2004年12月

大晦日 (12月31日・金)
午後から、東京は再び雪。みるみる積もり近所はすっかり雪景色。
夜に備えお酒がないと、雪の中を近所のスーパーに妻と買い出し。
夕方には風呂に入り18時前から家族で宴会。すっかり酔っぱらい。
終わってしまえば、あっという間の1年間。お世話になりました。

メガネ (12月30日・木)
年末最後の食材買い出し。義母と妻に私も同行。ラーメンを食べ、
義母のメガネを買いに行く。視力は悪いのにメガネなし25年とか。
買ったレンズは、ふらつくことがないように、と度が軽めのもの。
帰宅後、それでも気分が悪くなったと寝てしまった。大丈夫かな。

雪 (12月29日・水)
東京は朝から雪。積もらないだろうと思っていたが朝のうちに積もった。
寒さもあって灯油の消費も増加か。2度目の灯油購入。配達で2タンク分。
妻はHDRで録画した映画を見、私は仕事の原稿書き。第1稿をとりあえず。
雪の日、家でいられるのはありがたい。それでもやっぱり寒いのである。

VHS (12月28日・火)
妻の日記を併読している方はご存じだろう。妻の新選組への思い入れ。
NHK大河ドラマ総集編を楽しみにもしていた。当然、ビデオに録画した。
はずだったが、後から見るつもりだった第2部の録画に失敗していた。
設定したのは私。そんなわけでHD/DVDレコーダーを買ったのである。

ニュース番組 (12月27日・月)
以前にも書いたけど。報道ステーションは先週の月曜日で終わり。だから。
ニュース番組とはなんぞや。先週からは報道する価値あるものはないのか。
世間はまだ普段通り働いている。ニュースに季節はない。なのになぜ休む。
ニュースを見なくても暮らせる。ニュース番組からそう教えられたと思う。

図書館 (12月26日・日)
先週の祭日、近くの区立図書館に初めて行きカードを作った。
借りたのは正月休み対策で本を7冊ほど。妻も7冊ほど借りた。
品数は多くないが、街の本屋にはない本も多く、楽しいかも。

加湿器 (12月25日・土)
食洗機を買った直後、ついでに加湿器を買ってきた。ポイントでタダ。
2年前に買った原始的な加湿器も活躍中ながら部屋が増え不便なため。
店頭で2番目に安い、湯気が出るだけという単純な機種。これで十分。

食洗機 (12月24日・金)
妻は前の会社で食洗機のPRをやっていたことがあるらしい。
なもので、チェックポイントには詳しく、店員と話しながら
安さも考慮しあっさり決定。意外に大きいが奥行きは薄い。
義母にも少し楽してもらおう。水道代も安くなるらしいし。

食器洗い乾燥機 (12月23日・木)
食器洗い乾燥機は業者さんが来て分岐水栓を含めあっさり設置。
見た目は大きいがきれいに収まった。本格稼働はまだこれから。
洗い物の多寡と水量は関係なく食器は入れたままでいいのだと。
なるほど。水道代は減るだろうけど電気代は増えるんだろうな。

先送り (12月22日・水)
プロ野球合併球団からの転出が認められた選手。対して経営側の情けなさ。
まずパリーグ会長。1年間は我慢してその後話し合おうとただの先延ばし。
次は、元選手会長の、約束と違う発言でコロリと方針転換した球団社長。
オヤジ経営者のバカさとプロ野球組織のいやらしさの典型だったと思う。

転送 (12月21日・火)
響のメンバーにしてお寺の副住職Sさんに父の葬儀のことを相談。
Sさんのメールを母の携帯に転送したら、母はSさんに直接電話した。
転送という概念を知らず、しかも、わざわざ電話帳で調べたらしい。
メールが字数制限で3分割されていたのも原因。申し訳ありません。

PDA (12月20日・月)
6:45起き。自宅から空港は車で10分弱。7:40発の飛行機で帰京。
今回はメールもWeb更新もPDAと携帯電話FOMAを使って行った。
が、調子に乗ってWebなど見てたらパケット代が大変なことに。
とは言え使い方さえ気を付けば重いPCを運ぶ意味はないと実感。

丸亀・響・大吉 (12月19日・日)
午後、鳴門の「丸亀」でうどん。初めて来たが大きな店で驚き。
父の病院に行った後、妻を徳島空港に見送り。私は残って変な感じ。
夜は「響」の練習。多分3年ぶり。大学生以外はほとんど昔からの人。
団長ら5人で佐古の大吉。焼き鳥。帰りはS先生に送ってもらった。

徳島 (12月18日・土)
特にやることもない土曜日。お昼前、父の病院に様子を見に行く。
妻は仕事で昨日、名古屋から大阪。今日はバスで徳島入り予定。
13:00梅田発と連絡があり、15時ごろ高速鳴門停留所に迎えに行く。
夜はルネッサンスに行くも駐車場が満杯でモアナリゾートでイタリアン。

ぴろし氏 (12月17日・金)
来期からJリーグ加盟の徳島ヴォルティスのサポータークラブ代表T氏と。
Jリーグ加盟に動いた政治の裏にいた人たちの、予想どおり興味深い話。
後から、Mさんほか3名とk氏が合流。私は一方的に知られている存在らしく。
2次会は八百屋町。ずっと年下の人たちの宴会に合流。お邪魔しました。

編集長 (12月16日)
某出版社。業界一のパソコン誌の編集長が1月1日付で交代するという情報。
新編集長は、何と私の小学校と高校で1つ後輩だったF氏。思わず電話した。
抜擢?との問いに、でも40歳ですからと。確かに。失礼な質問だったかも。
この本の編集長は業界でも重さが違う。友人として、とてもうれしく思う。

怒り (12月15日・水)
夜、技術顧問氏による個人情報保護とセキュリティの職員向け説明会。
経営者やシステム担当が聞くなら分かるが一般職員が聞く内容なのか。
しかもパソコン誌に書いてあるような下らない一般論。訊きたいのは、
具体的な対処方法なのに質問に対し分からないと言う。2時間の無駄。

食洗機 (12月14日・火)
日曜日、食洗機を買った。水栓はメドを付けたが工事業者にお任せ。
妻によると土曜日のビックカメラは400円安かったが店員の対応悪し。
なので先週いろいろ調べてくれたヨドバシで。チラシで3,000円引。
元々安く工事費も無料。分岐水栓も割引対象。結構安かったTOTO製。

手帳 (12月13日・月)
今年は、今日、手帳を買った。例年より遅く昨年より1月半も遅い。
予定表はすっかりPDAで行い、手帳は文字通りメモ帳としてのみ。
それでも、ないと困るだろう。それより書店で探すのに苦労した。
私が毎年買うモデルはマイナーな様子。なくなって欲しくないが。

大河ドラマ (12月12日・日)
NHK大河ドラマは小学4年のとき「国盗物語」から見始めて多分31年。
うち半分以上は見たと思う。今日は今年の大河「新選組」の最終回。
妻はすっかりのめり込んだが、私も大河の歴史で最も泣いたと思う。
脚本も演出も何より役者がよかった。まだ余韻で泣けてしまう気分。

出社 (12月11日・土)
勤務先その2のWebページ改訂につき、準備のために午後から出社。
木曜日からそれなりに作業をしたが追いつかず。土曜日に10時間。
回線が遅く確認も時間がかかる。今ひとつ不安ながら続きは月曜日。

日本語力 (12月10日・金)
日本語力が低下している、とのニュース。おそらく若い人の問題のはず。
だけど、仕事で普通の日本語を書いている人は半分ぐらいなのが実感。
メールは意図が伝わればいいので構わないが、主に印刷用途の文書など。
新聞など正しい日本語を読まないからなのか。私にとってはミステリー。

食器洗い機 (12月9日・木)
食器洗い乾燥機を買おうかと物色している。先週末、店頭に行って確認。
問題は、機種の選定よりキッチン水栓に合う分岐水栓があるかどうか。
ところが水栓の型番が分からない。メーカー曰く製品に品番刻印はない。
管理会社でも不明。形状から推測はしているものの、どうしたものか。

IBM (12月8日・水)
IBMがPC事業を売却というニュース。関連業界にいる立場からすると、
マイクロソフトがアップルに出資、という数年前のニュースに次ぐ驚き。
IBMは、PCのリファレンスだったはずなのに。しかも相手は中国企業。
しかしIBMブランドの信頼がなければ日本では買われない気もするが。

徳島ヴォルティス (12月7日・火)
サッカーの徳島ヴォルティスのJリーグ入りが認められたと昨日のニュース。
サポーター団体の今は会長?元同僚のT君の活躍を思い涙が出そうになった。
福岡の私の部屋に泊まったとき聞いた街おこしの熱い気持ちには感動した。
徳島では署名もした。ヴォルティスより、まずT君に、おめでとうと言いたい。

水漏れ (12月6日・月)
12月の台風かと言われた温帯低気圧、日曜未明に猛烈な風が吹いた。
そのときの雨が原因か、寝室隅の絨毯が水がしみ込んみ濡れている。
管理会社に連絡、緊急技術班が来て措置はしたが原因がよく分からず。
最近跳ね上がった水道代とともにミステリー。まだ対応は続きそう。

キョウモト (12月5日・日)
中高時代、文化祭での彼のギターと歌は有名だった。キョウモト。
彼のギターと歌をおそらく20数年ぶりに聴いた。新大久保の労音。
彼が出入りしているライブができる飲み屋?の25周年コンサート。
オフコースばかりだが関学グリーで鍛えただけにうまくなっていた。

六本木 (12月3日・金)
勤務先その2の仕事で六本木。女子学園中学部、保護者向け講演のボスに同行。
メディアの方数名の対応。終わって歩いていると某放送局の記者氏とばったり。
私は忘れていたけど向こうは覚えていた。近くの殺人事件の取材なんだとか。
夜、勤務先その1に向かっていると旧知の社長H氏とばったり。今日も偶然の日。

中村さん2 (12月2日・木)
亡くなった中村さんは今秋、神奈川の病院で心臓の手術を受けていた。
そのことは後から聞いた。その後、たまたま一度だけ電話で話をした。
タバコは止めたけど酒はいいよね、と言っていた。よく飲む人だった。
中村さんはあの世でも、笑いながら楽しく酔っぱらっていることだろう。

中村さん (12月1日・水)
勤務先その1の取締役、中村さんが突然亡くなったと連絡を受けた。
福岡ではよく一緒にタバコを吸った。まだ50歳代半ばだったと思う。
福岡時代も東京でも何度か飲みに行った。本やお墓の話をした。
この会社の中にあって、文学や歴史などとても話が合う人だった。

 

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© 2004 Takashi INAGAKI