2015年4月

サイゴン陥落 (4月30日・木)


今日はサイゴン陥落からちょうど40年だそうだ。ベトナム戦争が終わった日である。これに合わせNHK BSで放送されていた米国のドキュメンタリー番組を観て米軍が友軍であった南ベトナム軍あるいは兵士が知り合ったベトナム人を逃がすために大変な作戦行動を行っていたことを知った。

2006年に読んだ近藤紘一『サイゴンのいちばん長い日 』にも米軍がサイゴンを脱出する状況が描かれていて多くのベトナム人が殺到したことは知っていたが駐ベトナム米国大使と米軍が組織的にあるいは兵士個々が独断で米国人以外の何千人という人を米軍艦で逃がしていたのだ。

しかも米国大使館から24時間以内の作戦。何十機の米軍ヘリコプターが大使館とベトナム沖の艦隊を往復して人々を運び続けたらしい。あるいは南ベトナム軍兵士がヘリコプターで家族を米軍艦に乗せヘリは皆で海に放棄したとか着陸できない大型ヘリからは人が甲板に飛び降りたとか。

サイゴン陥落のときにも一般市民は平穏な日常生活だった一方で南ベトナム軍関係者は北ベトナム軍に捉えられ思想教育のため収容所に収監されたらしい。背景の知識を得たので改めて『サイゴンのいちばん長い日』を読み直したいと思っているところ。

合同練習と実家隣のアパート (4月29日・水)


八万に9時半集合で「響」合同練習。私は準備に手間取りつつ9:35に着いたのに駐車場が満杯で第2駐車場に初めて駐めた。車の中で発声練習はしたのだが朝一番は声の出が悪く指揮者の怒声が飛ぶ。午後からはジャズトリオとの合同練習。写真を撮ってFacebookページにアップした。

明日から弟らが帰省するのだが甥2人が「響」定期演奏会を聴きに行くと言っているらしい。6歳児と4歳児は退屈だろうと母には伝えておいたのだが弟によると本人たちが行くと言うから一応チケットを用意した。それで今日の練習後に鳴門の実家に寄って母に渡してきた。一応4枚。

さて実家南隣のアパートが解体されているとは聞いていたのだが今日行って見ると見事に更地になっていた。ちなみに土地は裁判所の管轄らしいと母が言う。税金を物納したということだろうか。家が建たなければいいのにと母が言うが道が狭すぎるので買う人はいないと思う。

このアパートができた40年以上前に実家との間にはコンクリートブロックの塀を作った。塀の上には目隠しの波状パネル。アパートがなくなったのだから塀を取り払ったらどうかと母に言ったら今のままでいいらしい。ともかくぽっかりできた隣の空き地。甥たちとキャッチボールぐらいはできそうだ。

ネパール大地震とT嬢 (4月27日・月)


25日にネパールでM7.8の大地震が発生し27日までに死者が3,000人を超えていると報道されている。プレートの衝突によって世界一高い山が誕生したのだから地震が起こることは不思議とも思わず特に気にしていなかった。ところが昨日Facebookに知人のT嬢を心配する投稿が流れてきた。

Facebookで友だちになっているT嬢は仕事の関係者だが会ったのは三宅島でダイビングしたときとその後の飲み会というプライベートの2回。改めてT嬢の投稿を見直してみると4月中旬にエベレストを背景に入れた写真をアップしている。高度順応のため付近で生活していたらしい。

このことを知って友人達が心配していると日曜の夜に酔っぱらってツイッターに書いたら今日フジテレビ報道部から電話がかかってきた。現地にいる日本人を心配している人を取材していると言う。友人の友人であり親しくないと答えもちろん名前は伝えず意味のあるコメントをせずに逃げた。

でもこれを契機にT嬢のことが猛烈に気になり始めた。何度も彼女のFacebookを見ていたら夜になって無事と友人が書き込んでいるのを発見。深夜に本人の書き込みも。エベレストの中国側にいたそうだが登山は中止で6,400m地点から5,200mのキャンプまで下りたと。とりあえず良かった。

大学アマチュア無線同好会 (4月25日・土)


私が青春時代に過ごした高校合唱部は消滅したらしいが大学時代のサークルもなくなっていると聞いている。同志社大学アマチュア無線同好会JA3YCZ。先輩や後輩たちと年に2回は山に行きテントを張って24時間無線通信を行うコンテストに参加したほか日常的に部室に入り浸っていた。

大学キャンパスが京都市内の今出川と新たに造成新築された京都府南部の田辺市と2つに分かれたときボックスと呼ばれた部室も2つになった。私が卒業する1年前の1987年度のことだ。1989年に私が行ったときは今出川のボックスが室町別館から新町校地の新しい棟に移転していた。

ところが我がサークルは部員となった新左翼の活動家に乗っ取られ占拠されていると聞いた。京都の老舗酒屋を継いだ3つぐらい上のH氏から10年以上前にメールをもらったのだ。形式的には残っているのかも知れないがOBが立ち入れるような状況ではないということなのかも知れない。

ボックスは移転して私が20歳前後の5年間入り浸っていたところではないし無線機器やアンテナや鉄パイプに愛着はない。交換日記のようなノートもあったが今さら見たいという気もない。当時いた多くの仲間とはSNSなどで一部だが繋がっているのでそれで十分だと思っている。

市高合唱部 (4月24日・金)


我が母校である徳島市立高校で私の5歳ぐらい上の元音楽教師Y氏がブログに合唱部が消滅した噂について書いていた。学校創立から私が卒業した1982年3月まで音楽教師だった故・川人先生はじめ3年前に石井町での演奏会で再会した森本洋子先生らの指導を受けてきた合唱部である。

合唱部で同い年だったO氏がFacebookに何か書いていたことを思い出して改めて見てみたら3月にあった定期演奏会の段階で部員は3年生が2人いるだけだったらしい。3年生が卒業して入部を勧める上級生がいなければ1年生が入部しようという気になるはずがない。

私が現役だった1980年前後のコンクールで我が市高と覇権を競った城南高校合唱部はとっくになくなっていると聞いているし大学合唱団も軒並み人数が激減しており時代の移り変わりを感じるばかり。徳島では「響」のS先生らが指導する小学校の合唱部だけが元気なのだ。

ところで同学年O氏は卒業しても毎年母校の定期演奏会に出演していたのだろう。来年も日程と場所は決まっているそうだ。オーケストラ部だけの演奏会になるのかOBだけで合唱もやるのだろうか。実のところ興味はあまりない。音楽室が取り壊される前に見ておいて良かったとは思うのだが。

上勝の次のネット環境 (4月23日・木)


誘われて近所のS氏宅で21時頃から2人で飲んでいた。持参した発泡酒500mLのあとはS氏宅の麦焼酎お湯割り。津田中から城南高校出身の彼とは同い年で共通の友人も多いが2人だけで飲む機会はあまりない。話題はあれやこれやで気になったのが上勝のネット環境の話である。

上勝町議会議員で共産党のA氏は議会があるごとに自身の質疑内容を両面印刷のペラにして各戸に配布している。共産党の思想には与しないが町議会の内容を伝えようとする努力には敬意を持っている。ちなみにA氏は私がJ社にいた頃の入社1つ下で販売推進にいたAA嬢の父上である。

そのA氏が配布した「かみかつ民報」の最新号に町議会での質疑内容として現在のネット環境は契約から9年で近く別のものに代わると書いてある。今はネットとテレビとIP電話を合わせて約2,700円だが新しい契約では合計6,000円ほどらしい。これを初めて見たときは高いと思った。

でも私のところは業務でネットは必須なので3,800円なら安い。テレビに1,500円も払って良い。IP電話は使っていないので650円は不要。ただしS氏と話をしていて気になってきたのは個別に選択できるのかということ。それと新たに初期費用が必要なのかということ。気になることだらけ。

『テロルの決算』 (4月22日・水)


沢木耕太郎『テロルの決算』(文春文庫)を読み返した。1960年の日比谷公会堂。衆議院選挙立ち会い演説会の最中に社会党委員長浅沼稲次郎が17歳の山口二矢に日本刀で刺殺された事件を扱った1978年の作品だ。沢木耕太郎が初めて書いた長編ノンフィクションである。

仮面浪人中の1982年に東京で読んで以来4回目か5回目だ。前回読んだのは9年前だが今回も冒頭から物語に引き込まれこの事件の偶然の重なりには感動すら覚える。山口少年の思想の形成もそうだし浅沼委員長が殺される至った経緯についても当日の会場での出来事についても。

ストーリーは細かなところまで覚えていたが改めて興味をそそられたところもいくつかある。一つは浅沼稲次郎が2度にわたって精神に異常を来した事実とその経緯だ。61歳の委員長と17歳の少年の2人の物語だと著者のあとがきにある意味が年齢を経るにつれて分かってきた。

あるいは山口少年が警察から鑑別所に送られた日の夜に自殺したことだ。武士が持っていたであろう美学と言うべきか右翼活動家であれ誰であれ発言をするなら実行をした上で責任を引き受けるという行動作法に感じるものがあった。ここは学生時代には思い至らなかった感想かも知れない。

ラテン語の歌詞 (4月20日・月)


日曜夕方からあった「響」の練習は女性と合同での第4ステージの曲だった。ピアノとウッドベースとドラムスが入りミサ曲をジャズ風に演奏する。歌詞はラテン語。ミサ曲だから決まり切ったもので簡単なのだがそれでも馴染みのない言葉があって暗記に努力している。

2009年の定演でもミサ曲は演奏したがラテン語を覚えられず私は楽譜を持って歌った。Gloria in excelsis Deoとかmiserere nobisなどは分かる。でもsuscipe deprecationem nostramとかQui sedes ad dexteram Patrisなどは覚えられないから全ての歌詞を意味から調べた。

ラテン語は英語などの語源になっているので意味が分かると言葉も思い出しやすい。suscipeのsusは英語でいうsubの意味で下から受け取るundertakeだそうだ。sedesは座るという意味だからsitの受動態なのだろう。ただしdexteramは右という意味らしいが英語が分からず暗記するしかない。

特に2曲目「Gloria」は歌詞と逐語訳を見ながら集中的に聞いて一人で歌い込んだ。まだ頭で思い出しながらでないと歌えないがあと一歩。勝手に唇が動くレベルまで歌い込めば完璧。問題は2ステで歌う日本語歌詞の曲だ。「恋のフォーチュンクッキー」含め状況はまだまだ。

敬老会 (4月19日・日)


今年も敬老会の手伝いに行って来た。今年は初めて前日から準備。18時頃に体育館の隅で音響機器のセッティングだ。大方の設定はT氏がやって私は当日カラオケの担当としてDAMのサイトの使い方を教えてもらう。事務所から使っていないモニターも持ち込んでカラオケ画面を表示させて。

T氏N氏と小松島のS君が演奏曲を練習している間に設定をいろいろやって持ち込んだ17インチを拡張ディスプレイにした。T氏のノートPCで曲を検索してお気に入りに追加しておいてカラオケを歌うときの歌詞は拡張17インチディスプレイに表示させるという寸法だ。

この方法は今日うまくいった。ただし例年に較べてカラオケ希望者が多かったような気がする。希望は集中するし曲名の正しい漢字が分からず検索に苦労したり曲がなかったり。PC側の音量を下げたままだった失敗が1回。朝は寒かったのに集中したもので暑くなった。

ともかく準備をした土曜はS氏宅で2時まで飲んでしまい朝8時に行ったときは眠くて仕方なかった。9時にはだいたい準備が整い私は9時半頃から11時半頃まで家で少しウトウト。15時の予定を20分ほど過ぎて終了。18時からだと思っていた「響」の練習が16:15からだったので片付けをしないまま。

「響」の伴奏 (4月13日・月)


昨日の日曜は葬儀を終えて徳島市八万町へ。「響」の強化練習が13時から行われていたのである。時間厳守と前日練習でもメールでも指揮者からの檄が飛んでいたが葬儀は仕方がない。食事は松茂に行くまでの車中で済ませていたので八万に直行して14:10頃到着。

この日は伴奏者との初めての合同練習だ。まずは第4ステージで演奏するジャズ風ミサ曲。伴奏はピアノとベースとドラムスのトリオ。今まで合唱だけで練習していたが伴奏が付くとまさにジャズであってこんな曲だったのかと驚いた。格好いいのだ。私はまだ楽譜とにらめっこしている状況だが。

続いて第2ステージで演奏する曲のピアノとの合わせ。「恋のフォーチュンクッキー」はだいたい覚えたがフリに気が行っていると歌詞が出てこなかったりする。「アナと雪の女王」もICレコーダーに録音したデータを聞き返していると速くなったり遅くなったりするのが分かる。まだまだだ。

そんなわけでICレコーダーのデータは車での移動中だけでなく事務所にいる日中も聞くようにし始めた。楽譜を見ながら集中的に暗記することも必要だがとりあえず聞き込み。いまカレンダーで確認すると本番までもう3週間もない。メドは立ったが頑張らないと。

Z嬢の父上 (4月12日・日)


3月17日に松茂に行ったと書いたのは元部下で友人のZ嬢と会うためだった。私の亡父が入院していた頃のことを何ヶ月か前にFBで聞いてきていたからお父上が病気だということは知っていた。それが3月になり九州の病院から徳島に転院させたとFBに書いていたので連絡を取ったのだった。

もしや私の友人が勤める病院かと気になったのだが松茂の浦田病院だった。その日は元同僚A氏の奥様が経営している北島の喫茶店「愛夢豆」に行って父上の病状やZ嬢の思いを聞いた。高校時代から一人暮らしだったZ嬢が徳島で楽しく生きてきたことを父上に伝えようと言ったりもした。

私と同僚だったのは7年だけだが彼女が結婚したのは私の仲間とキャンプに行ったのがきっかけだし私たちが上勝に移住するのに影響を与えてくれた一人でもある。そう言えば彼女の結婚式は8月の屋外で暑さの印象が強烈だが披露宴最後の父上のスピーチに爆笑したのだった。

その明るかったという父上を送る日。今日12時前に松茂の玉鳳院に着いたら友人のK氏N氏T氏F氏らも来て雑談。息子の小学6年生T君は私の名前を覚えていてくれた。そして葬儀最後のZ嬢の挨拶に涙。最期の日々を娘や孫と一緒にいたのだから彼女が判断した転院は正しかったと思う。

Ingress (4月9日・木)


CERN(欧州原子核研究機構)で「エキゾチック・マター(XM)」と呼ばれる未知の物質が発見されたらしい。XMは文化や宗教的に重要な場所にあり人の精神に影響を与えるという。臨界量以上のXMを被爆した者である「シェイパー」の影響を受け人類文明は発達してきたことも分かってきたとか。

ところがXMを邪悪なエネルギーと捉えシェイパーの影響を地球侵略と考えこれを阻止しようという一派がいる。私は未来のために人類は覚醒すべきだと考えているのでシェイパーのエージェントになることにした。XMをスマホで検知できるアプリが配布されており導入したのが昨日のこと。

ところが私のiPhoneアプリは地球がくるくる回るばかり。思い立って表に出たらGPSを受信してようやく位置が特定できた。ところがXMが大量にあるというポータルは近くにない。4.1km地点にあるとNPO法人ZWAの写真が表示されたので行ってみたがポータル情報が修正中とのメッセージ。

傍示トンネルの下に緑の筋があったので車を駐めてみたが何を意味するのか分からない。とりあえず抵抗派に対して我が覚醒派が世界を支配できるよう地域で努力してみるつもり。Googleの社内ベンチャーとして開発されたこのゲーム「Ingress」は世界的に流行しているらしいので。

トイレの水漏れ (4月8日・水)


事務所のトイレが壊れた。確か土曜日だったと思うのだが便器の奥の床が濡れているのに気づいた。水が漏れている場所が分からず強い雨が降っていた日だったので雨漏りかと疑った。でもトイレの壁は外壁に面していないし濡れているのは床だけ。怪しいのはやっぱり便器だ。

月曜になると便器に沿って前面まで床が濡れてきた。排水が上手くいっていないのかと恐ろしい事態も考えたが夜になるとタンクから水が漏れているのを見つけた。土曜や日曜には分からなかったが月曜はタンクの端からボタボタと落ちている。状況が悪くなっている。

月曜夜は隣の自宅のトイレを使い昨日になって妻が大家である役場に電話した。見に来てくれたのはこの住宅の建設を担当した第三セクターのK氏。事務所の上に住む住民でもある。午後すぐに見てもらったところ2重になっているタンクの内側に収まるべき水が外側に溢れているらしい。

K氏が疑ったのは手洗い用の水を出す部分のパッキンが劣化して内タンクの外側に水が出ているのではないかというもの。理屈は通る。10年以上経つということで新しいタンクを役場経由で注文してくれた。今のところ応急的に治っているので自宅に行かずに済んでいるが。

「恋するフォーチュンクッキー」とICレコーダー (4月6日・月)


土曜にダウンロードした「恋のフォーチュンクッキー」を聞き込んでいる。昨夜はAKB48公式サイトの動画を何度も再生して見た。本番では一部フリ付きで歌わなければならない。団長はフリを覚えるために既に歌詞を覚えたらしい。私も早く覚えようと努力しているわけだ。

歌詞をよく知らない頃からノリのいい曲だと思っていたし実は嫌いではなかった。改めて歌詞を知ると凄くいい。「あなたのことが好きなのに/私にまるで興味ない/何度目かの失恋の準備」で始まるが歌詞は前向きだ。深く味わうと泣けそうになるほどいい歌だと思う。

「恋のフォーチュンクッキー」はPCのiTunesで再生させて聴いているが練習で録音した音はICレコーダーに録音して車の中で何度も聞き込み覚えるようにしている。ところがそのICレコーダーの調子が悪い。東京にいた頃に「響」の練習に参加して東京で自主練習するために買ったもの。

このICレコーダーは本体と単4電池を格納するバッテリ部に分離できる。分離すると本体側にUSB端子があってPCに接続できる。そのジョイント部分が甘くなってしまった。原因は何度も落としたから。すぐに分離しようとしてしまう。今のところは何とか使えているが次の落としたら壊れそう。

「響」の練習 (4月5日・日)


「響」の定演まで1ヶ月を切った。変則的な練習日程が続いている。金曜は先週に続き19時から練習があった。ところが出席したのはトップのE氏と私と指揮者だけ。たった3人。こんなことで大丈夫なはずがない。でもE氏と私は微妙な音程を徹底的に修正させられた。

土曜は自主練習だ。歌詞が長くて覚えられない「恋するフォーチュンクッキー」とリズムが変則的な「アナと雪の女王」ともう1曲をiTunesで購入してダウンロード。それをwma形式にDigiOnSound6で変換してICレコーダーにコピー。これを繰り返し聞き込んで歌詞を覚えようとしている。

そして今日は先週に続き15時から。今日も最初は女性との合同練習で私が着いたときには駐車場が満杯。仕方なく近くのコインパーキングに駐めた。さて混声曲は音程もリズムも優しいが歌詞がラテン語。さほど難しい歌詞でもないが今日はICレコーダーに録音した。これも聞き込もうと思う。

続いて1ステの組曲の練習など。人数が揃っていればアラも目立たない。5曲中4曲は歌えるようにはなったと思う。そして「アナと雪の女王」などの2ステの練習は動きが入ったりするのに音もリズムも歌詞も全くダメ。自主練習をするしかない状況。それにしても5時間弱の練習でクタクタ。

那賀町から日和佐ドライブ (4月4日・土)


先週に続いて今日も昼に外出。2週続けてモスバーガーも芸がないので半年ぐらい行っていなかった「こはくの天使」へ。そこから先週は満開でなかった鷲敷に桜を見に行った。通常なら日亜化学の東を通って桑野から195号線に乗るのだが今日は気分で旧55号そのままを南下。

ずっと旧55号を走りバイパスを数百メートルだけ走って195号の始点から乗った。昔はよく走った道なのだが記憶が曖昧。すぐに桑野を通過して今回は相生のもみじ川温泉まで一気に行った。鷲敷と相生の桜は満開をちょっと過ぎたところだろうか。

そう言えば人気ラーメン店ができているというので探したのだが分からなかった。ナビで検索すると那賀町役場の近くとか。いつの間にか通り過ぎていた。ラーメンを食べたかったわけではないので少し戻って日和佐に抜ける峠道へ。ここは2車線に整備されていて気持ちいいワインディングだ。

日和佐からは旧55号を北上して今度は桑野から再び195号に乗り西進。2時間ほど前に通った同じ道。阿南の阿瀬比を右折して県道を北上したがここは相変わらず狭い。十八女(さかり)大橋あたりを超えて北は整備されていたが。持井経由で帰宅。ナビに頼りきりで昔の感覚が戻らない。

『ケインとアベル』 (4月2日・木)


ジェフリー・アーチャー『ケインとアベル(上・下)』(新潮文庫)を読み終えた。1990年代と2008年に読んでいるから3回目だ。寝る前に30分ずつぐらい読んでいたが後半はつい1時間に延びることもあった。前回は読み終えたときに号泣したと書いてあるが今回は少し涙が出ただけだった。

同じ1906年生まれのウィリアム・ケインとアベル・ロスノフスキが誕生する前から死後数ヶ月までの物語だが上巻ではボストンの銀行頭取の息子として生まれるケインよりポーランドで産み落とされたばかりのところを猟師に拾われたアベルの人生に惹きつけられる。

幽閉された領主の居城の地下牢でロスノフスキ男爵から銀の腕輪を授けられるところに始まりロシア軍に拉致されたシベリアから逃げ出しトルコに逃れ英国大使館に保護されるあたりは一気に読まされる。一方で下巻になると親友の死や銀行頭取への駆け引きなどケインの物語が面白くなる。

改めて確認すると物語の終わりは1967年だ。架空の物語なのにニクソンやケネディといった実在の人物も登場するからリアリティがある。さて続編にあたる『ロスノフスキ家の娘』を7年前と同じように読もうかどうしようか考えているところ。まだ物語を覚えているし上下巻で長いし。

消防点検と車の話 (4月1日・水)


1日は消防点検の日なのである。我が消防分団では1日と15日の2組に分かれて域内3カ所にある消防ポンプの点検に出向く。2サイクルエンジンを始動させて5分ほど回してバッテリを充電させる。あわせてガソリンやオイルの量をチェックし必要であれば補充する。

基本的に来られる人だけが参加するので人数は多くない。今日は集合時間の18時に行ったら分団長と2人だけ。しばらく待って役場のY課長と前分団長のT氏が来て今日付で入団したN君を待って5人で点検に出かけた。私はT氏と中央のポンプ点検をして買い出し。

T氏も私も料理ができない。結局餃子と豆腐とキムチと焼き鳥を買って料理ができない2人で準備をして。新人N君とはソフトボール大会のときに顔を合わせているから知っていたが改めて彼の勤務先のN亜化学の話を聞いたり皆で車の話をしたり。

遅れて前分団長のご子息で今年入団したT君も参加。さらに遅れて近所のS氏。軽トラを買うならこれがいいと思っていたリクライニングシートのダイハツの新車に乗ってきていた分団長の車をチェックしたり。ホンダの軽スポーツS660もいいが軽トラも捨てがたいと思っているところ。

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© 2015 Takashi INAGAKI