2011年11月

書類の整理 (11月29日・火)


仕事用のラックに溜めていた書類を整理した。東京時代の書類は別にあるから今回整理したのは上勝に移住して3年間のものだと思う。それでも積み上げれば30cmほど。観光パンフレットも多い。これまでもクリアファイルに分類していたが改めて見直してみた。

そうしてみたら上勝のパンフレット類が最も厚い。移住してすぐの頃に集めたのだと思う。資料として活用したかと言えば心許ないが捨てるのも抵抗がある。結局のところ手元に残しておくことになる。同じように鳴門の観光パンフレットや美郷や勝浦に徳島県全体のものもある。

仕事の書類は上勝関連が最も多かったが本当に必要なものはきちんとファイリングしているので今となってはほとんどが不要な書類ばかりだったりする。本業の書類はたいていデジタルデータとしてハードディスクに保存していて印刷されたものは過去の資料でほとんど今は必要ない。

手元にあった書類とパンフレットは関連のあるもの毎にクリアファイルに入れ直したが今後活用するものはほんの一部だと思う。その一部は抜き出して別の場所に置いたが厚さは1cm。大部分は使わないと分かっていて捨てられないのは性格だ。とりあえず分類しただけで満足している私。

徳島ラーメン・祖谷そば・徳島バーガー (11月28日・月)


日曜に三好市山城町上名で演奏した日の食事を記しておこう。まず昼食は徳島ラーメン「西利」。大きな駐車場を有して大歩危(おおぼけ)観光の拠点になっている「West-West」にある。徳島ラーメンの名店「福利」で修行をしたという話だ。チャーシューは美味しかった。

演奏が終わり着替え終わったところで会場となった公民館の座敷で出されたのが「妖怪汁」。芋や大根と豚肉が入った豚汁である。通常は猪肉を使うらしい。たくあんや漬物も美味しかった。このときは会場外で作っていた焼き芋や子どもたちがついた餅も出されたが食べられなかった。

そして祖谷そば。平家の落人が逃げ込んだと言われる祖谷(いや)で採れたそばを使う。そばだけで打たれるから短くすぐ切れる。しかも太い。子どもたちが体験学習としてこの日の朝に作ったのだと言う。私は皆が帰ろうとする段まで食べていたがとても美味しかった。

帰りの高速。徳島まで30kmほどの地点にある上板SAで休憩したら私が頻繁に行っている小松島のカフェ「こはくの天使」のマスターが徳島バーガーを実演販売している。ツイッターで知り合ったこのSAの副所長O氏ともご挨拶。1個買って車の中で食べた。食事も徳島ものばかりの1日だった。

上名文化まつり (11月27日・日)


9:15に団長の家に着き車を置き団長の車に乗って三好市山城町。West West「西利」で徳島ラーメンを食べ12時に皆が集合。ここから3台で山奥へ。児啼爺などの立像が並ぶ妖怪ストリートを西に。今日は「響」が「上名(かみみょう)文化まつり」というイベントで演奏するのだ。

上名文化まつりは上名小学校が子どもたちを見守ってくれている地域の方への感謝として毎年開いてきたものだという。だが上名小学校は1年から6年まで全校児童合わせて8人。来年3月に休校となることが決まっている。つまり上名文化まつりも今年が最後なのだ。

「響」は校歌に始まり「さくら」「鯉のぼり」「ゆけゆけ飛雄馬」など単独で10曲を演奏。8人の児童にもステージに上がってもらい「ふじ山」「赤とんぼ」「故郷」を斉唱。今年で最後だという現実に「故郷」の前にマイクを持った団長が声を詰まらせ泣いてしまった。

最後は子どもたちも一緒に校歌斉唱。50人ぐらいいた会場の方も口ずさみながら何人もが涙を拭っていてそれを見て私も涙。今年の運動会には地域から250人が来たという137年の歴史ある小学校の最後。演奏が終わると子どもたちが向き直ってお礼を言って。そのことにも感動した。

クイーンのアルバム (11月26日・土)


クイーンのアルバムは「オペラ座の夜」「華麗なるレース」「世界に捧ぐ」と「The Game」も買っていた。4〜6枚目と8枚目のアルバムだ。今回は買わなかった7枚目のアルバム「Jazz」はLPを持っている。と言ってもプレーヤーがないからいずれCDを買い直さないといけない。

Wikipediaによるとアルバム「Jazz」が発売されたのは1978年。中学3年のときだ。9枚目の映画のサウンドトラックアルバム「Flash Gordon」は高校2年のとき。アルバムは買わなかったが映画を見に行った。当時好きだった女の子と一緒に。籠屋町のOSグランドだったような気がする。

映画「Flash Gordon」はアメリカンフットボールのエースQBが宇宙に行って地球を侵略しようとする勢力と戦うといったSFだった。映画がヒットしたとは聞かないが何度かテレビで放送されていて見たことがある。アルバムは大学に入ってからLPをレンタルしてダビングしたのだと思う。

1982年の「Hot Space」以降ヒット曲は知っているがアルバム単位では聴いていない。クイーンの曲だけで構成したミュージカル「We Will Rock You」を見に行ったのは2005年。やはりクイーンのオリジナルアルバムは全部揃えたいと思い始めているところ。

クイーン (11月23日・水)


英国のロックグループ「クイーン」のCDがアマゾンから届いた。これまで持っていたのは1枚目と「キラー・クイーン」が収録された3枚目の「シアー・ハート・アタック」とベスト盤だけ。でも1980年代までのアルバムはカセットテープで聞き込んでいた。今回買った2枚もそうだ。

4枚目の「オペラ座の夜」と5枚目「華麗なるレース」である。中学2年のクラスメートだったK木R絵がこの2枚を1つのカセットテープに録音してプレゼントしてくれていた。この2枚を聞くと中学2年の3月に行った修学旅行のシーンを思い出す。アマチュア無線をしていた当時の自室も目に浮かぶ。

名曲「ボヘミアン・ラプソディー」はこの中の1曲だ。高校になってからだろうかピアノ譜を買って歌詞を覚えた。「Mama, just killed a man〜」という歌詞はカミュの小説「異邦人」がモチーフだと大学の部室で聞いて早速そのフランス小説を読んだ。私の人生に影響を与えたアルバムとも言える。

就職して以来カセットは聴かなくなりベスト盤を買ったものの20年が経ちやはりオリジナルをアルバム単位で聴きたいと思うようになった。クイーンを知ってリアルタイムにリリースされた6枚目のアルバム「世界に捧ぐ」(1977年)もアマゾンから遅れて届く。しばらく音楽はクイーン三昧になりそうだ。

上勝TV in 美郷 (11月21日・月)


日曜は前夜の宴会で飲み過ぎて午後まで体調が最悪。荷物を積み込み夕方出発して美郷へ。梅酒まつりを案内する「上勝TV in 美郷」の配信なのだ。かつて美郷カートランドに行く際に使ったルートである吉野川大橋から北岸を走り六条大橋で南岸。川島から国道に乗って18時半前到着。

いつもトラブルが付きものだが今回はWebサイトに埋め込んだUST画面の表示不正。修正しようとしたらUST画面とチャットが縦に並んでしまった。それでも視聴者は楽しんでくれる。番組は梅酒製造の4業者さんに出演いただきアシスタントは美郷商工会の21歳。あっという間の1時間だった。

終わって予約しておいた「木の夢ととり」さん。宿泊を楽しもうとしたはずがテレビトクシマ提供用のDVD編集を徹夜でやることになってしまった。配信データをまずはダウンロード。データ変換に4時間。少し横になっただけで4時半から編集作業を開始した。

といっても作業はパーソナリティのるぱんが担当。私は前の編集データからテロップなどを確認するのみ。妻を入れ3人で作業をやって編集は7時頃終了。朝食をとり8時半頃に3枚のDVDが完成した。そのまま美郷商工会とテレビトクシマに届けてお昼頃に帰宅。15年ぶりぐらいのほぼ徹夜。

メディアとしてのiPadアプリ (11月18日・金)


ロックミュージシャンであるスティングが発表したiPadアプリを朝日新聞の報道で知ってダウンロードした。スティングは3人組ロックバンド「ポリス」を経てソロ活動を始めてから25周年なんだそうだ。記念ボックスセット発売に合わせて制作されたiPadアプリは無料で提供されている。

これまでのアルバムから全曲の一部を連続で聴くことができる。その音楽をBGMにライブ映像やインタビューと写真などをアルバムごとに見ることができる。60歳の誕生日ライブの模様も。ブルース・スプリングスティーンやビリー・ジョエルやスティービー・ワンダーにレディー・ガガらとの競演だ。

操作はiPad特有か横軸に年代。縦軸に年代毎のコンテンツ。つまり横にスライドさせて年代を選び上にスライドさせてインタビューや映像を見るという具合。操作は簡単だし何せ映像と音楽と写真と文章が混在したコンテンツを自在に楽しむことができる。

書籍やテレビやDVDはおろかWebの表現力さえも上回ったメディアとしてのiPadアプリ。Facebookにそんなことを書いたらジャーナリストの佐々木俊尚が講演で同じ意味のことを言っていたとコメントをもらった。新しい表現手段として今後iPadアプリが流行すると思う。

『美しき日本人は死なず』 (11月17日・木)


週刊「女性自身」は東京時代に喫茶店やそば屋などに置いてあってときどき手に取った。そういうとき芸能ニュースなどには興味がないのでドキュメンタリーの「シリーズ人間」欄を読んでいた。本書はその欄から10編を採録したものである。勝谷誠彦『美しき日本人は死なず』(アスコム)。

著者の勝谷氏のメールニュースによると「シリーズ人間」は2人か3人が交代で原稿を書いたらしい。その勝谷氏はアンカーマンとして原稿を書くが別に記者と呼ばれる取材者がいる。前書きに記者の取材を生かすための文章修行であり常に緊張感を持って書いたといった意味の言葉がある。

収録された10編は年中無休24時間診療する小児科医夫婦の奮闘だったり閉鎖寸前だった兵庫県立病院小児科を患者の母親たちが自ら動き復活させた物語だったり沖縄の救急患者搬送と担当する陸上自衛隊員たちのことだったり医療関係が3つ。どれも感動する話ばかりだ。

「個々の物語がそれぞれ想像を絶するようなドラマを擁しながらも、あまたのそれを描くうちに私はすべてを貫くひとつの棒のようなものがあることに気づいてきた。それは『義』であり『志』であり『利他』である。」と前書きにある。タイトルになった日本人ならではの物語。いい本である。

鳴門の村さ来で (11月16日・水)


土曜日。本家松浦酒造の蔵開きには汽車で行った。徳島には電車は走っておらずディーゼル機関車だから汽車と呼ぶ。高校時代に利用した撫養(むや)駅から阿波大谷まで。1両のワンマンカーで整理券を取って乗車し降車時に料金を運転手に渡す。バスと一緒のシステムだった。

夜は実家のすぐ近所に住んでいる元同僚T氏に電話をして飲みに行った。郵便局から銀天街に入ったが意外にお店には人が多く結局戻って鳴門駅前の「村さ来」に。J社時代T氏は新製品の記者発表でいつもプレゼンテーションを担当してくれていた。私は全体の統括。ある意味で戦友だ。

アマチュア無線家でもあってこのKing of Hobbyの話題やらJ社の頃の思い出話やら。専務の巨大な秘書部門だった「プロジェクト推進&テクニカルライティング」(プロ推)は開発部門を枠に嵌めないための意義があったという新説。それに気づいていれば働く意欲も周りの目も違っただろう。

村さ来には実家で食事をしてから行ったからビールばかり飲んだ。途中でライム酎ハイ。1982年に住んでいた杉並区西荻窪の隣駅の吉祥寺に行って村さ来で酎ハイを飲んだ記憶が蘇り。ビール3杯と酎ハイ3杯。酔っぱらって2人して徒歩で帰宅。楽しかった。鳴門で飲むのは楽でいい。

別居 (11月14日・月)


実は妻と別居している。自宅にデスクを移動させたのはそういう事情である。直接のきっかけは10月20日の夜の諍いだった。私は自宅にデスクを移し彼女は数日後に事務所に布団を持っていった。これまでも年に1度ほど数週間口をきかないことはあった。最近だと今年8月に40日ほど。

同じことを繰り返して辛くなった。私も厳しい言い方をすることはあって彼女にそれを指摘され修正の努力はしてきたつもりだ。でも結局のところ彼女の方が私の上を行く厳しい言い方とするようになった。徳島化しようとする意識で私の悪いところを見習ったとは後から言った。でも謝りはしない。

いつまでも仲良くしたいと彼女は常に言っていたし私もそう思っていた。実際いたわり合って慈しみ合ってお互いを尊敬しながら暮らしてきたと思う。でも時間が経つと変わるものなのだ。悪いところばかり指摘するようになった。お互いに。何をやっても私は彼女に感謝されなくなったようだ。

このことがとても悲しい。今の彼女の態度を私は許していないが5年ぐらい前の関係に戻れるなら戻りたいとも思う。でも5年が経って今があるのだから仕方がないのだとも思う。 一緒に仕事をすることもあるが必要な話はメールで済ましている。そんなわけで彼女への連絡は直接お願いします。

本家松浦酒造場蔵開き (11月13日・日)


土曜日。本当は9時には出ようと思ったが出発したのは10時過ぎ。途中マクドナルドに寄って食べながら鳴門へ。実家に車を置いて汽車に乗った。友人M嬢が社長を務める本家松浦酒造の蔵開きイベントである。100年以上の歴史があり上勝の棚田米の製造も担当してくれている。

着いたのは12時半頃。最近ツイッターで繋がった元同僚のM由嬢とは入れ違いだったが同期のI夫妻や保険代理店T氏など元同僚たちがいる。小物を販売していたのは3月頃のとくしまマルシェで13年ぶりに再会したD嬢だし昨年テニスでお世話になったK山君や昨年結婚したK谷君らも。

着物を着たきれいな女性は三味線の先生だっけと考えていたら棚田で米作りを一緒にしている仲間だった。そのF氏夫妻。さらに最近Facebookで繋がった13年ぶりのK嬢はJ社を私と同じ時期に退職して大学に入り直し医者になったK氏の奥様だ。息子さんは「響」のS先生が教えているらしい。

ほとんど同窓会の様相に加えツイッター仲間も。ツイキャスのK氏に鳴門のA氏と上勝でも会ったM氏。A氏とM氏は2度目。鳴門でUstream配信をしているM氏とも挨拶。帰ろうとしたら中学の同級生にして美人社長T嬢も。同窓会兼オフ会でお酒もほとんど飲まず話をした午後。

四国電力 (11月10日・木)


昨日だったか向かいに住んでいるY氏とたまたま話をしていた。道路と畑を挟んでいるがときどき立ち話をする。定年退職して故郷に戻り畑仕事をしているが昔はNTTにお勤めで東京に住んでいたらしい。だからPCやネットにも詳しくてときどき情報交換をしている。

そのY氏によると最近また上勝で停電があったらしい。午前4時頃から。数分で済むようなものではなかったそうだ。私は寝ていて気づかなかった。何故そのことを周知しないのかと言っていた。全くその通り。私は何も被害を受けなかったが上勝はとにかく停電が多い。

さて今日銀行で記帳してきたら10月分の電気代が引き落とされていた。そのデータを不具合を抱えた弥生会計07に入力したのだが四国電力から受け取っている「電気料金のお知らせ」と金額が異なる。引き落とし額が57円安い。どうしたことか。このままでは経理処理ができない。

もしかして停電の補償で値引きされたのだろうか。だとしたらそのことを周知してくれないと。明日問い合わせてみるが何だかいい加減で気分が悪い。今日は地元の友人からIP電話が壊れたという話も聞いた。都会であれば大問題だと思うがまずは四国電力に問い合わせだ。やれやれ。

弥生会計07 (11月9日・水)


小さな我が事務所は株式会社である。経理は私が担当していてこまめに会計ソフト「弥生会計07」に入力している。たまたまこの時期に会社を設立したもので10月が決算月だ。11月1日にも振込があったから早速その日のうちに弥生会計07で年度繰り越しを実行した。

弥生会計07は3期分しかデータの表示ができない仕様だ。つまり繰り越し後は平成21年11月から始まる第4期と第5期と今年11月からの第6期だけになるはずだ。ところが繰り越し作業をやってみると3期分あるのだが第5期が2つある。2つ目の第5期はブランクだが表示は第5期。

こんな恐ろしい状態で入力を続けるわけにはいかない。実は1年前も同じ症状になって税理士さんにデータを送って弥生会計Pro版で繰り越し作業をやってもらい返送してもらった。今年もそうしようと税理士さんにデータを送ったのだが今回はうまく復旧できなかった。

結局第4期と第5期のデータと第6期のデータはファイルが分かれてしまった。期をまたいだ2つのファイルで開いたり閉じたり不便。しかし会計ソフトにこんな不具合が許されるのか。弥生会計07は買って5年。この不具合はバージョンアップさせるために敢えて仕込んだ仕様でないかと疑っている。

手作り結婚式 2 (11月8日・火)


地元のアート作品「射手座造船所」の船で行われた6日の結婚式でN氏は個人で所有する音響設備一式を持ち込んでいた。船前方の縁に木の板を打ち付けスピーカーを掛け3FデッキにミキサーとCDプレーヤ。ここでキーボードやヴァイオリンの演奏も。2F船室にアンプ。凄いシステムだ。

キーボード演奏と歌を歌うAちゃんとヴァイオリンのMちゃんが10時頃到着。披露宴会場でギターを弾くO君とミキサーの調整。3Fで聴くとヴァイオリンの音が大きくバランスが悪くなると分かりO君に2Fで聴いてもらいながら。ノイズやエコーがどこで掛かるの分からないまま手探りで調整。

式の開始は13時。偶然持っていたミニ三脚とホルダを使いiPhoneを固定して12:45頃からツイキャスを開始。最大ピークで14人が見てくれたようだ。緊張した音響も無難に終わり撤収を急いでN氏の車で披露宴会場へ。ここで全体写真を撮ってから宴会。

町長はじめ4人がスピーチをしたがどの話にも感動。私は飲むつもりで行ったがあまり酔わないまま17時頃お開き。ところが地元の人は誰も帰らないのでそのまま宴会続行。最後は23:30に幕。さすがに酔った。でも感動的ないい式だった。押しかけ出席して良かった。ありがとうございます。

手作り結婚式 (11月7日・月)


6日(日)は地元で結婚式があった。結婚したのは10月1日配信の上勝TVに来てもらったIターンカップルだ。大阪で知り合い上勝に農業訓練で来ていてそのまま家を借りたそうだ。それならと地元の方が結婚式を企画した。新婦が希望して日比野克彦氏制作の山の上の船でやることになった。

上勝TVで紹介したから知っていたが実のところ私は結婚式に招待されたわけではない。披露宴会場は公民館。座敷に座れる人数には限りがある。ところが妻が準備を手伝ううちに個人的に誘われたのだろうか。どちらか1人がよかったのかも知れないが祝福する場だ。2人で出たいと私が言った。

前日の土曜は上勝TVアーカイブをDVDに焼いた。お色直しの間に流すのだ。そんな話で披露宴会場に行っていてプロジェクタのスクリーンも持ちだした。12年前まで使っていたもの。夜は地元のT氏に誘われ今回の結婚式発起人の1人で音響を担当するN氏宅に行ってビールを飲んで。

当日は朝8時集合。椅子を運び公民館と船に紅白幕を掛け船には発起人H氏が阿南椿泊から借りたという大漁旗。さらに音響のセッティング。N氏はビデオ撮影があるというので音響は私が担当することになりリハーサルで初めて見るミキサーに格闘して。降水確率40%だが天気は曇り。(続く)

横浜ベイスターズ (11月5日・土)


最近はプロ野球をほとんど見ない。今年前半まではテレビで見かけるから両リーグの順位は何となく把握していた程度。だからストーブリーグの状況にも関心は低い。ただ横浜ベイスターズがTBSからDeNAに売却されるというニュースにはがっかりしている。

プロ野球はどこのファンかと尋ねられれば大洋ホエールズと答えていた時期がある。中学から20歳代の頃まで。横浜スタジアムに移転したのが小学6年の頃で新しいグランドとユニフォームが格好よかった。当時の選手も魅力的だったし横浜ベイスターズと名前を変えてからも気になっていた。

確かに球団の親会社など気にすることもないかも知れない。楽天も一度買うとしつこくDMメールを何通も送りつけてくるスタイルと外部リンク禁止というインターネットにただ乗りしたビジネスのやり方が嫌いでなるべく利用しないようにしているが今は球団は別のような意識もある。

一方のDeNA。携帯電話のゲームを無料だと宣伝して有料アイテムを知らずに買わせて社会問題になるような会社である。この会社を嫌うのは私が年を取ったせいかと思わなくもないがいずれにしてもこれで横浜ベイスターズを応援する気持ちは遂に消えた。

秋祭り (11月4日・金)


人口350人の地元の秋祭りが終わった。2日は午後から準備の手伝い。公民館から神社境内に机や椅子を運び込んだり自分たちで切り出した竹を組んで出店を作ったり。夜は花火が上がるので消防団で警戒。そのまま宴会。12時頃に退散して徒歩で帰宅。途中でY氏が拾ってくれた。

3日は10時集合でビール販売係。でも雨が降って傘を差したまま。ビール販売は若い女子らが来てくれたので途中から舞台の手伝いに。徳島から来てもらった人形浄瑠璃の公演があるのだ。太夫と三味線が入る特設テントを建てたりN氏が準備してくれていたマイクを設置したり。

人形浄瑠璃は傾城阿波の鳴門「巡礼歌の段」。「とと様の名は阿波の十郎兵衛」で知られる。しかし後段の物語は知らなかった。この有名な物語を初めて真っ当に見た。浄瑠璃が終わり獅子舞。1日の夜にS氏と一緒に音楽やナレーションをDigiOnSoundで作成していてその音響担当。

その後は怒濤の撤収。2時間半ほどで作業は終わり。公民館に集まり打ち上げ。だんじり組やお神輿組は別のところで宴会をしていたらしい。22時に公民館が閉まり我が事務所で24時過ぎまで。4日は10時集合でテントを干したり借り物を返しに行ったり。13時半頃すべて終了。やれやれ。

京都 (11月1日・火)


国民文化祭・京都2011「合唱の祭典」へは団長の車に乗せてもらって行った。京都南インターから堀川通りを北上して北山通りを東進。私が暮らしていた学生時代に地下鉄は京都駅から北大路までで北山まで開通したのはさらに後だった。風景は昔のままでもあり全く違ってもおり。

京都は確か景観条例があって高いビルを建てることができないはずだ。だから道路から見る周辺のビルはせいぜい3Fや4F建てまでで昔と変わらない風景に見える。ところが昔住んでいた堀川寺町あたりの風景を見ると全く違っていることに気がついた。

堀川通りから見て寺町を北に通り過ぎると寺があってその参道を通って下宿に帰っていたのだが寺の位置が分からない。入口をビルにふさがれてしまったようだ。それで一見変わらない光景に見えて実は全く違っているのだと分かった。変わらないのは歩道橋ぐらいだったか。

1983年から2年間住んだ堀川寺町上ル西入ルの下宿近くの路地はこんなに狭かったのかとも驚いた。当時は原付または自転車または徒歩で通っていたからか。女の子と彼女の卒業式の夜に一緒に泊まったホテルはANAホテルだったっけと小さな思い出に耽りながら通った町並みだった。

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© 2011 Takashi INAGAKI