[色者(しきしゃ)のぼやき] 第37回

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「春爛漫♪コーラスジョイントコンサート〜耕さんと四国のゆかいな仲間たち〜」

日時:2010年4月11日(日)
場所:阿南市文化会館 夢ホール(徳島県阿南市)

<「響」単独演奏曲>
・「日本の民謡 第4集」より「弥三郎節(青森県民謡)」
今回は10団体もの参加があるため、各合唱団に与えられる本番単独ステージの時間はわずか5分しかない。MCの時間を除くと演奏曲はわずか1曲。この1曲で、しかも松下先生のレパートリーでもって、団の個性をアピールすることになる・・・選曲は難しかった、他の団もそうだっただろう。これまで「響」は松下作品をたびたび取り上げ、幾度となく松下先生の前でそれらを演奏してきた。そして彼はいつも新しいコメントを自分たちに与えてくれた。今回も松下先生に何か新しい歌で、“ほめられ”なくてもいいが“よろこんで”ほしい!・・・そんな思いから、松下先生のお気に入り♪と言われる「弥三郎節」に挑戦することにした。去年の秋の話である。

「弥三郎節」の原曲は、弥三郎が嫁をもらい、その嫁が家でいじめられ、実家にかえっていくまでの様子を数え歌にした“コミカルかつシリアス”な民謡。これを松下耕の感性でJAZZ風にアレンジされ、その上に“おしゃれ”が加わった秀作である。都会的センスあふれるハーモニーの構築に、田舎の男声合唱団員は本当に苦労した。音の難しさ、リズムの難しさ、表現の難しさ・・・松下先生の望むレベルに少しでも近づこうと、真剣に取り組んだつもりである。こんなに松下作品でド必死になったのは「Cantate Domino」以来である♪

<前日練習・前夜祭>
夢ホールに到着し、各合唱団の単独リハを聴く。ホールの残響がすごいため、よく響いてはいるものの、ぼわぁ〜んとしてて歌詞など何を言っているのかハッキリ聞こえないようだ。とくに「弥三郎節」のような民謡になるとそれが顕著になるみたい。子音をハッキリと、より言葉をたたて歌うことが大事になる。男声合同合唱曲の「時代」は、まだ何となく合唱団の間で仕上がりに差があるように感じられた。楽譜から目を離すことができない人が半数近く・・・「全部歌えなくてもいいから、前を向いて表現しましょう!」とアドバイスはしてみたが、さてどうなることやら。

松下先生が到着し、混声合同曲「この星の上で」の最終練習がスタート!客観的に聴いていてそれほど悪い音ではないが、指揮者やピアニストそして歌い手みんなが“少しでもいい演奏をしたい!”と、必死に練習に取り組んでいる雰囲気がずっと続いているのを感じていた。

前夜祭は、歌姫のM岡さんが司会を買って出てくれた。いろいろ用事がヤマほどあったので、内心とてもうれしかった。各合唱団で“出し物”をあらかじめ義務付けられていたため、響は「ゆけゆけ飛雄馬♪」を熱唱・・・といっても、実際は団長のF川がマイクを握り、あとはクールファイブ?的な役割だったのだが。大ウケだったので、まあヨシとしよう。

<演奏会当日>
午前中のリハーサルでは、終曲の「今年」の練習途中で、ピアニストが泣き出したのを指揮者が察して練習が終わった。自分もすでに泣いていたので、大澤先生も同じ気持ちだったのかと少しホッとした。リハーサルを終えてから、開演までのおちつかない時間をすごす。「お客さんは来てくれるのだろうか?」・・・これが最大の心配事だった。徳島市から車で1時間かかるこの阿南市で、いつもの演奏会のリピーターさんが来てくれる保証はどこにもない。加えて雨が降ったり止んだりの落ち着かない天候、新学期始まって早々の何かと慌ただしいこの時期・・・松下先生はじめ、せっかく愛媛や香川や高知から集まってくれた仲間に、空席の目立つ会場では本当に申し訳ない・・・不安で息苦しくなったぐらいである。

しかし開場前から人が列を作り出し、駐車場もすでにいっぱい。開場後も順調にお客さんがとぎれなく入ってくれた。開演前にはほぼ席が埋まった状態になり、本当にうれしかった。開演前には恒例の?「携帯切らなきゃ、お仕置きよ!(混声合唱版)」で、コミカルに携帯電話電源OFFの周知を促した。ここで失敗すると演奏会全体が重苦しいムードになるところだったが、さすがに選ばれたメンバーはきちんと役割をこなし、お客さんをおおいにリラックスさせたのではないだろうか。客席の心をつかんだ!と言っても過言ではない(→実際に、僕の知りうる限りでは演奏会中に携帯電話は鳴らなかったように思う)。

<プログラム>
1.女声合唱団「歌姫」→新居の麦打ち唄(「伊予のひめうた」より)
2.混声合唱団 Seagulls → 星屑の街
3.Serenitatis Ensemble → 四月の風
4.Diligo Musica → Ave Maria
5.レディースアンサンブルひまわり → モスクワ郊外の夕べ
6.高知ファミリーコーラス → 三原ヤッサ節(「日本の民謡 第5集」より)
7.フラウリッヒ・ヴォカール → 風(「たおやかな詩」より)
8.高松混声合唱団 → さくら
9.徳島男声合唱団「響」→ 弥三郎節(「日本の民謡 第4集」より)
10.コールサル → 落水天

11. 阿南市小中学生合同合唱団 → いろはにつねこさん・友達はたからもの
12. 女声合同合唱 → 川の流れのように
13. 男声合同合唱 → 時代

14. 混声合同合唱 → 「この星の上で」(全曲)

*すべてを松下 耕先生の作曲または編曲の作品である。たくさんの団体が出るので、単なる合唱祭のようにならないためにも演奏会自体に“一体感”を持たせたかったためである。松下先生はこのことを当初知って、とても恥ずかしがってらしたのだが・・・。

<演奏会本番>
単独演奏の出演順は、各合唱団からの希望を聞きながら、何となく自分が決めた。最初は“華があってなおかつパワーがある団体”ということで、「歌姫」さんにお願いしようと決めていた。彼女たちの委嘱作品でもある「伊予のひめうた」はさすがに自分たちの身体の一部のように、歌いこなしていたようだ。本当は全団体の演奏について書きたいところなのだが、自分は混声合唱団との掛け持ちがあったために、ほとんど他の合唱団の演奏を聴けていない・・・今から思えばこんなに残念なことはない。当日はバタバタしていて演奏することに精一杯であったが、ホスト団体であったとはいえ、今となっては非常に悔やまれる思いである。

響の「弥三郎節」本番演奏は、リハーサルでの反省をふまえてリズムと言葉をよりハッキリさせることにより、ここ2年ほどなかった(?)イキイキとした演奏だったように感じた。お客さんがたくさん入ってくれたことにより、ホール響き具合もちょうどよくなったのではないかとも思った。あとで松下先生から「響は、ひと皮むけたね!」と言ってもらえて、うれしかった♪

今回の目玉ステージであった阿南市小中学生合同合唱団の演奏・・・実は阿南市の小学校中学校ではそれほど合唱が盛んではない。音楽の好きな子供たちはほとんどが器楽のほうに進らしいのだ。それでも歌の好きな生徒はいて合唱に興味のある子供がいるのも事実である。そんな子供たちに是非とも“本物の合唱”を体験してもらい、合唱の素晴らしさを知り、その輪を広げていってもらいたい♪・・・そんな思いが、今回阿南市で開催しようと思った理由のひとつであった。とはいえ、これまで歌好きというだけで、とくに児童合唱の経験もない子供たちが、果たして松下先生の要求するレベルについていけるだろうか?という不安はあった。

自分は実際にこの子たちの演奏をきけなかったが、松下先生は「この子供たちは、なんて純粋な声で歌うのか!おそらく心が純粋なんだろうと思う。そして言葉がとてもクリアなこと!心の底から癒される演奏だった。」と、感動されていた。ピアニストの土肥先生は「演奏中感動で何度も泣きそうになった。」と・・・客席にもその熱い演奏は伝わっていたようである。この感動を胸に、これから子供たちが合唱の輪を阿南市の街中に広げてくれれば、何も言うことはない。

女声合同合唱は「川の流れのように」であった。大河のように朗々としたスケールの大きな、まさに合同合唱!というかんじだった。舞台袖で聴いていたが、歌い手ひとりひとりの顔が浮かぶような素晴らしい演奏だったと思う。そして男声合同合唱の「時代」・・・指揮者からの風変わりな練習に面食らったメンバーもたくさんいたであろうに、ほとんど全員が楽譜をはずして臨んでくれた。歌っているみんなの幸せそうな笑顔に、ついつい指揮者は癒されてしまい、少しテンポがゆっくりになりすぎた感があった。ポピュラーの歌い方はやはり難しい。お客さんには喜んでもらえたようである。

そしていよいよ混声大合同合唱の「この星の上で」となった。その前に実行委員長としての挨拶があって、実はそこでこれまであまり組曲を聴いたことがないであろう阿南の人たちのために、前もって「1つの組曲として演奏いたしますので、曲と曲の間での拍手はご遠慮くださいますようお願い申し上げます。」と周知する予定だったのだが、完全に舞い上がってしまってその部分をすっ飛ばして、挨拶を終わってしまった・・・歌う位置にもどってからそのことを思い出し、曲間での拍手がないことをずーっと祈っていた。特に松下先生は「ほほえみ」と「今年」のあいだの“間”を大事にされるので、そこでの緊張はマックスに達した・・・しかし結局、どの曲間でも一度の拍手もなく、最後に割れんばかりの大拍手をいただいた。観客の視線はとても温かく、マナーは最高であった。

自分は最前列で歌わせてもらったが、演奏途中までは前からも後ろからも何の物音もきこえず、演奏者も観客もとても集中しているのがわかった。裏を返せば、とてもリラックスして伸び伸びと歌った!という印象は全くない。ソリストの声を聴いて急に身体が熱くなり息苦しくなった場面とか、隣で歌っている人が涙を流しながらも必死に歌っているのを肌で感じたり、汗なのか涙なの分からないがそれを拭うこともせずに必死に手を振り続ける指揮者、そして同じようなピアニスト・・・そしてもう何も感情を殺す手だてがなくなった歌い手全員、さらにそれを食い入るようにみつめる観客、ホール内の空間がひとつになった瞬間だったように思う。松下先生が本番前におっしゃった「火の玉になる!」は、このことだったに違いない。何からはじまった連鎖反応なのだろう?伏線は前日から続いていたように思うが、今となっては必然としか言いようがない。今までいろんなところで、忘れることのできない合唱の経験をしてきたが、まさか徳島でもこんな演奏を体験することができるとは・・・松下 耕という人物の底知れぬパワーに驚愕の思いであった。

アンコールが終わり、舞台袖で指揮者、ピアニスト、歌い手みんながなんの遠慮もなく泣きながら抱き合っている。いい演奏ができたから!感動したから!・・・そんな理屈はどうでもよく、ただただお互いに感謝の意を表しているだけなのだとそう感じた。

<打ち上げ>
今回は、前夜祭とおなじ歌姫のI藤さんが司会者として仕切ってくれた。乾杯のあとしばらくして、松下先生の挨拶があった。しかしそれは挨拶ではなく、先生が、開演から自分の出番以外はずーっと客席に腰を据えて聴いていた各合唱団の演奏に対する講評だった。先生には専用楽屋を用意し、出番以外は休んでいただく予定だったのだが、先生にとって楽屋は単なる更衣室だったようだ。10もあった合唱団の演奏を、自分の曲への思い入れも交えながら事細かに解説してくれた。ほとんどステージを見ていない自分は、それを聞いただけで四国の仲間がどんな演奏をしたのか、目に見えるようでとてもありがたかった。打ち上げも終わりに近づき、“実行委員長の胴上げ”まで準備されていたのはお驚きだった。「重いのに、そんなのしてくれなくていい」と言いながら、実際されるとやはりうれしくて、枯れたはずの涙が出た・・・こんなことまで司会者たちが綿密に打ち合わせをしてくれていたなんて、一本取られた感じだ。

最後はみんなで「世界がひとつになるまで」と「今、ここに」を熱唱♪・・・指揮者全員でこの曲を指揮するという松下先生のご提案に従って演奏していると、そこへ先生が、この曲の作詩者でもある司会のI藤さんをエスコートしてきた。彼女はすでに泣いていて、それを見た自分も思わず泣いてしまった。人間はいったい1日にどれだけ泣けるのか?・・・素朴にそう思った次第である。

<演奏会が終わって>
1回目のジョイントコンサートは3団体、2回目は5団体、そして今回は10団体と、“四国のゆかいな仲間たち”は規模を大きくしてきた。しかし、それゆえに各合唱団のこのコンサートに対する思い、松下先生や大澤先生に対する思いは、少なからず温度差が生じていた。この差は直前までなかなか埋められずにいたのだが、前日から当日朝にかけて松下先生や大澤先生の異様なまでの集中力、そしてこの演奏会に対する並々ならぬ熱意を目の当たりにし、一気に10団体は一つにまとまったような気がした。場所が離れていてもこうしてすぐに一つにな れる“耕さんと四国のゆかいな仲間たち”・・・次はいつ演奏会が行われるのかまだ未定であるが、演奏会の有無にかかわらず、常にお互いを近くに感じられるそんな仲間たちで有り続けたいと思っている。

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−2010年4月16日更新−
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