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2018年1月

アルバイトの2人 (1月31日・水)


ふと気づくと大学を卒業しJ社に入って30年。そのJ社を辞めて20年の年である。社長に辞めると伝えたのは12月だが当時8人か9人いた部下の女性たちに辞めると伝えたのは右腕だったN嬢を除いて1月か2月だと思う。通常業務をやりながら私がいなくなった後の算段を考えながら仕事をしていた。

前年の秋に株式を上場したJ社はこの年度は早々に赤字予想で株価が公開価格を下回り創業以来の苦境に立たされつつあった。業績の下降に伴い人員整理も計画された。私のチームにいたアルバイトの女性2人も辞めさせられることになって私が会議室に呼び出してそのことを伝えたことを覚えている。

2人がチームにいたのは2年と1年ほどだったか。ジオス出身だったり米国留学経験があったり英語力に期待したが彼女たちには荷が重かったようだ。彼女たちに会社の事情を話し3月までだと伝えたとき私は彼女たちに非難された。最初の挨拶をしたとき私は彼女の方を見なかったらしい。

それほど私は心に余裕がなかったんだと思いつつ謝った。実は自分も3月で辞めると言ったとき涙が出た。それを見て彼女たちが驚いた様子で次の言葉がなかった。私はそれほどに情けない上司だった。彼女たちに限らず部下の子たちの人生を左右してしまったことに20年経って思うことがある。

Amazon Music (1月30日・火)


back numberの「ハッピーエンド」にはまって聞き込んでいてベストアルバムを買おうかと書いた。でも結局ダウンロードで個別の楽曲を買った。妻は最近Amazon Musicで買っていると聞き試してみたらあっけなく1曲250円で買えたもので調子に乗って連続してダウンロードしてしまった。

買ったのはback numberの「ヒロイン」とMBSソングタウンで舞台は私が東京時代に住んでいた駒沢大学駅の隣にある桜新町だと聞いた「世田谷ラブストーリー」と現在ヒットしている「瞬き」。これらは先週から聞いていたが先日土曜の宴会で教えられた「クリスマスソング」を日曜に購入。

平井堅は「ノンフィクション」を妻がCDで持っていてさらにCMソングだったか聞いたことがあったので「魔法と言っていいかな?」をダウンロード。日曜来PCでイヤホンを付けてこれらの楽曲を繰り返し聞いている。歌詞はこんなサイトで調べられる。CDを買う動機が減るのも分かる。

これらの楽曲は何となくアマゾンで買ったがよく考えればアップルiTunesでも良かった。実際に秋祭りに使うため何曲か買っているし「ハッピーエンド」と「ノンフィクション」はCDからiTunesに登録している。妻が言い出してカラオケに行って歌おうという計画もあるが3月になりそう。

酔っ払い (1月29日・月)


本当は昨日の「響」の練習ついでにコーヒー豆を買ってこようと思っていたのに飲みすぎでダウンしていたのは既に書いた通りで今日になってこはくの天使に行って来た。ついでにそのまま夕食をと考えたが今日は定休日。事前に連絡して休業中のところをコーヒー豆だけ買った。

そのまま私は初めて行くりょう花というラーメン店に妻と2人。さらにビール空き缶24本×9箱と焼酎の一升瓶10本をリカオーに持ち込んで買い物をして帰宅。飲みすぎてダウンしたと書いたくせに「響」の練習を休んだ日曜夜にはビール2本と焼酎を飲んでいる。今日も。

酔って記憶をなくすことは45歳までに25年間トータルでも2〜3度しかなかったと思う。最初は高校卒業のときだが上勝に移住してから1年に3回ぐらいある。昔は酔っても車を運転する場合もあったし代行で帰ったり電車に乗るからどこかで正気を確保できていたのだが。

今は隣の公民館だったり消防詰め所だったり徒歩30秒で帰れる安心感か。事務所で飲むこともあって正気を保っておく必要がないから安全弁を外せているのだろう。それにしても土曜はお店のS嬢とハグをしたと本人のFBコメント欄で読んだがそれも記憶にない。迷惑を掛けた皆さんごめんなさい。

秋祭り打ち上げ (1月28日・日)


昨日は秋祭りの打ち上げだった。秋祭りが11月3日だったから昨年中にできれば良かったのだが漫才をやった4人のスケジュールが合う日程を探すと今日になった。関わった人たちが声を掛けられ総勢何と35人。町内の「とっとや」に集合したわけだが送迎の車の手配とか委員は大変だったと思う。

18:20出発だったがA嬢が来ず置いていき現地では妻が集金を担当。演者は格安だったり秋祭りに金一封を提供した私も少し安くしてもらったり。店ではテーブルの配置が換えられ座敷を含め35人を収容。料理はセルフで運んでくる。私は近かったから一番に取って唐揚げ2個とポテトサラダ。

あとはビール。中ジョッキで7杯か8杯か9杯か。カラオケで妻が入れた「ノンフィクション」とback number「ハッピーエンド」を歌ったが全然ダメだった。厨房のS嬢と話をした記憶はあるが帰宅第1陣が22時頃に出たあたりから曖昧。誰かのタバコを2口もらったことを朝シャツの臭いで思い出した。

帰りの車の記憶はないが役場N君に抱えられて帰り玄関に倒れた私を運ぶため妻がT氏S氏を呼んだり。第2陣が23時出発のはずだから23時半頃には帰ったはずなのに私はPCの前で3時間。文を書こうとしたが1行書くのに10分掛かり諦めた。今日は「響」の練習を休み午後ずっとダウン状態。

Bar IRORIで汁なし担々麺 (1月26日・金)


木曜放送の「秘密のケンミンSHOW」を録画して昨日観ていたら広島で汁なし担々麺が流行っていると言う。もっともラーメン風の担々麺は日本風にアレンジされたものであってオリジナルに汁はないらしい。それで思い出したのが上勝の山奥で営業しているBar IRORI。

テレビマンユニオン出身のTVディレクターN氏が「世界ウルルン滞在記」だったかの撮影で行った中国四川で覚えた担々麺を出しているバーである。私が住んでいる上勝町自体が山の中だがこのバーは特に山奥で回りに人家はなく定期的に屋外での音楽フェスを開催している。

汁なし担々麺を食べたいと妻が言い出しそのBar IRORIに今日行ってきた。18:15に迎えに来てもらいS嬢が運転する軽ワゴンで現地へ。路面は乾いているが周辺は雪が残る。山奥の古民家だから寒い。薪ストーブと石油ストーブが2台。ビールを2本飲んでホットゆこうジンジャーを3杯だか4杯。

カウンター内にS嬢とH嬢。先週消防詰め所で飲んでいるときも来た隣の地区のM氏が遅れて。連れの女性はマフラーで顔が分からなかったのだが地元のYさん。柿やらお菓子もいただき途中から事務所にいたイマジンを誘ってカウンター5人で話をして21時過ぎにYさんと3人でS嬢の車で帰宅。

「逃げるは恥だが役に立つ」 (1月25日・木)


一昨年2016年10月からTBSで放送されていたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を私たち夫婦は見ていなかった。主役の星野源が歌った主題歌「恋」は大ヒットしてエンディングで流れる振り付け「恋ダンス」も流行した。ある種の社会現象になったが観ていないのでよく分からなかった。

それが1年以上経ったこの年末年始にTBSが再放送するというので妻が録画していてようやく観ることができた。ただし放送日が決まっていなかった最後2回は録画できておらずレンタルを申し込んでいて届いたのが先日。ただし届いたのは最終話だけで全11回のうち第10回は見逃したままになった。

それでも面白かった。35年間カノジョなしの主人公の恋愛を忌避してしまう行動は同じ理系メガネ男子としては何となく分かる。家事代行から偽装結婚して同居の末カノジョとなる新垣結衣の演技も良かった。恋愛ドラマではあるのだが2人の心情に何度も泣けてしまった。

今回の再放送はCMも多かったしツイッターでの情報によると本放送時とは若干編集が異なるらしい。それに第10回は見ないまま。そういう事情はさておき何度も見直したいドラマだったということで妻がDVDを買おうかなと言っている。これは持っていてもいい名ドラマだったと思う。

大寒波 (1月24日・水)


この冬一番の大寒波なんだそうな。東京では月曜に20cmの積雪と言っていた。そのとき妻は東京にいてイベント1件が中止になったらしい。テレビで東京の映像を見ていたが早く帰ろうとした会社員が間引き運転の電車に殺到して駅は入場制限だったとか。お気の毒なことだ。

妻は火曜の最終便で徳島に戻ってきたが天気予報では晴れだったのに夕方少し雨が降った。飛行機は到着が40分遅れて21:40着。22時の予報は-3度。4輪駆動にスタッドレスタイヤのフォレスターで迎えに行ったが降った雨が凍っているのではないかと慎重に帰ってきた。

今日も朝7時に表を見たらアスファルトが真っ白。午後には溶けたが妻が買い物に行くのに念のため私が運転してフォレスターを出した。外気は2度。車には溶けた雪がつららになってヒゲのよう。と言っても道路に残雪はなく凍結もしていなかったのだが。

夕方から雪が降り出し18時前に住宅駐車場出口あたりの坂に融雪剤を撒いた。24時に雪はなく凍結もしていない。でも夜から早朝まで予報レベルで-4度。日中の最高気温は2度。灯油は40Lほどあるし食材は今日買って来たらしいので明日は家に籠もるつもり。

欅坂46とオリビア・ニュートンジョン (1月23日・火)


カフェ「こはくの天使」のマスターに奨められて欅坂46を聴いてみたことは既に書いた。「エキセントリック」のピアノが凄いと言うのだが所詮アイドルの女の子の斉唱であって私には今ひとつだった。ミュージックビデオはよくできていてダンスには見るべきものがあるとは思う。

正直に言えばグループ誕生以来のセンターだという平手友梨奈という子には注目した。まだ16歳。ダンスのセンスというか演技力というのか魂の籠もった表現と言えばいいのか。グループ全体の歌よりもこの子の表現だけを見ていたいと思った。それにしても楽曲は平板に聞こえてしまう。

それで思い出したのが高校時代に中学以来のアマチュア無線仲間でもあったK元とI村と3人で当時関西学院大学に行っていた4歳上のJA5MAJこと故・北原氏の下宿を訪ねたとき彼が米国留学で買って来たオリビア・ニュートンジョンのレコードを聴かせてくれたこと。アレンジが全く違っていたのだ。

比べてみると日本で聴いていた楽曲はボーカルが強調されているのが分かった。米国のものはバンドとしてのサウンドで断然こちらが格好いいと思った。当時のオリビア・ニュートンジョンも日本ではアイドル扱いだったということか。欅坂46が所詮アイドルの斉唱でしかないのも仕方ない。

歯が抜けた (1月22日・月)


数ヶ月で抜けそうだと12月に書いた歯は先日土曜に抜けた。1月第2週あたりは痛くて参ったと思っていたのだが先週になって痛みはなくなっていた。もう抜ける準備が整ったということだったのだろう。先週木曜あたりから頬の内側に触れる歯の感触から抜けるのは近そうだとは思っていた。

土曜の朝起きて歯磨きしているときに特に突いたわけでもないが抜けた。痛みもないし血も出なかった。偶然この日にS神歯科の予約を入れていたわけだがこれで歯医者通いから解放されると思ったらS神が次の治療案の話をする。とりあえず次の予約は31日。

次の治療は急ぐことでもないし実のところは抜けてくれてホッとしている。今回抜けたのは左下の親知らずでその1本手前が14ヶ月前に抜けていてここに手前の歯からブリッジするのだとか。ブリッジの起点にするという奥から3本目の歯は確か神経が3本あって何度も治療してきた記憶がある。

2001年に東京から帰省したとき痛んでS神歯科にに行って東京でも 治療をした。今から思うと疲れたりストレスがあると症状が歯の左下に出ていたような気がする。ともかく以後は歯を大切にしようと入念な歯磨きを習慣にしているのである。それにしても2本も歯が抜けるとは歳を取ったものだ。

だんじり保存会新年会 (1月21日・日)


土曜に第九の練習から諸々の用を済ませて帰ってきたのは18時半過ぎ。隣の公民館前に軽トラが何台も駐まっていて時間を間違ったかと確認すると会の始まりは18時半だった。20分遅刻して行ったのは秋祭りでデビューしただんじり保存会の新年会である。19時からかと勘違いしていた。

でも行ってみると同年代は誰もおらず65歳以上の重鎮ばかり。これは参ったと思いつつ飲み始めたら結局調子が出てしまい大笑いの巻。前夜も一緒だったN氏も呼び出されて来て後半は中央地区のシステムを持ち込んでカラオケ。N氏が冒頭85点でいろいろあって私は最後に「熱き心に」で94点。

22時前に解散したが表に出てみると昨年足の手術をしたH氏の頬が赤い。転んですりむいたらしい。メガネもなく皆で探してA氏の軽トラに乗せたが何度も電話をして来て心配していた奥様をまた不安にさせてしまった。移住以来お世話になってきたH氏が酔ったときは注意しておこうと思う。

その後N氏が事務所に来て2人で1時間。23時に解散した。金曜は何の役員でもないものの近所というだけの理由だが呼んでもらい土曜も重鎮の皆さんと一緒に楽しんだ。移住して丸9年が経ち10年目に入ったところだが地域の皆さんとバカ話して大笑いできる環境にあることを本当に感謝している。

名役員新年会と第九練習 (1月20日・土)


今週は妻が今年最初の出張中で隣町のスーパー杉屋で買ってきた鶏唐揚げを食べようかと思った金曜19時前に電話があった。消防団の前分団長で現在は本団の副団長T氏。消防詰め所で飲んでるから来いというお誘い。どうせ一人だし行ってみると地域の自治組織「名」の役員の新年会だった。

誘ってくれた副総代T氏のほか総代A氏と会計で町議H氏。それに1Q委員長N氏。さらに呼び出されたY氏が来て猪鍋。19時から飲んで解散したのは24時半頃。後半は酔ってH町議と激しく議論したことは覚えているが一晩たつと何の話をしたのかほとんど忘れている。楽しかったからまぁいいか。

3時前に寝て今日は10時半に起きコンビニで買ったパンを食べながらアスティ徳島。2月に演奏会がある「第九」の最後の練習。人数は1,000人を超えていた模様。ただし中学生はインフルエンザなどで空席が目立つ。本番指揮者の指導だが高齢のため指示は分かりにくく指揮もやっぱり下手くそ。

J社で1つ後輩だったF井嬢がメッセージを寄越し同じ会場にいると言うからフロアに下りて見つけて話をしてきた。同期のK原嬢も一緒にいた。終えてダッシュで駐車場に走り筆耕をお願いしているA嬢のとこに行ってからS神歯科。こはくの天使経由で帰ったが夜の予定は18時半だった。20分遅れて参加。

1995年から3年間の日経K氏と (1月19日・金)


日経新聞で95年から98年まで徳島支局長だったK氏と最初に会ったのは95年の春だと思う。前任者から引き継いだ取材先を回っていて社長と会ったときに私が同席したのだろう。すぐに飲みに行く約束をしたはずだ。今は米国在住U氏が父上から継いだ秋田町のビル1Fにあった寿司屋に2人で行った。

当時の私は広報部門の責任者で部下は女性ばかりが4人だったか5人だったか。多分その年に入社したばかりの奈良出身O嬢がダイビングをやるという理由でK氏に誘われて県南に一緒に行って仲良くなっていた。太っているK氏が重りを付け過ぎ海底を歩くようだったと面白おかしく話していた。

K氏はO嬢に仕事上の注意したことがあると後に言ったことがある。午前中K氏が私宛に電話したとき私は寝坊していたのか不在だったらしい。そのときO嬢が出て「まだ来てません」と言ったそうでK氏が「そういうときは席を外していますと言うもんだよ」と。ごめんなさい。私が悪いんです。

K氏とは年に何度も飲みに行った。昭和町にあった支局に私が行くことも何度もあってアシスタントの女性とも顔見知りになった。以後K氏が徳島に来ると彼女たちも同席するので結構会っている。彼女たちは20歳代でK氏も私も30歳半ば。仕事上の付き合いだった私にとってはこれも青春だったような。

back number「ハッピーエンド」 (1月18日・木)


最近の音楽を知ろうと思いMBS「Song Town」を録画しているのだが付けっぱなしにしていたテレビから流れた先週の放送に妻が目を留めていた。それで何となく私も観たのだがそれはback numberというバンドの曲を作っているヴォーカルとギター担当のインタビューだった。

MCの三戸なつめがこのバンドを女々しいと言っていたが番組が終わってから妻が「ハッピーエンド」という曲の歌詞を私に説明する。でも聴いたことがないからピンと来ない。映画の主題歌だったそうで妻はシングルCDを持っているというので借りて車の中で聴いたのが土曜だった。

曲は聴いたことがあった。今はFM COCOLOに戻ってしまったが若者が聴く曲を知ろうと半年ぐらいFM802を聴いていたときに耳にしていたのだと思う。歌詞は彼氏に振られた女の子の心情なのだが泣けるのである。これほど楽曲と歌詞がマッチしていて聴くたびに泣けてしまう曲は初めての経験。

今日こはくの天使に行ってマスターに話すと彼も一時期はまっていたらしくお奨めを教えてもらった。そんな話から欅坂46がいいという話で私も気になっていたので今夜はYouTubeで続けて聴いているところ。back numberは昨年末にベストアルバムが出ていて買おうかどうか逡巡している。

靴磨き (1月17日・水)


靴には全く無頓着だったのだが消防団に入ってから気になるようになった。出初式という式典でブーツの汚れはまずいと思うのだ。今年も出初式の朝に慌てて濡れティッシュで汚れを拭いたり。その点今のK分団長は陸上自衛隊出身だけあって以前から靴はピカピカでそれだけで敬意を持っていた。

一方で先日の合唱アンサンブルコンテストでソロを歌った学生君は靴の甲が割れてしまっていていくら何でもそれはアカンと思った。学生君だから見逃すがそんなこともあって大人の男としてやっぱり靴は大事だなと思うようになった。というわけで手持ちの靴を整理しようと考えていたのである。

福岡時代に買った白いスウェードの靴は内側がダメになっていて捨てるつもり。東京時代の通勤用だった茶色の革靴は徳島ではほとんど履いていないがまだ大丈夫そう。ただし埃が付いて艶もない。2足ある黒の革靴は今や「響」のステージ用だがそれなりのメンテナンスもしておくべきだろう。

昨年来何足か買った靴も長く使いたいと思う。ということで初めて靴クリームなどのセットを買ったのである。それが今日届いたので夕方から消防団のブーツを含めて一気に6足の靴磨き。でも私の日常は靴を履いて生活していないのでメンテナンスは頻繁にしなくていいよね。と既にやる気が減退中。

徳三会 2 (1月16日・火)


日経新聞徳島支局長として赴任してきたK氏が主催した30歳代の経営者の親睦団体である徳三会を通じて私は他にも何人かと知り合いになった。1人は石井と神山に工場があった革製品加工の北島クラフトのK常務。父上が社長で兄上が専務。年齢は私の1つか2つ上だったと思う。

部下のN嬢と石井にも神山にも工場見学に行ったし末広の小料理屋でご馳走してもらったこともある。NTTに納入する革長靴などを製造していたそうだが携帯電話ホルダーを開発して売っていた。私も買って重宝したが携帯電話の形状が頻繁に変わるためビジネスは難しかったのだろう。

徳島を離任した日経K氏が東京から遊びに来た1998年夏の阿波踊りで宴会に誘っていたらしいが彼は来なかった。以来会っていない。一方でインターネットプロバイダーの草分け的な存在であるマンダラネットのT石社長も参加するようになった。今や業界団体の副会長で世界を飛び回っている。

当時の2人目だったはずの奥さんとも会ったし後に徳島空港や東京の渋谷や上勝の棚田でも偶然会った。Facebookで繋がってみると中学の2つ後輩だった。徳島の経済界をリードするような人物と知り合って影響を受けるようになったのも徳三会を主催した日経K氏のおかげなのである。

徳三会 (1月15日・月)


一昨日の日記で中津峰に向かう途中雪で動けなくなった車をインプレッサWRXと書いたがシルビアの間違いだ。WRXなら4WDだがあのときは後輪だけが空転していたわけで。このときのことを10人弱の食事会で話した記憶があるのだがそれは1995年夏のこと。WRXを買うのはその年の秋だった。

その食事会は日経新聞徳島支局の支局長K氏に声を掛けられたものだった。K氏は3年の任期を終え明石海峡大橋が完成する前の1998年3月1日付で転出したから徳島に来たのは1995年3月1日。その夏にK氏と同年代の30歳代の徳島の経営者が情報交換の場として集まったのである。

私は経営者でないどころか課長レベルだったかどうかも怪しい頃だが企業の影響力から呼ばれたのだと思う。部下のN嬢と2人で行った。他は高川予備校から元生徒だと言う取締役の女性2人。それに後にお菓子通販のCUOCAを創業するが当時はアサヒビールを辞めて家業の食品卸斉徳にいたS常務。

それとK氏とは同業の関西テレビK支局長。建設大手岡田組の跡取りだったO氏。四国化工機のU社長もいたかも知れない。会場は秋田町の2Fか3Fにあった個室の中華だったか。主催した日経K氏はこの会を徳三会と名付けメンバーも増えて何度か集まるようになった。

徳島県合唱アンサンブルコンテスト (1月14日・日)


今年「響」の練習に行ったのは1月4日を休んだから昨日の土曜だけだ。その昨日は19時始まりで本番前日だからと20:20頃に終わった。というわけで今日は14時頃に出て鳴門市文化会館。15時半集合だったが15:10頃に着いてちょうど近くに駐車できた。家からステージ衣装のままで行った。

公式にあてがわれた練習時間は15:50から16:05だが私たちの演奏直前が休憩時間で15:32にリハーサル室が空くということで地下に直行した。アンサンブルコンテストは16人以内という規定だが今年の私たちは12人。トップ2人にセカンドとバリトンが4人ずつとベースが1人。これに指揮者。

指揮者はT氏1人しかいないベースパートを歌う。リハーサル室ではまずは並びの確認。今回は前後バラバラに広がった。少人数アンサンブルだからステージに台はなく広いスペースなのだが比較的前の方で歌った。それが良かったのか昨年のコンクールのときに比べて響きが意外なほど良かった。

本番前後には高校合唱部1つ後輩で徳島北高の教師旧姓M嬢や3つ後輩で佐古小教師Y君とか先輩で名西高校音楽教師N氏らと会って挨拶。歌ったのは「祝福」という曲と「五木の子守唄」。演奏を終えてプログラムだけ受け取り寒かったので実家には寄らず速攻で上勝まで帰ってきた。

雪の峠道 (1月13日・土)


今週は木曜朝だったか徳島市は大雪となり加賀須野大橋で事故が10件あったと聞いた。当然国道は大渋滞。上勝は私が住んでいるところは数センチ積もっていたが月ヶ谷温泉は全く積雪がなかったらしい。平野で降って山では降らず。同じ町内でも全く違っていると知って驚いた。

徳島の渋滞で通勤に何時間もかかったことは前に書いた。これは仕方ないとしても雪の山道に行って引き返したことが2回ある。1988年12月か1989年1月だと思う。同期のI嬢とドライブに出て佐那河内から大川原高原に向かったところ途中から積雪。FRのS13シルビアではどうにもならず引き返した。

次は1995年12月か翌月。徳島市南部の多家良町から中津峰の峠道に入ったら途中から積雪。引き返そうとUターンしたところでスタックして動けなくなった。新車のインプレッサWRXだったはずでアクセルを踏むと左に流れる車体に傷が付かないようガードレールと車体の間にクッションを入れ。

カップルの乗った大型の4WD車が通ったときはタバコを吸いながら平気な顔をしていたがタイヤ回りの雪を溶かそうとライターの火を近づけたり無駄なこともした。そこに20分ぐらい留まっていたと思うが何とか脱出して山を下りた。雪と車の関係に無頓着だった時代の恥ずかしい記憶。

インコの雛 (1月12日・金)


実家にいる犬のケースケが死んだら小鳥でも飼ったらどうかと昨日書いた。それで私が小さい頃に小鳥を飼っていたことを思い出したから記録しておく。私が5歳ぐらいの頃には文鳥を飼っていたらしい。これは記憶にないが私の肩に乗った文鳥の写真があって皆がいい写真だと褒めるから知っている。

小学校の頃はセキセイインコを飼っていた。鳥かごの前面左右から水と餌を入れたボックスを出し入れできた。かごの下面は新聞を敷いたトレイになっていて引き出してときどき掃除をしていた。夜は応接間に入れるが昼は外に出して軒から吊していた。たいてい雌雄の2匹を飼っていたと思う。

でも猫に食べられたことがある。軒から吊して地上から1.5mはあっただろう鳥かごが襲われ2羽とも死んだ。ところがかごの中の巣に生まれたばかりのひな鳥がいた。まだ卵だったところから孵化したような気もする。ともかく記憶にあるのは毛のない肌色の小さな生き物が5つか6つ動いていた光景だ。

この生まれたばかりの雛は母が育てた。鳥の餌をすりこぎで潰して粉にしたものを竹串の先に水と一緒に付けピーピーと鳴きながら大きく開けた雛の口に運んでやっていた。1日何回やったことだろう。そしてちゃんとした成鳥になったのである。でも今さら鳥を飼うのを母は嫌がるような。

AIBO (1月11日・木)


既に昨年から予約販売が行われていたソニーのロボット犬が今日からユーザーに引き渡されたらしい。AIBO。初代は1999年5月に発表され7月発売だったと。19年前には素直に凄いと感動したのだが今回はあまり興味がない。前作のロボット的な風貌の方が私は好みだったからか。

鳴門の実家には元は東京で弟が飼っていたケースケという名のミニチュアダックスがいる。2003年12月の日記に3ヶ月と書いているから現在14歳。2010年に生まれた甥に病気が見つかり念のため引き離すために実家で母が飼うことになった。一人で住んでいる母の相手にもなるしヨシとしてきた。

ただ最近肛門に腫瘍が見つかったとかで今月5日に手術すると言っていたし14歳という年齢を考えると寿命も近い。一方で母は車の運転もしているぐらいだからケースケより長生きしそう。そこでケースケが死んだら生きている犬より世話が楽かとAIBOを買おうかと少し考えてみた。

一人暮らしでロボット相手の会話が認知症に繋がらないのだろうかと妻は反対派。ロボットに感情移入するのは私も何となく気持ち悪い。そもそも実質30万円近い出費に見合う価値を見出せるかどうか。犬のケースケが死んだら小鳥ぐらいがいいかも知れないと思い直しているところ。

Zoner Photo Studio (1月10日・水)


一太郎2018バージョンアップ案内にあったレタッチソフトに興味を持った。私が持っている2013年版でも高いスーパープレミアム版だったら添付されていたらしい。私が買ったのは余計なソフトは不要だとプレミアム版だった。ともかくそのチェコ製のZoner Photo Studioというソフトを調べてみた。

花子フォトレタッチで不満なのは例えばデジカメ写真をトリミングする際に縦横比を固定することができなかったことだ。だから640×480ピクセルにリサイズしたい場合は目算でトリミングした上で横を640にするか縦を480にリサイズして1ドット単位で仕上げのトリミングをする必要があった。

この1ドット単位の操作が面倒なのだ。明るさや色レベルを変えることはままあるが適当にやっていたので問題ない。事実上の標準であるPhotoshopの廉価版Elementでできないか10年以上前アドビのサポートに電話したこともあるが当時はできないという回答だった。それでPhotoshopは諦めていた。

というわけでZoner Photo Studio。30日限定版をダウンロードして使ってみると求める機能はばっちりある。操作性も花子フォトレタッチよりも分かりやすそうだ。そんなわけで1月31日まで40%オフの新規ライセンスDVDパッケージ5,688円を発注。しばらく操作に迷いそうだが楽しみでもある。

一太郎2018バージョンアップ案内 (1月9日・火)


一太郎2018バージョンアップの案内が届いた。私が持っている一太郎は2013。前にバージョンアップしてから既に5年だが今や一太郎はほとんど使わないので今回も買う気はない。ただ何となく冊子をめくってみて2000年6月から愛用しているメールソフトShurikenの最新版には興味を持った。

それと日本語入力ソフトATOK。入力作業はATOKに依存するから現在の2013年版から最新版にしようかと思っていたが今回からパッケージ版がなくなり月額支払いのATOK Passportになるらしい。妻のPCは東京オフィスのPCを設定した2年半前から月額制にしているが私はどうしよう。月286円。

一方今回のバージョンアップに合わせてキーボードも販売されている。一太郎専用モデルの東プレ製。16年ぶりの改訂らしい。普段使っているDELLの標準キーボードで特に不満はないが16年前の製品への評価がずいぶんと高かったことを知っていて少し考えている。これまたどうしようかな。

あと画像編集ソフトだ。私はいつの時代の一太郎に添付されていたものか分からない花子フォトレタッチVer.3を使っている。確認すると著作権表示は2000年。さすがに古い。最新の一太郎の最も高いバージョンには別の画像編集ソフトが添付されていてこれにも興味があるのだが。

成人式 (1月8日・月・祝)


成人の日だった。私が20歳のときの成人の日は1月15日だったけど日が変わったからといって違和感は特にない。当時は成人式を下らないと思っていて出席もしておらず思い入れが全くないのだ。出席したとすれば1984年だったと思うが住民票があった鳴門市の成人式がいつだったか記憶もない。

1月15日だったとすれば京都の大学に戻っていたはずで出席できなかったと思う。正月休みだったかも知れないがいずれにせよ行く気がなかった。その年の鳴門市の成人式に男の出席者がゼロだったと聞いたのは後の話。たった1人で出席せずによかったと胸をなで下ろしたほどだった。

私が成人式を無視したのは20歳になったら突然に大人という考え方が真っ当なものだと思えなかったからだと思う。ただし式典は人生の区切りとして出ておくべきだという考え方があることは後に知った。高校の卒業式にも出なかった私に大学の友人EIKが祖母の言葉だと教えてくれたものだったが。

ここまで書いたところでテレビ東京「WBS」によると30歳の成人式をやっている自治体があるという。でも30歳が大人だと自覚しているならわざわざ式典に出る必要もないだろうと思ってしまう天邪鬼。私の時代に30歳の成人式があったとしても忙しさを理由にやっぱり下らないと無視したと思う。

何もない日常 (1月7日・日)


3連休の中日だが何もしないまま1日が終わった。ただWebを見てテレビを観てヨガをやってシャワーを浴びただけ。宅配便を2度受け取り昼と夜は食事をした。それだけ。何か書くべきことを考え続けて1時間。もう諦めて寝ることにする。これが日常。何も書かないよりはいいよね。

お年玉 (1月6日・土)


19時半過ぎに弟から電話があった。携帯電話だから弟だと分かったが出てみたら甥1が名乗る。この正月は鳴門に帰省してこなかった小学4年生である。今になって帰省したのかと一瞬考えたが弟の方が東京に戻っただけだった。甥2が甥1を名乗ったのかと思うほど声が似ていた。

用件は「お年玉ありがとう」というものだった。弟が言わせたのだろう。小学4年生ともなればお金の価値は分かるはず。今年は4,000円を弟に託して渡してもらったわけだが彼はどう思っただろう。今の子は伯父叔母が少なくて受け取るお年玉が少なくかわいそうだと思わなくもない。

私が小学4年だったときは正月は父の実家に行っていた。直線距離で2kmもないので歩いても行ける。伯父たちが帰省していて従兄弟が走り回って大変な騒ぎだった。父は7人兄弟の次男だから祖父母に加え叔父夫婦が6組と従兄弟は私を除いて13人もいた。小学4年時点なら12人だったかも知れないが。

当時いくらもらったか覚えていないが親たちは談合していた。親が損をするだけだからと金額が統一されていたのだ。1,000円だったか当時は札だった500円だったか。母方の親戚からもらう分を含めて合計でも1万円には届かなかったと思う。そのお年玉は使ったのか貯金したのかも記憶にない。

日常の延長 (1月5日・金)


昼から飲んでいた昨日はこの日記を書けたほどには正気だった。出初式後は記憶が飛ぶことが多かったのだが昨日は大丈夫だった。帰宅後も焼酎お湯割りを飲んで23時半には寝た。おかげで今日9時過ぎに起きたときSleep Cicleというスマホのアプリは睡眠度100%を示していた。

午後はS神歯科。本当は昨日「響」の練習だったのだが出初式後の宴会を優先して欠席していた。そんな話もしつつ治療を受けたらいつになく痛く。帰宅後も痛かったがビールを飲み始めたら落ち着いた。今日まで冷蔵庫に置いていたスーパードライは今夜で飲みきってしまった。

今日はS神歯科ついでに銀行も回って記帳してきた。三菱東京UFJ銀行は周辺を3回も回って時間を潰しようやく駐車。12月末入金分も記帳していなかったから13件もあった。弥生会計への登録は明日以降にする。夜は9月にDVDで観たが映画「君の名は。」のテレビ放送を録画しておいたものを観た。

今年は何だかスルリと年が明けたような感覚がある。実家で帰省した甥とも遊んだし消防出初式にも行ったのにそれも日常の延長だったような。昨年までと何が違うのだろう。気持ちを切り替えようと思っていたのに年が変わってもダラダラと日常が続いている感じ。

消防出初め式 (1月4日・木)


一昨年の大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の再放送の録画を一気に5話分観て昨夜は1時過ぎに寝た。6時に大音響の防災無線で起こされ7時過ぎの目覚ましで起き出し妻が作ってくれたお茶漬けを食べて8時集合の消防出初め式。会場の上勝小学校に着いたのは8:20頃だったか。

予報では8時に0度で10時に4度に12時で6度。下は下着にパッチと普段の部屋着の上に活動服。上はヒートテックTシャツに化繊のシャツにフリースのシャツとセーターを着てダウンベストに活動服さらにマフラー。でも日が出て9時過ぎには暖かくなりダウンとセーターは脱いだ。

今日は徳島駅伝初日であって役員K氏が欠席していて小松島警察署長表彰を私が代理したが今年は式典が長かった。10時ちょうどに始まり11:40終了。終わる前に声が聞こえて気づいたのだが甥が弟と妻と来ていた。勝浦川に移動しての全分団一斉放水のところで甥と会って話をした。

例年通り地元神社にお参りして隣の公民館。13時過ぎに賞状伝達など式典があり長年副団長を務めたN氏の叙勲報告があり14時前から宴会。早く帰るつもりが次々ビールを注がれ帰宅は16時半頃だったか。「逃げるは恥だが役に立つ」の続きを妻と観て泣いたり笑ったり突っ込んだり。

初NARUTO BASEと上勝に帰宅 (1月3日・水)


10時半起床。コーヒーを飲んで新聞を読んでダラダラとしていたら母が台所で犬を洗い始めてびっくり。風呂場だと腰が痛くなると繰り返すが何だかなぁ。犬中心の生活で元気にいられるのなら構わないのだが。ちなみに犬は5日に手術を受けるらしい。元の飼い主の弟も病院には行くのだとか。

お昼は徳島食材を使ったというレストランNARUTO BASE。J社の後輩で法務を仕切っていたH君が今や運営会社の役員をしている。初めて行ったのだがシステムがIT化していて面白い。テーブルにある小さな箱を倒すと店員のApple Watchのような時計に表示される様子。注文メモはスマホ。

ただし単品ご飯だけ後から来たりぜんざいが食事より先になったり店員は呼びかけても応じなかったり。隣のテーブルではサラダ付のカレーなのに別途注文したサラダが来ていたり。オペレーションは良くない。正月だけかも知れないが。実家に帰ってやることもないので片付けて14時半には出た。

マルナカで買い物をして16時頃に上勝に帰宅。部屋を暖め留守中に届いていた年賀状を整理したり洗濯をしたり。甥に振り回された正月休みだが昨夜うたた寝したとき私が寝やすいようにと彼はリビングの電灯を少し暗くしたのだとか。それを聞いて少し感動。疲れたが楽しかったというべきだろう。

甥と大麻比古神社とウチノ海公園 (1月2日・火)


前夜は0時頃に寝たのに2時に目が覚め1時間眠られず9時半起床。コーヒーを淹れ10時半頃に出て大麻比古神社。県道を東から行くと以前は手前の臨時駐車場に誘導されたのに今回は途中から参道経由の通常の駐車場。渋滞は30分ほどだったか。途中から弟が下り妻と甥が追いかけ初詣。

人出は多かったが以前ほどではないような。駐車場が減ったからか。県道の渋滞は往路の50mから帰りは2kmに伸びていた。12時頃には実家に戻り昼は焼きそば。午後は昨夜に続いて甥と妻と花札を使った神経衰弱。小学1年生の吸収力と記憶力にはもう勝てない。甥が連勝したように思う。

14時頃に出てウチノ海公園でまずは甥とキャッチボール。きれいなフォームからいいボールを投げるがキャッチは苦手な小学1年。後半は昨日のグライダーを強風の中を何度も飛ばして壊れたところは妻がテープで直し。最後は滑り台から岩山のようなところをダッシュする甥をコートを着込んで見学。

妻と母が買い物に行き夜は18時前から恒例の手巻き寿司。妻がいいネタを買ったそうで美味しかった。食後の私は居眠りし妻と甥は花札での神経衰弱をまたやっていた。ふざけ合いながらテレビを見ていた甥は22時に寝に行った。その後は妻が思い出しながら一人花札。明日は上勝に帰るのだ。

甥と一緒に花札とグライダーの元旦 (1月1日・月)


昨夜は2時頃に寝て8時起床。甥と弟は初日の出を見に行かなかったらしい。起き出して妻が昨日買っておいた豆でコーヒーを淹れ8時半頃からお屠蘇とお節。意外にパクパク食べられた。昨夜のうちに妻と母と相談していたお年玉は小学1年生に据え置きの1,000円と今回は来なかった4年生に4,000円。

午前中は新聞を読んだり昨日買った花札をやったり。私は花札が分かっていなかったのだが妻がネットで調べて思い出したらしく簡易ルールで甥と妻と3人で。そのうち花札を使った神経衰弱をやってみたら妻の3勝に甥2勝と私が1勝といったところ。札の違いが私は相変わらずよく分からない。

お昼になって私は眠くて寝に行った。1時間ごとに目覚めながら15時まで昼寝。妻と母と甥が買い物に出かけ帰ってくると買ってもらったグライダーを甥が組み立てて飛ばし始めた。隣の空き地でもやったが風があってうまくいかず飾りのプロペラが折れたから外して室内でやってみると結構楽しい。

風邪気味だと昨日は飲まなかった妻がビールを開け昼食を飛ばした私も昨日に続き夕方から飲み始めた。夕食はブリ塩焼きや鳥雑炊など。夜はテレビばかり見ていた。さて2018年の始まりだが今年は春頃からある挑戦をしたいと思う。それまでは準備期間と割り切ろう。今年もよろしくお願いします。

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© 2018 Takashi INAGAKI