2008年6月

韓国JSP氏の結婚式 (6月30日・月)


新郎のJSP氏は今は韓国No.1の広告代理店に勤めていて韓国最大の財閥Hyundai(現代)を担当しているそうだ。新婦はファッション業界のバイアーだと言う。きれいな上にしっかりしている。しかも日本通で東京大阪はじめ10回近く来ていて日本語も少し知っている。

JSP氏は何事も前向きにリーダーシップを発揮するが自分勝手なところがあって妻は叱ったり諭したり励ましたりニューヨーク時代に手がかかった「子供」だったらしい。だからJSPが結婚できたことと新婦がJSP氏とうまくやっていることが嬉しかったらしい。

披露宴前日に妻が日本で買っていたプレゼントを2人に渡したがJSP氏からは紙袋に満杯のおみやげをもらった。お酒や朝鮮人参のグミやキャンディに海苔ほか多数。しかも前日の飲み代は彼が持ってくれた。韓国では年上の者が支払うはずなのだが。

披露宴では写真をスライドショーで上演していたがスター風なカットの中にふざけた写真が多く一方心から楽しそうな2人の姿を見ていて妻も私も感動した。何より披露宴前日25時まで2人で歓待してくれ何かと「Muchukoo」と妻を頼り大事にしてくれる姿勢もうれしかったのである。

名西酒蔵と渋谷のパーティ (6月29日・日)


昨日は近所の友人T氏を誘って隣町の名西酒蔵。残念ながら奥さんは徳島出張で妻と3人で飲んできた。先週は火曜日にも飲んだ。渋谷の高級住宅街にある一軒家での作家K氏主催のパーティ。フミコさんが執筆している携帯サイトのコラムニストの集まりだった。

K氏は妖怪伝説の調査で徳島に頻繁に行っているそうで私はそのつながりだけ。参加者はモデルさんや屋久島に移住したアーティストや女優さん。ほとんど女性。遅れて声優さんも。海外ドラマの吹き替えが仕事で友近演じるキャサリンばりのトークを聞かせてもらい笑い転げた。

テーブルを女性陣に譲り私は無数にある宇宙戦艦ヤマトやガンダムの模型を見たり本を開いたり。そのうち男性陣とも話をした。1人はプロスポーツのトレーナーとか。別の方はラガーマンで今はヤマハ2輪レースチームのスタッフだと言っていた。亡くなったノリックの話をした。

私がA社の仕事をしていることを言うと皆が関心を寄せる。皆さん技術を持っていたりクリエイターだったりするので著作権や商標の問題に悩まされている様子。もちろん権利者として。この夜はビール3本飲んで焼酎も。昨日もビール5杯は飲んだか。外で飲むと飲み過ぎる最近。

韓国の結婚式 3 (6月28日・土)


JSP氏の披露宴では招待客が食事をしている間も主役は記念撮影に忙しい。雛壇はなく前方に立って周りに何十人もが並んでいる。その後一旦退席。ここまでウェディングドレスだったがお色直しで新婦はイブニングドレスへ。写真で見たら新郎もネクタイが替わっている。

もう食事はメインディッシュも終わろうかという頃合いだがここでやっと乾杯だ。前方に新郎新婦と両端に両親。ワインで乾杯。さらに記念撮影は続き今度は新郎が「Muchukoooo」を叫びながら走ってきて舞台に呼ばれた。私も一緒に前方に行って日本人組だけで写真を撮られた。

会場が明るくなり新郎新婦が各テーブルを回って挨拶。日本で言えばキャンドルサービスだが彼はただ挨拶だけ。慌ただしく退場して別室で民族衣装になって写真を撮るのだ。この後は適当に散会するのが流儀らしい。新郎新婦はおろか親やゲストのスピーチは最後までなかった。

私たちもコーヒーを飲み終え退席して本当は両親と近しい親戚しか入れないらしいスペースにGlenneが案内してくれて韓国の民族衣装を見ることができた。一緒に写真も撮った。妻とミホは新婦と長年の友のようにキャーキャー言っている。JSP氏のご両親にも挨拶した。

システム復元と地域活性化シンポジウム (6月27日・金)


Shuriken2008をインストールしようとしたら「ドライブが正しくありません:M:\」とのメッセージ。MドライブはNASに割り当てたドライブ名だ。エクスプローラでNASが「ドキュメント」に表示できるようにしたのが悪かったのか。あれこれ外そうとしたが何をやってもインストールは失敗する。

仕方がない。システムを復元しよう。というわけで復元ポイントを調べた上でPCを設定した初日まで念のために遡ることにした。復元自体は簡単だったがウィルスバスターの更新やWindows Updateまで3週間前に戻ってしまい頻繁に再起動がかかる。

途中システム更新のまま再起動せず40分経ったときは焦り始めたがさすがVista。戻ってしまえば快調そのもの。再び3週間分のソフトをずんずんインストール。Shurikenも無事2008にバージョンアップ。新しい仕様に言いたいことは山ほどあるがこれは別の機会にしよう。

さて今日はICT地域活性化応援隊という組織のシンポジウムに行ってきた。丸の内にある立命館大学東京キャンパス。登壇者は何とか協会の専務理事たちだが意外に内容は面白かった。内閣官房審議官によると地方活性化のキーとなる人材は「バカ者・若者・よそ者」なんだとか。

ルーターの交換とShuriken2008 (6月26日・木)


旧PCから不調のルーターは問題なく使えた。旧PCで接続後はVistaPCでもアクセスできる。ルーター設定は旧PCからやったから新PCだけの環境で不調になるのか。いや違うはず。どうも釈然としないが5年前に買ったルーターでVistaはサポート外ということにしておこう。

ともかく新ルーターは届いたから朝から作業。設定は簡単だったがLAN側の初期IPアドレスが旧ルーターと違う。プリンタは固定IPを振っていたからIPの振り直し。NASも。でも考えてみたらルーターのIPを変えた方が簡単だったと気づいて最初から作業をやり直し。

でもやっぱり先々のメインテナンスを考えるとデフォルトの方が簡単そうだと再やり直し。途中NASをリセットするのに筐体の鍵が見つからず家中探して1時間。結局3時間もかかってしまった。さて今日は花子2008とメールソフトShuriken2008のインストールもしようとしたのだが。

全部今朝届いたのだがNECダイレクトから買ったバッファロー製ルーターは注文から2日。一方JustMyShopの自社ソフトは3日。商品発送まで丸2日。それは構わないがShuriken2008は私のPCにセットアップできず。「ドライブが正しくありません:M:\」。オイオイ何だよそれは。

ルーターとADSL (6月25日・水)


帰国してからルーターの調子が最悪。5月に徳島から戻ったときも不調だった。あのときは電源を抜いて出かけた後で2日間と翌週土曜も変だったように思う。その後正常に使えていたから気にしていなかったが今回は帰国した日曜から今日まで頻繁に接続できない状況に陥る。

リセットしたり電源を一旦オフにすると正常になることがある。ならないときもある。管理画面で「接続」状態を確認してもウソの場合がある。管理画面にさえアクセスできないことがある。ハブにさえならないときもある。もう滅茶苦茶だ。こんな状況では困るので新しいルーターを注文した。

NECダイレクトのポイントを使ったから明日届く。一方で最近頻繁に帰省している実家のネット環境を改善しようと思っていたらASAHIネットでADSLの安いコースを見つけた。とりあえず自宅用にコース変更を申し込んだ。続いてエイヤとばかりに実家のADSLも申し込んでしまった。

強制レンタルのADSLモデムはルーター付。注文したばかりのルーターは無駄になるが仕方ない。神山に移住したら使う機会もあるだろう。それまではハブとして使う手もある。夏の徳島では今は使っていないアクセスポイントを持ち帰って無線LAN環境にしようと思っている。

韓国の結婚式 2 (6月24日・火)


JSP氏の結婚式は特殊なニュースタイルで何が韓国風なのかさっぱり分からなかった。でも会場と着席式以外で周りに戸惑いがあったようには感じなかったからプログラム自体はほぼ伝統を踏襲しているのだろう。日本と似ているところもあるが全然違うところもある。

驚いたのは式の最初に拍手で入場したのがチマチョゴリを着た双方の母上であること。2人が並んで正面に並ぶ。次に新郎が一人で進み新婦は父上と2人で入場。神父さんのような人の前で指輪の交換と宣誓をしたら新郎新婦の紹介が延々15分続いた。この間乾杯はなし。

会場前方のソファに座った新婦の両親の前に新郎新婦が立って挨拶もしていた。ここで新郎は叩頭をする。つまり土下座である。これに驚いたら次に新郎の両親の前でも同じことをした。普通は新婦の両親に対してだけでやるらしい。ここはJSPオリジナルだ。

叩頭の前だったかピアノ伴奏で友人?が新郎新婦を前に歌を熱唱していた。あれは友人代表挨拶みたいなものなんだろうか。Glenneによると知られた曲ではなかったらしい。そして食事が始まると前方に台が設置され新郎新婦を中心に親戚一同写真などが撮られていく。(続く)

韓国の結婚式 1 (6月23日・月)


土曜日は12時にGlenneが迎えに来てくれて彼女の車で披露宴会場へ。前夜のノリで急遽ミホの友人とGlenneも結婚パーティに参加することになった。会場へは10分ほどで到着。ご祝儀の相場は日本の1/10程度らしく受付で私たちは日本流のご祝儀袋に入れて渡した。

服は日本のような礼服を着ないらしい。私は前週に買ったピンクのジャケット。ミホの友人はラフすぎるだろうかと盛んに気にするが行ってみればスーツの人もいればジーンズやポロシャツの人もいる。普段着より少しマシな程度である。チマチョゴリは年配の女性だけが着ている。

会場は漢江に浮かんでいるようなイベントホール。Glenneによるとファッションショーなど企業が使う会場で結婚パーティには使わないところだそうだ。丸テーブルが並んでいるが席は決まっておらず適当に座る。席数は約200。でも座れない人もいたらしい。

韓国では招待客200人はざらで500人の場合もあるらしい。ただし普通は立食パーティ。だから出欠の返事も適当で食事をして三々五々帰るスタイルなんだとか。JSP氏が型破りなのだ。日本以上に伝統を重んじそうな親戚たちは納得したのだろうかといらぬ心配。(続く)

韓国から帰国 (6月22日・日)


19時過ぎに帰宅した。今日は9:30ホテル集合でキムチ屋などに寄って13:45発のJAL便。ソウルから成田は約2時間。成田から渋谷セルリアンホテルまでバス。雨だから少しタクシーを待って自宅へ。同じツアーには15人ぐらいいたが男は私だけ。みんな買い物に行っている様子だった。

行きは金曜日9:30に家を出た。妻のニューヨーク時代の(15歳も年下の)友人ミホと12:30に成田で会って今日成田で別れるまで一緒に行動した。ソウルは日本と時差がなく福岡より西にあるから20時ぐらいまで明るい。初日にホテルに着いたのは21時前。

その夜は現地のGlenne嬢と食事のつもりだったのだが新郎JSP氏も電話を寄越し一緒に。新婦も一緒。彼らが来たのが22時。そこから車で移動するが渋滞。駐車場もなく結局お店に入ったのは22:30頃。ミホの友人が遅れて日本から合流して新郎新婦ら7人と25時過ぎまで飲んだ。

1:30頃ホテルに戻ったのだがスーツケースの鍵の番号を私が間違ってロックしていたらしく開けられず。3桁の数字1000通りを試したが解錠できずフロントに電話して巨大なハサミで切断してもらった。そんなわけで初日は3時前に就寝。結婚式のことは明日書こう。

韓国へ (6月19日・木)


明日から日曜まで韓国に行ってくる。ソウルで友人が結婚式を挙げるのだ。友人といっても妻が2002年にニューヨークに留学していたとき同じ寮に住んでいた男性。多分30歳ぐらい。当時の妻の日記に頻繁に登場するJSP氏。

私は2002年夏に妻を迎えにニューヨークに行ったときと2年前の渋谷で会っただけだが「ぜひ一緒に」と誘われたので行ってみることにした。いや韓国から国際電話を掛けてきたJSP氏の英語は相当に変だったそうだから本当にそう言われたのかは怪しいのだが。

でも私は韓国に行ったことがないし韓国の結婚式というのにも興味があった。妻は同じニューヨーク時代の友人の結婚式に前に行っているから2度目。今回も当時の仲間がホテルまで迎えに来てくれるらしい。先週は牛肉輸入問題で大規模なデモがあったがもう大丈夫だろう。

これを機会に勉強しようと韓国語の語学本も買ってはみたが結局何もしなかった。さて今回は結婚式に行くだけで観光などは考えておらず2泊3日。短期だから重いPCは置いていく。そういうわけで日記の次の更新は日曜夜になります。

iTunesとPodcasting (6月18日・水)


ネットで音楽を入手しようという気は全くないのだがPodcastingを試してみようと思いたちiTunesをダウンロードした。旧PCで入れてみたときは重すぎて実質的に使いものにならなかったが新しいPCではさすがにビュンビュン動く。

Podcastingは2006年の2月3月に試してみていたが特に聴きたい番組があるわけでもなく携帯オーディオに毎日コピーするのも面倒になって利用しなくなっていた。今回も同じ理由で使わなくなるような気はする。iPodがあればコピーは簡単にできるのだろうか。

番組は2年前に比べて充実しているような印象はある。CNNやBBCにNHKなどのニュースは当時からあったが落語やラジオ番組の配信はかなり増えた。首相の発言や米国大統領のスピーチにホワイトハウスの記者会見も自由に聴ける。すごい時代だとは思う。

でもやっぱり聴きたいと思うものがない。移動中に聴ければいいと当時は思っていたが電車の中は私の場合貴重な読書時間なのであって動機はやっぱり弱い。駅まで歩く10分を惜しんで耳からの情報収集に当てるほど忙しいわけでもなく。今回もお試しで終わってしまいそうである。

同じ本を2冊買うところだった (6月17日・火)


自分が書いた過去の日記をよく読み返す。日記のネタを求めて1年前とか2年前の出来事にヒントを求めようとしているのだが読み始めると止まらなくなってしまう。我ながらいいことを書いていると思うこともあって結局2ヶ月分ぐらい読んでしまっていたりする。

ときには実利に繋がることがある。いや。この例は損失を防いだというべきか。先日ある本の日記を読んだ。その本のことは忘れていて改めて読み直そうと思い立ち本棚を探した。そしたら何と今まさにアマゾンで注文している別の本を本棚の中に見つけてしまった。

アマゾンで注文していたのは仕事の勉強に読もうと思っていたもの。ボスが持っていて私も欲しいと思ったのだった。ところが既に持っていた。そして持っていたことを忘れていた。何ヶ月前に買ったのだろう。もしかしたら1〜2年経っているのだろうか。それさえも覚えていない。

当時はあまり興味がなく買ったものの読んでなかったのだ。ともかく注文を慌ててキャンセル。発送が3週間待ちで助かった。2,625円の二重投資を避けられたのだからこれは日記を読み直す効用と言える。うーん。本棚を見直す効用か。というより単に積ん読のデメリットの教訓か。

東京メトロ・副都心線 (6月16日・月)


6月14日(土)に地下鉄・東京メトロ・副都心線が開通した。池袋から西武線や東武東上線にも乗り入れている。2011年には渋谷から東急東横線にも乗り入れるらしい。埼玉から新宿あるいは渋谷に直行できるとあって池袋の百貨店が危機感を持っているとニュースで見た。

私は初物に興味があるわけではないがA社に行くのに使えないかと思い開通後初めての平日である今日乗ってみた。渋谷から雑司ヶ谷。池袋の一つ手前まで。渋谷の駅は塗装の臭いがきつく新しさと不快さが同居している。ほとんどの人が初めてだからみんなキョロキョロしている。

東急線からの乗り換えは近くてスムーズだったが探検しようと思い立って改札まで行ってみたり。ホームは線路との間に転落防止用の低い壁がある。渋谷駅に線路は4本あるが中央2本は相互乗り入れ用と見え現在は使われていない。

ホームを見ても他と大差はないわけで今度は地下吹き抜けがあるというところから降りてみようと思う。さて雑司ヶ谷で降りた私。構内の案内板を見ていた時間はあるがホームから地上に上がるまで4分弱。そこからA社まで12分強。ちょっと遠くて逆に不便だということは分かった。

地震 (6月15日・日)


昨日土曜日朝に岩手県の宮城県境付近で地震が起きた。マグニチュード7.2で最大震度6強らしい。M7.3だった阪神淡路の0.7倍のエネルギーだったことになる(Mは1違うと32倍)。震源が地下10kmと浅い直下型。山間部だったが一部は山そのものが崩壊している。

1ヶ月前の中国・四川省の大地震もそうなのだが逆断層で山側がせり上がっているらしい。これも一つの造山活動と言えるのだろうか。ヒマラヤ山脈もそうやって盛り上がってきたのだと言われれば人知の小ささを思わずにはいられない。人は大昔から地震に翻弄されてきたのだろう。

先日読んだニュートン別冊を繰ってみると今回の震源近くは震度6弱以上で揺れる確率が3%未満とされている。静岡から高知の太平洋沿岸が26%以上なのに。宮城県の防災対策は確率99%という宮城県沖地震のことばかりに注意がいっているようにも見える。

そして地震が起きてから未知の活断層が見つかったと言っている。たいていの地震は起きて初めて後付の理屈が付けられる。つまり起こると言われる東海・東南海・南海より先にいつどこで起きてもおかしくないということか。まぁ私も覚悟だけはしておこう。

遅刻と連絡 (6月14日・土)


弟が来ると言うので待っていた。17時以降なら自宅にいると伝え「夕方行く」と携帯メールでやりとりしたのは昨日の深夜。こちらは17時と伝え弟は夕方と言うから17時過ぎに来るだろうと思う。ところが18時になっても来ない。結局19:30を回って今日は行けないとメールが来た。

人によって「夕方」の定義が違うなどと妻は言うが「夕方」は18時までだと私は思う。身内であっても大方の時間の目安を連絡するのが現代のマナーだろう。車で10分程度の距離だから突然来たらそれはそれで許せるのだが。予定を決めてキャンセルするよりはマシだと思う。

この例は休日の個人的な用件だからいいのだが仕事だったら許されない。現代ビジネスにおいて遅刻は絶対の悪である。それでも遅れることはなくはない。とすると携帯電話時代にあって遅刻する時間のメドを伝えるのがルールである。これができないなら仕事人として失格である。

このとき10分遅れるなら15分遅れると伝えると良い。15分遅れと思っている先方に5分前に着けば喜んでもらえる。10分遅れると伝えて15分遅れで着いたら最悪だ。2重の遅刻と見なされ信用をなくす。時間にいい加減だとそれだけで仕事相手と見なされない。そういう時代だと思う。

椅子 (6月13日・金)


仕事をしたりPCを使うときに座っている椅子が壊れた。5本足と1本のポールで高さが数段階で調節できて回転だけはするシンプルなものだがGWから帰った頃から座面がグラグラするようになった。座っていられなくはないが座面が外れてしまいそうなほど不安定だ。

元々は1度目の結婚の前に何かの抽選で当選したデスクに合わせ買ったのだと思う。当時はデスクで何かをすることがなかったのでほとんど使っていなかった。福岡時代からPC用に使い始めて毎日何時間も座るようになったのは東京の今のマンションに引っ越してからだ。

数ヶ月前からギーギーと音がしていたのでKURE5-51を吹き付けたりしてみたが原因は違っていたようだ。あまりに不安定なので椅子を変えた。妻が仕事用に使っているテーブルに付属した木製の折りたたみ椅子。同じ椅子を妻も使っているのでこれでしばらくは凌ごう。

さてPCをDELLで買ってしまったのでNEC Directのポイントが使わないままになっている。NEC Directで売っているものはソフトも周辺機器も今ひとつなのでそれなら椅子を買おうかと思ってみたり。実際は座ってみないと分からないのだけど。

『文化政策が担う地域公共政策』 (6月12日・木)


6月4日に書いたとおり「顔が見える地域社会でこそデジタルネットワークによる文化起点の新しいまち作りがある」という仕事に関わっている。3月から文章を書いていたが4月のシンポジウムを経て5月は再び文章をまとめる宿題を抱えていた。

そんなとき徳島新聞のWebで見つけたのがこの本の紹介記事。抱えていた仕事に役立ちそうだが逡巡して宿題を終えた6月になってから注文した。元徳島県職員の自費出版本である。松本竹生『文化政策が担う地域公共政策』(徳島県教育印刷)。

中山間地域の発展には公共工事を中心とした地域政策ではなく固有の文化に根ざした政策があるのではないかというのが主旨の提言書である。内容のすべてが徳島の事例で特に那賀川流域をフィールドにしているので私にはよく分かる。

データは詳細で私の仕事と問題意識は共通だから理解はできる。ただ文化政策の必要性が消去法のように感じてしまう。神山町など豊富にあるはずの具体例を盛り込めば説得力が増したのにと思う。デジタルの可能性やふるさと納税の影響に言及が乏しいのも残念だ。

新PCの満足と不満 (6月11日・水)


新しいPCになって回線速度が変わったわけでないのにWebページの表示が圧倒的に速くなった。例えばアマゾンはページを変えるたびに5秒ぐらい待っていたのが今は一瞬で変わる。昨今のWebはFlashなどを使うからブラウジングもPCの性能に依存するというわけか。

前のPCでは起動に10分弱かかっていたが今は30秒程度。Operaブラウザの起動も1分近くかかっていたのが今は5秒。Windowsフォトギャラリーの使い勝手も悪くなくLAN上の画像データの表示も速い。1680×1050の広すぎるデスクトップで迷子になりそうだ。

あまりに広いので右端にはVistaの新機能であるガジェットを置いている。写真とニュース2つと天気予報2つ。天気予報は東京と徳島の2カ所を明後日まで表示。さらにシステムモニターも置いた。CPUやメモリの使用状況が1秒ごとにパーセント表示されている。

いいことばかりの新PCだが不満が一つ。背面のUSB端子が4つしかないのである。キーボードとマウスと外付HDDとPDAだけでふさがってしまう。計算外だったのが手持ちのスピーカーの電源供給がUSBだったこと。端子は前面にもあるが背面用のUSBハブを昨日買ってきた。

間違いが元で新宿と赤坂見附 (6月10日・火)


10歳近く年上の元同僚A氏からメールをもらったのは先週月曜。会うことになって翌火曜11時か今週火曜なら全日OKと返信をして日時を決めたのは電話でだった。今日火曜。赤坂見附。11時。場所が分からず電話をしたら「13時ではないですか?」と言われた。

「11時でしょう?」と返してPDAで確認したら正解は13時。しまった。2時間も間違えてしまった。でも早い時間に行ったからまだマシか。ともかくこの時間なら新宿がいいということで一旦赤坂見附から移動して話を1時間。もう一人の方と話をするために赤坂見附13:30に再び。

新宿ヨドバシで買い物をしたため赤坂見附は一人で行ったがオフィスの場所がやっぱり分からない。見つけてみれば教えられたコンビニは工事中で看板がなく探せるわけがない。帰宅して確認してみると午前11時に見つけられなかったのは私が番地を間違っていたからだった。

でも逆にこれでよかったかも知れない。番地を間違わず11時に訪問しても相手は不在だから時間をつぶして出直すだけだった。場所が分からなかったから事前に会って話ができたわけで。そう前向きに考えよう。それでもなお時間を間違ったのは情けない。

PCデータの引っ越し (6月9日・月)


引き続き新しいPCのセッティング。今日は弥生会計2007をインストール。データは旧PCからバックアップをとって新PCから読み込む方法をとった。さすが会計ソフトだけあって完璧である。ただデータ保存場所が「ドキュメント」固定というのはいただけない。

続いてOutlook2007も。メールソフトとしては使わないから住所録とスケジュールデータのみ。問題はPDAと同期できるかどうかなのだが調べたところPDAとの同期ソフトActiveSyncはVista版になってWindows Mobileデバイスセンターと名を変えている。

このソフトはマイクロソフトのWebからダウンロードできるがPDA側の要件がWindows Mobile 2003以降とある。私のHP PocketPC h2210にはPocketPC 2003 Operating Systemとしか書かれていない。不安を抱えつつエイヤッと接続したら何とこれもあっさり同期できた。

ただPDAから同期して取り込んだWORDファイルが読めず手コピーした。これで同期も可能になる。仕事の環境はほぼ移行できた。個人用途の音楽のmp3変換ソフトは友人がRoxio RecordNow 9 Music Lab Premierを送ってくれたし新PCの設定はこれで一通り終わったかな。

Windows Vista Ultimate (6月8日・日)


今日もPCのセッティングの続き。壊れやすいと噂のDELL。しばらくブラウザだけで使おうと思っていたが面倒になったのでメールのShurikenも移行させた。でもデータは移せたが旧PCでバックアップして新PCでリストアするとアカウント情報の一部が欠損する。不可解だ。

EPSONカラーレーザープリンターのドライバ設定も行った。プリンタドライバはもちろんスキャナ関連などファイルは10個ぐらいある。手元のCDはVista非対応だからWebからダウンロードして適当にセッティングしてみたがプリンタはあっさり通った。

EFSというファイル暗号化も試してみた。私のアカウントでログインする限りは特別な操作なしに暗号化ファイルにアクセスできる。暗号化キーのバックアップをPCの外にも保存した。これはVista Ultimateだけの機能かも知れないが分かりやすくてびっくりするほど。

世間では悪評紛々のVistaだがOS自体はセキュアだし総じて使い勝手がよいと思う。2日使っただけの私は大いに満足。Windows Media Centerなどを使うつもりはないがVista Ultimateにしたのも正解。ヘルプが格段に洗練されているのもVistaのいい点だと思う。

PCのセッティング (6月7日・土)


昨日届いていたPCのセッティングをしている。午後からゆっくりと開梱。ディスプレイは22インチワイドだから特に慎重に。手持ちのスピーカーも繋いでみた。ちょっと焦ったのはLANケーブル。新しいPC用のものがなくてノート用に使っていたものを臨時に流用した。

とりあえず電源を入れたらあっさりネットに接続。まずはWindows Updateで再起動。次にウィルスバスターをダウンロードして再起動。その前にマカフィーのアップデートが走っていて再起動。そのアンインストールで再起動。PowerPointを起動したらアップデートが走ってまた再起動。

それでも新しいから起動が速い。画面は1680×1050に設定。とにかく広い。続いてブラウザのOperaをダウンロードしてブックマークをインポートし画面のカスタマイズ。さらに一太郎2006のVista対応モジュールとFFFTPもダウンロード。メール環境を除いてほぼ移行できた。

データはNAS(LAN上のHDD)に置いているので問題なし。少し興味があったBitLockはBIOSが対応していない様子。EFSというファイル単位の暗号化を明日トライしてみようと思っているところ。とりあえず順調に進んでいてやや拍子抜け。この日記も新しいPCで書いてみた。

フィッシュカツ (6月6日・金)


昨日書いた名西酒蔵に行ってきた。今日は大手新聞記者にて私のPDAの師匠M氏と。妻も遅れて参加。M氏と会ったのは日記を調べたら昨年11月のパーティ以来。この間ときどき電話では話をしたが半年以上空いたのは最近数年では初めてかも知れない。

さて2週間前に一緒に行ったのはA社の同僚で徳島・市場町(現阿波市)出身のK氏。K氏は昨今徳島名物と言われ始めたフィッシュカツのことを知らないと言う。ところが運ばれてきた現物を見て「知ってる。いつも食べてた」と。

フィッシュカツとは蒲鉾を薄く平たくしてカツにしたものと想像してもらえれば近い。昨日の「東京人」には「太刀魚を中心にミンチにしたものを薄くのべ、揚げる。それに徳島のウスターソースをたらりとかける」と書かれている。

私もフィッシュカツなど知らないと以前は言っていたが食べてみたら覚えていた。私が子供のころはフィッシュカツとは呼ばれていなかったのではないか。もしかしたら単に「カツ」とか。私より年上で市場出身のK氏も知らないのに食べていたわけでフィッシュカツ恐るべしなのだ。

名西酒蔵 (6月5日・木)


神山のことを昨日書いたが実は日中に隣町の本屋にいたら名西酒蔵の大将から声をかけられた。ちょうど神山への帰省から戻ってこられたばかりだそうで一しきり立ち話。この偶然は私の意識が呼び込んでいるのか妻が言うように私たちが呼ばれているのか。

東京で知人と偶然会うことはなくはない。今回の場合は大将のお店がある街でもあるし驚くほどの偶然ではない。ただ昨日書いた「イン神山」のサイトを隅々まで見た直後のタイミングだったもので少しばかり縁を感じてしまうわけだ。

さて大将に教えられたのが「東京人」7月号。この「望郷酒場を行く」という3ページのコーナーの47回目が徳島県。そして紹介されているのが名西酒蔵。写真にはフィッシュカツにちくわにすだち。「神山特産すだち」と書かれた半被の写真も。

本で紹介されて新規のお客さんが押し寄せるかも。2週間前の金曜日は開店10分後に行ったら既に満席だったし。このときは詰めてもらって入れたが今週も某氏と行こうと思っているから予約をしておこう。いずれにしても東京にいて徳島を紹介できるお店は貴重なのである。

イン神山 (6月4日・水)


数ヶ月前から再三書いてきた徳島県神山町のことが6月1日から徳島新聞1面で連載されている。5月2日に私も訪れたNPOグリーンバレーの活動が中心だ。4日付の連載第4回は「空き家探し 町の将来思い 汗流す」。一番下からバックナンバーが読める。

このタイミングに合わせるように神山の新しいWebサイトが今日オープンした。準備中だった5月に見せてもらっていた「イン神山」。貸家の情報もある。神山の自然を舞台に1999年からアーティストに制作活動の場を提供しているアート・イン・レジデンスのページもある。

でも私が何より凄いと思ったのが「神山写真帖」。神山の個人宅にある過去100年の写真を借りてデジタル化し公表するページである。神山に住むお年寄りの中にはPCにもネット社会にも無関係な人がいるだろう。そんな人でも神山のPRに関わっている。素晴らしいアイデアだと思う。

実は今「顔が見える地域社会でこそデジタルネットワークによる文化起点の新しいまち作りがある」という趣旨の仕事に関わっている。その実践が神山にあった。ここには面白い可能性があると思う。私の個人的興味と仕事の内容がぴったり合ったようで一人喜んでいるところ。

徳島の延喜式内社 (6月3日・火)


徳島は他の地域と違って伊勢神宮などから分霊された神社が少なく独自の神を祀っている神社が多いと昨年あたりから妻が徳島のガイドブックなどを見て言っていた。古事記に登場する神々が多いらしい。私はあまり気に留めていなかったが調べてみると本当のようだ。

神社については延喜式や式内社という言葉がある。Wikipediaによると927年に完成した格式の書物が延喜式でこの神名帳に記載されている神社が延喜式内社または単に式内社と呼ばれる。つまり式内社は平安時代の天皇に認められた格式ある神社を指す。

式内社と古事記の神に関しては昨日書いた大西雅子『日本神話の神々』の前書きに見過ごせない記述がある。「徳島の式内社50社のうち19社に古事記神話の神名がついているのに対し、奈良県は286社のうち3社、島根県の出雲は187社のうち0社です。」

「式内社以外でも、徳島県の神社の祭神はほとんどが古事記神話の神です。」とも。これだけで古事記の舞台が阿波だと断定はできないが少なくとも大和や出雲ではないだろう。出雲でないなら古事記にある「出雲」はどこだ。それは阿波ではないかという説があるのだが。

『日本神話の神々』 (6月2日・月)


本屋で見つけてどうしても気になって買ってしまった。大西雅子『日本神話の神々』(東京図書出版会)。古事記上巻に登場する主な神々に数行の解説を付けただけの単純な内容。30分で読める。これだけの内容ならわざわざ買う必要はなく古事記を読めば済む。

最大の特徴は多くの神々についてその神を祀った神社を写真付で紹介しているところである。でもほとんどが徳島県内のもの。実際にはその神を祀った神社は全国にたくさんあるはずでそれらのリストを網羅してあれば価値があるのだが徳島限定では一体誰が買うのだろう。

と思いつつ買ってしまった私。著者は徳島在住で元徳島大学医学部長の奥さんらしい。2年前に『阿波の古社めぐり』という本を自費出版したそうで私はそちらの本が欲しかったが東京では手に入らなそうなので今回の本を買ったわけ。

古事記上巻の神話の世界を調べていると実際にその神が祀られた神社に行ってみたくなる。その際の資料として。でも例えばイザナキが淡路に祀られイザナミが徳島に祀られているのはそれぞれの出身地だからといった説も読めて資料以上の面白さがあったのである。

風呂焚き (6月1日・日)


父の実家の五右衛門風呂は外の焚き口から火を焚いたのだが私の実家だって30年ぐらい前までは台所から火を焚いて風呂を沸かした。タイル製の風呂の中には穴が2つあって下の穴から入った水が窯を通って上の穴から湯として出てくる。熱ければ水道から水を足す。

台所の小さな土間に焚き口があってそこに薪をくべる。薪と言っても折り箱用で使えなかった細く長い木だった。長さ60〜70cmで幅2〜3cm厚さ5mmぐらいの。父の母の実家だったか親戚が鳴門の高島で折り箱工場をやっていて父がそこからもらってきていたのだと思う。

そういう細い薪が直径40cmぐらいの束にされ最大で20束ぐらいが家の裏に置かれていた。一晩でどのぐらい消費していたのかは分からない。風呂の火を焚くのは父の仕事だったから。母が夕食の片付けをしている時間でこのときだけは私が居間のテレビを独占できた。

風呂を焚いて時間が経つと冷えるわけだから家族は時間を置かず入っていたのだろう。ときどき水を入れすぎてぬるくなってしまい大声で「火ぃくべてー」と叫んでいたような気もする。昭和40年代。これが我が実家の夜の風物だった。
<Diary Index Page>
<Top Page>

© 2008 Takashi INAGAKI