。80歳のF田K子さんY田K子さんやT口F子さんらも加わって暖かくなってきた青空の下のピクニック気分だ。16時に撤収して次はだんじり組が飲んでいる中央会堂に行った。

N岡親子や初めて会った着物を着たH嬢にN野母子らとカラオケ。あんたのバラード。90点。18時に皆がいる公民館に合流して初めて会った同じ住宅にいるH澤夫妻らと話をしてラーメンを食べS田氏も合流して21時半解散。公民館では水ばかり飲んでいたのに最後にビールを飲んでしまい頭が痛い。

ナビデータ更新準備と秋祭り宵宮 (11月2日・火)


昨年も同じことを書いているがナビデータの年間契約の引き落としが12月1日との連絡が昨日あった。今年5月にもデータを更新していて方法を思い出してからランチャーを起動。SDカードは一旦全削除してダウンロードとコピー。SDカードからナビへの導入はまた今度ということで準備だけはできた。

今日は地元神社の秋祭り宵宮。コロナ禍で規模を縮小したもののだんじり囃子で16時半に行った。80歳を越えた人たちに交じって30歳の役場N岡君と太鼓を軽トラに載せだんじりに運びセッティング。幕を張るため作業。寒くなると思って厚着してきていたから暑い。上着とダウンベストを脱いで。

17時過ぎにお太夫の祝詞を受けだんじりに上がって太鼓を叩き始めた。18時前に休憩して私はビール。18時半頃に交代して2度目の登板。19時前に終えた。この間ビール3本。そのまま宴席になりビールは計5本。さらに日本酒は10杯以上。21時頃に皆が帰って行ったのにN氏と長老M本会長と。

N岡君とN野君の若者も帰りなぜか元同僚で上勝にもいたN田君がやってきて飲み始め。N野氏がT中氏を呼び出し最後は4人。定住しないN田君にN野氏が噛みつき大激論になって気がつけば24:36。私は湯飲みを洗いゴミを燃やし。暗い境内でいつもと違う宵宮。25時過ぎに解散。今年も酔った。

スーパーカブ (11月1日・月)


殿川内に紅葉を見に行ったときF田氏とカブの話になった。ホンダのスーパーカブは1958年に発売され世界で1億台出荷はニュースにもなった。派生モデルのハンターカブが人気だとは知っていたが他にもいろんなモデルがあるとは今回初めて聞いた。特にクロスカブというモデルは初めて知った。

後からスーカーカブC125の荷台が110より小さいのは昔のC100の復刻版だからとも教えられた。昔のことだから荷物を載せるより2人乗りをするための荷台なのか。そう言えば私が子どもの頃に実家には父が乗っていたスーカーカブがあったのだがこのC125と同型だったのかも知れない。

父が車を買ったのは私が小学3年の頃だからそれ以前はカブが我が家で唯一の乗り物だった。前に書いたのだが岡崎から渡船で大毛島に渡り島田島スカイラインに荷台に乗って行ったことが何度もある。冬で身体が冷えて帰宅して母が驚き父に怒りながら急いで風呂に入れられたことも覚えている。

冬はハンドルにカバーを付けていたように思う。6歳ぐらい上で当時中学生だった大阪の従兄弟が一人で泊まりに来たとき父のカブを持ち出したがエンジンが掛からず何度もキックし続ける横で押して帰ろうと思った暑い夏休みもあった。いつ処分したのかも知らないがカブには懐かしい思い出がある。

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© 2021 Takashi INAGAKI