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2018年9月

迷惑メール対策と台風で停電 (9月30日・日)


3日前からまた迷惑メールが届き始めた。多分リストが売られて買った業者が複数アカウントから送信しているのではないか。同時にWeb制作業者のようなところからも来る。今まではサーバー側で迷惑メールアカウントを登録していたが面倒なので送信先のdaihyoアドレス自体を削除した。

台風24号は北東に向かい徳島県南をかすめて和歌山に上陸。昨日からずっと雨だが午後になって風も強くなった。最接近時は18時頃で950hPa。前回21号のときより風は強く長く感じた。左回りの風を左手で表現して右手で進行を表すと犬掻きみたいになって妻と大笑い。停電もなく大過なかった。

と書いていたのに0時を回って12分後に停電。キャンプ用品として持っていたLEDランタン2個とヘッドライトをあらかじめ取り出していたので慌てず対処したのだが復旧しない。トイレ用や飲料用に水は鍋などに入れて妻が確保していたので困ることはなかったが私の地域は概ね停電の様子。

PCも電源が切れたわけで1時間経って復旧しないので寝に行った。と1:39に復旧。事務所に戻って諸々の確認をした上でPCを起動して日記を書き直したという次第。それなりの対策は取っていたがガスランタンはマントルの問題で点かなかったり課題が見えた停電だった。ホッとした1:50。

上勝阿波晩茶祭り (9月29日・土)


明日午後また台風が直撃しそうだが天気は弱雨。今日は今年で第3回という上勝阿波晩茶祭りなのだ。昼食後にコーヒーを飲んでから昨年に続いて妻と出かけた。まずはいつも2Fで昼食を食べているいっきゅう茶屋。T口さんがいて熱い晩茶をいただく。N嬢もいて水道メーターの件などの立ち話。

続いて月ヶ谷温泉前へ。小雨なので傘を持って車を降りると小さな町なのであちこちに知り合いがいて挨拶しながら。パンフレットをもらって湯飲みを受け取り各農家さんの晩茶を順にいただいていく。最初はすだちを売ってもらったB食品さん。米国出張から昨日帰ってきたというS嬢と話ながら。

普段は妻が買っているH木さんのお茶を飲んでいる。ここを基準に味の違いを確かめるのだがY田さんのお茶は濃くH岡さんやT木君のところが続くという感じ。でも時間が経つと忘れてしまう。妻は晩茶味の和三盆と飲み比べセットを買っていた。出張でクライアントへのお土産にするのだとか。

上勝で1年働いていたS原S美さんとも会った。旭に移住したイマジンに上勝TVのゲストについて思い出を言ったが彼は覚えていないらしい。見知った人と少しずつ話をして15時過ぎに撤収。帰りにCafe Polstarに寄ってH賀げんちゃんが寄贈したという阿波民族史の本を読みながらタルトとカフェオレ。

だんじり練習 (9月28日・金)


地元で「だんじり」と呼んでいるお囃子の練習が今日から始まった。11月の秋祭りまで週2回のペースで続く。18時過ぎにカレーを食べて19時前に地域の神社。拝殿に入って太鼓を叩いて練習する。今日は妻が練習風景を見たことがないというので付いてきた。

夕食前に昨年聴き込んだ音声データを10分だけ聴いて復習して行った。お宮の拝殿に小学生の子どもが6人だったか7人だったか。皆1年経って少し大きくなっている。私は昨年に続いて大鼓を渡されカンニングペーパーを見ながら叩いたが全然ダメだ。

間違うところは決まっている。何度目かのところで叩き損なったらA総代が後ろから突いて来る。間違ってもええけんしっかり打ち込めと言うが昨年3回目の練習レベルだったかも知れない。何度か繰り返すうちにカンニングペーパーの読み方が分かってきて少しはマシになったが。

カンニングペーパーに頼っているのが良くないと思うのだが怖くて手放せない。ここから1ヶ月は練習期間だから思い切って外してみようと思わなくもないが。さて練習後に大人たちは居残って皆で飲むようだが私は妻と帰って来た。涼しくなってきて気分はすっかり秋モードである。

『本社は田舎に限る』 (9月27日・木)


先週土曜に発売されたばかり。著者はJ社で2年重なっている後輩だ。当時は試験部にいたらしい。数年前に東京から徳島県南の美波町に本社を移したIT企業サイファーテックの社長。 彼のFacebookで知りヨドバシ.comで買った。吉田基晴『本社は田舎に限る (講談社+α新書)』(講談社+α新書)。

旧日和佐町に高校はなく町外に出ることしか考えていなかった10歳代の頃から始まる著者の半生記としても読める。彼は私を知っていたらしいが私は彼のことを覚えておらずJ社時代を含めた社歴や職歴を初めて知った。図らずも社長を引き継いでしまった後の東京時代の苦悩がリアルに伝わる。

美波町にサテライトオフィスを開設して後に本社も移して目的だった採用が目論見以上だったと実体験からの田舎論でもある。半X半ITを掲げXは趣味に限らず出役などの「やくめ」を当てはめてもいいと言う。都会では何万分の1の存在だったが美波では1分の1だという社員の言葉が象徴している。

業務中に飲もうとやって来る漁師さんとの付き合いが大事で世話役は偉い人より昔やんちゃだったオッサンの方がいいと言う。都会と地方の2つの学校に所属できる制度は県知事に働きかけて実現させたそうだ。実体験者の地方創生論であり田舎教育論でもある。共感も感心もした。皆に読んで欲しい。

すだちの調達と発送 (9月26日・水)


10時半過ぎに出て約束の11時の10分ほど前に着いた。一昨年からお願いしている同じ町内のB食品さん。一見普通の農家さんだが有機栽培のすだちや柚やゆこうを使ったポン酢など加工品の製造販売を行っている。製品は世界に輸出していて数年前からここで働いているS嬢は今は米国出張中とか。

B食品さんが町内から集めたすだちを今年も分けてもらった。昨年に続いて100kg。コンテナと空箱2つを持ち込んだが既に段ボールに入れて用意してくれていた。提示された単価は安すぎるので昨年と同じ200円/kgで購入。事務所に戻り昼食後にコーヒーを飲んでから作業を開始した。

この日のために溜め込んだヨドバシカメラの箱などを並べて送り先に応じて選択。ガムテープで補強して新聞紙を敷いてすだちを流し込む。送り状は昨日のうちに書いていた。私は東京の弟を含め3箱。妻は義母を含め13箱。1時間弱で箱詰め作業を終えて雨の中を車に積み込み郵便局へ。

職員さん2人が搬入を手伝ってくれたが手続きに30分も掛かった。待っている間に近所のH氏ご夫婦が来て世間話。出たらY田Kちゃんと会って駐車場でY下K美さんと挨拶。15時には余った箱を整理して今年の作業はほぼ終わり。15kgほど余った分は実家に持っていったり家用に絞るつもり。

すだち送付準備と鳴門経由空港 (9月25日・火)


今年もすだちを明日いただきに行く。取引先に送るのにゆうパックを使うのだが送り状の印刷サービスについて郵便局で聞いてきた。スマホアプリで送り先を入力してQRコードを見せると郵便局で印刷してくれるサービスもあるらしい。手書きでもリストを出せば送り状を作成してくれるとも言う。

でもリスト提出では時間が掛かるらしいしスマホアプリに入力するのも面倒だ。そんなわけで今年も手書きすることにして差出人だけの印刷を依頼した。送付に使う段ボールは1年かけてヨドバシなどの通販のものを溜め込んでいるから大丈夫だろう。大きいものはあまりないが。

一方で農家さんから持ち帰るために折り畳みコンテナを買って使っているが昨年の日記を読み返すと段ボール3個も使ったとある。それで今日は折り畳みコンテナ2個をコメリで追加購入。今日はリカオーでビールの空き缶などを出し20円券をもらってナッツを買ってから銀行に寄って記帳。

3週間も出張だった妻を迎えに空港。その前に鳴門の本家は8月に従兄弟を送って行って以来。母経由で連絡があってナシをもらいに行った。鳴門金時も。実家に寄ってナシを2個渡し空港。我が社の第1号社員だったY嬢と会って妻ともども立ち話。衝撃のプライベートを聞く。夜は6日ぶりにビール解禁。

iPhoneのバッテリーとデータ通信量 (9月24日・月・休)


iPhone XSが21日に発売された。XSはテンエスと読むそうだ。私のiPhoneは2年前に買った7。8月に意図せずiOS 11にアップデートされて以来バッテリーの減りが早くなった。画面表示が横固定されることもある。メールやPULSENSEは縦で見たいのに横向きに表示されて戻らないことがある。

アプリを終了させると元に戻ることが多いが重力センサーが壊れているのではないか。それで今回のXSには少し触手が動いた。でもこれまで4から5Sそして7と3年おきに買い換えてきたし256GBモデルで129,800円はいかにも高い。やっぱり今まで通りもう1年待つのが正解かと思い直している。

ただ気になることがもう一つ。通信回線は東京オフィスの回線と合わせ技でIIJmioと契約している。残り通信量がこれまで5GBを下回ったことがなかった。月3GBで翌月まで持ち越せるから2ヶ月で1GBも使わなかったことになる。動画サイトも見ない。なのに今日時点で残りがたったの20MB。

最近夜眠れずネットを見ていたのが悪かったのか。自宅にはWi-Fiが入りにくいから自動的にモバイル回線を使っていた可能性はある。調べると9月16日には512MBも使っている。ともかくこんなサイトを参考にiPhoneの設定を見直した。通信量の追加購入は可能だが20MBで月末まで持たせるつもり。

キーケース (9月23日・日)


財布の新調を考えていたがそれより先にキーケースを新しいものにした。これまで使っていたキーケースも財布と同時に8年前に入手したもの。6つあったキーリングの1つは外れてしまい革の端はほつれているが使用には問題なかった。でも免許証と現金を入れられるといいと思っていたのだった。

月に1度の消防点検で私はキーケースと携帯電話をポケットに入れて行く。以前は財布を入れたウェストバックを持っていたが今はiPhoneも持たず手ぶら。点検で消防車を運転したのは今まで1度だけだが今後やらなければならないこともあるだろう。そのとき免許証を持っていないわけにはいかず。

あるいは火事の現場では緊張などもあって口が渇くから近くに自販機があって現金を持っていれば水を買うこともできる。昨年9月の防災訓練のとき二日酔いでフラフラしていたときも現金があれば早めにスポーツドリンクを飲むことができたかも知れない。皆がいるなら人に借りることも可能だが。

免許証も現金も都度持ち出せばいいが現場で財布は邪魔だし現金を抜き出す時間も惜しい。それで小銭入れ付のものを探していたが釣銭はポケットに入れれば済むから千円札と免許証が入れば十分と考え直してカード入れだけ付いた比較的薄いものをアマゾンで購入。2,459円。14時間で届いた。

ラーメン美渓 (9月22日・土)


久しぶりに隣町にあるラーメン店「美渓(みたに)」に行ってきた。ちょうど1年前から休業して月に3日ほど開けている店だ。初めて行ったのは2009年頃。妻が肉入り小を注文して私が肉入り大とご飯。叉焼が8枚ぐらい乗っていたのか食べても食べても麺に行き着かず2人して食べきれなかった。

その後は数ヶ月行きづらかったが結局常連になった。よく行くときは週に1回ほどだが2ヶ月ほど空くときもあった。妻と2人で行き肉を半分ずつとか小サイズだが私の方に麺を多めにとか複雑な注文をしたり。勘定がいい加減で2人で200円ぐらい安くなったことも100円多く払ったこともある。

店内にある調理師免許状を見て大将が同い年だと知った。徳島商業高校柔道部出身だ。その大将が1年前から病気で休業。月に3日開けるようになっても徳島ラーメン好きにとっては名店であって客が殺到しているだろうと遠慮していた。県外からも客が来る。今日は9時半から来たと言っていた。

昼には肉がなくなるリスクはあるが昼どきの方が空いていたりする。そんなわけで今日も12時半を回って行った。客の入りは半分ほど。少なくとも14ヶ月ぶり。カウンターに座って由布院だとか国内旅行だとか「日輪の遺産」という映画で泣いたとか戦争映画ばかり観ているとかいう話をした。

バッグと財布 (9月21日・金)


最近よく使っているバッグが破れ始めた。多分7年前にユニクロで買ったものだと思う。ポケットが多く容量もあるから水のボトルも入れられる。主に夏に使ってきた。ただ車の乗り降りなどでバッグを持つとき上部を掴んでいたのが悪かったようだ。縫い目が裂けて中の綿が見えてしまっている。

そんなこともあって東京の二子玉川で見てきたバッグを通販で買った。懸案は財布だ。カード類は名刺入れに入れたのだがこのバッグに入れる財布は小さい方がいい。と思いながら財布のサイズを測っていたらこれにも破れているところを発見。中のものが脱落する恐れはないが白い紙が覗いている。

この財布は調べたら8年前に入手したもの。今になって気づいたがベネトンブランド。その前のものは16年前。財布の寿命は8年か。スーツを着ていた頃は内ポケットに入れていたからこれらを含め長財布ばかりを使い続けてきた。でも今はスーツを着ない。それなら小さい2つ折の方が便利かも知れない。

ちなみに大学時代は定期券入を兼ねた青い布製2つ折。会社に入った頃は内定者懇親会で貰った革の赤茶の2つ折。その後当時の彼女が長財布をくれた。1991年の誕生日だったか。その次が2002年なのか間に買い直したのか覚えていないが社会人になって以降で記憶にある財布4つ全部が貰い物だった。

禁酒と脈拍 (9月20日・木)


めまいで「響」の本番を休んだ先週木曜から禁酒している。正確には今週火曜にビール1本と焼酎のお湯割り3杯飲んだが今日まで8日間で飲んだのは1日だけ。ちなみに焼酎のお湯割りはいつも2対8か1対9で水が多い薄いものを飲んでいるのでビールで酔って焼酎で維持している感覚。

さて禁酒すると寝付きが悪くなるのが問題だ。これまでなら2日目からは寝られるのだが今回は毎日1時間や2時間も悶々としている。飲んでいるときは数分の間に寝入ることができるのだが。ただし最近は飲んでいても1時間半や2時間後に目が醒めて1時間以上も眠れなくなることが多かった。

妻が信奉している東京にいる鍼灸の先生E氏によると飲んで寝るのは眠っているのではなくて意識を失っているだけらしい。これは腕に付けているPULSENSEで計測した脈拍にも現れている。飲んで寝たとき最初の数時間は脈が早く眠りは浅い。起床前になって深くなる。

深い眠りでも飲んで寝たときの脈拍は最低53。54とか55とかが多く57や59という最低脈拍の日がある。一方で飲んでいない最近1週間の脈拍の最低は49や50が多く47という日もある。飲んだときは深く眠っても脈は52以下には落ちないわけで身体の何かに負担があるのだろうと推測している。

防災対策とコーヒーグッズ (9月19日・水)


毎日1〜2杯のコーヒーを飲む。こはくの天使で買った豆を3年前に買ったミルで粉にしてコーヒーメーカーを使う。これは東京時代の2007年に買ったもので付属していた金属フィルターを使っている。ところが金属と枠との間に隙間ができて最近コーヒーの粒がドリップされるようになってきた。

コーヒーメーカー自体も11年になり古い。コーヒーを淹れるという一連の作業の中で焙煎を除いて一番面倒だろう豆を挽くことを手動でやっているのでいっそハンドドリップにしようかと前からときどき考える。そう考えて直火式エスプレッソメーカーを買って結局ほとんど使っていないのだが。

ところで南海トラフ地震の震源は太平洋上だと思っていたが先日観たNHKスペシャルによると陸地にも掛かっている様子。四国東部で発生すると少なくとも水道も電気も来なくなるだろう。うちの住宅の建物は町内で一番頑丈だと思うがオール電化なので湯を沸かすことさえできなくなる。

そんなことも考えて防災グッズを充実させておいた方がいいと思い始めたのだが「非常口こそ普段から使え」とするならキャンプ用のガスを普段から使って備蓄しておくといいような。という視点でケトルや金属フィルターやらのコーヒーグッズをまた物色し始めたところ。

サポート研修の淡路島の夜 (9月18日・火)


先日会った林田眞美さんがJ社を退職するとき彼女に私は「淡路島の夜を忘れない」と言ったらしい。淡路島の夜というのは私たちが入社した1988年秋か翌年に電話サポート部門の女性ばかりを集めて淡路島で研修会をやった日のことだ。私がそう言ったことは覚えていないが夜のことは記憶にある。

徳島と東京にあったサポート部門を一同に集め研修会を企画するよう社長から指示され私は段取りを行った。淡路島のどのホテルだったか季節も交通手段も何も覚えていないが開発部門や試験部門から何人か講師として参加してもらったと思う。ただし宿泊した男性は私だけだったかも知れない。

今も覚えているのは最初に社長が「日頃の苦労を癒やして欲しい」という意味の挨拶をしたこと。続いて私が「社長はああ言っているが講師にも来てもらっているのでしっかり勉強して欲しい」と言ったら社長が苦笑していたこと。その時点で初めて社長の真意は慰安旅行だったのかと思ったこと。

夜は東京組に呼ばれて彼女らの部屋に行った。トイレで小便だったが紙を使ったら音楽が鳴って皆からうんこしただろうとからかわれたこと。解散後に日通旅行の放生さんの車で鳴門に戻り心底ホッとしたこと。放生さんが大津町のGSに寄ってなぜここなのかと訝しく思ったこと。記憶は以上が全て。

※当時の資料が見つかった。1988年12月8日(木)から10日(土)に淡路インターナショナルホテル ザ・サンプラザに2泊した。講師は日帰りの8人。泊まったのは社長と私と本社9人に東京14人と大阪7人のサポートセンターのメンバーだった(2021年3月22日追記)。

デジタル電波時計が壊れた (9月17日・月・祝)


3連休だが昨日も今日もこはくの天使まで食事に出ただけだった。テレビでは樹木希林が亡くなったことと昨日沖縄で最後のコンサートがあった安室奈美恵の引退のことばかり。そんな中で久しぶりにハンダごてを使った。テレビ脇に置いてあった温度湿度計の付いたデジタル電波時計が壊れたのだ。

上勝に移住した頃に妻の友人が贈ってくれたもの。ATELIERと書いてある。リズム時計8RZ092。あれから10年弱。気づいたのは昨日の昼で液晶表示が消えていた。ソーラーパネルが付いているが念のために小さな木ねじ6個を外して筐体を空けたらコイン電池がある。昨日すぐヨドバシで注文。

一方バッグを整理して出てきたスマホ用リモコンシャッターがiPhone7で使えないから中の電池を取り出してみたら同じCR2032。これを時計に入れてみたがダメ。でも今日になってリード線が外れているのを発見した。それでハンダ付けを試みたという次第。安定して筐体を固定できず苦戦したが。

ハンダ付けして新しい電池を入れても表示できず。仕方がないので昨年買って私のPCモニター上に置いていた温度湿度計を移動させた。こちらの方が液晶のコントラストが強くて見やすい。私のデスク用にはヨドバシで探して1週間分の温度と湿度を記録できるというタニタの温度湿度計を注文した。

『なぜ倒産 23社の破綻に学ぶ失敗の法則』 (9月16日・日)


私の会社は妻と私の役員2人だけの零細企業だが株式会社であって社会保険にも加入しているし納税もする。借入金はないが日常的に売掛金も未払金もある。だから経営上のリスクについては常に意識しているつもり。この本は日経新聞の広告で見て興味を持って買っておいたもの。先週読んだ。

日経トップリーダー『なぜ倒産 23社の破綻に学ぶ失敗の法則』(日経BP社)。日経トップリーダーは前の日経ベンチャー誌らしい。全然知らなかった。これは誌面に掲載された倒産事例のレポートだ。1社あたり20ページ程度でどんどん読める。事例は従業員10人から200人ぐらいの中小企業が多い。

それぞれの業種でさまざまな経緯で倒産に至っている。役員間のトラブルだったり従業員の退職が契機というのもある。成功体験や主製品へのこだわりが強すぎて社会変化に対応できなかったという例や投資直後にリーマンショックというパターンも多い。メインバンクを変えたのが仇になった例も。

文章は淡々としているが渦中の経営者の心労は大変だっただろうと想像してしまう。ちなみに当社は仕入額は極めて小さく多くの場合は売掛金の回収後に未払金を支払うから資金不足にはならない。ただ売上の40%以上を1社に依存している問題はある。と改めてリスクについて考える契機になった。

消防団で行方不明者のご遺体の収容 (9月15日・土)


携帯電話の記録によると14:56だった。消防団の分団長H氏から電話があり行方不明者の捜索のため詰め所集合とのこと。Y部長と連絡が取れなかったらしく連絡網で班長のN君とS氏にまず電話。続いて私の連絡網4人に電話をしたのは準備をして詰め所に行きながらだった。午後に雨が降って蒸し暑い。

一旦戻って水のボトルを持って行った。第一陣として5人で消防車に乗って現場近くへ。ダム湖に繋がる川沿い。阿南から夫婦で来てマタタビ採りをしていたが奥さんだけ戻ってこないとか。後で聞いたところ83歳と。山というから上ったと思っていたが道路から急斜面を川の方に下りていたらしい。

先に捜索していた警察がちょうど発見したというが既に亡くなっているらしい。現場までの道を付けようと急斜面に下りて皆で踏みならし木に沿いロープを張って。そんなところで大粒の雨。川の増水懸念もあり救急車のタンカに続いて下りた。分団11人と本団4人に救急車2人と警察3〜4人。

タンカを持つのは4人がかりだが急な獣道レベルで皆で交代しながら。雨でずぶ濡れになりぬかるむ急斜面をドロドロになって道路に上げて救急車へ。高齢のご主人からお礼を言われたが気の毒なことではある。17時半解散。急ぎシャワーを浴び18時に再び詰め所で15日の点検へ。点検後すぐ帰宅。

銀行振込で行ったり来たり (9月14日・金)


油断をすると目が回りそうな感覚があって怖いのだがとりあえず今日は落ち着いている。昨日はさすがにビールを飲まず1時前には就寝したが眠ったのは3時を回っていたと思う。でもPULSENSEによると深い睡眠が6時間超。酒を飲んで寝ると眠っていても脈拍は早く浅い睡眠なのだとよく分かる。

昨日行けなかった銀行振込にお昼頃に出てまずは大松の裏通りにある「もんてきぃ」で昼食。上勝の私の地区出身の大将と神山出身の奥さんがやっている店だが私は多分3年ぶりぐらいだったかと。すっかり忘れられていた。大将はトランペットを始めたそうだ。

振込は三菱UFJから4件。ところが三菱からの振込で間違った口座が1件あって当人にFBメッセンジャーで問い合わせたら築地支店じゃなくて築港支店だった。さらに200万円を引き出してみずほに入金の上で振込3件。みずほでは200万円を超える振込ができず別の日に出直そうかと考えたのだが。

三菱からみずほに振り込むと手数料が432円。みずほ同士より216円余計にかかるが別の日にしたところでガソリン代が往復で約500円。というわけで三菱に戻って残り100万円を振込。間違っていた口座の分も教えてもらい無事振込。月2,160円かかるがネットバンキングが魅力的に見えた。

めまい (9月13日・木)


今日は夜にホテルクレメントで「響」が演奏するお座敷があった。全国から会計士たちが集まった大会だとか。コンクール四国大会が終わって私が参加した練習は昨日の1回だけだが譜持ちOKだから問題はないだろう。今日は午後に演奏曲10曲の譜面をコピーしてファイルに入れる作業をした。

その途中で立ちくらみがする感覚。ソファで横になったりしながらファイルに入れ終えたのだが横になると目が回る。何とか起き上がりシャワーに行こうとしたが気分が悪くベッドで横になった。目を開けるとぐるぐる回る。目を閉じてただ耐える感覚。そのち寝てしまった。

17時過ぎに目覚めて出かける時間だから衣装を用意し始めたのだがまだ目が回る。吐き気まで。一度トイレに行って吐いて少しスッキリしたような気がしつつ結局ベッドで横になった。目を開けているとやっぱり周囲の景色がぐるぐる回る。17時半過ぎになって団長に電話して欠席と伝えた。

「響」本番演奏を欠席したのは初めてだ。ごめんなさい。銀行振込の予定もあったのに仕方がない。 こんなことが前にもあったと調べてみたら6年前。今日は20時半頃まで眠って少しマシになって冷凍庫にあった焼きそばとゆで卵を食べた。直らなかったらどうしようという若干の恐怖が。

※この木曜から翌月曜(9/17)まで禁酒。9/18(火)夜に解禁(9/18追記)。

カード類とバッグの中の整理 (9月12日・水)


バッグに入れるものを減らそうとまた試行錯誤している。財布はカード類を前に買ったフォルダに移し厚さを減らしてよく使うポイントカードだけを残していたが次は2つ折り財布にすればスペースを小さくできるかも知れない。そう考えていたところカード類を重ねて入れられる財布を見つけた。

それで思いついたのだが名刺入れを使えばいいのだ。名刺は今やほとんど使わないのだが名刺入れは持ち歩いていた。それで前にフォルダに移したカードも含めて改めて財布と名刺入れに振り分けた。さらに荷物を減らすとすれば手帳だ。予定はiPhoneアプリで管理していて手帳はメモ用でしかない。

月に1度の銀行振込データを書いていく以外に外出先でメモを取ることは3年に1度ぐらい。振込データはメールでiPhoneに送っておいてもいいし何かのためのメモ用なら代替手段はある。そう考えて名刺大の情報カード279円を注文した。これを名刺入れや財布に数枚入れておけば十分だろう。

さらにミニ三脚やイヤホンやICレコーダー用の予備の単4電池といった小さなものはメガネケースに入れてまとめた。小さいからと惰性で入れっ放しにしていた360度カメラTHETAはバッグから出した。これはデジカメを持ち出すときに一緒に扱えば十分だろう。というわけで少し整理できたかな。

『教養としてのテクノロジー』 (9月11日・火)


A社のボスK氏が面白かったというので買っておいたのを東京に行く前に読んでいた。伊藤穰一/アンドレ-・ウール『教養としてのテクノロジー―AI、仮想通貨、ブロックチェーン』(NHK出版新書)。著者はIT研究で世界最先端と言われるマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ所長。

30年前ボストンにあるメディアラボに行ったことは前に書いた。初代所長のニコラス・ネグロポンテ氏と会ったこともある。IT業界で同時代に生きてきて伊藤氏とは会ったことはないがメディアラボの所長に選ばれたわけだから教養も見識も高いのだろうと当然思う。

タイトルからはIT関連の最新技術の分かりやすい解説書かと思っていた。ところが内容は仮想通貨などを題材にしたエッセーという趣き。これら技術の最新状況や社会的影響などにも触れられているが主題はむしろこれら技術に関する著者の過去の活動や現在の考え方といった内容が中心。

特に後半の教育論や日本人論に至っては技術の話はほとんどない。著者が海外から日本の行く末を憂うという内容。おそらく口述筆記をライターが編集したのだろう。すらすら読めるが話はあちこちに飛んでいて頭に残らない。K氏にも金曜に言ったが安直な一丁上がり感があって全然面白くなかった。

初めての二子玉川経由で帰徳 (9月10日・月)


昨夜は大河ドラマ「西郷どん」を観て甥のことを妻と話し合った。小学2年生は無邪気なのだが5年生は思い詰めるタイプのようで気になっているのだ。何かあったときにはサポートをしようと。さて東京オフィスも3晩目なのに夜中に目覚めると寝られず10時半頃に起床したものの実質睡眠7時間。

妻は7時過ぎに出かけて行き私は準備を終えてオフィスを出たのは11時過ぎ。バスで三軒茶屋に行き田園都市線を逆向きに乗って二子玉川。本当はヨドバシカメラに行くつもりだったが特に見たい製品もないのでネットで見つけたバッグを確認しようと初めての玉川高島屋。

バッグに入れるべきものを減らすか小さくするしかないという結論で何も買わず再び田園都市線とJRと京急を乗り継ぎ渋谷と品川経由で羽田空港。昼食は14時頃に空港でカレー。JALカードを使ったタッチアンドゴーで早々に手荷物検査を通過して15:30発の飛行機で帰ってきた。

私が東京にいる週末から今日にかけて上勝も徳島も雨だったようだ。iPhoneの防災アプリが頻繁に大雨の警告を出していたが東京では全く降られなかった。私が帰って来たときには徳島の雨は上がっていたが今度は東京が雨らしい。そんなわけでお天気には恵まれた10ヶ月ぶりの東京出張だった。

林田眞美さんと池袋 (9月9日・日)


雨だけど防災訓練はあるのかとK山氏の電話で7:10に起こされた。S氏が出ないから私に架けたと。中止のときはアナウンスがあるはずだと伝えた。これで寝られなくなったが結局二度寝して10時半起床。徳島は雨らしいが東京は快晴。11:48のバスに乗り渋谷から昨日に続き副都心線。今日は池袋。

ホームの案内板で出口を確認してルミネ方面に歩いたが結局10分近く歩いたと思う。巨大な駅は疲れる。ルミネ8Fのレストラン街に行くと並んで待っている人が大勢。そこで並んでいたのが先日書いた林田眞美さん。今日は妻を彼女に引き合わせるためにセッティングしたのである。

J社に在籍していたのは6年半というから1995年1月に出産で辞めたらしい。そのとき私が「淡路島の夜を忘れない」とメッセージを送ったのだとか。そんな話から離婚や再婚の経緯や今の仕事のことを聞いた。23年間のお互いの状況変化の大枠は分かった。妻も顔ヨガ関係の話を伝えて。

お互いの仕事になるかどうかは分からないが23年間会ってなかったし当時の記憶も今は曖昧なのだが普通に信頼して話ができる関係はとても良い。2時間制の店で帰りはJRで渋谷。16時半頃に帰って部屋でビール。義母は日曜恒例らしいそば屋に行き私は妻と世田谷通りのアジア料理店。20時前帰宅。

甥2人の授業参観と彼らの街で遊んだ1日 (9月8日・土)


9:25発のバスで渋谷。地下鉄副都心線5番線のはずが6番線の電車に乗ってしまい途中で調べて2本後の電車に乗り換え直通で練馬に9:29着。弟と合流して和菓子を買って歩いて小学校。妻が持参のホテルの室内履きに履き替え教室へ。2年生と5年生の甥の授業を少し見て夏休みの発表物を読んだり。

休み時間に2年生がまとわりついて来たがクラスの女の子も手を組んできたりして戸惑う。5年生は外で遊んで帰ってきたときは無言で教室。その後は妻と近くのカフェでジュースとアイス。11:40に甥2人と弟が来て昼食。味はいまいち。 13時過ぎに出て甥その2と公園。弟はグローブを持ってきて。

甥その1は着替えて来てキャッチボール。投手もやる5年生の球は速くて相手できるのは今年が限界。捕球も上手い。2年生もずいぶん上手くなっている。上の子が野球部の練習に行き妻と下の子がテニスごっこ。皆で汗だくだ。 そこから弟の奥さんの母上の家に行きご挨拶。冷たいお茶を7杯ほど飲んだ。

再び小学校で3塁手の5年生の練習を見てタクシーで下の子のテニススクール。16時半から練習を見学して再び練馬に電車で戻り弟なじみの駅前の焼鳥店に5人。店主や常連客に挨拶。20時半頃出て駅まで送られ20:49の電車で渋谷。バスで22時前に帰宅。iPhoneのバッテリ残り18%。11,000歩。

品川でK氏さらに義母と焼き肉 (9月7日・金)


10時前に出て今は東京にいる。飛行機はJALマイレージカードを使ってタッチアンドゴー。昨年11月に池袋で買った出張かばんがちょうどいい。飛行機から下りるところで母から電話。続いてA社K氏が品川に着いて待っていると。母にかけ直すとナシをいらないかと。東京にいるので無理と答えて。

品川でプリンスホテルの方に出てもK氏はおらず電話しても出ない。彼は自分がかけるときしか電話を手にしない人なのだ。何とか会えて裏に出てラーメン屋でビールと餃子。駅ビルに移動してベルギービールをK氏は3本。私は1本とセーブしてあれやこれや結局14時前から16時半まで一緒にいた。

渋谷までJRで一緒に移動して私は東急田園都市線。三軒茶屋でバスに乗り換えオフィスに着いたのは17時半頃だったか。18時頃に妻も戻ってきて義母と3人で近所の焼き肉屋に行った。大将が怪我をしてから週末だけの営業らしい。薄い肉しゃぶはお店のきれいなお姉さんが焼いてくれる。

義母に聞いたが昔は鮨屋だったとか。行ったことがある。今の焼き肉屋は高い店だが美味しかった。オフィスに戻ってPCの前にいるのだがOneDriveが同期してくれない。諦めてこの日記はFTPでダウンロードした。10ヶ月ぶりとなると言うことを聞いてくれないOneDriveにうんざりしている。

飲みすぎと北海道地震と東京行き (9月6日・木)


また昨夜は飲みすぎた。昨日中に食べるように言われていたキャビアと一緒に飲んだワインが失敗だった。ボトル半分以上残っていたものをS原嬢が2杯と私が3〜4杯飲んで空けてしまった。深夜に気分が悪くなり吐けないまま廊下で横になっていたが水を飲んで何とか回復。今朝もしんどかったが。

今日は北海道で地震があった。最大震度7で北海道全体が停電したとか。大阪でもまだ数十万軒が停電していて復旧に応急措置を執っているとSNSで読んだところだが午後は北海道の地震のニュースばかり。今夜になってもまだ何百万軒も停電しているらしい。

さて明日から4日間東京に行く。徳島に来なくなって2年になる甥その1に会うのが目的。妻は先日会って来たが甥の野球の試合にも行きたいと言っていたら授業参観があるから来ないかという弟の提案。こんな機会はもうないだろうというので。日曜は防災訓練だが欠席する。ごめんなさい。

4日間いないと10日までに行うべき源泉徴収税の納税は明日までにしないといけない。そんなわけで今日午後に手続きをしてきてから昨夜の残骸の整理。皿やらビール缶にペットボトルを洗った。昼食は呑口のラーメン。川内のマンションの管理会社T氏から水道の件で電話あり。今夜もついビール。

ダーツの旅を観ようとS嬢ら3人と (9月5日・水)


9:15に出て妻を空港に送ってきた。本当は昨日の便を予約していたが台風で欠航となり今日に変更していた。取って返してコーヒー豆購入ついでに昼食と思いこはくの天使に行ったら駐車場が満杯。斜めに駐めて中に入ると一人が帰るところ。その後も私のほか全員女性の3組8人の客がいて驚いた。

帰りにフィットの給油をして徳島銀行で記帳をして夕食を買って帰宅。夜は最近イベントのたびに飲みに来ているS原嬢の提案でテレビ番組のパブリックビューイング。19:56からの「 笑ってこらえて」の「日本列島ダーツの旅」が上勝町ということで皆で観ようと言うのである。

S原嬢と彼女が誘った2人が三々五々やってきた。初めて会うはずだった青年2人とA原君が来なくなり結局いつものT氏と仕事帰りに遅れてS氏。バレーボール帰りに来ると言っていたF君は新しくできた役場の彼女とデートらしい。そう言えば先週木曜に55号大松のシェルに給油に行くF君の車を見た。

肝心の「ダーツの旅」では町民は一握りだった。他の人は他地域から来た人らしい。とS原嬢と怒っていたら東京にいる妻から電話があったので彼女に渡して。そこから昔のTV番組や映画を観ながらあれやこれや。昨秋の漫才のビデオもS原嬢と一緒に観て大笑い。大いに飲んで2時前に解散。

台風21号 (9月4日・火)


将来への記録として。台風21号は徳島東岸を北上し12時頃に美波町あたりに上陸。このときの中心気圧は950hPa。最大風速45m/sで瞬間最大風速60m/s。南東側190kmと北西90kmが風速25m/s以上の暴風圏だった。上勝に最接近したのはこの12時頃だったのだろう。風は強かった。

朝は電気が点かず起きても何もできないので寝ていた。川の轟音は聞こえるが大したことはない。風は強いが雨も台風にしてはさほどでもない。ここは山の町の谷にあり風はいつも強くない。木造2階建ての鳴門の実家や13階建てマンションの5階に住んでいたときの方が台風は怖かった。

停電は昼前に復旧したがFacebookによると町内でテレビの受信できないという人が。徳島では那賀川橋や大野橋に吉野川大橋の上でトラックが横転したらしい。吉野川大橋は14年ぶりの通行止めだったとか。大阪は関西国際空港の滑走路が水没して連絡橋にタンカーが衝突したり大変な被害の様子。

上勝では14時頃には風も雨もほとんど収まり静かになった。付近は木の葉が散乱した程度。見回りをした友人によると石が落ちた道もあるらしいが今のところ大した被害はない様子。飛行機が飛ばず明日に出張を延ばした妻と夕食前にワインとモンゴル土産のキャビア。そして夕食はカレー。

Windows7のシャットダウン (9月3日・月)


最初は金曜の夜だったと思う。私のPCのWindows7。ちょっとした外出ならスリープにすることもあるが夜はシャットダウンさせてPCの電源を切っている。ところが金曜の夜にシャットダウンできず面倒だから放置して土曜の夜もやっぱりできず以後スリープさせていて今日。

先月はログインができなくなってPCが使えなくなりレジストリの編集をやって復旧させたばかり。終了できなくても困らないが何かしら問題を引き起こすかも知れない。試しに再起動を選んでみたがこれもダメ。スタートボタンから選択するのだがシャットダウンも再起動も何も起こらないのである。

今日になって夕方ネットで調べてみたが有効な問題や解決策は見つからない。ただドライブのエラーチェックの実行を勧める情報がある。なるほどハードディスクにエラーがあるのかも知れない。そこでCドライブのプロパティからエラーの自動修復と不良セクターの回復を選んだ。

実行は次の起動時だがシャットダウンも再起動もできないから電源ボタンから強制終了しての再起動。Windowsの起動前にCHKDSKが走って約4時間後にようやく起動。無事に電源オフできるようになった。買い換えはインテルCPUのバグ問題が片付く来春の予定なのでそれまで保って欲しいのだが。

合唱コンクール四国大会 (9月2日・日)


飲みすぎた昨夜。水を飲んで寝て二日酔い気味のまま7:24起床。急ぎ準備をして8:10出発。ローソンで買ったカフェラテは砂糖入り。のど飴噛みながら水も飲みながら津田の松原SAで休憩して高速で高松中央。香川県立ミュージアム地下駐車場に駐めたのが10:15だったか。混声合唱団Serenitatis Ensenbleに続いて10:50から地下1F研修室へ。

12時頃まで練習して一旦解散。団長ら6人でホール上階のカフェでオレンジジュースとリンゴジュースを飲んで和風ハンバーグ定食を食べて体調が戻ってきた。ホールに入り中学校の部の徳島の城西中と上八万中だけ聴いて私は駐車場に着替えを取りに戻り14時からホール会議室で2度目の練習。

30分ほど歌ったらセレアンの面々が本番のために出て行くとやることがない。ここで着替えて16時に受付に向かい更衣室に荷物を置いて集合場所。ここから案内されるままリハーサル会場に行き舞台袖まで。ここまで今日3回の練習で指揮者は機嫌が良く激怒モードにならない。いいことではあるが。

舞台では前列中央を空け2ndテナーとバリトンが2列目という布陣。歌詞を間違えかけたところが3カ所あったが直前練習で指摘されたテンポを守り音程も意識して歌はまずまず。表彰式までいたが結果は銀賞。セレアンは金賞で札幌の全国大会へ。帰りは津田の松原SAでうどんを食べ21:45頃帰宅。

消防点検で若者の話 (9月1日・土)


1日なので消防点検。私は15日組に変わったのだが新しい積載ポンプのことが心配なので行ってみた。18時集合で17:55に行ったのだが誰もいない。副分団長T氏と総務部長N氏からはいるが彼らは1Qの宴会の集合らしい。妻も同じく。F嬢のボランティアタクシーがお迎えが来て小松島に行くとか。

結局I会計部長とN化学勤務の2人。同級生のF氏と27歳N君の4人で手分けして3カ所のポンプを観て19時前に詰め所。食べ物を調達してI氏を除く3人で飲み始めた。歴代彼女やら風俗やら不倫の話にN君の年代の若者の人間関係についてなど。気がつけば23時半で慌てて解散。妻の帰宅は24時頃か。

さて明日は合唱コンクール四国大会。高松である。本番会場近くの練習場所に10:50集合だが駐車場を探すなど時間が掛かることを考えて10時に行くつもり。いつもは団長と乗り合わせたりするが彼は朝の代表者会議出席のため前泊するらしい。学生たちは土曜に大学の部の本番があるから前日入り。

曲は徳島県大会で歌ったから歌詞も音も覚えている。はずなのだが木曜の練習では各パートで指揮者から間違った音を修正させられていた。私も実は1カ所。間違って出している音が2つある。半音下なのだ。分かってはいるので本番では特に注意して歌うつもり。

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© 2018 Takashi INAGAKI