<Diary Index Page>

2022年1月

徳島税務署と月末業務 (1月31日・月)


昨年は1月20日に行ったが7日に作成していた支払調書の5万円以上分と合計表を印刷して徳島税務署。合計表は昨年分の控えを見ながら昨日確認。この手続きに税理士は関わっていないのだが税理士名が勝手に入る。一旦削除したが印刷の有無を別に設定できることが分かってやり直したり。

いつも駐車場が満杯で空きが出るまで何周もすることがあるのだが今日は市役所側道路に面したスペースが2台分空いていて駐めた。軽専用と書かれているが仕方がない。受付で待っていると前の人が遺産相続のパンフレットが欲しいと言っているのだが要領を得ず係の人が苦労している。

税務署に行くといつも同じような光景を見る。私にしても税務のことはよく分からないが歳を取ってくると相手の言っている内容が全く理解できなくなるのかも知れないと私の将来のことも考えてしまう。経理の仕事は早々に引退して税務署と関わらない人生を送りたいと思うのだが。

今日は31日なので銀行も回って月末の記帳。帰宅してからは怒濤の月末経理業務。銀行の通帳から弥生会計に転記して売掛金の請求書をファイルし直し外注先の支払通知書を作成して印刷して封筒の宛名書き。源泉徴収税の納付書も作成したので明日か明後日には郵便局へ。今日は仕事をした感じ。

大学の卒業論文データ (1月30日・日)


本棚に大学の卒業論文を綴じたバインダーがある。「非線形LC回路におけるソリトンの伝搬」という。今さら読んでもさっぱり分からないほど難しくて我ながらよくこんなものを書いたものだと感心する。そうした単なるノスタルジーなのだがデジタル化して残しておきたいと考えている。

と過去に卒業論文のことを書いたはずだと検索するとデジタル化について同じことを7年前にも書いていた。J社時代の一太郎ファイルは当時を思い出す上で意外に役立っているし今でも読めることは分かった。ただフロッピーディスクからコピーしたそのMOに大学時代のデータを入れたかどうか。

オリジナルデータのフロッピーディスクは実家2Fの小さな書棚に箱に入れて置いたまま。ただし5インチ。検索すると変換サービスは存在する。でも約3,500円から高いところは8,000円もする。それなら印刷された40ページの紙をスキャンした方がいいか。いやデータはあるのにと堂々巡り。

ただ34年前のフロッピーディスクが読めるかどうかという問題もある。J社時代のファイルの中に卒業論文の目次ページだけはあった。入社して階層構造の目次を作成してみたのだろうか。ついでになぜ本文もコピーしなかったのか。今になって当時の私の行動に不信感を持っている。

サーキュレーター (1月29日・土)


サーキュレーターを買い換えた。これまでのものは2006年8月に買ったハネウェルHFT-114という機種なのだが電源を入れても動作しないことがたまに起こるようになった。羽根が少し回転しようとするがすぐ止まる。時間を置いて電源を入れると動作する。記録を辿るとアマゾンで2,540円だった。

今になって知ったが4.5~6畳用だ。東京時代のリビングは14畳ほどながらエアコンがなかった義母と私の部屋に冷気を送るためで用はなしていたが今は30畳のワンルーム。ここでは力不足だったかも知れない。それと家電Watchにも書かれているが結構うるさい。強にするとテレビの音が聞こえない。

新しく買ったのはアイリスオーヤマの18畳用KCF-SCC151Tという機種。ヨドバシで5,750円。18畳用の中では一番安いから選んだがアマゾンにはなく2020年4月発売だからモデル末期の機種かも知れない。必要ないのだがリモコン付き。左右に加え上下にも自動で首を振る。

今日届いて早速使っている。仰角もリモコンを使い手動で調整できないのは不便だが慣れるだろう。風力は5段階あって最強だと5m離れても風を感じる。風力3で旧機種の最強と同等か。音はするが旧機種に比べて断然静か。15年経って新機種の威力を実感している。古い方は夏の扇風機として使おう。

新型コロナウィルス感染者 (1月28日・金)


新型コロナウィルスの変異型オミクロン株による感染は今年に入って爆発している。徳島県は数日前まで都道府県の中で唯一2桁だと言っていたのに最近数日は過去最高人数を更新し続け今日は160人だとか。上勝町内の感染者は昨年まで3人だったが今週だけで既に4人。この4人が誰だかは知らない。

ツイッターでも感染したという報告が頻繁に流れてくるようになってきた。そして直接知っている知人も感染。「響」の元団員で北九州で薬剤師をしながらアコーディオン奏者として活動しているW辺君だ。小学2年の三男君が感染したと言っていたが今日になって自分も罹ったと報告している

オミクロン株はデルタ株に比べて重症化する比率が少ないようだがアルファ株やベータ株と同等程度という説がある。重症化しにくのはワクチン接種が進んだからだという人もいるしNHKによると昨日の死亡者は全国で47人。重傷者は537人。この数の捉え方で意見は分かれるのだとは思う。

先日の咽頭炎では水を飲むのも辛かった。ツイッターには同じように水も飲めず点滴を受けているという人の話もある。あんな思いはしたくない。後遺症で1年苦しんでいる人もいるらしい。後遺症は脳に悪影響を及ぼすという説も。それで家に籠もっておこうと今日は飴やチョコを買い込んできた。

Kyashの解約 (1月27日・木)


検索すると2018年10月から使っていたプレイペイド式クレジットカードのKyashを今日解約した。当初はヨドバシGOLDポイントカードに紐付けて自動入金されるようにしていて後にアマゾンカードに変更。紐付け先のカードとKyashの双方でポイントが付くので一時はメインカードにしていた。

消費税が10%になったときのポイント還元もあったし非接触型カードになったときも申し込んだ。マイナポイントが付与される対象カードにも指定したのが1年半前。でもその後ポイント還元率が下がり使い続けてうま味がなくなっていた。ツイッターでも落胆のコメントが多数あったのを覚えている。

最後に使ったのが昨年5月。紐付けたクレジットカードからの入金とポイント分を使い切り残金0のままだった。そして今日気づいたのだがKyashアプリに赤いメッセージマークが付いている。何かと思えば残金0だから次にやることとして入金を促すものだった。入金しない限り赤いマークは消えない。

昨年10月iPhone SEでカードアプリをフォルダにまとめた。だから赤いマークはフォルダに付く。何かと思えばKyash。カードのフォルダに常に赤いマークがあるのは鬱陶しい。理由はそれだけ。でも使っていないからもういいかなと。財布の中からカードもなくなったので少しスッキリもした。

インプレッサWRXの助手席ドア (1月26日・水)


私がスバル車に惹かれるのは初代インプレッサWRXに乗っていたからだと思う。私は東京で売ったがツイッターを見ると今も乗っている人が大勢いる。19歳という人も見かけたがどれも美しく大事に乗っていることが分かる。1998年式の特別仕様車は3,300万円で売っているというニュースも見た。

売却した2002年6月の日記に左ドア下ステップ破損と書いているが壊したのは1998年のことだ。川内の11号バイパスと並行して走る裏道を北に向かっていて前からバスが来て左に寄り前走車に付きすぎて路面が見えず塀に近づかないよう民家前の路肩に置いてあった大きな石に乗り上げたのだ。

左前輪から乗り上げそのまま左前ドア下の黒いウレタン部品を折って落としてそのまま。その後3月に異動して徳島を離れていた元日経新聞徳島支局長K谷氏が徳島県内の全駅乗降でやり残したと言い夏だけ開設される田井ノ浜駅に迎えに行ったときになって気づいたのだが左ドアが開きにくかった。

ドア下が凹んで食い込んだか助手席から蹴って開けたような気がする。K谷氏を乗せて阿南の大菩薩峠の2F駐車場で強引に開け閉めして何とか普通に使えるようにした。その後は東京から帰省するときなど普通に乗っていたが私は大事にしていたとは思えない扱いだったと今になって反省している。

住信SBIネット銀行への入金とWRX S4本 (1月25日・火)


会社の振込業務はすっかり住信SBIネット銀行に移行しているのだが入金を受けるのは三菱UFJ銀行が多いため預金額が足りなくなる。計画的に現金を三菱UFJ銀行やゆうちょ銀行から住信SBIネット銀行に移動させなくてはならない。そんなわけで昨日も三菱UFJ銀行で100万円を引き出した。

住信SBIネット銀行への入金はザ・コーヒービーンズに行くから鳴門郵便局のATMから行おうと思っていた。ところが鳴門郵便局前はポールが立てられ駐車できないようになっている。しかも駐車場が分からない。帰りにも寄ろうとしたが案内を見つけることができず諦めて昨日は帰宅。

早く預けてしまいたいので今日地元の郵便局から入金した。ATM利用手数料110円を引かれるが振込のたびに徳島駅前の三菱UFJ銀行まで行くガソリン代を考えれば少しばかりのコスト削減になると思う。さて今日は9時から電話で原稿の打ち合わせをしたのでいつもより早い8時に起きて眠い。

昨日スバル論田店で「ニューモデル速報 第615弾 新型 WRX S4 のすべて (モーターファン別冊)」を斜め読みしたのだがこれは保存版だと昨夜アマゾンで注文。早速今日届いたので改めてじっくり読んだ。すっかりWRX S4を買う気になってボディ色をどうするかというのが目下の悩みなのである。

フォレスターのバッテリー交換と表示設定 (1月24日・月)


フィットからブースターケーブルで電力を受けフォレスターのエンジン始動。今日はメーター回りに警告灯が点きっぱなしだが構わずスバル論田店に15時前。WRX S4特集号のモーターファン別冊を見ながら待機。途中バッテリー交換に2.7万円と聞いたがSUBARUカードで5%引きの24,871円だった。

2月の6ヶ月点検とオイル交換の予約もして40分ほどでスバルを出たが今までメーター中央に運転時間が表示されていたのに何もない。三菱UFJ銀行に着くと今度はバックモニターが表示されないことに気づいた。ダメじゃん。帰りに再度スバルに寄ろうと思いつつコーヒー豆を買うため鳴門へ。

途中ふとナビの設定の問題ではないかと思い付いて信号待ちで確認するとバックモニターが復活した。バッテリーが切れて設定がリセットされたらしい。一方メーター中央は当初速度がデジタル表示されていたのに1ヶ月ほどで運転時間に変わってしまい放置していたのだった。何か設定できるはず。

ザ・コーヒービーンズ前に駐めたままマニュアルを確認するとハンドル左下のボタンで操作すると分かった。そこにボタンがあることは分かっていたがこの機能は6年目にして初めて知った。帰りは勝浦のローソンが閉まっていてファミリーマートでのど飴を3種類買って18時過ぎに帰宅。

ビール解禁と体重57kg (1月23日・日)


安静時心拍数が一時59で結局60だったが十分に下がったと思ったので昨日はスーパードライ350mLと日本酒を飲んだ。熱が出たのが9日だから13日ぶりだ。でも苦い。ビールが苦いのは当然だが日本酒まで苦く感じる。飲み始めも遅く普段の半量ほどだったが今日の安静時心拍数は一時59のち60。

深夜に咳き込むのは相変わらずでそれでも寝続けられるほどにはなったのだが日中も咳が出る。飲むのは早かったかも知れない。日本酒を苦いと感じるとは予想外で回復にはまだ少し時間が掛かるかも知れない。そういうわけで今日はとりあえず再び禁酒。その分チョコレートを200kCal分。

さて禁酒を続けたからか咽頭炎で心拍数が高止まりしていたからか体重が一段また減った。昨年10月に58kgを割ったと書いてあるが10月3日から週平均で58kgを上回ることがなくなっていた。今年1月2日からの週は出初めで飲み過ぎたこともあって58.4kgだったが10月以来それ以外全て58kg以下。

それが先週金曜に56.6kg。おそらく過去30年の最低体重を更新したはずで先週平均が57.1kg。今日は56.8kg。大学卒業間際の失恋で54kgまで減ったことはあるが学生時代にだいたい57kgだったから当時のレベルに戻った。下半身の筋肉が落ちて腹回りの脂肪は増えて体型は当時とは違うのだが。

フォレスターのバッテリー (1月22日・土)


バッテリーが上がってしまったフォレスターだが14時半頃に物理キーでドアを開けボンネットをオープン。フィットのボンネットも開けてブースターケーブルを繋いだ。今まではフォレスターからフィットに電力を供給するばかりだったのに今日は逆向きである。

フィットのエンジンを掛けてからフォレスターのスイッチを押すと普通に掛かる。合間にレーダー探知機のアップデートが始まったり。特に出掛ける用もないので駐車場でアイドリングだけ。アクセルを踏んで回転数を上げて15分ほど掛けっぱなしにしてみた。

でも再始動させようとしてもメーター類のライトは点くもののエンジンは掛からない。これは交換するしかなさそうな。さてブースターケーブルはフォレスターに載せておこうとしたのだが後部ドアが開かない。助手席ドアも同様。物理キーで開けると全体の解錠はされないらしい。

スバル論田店に電話をすると新しい担当営業は商談中というから折り返しの連絡を頼んだのになしのつぶて。照ノ富士の取り組み前にこちらから再度電話をして一言文句を言って日時の調整。当初は明日の提案を受けたのだが雨だから敬遠して月曜に持ち込むことにした。

フォレスターのバッテリー上がり (1月21日・金)


妻が歯医者に行って戻りが遅いというので18時前に夕食に出掛けることにした。まずは暖機運転とフォレスターのエンジンを掛けようとしたがドアノブに触れても解錠されない。リモコンキーのバッテリーが切れたかと予備のものを持ち出したが同様だ。これは車本体の問題と見える。

リモコンキーのカバーを外し物理キーを取り出した。最初はどうやって取り出すのか分からず戸惑ったが裏の金属を押せばいい。ともかく細長いキーを持ってドアの鍵穴に差し込んだ。最初はうまく回らず何度か試して何とか解錠。リモコンで解錠できなかったぐらいだからエンジンは掛からない。

マップランプを点けっぱなしだったかと押してみるとぼんやりと明かりが点く。左右とも同様。点けっぱなしではなかったがバッテリー上がりには違いない。前はいつ乗ったかと思い出すと先週土曜の買い物。その前は金曜に診療所に行ったとき。どちらも日中だからライトを点けたわけではない。

でもシートヒーターを使った。ともかくブースターケーブルはフィットに載せているから明日日中に繋いでみる。フィットでは何度も経験があって2度も3度もバッテリーを換えているがフォレスターでは初めて。5年4ヶ月経っているのでそろそろ交換か。タイヤの買い換えも必要だし物入りの6年目。

発熱その後 (1月20日・木)


先週の発熱のその後をまとめておく。金曜に診療所に行ったが土曜は早朝から起きだした。日曜は細切れながら一定時間は寝られたその夜つまり月曜は0時半頃に布団に入った。1時半頃に寝入ったところで咳き込んで目が覚める。しばらく咳が続いて排出し切れない痰があるようで寝られず。

結局4時頃に入眠。そこから12時前までぐっすり。Fitbitによる睡眠時間は7時間51分。レム睡眠2時間11分と深い睡眠が2時間3分。この数値は快眠だったときでも1時間30分ほどなのでともに2時間を越えたのは初めてだと思う。日曜に71だった安静時心拍数は68まで低下。

月曜夜つまり火曜は2時頃から1時間半ほど眠れたが咳で目が覚め次は4時過ぎから睡眠。途中何度か咳は出たがそのまま寝続けることができた。ただし睡眠スコアは低いし眠い状態で起床。水曜も木曜も状況は同じ。1時間半で目覚めて咳き込み4時ぐらいから寝るものの合間で咳が出るというパターン。

ただ水曜の睡眠スコアは80で安静時心拍数は水曜に66まで低下し木曜には昨年10月14日以来の63。薬は1つが5日分だったから火曜夜で切れもう2種類は7日分で今日が最後。熱は土曜から下がっているし喉の痛みも火曜ぐらいには消えた。あとは咳だけ。本調子までもう少しということころ。

ボケ (1月19日・水)


母にボケたと言って喧嘩になるのだが私も人のことは言えない。ボケた行動をやらかすことが増えた。年末は実家に家の鍵を持たずに行っていたのも一例だ。外出するとき鍵は必ず携行するからとキーホルダーには運転免許証も入れていたのに。免許不携帯で運転していたと後から気づいた。

FacebookではJ社の同僚たちがいかに自分がボケたかぼやき合っている。横浜にいる同期のT田嬢はホテルに泊まったときカードキーを持たずに廊下に出て反省したのに同じことを繰り返したとか部下だったN藤嬢は郵便物を出し忘れないよう手に持っていたのにそのまま駅に着いてしまったとか。

今日は先日作った支払調書を郵便局に持って行った。個人番号用に返信封筒を入れ切手を貼った封筒とは別に支払調書だけのものが10通。切手の在庫がなかったから貼らずに持ち込んだ。ついでに記念切手2シートを購入。応対してくれたA嬢が10通の封筒にも記念切手を貼っておいてくれると言う。

計3シート分2,520円を支払い領収書を受け取りA嬢にお礼を言って記帳をしておこうとATMへ。とA嬢が慌てて追いかけて来た。切手シート2枚を受け取らないままだった。もし忘れて帰ってもA嬢はすぐ連絡をくれただろうが買った商品を持たずに出たことに苦笑い。母のことを笑えない。気を付ける。

NHK「ストーリーズ」で浮川夫妻 (1月18日・火)


NHK「ストーリーズ」という番組でJ社創業者の浮川夫妻が紹介されるというので録画して昨夜観た。現在MetaMoJiの専務取締役である浮川初子さんがFacebookで告知していて知ったのだが「へんかんふうふ」と題されていた。2人が愛媛大学で知り合ったところの話から現在の手書き入力まで。

J社で広報だった私には前半は記憶をなぞるだけだったが引っ掛かる表現もあった。例えばコンピュータのかな漢字変換システムを日本で初めて開発したのはJ社ではなくワープロ専用機で採用した東芝である。PC用としてであればアスキーから発売されたJ社のKTISが最初だったかも知れないが。

ただ番組でも取り上げられていたスペースキーを変換キーとして割り当てた浮川社長のアイデアは評価されるべきだと思う。KTISから続くATOKの精度向上ももっと評価されていいと思う。番組としては暗いスタジオで2人がライトを浴びて阿波踊りを踊るシーンはシュールで気持ち悪かった。

エンドロールで取材協力にマイクロソフト日本法人の初代社長である古川享氏の名前があったのが意外だった。古川氏の著書を参考にしたのだろうか。社長も専務もお歳を取ったが声としゃべり方は昔のままだった。19日17:00からのBS1と21日24:50から総合テレビで再放送があるらしい。

電気あんかと湯たんぽ (1月17日・月)


今回ヨドバシで調べるまで電気あんかという名前も存在も忘れていた。でも確かに実家にあった。今回買ったものは表面は茶色だが実家にあったものはえんじ色だったと思う。今は仏壇を置いて半分が犬の寝室になってしまった6畳の和室で父母と一緒に寝ていた頃のことだ。

私が幼稚園のとき2Fを建て増して遅くとも小学3年のときには2Fの自室で寝ていたからそれより以前。6歳下の弟が生まれる前後とすれば50年以上前のことになる。実家にあったあんかは1個だけだったはずで寝る前にそれぞれの布団の足元を暖めていたのかも知れない。

同じ頃には湯たんぽを使っていた記憶もある。でもお湯を入れるところを見た記憶は残っていない。熱湯を入れると熱すぎるはずだから布製のカバーがあってもよさそうだが私の記憶は銀色の裸のままの湯たんぽしかない。私を含めて3人で電気あんかと分け合っていたのだろうか。

そのうち電気毛布を使い始めた記憶もある。足元だけに敷く小さいものだったような気もするが布団サイズのものもあったような。電気あんかの記憶が一番強いのは湯たんぽしかなかったのに新しく買って物珍しがったからかも知れない。想像でしかないのだが。何せ懐かしいと思った電気あんか。

細切れの睡眠と電気あんか (1月16日・日)


昨夜寝室に行ったのは夕食からまだ1時間だったのでベッドに座って読書。21時頃に横になって1時間半ほど眠った。起きると激しい咳。これが怖くて寝られず早朝から起き出したのだが悪いものを排出しているのだと解釈。ツイッターを見ると日中トンガでの大噴火の影響で津波警報が出ている。

何度もツイッターを見て次に寝たのが結局4時前。1時間ぐらい眠って目覚めると激しい咳。構わず横になって入眠。それを繰り返し12時まで寝た。Fitbitによると6時間半。睡眠スコアは悪いが安静時心拍数は73から71に下がった。喉の痛みは快方に向かっているので明日はもっと下がると期待。

さて寝るとき足が冷たいと書いた。何かいい対策はないかと調べて電気あんかを見つけた。私がまだ幼稚園児の頃に実家にあった。同じ断面が三角になった形状のものを購入。ヨドバシで2,080円。それが土曜に届いた。本体に電源スイッチはなく強中弱の3段階の調節つまみがあるだけだ。

足を直接付けていると低温火傷になると言うので横に置いたが暖かさは今ひとつ。布団が暖まると逆に冷たい領域に足を置きたいときもある。横に置くと蹴飛ばして落としそうなので布団に入る前に温めておいて寝るときには外すのがいいのだろう。しばらく使い方を試行錯誤してみよう。

ほぼ徹夜2日目 (1月15日・土)


昨日は上勝町診療所で処方された薬3種を夕食後に飲んで23時過ぎに寝ようとした。ところが痰の排出を助けるという薬のせいか仰向けでは息をするたび気道あたりからイビキのような振動音がする。横を向くと収まるが痰が流れないのか咳をしたくなる。そんなことを繰り返し。

何度か入眠しそうになったが痰を出さないと眠れないという錯覚を覚えるようになった。隣の部屋で寝ている妻にも迷惑だ。一生このまま眠ることができない妄想が起き始め諦めて思い切って5時半前に事務所に来た。そもそも喉が痛いのである。少しマシになったから薬が明日には効くといいのだが。

早朝の事務所ソファで何度か横になってもみたが入眠しかけたところで目が覚める。それでも10時頃からは数分程度ウトウトすること数度。でもFitbitは認識してくれず2日連続の徹夜扱い。この程度の睡眠でも平気でいられるのは今の体調だからだろうか。元気なときなら徹夜1日でもきついと思う。

午後は買い物。みかんを買ってコーヒー豆は鳴門まで行く気力がなくやまなみ珈琲で400g。ついでに日本酒1本とゆずのど飴とローソンで龍角散のどすっきり飴も。今さらのど飴を舐めたところでどうにもならないのは分かっているが。今夜は眠れることを期待して20時にベッドへ。さてどうなるか。

上勝町診療所 (1月14日・金)


昨日は夕食後も横になっていた。23時に37.2度。咳が出るし痰も絡む。5時半を回って寝そうになっても咳で起きる。6時半から8時頃に断続的に寝た気はするがFitbitは記録してくれず徹夜扱いだ。最低心拍数は74。安静時心拍数は73のまま。寝られないので堪らず診療所に行って来た。朝は37.2度。

昨夜広報誌を見ると11時から12時が発熱外来と。事前の電話が必要というので9時過ぎに架けた。車に10cm近く積もった昨日の雪を払い落とし道路状況も心配だからフォレスターで早めに出たら17分も前に到着。3分前に電話をすると折り返し看護師さんから問診の電話。Y山氏の奥さんだ。

次に発熱外来と書かれた小屋に入るようにと電話。医者が防護ガウンを着て出てきた。綿棒を鼻に突っ込まれてパルスオキシメーターも。結果はインターホンから。新型コロナウィルスと季節性インフルエンザの抗原検査で陰性と。さらに喉の奥を見られて薬を届けるから車で待機するようにと。

ところが25分待っても薬は来ない。調剤薬局まで行って問うと順番だから今からやると答える。そのうち役場の前消防主任K保氏から声を掛けられ保険証を薬局に出して支払いも済ませた。K保氏は昨年7月から診療所常勤なんだとか。それでワクチン接種のときにいたのか。薬は夕食後に3種。

世田谷下田総合病院と引っ越し先探し (1月13日・木)


布団の中で足が冷たいので昨日は靴下を履いてみた。ヨレヨレだけど生地は厚いヤツ。素足よりは良い。昨夜はシャワーも浴びた。3時頃に眠ったがFitbitによるとレム睡眠が9分だけ。安静時心拍数も過去最高の73に上昇。鼻水は減ったが咳が出て眠れない。今日は午後も布団の中で。18時に37.1度。

このしんどさは穴吹合宿の日のほか18年前にもあった。東京の千歳烏山に住んでいたとき世田谷下田総合病院に行ったときだ。未だ手元にある診察券によると南烏山4丁目だが調べてみると2020年に名称を世田谷北部病院に変更して南烏山2丁目に移転している。

18年前に体調が悪くなった瞬間のことは覚えている。引っ越し先を探して東京田園都市線の池尻大橋から自衛隊三宿駐屯地のある高台の低層マンションの確か1Fの部屋を見た帰り。駅の入口で悪寒がした。その日は最高気温が5度。あれ以来最高気温5度や6度の日は厚着して警戒するようになった。

でも当日の日記によると夜は飲みに行っている。1日違いで入居を逃したと書いてあるのは駒沢大学駅の南徒歩1分だ。裏がスーパーで駒沢公園も近くにあって便利だと思ったのだった。結局引っ越したのは駒沢大学駅から逆に歩いた3LDK。読んでいるうちに懐かしくなった。

子どもの頃の病院 (1月12日・水)


昨日も10分ほどウトウトしたのに咳に鼻水が加わって結局4時間悶々とした後に寝た。でも細切れに目が覚め睡眠は正味6時間ほど。目が覚めるとiPhoneでツイッターなどを見るのも悪い。PCを使うのも目が疲れる。今日は声が出にくくかすれている。でも熱は昨日23時で36.3度。今日15時で36.5度。

さて大人になって風邪の症状で病院にはあまり行かなくなった。寝ていれば直ると経験則ができたからだと思っていたが風邪は小児にとってはリスクが高めの疾患というツイートを読んだ。子どもの頃は母の自転車の後ろに乗って電電公社の前にあった元木医院に連れて行かれたことを覚えている。

鳴門にダイエーやジャストができるまで中心街で唯一のスーパーだった主婦の店の前でもある。8年前に甥1が実家で熱を出して弟が連れて行き医師に自分も昔よく来たと言ったらしい。でも私が行くのは熱があって怠いときばかりだったはずで先生のことも待合室も記憶はほとんどない。

中学の頃から行ったのは撫養街道沿いの西條内科。たいてい1人自転車で行く。当時は2年に1回ほど胃腸炎になっていたので何度か点滴を受けた。当時の先生の声がボソボソと聞き取れず常に看護婦さんの通訳で会話をした。私の名前を見て父を知っていると言うベテランの看護婦さんもいた記憶。

流しの排水パイプ詰まり (1月11日・火)


昨夜も早々に寝ようとしたが結局4時頃まで起きていた。熱は下がったが咳が出る。最低心拍数は64まで下がったが安静時心拍数は一時72のち71。最低心拍数が下がっても上昇するのは過去数日間のデータを元に計算しているのだろう。昼まで寝ていたが睡眠スコアは悪いし目が疲れて調子が出ない。

さて普段は食事の後の洗い物は私が担当している。熱は下がって普通に生活しているが昨日から今日の昼食までは妻が洗い物もやってくれた。と排水パイプが詰まったと言う。水の流れが最近悪かったが排水口のネットが詰まっているだけだと思っていたがパイプ本体に原因があるようだ。

10分に1mm程度しか流れなくなって妻が大家である役場建設課に電話をして専門業者に取り次いでもらい。津田海岸町から来た業者はいかにも職人さんという60歳代の方。作業を覗くと流し直下のパイプを外して清掃して床下へは先にプロペラのようなものが付いたワイヤを挿入して汚れを落とす。

往復2時間の出張費込で14,300円。13年も住んでいれば問題も起こる。洗面所も心配になって溶剤を使い30分経って水で流したのだが夜に使うと詰まった。様子を見ていると台所からもボコッと音がして一気に流れた。もっと奥で一旦詰まったのかも知れない。さらに溶剤を使ったからもう大丈夫か。

発熱その後 (1月10日・月・祝)


昨夜寝る前と今日の昼食前に葛根湯を飲んだ。昨夜は0時過ぎに布団に入ったが熱があって寝られるわけがない。足が冷たい。そう言えば最近明け方に寒いと思うことがあったが布団の上に例年掛けていた毛布がなかった。昨夜になって毛布を掛けると冷たかった足も温まり4時頃にウトウトしたと思う。

でも安静時心拍数は68から72に跳ね上がった。最低心拍数が76もある。熱があって私の心臓も身体のために戦っているのだろう。昼まで何度も目覚めながら布団の中にいたら最低心拍数は72さらに68まで下がった。安静時心拍数も71から最後は70。起き出して昼食前に熱を測ると36.7度。

昨年も書いているのだが15年前に穴吹の合宿で熱が出て夜は水ばかり飲んだ記憶が未だある。多分2Lぐらいのペットボトルを買っていて夕方からずっと飲んでいた。皆が寝た後もチビチビと飲んで頻繁にトイレにいったから同室の方には迷惑を掛けたと思う。

昨夜も白湯を飲んだ。一昨年8月の痛風疑惑から毎日2Lの水を飲むよう意識して500mLのボトルも買っていて昨日も今日も2.5L。夕食前に三度葛根湯。夕食は豚キムチ鍋で暖まった。喉はまだ痛いがマシになったし咳はあまり出なかった。もちろん昨日も今日もビールはなし。24時に36.5度。

発熱と喉の痛み (1月9日・日)


熱が出て喉が痛い。とうとう新型コロナウィルスに感染したか。11月下旬に見つかったオミクロン変異株は全世界で感染者を急増させていて日本でも年が明けてから東京では前週比15倍とか言っている。徳島でも1日に51日ぶりの感染者が出てオミクロン株だったそうで最近は毎日7人とか8人とか。

オミクロン株は今までの変異株に比べ感染しやすい一方で重症化する比率は低いとか。熱と喉の痛みが特徴と聞くからまさに該当しているような気はする。もし私が感染したとすれば年末に帰省した鳴門の実家だろう。あるいは4日の出初め式か。ただし今のところ家族では私だけ。

昨日は2週間ぶりに腕立て伏せなどをしてお尻の筋トレも。夜シャワーを浴びたが自宅は寒く事務所に戻ると暑い。それで薄着でいた。と喉に異変を感じて慌ててシャツやら上着やらを着たのだがビールも日本酒もいつも通り飲んでいた。2時前に寝て未明5時頃に目が覚めたときが喉の痛みはピーク。

喉と言っても上顎の奥の扁桃腺あたりだと思う。熱は18時に37.9度。妻はほとんど会話はないが日中12時間以上同じ空間にいるのに何ともない様子。昨年1月も寒さから風邪を引いたから同じだろうと高をくくっているのだが明日も引き籠もって11日に熱があったら検査に行こう。24時に37.3度。

魔法陣で年末調整なしにする方法 (1月8日・土)


支払調書15通を2年前から使っている「魔法陣」というソフトで昨日作成して封筒も用意した。支払調書は外注先15人に郵送するが一部はコピーを税務署にも提出する。それは支払額が年間5万円以上だということを2年前の日記で確認してこれも用意した。個人9人と法人1で合計10枚。

ついでに私たち役員報酬の源泉徴収票も作成しようとした。住民税は年末調整による特別徴収で納めるのが原則だが2人以下の企業であれば確定申告による普通徴収で構わないという例外があるのも2年前の日記に書いたし改めて調べても変更はされていない様子。

ところが魔法陣で源泉徴収票を作ると別途EXCELで管理している源泉徴収税額と合わない。前も同じことを書いた。年末調整をしない設定にするとは分かったが魔法陣のどこで設定するのかが分からない。昨年のことをすっかり忘れている。いろんなタブを開いて探しても分からない。

探索に1時間以上かかった。正しくは左の帳票メニューから年末調整-源泉徴収簿等-個別入力の右画面で扶養控除等タブを開いて年調区分を甲欄から甲欄(年調なし)に変更する。これで数字が合った。来年も同じところで躓きそうなので自分への覚書として。

支払調書の郵送準備 (1月7日・金)


我が社では前月あった入金に対する外注費を15日に支払っている。以前は三菱UFJ銀行やみずほ銀行まで行ってATMから振り込んでいたが最近は住信SBIネット銀行を使うことが増えた。特に昨年秋に振込手数料が値下げされてからは住信SBIネット銀行が断然安くなった。

前月に10件以上の入金があるとその月の振込手数料は10件まで無料になるからさらに住信SBIネット銀行ばかり使うことになる。振込予約ができることも有利だ。外注先への支払額を確定させたら早々に15日付で予約しておく。外注先には振込額を郵送で告知する。その発送は10日に行っている。

今月もその業務を行うのだが新年であって昨年の支払調書の郵送も必要だ。振込通知書と同封できれば切手代84円が節約できると支払調書の郵送準備も今日一気に行った。マイナンバーの提供依頼も必要でこれが5件。それを含めて支払調書は15枚。つまり封筒の宛名書きも15件。

支払調書は1月前に作成していたから今日の仕事は宛名書きが中心だった。 1年前は19枚の支払調書を作成したと書いているから若干減った。対面の講演がほとんどできなかったのだから仕方がない。あとは合計表を印刷して支払調書の一部と一緒に税務署に持ち込めばいいだけのはず。

iPhoneのテザリング (1月6日・木)


今回帰省した実家ではiPhoneのテザリングに苦労した。その前に泊まったときできなかったので30日夜に再設定していた。でも当初PC側のWi-Fi一覧にiPhoneが表示されない。ふと表示されてパスワードを入れても使えないと言われる。何度も再起動しiPhoneを一旦削除したり。

一度接続できたときプロパティを確認すると通信制限の設定が0MBになっていた。先月22日に接続できても通信できなかったのはこのせいだ。これを1回200MBに変更した。でもすんなり接続できない。名前を変えてさらに何度もやり直して再起動を繰り返し30日は3時間がかりで接続できた。

だからと言って常に接続できるわけでもない。年末の鳴門もPCのWi-Fi接続先にiPhoneが出てこない。機内モードにして解除したり再起動を繰り返すうちに表示されてようやく接続できた。いつもは寝る直前にアップロードするのだがテザリングでいつ接続できるか分からないので早めにアップ。

1日も同じように苦労した。昨年9月にiPhoneの通信容量を使い切ったからPC側のWi-Fi接続を手動でするように変更したのが悪かったのかも知れない。改めて「常に接続」にチェックを入れた。接続についてはiPhone側で制御すればいいと考えを改めた。相変わらず次の接続は不安だが。

跳ね上がった心拍数と原稿執筆と融雪剤 (1月5日・水)


昨日8時間飲み続けて夜は0時頃には寝たのにFitbitによると最低心拍数が66。出初め式で寝不足の昨日67に跳ね上がった安静時心拍数は今日68になった。寝不足と飲酒が重なると心臓への負担が増えて白神のように突然死をするのだと思う。今日は飲酒量を少し控えたので明日は少し下がると思う。

さて3日に打ち合わせた原稿をA社K氏と担当O氏に送った。O氏からは資料が届いた。これを元に本来3日に打ち合わせをするはずだった資料だ。K氏とは改めて相談をしたいがメールを送っても返事がない。仕事始であちこち出歩いているのだろうがK氏ともO氏とも仕事のペースが合わない。

締切は1月初旬とあって時間はない。仕方がないから約3,000字の原稿を書き始めた。字数調整のために少し余計なことも盛り込みつつ2時間ほどで半分ほど。残りの内容は資料を元にすれば書けそうだ。打ち合わせもなしにメドが立った。我ながら仕事の早いことと自画自賛。

今夜から大雪という予報。徳島の山沿いで最大15cmの積雪だと言っている。それで駐車場から町道までのスロープに融雪剤の塩を撒いた。塩は2年ぐらい前に開けた袋の中で表面が固まっていたが奥から掻き出して。YahooやWetherNewsでの降雪量は大したことがないように見えるが予防措置だ。

消防出初め式 (1月4日・火)


今日は消防出初め式。前夜から妻が用意してくれていたお茶漬けと煮玉子を7時過ぎに食べて8時集合。予報は快晴なので下はパッチと上はヒートテックTシャツに普通のシャツとダウンのベスト。その上に制服を着て式典が始まる10時までは裏がアルミのジャンパーと着ていた。

いつも寒い出初め式としては薄着だ。でも来賓の書類や団員の帽子が飛ばされるほどの風がときどき吹いて薄着で来たことを後悔。ジャンパーを脱いで式典が始まり10:50頃から日が当たったが風が強くて寒かった。終わったのは11:15頃だったか。Y山機械部長運転消防車の後部座席に乗って移動。

福川グランドに着いて私は放水ホースを運びポンプに接続。機械班長なのでポンプ操作を行ったが放水が始まると他分団の水が強風に運ばれて飛んでくる。終わってみると制服は水でビショビショ。Y山機械部長は子の送迎で帰り前分団長K浦氏の運転で神社で参拝。公民館に戻って分団の出初め式。

濡れた制服を私服に替え13時に来たバンに乗って温泉に行き懇親会はK浦氏とT中副分団長の間。会場は奥のムーン。水筒を車内に忘れ後から届けてもらった。17時頃から詰め所に集まり2次会。本団T口副団長や仕事でいなかったY田君と徳島マラソンで欠席のN蔭君も来て21時まで。8時間飲み続けた。

消防車の洗車と原稿と年賀状 (1月3日・月)


弟と甥2人は大阪で借りたレンタカーに乗って南海フェリーを使って和歌山を経由して朝早くから新大阪に向かったらしい。一方の私は明日が2年ぶりの消防出初め式。機械班長の私は機械部長Y山氏と一緒に14時の約束で消防車の洗車である。このために昨夜のうちに帰ってきたのだ。

5分前に行くとY山氏が既に消防車を出して水を掛けている。シャンプーもバケツにあって私は柄付のスポンジで洗っていった。洗い流して拭き取って最後に正木トンネル手前まで運転して水を飛ばして。戻ると今日から仕事である。昨夜A社K氏からメールがあって仕事始までに話をしておきたいと。

15:10から電話で話したが材料が私の手元に送られていないことが分かって別の用件の打ち合わせ。1時間33分50秒も話をして原稿を何とか18時過ぎまでに書いた。夜は年賀状。久しぶりに「楽々はがき」を起動して2022年の欄を作って入力。プリンタの手差しで1枚ずつ確認しながら印刷した。

保険会社など業者関係は除外してFacebookで繋がっている人も印刷するのは止めた。年賀状は25枚買ったのだがそうやって除外していくと印刷したのは18枚だけ。住所が以前と違う人が2人。楽々はがきとOutlookの情報も修正。先延ばしても仕方がないので近くポストに22時に出して来た。

実家から帰宅 (1月2日・日)


昨夜は遅くに甥2がお腹が空いたと言いみかんを2個食べていた。水分だからおねしょするんじゃないかと脅すと慌てて皮を捨てたが弟に詰問され水を半分ぐらいと言い訳している。でもおねしょはしなかったらしい。11時頃に寝に行き私たちは12時前に布団へ。甥1も12時過ぎには寝に行ったようだ。

朝は妻のカフェラテを買ってきたという声で10時過ぎに起き出した。弟と甥2人と妻はボーリングに行って私は母と焼きそば。妻は14時半頃に帰って来て弟らはすぐにまた外出。ゆめタウンにできたバッティングセンターに行ったらしい。妻と母が買い物に行き私は大学ラグビーを観たり近所を散歩。

年賀状は昨年から出していないが親戚などから届く。返さないのも失礼かとローソンで印刷済みのものを25枚買った。妻らが帰って再び散歩。ケーズデンキに寄って何も買わず。と17時半頃に弟から電話。出ると甥1。ゆめタウンが停電で駐車場が大混雑で帰宅が遅れると。信号も消えていたらしい。

それでも1時間ほどで帰ってきて夕食は手巻き寿司。中2の甥1は身長も手も私より大きく山盛りのご飯を食べた。甥2と大きなボールで野球ごっこすると上手くボールを返してくる。皆に見送られて20時前に実家を出て銀行で記帳しながら21時前に帰宅。改めて今年もよろしくお願いします。

お節を食べて上勝往復と甥のiPhoneケース (1月1日・土)


昨夜は弟が早くに寝に行って私たちは0時を回って寝る準備をしたが甥2人は起きている。弟も昔と違って自主性に任せている様子。本を読んで1時過ぎに下りると甥らはまだ起きている。さすがにすぐ寝に行ったようだが朝は当然起きてこず。9時を回って弟が起こして私も起床した。朝食は10時過ぎ。

昨日妻が買って来ていた鳴門鯛をお屠蘇として舐めて事前に郵便局のサイトから注文したお節料理とお雑煮。18,200円。妻はあらたえの湯に行って私は弟と甥らと運動公園に行ってテニスをしたり野球の練習をしたり。それにしても寒い。一人で壁打ちキャッチボールをして温まったり。

実家では甥らがインスタント徳島ラーメンを食べると言うが私は一人で外出。甥1のiPhone7が裸なので以前買ったケースを上げようと上勝へ。ところが途中で家の鍵がないことに気づき広島ランプから実家へ戻る。でも鍵はない。妻の鍵を借りて改めて上勝に行ったらソファの上に置いたままだった。

甥1のiPhone7は画面が割れているから今からでも保護シートがあればと戻りは途中で西新浜のマルナカに寄った。ヤマダ電機でブルーライトカットのものをポイント1,250円分と現金400円弱で購入。実家に戻り貼ってやり夜はお節の残りなど。夜は充電の旅を見ながらビールと日本酒をちびちびと。

<Diary Index Page>
<Top Page>

© 2022 Takashi INAGAKI