2008年10月

幼稚園と中古の軽四 (10月31日・金)


友人から声をかけてもらって彼女の子どもたちが通う鳴門の幼稚園に行ってきた。オープン幼稚園だそうで親や保育園の子どもが見学できる日なのだそうだ。ジジババよろしく写真も撮った。遊戯室で子どもたちが歌うのだが一緒になって大きな声で歌ったりもした。

今朝は母が用意してくれていたパンを食べなかったので昼食で食べようと一旦帰宅。友人も来て一緒に。上勝の話や子どものことなどを話した。友人は幼稚園に迎えに行かないといけないので滞在はほんの1時間強。でも楽しい時間だった。私は聞いているばかりだったけど。

午後は保険のT氏から紹介され昨日従兄弟からも教えられたダイハツ販売店。結婚式には選挙区が違う後藤田衆議院議員まで来たというやり手の若社長に相談。従兄弟からは軽四の4ドアSUVテリオスキッドを薦められたが新車で150万円はいかにも高い。中古も結構高いらしい。

ペーパードライバーの妻も運転するから1〜2年間は安い中古がいいと言うと若社長。下取りしたばかりの中古車の存在を思い出し見せてくれた。4WDのMOVE。12年落ち8.5万km諸費用込み総額12万円。試乗もして即決。何と相談40分で車を買ってしまった自分に驚いているところ。

上勝とスーパーと従兄弟 (10月30日・木)


母が買い物から帰るのを待って10:34出発。今日も上勝。昨日預かった鍵を使って町営住宅の中に再び。13時に役場で担当の方と諸々。上勝に向かう車の中で町長から電話を受け寄って欲しいと言われたので昨日に続き町長とも会談。

内容は県の補助金について詳しく教えて欲しいというものだった。そんな制度があることを町長は知らなかったらしい。詳しくは書かないがこの件に関する町長の視点に少し感動した。「私は事務屋とは違うけんな。政治家やけんな」とは町長の弁。

帰りは道すがらスーパーや直売所の価格をチェックしながら最後に小松島のスーパー「ルピア」を視察。さらに鳴門に向かいながら川内の中古車屋を何軒か。だいたいの相場やどんな車があるのかをチェック。軽ならどれも同じに見える。

夜は本家の長男で農家の従兄弟を誘って徳島へ。居酒屋「赤鬼」と軍国バー「二等兵」。保険のT君から後輩という自動車屋の社長を教えてもらい今日訪ねたのだが従兄弟もその社長とは懇意らしい。社長への脅し文句も教えてもらった。帰りの代行は従兄弟の馴染みで3,000円。

上勝観光と町長訪問 (10月29日・水)


今日は観光で朝から上勝。昨日立ち寄ったゴミステーションのNPOを訪問して葉っぱビジネスの会社「いろどり」にも。昨日案内してくれたSさんもいた。昼食を近くのうどん屋で食べて「千年の森」公園へ。と言っても駐車場に車を置いて周辺を見ただけ。

一旦山を下りて今度は剣山スーパー林道方面。ガイドブックに載っている滝を見て洞穴があると言うので車で走ったが場所が分からずスーパー林道の荒れた路面に疲れて途中でUターン。町営住宅周辺や里山を行ったり来たりで探検したが小さな道はさっぱり分からなかった。

夕方になり役場に町長を訪問。妻が会うのは初めてで杉材の話や森林保全やリサイクルについて話。町営住宅のことも。16:20に行って17:50過ぎまで話をしていたことになる。PR用にと町長の本をいただき別の講演録などももらってきた。

それにしても上勝の地形の険しさには驚いている。昨日の夕方行った灌頂ヶ滝は数十メートルの高さがあるが巨大な岩盤のようだ。しかも地層が縦に走っているように見えた。だから山が急峻で谷が深いのかも。平野は極端に少なく土地探しは神山よりも大変そうだ。

県庁と上勝2日目 (10月28日・火)


帰りの神戸空港までのバスチケットを買うため松茂のとくとくターミナル。それから県庁。30分早く着いたがロビーで待って11時5分前に担当課を訪ねた。移住支援の補助金制度について聞くためである。1時間情報交換をした結果として私の場合は多分無理ということだった。

業種など公表されている基準は満たしているが赤字会社はダメなんだとか。事業継続が難しいと判断されるらしい。補助は通信費と家賃の半額だけの少額だから対象外なのは構わないが杓子定規の下らない制度だ。何せ6年間で1件しか適用がないというのだから。

ところで相対した県の職員は女性の課長補佐。名刺交換した後に彼女に指摘されて気が付いたのだが彼女と私は高校1年のときクラスメートだった。県の硬直した制度を私が非難できなかったのは彼女自身が問題を分かっていたことに加え同級生の情が邪魔をしたから。やれやれ。

午後は沖浜のセルフうどんで昼食を取り上勝2日目。東京出身S氏の案内で町内見学。彼の自宅を見せてもらいゴミステーション訪問。NPOの人たちとご挨拶。続いて棚田を見て「千年の森」管理事務所のスタッフともご挨拶。ほとんどが「よそ者」の「若者」しかも女性。みんな明るい。

川内と上勝 (10月27日・月)


二人とも疲れてぐっすり寝て起きたのは8時過ぎ。今日は仕事の話で徳島市川内町。先方のオフィスに着いたのは10時前。9月以来何度も東京で会っていたU氏も徳島にいてほどなく合流して6人で会議。テーマは内緒。結局1時間半以上話をした。

U氏は徳島で用があるからと帰り残った5人で昼食に出かけた。J社がある町なのだが私が会社を辞めて10年。外食店は増えたが入れ替わりも激しいよう。ちょうどお昼どきだからお店に入れるのかと心配したけど店内の客はまばら。東京の感覚でいて拍子抜けした次第である。

昼食後は妻を連れては初めての上勝。話をしながら行ったので遠いという感じがあまりしなかった。慣れてきたのか。一旦町営住宅に寄り外観を見て地元の野菜などを売っている「いっきゅう茶屋」で値段を確認して月ヶ谷温泉のロビーまで入り再び3F建て24戸の町営住宅へ。

先週に続き町職員の方に中を見せてもらった。鉄筋マンションだが屋内は床も壁も杉板。窓の先は町営住宅共有の広場。その先に小川を挟んで杉林。見たのは1Fと3Fだが1Fの方が公園を見通せていい感じだった。他の町営住宅も外観だけ見学して町内を少し探検して18:30帰宅。

再び徳島 (10月26日・日)


また徳島にいる。土曜の午後の便で神戸空港。そこからバス。元は妻が2週連続となる大阪出張からバスで徳島入りできる日程に合わせて土曜の便を予約した。ところが妻は直前にテレビの仕事が入り一旦東京に戻り深夜まで収録に立ち会い今日朝の便で徳島空港に。

妻が乗った11:40着の飛行機を待っていると偶然デザイナーのBさんとロビーで会った。多分9年ぶりぐらい。武蔵野美術大学の教授になったとは聞いていたが会えば一瞬で昔に戻る。時間のない中で急ぎ今の状況の話をし混ぜっ返して少し待ってもらって妻を紹介して。

実家では妻が持ってきたノートPCをセッティングして午後すぐT社長邸に。何人かが集まっていて鍋パーティ。双子のT君Cちゃんは覚えていてくれたようで最初から全開で遊びみんなとは上勝の話をしたり話題はあちこち飛びつつ楽しく過ごした。

それにしても今回の私は結構しゃべった。「Mさんとは感性が合うのか何でも話せるんだよね」と帰りに車で送ってくれた当のMさんのことを妻に言ったら「だって聞き上手だもん」と言われた。本当にそうだ。1年半前に彼女と再会して今があることを妻ともども感謝している。

『そうだ、葉っぱを売ろう!』 (10月24日・金)


上勝町の葉っぱビジネスは何度かテレビで見て知っていたが事業化の経緯や歴史については何も知らなかった。それで月ヶ谷温泉でこの本も買ってきた。横石知二『そうだ、葉っぱを売ろう!〜過疎の町、どん底からの再生』(ソフトバンク・クリエイティブ)。

著者の農協就職からミカン全滅と新しい作物の模索さらに葉っぱを売ろうと思い立った経緯などが書かれている。これらは先週の講演で少しは聞いたが先に読んだ町長の本には横石氏が農協に辞表を出したと書いてある。でも町長の本では理由も経緯も分からない。

横石氏の本を先に読んだ妻に訊いて理由を知ったが辞表前後の下りを妻は電車の中で読んで泣いたらしい。農協に辞表を出した翌朝にはおばあちゃんたち全員の署名と言葉が添えられた慰留を求める嘆願書が届けられたというのだ。私もたまたま電車で読んでいて泣いた。

著者は葉っぱが使われるところを勉強するため料亭に一人で通い代金は全て自腹だったそうだ。結婚して子供ができても家には1円も入れなかったと。今のビジネスに至る人々の思いと努力には凄まじいドラマがあった。少なくとも徳島に縁のある人には読んで欲しいと思う。

役所の仕事 (10月23日・木)


社会保険事務所から送られてきた標準報酬月額決定通知が間違っていたから訂正書類を8月に出していたのに反映されないまま引き落とし通知が来た。昨日17時前に電話したら若い女性職員が調べてくれた。原因は提出された書類が処理されていなかったからだそうだ。

彼女は私の質問から20分弱で電話をくれたし10月末に引き落とされる保険料は11月末のもので相殺すると言った上でミスを認め謝罪したので私は了解した。でも私の書類は綴られはしたが電算処理には回らなかったわけで社会保険事務所のいい加減な仕事を身をもって知った。

これまで役所や大企業にミスはないと何となく思ってきた。でも昨今の社会保険事務所の不正などを見ているととても信用できない。今回私自身が経験してみて自分で確認しないとダメなのだと再認識した。勝谷誠彦氏が言うように日本人は劣化しているということなのか。

一方で徳島県庁の「お問い合わせ先」にメールを送ったのだが1日半待っても返事が来ないので電話をした。メールは誰もチェックしていないのかも知れないと思っていたら電話では私がメールに書いていたことを言う。これは劣化というより暢気さか。東京とは時間感覚が違うのか。

『持続可能なまちは小さく、美しい』 (10月22日・水)


笠松和一・佐藤由美『持続可能なまちは小さく、美しい−上勝町の挑戦 』(学芸出版社)。月ヶ谷温泉で買ってきた。著者の笠松氏は私が先週会ってきた上勝町長。奥付を見ると今年6月に出版されたばかりの本である。

全国から注目を浴びる施策に至る町の来歴と将来に向けての町長の思いが詳しく書かれている。エネルギーや環境の問題についてもプロのライターと思われる共著者が世界の情勢を数字とともにまとめていて勉強にはなる。でも面白いのは上勝町ならではの取り組みの記述だ。

上勝は1981年の大寒波でミカンが壊滅し林業は輸入材に押され衰退した歴史の中で集落ごとの住民が町の将来を徹底的に話し合ったことがあるのだとか。町のお年寄りたちが元気なのは葉っぱビジネスだけでなくこうした過程で自分たちの町に誇りを持ったからなのだろう。

そうした住民による計画策定の手法にしてもゴミ処理政策にしても歴代町長の見識と行動力に敬服する。一方で道路行政や廃校の利用など補助金の紐付きについて現町長の国への不満は大きいようだ。真善美。日本で最先端を行く諸政策の背景にある大義が分かった。

上勝町 5 白タクと医療費と居酒屋 (10月21日・火)


しかし上勝は遠い。県庁から計ったら月ヶ谷温泉まで36km。約50分かかる。実家からだと51km。約1時間10分。マイカー文化の徳島だが高齢化率49%ではお年寄りの病院通いも大変だろう。と思いきや構造改革特区の認定を受けてボランティアによる白タクが運営されている。

利用者はあらかじめ申し込み予約する。白タク(有償ボランティア輸送)側も事前に登録されている。時間に迎えに来てくれて空港まででも送ってくれるそうだ。役場から空港だと50kmぐらいあるはずだが約5,000円と聞いた。病院に通うお年寄りには便利だと思う。

と言っても受診率や1人あたり老人医療費は県内市町村の中で最も少ない。葉っぱビジネスがあるからなのかお年寄りの元気は数字が証明している。ちなみに1人あたり老人医療費は最も高い東みよし町の76%。他に高いのは鳴門・徳島・北島・石井と都市部に集中している。

さて月ヶ谷温泉は最近になって居酒屋を作ったそうだ。と言ってもレストランの一角らしいのだが飲んだ帰りはどうするのかと言えばホテルのバスが送迎してくれるとか。町に居酒屋など他になさそうだから住民交流に役立つのかも。いずれにしても町の施策の大胆さと戦略性を思う。

上勝町 4 ゴミの34分類 (10月20日・月)


ゴミの34分類には恐れをなしていたのだが実は大したことではないかも知れない。新聞と段ボールとビール缶(アルミ)とガラス瓶は我が東京でも分別している。生ゴミは捨てた時点では分別状態だし白トレイも分けておくことは造作ない。ガラス瓶は色別に4つに分ける。

ここまでで9分類。燃えるゴミとビニールの類を分けておけば後は細かいものの集積である。日常的に出るものとしてはペットボトルのフタと雑誌類と牛乳パック。ここまでで既に14分類。日常的にはこの程度で14分類と聞くと多そうに思うがここまでなら難しくないように思う。

ほかにあるとするとスプレー缶と乾電池と割り箸とライターと蛍光灯と電球ぐらいか。でもこれらは頻繁でないし我が家では分けて置いていてゴミ出し直前に同じ袋に入れているものもあるから苦ではない気がする。34という数字は凄いが実は見せかけだけではないか。

それにゴミ出しの曜日や時間を気にしなくて構わないのはいいところ。出かけるついでに立ち寄って何曜日でも14時までにステーションに持ち込めばいい。田舎では我が実家の母のようにゴミ収集場所まで週に何度も早朝に車で運ぶことを考えればむしろ楽かも知れない。

上勝町 3 よそ者と若者 (10月19日・日)


午後帰京。さて上勝は「よそ者」が面白がってコミュニティに参加している社会なのかも知れない。土曜の昼食は7人で食べたが私を含めゲスト4人は県外の人間で町内の3人も出身はみな町外だった。1人はカメラマンの50歳の方で東京出身。2人は20歳代の男女だが県内の町外。

そして町の魅力に集まっている人たちだからすぐに仲良くなる。この感覚は前にもあったと思い出したのが93年に参加していた若手広報担当者の会だ。松下や大成建設など錚々たる企業の広報担当者は20歳代だったはずだが広報という業務の仲間意識ですぐに打ち解けた。

多分こちらが仲良くなりたいという思いで接するのと同じように相手も仲良くなりたいと思っているからなのだろうと思う。それは立食パーティで話をした年配の方々も同じだった。気難しい人もいるだろうが少なくとも「よそ者」「若者」は仲良し光線を発している人ばかりだ。

「ばか者」代表は何と言っても横石氏だが「よそ者」の中に「ばか者」がいる。3セクの取締役の方と話したが彼の熱意とアイデアに感服した。でも彼は大阪在住。横石氏も徳島市から来た「よそ者」だったそうだ。だから上勝町は「よそ者」の価値を体験的に知っていると言うべきか。

上勝町 2 ゴミゼロ運動とよそ者 (10月18日・土)


朝6時に目覚め温泉に入ったのだが部屋に帰るとのぼせてしまい朝食をキャンセルしてまた寝た。その月ヶ谷温泉のツインルームは広かったがオリーブオイルの手作り石鹸は持ち帰って欲しいと書いてある。徹底的にエコに取り組んでいて一般家庭のゴミは何と34分類して出す。

昼食後にゴミステーションを見せてもらった。ゴミは自分でここに持ち込むのだ。それによってゴミ収集車の運営経費を省く。人口2,000人ではゴミ処理経費が予算を圧迫するらしい。生ゴミは各家庭で堆肥に変える。処理機は町が補助金を付けて3,000円。電気式で1万円。

使わなくなった日用品などはここに持ち込めば誰かが持ち帰る。布製品はお婆さんが別の服やバッグに作り替えて売っている。ここを運営するNPOの事務局長は2代目だが防衛大卒で自衛隊幹部だった27歳の女性。彼女は県内だが藍住出身。「よそ者」と「若者」が意外に多い。

葉っぱビジネスの「いろどり」の社員は多分みな20歳代だと思う。ある若い女性は東京四谷に実家があり上勝へはIターンだと言っていた。上勝町は「よそ者」から知恵と刺激を受けて地元に新しい経済価値を作ろうと意図して戦略的に取り組んでいる。それがよく分かった。

上勝町で 1 (10月17日・金)


(この日記は土曜日18時にアップしました)金曜の夜は葉っぱビジネスで有名な上勝町にある月ヶ谷温泉に泊まった。実は木曜から今日まで上勝にいたのだ。書けることだけ書くが木曜は役場で町長と副町長と話をし町長運転の車で町営住宅を何戸か見せてもらった。

木曜は一旦実家に戻り金曜は再び上勝。お婆さんの葉っぱビジネスの考案者にして事業会社「いろどり」代表でもある横石氏と昼食。人口2,000人の町に年間4,500人が視察に来るそうだが13時からその視察者への横石氏の講演を聴講。感動して4回ぐらい泣きそうになった。

18時からは映画ロケを通じて町おこしを企画している方の講演。東京で前に会った方。65歳以上の高齢化率49%という町だけに聴衆はお年寄りがほとんどだが30歳代40歳代の人もいる。冒頭の挨拶で町長が突然私を紹介してびっくり。起立して皆さんに礼を2回。

講演後の交流会には聴衆のほとんどが参加。立食パーティなのだが80歳代と思しき人を含めお年寄りたちが楽しんでいる。お婆ちゃんたちのパワーの凄さ。私は地元の何人かと話をしたが面白かった。最後は全員が手を繋ぎ万歳三唱。後から町長と立ち話少し。

徳島出張 (10月16日・木)


徳島の実家にいる。今回は私一人。前回の夏は神戸経由でGWは高松経由だったが今回は妻のノースウェストのマイレージを使ったので久しぶりの徳島空港着である。今日は妻も大阪出張で朝8時過ぎに出かけ私は8:30に家を出た。

久しぶりに乗った朝の電車は満員だったが酷くはなかった。数えてみたら周りの5人と触れ合っていて鞄が別の2人と接触していたが圧迫感はなかったから良しとしよう。問題はJRに乗り換えた渋谷で迷ったこと。案内板を無視して進んだら駅から遠い出口から出てしまった。

出張に毎週行っていた頃は気楽なものだったが今回は昨夜の準備に時間がかかった。PCのアップデートやスカイプの設定に携帯電話の充電器の準備などなど。慣れてないのでスムーズに進まず着替えは朝になってシャツを入れ忘れていたことに気づいたり。

徳島空港からは母の車で実家に戻ってカレーを食べて14時前に車で出発。まずは県庁。その後は内緒。日中は暑くて夜になると少し寒いし車で100km以上走ったりして疲れた。松茂のラーメン屋で20時半頃一人で夕食。ちなみに明日は事情があって更新をお休みします。

『神との対話3』とノーベル物理学賞の研究の先 (10月15日・水)


ニール・ドナルド・ウォルシュ『 神との対話〈3〉宇宙になる自分になる』(サンマーク文庫)も再読。587ページもあるので持ち運ぶには重く寝る前に少しずつ読んだ。意味を理解できるまで何度も読み返したこともあって第2巻から3週間もかかってしまった。

思考はエネルギーを生み止まっているように見える全てのものは動いているというのが第3巻の神髄だろうか。物質は波動を持ったエネルギーが固まったように見えるだけだと書いてある。確かに物質を原子レベルまで細かく見れば陽子と電子が絶えず動いているのだが。

ところで先週はノーベル物理学賞で日本人3人が受賞すると発表されたが研究内容は素粒子物理学の「CP対称性の破れ」理論なんだとか。私はクオーク以下のレベルの理論は全く分かっていないのだが報道の中で粒子と反粒子という用語も初めて聞いた。

粒子と反粒子が同数だと何もない世界だが粒子だけが残ったから現実社会があるのだとか。では反粒子はどこに行ったのか。それが霊魂の世界だろうと素人の私は思ってしまった。物理学の研究の先にはスピリチュアル世界の解明があると解釈しているのだが。どうだろう。

移住と転職 (10月14日・火)


田舎の移住先を探すことは転職活動に似ている。私たちの例で言うと妻が徳島という業界に転職することを望み神山という会社を中心に調べてきた。私にとっても慣れ親しんだ業界だから転職するのは賛成だが今まで知らなかった会社だから不安があるといったところか。

就職したいと思ってもポジション(貸家)が空かず面接待ち。ポジションが空いても給料(賃料)で折り合うかどうかは分からない。違いは社長(町長)ら幹部の与り知らないところで就職できるが社員(住民)に受け入れられないと入社(居住)は難しいことか。

一方で転職すると公言していると周りからアドバイスを受ける。徳島なら上勝がいいよと。ポジションの空きは分からないけど仕事は自分で作れるらしい。伝統ある会社は衰退傾向だが新しいブランドを構築して新事業は伸び盛りだから新ブランドを使って仕事ができるというわけだ。

一方の神山も同じように衰退している。違いはブランドが分散していて新事業がないに等しい点。そこに転職して何ができるか。私はブランドを統合してゼロから立ち上げる方に惹かれたりするのだが。いずれにしてもポジションが空かないと転職できないのは両社同じだったりする。

『チャクラ・クリアリング』 (10月13日・月)


こういのがダメな人はいると思うが私は多分昨年『神との対話』を読んだ後に買ったのだと思う。1年経って先日やっと読んでみた。薄くて内容も簡単だから1時間で読める。ドリーン・バーチュー『チャクラ・クリアリング―天使のやすらぎ』(クレイヴ)。

チャクラとは人間が内外のエネルギーを交換するポイントのこと。チャクラを開いてエネルギー交換を潤滑にしてやれば本来持っているスピリチュアル・パワーが目を覚ますということらしい。チャクラは8つあり機能と色を持っている。そのチャクラの開き方がいくつか提示されている。

と言っても頭の中でイメージするだけ。難しくはないがチャクラの存在を信じなければできないと思う。私の場合『神との対話』を再読して1ヶ月ほど前から自分の魂の存在に意識を向けるようになったら春に書いたようなザワザワが頻繁に起こり始めて信じてみようという気になった。

と言っても面倒なので寝るときと朝起きたときベッドの中で通り一遍のことをやってみるだけ。ある種の瞑想だと思うのだが夜の場合は始めたら最短10秒で寝入ってしまう。チャクラが開いているのか実感は何もないが私にとって催眠効果だけは抜群だ。

狂気とリック・ライト (10月12日・日)


ふと以前に録画しておいた「Live 8」を見た。ピンクフロイドの演奏曲は「Breathe in the Air」。そう言えば1ヶ月も前になるが9月15日にリック・ライトが亡くなったことがニュースになっていた。ピンクフロイドのキーボーディストだ。そんなわけで改めて「狂気」を聴き直した。

1973年発表のアルバム「狂気」は私が学生だった1985年でもビルボード誌アルバムランキング200位以内に連続してあった。多分今でも最長ランキング記録を持っているはずだ。何度も書くが私は高校2年の頃に友人I君からテープをもらって以来おそらく3,000回ぐらい聴いている。

今日は歌詞を見ながら一緒に歌ったら頭から背中がずっとザワザワした。このアルバムは私の魂に刻み込まれているからだろうか。狂気は当時の憧れだったが25年経ち改めて少しの狂気が欲しいと思う。浪人時代や学生時代に特に意識した「Time」の歌詞を日本語訳で記す。

〜若いおまえにとって人生は長く/どんなに無駄に使ってもあり余るほどだ/だがある日おまえは10年があっという間に過ぎ去ったことに気づく/いつ走り出せばいいのか誰も教えてはくれない/そうおまえは出発の合図を見逃したのだ〜。出発の号砲は意識しないと聞こえないのだ。

Edyを裁断 (10月11日・土)


A社の近所のコンビニでときどき買い物をする。支払は現金のときもあるが数ヶ月前に思い出して以前クレジットカードにチャージしておいたEdyを使い始めた。ところが先週金曜に買い物をするときEdyの残金がないと言われた。いや4,700円ぐらい残っていたはずなのだが。

あれ?と思った次の瞬間に思い出した。Edyリーダーにかざしたクレジットカードは新しく届いたものだったことを。そしてEdyの残金がある古いクレジットカードはハサミで切ってゴミ箱に捨てたことを。帰宅して調べたら古いクレジットカードはまだゴミ箱にあったのだが。

そもそもEdyはD社に行っていたころ1Fにあったコンビニで使うためにチャージしたのだった。D社に行かなくなって忘れていて数ヶ月前に思い出したときは8,000円ぐらい残金があった。それをこまめに使って4,700円まで減らしていたのだ。

さてゴミ箱から集めたカードはテープで繋いでほぼ原型に復元した上で今週コンビニで使ってみたがレジのEdyリーダーは反応を示さず。こういうバカ者は多いと思うがEdyのWebに情報はない。原理的に復元は無理だろう。4,700円。どっかで飲み代に使ったと思うしかない。あぁ。

東京ゲームショウ (10月10日・金)


東京ゲームショウに行ってきた。幕張。今日はビジネスデーで大混雑というほどではない。何せブースが少なく通路が広い。通路の幅はCEATECの3倍ぐらいありそうだ。ただしCEATECに比べて1つのブースが全て巨大である。

仕事で関係するので向学のために行って3回通り見て回ったが各ブースの熱気とは別に全体は活気が弱まっているかも知れない。ビジネスデーにもかかわらず各ブースはそれぞれ人を集め巨大になる一方出展社は少なくなった気がするのだが。

いつものように任天堂が出展していないので最も目立ったのはマイクロソフトのXBOXとSCEのPLAYSTATION。ブースの造作ではエレクトロニック・アーツが格好良くEAロゴは目を引いたしXBOXブースで見たカプコン「BIOHAZARD」の予告編ムービーに感動しそうになってしまった。

私はゲームはしないのだが主催のコンピュータエンターテインメント協会専務理事はかつて同志だったと思っているしエニックスやカプコンの創業者にスクウェアの昔の社長とは話したことはある。接点はその程度なのだがゲーム業界には一方的に親近感を持っている私。

吉野川大橋での口喧嘩 (10月9日・木)


喧嘩と言えば高校時代に吉野川大橋の上で車に乗った20歳代後半の兄ちゃんと言い争いをしたことがある。自宅に向かって自転車に乗っていた私は市民病院の北あたりから国道に出ようとした車が邪魔だったのでトランクを叩いてやった。そしたらその車が追いかけてきたのだ。

何年生だったか忘れたが私は青春のイライラの中にいて歩道を塞いだ車が許せなかったのだ。相手は一旦市民病院の交差点まで行きUターンして吉野川を渡りさらにUターンして来たと言った。橋の右側歩道の私を止めて「俺の車を蹴飛ばしただろう」と怒鳴った。

「手で叩いたったんじゃ」と言い返して始まった喧嘩は30分ほど続いたと思う。彼は警察無線を聞きながら暴力団との関わりをほのめかし私に謝らせようとした。でも青春のイライラ野郎にそんな手は通じない。警察無線は無線家の私には身近だったし彼の態度に私は逆に突っ張った。

私たちのトラブルを心配したバイクが何台か止まり大丈夫かと聞いてきたが構わず続けた。でも30分も意地を通すとお互い疲れる。高校生相手に大人げないと思ったか最後に彼はアライと名乗り「困ったことがあったら言ってこい」と親分を気取って私も受けて幕となった。

父と柔道 (10月8日・水)


喧嘩らしい喧嘩は小学校のときだけだったが思い出すと私は義侠心が強かったようだ。自分は気が弱くて心配症なのに友達のためなら喧嘩を買うような。格好いいじゃないか。でも何故そうだったのだろう。青春ドラマに没入したからだろうか。父親の教育だろうか。

父は旧制中学を卒業してすぐ阿波銀行に就職したがスポーツマンで学生時代と20歳代は野球とラグビーと柔道をやっていたらしい。と言っても義侠心に繋がるような教育を受けた記憶は私にはない。ただ柔道の足技は何度か教えられたことがある。

今でも覚えているのは相手の動きを利用すれば簡単に倒すことができると教えられたことだ。父以外を相手に練習するようなことはなかったが田中君を投げ倒したのは父の教えの実践だった。柔道でなら大きな相手も投げ飛ばせると聞いていて私は真に受けたのかも知れない。

父から理論を聞いていたから当時の私は喧嘩を買ってもやれると思ったのだろうか。実践したらあっさり勝てたので自信にはなった。小学6年で喧嘩を買った生田の場合は背も小さい下級生だったから平気だったのかも知れない。義侠心というより単純な思い込みが原因か。

喧嘩の相手 (10月7日・火)


昨日書いた小学3年のときの田中君との取っ組み合いは私が売られた喧嘩ではなかった気がしてきた。多分クラスメートの別の友達が喧嘩を売られて私が買ったのだ。ランドセルは廊下の窓際に置いたまま上履きで裏庭に出たのだし帰りは友達と2人で逃げたのだし。

田中君が裏庭に出て友達を挑発して何故か私が相手をした。そして倒してしまって元々喧嘩を売られた友達と逃げるために一緒に走った。そう言えば同じようなことは小学6年のときにもあった。友達だったM井君が1学年下の生田と言ったか生意気な悪ガキに絡まれていたのだ。

私が割って入り喧嘩を買ってM井に先に帰るように言って生田の相手をした。それは国道から入ってすぐの散髪屋の前でM井の家はまだ先だったが私の家は走れば30秒で帰れるところにあった。だから最悪走って自宅に逃げ込めることを計算した。

生田は子分と2人でいたが口喧嘩だけで済んだと思う。生田は目が青く「外人だ」と虐められていたことでワルになったと想像するが後に中卒で働いていた彼は大松あたりの55号バイパスを横断中に事故で死んだ。高校の同じクラスのM馬君が教えてくれたことを覚えている。

弱気と喧嘩 (10月6日・月)


最近自分の気の弱さを嘆いているのだが私はなぜか人に迎合することがない。という大昔のエピソードを思い出した。小学3年のときクラスメートにガキ大将がいて大柄で力も強そうだったのだがその田中君と放課後に学校の裏庭で取っ組み合いの喧嘩をしたときの話である。

結果として私は彼を投げ倒した。そして逃げた。窓から廊下に飛び込んで荷物を掴んで友達と走った。校門を出たところから田中君が「覚えてろよ」といった意味のことを叫んでいた。してやったり。最後は逃げたが私の中では田中君に喧嘩で勝ったことになっている。

翌日だったか早朝の校庭に田中君から呼び出された。彼の子分数人に取り囲まれて「謝れ」と言われたのか「子分になれ」と言われたのか。私はあっさり謝って軍門に下った。そのとき泣かされたと思う。鉄棒のところに家が隣のえいちゃんがいて恥ずかしかったことを覚えているから。

田中君一派を敵に回したままでは毎日喧嘩をしないといけなくなるから確かに謝って子分になると言った気はするが以後田中君一派と遊ぶことはなかった。逆に田中君を含め皆が私に一目を置くようになったと思う。これは気弱なくせに人に迎合しない私の原点な気がするのだが。

外貨の獲得 (10月5日・日)


地域活性化のためには外貨の獲得という視点が欠かせないと思う。住民サービスは予算次第。いかに住みやすい町を作るかを考える上で国の補助金が先細りであるなら税収をいかにあげるかが生命線だろう。そのためには地場の企業や住民の納税額を増やすしかない。

昨今の日本では税金をいかに払わないかに地道をあげる風潮があるようだが私はそれには与しない。確かに国家官僚の仕事には不満があるから無駄に使われる税金は払いたくないと私も思う。でも地域レベルでは話が別だ。納税こそが地域貢献への第一歩だと思う。

だから私が徳島に移住して万一大儲けしたら税金を払うことを喜びにしたい。大儲けしなくても税金を払うことを喜ぼう。そのためには東京もしくは全国から売上を得るのが理想だと思う。私の場合は元々地元から売上を得るようなビジネスはできないのだが。

それに仕事はなるべく地元の人に発注したい。神山や上勝で難しければ徳島という限定で。現状は国の補助金を得た事業でコンサルタントも実施も東京の会社に発注する例をよく見かける。何のための補助金か。地域は地域外から外貨を稼ぎ地元で使うべきだと思う。

徳島新聞と全国ニュース (10月4日・土)


徳島の企業や自治体はなぜ徳島新聞に掲載されただけで満足してしまうのか。世帯購読率が90%以上あるから例えば読売新聞に掲載されても徳島ではほとんど誰にも知られない。読売新聞では反響が全くないから「やっぱり徳島新聞に載らないと」となるのだと思う。

それに徳島新聞は全力で情報を独占しにかかる。記者は仕事熱心で取材先にも食い込んでいる。その点の競争意識は健全だと思うがそれで取材先が馴れ合っている気がする。全国紙に出ても褒められないけど徳新に載れば反響がある。勢い本当のターゲットを忘れてしまう。

これも10年以上前に当時の日本経済新聞K支局長から聞いた話だが徳島新聞の記者は日経の四国経済面をライバル視していて熱心に後追い取材をするのだが全国面に載った大きな記事は読んでないらしく無視されていたそうだ。

徳島が全国ニュースになるわけないと思っていたのかハナから県内のことにしか興味がないのか。徳島新聞がそういう姿勢なのは仕方がないとしても企業や自治体がその態度に付き合う理由はないのである。全国ニュースになるネタと工夫のしようはいくらでもあるはずなのに。

徳島新聞に載れば満足? (10月3日・金)


徳島の企業や自治体の広報に対する考え方で間違っているのはメディアとして徳島新聞しか見ていないことにある。もちろん例外はあるしその気はあっても全国メディアにアプローチできないだけなのかも知れない。どちらにしても全国に通用するネタはあるのにもったいないと思う。

例えば県産品のPRのために東京でイベントを開催するようなニュースをときどき見る。でも報じているのは徳島新聞だけ。そういう活動を県民が知る意味はあっても本来のターゲットに何ら届いていない自己満足。そんな予算があるのならもっと効果的なPR方法があるだろうに。

10年以上前のことだが大阪の民放の徳島支局長K氏に「徳島は大阪の民放が全部見られるからテレビ局がなくてもいいのでは?」と言ったことがある。K氏の答えは「それだと徳島のことが全国に全く知られなくなってしまう」というものだった。私は目から鱗が落ちた。

民放や全国紙の支局は徳島の話題を全国に配信したいと思っているのだ。だったら自治体が徳島新聞に載ればいいと思っていたのではダメだろう。本当のターゲットは誰なのか。ターゲットに届けるためにどのメディアを使い何を工夫すべきなのか。考えれば何とでもなりそうなのに。

広報の価値 (10月2日・木)


徳島の田舎に住むと妻が言い出して一方でA社の仕事で地域活性化に少し関わりを持ったりしたもので地方の町が今後何をすればいいのかいつも考えるようになった。特に神山町長が真剣に町の将来を考えている姿勢を知って何か役に立てないかと考え始めた。

私たちの専門は広報だから特に感じるが地方の町にはまさに広報的な発想が必要だと思う。観光誘致にしても農産物の販売にしても世間に知ってもらうことが大前提でそれを仕切るのが広報の役割だから。メディアの特性やPR手法を熟知した人材はどの町にも必要なはずだ。

それで先々週にU氏と妻と3人で神山スダチの広報手法を議論してみたのだがやり方はいくらでも思いついた。行動計画に近いレベルでシナリオもできた。影響力のあるテレビ番組などPR先の人脈も持っている。でも広報の価値が認められない限り難しいという話になってしまった。

実は昨日。全国各地の町おこしで活躍している人とM氏と妻と4人で会った。東京の企業は私たちに徳島の田舎なら上勝町だと言っている。それで自分が生かされればうれしい。神山はきっかけだったのか。上勝さえ昨日の彼らと組む契機かも知れないと盛り上がったのだが。

中古本とレンタル (10月1日・水)


最近トップページ左側に置いてあるアマゾンへのリンクに古本価格が表示されるようになった。アマゾンのサイトで私はわざわざ価格表示を新品だけにしているのだが何故か最近「ロープライス」込みのタグが生成されてしまう。もしかして私のブラウザの設定が悪いのか?

私は基本的に本は買う。図書館で借りたこともあるが借りるのも返すのも面倒だ。それより必要な本は自分で買いたいという思いが強い。ソフト会社で給料をもらっていたのでソフトや本やCDなど著作権ビジネスの価値を否定したくないという気持ちもある。

そう言えばJ社の2年目頃の秋に同僚の女性と夕食に出かけたとき今でも覚えているが川内の加賀須野を走っていて彼女が音楽はCDをレンタルしてカセットにコピーして聴くと言って私はびっくりしたことがある。学生ならまだしも社会人になってましてやソフト会社の社員なのにと。

現在のCDレンタルはレコード会社と契約した真っ当なビジネスのはずだが当時は違っていたと思う。そうでなくてもソフトのレンタルが問題になっていた頃に音楽であれレンタルで済ますとはソフト会社の社員として倫理上おかしいのではないかと。殊このことについて私の頭は堅い。

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© 2008 Takashi INAGAKI