2016年12月

実家で甥たちと (12月31日・土)


結局起き出したのは昼過ぎ。ノートPCの諸々のアップデートをしておこうと思ったのにWi-Fiを認識してくれない。ゲスト用のSSIDを入れてようやく接続。コーヒーを飲んでから着替えなども用意して家を出たのは13時を過ぎていた。昼食をどうしようかと考えたが結局いつもの「こはくの天使」。

今年の正月休みは短くこういう年は近場で食事を済ます傾向があるからと今日も明日も店を開けるのだとか。カウンターに座っていろいろ話してから鳴門へ。そのまま実家に着いてみると甥2人がテレビでサッカー観戦中。我が徳島市立高校サッカー部が勝った最後のPKを見た。

見終わると2人が飛びかかってきて毎度の帰省の風景である。ソファで甥の脚の上に乗って横になりながらドラえもんを見て夕食。今回は妻が東京なので5人で豚しゃぶ。少年野球の甥その1は以前に増して肉を食べるようになって安心。甥その2はポン酢に生卵を入れて。おいしいと言っていたが。

夜は甥たちと結局スポーツ系の番組を見て21時過ぎに彼らが寝てからNHK紅白。弟は別室で別番組を見ていた様子。明日は天気がいいようなので甥たちと初日の出を見に行こうと言っている。さてほとんど惰性のこの日記。すっかり日々の習慣なので来年も続ける予定。どうぞよろしくお願いします。

正月休みの予定 (12月30日・金)


弟の息子2人は彼らの母親とその母親の4人で今週はハワイに行っていると聞いていた。一緒に行動しない弟は一人で帰省。甥が来ないなら実家に行ってもつまらない。妻は1月2日に仕事があることもあり彼女の母親が一人でいるので甥のいない徳島ではなく東京で過ごすことにした。

ところが今朝になって甥2人は明日の高松着1便で来るという連絡。義妹が勤める全日空の家族枠を使うので航空運賃は無料だが空席がないと乗ることができない。そんなわけで朝1便。家を5時に出る必要がありそうでかわいそうな気もするが。東京に帰る便も空きのある2日朝1便だそうな。

甥が来るとなっても今さら変更もできず11時過ぎに出て妻を空港に送ってきた。空港は出迎えの人も多かったが上り便も手続きに行列ができていた。その前に昨日から事務所内のゴミの整理などをやっていた妻と今朝から2人で町内のゴミステーションへ行き大量に溜めた紙ゴミなどを処分して。

私は帰りに銀行を回って記帳。今日は机の周りだけでも整理しようと思っていたのに弥生会計を起動して経理の仕事を始めたらそれだけで終わってしまった。夜になって甥と遊ぶためのグローブなどを用意したところ。明日はのんびり昼食取りがてら鳴門に向かうつもり。

10周年記念の手ぬぐい (12月29日・木)


妻と2人で設立した株式会社TMインタラクティブが今年10月末で10年になったことは既に書いた。記念のノベルティを作ったらどうかと話をしたのが9月頃。思いつくのはボールペンなど文房具だが妻に相談すると手ぬぐいがいいと言う。ヨガの人たちは汗をかくので相応しいと。

そこでネットで調べて「かまわぬ」という制作会社を見つけた。ただしデザインは完全版下で入れた方が良さそうなので妻が運営している任意団体「顔ヨガ協会インターナショナル」のロゴを作ってくれたデザイナーに手ぬぐいのデザインと進行管理を依頼していた。

色の指定は難しいというので一般的な紺にして。本当は12月上旬に納品される予定だったのに発送後にデザイナーが確認したらロゴ部分に変なゴミが残っているのが発覚。顔ヨガで若返ろうという活動をしているのにマリオネットラインのように見える。制作会社がミスを認めてやり直し。

そして今日ようやく大きな段ボール3個に分けられ納品された。会社のFacebookページに使っているデザインだ。ただし色は紺。手ぬぐいは1枚1枚小さな紙袋に入って赤いリボン付き。500枚。クライアントをはじめ会社の業務でお世話になった方々に年明けから配布予定。

消防団年末警戒 (12月28日・水)


26日は役員として年末警戒の初日で出動したわけだが今日は通常業務としてのお勤めなのである。今日の賄いの鍋材料を鶴井商店に受け取りに行く役も仰せつかっていて19時半過ぎに行って26日に多分分団長に言われていたナッツの詰め合わせセットも買っておいた。

今日のメンバーは9人の予定だが20時に全員が揃った。消防車の運転は役場の総務課長Y氏で助手席に私。後部に中学の同級生F氏と女性消防A嬢の父上K氏に僧侶Y氏。前半を私がアナウンスして後半をF氏。最後にもう一度私がマイクを持って20:10前には出て21:18に帰ってきた。

居残ったのが分団長K氏と同級生S氏さらにダビンチY氏と私が入団したときの分団長O氏の4人。そこから24時まで待機するわけだが最初は9人が一体となって昔の地元の話などを聞く。今日の年齢分布は45歳から65歳なのだけど年代によって通じない話もある様子。私は分からないのだが。

1時間ほどして酔いが回ると話もばらけた。葉っぱビジネスをやっている分団長K氏の月別の売上データを見せてもらって感心したり僧侶のY氏からお寺の利益構造を教えてもらったり。やっぱりダビンチY氏が去年に続いて不邪淫の話を持ち出して大いに笑ったりしながら24時過ぎに解散。

年末警戒と郵便局とカレンダーとストーブ (12月27日・火)


いつの間にか年末。昨日は消防団の年末警戒初日で分団の班長として初めて参加した。町長以下消防団の幹部が巡察に来て整列して町長の訓示を聞く。消防車には本団の女性消防2人と副分団長H氏と機械部長T氏と班長F氏が乗って地域をアナウンスして回った。女性消防の1人は妻だが。

残されたメンバーは詰め所で待機。アナウンス班が21:45頃に戻ってきて乾杯して鍋。近所のY氏が釣ったというグレの刺身も。決められた24時までいたのは女性消防2人を含めて13人だったか。昨日は役員だけの出勤だが明日も当番なのである。

さて法人税の納入やら個人からの入金を確認するため毎日のように郵便局に行っているのだが混雑している。年賀状の手配などがあるのだろう。今日は私が好きなO嬢が偶然いて次女のYちゃんを含め4人が待っていたところで消費税の納入。おつりを封筒に入れ損なったりと焦る。

午後にはA社から卓上カレンダーが届いた。以前は東京に行ったとき余ったカレンダーをもらってきていたのだが最近は行かなくなって今年もY嬢に送ってもらうようお願いしていた。妻の分と2つ。夜になってストーブの灯油もようやく入れた。年末の準備着々。と言いつつ掃除はどうしたものか。

『性の進化論』と「ロックンロール」の原義 (12月26日・月)


ツイッターで知って面白そうだったので買ってみた。クリストファー・ライアン&カルシダ・ジェタ/山本規雄訳『性の進化論―女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか? 』(作品社)。30ページもある参考文献リストを除いても481ページある大著で3,888円もするのだがすこぶる面白い。

男性中心で1対1の結婚が社会制度化されたのは人類20万年の歴史のうち最近5%でしかない1万年前からの農耕社会以降のことであってそれ以前の狩猟採集時代には女性を中心とする乱婚社会だったというのが本書の主張である。だから結婚は破綻し人は浮気をするのだと。

前半は人類の性に関する通説の紹介とそれへの批判が中心で内容が細かすぎるきらいもある。それでもウィットが効いていて飽きずに読める。まだ1/3ほど読んだばかりだが衝撃の報告もある。1950年代にエルビス・プレスリーが広め音楽のジャンルとして定着したロック&ロールの元の意味。

少なくとも1920年以降に米国南部で使われていたロック&ロールのロックとはファックの意味だったそうだ。ジャズはコンゴ語で射精を意味するディンザから派生したと。アマゾンやアフリカの未開地での乱婚と集落全体での子育て文化といった報告も豊富で先を読むのが楽しみになっている。

セレアン銀賞演奏鑑賞会 (12月25日・日)


金曜にあった第九の練習後は名田橋経由で市内に戻り夜の予定まで時間を潰すためにまずは沖浜のモスバーガー。ここを17時半に出て富田中学校近くのホテルコスモスに車を置いてチェックインした。駐車代を含め5,400円は代行で上勝に帰るより安いので前日に予約しておいた。

「響」と指揮者が共通の混声合唱団Serenitatis Ensembleの全国大会銀賞の演奏をDVDで鑑賞しようという会が19時から予定されていたのである。ところがメンバーのテルが亡くなり彼の追悼という意味合いが強くなり「響」団員にも声が掛かった。会場のバーホグスヘッドに着いたのは18時半。

私はカウンターに団長と並んで座りフライングでビールを飲み始め19時頃に皆で乾杯。バーのMacBookから後輩の医師W君のプロジェクターで壁に映写。音声はBluetooth経由だがときどき音が飛ぶ。でも皆で演奏を聴きテルの最後の姿も見た。ようやく彼がいなくなった実感がじわり。

最後に指揮者の音頭で「遙かな友に」を合唱。〜静かな夜更けに/いつもいつも/思い出すのは/お前のこと〜。泣けた。そこから団長と僧侶S氏とBARATEIの前の店。出たところでW氏と会いS氏と3人でグラスホッパー。上勝のN氏夫妻と会った。さらに1人でTOYOKAWA。ホテルに2時半。

藍住で第九の練習 (12月24日・土)


昨日金曜は第九の練習日。13時からだが駐車場が心配なので11時過ぎに出てコンビニでパンを買い食べながら。この日の会場は藍住町民体育館。ナビに従って192号から名田橋経由で12時半頃着いたのだが係の誘導があったので駐車場ではない広場みたいなところに駐めた。

会場の体育館に並べられた椅子は中学生用に指定された席と一般の列が交互になっている。人数は概算でソプラノ300にテナー120とベースが180でアルトが450といったところ。合計1,000人ぐらい。ただしテナーで半数以上を占める動員された中学生はほとんど戦力になっていない様子。

練習はff(フォルテシモ)やsf(スフォルツァンドフォルテ)やクレシェンドのタイミングや出だしのアタックをはっきりさせるようにといった音楽的な指示が中心。私は前回の練習以降4回ほど自主練習をしたのでようやく歌詞が付いていけるようになった。ただしハ調のラの音は出ないのでファルセット。

練習が15時半前に終わり車を出口まで進めたら2台が立ち往生している。歩道から車道が段差になっている様子。私は正しい出口手前に車を寄せゲートを開けていた女性を手伝い彼女が車道に出る誘導。その女性が怒っていたが車が出られないゲートだけをなぜ開けていたのか不愉快な。

年賀状印刷 (12月22日・木)


注文していた年賀状は既に届いていた。最近は郵便局のサービスを利用していて近所のY氏が申込封筒を持って来てくれる。今年は12月になって申込書がないことに気づいて電話をしたが妻経由で既に受け取っていた。慌ててデザインを選び注文したのが12月7日だったか。

注文した数は昨年から増やして200枚。「楽々はがき」の住所録を見直したのが昨日。このソフトには送受記録欄があるのだが昨年の年賀状を受け取ったと印を付けているのは手元にあるもののうち8割ほどだ。1月4日あたりまでに届いたものだけに印を付けたものと思われる。

ということは私が出さなければ返って来なかったと考えていいかも知れない。メールやFacebookで繋がっている昨今である。わざわざ年賀状を出さなければならない相手は多くない。そんなわけで昨年は69枚を印刷したようだが今年は53枚だけ宛名印刷することにした。

昨年に続いてEPSON EP-707Aのマニュアルで向きを確認して楽々はがきから印刷実行。最初は1枚ずつ確認しながらゆっくり。途中から10枚単位で印刷したがトータルでも10分ほどで終わった。夜になって裏面に一言を書き始めたところ深夜に書き上げられてしまった。明日投函できる。

「真田丸」 (12月21日・水)


今年のNHK大河ドラマ「真田丸」が終わった。堺雅人が演じる真田幸村が主人公だったわけだが子どもの頃にNHKの人形劇で見た「真田十勇士」の記憶が全く蘇らず実は真田についてよく知らなかったということが分かった。真田幸村は豊臣方で最後まで戦ったから名が知られていたのか。

三谷幸喜による10年前の「新選組!」以来の脚本ということで注目もされた。小学校の同級生で日興證券の部長職にある桜井君は「風と雲と虹と」(1976年)以来の面白さだったとFacebookに書いていた。平将門と藤原純友が主人公だったあの作品は確かに面白かった。

過去の作品だと若い頃の渡辺謙が伊達政宗を演じた「独眼竜正宗」は面白かったのだが一昨年だかの再放送を観たところ意外にそうでもなかった。時代とともに面白いと感じるかどうかは変わるようだ。今年の作品だった「真田丸」にしても桜井君が書くほど面白いとは思わなかった。

ただ驚いたのは最終回のエンディングロールで3D地図監修にシブサワ・コウの名前を発見したこと。ゲームソフト「信長の野望」で一世を風靡した光栄(現コーエーテクモゲームス)の創業者である襟川陽一氏のことだ。その地図を見たいために総集編も観ようかという気になっているところ。

LEDアートフェスティバル (12月20日・火)


「響」の元トップテナーで阿波銀行からシンクタンクの徳島経済研究所に長く出向しているM氏がFacebookで毎日カウントダウンしていたので一度見ておこうかと思っていたのである。徳島LEDアートフェスティバル。市内中心街の何か所かがLEDライトの照明で飾られている。

今日は第九の練習があわぎんホールであってそれに合わせてS神歯科に行ったのだが先日の「響」の練習の際に団長が同時刻に名西高校の定期演奏会があるから来て欲しいと言う。S神歯科に車を駐め夕食を取り第九の楽譜は車に置いたままホールに行ったが既に始まった後。

途中から入るのも気が引けて第九の練習にも名西高校の演奏も見ずに藍場浜公園から水際公園を歩いてみた。新町川には直径2mほどの光る球体が何十個も浮かんでいた。ただそれだけ。制作したのは徳島市出身の猪子寿之氏率いるチームラボ。

猪子氏と言えば妻を空港に迎えに行ったとき偶然見かけたがお迎えに来たスーツの男性たちを前にモデル風美女の腰を抱きお尻を撫で回していてなるほど時代の寵児らしいと思ったものだ。ともあれ今回のイベントは街に出かける口実として良かったのではないか。私は一瞥で十分だったが。

『きらきらひかる』 (12月19日・月)


先日読んだ『ポリアモリー 複数の愛を生きる 』で紹介されていたので読んでみた。江國香織『きらきらひかる 』(新潮文庫)。平成3年に書かれた小説というから著者はポリアモリーの概念も言葉も知らなかっただろう。この設定は確かにポリアモリーかも知れないが純粋な恋愛小説だと思う。

物語の主人公は新婚の2人。新婦の笑子はアル中で情緒不安定。新郎は睦月はホモセクシャルで笑子とはセックスをしない。それを分かった上で結婚した2人だが子どもを作れという両親や親友からのプレッシャーで笑子はますます不安定になる。今のままが幸せなのにと。

睦月は笑子のことを想うあまり元彼と会う機会を作り一方の笑子は睦月が恋人の紺と会うように仕向ける。紺が泊まって行くときは寝室は夫婦で使うべきだと言う紺に対して恋人同士の睦月と紺が使うべきだと笑子が言う。そんな愛する人の愛のために自分を外に置くといった2人。

結末については書かないがおそらくハッピーエンドと言っていいのだろう。愛について考えられるが面白かったとは言わない。ワインを飲んだ後に車で送っていくといった描写もあるし電話は固定電話しか登場しない。なるほど25年前はそういう時代だったとそんなことが気になった。

恋愛と離婚の時代の変化 (12月15日・木)


1月以上前に録画しておいたNHK「クローズアップ現代+」を見た。若者が恋愛離れを起こしていきなり結婚したい人が増えているという話。告白したことがSNSでバラされて怖くなったと言う男性。恋愛は面倒だという気持ちは今の私も分かるが若いときは勢いで突き進むものではないのか。

若者にとっては確かに面倒な時代かも知れないが時代の変化を感じざるを得ない。私の20歳代が30年前で良かったと思ったりもする。一方で既に結婚してしまった今の私たちの年代にとって時代の変化を感じることもある。離婚への敷居が格段に低くなったことだ。

私が結婚したのは92年で94年に離婚した。次に結婚したのは2000年。22年前も離婚に大きな障壁は既になくなっていたかも知れない。ただ社内結婚の上で社内離婚した第1号だったので気になっていた。でも離婚するとなったら周辺の社会的評価などはどうでも良くなるものなのだ。

最近だと私たちと同じ結婚16年というクルム伊達公子さんの離婚が気になった。夫婦それぞれに事情はあるだろう。私は仕事人としての妻のことは尊敬しているが16年経って家族の意味はなんだろうと考える。私の気持ちの障壁は22年前に比べ格段に低くなった。これも時代の変化である。

ファンヒーターのエラーと部品交換 (12月14日・水)


修理に出していた石油ファンヒーターが直ったとの電話を昨夜の消防分団役員会の席で受けていたので今日夕方になって田宮のヤマダ電器に引き取りに行ってきた。上勝に移住する際に田宮のヤマダ電器で買ったのが8年前。一度修理に出したのが3年前

E-4というエラーコードが表示されて頻繁に運転が止まる症状は3年前と同じ。前回の経験から灯油フィルターの汚れだろうと推測していたが部品が交換され戻ってきた。デンジポンプとキカトウと書いてある。電磁ポンプは分かるがキカトウは何だろう。直ったからいいんだけど。

修理に持ち込んだときタダツさんというテキパキした女性店員さんから「買い換えますか」と訊かれた。調べてもらったところ同等製品だと結構高い。ヨドバシ.comでコロナのコンクリート24畳用が5万円。今回の修理代は最初に支払っておいた送料2,160円を含め合計9,612円。

3年ごとに故障しては困ると最初は思ったがこのファンヒーターの稼働時間は就寝中と外出中を除き1日平均15時間を11月中旬から4月中旬まで5ヶ月間。これだけ運転し続けていれば壊れることもあるだろうと諦めることにした。3年後にエラーが出たら定時点検と考えることにする。
※友人BPQ氏からメールをもらいました。キカトウは気化筒だそうです。なるほど!

自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ (12月13日・火)


自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ。何ヶ月前だったか何年前だったかSNSで見かけたこの言葉がずっと気になっている。リクルートの創業者である故・江副浩正氏が語ったという。初めて知ったときベンチャー企業の社訓として凄まじく素晴らしいものだと思った。

自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ。思い返せば私の就職はこの言葉に当てはまるだろうか。怠惰な学生が機会を得て猛烈ビジネスマンに変わった。でも自ら機会を創り出したわけではない。それより会社に入って広報の必要性を社長に提案したときは相応しいのかも知れない。

自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ。新しい部門を提案したら自分が任されることになった。私が変わったかどうかは分からないが少なくとも新しく始めた仕事に努力はしたし可能性は広がった。でもあのときだけかも知れない。私は変わってきたとは思うが自ら創り出したわけではない。

自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ。新しい場に自分を置けば機会を創り出したことになるのだろうか。少なくとも自らが能動的に関わることが必須だと思うのだが。新しい機会に置かれれば変わらざるを得ないだろうが自ら機会を創り出すことが難しい。ただ意識だけはしておきたい。

死 (12月12日・月)


久しぶりに高校以来の親友Nが電話を寄越した。ネット配信について教えて欲しいという用件だが上勝TVが終わって2年が経ち最新事情はよく知らない。参考のサイトを教えることにして後は雑談になった。大学時代に週に1通以上の手紙を送り合っていた彼とは深く話さなくても意思が通じる。

何からそうなったか死についての話になった。何のために生きているのかと50歳を過ぎてふと思うようになりそうすると生きている意味などないという結論にすぐなってしまうという内容である。彼は3人の子どもが独立してから尚更だと言うが私には子がいない。私もときどき考える。とても分かる。

先輩や友人や後輩が次々と死んでいく最近。たまたま今回は自分ではなかっただけだと思う。そしてテルの死が自死か病死か分からないとき思ったのだが絶望に起因する死は自死だけではないのかも知れない。絶望によって病気になり比較的ゆっくり死に至る場合もあるのだろうと思う。

そしてこの季節に思い出すのはPDAの師匠M氏の3年前の焼身自殺。夫婦間の小さな齟齬が社会制度の中で取り返しの付かない状況に達し絶望したのだと思う。今日の電話のNは死を考えないため数百万円のライカのカメラを買ったと言う。その行動の突飛さには呆れるが気持ちは分かる。

「響」第8回定期演奏会に向けて (12月11日・日)


「響」の練習がまた始まった。私が練習に行ったのは11月6日以来だと思う。13日は前日飲み過ぎて休んだしその翌週はSerenitatis Ensembleが全国大会で鳥取に行ったため練習はなかった。その翌週はテルの通夜で飛んでしまい先週は指揮者の都合で急きょ中止。何と5週間ぶり。

四国大会の9月4日から10月15日まで6週間も空いたのに再びのブランク。大丈夫だろうか。何せ来年5月に昨年以来の定期演奏会を開催するというのである。徳島市文化センターが耐震の問題があって使用できず徳島県内の演奏会場が足りず今回は田宮の徳島県教育会館で行われる。

9月の四国大会が終わって音取りばかりやっている。さほど難しい曲はないからブランクが続いているが音取りは比較的順調だと思う。S先生が指揮する恒例の2ステは初音ミクやきゃりーぱみゅぱみゅの曲や誰もが知っているCMソング。いつものことだが最後は歌詞がネックになるだろう。

来年2月にはアンサンブルコンテストがあり3月には相生森林美術館での演奏がある。何を演奏するのか全体像が分からず今はただ音取りに専念している状態。ともかく2017年5月3日(水・祝)。教育会館の駐車スペースはほとんどないため車はヤマダ電器に駐めて歩いてきてもらうことになる。

グレッグ・レイクとエイジアと80年代プログレ (12月10日・土)


英国のプログレッシブ・ロックバンド「エマーソン・レイク&パーマー」(ELP)のグレッグ・レイクが69歳で亡くなったというニュースを読んだのは一昨日だった。プログレの中で私が好きなのは一にピンク・フロイド。続いてキング・クリムゾンやイエスであってELPはあまり聴いて来なかった。

それでも代表作「展覧会の絵」はLPを持っているし「タルカス」「トリロジー」「恐怖の頭脳改革」などは学生時代にレンタルレコードからカセットにダビングしていた。改めて調べてみるとグレッグ・レイクはキング・クリムゾンの1枚目と2枚目でもヴォーカルとベースを担当している。

さらにエイジアにも一時期参加していたらしい。そのニュースを読んで買ってしまったのである。「詠時感〜時へのロマン」(1982年)「Alpha」(1983年)「Astra」(1985年)の3枚。最初の2枚は全曲知っているからサークルの友人のレコードまたはレンタルレコードからダビングしていたのか。

ポップになってしまったプログレとして当時は半ばバカにしていたが今の私にとっては懐メロである。同じような感想を持ちながら大学時代に聴いていたイエス「90125(ロンリー・ハート)」(1983年)もCDで2週間前に買っている。しばらく1980年代プログレ大会が続きそうなのである。

2016年10月期決算と経理業務 (12月9日・金)


我が社の10回目の決算がまとまった。税理士さんから概要が昨日午後に送られてきていて夕方に了承。売上高は前年度比62.5%増。その前年から比べると3.9倍。純利益が黒字になったのは10年で4回目でしかないのだけどその中でも最高益とすることができた。

これまでは収支とんとんを目指した予算を組んできたのに先期は利益にこだわらなかった結果ということでしかないので大きな意味はないのだけど累積損失を一掃して法人税を支払うことになって少し戸惑っている。今までは累積赤字が大きすぎたのに初めて真っ当な企業になった様相なのだ。

10年目ということもあり今期中に税務調査が高い確率であるだろうと税理士さんには脅されている。そんな予想もあって税理士さんは念を入れて精査した上で決算書を作ったと言っている。税務調査は来年4月から8月だろうということなのでドキドキしながら初体験を楽しみにしておこう。

さて税理士さんから昨日返ってきたデータを弥生会計に読み込んで記帳と今期の予算表の作成。妻の出張精算や11月分の溜まった請求書などがあり昨日夕食前後から始めて今日の夜まで掛かった。これで通常業務に戻るわけだが今期も経理仕事の比重が高くなりそうな予感なのである。

フォレスター6ヶ月点検と冬タイヤ (12月8日・木)


フォレスターの6ヶ月点検のためにスバル阿南店に行ってきた。実際は3ヶ月しか経っていないのだが5,000kmを越えたのである。5,229km。1ヶ月点検が10月4日で1,215kmだったから4,014kmでオイルも換えた。定時点検のオイル交換は無料だが今回もアップグレードしてプラス2,560円。

このタイミングでタイヤ交換も。既に購入していたスタッドレスタイヤは新品で段ボールで梱包されていて持ちにくかったため妻と2人がかりで車に積み込んだ。ホイール付なので何せ重いのである。タイヤ交換料金が2,160円。14:25頃に行って店を出たのが15:40頃。

標準タイヤはホイールが18インチで225/55R18だがスタッドレスは225/60R17。つまりホイール径が小さくなりタイヤの厚さが増した。乗った印象はストロークが伸びたような気もするがゴツゴツした感覚がある。乗り心地がマイルドになった気がしないのはまだ新しいからだろうか。

一方エンジン回転は明らかに滑らかになった。最初のオイル交換で感じたのと同じ。アクセルが軽い。燃費も若干良くなるような気がする。さて夏タイヤはビニールに包まれていたので帰宅してホイールの内側を肩に担いで1人で片付けられた。もらってきた来年のカレンダーも壁に掛けたところ。

炊飯器とヤマダ電器 (12月6日・火)


東京から帰ってきた妻を空港に迎えに行って来た。S神歯科で時間が取られ予定通りの着陸ならオンタイムだったと思うが飛行機は15分も早く到着していたらしい。S神歯科では「響」で創立以来10ほど前まで歌っていた高校教師のM本先生がいて治療台の上から挨拶。

帰り道に西新浜のマルナカで妻が買い物。そのまま夕食。その前に炊飯器を買い換えたいという妻が1Fの電気店で即決。ここはベスト電器だったのにヤマダ電器になっていてびっくり。店員さんに話しかけると彼はベスト電器の社員だと言うが値付けなどはヤマダと一緒なのだとか。

電器製品は基本的にヨドバシカメラの通販で買っているのだが現物を見たいときは田宮のヤマダ電器に行っている。一昨日の日曜は第九の練習の後で事務所で使っているファンヒーターを修理に出すため田宮店に行ったところ。会員カードもヨドバシとヤマダだけは使っている。

西新浜マルナカ1Fがベスト電器だった時代は例えばカメラは2年前ほどのモデルしか置いていないなど品揃えに難があって敬遠していたが少しはマシになったのだろうか。徳島市中心を抜けて田宮に行くのは面倒だが西新浜なら心理的に近いのでこれから少し覗いてみることにしようと思う。

広報の仕事と転職の基準 (12月5日・月)


転職の話を書いていて私はつくづく広報の仕事に向いていたと思う。当意即妙なことが苦手でじっくり考える慎重さの上に人の見方を気にしすぎるきらいがある。この性格は会社のスポークスマンとして記者と心理戦を戦う上で落ち着いて対応する能力の一つだったような気がする。

だから広報の仕事は面白かったし好きだった。それで評価もされていたと思うしM社はだからこそ私を引き抜いてJ社にダメージを与えようとしたのだろう。私が会社から抜けるダメージは大したことないがメディアに対して私が寝返ったことを印象付ける価値が当時の私にはあったように思う。

それほど向いていたと思う広報の仕事も就職したときは思いもよらなかった。さらに最近10年は広報よりも経理の仕事の比重が大きくなっている。ここ数年は法務の業務も増えている。経理も法務も否応なく始めたが慎重で考えすぎる私にはどちらの業務も向いているような気がしている。

結局のところ就職や転職のときに業種や職種を限定しすぎることに意味はないのではないかということだ。その会社の業務に社会的な意義があって個人として将来に夢を持つことができて自分を認めてくれる仲間がいて楽しく仕事ができる。それだけが会社選びの基準でいいように思うのだ。

第九の練習 (12月4日・日)


第九演奏会に参加することにしたのに練習に一度も行っていなかった。11月は5日を6日と勘違いしていたり人数が少なそうな回をパスしたり。YouTubeからVocalodの音取り用データをダウンロードして車の中などで聞き込んだので音は覚えつつあるが不安なのはドイツ語の歌詞だ。

そろそろ焦り始め合同練習が今日あるので昨夜ようやく楽譜を開いて歌ってみた。が歌えるものではない。歌詞を音読して読みの確認だけして今日。アスティ徳島に12時半頃着いた。客席にパート別に座るのだが中学生が各パート100人はいる。アルトの一般参加者は200人ほどもいる。

楽譜の中から部分的に歌うのだが会場が広すぎる上に1列飛ばしで座るよう指示されたもので音楽にタイムラグが発生しているらしい。指揮を見るよう盛んに指揮者が言っている。休憩後は中学生の間に一般参加者が入ってギュッと詰めるようにしたのだがそれでも広すぎる。

肝心の歌は歌詞に口が付いて行かない。何度も読みを確認して歌えるようになったのは全体の1/3ほど。音の方もまだ心許ない。隣の人は昨年も参加したらしく歌詞は歌えているが音がいい加減。私を含め「響」レベルにはほど遠い。ホッとした一方でこのレベルの低さでいいのかと思ったり。

転職のこと (12月3日・土)


広島で妻と夕食をとっていたとき私がM社から誘われたときの話になった。M専務とY本部長が進めた話に課長が難色を示したとかで結局Y本部長からなかったことにして欲しいと言われ立ち消えた。そのO課長は今は本部長になっているらしく最近テレビで見てまだいたのかと驚いた。

このとき私が転職しなかったことについて妻はチャンスを逃して忸怩たる思いだと言った。最後は向こうから断ってきたのだから私の責任ではないと思うがM社からはそれ以前にも2回にわたりお誘いいただいていたわけだからチャンスを逃したと言われても仕方がない。

ただし1回目は仕事に責任があったのでその気にならなかった。2回目は半年後ぐらいに辞めるのに当時の会社への義理があって動けなかった。それで良かったと今も思っているが当時の会社や仲間との義理人情が分からない妻が私のことをチャンスを逃したバカと言うのも理解はできる。

転職で悩んでいる人を見ると当時の私を思い出す。特に2回目。当時M社は最大のライバルでこちらを潰しにかかっていたから仲間を裏切ることができなかった。でもそんな関係がなければ転職しただろう。私は高く売れたとも思う。結局あれほどの機会は私の人生で二度と来なかったわけで。

経理データの送付とドラレコ交換品 (12月2日・金)


昨日は月に1度の消防点検だったのだが待ち時間に冷えた。役場のY課長と2人で中央地区のポンプのエンジンを掛け戻って他班の帰りを待つ間にトイレに駆け込むこと3回。ビールは辞退して早々に帰宅。思い切って風呂に湯を入れて温まった。夜はビールは止めて遅くから焼酎お湯割り。

会社の2016年10月期のデータが出揃ったはずなので税理士さんに送るため通帳をスキャンしたり作業を始めたのが夜。講演会などでの手売り用本の在庫は妻が数えて報告してくれていたのだが仕入れ額を確認しようとしたらそもそも定価はいくらかと調べ始めてしまい時間が掛かった。

それらのデータをまとめて弥生会計のファイルとともに税理士さんに送ったのが午前2時。朝9時前には複数の質問とともに返信が来ていた。一方で分団長から仕事の道具をネットで買って欲しいという依頼があり朝目覚めた7時前に電話で確認してアマゾンで注文。

夕方ヤマトから配達物が2つ。一つは思い当たらなかったのだが先日送付したオウルテックからのドライブレコーダーの代替品だった。早速フィットに装着。問題なく動作している。ついでに放置していた時刻合わせも各機種で行った。年度末からの懸案は徐々に解消しているところ。

清成啓治さん (12月1日・木)


昨日は清成啓治さんの訃報である。NIFTYのSJUSTシスオペだったパソコンライター齋藤さんがFacebookに書き込んでいて知った。清成さんのFacebookに行くと11月19日に亡くなったと昨日18時頃に息子さんがアップしていた。脳出血だったと。

清成さんはパソコンがオタクのものからビジネス用になる過程においてオタクであり続けた人物だった。そのオタクぶりはパソコン本体やプログラムよりも通信分野に向いていたように思う。J社東京支社の彼のデスクは分解された電話機やハンダごてに囲まれていたように思う。

インターネットが一般に解放されていない時代。パソコン通信のモデムが1,200bps(ベストエフォート100Mbpsの現在から見ると10万分の1の回線速度)の時代に電話機の受話器にくくり付けて音声でデジタルデータを送受信するためのカプラを企画し製品化したのが清成さんだった。

確か300bpsで通信するハンディカプラJS-HC001はパソコン通信オタクたちのマストアイテムに近かった。Facebookに書くと今も持っているという人が2人。技術が分からず彼の言っていることはほとんど理解できなかった私だが会いに行くといつも優しかった。寂しい。

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© 2016 Takashi INAGAKI