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2019年4月

10連休と平成最後の日 (4月30日・火)


今年は4月27日(土)から10連休になっている。妻は今日名古屋から帰って来たが駅もバスも大混雑だったらしい。私は昼食にこはくの天使に行ったらまさかの満席。結局コーヒー豆を買うため妻を迎えた帰りに再び寄った。マスターは忙しすぎたらしく元気がない。恐るべし10連休。

私自身はJ社時代だいたい10連休だったし今も例年A社は間の平日も休みにしていたと思う。だから10連休のありがたみは全くないし混雑したり不便が増えたりで歓迎しているわけではない。そもそも私の場合は毎日が日曜日みたいなものだから世間の10連休は迷惑だとさえ思う。

そして平成の終わり。4月1日の新元号発表の直後に<日本全国が喪に服すイベントを大喜利が出来る明るいイベントに変えた今上天皇はすごい>というツイートが回ってきたが新しい時代を明るく迎えるのが本来の感覚なのかも知れない。いや昔なら庶民が元号変更を知るのは後日だっただろうが。

夕方から退位の儀式をNHKで観たり平成最後だという番組をいくつか。つくづく日本人だと思うのだが天皇陛下のニュースを観ていると自然と涙が出たりする。平成最後というフレーズを何でもかんでも使うのは嫌いなのだが今日は本当に最後だから後日のために記録しておく。

「響」強化練習からビリヤード (4月29日・月・祝)


早速こはくの天使のウォールマグにコーヒーを入れて10時にいつもの練習会場。駐車場の最後の1台。5月3日の定期演奏会に向けた強化練習である。朝はピアニストを迎えて2ステの練習。暗譜で歌ってみたがだいたい大丈夫。車を移動させ団長と名店街2階の中華で昼食。誕生日祝いだと奢ってくれた。

13時に郷土文化会館5F。鳴門の男声合唱団「潮(うしお)」さんとの4ステの合同練習。暗譜を試みるが1曲目と7曲目の練習データがなかったのでまずは楽譜を見ながら録音に注力。Uhとハミングの違いは曖昧だし油断すると危ないが暗譜でも何とか歌えそうだ。ピアノ伴奏付きなので歌いやすい。

東京から帰省したN濱君がトップにいてバリトンには山口で就職して3年目のO本君。16時半過ぎに練習は終わりO本君に声を掛けてホテルに送る団長の後ろを付いて新町橋南から両国。そこから団長と2台でイオンモール。雨だが駐車場は屋上しか空いていない。さすが10連休のGW。

人が多いので早めに「海の穂まれ」という店で食べて1Fに下りて18時過ぎからビリヤード。9ボールで3連取したが結局追いつかれ5対5から最後に私が勝って6対5。夕食は私が持ったがビリヤードは結局団長が払ってくれた。雨で風もあり駐車場で濡れた。20時半頃に帰宅して夜は録音データの整理。

こはくの天使のウォールマグ (4月28日・日)


妻が出張中のとき昨年は3日に1回ぐらい食べに行っていたこはくの天使だが今年は月に1回のペース。コーヒーカードを作ったというのに使ったのは1回だけで特典を全く活かしていない。 でもマスターが前向きに取り組むことを応援しているつもりなのでそれで構わないのである。

そしてまた応援するために商品を予約して昨日買って来た。コーヒーを淹れて持ち運ぶためのウォールマグ。これと同じものだと思うがマスターが焙煎するコーヒー豆のブランドHigashine Coffeeのロゴ入り。色はオリーブ。 2,160円だがこはくの天使のコーヒー券500円が付いている。

水筒は2年前に買って持っている。出かけるときにも必ず持って行くがこれは水専用。コーヒー用のものがあってもいいとは思っていたのでちょうどいい。容量300mLということで普段通りコーヒーを淹れいつものマグカップからこのウォールマグに移して飲んでみた。サイズはジャスト。

持っても熱くないが保温性が高いわけではない。それでも時間がないときコーヒーを持ち出すことができるのは便利だと思う。容器を持ち込めばローソンのコーヒーも10円引きという話もある。さて今日はイチゴを買って食べ午後から夜まで練習データを聴きながら暗譜に努めた。疲れたもう飽きた。

野村證券と事業売却 (4月27日・土)


金曜は野村證券の営業マンが来た。電話があったのは1週間前。妻は自分がいないときにして欲しいと言うので昨日にしたのだが15分も遅刻して「場所が分かりません」と電話。入社3年目。「徳島に飛ばされて」と正直ではある。実家は東京府中で多磨霊園駅が最寄り。仙川の高校に通っていたと。

彼は株式なり投資の勧誘が目的だったようだが私は違う。この5年間で野村證券からは多分2度か3度か電話があったが都度断ってきた。それが今回会う気になったのは会社の売却について話を聞いてみようという気になったから。売却と言っても今すぐではなく5年先とか10年先の話だが。

彼は投資勧誘目的で来たからだろうがうちの会社のことは全く調べていないので説明するところから。妻も私も4年後には60歳になる。事業承継問題とも言えるが私たちがスムーズに引退する算段を考えておきたい。訊けば企業買収案件は一般に日本M&Aセンターを介することが多いらしい。

売却額の計算はさまざまだが売上高の3倍が一つの基準と。とはいえ役員2人だけで資産もない会社に買い手がいるのかどうかは分からない。それでも妻が築いた事業の枠組みに興味を持つ企業はいるはずだとも思う。彼も詳しくはないようだから情報収集を意識しておこうと思う。

鳴門海峡を描いた古い絵と新しい額縁 (4月26日・金)


今年の正月だったか実家に行ったときリビングや玄関に飾られている絵に目が行った。母が色鉛筆で模写したものだったりしたようだが意外に上手い。それで思い出したのが鳴門海峡を描いた油絵。子どものころから応接間にずっと飾ってあった。母に訊くと外して保管してあると言う。

実家が建てられたとき石原さんと言ったか亡父の友人が新築祝いとして贈ってくれたものらしい。後日行ったとき要るなら持って帰れと母が言う。飾るところもないから要らないと言ったものの気になって結局前々回だったか行ったときに受け取ってきた。ただし額が古くて汚い。

絵は鳴門公園から淡路を見た光景。60年前の絵だから大鳴門橋はない。そのことがいいなと思っていた。サイズは調べてみるとF6という規定のもの。アマゾンなどで気に入った額を見つけたがいずれも欠品。しばらく待ったが諦めて安い額を注文した。安いと言っても送料込み6,755円。シルバー。

それが今日届いた。絵を収納して位置を調整してフックをコメリで買ってきて掛けた。妻がもらって今まで掛けていた陶板レプリカの絵は妻の席の後ろに。実はイスと一緒に買っていた電動ドライバーが役立った。ソファからだと表面のアクリルに光が反射するから蛍光灯前にボール紙を貼って遮光。

新しく買った長財布と布バッグ (4月25日・木)


財布を新調したのは昨年10月。30年ぶりぐらいの二つ折りはバッグの中で収まりもよく気に入っていた。でも使い続けるうちに問題がいくつか。一つは支払後に受け取るクレジットカード明細やレシートタイプの領収書を必ず2つ折りにしないと財布の中に入れられないこと。これが地味に不便。

もう一つは財布から取り出す札が曲がっていること。会社の札と頻繁に両替するのだが金庫の中で収まりが悪い。さらに阿南市合唱祭のときは最低限の現金とカードを古い長財布に入れて持って行ったが2つ折り財布だと厚みがあるから合唱本番で舞台に持って行けず控え室に置くしかなく不用心だ。

そういうわけで古い長財布をいつものバッグに入れて使い勝手を試してみた。バッグの中で奥下に携帯電話とキーケースを入れ手前上にiPhoneがあるが長財布でも悪くない。それで新しい長財布を購入。昨日届いた。ネイビーだが店で見たときも緑ぽいと思ったのを思い出した。今日から使っている。

今日は昼食でマクドナルドに行き名古屋に行く妻を松茂に送り散髪から川内で洗車して駅前に16時半。時間があるのでクレメントプラザを探索していて以前に破れたバッグと似たものを買った。旅行や帰省用にカメラや水筒が入れられてそれでいて小さな片掛けバッグを探していたのだ。4,104円。

『酔って候』 (4月24日・水)


妻がブックオフで買っていた1981年刷の古い本。司馬遼太郎『酔って候』(文春文庫)を読んだ。昭和39年と40年に執筆された幕末期の殿様4人それぞれの物語。表題の「酔って候」の主人公は土佐の山内容堂。元は分家の生まれで生涯を無役で過ごす約束だったらしい。それが跡取りが死に殿様に。

四賢候の1人と言われるが容堂公のことはよく知らなかった。籠を嫌い馬に乗り織田信長を気取り豪傑を任じていたが常に酔っていて歯槽膿漏が激しく46歳で死んだ。徳川への恩から時勢を見誤り武市半平太を獄死させただけか。側近だった板垣退助が勝手に兵を動かしたことで薩長土肥と扱われたと。

2つ目の物語は薩摩の島津久光。名君斉彬の弟で母お由良の陰謀の末に殿様の父として実権を握る。西郷隆盛を徹底して嫌ったが大久保利通に操られ騙された。3つ目は四賢候の1人と言われた宇和島藩の伊達宗城。というより城下の提灯職人の嘉蔵。長崎に行き勉強して蒸気船を作ってしまった。

藩役人の傲慢と実直な嘉蔵のこの物語は知らないことばかりだった。4つ目は倹約の末に洋式軍備を買い揃え幕末最強の陸海軍を持ちながら秘密主義で肥前の妖怪と呼ばれた鍋島藩の殿様閑叟。頭が良すぎたらしい。最後の最後に軍を投入して薩長土肥と言われるようになった。これも知らなかった。

ツバメとストーブ (4月23日・火)


山の町で暮らしていると都会では感じない季節の移り変わりに気づくことがある。ツバメもその一つ。2週間ほど前から鳴き声が聞こえるし廊下に出ると目の前を飛んでいくこともある。引っ越して来た頃には古い巣が事務所の排気口の上にあった。ツバメの雛が落ちていたこともある

日曜夜。自宅玄関上の排気口の上に2羽のツバメが寝ているのを見つけた。よく見ると3つある排気口のうち玄関の上のものに乾いた泥が付いている。巣作りを始めたらしい。でもここに巣があると出入りのとき糞の攻撃を受ける。かわいそうだが早いうちにと泥は月曜午後にホウキで払い落とした。

最近車に土が1台に20カ所も付いていると思ったらツバメが落としているようだ。月曜午後に住宅全体を見て回ると202号室の上と303号室の上で泥がある。特に202号室上は泥が濡れていてだいぶ盛り上がっている。昨夜も今夜も電灯が切れて暗いからか2羽が事務所と自宅の換気口上で寝ていた。

さて残った灯油を入れたストーブは毎日点けても暑くなるので20分ほどで消した。土曜は窓を開けて2時間半も燃やしたが使い切れず。最後は臭くなることを思い出して月曜ベランダに出して1時間。やっと灯油がなくなった。冷気よけの発泡ボードも片付けて。今夜の消防分団役員会も楽しく終了。

奈良井敬の死亡とT本氏の結婚 (4月22日・月)


今朝Facebookで相次いでメッセージが来た。1つは「日本でいちばん大切にしたい会社」西精工の西社長。徳島新聞の死亡欄に奈良井敬(55国府)と載っているが同級生の彼かというもの。小松島の55号バイパス沿いの大きなマンションに実家があった。検索すると事故のニュースがある。

男組の中学1年4組で一緒だった。卒業アルバムを見ると3年2組。高校も同じだった。3年8組というから理系だったのか。高校以降交流がなかった。夕方になり西君が徳島県議の中山君に確認して本人に間違いないと。報道にある無職というのも気になったが。土佐高に行った西山君に続いて。残念な。

月曜朝のもう1通はZ嬢から。彼女の今の上司である社長のT本氏が結婚したというもの。奈良出身で京都大学から鳴門教育大学大学院を出て私とJ社の同期。年齢は2つ上。背が高く格好いいのになぜか独身だった。上勝で米作りも一緒にした昨年2月にアミコの中で会った。その彼女だろうか。

そのとき20歳代と書いたがZ嬢によるとT本氏の9歳下と。ということは48歳。彼女宅で開いた週末のBBQに連れてきたらしい。その写真を見た。48歳には見えないが20歳代にも見えない。私は恋をしていた女性を若く見間違ったのか。57歳T氏は初婚。めでたい。どこかでお祝いをしておこうと思う。

阿南市合唱祭 (4月21日・日)


8時半頃に起きたとき妻はもう敬老会の手伝いに出ていたようだ。阿南市合唱祭に「響」がゲスト出演するので10:20過ぎに出発。会場の阿南市文化会館夢ホール近くには11時頃に着いたが早めの昼食と考え少し行き過ぎてラーメン。小だと足りなくてローソンでパンを買って車中で食べた。

それでも12時集合のだいぶ前に到着。楽屋口に車を駐め控え室。12:40頃から舞台でリハーサル。1曲目は団長がプラカードを持ち入場をしながら「栄冠は君に輝く」を歌う。富岡西高校が甲子園に出た今年に相応しい。立ち位置を確認して開演14時から客席後ろから2団体の演奏を聴いた。

このとき8年前に知り合った勝浦の初美さんに声を掛けられた。阿南の合唱団にヘルプで出演と。お嬢さんが勝浦中学合唱部だったことで何度か会った。富西野球部マネージャを経て京都の大学に進学したそうだ。その後全体合唱で「阿南市民の歌」「こいのぼり」を歌うため再び客席後ろへ。

本番の演奏は「さくら」で何か所か失敗。他はまずまず。よく響くホールなので気持ちよく歌えたし団長が変装する「ゆけゆけ飛雄馬」は受けたようなので良かった。帰宅して妻が持ち帰ったちらし寿司1パック食べてうたた寝。妻も朝から働いて疲れたようだが地元のいろんな話を聞かせてもらった。

阿南市合唱祭と定演 (4月20日・土)


毎年手伝っている地元の敬老会が明日開かれる。ところが明日は「響」が阿南市の合唱祭にゲスト出演することになっている。そんなわけで敬老会は欠席だ。定期演奏会まで2週間というタイミングでなぜ受けたのか不思議だが明日は譜持ちで歌って構わないことになったので少しは気が楽。

とはいえ8曲も演奏するので何冊も楽譜を使う。それでスマートにしようと譜面台を使うことになった。この譜面台の購入を促す指揮者からのメールが朝8時に届き相次いで既に買ったという連絡が2人から。いちいち携帯電話が鳴る。そして8曲中3つは3年前に歌っただけの曲でこれが難儀。

今日は妻が午後から後れて敬老会の準備に行ったが私は欠席して明日の演奏曲の楽譜をチェック。厚い楽譜の中の曲はコピーしてバインダーに入れた。さらに午後いっぱいかけて定演の演奏曲の楽譜を見ながら練習で録音したデータを整理した。録音データのない曲があって不安になってきた。

ここ10日間「響」は2日に1回の練習で今日も19時から参加してきた。案の定3年前に歌った曲は音は思い出すがritの中の音のタイミングが合わない。指揮者はおにぎり1個食べただけということもあって機嫌が悪く怒鳴り散らす。声も身体も頭も使ってクタクタ。舞台衣装の準備は明日にしよう。

XPERIA用充電器とエルゴマウス (4月19日・金)


妻がスマホを新しくしたら充電コネクタが変わったらしい。新しいXPERIA XZ2 compactはUSB-C。これまでの充電器は使えないのでNTTドコモで1つは買った。でも東京オフィスにも置いておきたいらしい。そこでヨドバシ.comで調べてエレコム製MPA-ACCFW154WF というのを買った。2,060円。

それと妻は元は私が買った古いモバイルバッテリを持ち歩いている。USB-A端子が2つ付いたエネループ。調べてみると東日本大震災の10日前に買ったと2011年3月に記述がある。8年も前のバッテリだがまだ使えると言うのでNTTドコモ純正のUSB-AからUSB-C変換ケーブルも購入。1,080円。

さらに私用に先日ヨドバシカメラで見てきたマウスも。普段メールニュースを読むときなどスクロールホイールに中指を置いて人差し指は浮いている。なるほど手のひらを下に向ける姿勢は不自然か。握手するように手を出した形だと疲れが出にくくテニス肘の予防にもなるという説明に納得して。

サンワサプライ製エルゴマウスMA-ERG9。Bluetoothタイプなどもあるが故障リスクの少ない有線モデル。2,590円。使うと意外に大きく手前に引くとリストレストに引っかかるから速度を上げて。内側に無意味な青のLEDライトがあって眩しいので黒のビニールテープを貼った。慣れるだろうか。
※マウスパッドMUP-910GYを追加購入。(4月22日追記)

同志社校友会 (4月18日・木)


先日実家に寄ったとき同志社校友会からのはがきを受け取った。OB会組織なのだろうが会費という名の寄付を寄越せというのである。一応検索するとWebページがある。徳島支部のWebもあって読んでいると会長の挨拶文の中に空港で会ったT君が講師として招かれたという記述もある。なるほど。

校友会の活動としては成績優秀者や留学生やスポーツ選手に奨学金を給付したり小中高校を通じての支援金もあるらしい。東京オリンピック・パラリンピック選手候補への支援もあると。 今までは特に興味もなかったし大学には人より2年余計に学費を払っているので十分貢献しているようにも思う。

でも歳を取った者は若者を支援すべきだと思っている。それが社会への貢献だと思う。個人でできないことを組織を通して行っているのなら意義はあると思い寄付することにした。ゆうちょダイレクトのアプリがあることを後から思い出したが郵便局に行って名前の項目に11桁の会員番号も入力。

年5,000円でもいいのだが毎年払い込むのは面倒なので終身会員として5万円を振り込んだ。帰宅して校友会のサイトから私の個人情報も入力。実家にはがきが行っていたわけで今の住所やメールアドレスを登録。今さら知らない校友と付き合いたいと思わないがOBとしてやることはやったという気分。

ファンヒーターの片付け (4月17日・水)


3月末に16Lだけ買った灯油も事務所のファンヒーターで昨夜使い切った。今年はいいタイミングだったかも知れない。18Lのポリタンク4本と10Lのミニタンク1本を使ってきたが大きい方に若干残った灯油は全て小さい方に集約していた。今日はファンヒーターに残った灯油を集めていった。

東京時代や上勝に来てからもしばらくはファンヒーターに残った灯油はそのままにして片付けていたと思うのだが年に何度もエラーが起こるようになってから気を遣うようになった。製品説明書を見ると冬の終わりに残った灯油はスポイトで吸い取ってから片付けろと書いてある。

そこで昨年のシーズン終わりからスポイトを使うようになった。今日は自宅の2台と事務所の1台。それぞれスポイトで吸い取ること20回ぐらい。でもファンヒーターに灯油を吸い取りやすい工夫はなく面倒なこと。メーカーはわざと放置して壊れるように仕向けているのではないかと勘ぐってしまう。

3台のファンヒーターから吸い取った灯油は10Lのポリタンクに集めて最後に石油ストーブに給油。明日の朝に石油ストーブを点けて燃やしきってしまうつもり。自宅のものは部屋の中に置いているが事務所のファンヒーターはトランクルームへ。明日ストーブを片付けたら冬の終わりなのである。

上勝にいたT君と本家松浦酒造場の社長交代 (4月16日・火)


昨日月曜は妻を迎えに徳島空港。飛行機は16:45着だが10分前ぐらいに着いた。到着口でスマホを見ていて目を上げると上勝に孫ターンしていたT君と目が合った。阿波銀行から転職して上勝にいた33歳。大学の後輩でもある。スーツを着ていた彼と立ち話を始めると会社を3月で辞めたと言う。

そう言えば奥様が京都大学大学院に入学したとFacebookに書いていたのだが西宮の彼女の実家に夫婦で住んでいると言う。名刺をもらったが名の知られたコンサルティングファームだ。徳島駅までバスで行くと言うから妻と3人で車に乗った。さらに実家までJRだと言うので結局大松まで送った。

ソフトボール大会で彼が審判だったことがあるし視察の問い合わせで会話はあったが今までまとまって話したことがなかった。 車の中では私の同級生や先輩で阿波銀行にいる共通の知人の話をしたり。若者は一度は都会に出た方がいいと思うなどと先輩風に言ってみたり。夜は消防点検15分遅刻。

今日は日経新聞四国経済面に鳴門鯛の本家松浦酒造場が外部から社長を招き1年少し前からオーナー社長だった喜屋武さんが副社長になるとの報道を読んだ。Facebookに書いたところ新聞にあった全株譲渡は誤報だと中の人のM谷嬢。いろんなことの新しい動きが聞こえてくる新年度である。
※松浦素子10代蔵元からFacebookでコメントがあり全株譲渡が正しいとのこと。(4月26日追記)

イスを新調 (4月15日・月)


イスを買い換えたいと書いたがヨドバシ.comで買って今日届いた。東京に行ったときヨドバシカメラ西新宿マルチメディア館で座り心地を試して機能をチェックしていたもの。ドイツnoblechairs EPIC NBL-PU-BLA-003。55,330円。ゲーミングチェアを謳っているから長時間PCの前に座ることを想定している。

土日にも届くかと待っていたが梱包重量が29kgもあってヤマトや佐川ではなくソーデン社というところから朝8時前に電話があって10時半に配達に来た。送り状を見ると岡山のソーデン社支店から吉野町を経由している。重量物の配送専門かも知れない。ムキムキの格好いいお兄ちゃんが運び込んだ。

午後から組み立てを始めたが付属の六角レンチとドライバーを使ってネジを締めたのは10カ所だけ。私のデスク回りが狭く古いイスを出すのに苦労したので新しい方はキャスターの取付などを広いところでやってパーツを使用場所まで運んでから組み上げた。

試してみると新しいイスのキャスターは床を傷付けないので敷いていたコルク地のブロックシートを外した。掃除機も掛けて梱包材を片付けるところまで1時間半。肘掛けが上下に加え前後と左右にも動くのが良い。次はデスクを新調しようと思っているがその前に書類や小物の整理をしないと。

遅刻 (4月14日・日)


2月に地元の皆が来たとき朝が苦手な私が妻と結婚しても生活が変わらなかったという話をした。一緒に暮らせば生活が変わると期待していたのに妻は私に輪をかけて朝が苦手だったという話。そのときサラリーマンだった当時は私も朝はがんばって会社に行っていたという前提で話をしたと思う。

ところが広報貯金のことをJ社の元部下たちに言われて思い出すと2年続けてチームで旅行に行っているわけでJ社の後半は遅刻を繰り返していたのだと推測せざるを得ない。離婚した94年2月から97年1月までは南昭和町5丁目の1DKに住んでいて沖浜東3丁目の会社まで車で5分程度だったのではあるが。

業務時間は9時半から17時半だが18時を過ぎると食事に出て会社に戻り22時か23時頃まで仕事をしていた。終わると喫茶USAの隣にあったTK25(後にピーナッツ)というカフェバーに行ってビールを飲んで帰る。TK25には広報のメンバーと一緒に行ったり誰かしら社員がいて合流して一緒に飲んだ。

24時半頃まで店にいて出勤前にシャワーを浴びていたから1時半とか2時に寝て8時半に起きていたと思うのだが。朝はちゃんと来て下さいと部下のZ嬢に叱られたことを覚えているが社長も朝の来客を30分程度待たせることが日常だったから遅刻はJ社の文化だと開き直っておくことにする。

広報チームの白浜旅行 (4月13日・土)


広報貯金を使った旅行では牟岐のほか和歌山の白浜温泉にも行った。当時はアルバイトのH田嬢がいてプロ推から私がスカウトして広報にいたI藤嬢もいた。1997年入社の2人はいなかったと思うから1996年の晩秋か。O野嬢とM田嬢もいたのかな。とすると私を入れて7人か8人だったのだろう。

徳島から高速船に乗って和歌山に行きJRで白浜。そこから路線バスで移動したと思う。宿泊する旅館を一旦通り過ぎた記憶が少しある。白浜動物園に行ってパンダを見たと誰かが言うのだがこれも覚えていない。園内を移動するトロッコのようなものに乗った記憶が微かにあるだけ。

海岸に行ったときアルバイトのH田嬢が岩を伝って先の方まで行って普段そんなことをしなさそうな彼女を見て危ないと思ったとN嬢が言う。旅館では2間で入口に近い部屋に私が寝て奥の座敷で女性たち6人か7人がいたという記憶は少しある。でも食事をしたシーンなど何も覚えていない。

帰りはM川嬢とI藤嬢がそのまま大阪でスピッツのコンサートに行くと言い和歌山で別れた。1996年秋はチームの人数が増え若い子に気を遣っていた気分があり仕事も辛くて旅行を楽しんだという思い出がない。それにしても牟岐旅行の1年後だから私はよほど遅刻を繰り返して罰金を払ったのだろう。

※※昔のネガフィルムからデジタルデータ化して1997年3月29日〜30日と判明。参加者は私を入れて7人。(2022年3月14日追記)

東京の乗り物マナー (4月12日・金)


先週7ヶ月ぶりに東京に行ってやっぱり人の多さに嫌になった。混んだ電車の中で久しぶりに人と接触したときはギョッとしたし2人や3人が横並びでゆっくり歩いているのを見るとイライラした。電車の中で大きなリュックを背負ったままの非常識なヤツはリュックを横から押して回してやった。

一方で東京オフィスから三軒茶屋または渋谷まで行くのに何度か乗ったバスの中はマナーが良すぎるというか遠慮の塊のような人たちだった。座っていた人が老人が乗ってくると見るや即座に席を立つ。席を譲った人がより若い人に席を譲られ3人がかりで立ったり座ったり。

妻に言うとオフィスのあるあたりが上品な街だからだろうと言う。世田谷区の一戸建ての並ぶ地域で周辺の車庫を見ると半分はベンツやBMWやボルボにレクサスといった高級車。金銭的な余裕が心の余裕になっているということか。気を遣い合うのも気持ちよく生きるための知恵なのだろうが。

バス停も順番に並ぶ。私が離れたところに立っていてもバスが来れば私が先に乗るのを待ってくれる。最後に乗りたいから敢えて後ろに回って意思表示しないといけない。不快な思いはあまりしなかったし東京が便利だとも思うがそれでも住みたいとはもう思わない。この上勝が一番落ち着く。

広報貯金とチーム旅行 (4月11日・木)


先週土曜のJ社広報チーム同窓会で広報貯金の話題になった。私は覚えていない。Z嬢によると遅刻に対して広報チーム独自の罰金があり貯金していたらしい。5分とか10分の遅刻は料率が高かったと。その広報貯金はほとんど私とNo2のN嬢が拠出していたようだ。生活態度はこのトップ2人が悪かった。

それでチームで1泊の旅行をしたことを思い出した。旅費は広報貯金を使ったらしい。モラスコ牟岐に寄って波打ち際の階段を少し下りた私は波に慌てて表面の藻で足が滑り転倒。メガネが落ちて波にさらわれないように急いで拾ったのだった。あのとき私の慌てぶりに皆が爆笑。しばらく笑われた。

行った記憶のある人をN嬢が聞くとZ嬢とM川嬢が手を挙げた。M川嬢がいるので1995年か。多分秋だろう。内妻海岸の南端にあった民宿で泊まった。転んで藻が付いた私のジーンズをM川嬢が洗ったと言う。何と私は自分の汚れたジーンズを部下の女性に洗わせたというのか。今なら許されない。

このときN嬢が自分の三菱ディアマンテを運転していて阿南の国道バイパスでスピード違反で捕まった。私が抜いていけと言ったのが悪かったような。N嬢によると罰則金も広報貯金から支払われたらしい。貯金はZ嬢が管理していたのだろうが広報チームで遊んでいたことはすっかり忘れていた。

※昔のネガフィルムからデジタルデータ化して1995年10月21日〜22日と判明。参加者は私とN藤嬢とZ嬢とM川嬢の4人。(2022年3月14日追記)

イスと机とコーナンと絵 (4月10日・水)


今度は妻が東京に行くので空港まで送ってきた。途中でクリーニング店で冬物衣類をピックアップしてきたが東京は最高気温6度だと。ダウンコートをクリーニングに出すタイミングが早すぎたと妻。モスバーガーで昼食を食べ空港に送り私は鳴門の実家へ。「響」の練習まで待機するつもりだった。

でも鼻は詰まるし喉が痛くて声の調子も悪いので練習は止めて帰ることにした。月曜に観たNHK「鶴瓶の家族に乾杯」に出ていたあたりを通って小松島のコーナン。まずは電動ドライバーの値段をチェック。火災報知器の取付やDVDラックを組み立てたとき苦労したのであれば便利かと思い。

先週K元に診てもらい楽になってきていた腰がまた痛くて車用品売り場でランバーサポートを買って来た。事務所のイス用。合わせて車用のメッシュになったシートカバーも。夏の蒸れ対策として。コーナンでは地元の吉田栄作似T氏と立ち話をして帰るときには一時上勝にもいたMぽんと会った。

腰が痛いのでイスを買い換えようと思っている。ニトリで買った今のイスは表の布が剥がれて汚い。合わせて引き出しの把手が取れた27年前のデスクも買い換えたい。今日は実家から私が子どもの頃からある鳴門海峡を描いた絵を持ち帰ったが額縁が汚い。そんなわけで諸々ネットで物色中。

広報チーム同窓会の参加者 (4月9日・火)


今回の同窓会の参加者は当日の席順で奥からN嬢。1990年に広報部門を立ち上げるとき指名した私の右腕。2002年に結婚して日経パソコンなどでライターをしている。次に1996年まで数年間を契約社員としてサポートしてくれていたH田嬢。結婚して沖縄に行き3店舗の薬局チェーンを創業した社長だ。

3人目は唯一私の部下ではなく後任だったT山氏。実家は京都西陣の呉服屋で大学の同窓。1995年秋入社で2001年退職。東京時代に溜池山王の地下通路で2回ほど会った。今はI駒社長に誘われて旺文社にいると言う。部下だった1997年入社K池嬢と結婚した経緯は彼女の方から聞いて大いに沸いた。

4人目は当時アルバイトだったH田嬢。業績が悪くなり1998年3月で辞めてもらった。その後海外の大学院に進みマイクロソフトの外人社長の通訳となり今は会議通訳者なのだと言う。凄い努力をしたのだと思う。5人目は昨日メッセージをくれたK田嬢。千葉県柏市の弁護士事務所で働いている。

6人目はT山氏と結婚したK池嬢。2001年に辞めユニクロから新日鐵住金改め日本製鉄。唯一バリバリの広報パーソン。7人目はZ嬢。8人目は1996年入社O野嬢。ご主人はメガバンクの行員らしい。私を挟んで10人目がM川嬢。1998年に辞めSo-netで産休の後2001年から専業主婦らしい。社会の損失だ。

K田嬢からのメッセージと97年の私 (4月8日・月)


土曜のJ社広報チーム同窓会で一番遠い席に座っていてほとんど話ができなかったK田嬢からメッセージが届いた。彼女は1997年4月入社だから私とは1年しか重なっていない。取引先として2000年頃に一緒にメディアに行ったことはある。今は4人の子がいて数年前に離婚してシングルマザーだという。

彼女が言うには1997年の私はいつも辛そうだったとか。それなのに何もできなくてごめんなさいと書く。いや私こそ申し訳ない。1996年の米国サンフランシスコであったJavaOne出展に向けた準備の頃から仕事が嫌になっていた私は1997年になると会社を辞めることばかり考えていた。

当時34歳。24歳で入社して私にとっては青春でもあったからJ社での仕事は概ね楽しかった。でも結局は退職するのだから最後の2年は辛かった。今になって思うに34歳の上司は未熟だった。この歳になって思い返すと上司として別に方法があっただろうと彼女たちを前にするとどうしても思う。

12人いた部下のうち徳島に唯一いるZ嬢は私のことを生涯の友人と言ってくれる。彼女らから相談を受けて何ができるわけでもないが話ぐらい聞いてあげたい。今になって少しはマシな上司役をさせてもらえればありがたい。K田嬢のメッセージを読んでまた東京で会って来ようという気になった。

帰宅 (4月7日・日)


昨夜は3時過ぎまで寝られず5時を回ると義母が起きて生活音で目が覚めた。今度は2時間寝られず10時には諦めて起き出したから4時間半睡眠。コーヒーを飲み準備をして12:01のバスに乗って渋谷まで。早めの羽田空港。15:30発。実家に寄ったが母はおらず義母からもらったお菓子を置いてきた。

そのまま「響」の練習が今日は3時間弱。上勝には22時過ぎに帰った。一昨年に買った出張用バッグは使い勝手がよくていいのだが4日間の荷物は重い。東京では歩いて歩いて階段を上って下りて汗だくになった。夜も義母と生活時間がずれているから眠りが浅く疲れが溜まった感じがする。

金曜に処置をしてもらった腰はその夜に寝ようとしたとき痛かったし今も痛みは少しあるが良くなってきている実感がある。当日にも書いているが凝り固まっていた腰の筋肉は柔らかくなったまま。仕事用のイスを買い換えようかと思っていたがデスクも合わせて考えようと思う。

一方で東京にいた今日から花粉症が酷くなった気がする。東京でマスクは必須かも知れない。さて私が東京にいる間に妻は淡路島の温泉に泊まり私も12月に行ったところで馬と遊んできた。その馬がいかにかわいいか私が帰宅してから力説された。ともかく2人が無事に帰宅してよかった。

ヨドバシカメラとJ社広報同窓会 (4月6日・土)


11時頃に出て住宅街を歩いていたらパトカーが飛び出した。一時停止違反の車を追いかけてびっくり。さてPASMOの自動チャージできていなかった件は有効期限が切れていたらしい。駒沢大学駅の改札窓口で延長手続き。10秒。新宿に行って西口でうどんを食べたが30年ぶりぐらいの黒い汁にギョ。

少し戻ってヨドバシカメラ。 目をつけていたゲーミングチェアを確認。ソフト売り場で弥生会計を見ていたら弥生の人が来たので質問。データ形式が2011年以前と2012年以後で違うとか。最新の弥生会計を買っても現在のデータを移行できないと。税理士さんにアップデートできるか訊かないと。

オフィスに戻ってパンとコーヒー。17時前に改めて外出して今度は品川。昨年12月にZ嬢と企画した90年代のJ社広報チームの同窓会なのだ。部下の女性たち8人と男性は私が辞めて営業企画から異動して後任となったT山氏。偶然だがZ嬢とT山氏とは大学の同窓でもある。場所はT山氏が予約してくれた。

連絡がつかなかったり家族の都合などで4人が欠席。信号でM川嬢と会いN嬢Z嬢に沖縄から来たH嬢らと雑談して18時前に個室で10人。3時間いて写真を撮りN嬢Z嬢M嬢O嬢の5人で2次会。22時半解散。詳細は後日に。土曜で渋谷からバスがなく東急で駒沢大学。バッグが重くてタクシーで23時半帰宅。

A社から埼玉の京之助カイロ整体院 (4月5日・金)


朝A社のボスK氏から連絡があり10時半に出た。義母が帰るのが見えたが10:39のバスで三軒茶屋。かつての通勤経路で護国寺。K氏O氏と原稿の話をしてK氏とジョナサンで昼食。レイアウトがすっかり変わったA社に戻り事務局長になったN氏と車の話や高校のことなど雑談を1時間以上もした。

15時を回り池袋から湘南新宿ラインで赤羽乗換の京浜東北線で北浦和。バスに乗り教育センター前というバス停で下りた。痛む腰を診てもらうと中学高校時代の友人K元の整体院を訪ねるのだ。バス停すぐというのに先まで歩いて元に戻り入口が裏だと分かって訪問したのは約束より1時間早い17時。

開業前に徳島で話を聞いていたが訪問は初めて。問診と説明を受けて悪い部位を特定するため手を上げたり力を入れたり。腰の下に何かを敷いて股関節に手を当てられたり足を上げて回されたり。頭痛対策の施術もあったようだ。腰はまだ痛いが触ると凝りがなくなり柔らかい。100分ほどもいた。

そこから近所のバーミヤンでビール。奥様も合流して昔話やら28歳と25歳という息子さんの話など。奥様が自宅から車を出して浦和駅まで送ってくれ22:17発の湘南新宿ラインで渋谷まで35分。バスではPASMOのチャージがなく行列の20人以上を待たせて80円を現金で支払った。23:40帰宅。

東京でPCメンテに義母と焼き肉 (4月4日・木)


マイレージで予約した13:45発JALに乗って予定より遅れ羽田15:20着。バスのつもりが40分待ちだったのでPASMOのロック解除の上で京急とJRで渋谷からの路線バス。羽田でも工事中の渋谷でも案内板でバス乗り場を探すのに目的地を見つけられず各3分ぐらい。東京の情報の多さに付いていけない。

事務所でPCの電源を入れFirefoxがリフレッシュするかと訊くからYESとすると日記の更新に必要なNotepadがFirefoxから起動しなくなった。調べたが分からないので諦めてNotepadはエクスプローラから起動。諸々の更新に加えDELLのメンテナンスソフトが走り言われるままBIOSもアップデート。

このPCもWindows7だ。メモリ8GB。4年前に買ったこれも新調する必要があるかも知れない。まだ十分に使えると思うが 悩ましい。 さて夜は義母と2人で近所の焼き肉屋。妻が予約しておいてくれたが昨年9月以来2度目。私はビール2杯。義母は1杯。1時間もいなくてローソンに寄ってから帰宅した。

東京は暖かいだろうと薄着で来たが重いバッグを持って歩いて電車では汗。でも夜は外に出ると寒い。トレーナーぐらい置いてあると思っていたのにTシャツしかなくて妻のパーカーを着ている。と1年半前に同じことを書いていて泣く。さらに腰痛が酷い上に最近よくあるのだが頭痛もあって辛い。

徳島県知事選挙と桜見物 (4月3日・水)


徳島県知事選挙の投票日は町にいないので16時を過ぎて思い立ち期日前投票に妻と行った。会場の役場は見知った人たちばかりで立会人にも地元のN氏やK原君ら。今回の選挙は現職の飯泉氏が当選すれば5期目。対して県議だった岸本氏が立った保守分裂。岸本氏を衆議院議員後藤田氏が支援している。

飯泉氏の4期を評価する声は多い。でも日産のゴーン氏と同様に権力を持つと腐敗する。私も出演した第九演奏会を巡りオーケストラの編成に県から何億円も支出した件は相手が知事の愛人と噂されていただけに私は納得していない。知事の他の功績は認めるが5期20年は長すぎると私も思う。

一方の岸本氏は高校大学が私の先輩に当たるようだが就職したのが徳島そごう。古い権威主義の業界だ。しかも政見放送やインタビューを見ると無表情で原稿棒読み。こりゃダメだ。そんなわけで棄権しようとも考えていた。ただ現職の当選が確実なようなので批判票として岸本氏に投票してみた。

同日予定されている県議会議員選挙は定数3の我が選挙区が前回に続き無投票。せっかく今回は中学の同級生の中山俊雄君の名前を書いてやろうと思っていたのに残念。さて桜は今が見頃。投票を終えて桜を見ようと消防の年末警戒でしか通らないような裏道も通って我が地区を回ってきた。

新しい温湿度計とテレトクのメール設定 (4月2日・火)


やり残していたDVDの整理を月曜に行った。とりあえず全てのDVDとCDは納めた。先週の作業中に落として液晶を壊した時計の代替品も昨日届いた。セイコーの温湿度計付の電波時計SQ789Wという機種。昨年壊れたものに似ているが一回り小さい。電波は受信できず手動で時刻を合わせた。

テレビ回りは整理してきれいになったがスピーカーの高さが左右で違ってしまった。それで甥2人らと撮った写真を入れたフォトフレームや創業祝いにいただいた招き猫などの配置を調整。今日になって掃除をしながら古いテレビ台を右端に持って行き全体のレイアウトを再び変更。すっきりした。

さて以前から案内されていた通り4月からプロバイダが変わった。提供されていたメールアドレスも変わる。と言っても私はこのアカウントを使っておらず月額料金や事務的な案内メールしか届いていなかった。それでも新しいプロバイダからの案内を受信するためにメールの設定は必要だ。

それで月曜夜に設定してみたのだが。アクセスはしているがメールソフトShurikenが「接続中」と数分間も表示するだけで終わる。テスト送信しておいたメールを受信しない。今日試しても同じ。事前に書面で届いていた設定画面にもアクセスできない。これは私の問題かテレビトクシマが悪いのか。

新元号「令和」発表 (4月1日・月)


今年5月から始まる新元号が発表された。11時半前からテレビを付けて菅官房長官の発表と安倍首相の会見をライブで見た。思い出せば「平成」のときはダサいと感じた。「平」は文字通り平凡で読みも屁を連想させる。略した「H」はエッチだしほかに選択肢はなかったのかと思ったものだ。

一方で今回の「令和」。「和」が濁音だともっといいと思ったが「令」の字は読みが美しいし略「R」も格好いい。ATOK開発に関わっていたM山氏が元号のキラキラネーム化だと批判していたが私はそれでもいいと思う。西暦から語呂合わせの018(れいわ)を引けば令和と換算できるのも面白い。

発表直前TBSのゲストが言っていたのだが1861年の文久から元治・慶応・明治と語尾が流れる音と止まる音が交互になっているらしい。その法則に今回も当てはまった。数秘術によると明治以降「昭和以外は全て1(自立・開拓者)なんだよね〜。不思議。」と妻がツイッターに書いている

前に書いたが日本の元号を50個ぐらい覚えたことがある。今でも大化・大宝・和銅・養老・天平・天平勝宝・天平神護あたりは覚えている。令和。出典が万葉集というのも素晴らしいし明治以降の元号の中で私は一番好きかも知れない。キラキラネームよろしく字面と読みのイメージだけではあるが。

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© 2019 Takashi INAGAKI