2006年6月

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タイとベトナム (6月30日・金)


ハノイ郊外 6年前にタイのプーケットに行ったときの印象を表すとゲイとニューハーフとトゥクトゥク(幌付き軽四タクシー)だと言える。 今回のベトナムの場合は水田と牛とバイクかも知れない。水耕の牛をよく見た。バイクは4日間で何十万台も見た。

バイクの一番人気はホンダである。ほとんどが110cc。これに2人乗り。 2人乗りは許されているが3人乗りはダメなんだとか。ヘルメットは高速道路のときだけ被る。 スピード違反で5回捕まると5年間免許取り消しとか。 だから極端にスピード違反を恐れる。対向車同士で合図を送りあうのは日本と同じ。 チキンレースの運転手が突然安全運転に変わったりする。

タイのプーケットは大人の街だった。 欧米の毛むくじゃらの大男が現地のあどけない少年と手をつないで歩いている。 がベトナムは若者がバイクで走り回っているだけの子供の街だ。 想像する日本の戦後と同じように思う。 中国の嫌なところであり日本の嫌なところでもある何かを見せつけられているような気分がする。

インド文化の影響を濃く受けたというタイやカンボジアの方が異文化を見るなら面白いと思う。 プーケットは短期旅行者の印象でしかないがまだ好感が持てた。 そう言えば地図を見ていて気づいたのだが東アジアで外国の植民地になったことがないのは日本とタイだけなのである。 王室への尊敬を含め精神性で日本に近いのはタイのような気もする。

ベトナム人 (6月29日・木)


今回のベトナム旅行はトラブル続きだった。 既に書いたもののほかに国内線搭乗前に空港近くのショップでコーラに10万ドンも払わされた。700円である。 貨幣価値の判断が即座にできなかったのが悪いのだが隙を見せれば付け入れられる。

国内線で横に座った兄ちゃんの態度は大きかった。 食事はクチャクチャ音を立てる。周りを見るとベトナム人は皆なそうだったが。 国内線は着陸すると滑走路で携帯電話で話し始めるし。だから飛行機の電気系統が故障するんだ。

日本とはマナーが違う。 国が違うから当たり前だがどうしても後進国だと見えてしまう。 50年前の日本もこうだったんだろうとも思うが短期間の旅行者の印象としてベトナム人は我が侭に見えるのである。 ベトナムは朝鮮半島とともに中国文化の影響を受けた国らしいが中国人の嫌なところも受け継いでいるようだ。

中国人と言えば最後の夜に嫌な光景を見た。レストランで食事中の窓の外。 若い中国人観光客が道ばたのタバコ売りのお婆さん相手に置いてある全ての絵はがきの中を空け全部見て何度も繰り返し最後に値切っているシーン。 この間20分。かつての農協観光もこんな風に眉をひそめられていたのだろうか。

本家の中国。中国の影響を受けた朝鮮とベトナム。 同じく影響を受けた日本人の私からは嫌なところばかり目に付く。 そう考えると日中韓の政治情勢も似た者同士の近親憎悪なのか。 その段で言うとベトナムが国力を付けたときには日本とは政治的に対立する可能性があるかも知れない。 そう言えばベトナムは一党支配の社会主義国だった。

ホーチミン (6月28日・水)


マジェスティックホテル 更新できなかった昨日。この日は晴ときどき雨のち曇り。朝は部屋のLANジャックが抜けなかったりしてホテルの朝食を食べ損なった。 それで『サイゴンのいちばん長い日』で近藤紘一氏が奥さんの大家族と暮らした通りの一角にあるアジアン・キッチンでブランチ。 ミネラルウォーター2本ほか飲み物4つと食事2人分で約210円。安すぎ。

このあと大通りに出たところで妻と大喧嘩。 バイク数百台のの爆音とクラクションで人に声は聞こえないだろうし日本語も分からないはず。 心おきなく大声を出しての大喧嘩。そのまま歩いて雨が降り出しベンタイン市場で雨宿り。 この日は自由行動でカフェで休みながら市街をてくてく。小さな街でほぼ歩いて周ることができる。

妻は買い物に行き私は30年前に産経新聞やテレックスセンターがあった辺りや日本大使館(現領事館)など『サイゴンの〜』ゆかりの場所を見学。 夕食後は近藤紘一氏が最初の奥さんとサイゴン川を見たマジェスティックホテルのカフェでビール。(写真はカフェの中)

このあと足つぼマッサージ。タクシーでホテルに帰り荷物をピックアップし空港へ。 ホテルには集合時間前に行ったのに何か誤解をしたらしい日本人ツアー客に文句を言われながらも誤解の原因が想像できて少しおかしくなったり。 23:40発の飛行機で2時間の時差を足して成田7:40。

帰国後いったん荷物を持ち自宅に戻り勤務先その1にすぐ出勤。 前夜トラブルの一因にもなったスーツケースの鍵が本当になくなっていて最後まで事件が続いたのであった。 ベトナムの印象はおいおい触れていこうと思う。

ハロン湾 (6月26日・月)


ハロン湾 ハノイのホテルに朝8:30に迎えが来て今日はハロン湾。 奇岩の島が無数点在する世界遺産なんだそうな。 これまた何百艘もありそうな観光船の一つに乗り込み昼食を取り海上から見物する。 途中で島に上陸して巨大な鍾乳洞の見物も。 私が乗った船は日本人ばかり7組20人ほど。海上で都合3時間。

それより3.5時間かけて行った道程の方が印象深い。 バイクと車の交通スタイルについてだ。 生活道を兼ねた幹線では路肩が痛んでいたり自転車がいるのでバイクが車線の中央を走っている。 そのバイクを追い抜くバイクがあって車がさらに追い越そうとする。 対向車線も事情は同じなので3時間半の中でチキンレースを100回ぐらい繰り返すのである。

対向車線がバイクだけなら強引に追い越しにかかるが対向車が出現すれば走行車線を走る車やバイクに幅寄せすることになる。 このチキンレース100回には参った。 クラクションは自分の存在を知らせるためのようだがバイクもバイクで速い車がクラクションを鳴らしても避けない。 運転は誰も身勝手に見える。 交差点では最も路肩側から逆方向に向け直進車の前を強引に曲がっていくし。

さてハロン湾クルーズの後は1.5時間かけチキンレース30回ほどでハイフォンに行って市内観光を少し。 すぐ空港に移動し国内線で2時間かけホーチミンに22時着(この日と翌日の空港送迎はワンさん)。 ホテルに入ったのが23時。ルームサービスでフォーを食し今ネットにつないでいるところ。 このホテルのインターネット接続は1日あたり25万ドン。2,000円超。高いなぁ。

ハノイ (6月25日・日)


文廟 朝ゆっくり8時起床。 ホテルの中華レストランで朝食を取りガイドさんと一緒に一柱寺とホーチミン廟。 とにかく暑い。汗が体中から噴き出し滴り落ちる。 ホーチミン廟ではレーニン廟に似せた施設で建国の父ホーチミンを見る。 公開は午前だけとかで長蛇の列。外国人は特別待遇でショートカットできるがそれでも30分待ち。 私語写真厳禁。 私の前にいた日本人のおじさんはポケットに手を入れていたからか廟に入る直前に憲兵に列から離れさせられていた。

その後は昼食の前後に土産物屋を2軒と11世紀来の教育機関であった文廟と陶器の生産地に行きハノイに戻って水上人形劇を見る観光コース。 午後に行った専門店がびっしり並ぶ旧市街は変なモノがいっぱいあって面白かった。 夕食はガイドさんに教えられて行った店。 ビール2本と4皿にスープで16ドル。とにかく安い。

それにしてもバイクである。2人乗り3人乗りは当たり前で家族4人乗りも見た。 交差点では双方が群れになって突っ込んで来てそれなりに行き来しているのが不思議。 道路を走る車も道幅が狭いときお互いが避けるタイミングが日本より圧倒的に遅い。 日本ならケンカになりかねない状況まで正面衝突状態で近づき直前に避ける。 私はとてもベトナムで車の運転はできない。

横断歩道を渡るときもバイクは平気で突っ込んでくる。 ガイドさんによると一歩一歩ゆっくり渡るのがコツなのだとか。 バイクの方も歩行者がいることを前提に突っ込んでくるので急に走ったり止まったりすると逆に危ないらしい。 ハノイはこれでおしまい。明日は別の地に行き夜はホーチミン。

ベトナム (6月24日・土)


ベトナムエア 妻が昨日の日記に書いた通り今ハノイにいる。ベトナムである。 なぜ海外かと言えば妻の精神状態のためGW前から考えていたから。 妻は5月以降すっかり元気だが勢いに乗って来てしまった。 なぜベトナムかと言えば近藤紘一氏の著書を夫婦で読んだから。

朝6時前に起きタクシーで大きな駅に行き7時過ぎの電車で成田。11時発のベトナムエア。 ところが滑走路で電気系統に故障が見つかったとかで一旦搭乗口まで戻り飛行機からも降ろされ結局離陸したのは3時間遅れ。 ベトナムは日本より2時間遅れているので到着した17:30は日本では19:30。 家を出てから13時間後に到着。

空港からハノイ市内へは車で40分ほど。同じツアーの4組8人で移動し3組6人で夕食。 空港での朝食と故障修理待ちにミールクーポンで食べた昼食と機内食に続き今日4食目。 観光客向けの高級店らしく美味しいのだが全体に甘い。

ハノイ市内は2人乗りバイクの洪水である。 近藤氏や司馬遼太郎の著書で外食文化だとは読んでいたが土曜日でもあって特に若者はバイクに乗って飲みに行っているのだとか。 信号もあるが赤に変わっても前に続いて数秒間はバイク群が突き進む。 市内の町並みはタイにも近いが沖縄にも近い。なるほどアジアの南国である。

ホテルにチェックイン後スモーキングルームに変えてもらう間バーでビール。 部屋に入ってまたビール。この日記を書いているは現地22時過ぎ。つまり日本の24時過ぎ。 ただしADSLインターネットが1時間3ドル弱というのはいただけない。

試合時間 (6月23日・金)


ワールドカップ・ドイツ大会1次リーグ最終のブラジル戦。 朝4時からというので当然見なかった。 8時台にやっていた再放送を少し見ただけ。結果は1対4で逆転負け。

6月21日(水)付の日経朝刊スポーツ面に沢木耕太郎のコラムが載っている。 日本時間で午後10時にあたるドイツ時間午後3時キックオフで2試合連続戦ったのは日本を含めて3チームだけ。 日本を除く2チームは2試合時点で1次リーグ敗退が決まったと。 その例で行くと2試合で敗退が決まらなかっただけ健闘したとは言える。

今のドイツは夜9時ぐらいまで明るいのだそうで午後3時は最も暑い時間らしい。 なぜその時間で2試合続けて行ったのか。 テレビ局からの要請かサッカー協会のスポンサーへの配慮かということを沢木耕太郎はボカシながら書いている。

1次リーグの結果は実力相応だとするなら私たちは午後10時に応援を楽しめたのだからテレビ局だかスポンサーに感謝しないといけない。 これが実力ではないというなら頑張った選手たちは気の毒だと思う。

何が正しいのか分からないけど結局これからも懲りずにテレビで応援するんだろうな。 韓国と中国に負けなければいいや。という今は気分。

枝豆 (6月22日・木)


勤務先その2で枝豆をもらってきた。 同僚が実家から送られたのを持ってきたようだ。 枝葉についたままのもの。結構な数がなっている。

枝豆はビールのお供に最高である。 飲みに行くと必ず食べる。しかも速攻。口に運ぶ左手が休まる間がない。 ところがこれを妻に注意されている。みっともないというわけだ。

言われてみればみっともない。 妻はよく見ているもので枝豆に限らず柿ピーでも同じ。 クセなのである。言われて初めて気づいたのではあるが。

そんなわけでビールの季節。 が昨日飲み過ぎたこともあって今日は夫婦して休肝日になりそうな気配。 たまにはそんな日があっても良かろう。

有楽町 (6月21日・水)


某経済紙デスク氏と有楽町。そもそもW杯初戦のとき連絡をもらい設定した日。 私の3つ年長。独身の彼が結婚するというので何はさておき妻と参じた次第。 地方支局勤務時代の取材先の案内があったとかで八重洲の郷土料理店のはずが築地に変わり予約がとれず有楽町。

すっかり婚約者と会えるものと思っていたら彼1人。 ガッカリだけど心おきなくインタビュー。 そのインタビュー内容は内緒。 この10日間はデスク氏の彼女のことを想像して大いに盛り上がった我が家。 デジカメ写真を見せてもらったらとても安心できるタイプでホッとした。

そんなわけで根掘り葉掘り。 相手の家族構成から趣味やら諸々ワイドショーよろしく質疑応答。 途中からは彼と妻が趣味のダイビングの話題。 高さ1mはありそうなビールサーバーも注文して大いに飲んだ3人。 私は多分ビール3リットルほど飲んだかも知れない。

とにかく飲んだ。18:30待ち合わせだから5時間ビールを飲み続けた様子。 銀座から地下鉄とタクシー。 しばらく我が家はちょっと幸せな気分かも。 いいことだよね。 来月末には彼女に会えるのかな。その前に私にも宿題。詳細は追って。

28mmとAEB (6月20日・火)


ある技術セミナーに午後から出かけた。 と言っても受講するわけではなくセミナー入口にあるブースでの製品デモ要員として。 何人かが交代で私は12時から3時間半。 50分のセミナーがいくつかあり休憩の10分間だけ人が通る。 私が質問を受けたのは3人だけ。ただ立っている時間が長かった。

ついでに頼まれていた報告書用の写真撮影も。 さっそく新しいデジカメが活躍。 特にホテル宴会場の廊下に置かれたブースを撮影するとき複数のブースを入れようとすると撮影距離が必要になる。 こういうときに焦点距離28mmは効果大。画角の広さを実感した。

もう一つAEBも。基準露出と−側+側の3枚を連続して撮影する機能。 今までは手ぶれ回避手段を兼ねて使っていたことは前にも書いた。 このAEBは新しいデジカメを選んだ理由の一つだが今日はこの機能も活躍。 設定がボタンだけですぐできて便利。

いったん電源を切るとAEB設定がキャンセルされるのには戸惑ったが考えてみれば被写体によって設定を変えるものだから仕様としてはこれが正しいかも知れない。 それと電源のオンオフを繰り返し102枚撮影してバッテリーは余裕の様子。 ズボンのポケットに入れっぱなしにできる小ささも再確認。 素直に凄いなぁと感動してしまうのである。

デジカメLumix (6月19日・月)


先日買ったデジカメLumix FX01。 いろいろ試しているとパソコンに取り込むと色が悪いことに気が付いた。 掲示板などで指摘されていたことがやっと分かってきた。 部屋の中やベランダから撮っただけだけど今ひとつスッキリしない。

画質調整という撮影メニューにあった「ヴィヴィッド」というのにしてみた。 これで少し鮮明になる。 マニュアルによると暗い場合ノイズが目立つとあるが感度は低めで撮るのでヨシとしよう。 さらに見ていると液晶のクセも原因と分かってきた。

改めて被写体そのものの色と比べてみると液晶の色が濃いのである。 被写体の色はむしろパソコンで見る色に近い。 理由はデジカメ液晶を見る角度だと分かった。

液晶を正面から見ると色が濃い。やや上から見ると被写体の色に近くなる。 それで気づいたのだが撮影するとき私はデジカメを斜め上から見ている。 脇を締めて両手で構えると30度ほど上から液晶を見ることになる。 液晶をこの角度に最適化しているのかも知れない。

撮影するときは液晶を30度上から見るが撮影後は正面から見る。 これが液晶の特性に合っていないのではないか。 パソコンに取り込むと色が悪くなるのではなく液晶を正面から見ると色が濃すぎるのである。 つまりこのカメラの視野角の狭さが原因。と考えてみたのだが。どうでしょう?>師匠

ワールドカップ (6月18日・日)


ドイツ大会2試合目。クロアチアに0対0。 前回ほどの落胆はないけど次のブラジル戦は朝4時からというのでもう見ないような気がする。 今日は応援を楽しめたからヨシとしよう。

と書いたところで妻の日記を読んだ。 靖国神社に行って対ロシア戦勝100周年記念バッヂを買う彼女らしいとは思うが日露戦争は相手の自滅で勝利したに過ぎないのである。

日本海軍は真っ当な戦いをしたが相手が自滅しただけ。 日本陸軍は連戦連敗でしかなかった。ただ相手が政治事情で最後に勝手に退却しただけ。 むしろ背水の陣で玉砕し続けたのが日露戦争だったのではないか。 玉砕も大和魂だと言ってしまえば神風を信じた精神論で負けるだけ。

何を書いているのか分からなくなった。 ・・・今日はもう寝ることにする。

ケータイホルダー (6月17日・土)


懲りずにまた買い物をした。 今度は携帯電話ホルダー。 先日デジカメ用ホルダーを買って同じようにケータイでも使えれば便利かと思いついた。 ケータイの電磁波を嫌って体から離そうとバッグの中に入れることにしていた方針を若干修正した次第。

ケータイを使うシーンは帰宅途中での義母や妻への連絡が多い。 メールを送受信するだけだがバッグからいちいち取り出して片づける。 時計代わりにも使っているので時刻を見るためだけにバッグから取り出す。 そのためバッグのファスナーが壊れそうになったのも理由。

電磁波の影響は相変わらずダメで直接耳に付け通話するとすぐに頭痛がする。 だからイヤホンマイクは必須。これを付けたまま収納できるホルダが欲しかったのだが結局用途別に2つ買った。 イヤホンマイクが収納できるのとできないのと。

一つは休日用でイヤホンマイクも一緒に収納できる大きいタイプ。 平日はイヤホンマイクをビジネスバッグに入れるようにしてホルダーは小さなタイプ。 今回はついでにペットボトルのホルダーも買った。公園散歩用。 それと靴も。買い物はもう打ち止め。

『風の歌を聴け』 (6月16日・金)


AERAの6月5日号で村上春樹が特集されていた。 私は初期の3部作に没入したものの他は買っても読まなかった。 再びきちんと読んでみようかと思いデビュー作『風の歌を聴け』(講談社文庫)を取り出した。

何度も書くが村上春樹を読むべきだと私に言った人物は2人いる。 多分21歳ぐらいの頃。1人は警備員か何かのアルバイト先で知り合った同じ大学に通う文学部生。 確か1学年上だったと思う。もう顔も名前も覚えていない彼から教えられた。 もう1人は私と同い年の早稲田大学文学部生。私と同じ学科で同じサークルにいたO氏と後に結婚する当時の彼女だった。

あの頃は一気に読んだ。今回も期待していたが何か感覚が違う。 いや当時もこんな感じだっただろうか。『羊をめぐる冒険』は鳥肌が立ったのは覚えているが。 私の21歳は毎晩バーでビールを飲むようなことはなかったし女の子に泣かれることもなかったと思う。

ある意味スイートスポットが狭い物語かも知れない。 それが青春だとも言えるが私はそんな青春ではなかったし。 21歳の当時ではなく今でもなく20歳代後半ぐらいに読めば何か感じることがあったかも知れない。 20年以上経って読み直してそう思う。

rss (6月15日・木)


mixiで「マイミクシィ」と呼ばれるお友達の日記を読もうとしたら 「○○さんは外部ブログを使われています。」というメッセージとともにリンク先URLが表示されることがある。 どうするんだろうと興味を持って調べたら各々が日記サイトを指定しておくのだと分かった。

mixiはブログが書き出すrssを利用している様子。 ブログならエントリーを書いた時点でrssは自動生成されているはず。 これを利用して外部ブログの更新情報を反映しているのだと思う。 ところが私のこのサイトで同じことをするためには自分でrssフィードを作る必要がある。

そこでこれも勉強と思いrssファイル作成してみた。 編集には勤務先その1が開発したソフトを使い意外に簡単にできた。 ただしこのソフトは自宅のWindows98では動作しない。 なので内容は最小限にとどめエディタで編集できるレベルにとどめた。

このサイトにrssへのリンクは置いていないがrssリーダーに登録しても読めないはずなので念のため。 作成したrssには日記の本文は記載していない。ただタイトルと更新情報だけ。 でもこれで更新情報がmixiに反映されるのだろうか。自分では確認できないのである。 テスト配信もしてみたけど今のところ誰からも反応がない。何か違っている様子。

『歴史の交差路にて−日本・中国・朝鮮』 (6月14日・水)


アマゾンに奨められるまま買った司馬遼太郎・陳舜臣・金達寿『歴史の交差路にて―日本・中国・朝鮮』(講談社文庫)。 日本台湾朝鮮出身の3人の作家が日中朝の歴史について語る対話集。 中国と朝鮮を歴史から勉強してみようと思い買ったのだが。

朝鮮文字やモンゴル文字や朝鮮・中国の名字に弁髪とさかやきの風習などについて文化的歴史が語られる。 あるいは科挙試験や儒教が妨げた朝鮮の経済発展など政治経済にも話は及ぶ。 料理のことも。安定した火力の必要性から炭の発明が料理を発展させたと歴史講義。

だが難しいのである。 何せ古代から戦前までの歴史からの考察と日中朝3国相互の影響からの考察が入り交じり話はあっちに飛びこっちに飛び。 中国と朝鮮の歴史に素養がない私は全くついていけなかった。 科挙や料理の炭やモンゴルの話は何となく分かったのだけど。

科挙試験や宦官のことは「蒼穹の昴」(浅田次郎)で理解したしモンゴル遊牧民の生活と政治は「蒼き狼」(井上靖)で知った。 そういう素地がないとオランケや東学党や骨品制などと言われても分からないのだ。 お奨めはしないが日中朝相互の文化的繋がりの気分は分かる。

峠道 (6月13日・火)


事故のとき同乗していたK氏からメールをもらった。 そんなわけで調子に乗って。まるで事故自慢だが私自身の備忘録。

バック以外の自損事故は1度だが他に危なかったことはある。 冷や汗をかいたのは鷲敷から阿南に抜ける山道。 峠を越えると枯葉が溜まりガードレールがなく対向もできない狭い道だが頂までは2車線ある上りのワインディング。 右が山の斜面で左がガードレール。ガードレールの先は谷。 ここでタイムを計っていた。

徳大大学院生だったI氏のアマチュア無線部の後輩が事故を起こし連絡のため歩いて山を下りたと聞いていた峠。 アスファルト路面は良好で民家はなく深夜に走る車も皆無。 タイムは多分4分程度の区間だったと思う。 その一つの右コーナーでブレーキングに失敗して突っ込んだ。 止まったのは路肩の土の上。ガードレールの切れ目。 ガードレールに当たらなかったから事故にはならなかったが一歩間違えば谷の底。

それにしてもスタート地点に戻るのが面倒だからタイムを計るのはいつも一夜に1度だけ。 それを毎週金曜と土曜に1時間かけて1人で走りに行っていたのだから楽しかったのだと思う。 最高タイムを出した夜は徳大の研究室に報告に行ったこともあった。 よく野ウサギが飛び出してくる道だった。 集中して楽しんだから懐かしいのだけど路面はもう荒れてしまっているだろうな。

ワールドカップ (6月12日・月)


サッカーのワールドカップ。ドイツ大会の日本の初戦。対オーストラリア。 いつもは21時には部屋で寝る義母も一緒に24時まで見たのだけれど。 オーストラリアに逆転で1対3。ガッカリ。

いろいろ事前に予定稿を書いていたのだけど全てキャンセル。 今日の時点では何を書く気力もない。悪いこともいいことも。 ただガッカリしただけ。気持ちを切り替えるったって明日以降だな。

カメラグッズ (6月11日・日)


デジカメ周辺グッズを買った。 まずはケース。クッション性と取り出しやすさが購入のポイント。 3つぐらいまで絞った上でさんざん迷って一番軽いものに。 せっかくカメラが軽いのだからクッション性やデザインを犠牲にして小さいものにした。

次はミニ三脚。10年以上前に買ったものがあって十分小さいのだけどデジカメケースには入らない。 そこでもっと小さなミニ三脚。これとケースをセットで考え最も軽い組み合わせにした。 あわせてカードケースも一緒に。8MBとか16MBと中途半端なSDカードがあり緊急用に持ち歩くため。

日曜夕方は雨の中を街に買い物。妻が見つけていた小さなバッグ屋に行き物色。 ビデオカメラや財布や文庫本にサングラスなどの外出に使えるもの。 ウェストバッグでは小さくリュックでは大きい。 そこで肩から架けられるようなものを買った。

薄い手帳なら入るポケットが4つも5つもある。 幅のある収納スペースがいくつかあればいいのだがうまくいかない。 今日買ったのはベストではないがベターなものだと思う。 中の仕切を段ボールででも作ってみよう。 これで一連の買い物は終わりになったはず。

事故と室戸岬まで1時間35分 (6月10日・土)


車の思い出の続きを書こう。シルビアの最初の事故は買って1週間のことだった。 同僚I氏を助手席に乗せて蒲生田岬に行ったとき。 帰りにバックしていて廃材に後部を当ててしまった。I氏が声を上げて注意したのにそのままぶつけた。 何年か後に日経徳島支局の前で駐車しようと電柱にぶつけたのがバックでの事故2度目。

走行中の事故は休日の夕方4時頃。佐那河内から神山に抜ける下りのワインディング。 助手席には同僚K氏。タイヤが減っていたんだな。 左コーナー手前のブレーキングポイントに流れていた湧き水に乗った。 そのまま車が流れ右側の山の斜面に乗り上げて杉の木にぶつかって止まった。 バンパーが凹みボンネットもゆがんだ。対向車が来なかったのが幸い。来てたら正面衝突だったところ。

最も肝を冷やしたのは台風を見に室戸に行った帰り。 事前にGSに寄ったらタイヤがパンクしているという。空気を入れ1週間は持つという言葉を信じ21時半頃出発。 台風は通り過ぎた後で帰りは雨も止んだ由岐あたりのワインディング。 上り右コーナーが下りに変わることに驚いてアクセルオフしたらスピンした。対向車線で横向きにストップ。 これも対向車が来ていたら大事故になるところだった。

このときは徳島沖浜から室戸まで行きは1時間35分だった。120kmぐらいあるから平均80km/h。阿南までは信号もあって平均40km/hぐらいだから相当だ。帰りはスピンしながらも1時間55分。タバコも吸わずディープパープル「ライブ・イン・ジャパン」を聴きながら飛ばした。無茶はあのときだけ。いい思い出だが絶対にもうできない。

※過去の業務ファイルにあった社内報原稿を見ていて佐那河内から神山の下りワインディングで事故したのは1989年11月中旬だと分かりました(2021年3月27日追記)。

デジカメ (6月9日・金)


先日買ったPanasonic Lumix DMC-FX01の感想を少し。 まず小さい。そう思って買ったがとにかく小さい。 何せ私の携帯電話(FOMA N700i)より高さが5mm大きいぐらい。厚さは同じぐらいで幅は1〜2mm小さい。 携帯電話のイヤホンジャックを含めればデジカメの方が小さいのである。

IXYと比べて機能が優れているのは撮影直後の再生モード。 Canonはあらかじめ決めた3秒か10秒のプレビュー以外いちいち再生モードにしないといけない。 Lumixはその機能があった上でさらに一発再生が可能。 露出補正もIXYはメニュー経由らしいがLumixは一発で呼び出せる。

劣るのはファインダーがないこと。 ただ今まで使っていたG1でファインダーを使ったのはステージの阿波踊りを撮影するときだけだったかも。 三脚で固定して決めうちでの撮影。 考えればファインダーも見ずタイミングだけでシャッターを切った。だからこれは気にしない。

一方で手ぶれ補正は一つのウリだが万能ではない。 室内でISO200でフラッシュなしだとシャッター速度は0.3秒ほど。 この状況で何度か撮影して発見したのはシャッターは押したままの方がいいということ。 今まで押してすぐ離していた。これでは手ぶれが大きい。すぐ離さない方がいい。

それと室内でもフラッシュは使わない方が私は好きなのだがシンクロモードが結構使えることも発見した。 フラッシュを発光した上でシャッター速度を遅めにする機能。 いずれにせよこのカメラは露出優先やシャッター速度優先モードがないので半オートの制約付きだがだからこそ分かりやすい面もある。 まだまだ楽しめそうなのである。

stylesheet (6月8日・木)


この私の日記は読みにくいと妻が言う。 段落と段落の間に1行も空いていないからだとまで言われた。 そんなことはない。段落は3つから6つぐらいあって段落間は1行空いている。 それなのにそんな誤解をされるのはなぜか。

文字が大きいからだろうか。特に指定せず標準サイズのままで表示させていた。 最近のブログに比べれば文字は大きかったと思う。 でも標準タグで小さくすると文字は小さすぎるような気がする。 そう考えていて段落間ではなく行間が詰まっているからではないかと思い至った。
そんなわけで微調整。行間を130%指定。文字サイズも95%に。 見よう見まねで初めてstylesheetという技を使った。 しかもcssファイルを各ページから参照する方法。 やってみれば簡単だった。これで少しは読みやすくなっただろうか。

先日来ほかのページの表記方法も少しずつ変えているところ。 この日記を始めた7年前はHTMLの知識がなく作りがいい加減だった。 ぼちぼち少しずつ整理していこうと思う。 stylesheetの適用はトップページとこのバックナンバー以降だけにする。 文字の大きさを含めスタイルの変遷もまた日記サイトの面白さだと思うので。

デジカメ (6月7日・水)


2台目となるデジカメを買った。 IXY 800isかLumixか悩んだ末Panasonic DMC-FX01。 ヨドバシで37,500円。SDカード1GBも合わせて。 決め手はやはり28mmの広角。それにAEB。 妻の希望で色は白。PDAの師匠M氏と全く同じになってしまった。

掲示板で画質が悪いという意見をずいぶん読んだ。 だが指摘されているのは高感度(ISO800〜1600相当)の場合のよう。 そもそも高感度でノイズが乗るのは当然。G1でもISO400は盛大に出たしISO200でもそれなり。 だからG1ではISO50に固定していたほどだ。

画質が悪いという指摘について使ってみて思うのは使用方法の間違いだと思う。 デフォルトではシャッター速度は1/8秒以下に固定されている。 買ってすぐ室内で撮ると露出が足りず暗くなる。 それならとメニューで用意されている高感度モードにするとノイズが盛大に出る。そういうことだと推測する。

気になった指摘はディスプレイが明るい割に撮影画像をPCで見ると意外に暗いというもの。 だが店頭で調べるとディスプレイ明度も調整できる。 露出補正もAEBもあるからカメラのクセを知れば対処できると踏んだ。

少し使った印象はやはりカメラだということ。 完全オートでは面白くないのでいろんなモードを試していると結局は感度とシャッター速度とフラッシュの組み合わせを考えないといけない。 おもちゃを手にした私。当分楽しめそうなのである。

山道 (6月6日・火)


思い出したついでに。 ジムカーナに熱中していた同僚I氏の薦めもあってS13シルビアはいくつか小さな改造を行った。 ショックアブソーバーとリミテッド・スリップ・デフ(LSD)。コックピット鯛浜で20万円ぐらいした。 続いて徳大大学院生だったI氏の薦めでヘッドランプの補助灯も取り付けた。 沖浜のショップでアマチュア無線のアンテナもリアバンパーに付けた。

私に深夜ドライブの面白さを教えた徳大大学院のI氏は走り屋のマナーも私に教えた。 深夜だから民家の近くでは静かに走ることや民家に向けてハイビームで照らさないことなど。 群れないし吹かさないから暴走族ではないが知らない人が見たらそう思われても仕方がない。 民家の近くで静かに走ることだけは注意した。

友人からは暗い山道は危なくないのかとよく聞かれたが人が通るはずのない道ばかり。 対向車はヘッドライトですぐに分かる。だから昼間に走るより100倍は安全なのである。 ただ道に迷い方向転換をしようとした真横がお墓だったときは怖かった。 休憩しようと車外に出て真っ暗な視線の先の揺れるススキにも震えた。

危ないことがあったとすれば自損事故である。 車にも人にも当てなかったが走行中の自損事故は1度。スピン1度スリップ1度。脱輪2度。バックでの事故が2度。 スピード違反2度。次はそのことも思い出してみよう。

ドライブ (6月5日・月)


昔の本を整理しリストにして気づいたのは就職して10年間はほとんど本を読んでいなかったこと。 捨てたものも含めリストにした冊数の3倍ほど買ったはずだがほとんど読まなかった。 では10年間は仕事ばかりしていたのかというとそうでもない。 時間があれば車かバイクで走り回っていたのである。

88年秋に日産シルビアを買ってからの独身時代は毎週金曜と土曜の夜は80km〜120kmコースのドライブに出かけた。 金曜日は退社後だから22時か23時スタート。土曜日は夕食後の20時頃スタート。たいてい1人だけ。 走る道としては1車線ですれ違うとき1台が待避しなくてはならないような山道を好んだ。 そんな道だから100kmといっても3〜4時間はかかる。

当時徳大大学院生でアマチュア無線部だったI氏らが主催するラリーを何度か手伝った。 そのコースを走るのが定番だった。鷲敷〜阿南や川島〜三郷に鳴門あたりのコースを楽しんだ。 そのうち自分でもラリーを主催し始めコース作りのため未知の道を探しに行く楽しみも加わるようになる。

三郷村内で車が走れるところは地図に載っていない道も含め全て網羅したかも知れない。 狭く暗い山道をいかに速度を落とさず気持ちよく走るか。 両手両足と腰を使った身体性と集中力はスポーツ的な感覚だったと思う。ストレス発散にもなっていたのだろう。 本を読むより当時の私には必要な時間だったと今でも思う。

家 (6月4日・日)


午後になって妻と近所の大きな公園に出かけようとした。 少しは歩いて運動しようというわけだが家を出てすぐ見つけた「新築売り出し中」の小さな看板。 急いでいるわけでもないので矢印に従って歩いて行って見学してみた。

場所は最寄り駅から徒歩8分。 南向きに木調シャッター付き駐車場は2台分。 中庭の両側に風呂とリビング。風呂から庭が見渡せ外に出ることもできる。 今住んでいるマンションの風呂はテレビ付きだが窓がない。 外を見られる風呂はポイント高し。

リビングは2Fに吹き抜け。南向きの中庭から光が入る。 吹き抜けの2F部分奥が寝室。なかなか工夫を凝らした作りで感心した。 あちこちに明かり取りの細い窓もあって明るい。和室とロフト付きの部屋を含め4LDK。

ただし明かり取りの窓も隣家との境まで1mしかない故に大きな窓が作れないだけ。 私たちの場合は20年後に東京に住んでいるかも分からず購入はあり得ない。 なんて理由もそうだが今日見た家はそもそも絶対にあり得ない額なのであった。何せ1億4,000万円超だったもので。

本 (6月3日・土)


昨日書いた学生時代に読んだ本のこと。 一気に整理してリストにした。見直していると感慨深い。 東京で暮らした浪人時代に城山三郎を読み始めて沢木耕太郎にのめり込んだ。 京都に戻った学生時代は立花隆や村上春樹に向田邦子などを読んでいた。

何度かの引っ越しの度に邪魔な本を少しずつ捨ててきた。 リストにしたのは手元にあってタイトルが分かるものだけ。 多分この3倍ぐらいの本を持っていた。 全てを読んだわけでもないし当時は駄本も買っていたから今残っているのは本当に影響を受けたものだけだとは言える。

リストにしたものの中で筒井康隆と向田邦子と柳田邦男に本多勝一の本についての評価は適当にした。 同じような内容の小説やエッセイやルポであって作品ごとの違いをよく覚えていないのである。

今回も星5つは厳選したつもり。 星5つを全作品には付けなかったが筒井康隆の七瀬3部作(家族八景・七瀬ふたたび・エディプスの恋人)は一緒に読むことをお奨めする。 筒井康隆は大人になってこそ読むべきだと学生時代の親友EIK氏が言っていたのを思い出す。

それにしても前職時代の10年間にはほとんど本を読んでいなかった。 そんな余裕はなかったのだから仕方ないとは思うが逆に本を読む気にならなかった異常性に改めて気づく。

本棚 (6月2日・金)


この日記を今のスタイルに変えてから2ヶ月弱。 そう長々と書くネタが毎日あるわけもなく。実はもうネタがないのだ。 ここまで2ヶ月間ずいぶんと本も読んだがそれとて日記を書くネタにするためでもあって。

せっかく読んだ本なので整理したリストからアマゾンのアフィリエイトリンクも張った。 評価も付けた。読書傾向の似ている人には参考になるだろう。 この日記の読者数十人の中に似た趣味を持つ人がいるとも思えないのだが。

評価は星の数は最高5個だが2個が標準だと見て欲しい。 本は買う前に既に選択されているわけで星1個は買ったけどダメだったという判断。 星2個がまぁまぁの評価。だから星5個は厳選したつもり。

実は書棚の中をひっくり返し学生時代に読んだ本もまとめ始めている。 どの時代にどんな本を読んだかは極端に言えば私の生き方の歴史である。 このページはいずれ改めて紹介したい。はっきり言ってほとんど私の自己満足なんだけど。

そんなわけで今日も本のことをネタにして辛うじて日記を書くことができた。やれやれ。

『自分の中に毒を持て』 (6月1日・木)


昨日の健康診断の待ち時間に読んだ。 先日読んだ『沖縄文化論』でこの著者に興味を持ったのである。 岡本太郎『自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか』(青春文庫)。

アマゾンで奨められるまま買ったから内容を詳しくは知らなかった。読み始めて失敗したと思った。 自分の個性を大事にせよ世間を気にするなといったアジテーションばかりで学生向けだと思ったからだ。 そんなわけで飛ばし読み。

著者が戦前に留学していたパリで何人もの女性と同棲していたとか著者が子供の頃から親は一人の人間として扱ったとかのエピソードあたりから面白くなる。 後半はそれなりの人生論になってきて結構面白く読んだ。

芸術・政治・経済の三権分立を主張すると著者は書く。 芸術は人間と言い換えてもいる。 要は人間性を無視した生き方に押し込められているではないかとの現代人に対する批判であり提言である。 その生き方が芸術なのだと。

芸術とは職人やプロが制作するものではなく自分が心をありのまま表現することを指しているのだという。 「芸術は爆発だ」は言い換えれば「心を解放しろ」ということだと解説されている。 読むことをお奨めはしないが生き方のヒントにはなるかも知れない。 私が最近読んでいるような理論ではなく心そのもので訴える貴重な著者であり本である。

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© 2006 Takashi INAGAKI