[色者(しきしゃ)のぼやき] 第24回

ホームページへ

「第58回全日本合唱コンクール全国大会 in 新潟」

日時:2005年11月20日(日)
場所:りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館コンサートホール

そんなに寒くない日が徳島では続いており、 11月19日(土)新潟に空路降り立った時にはとても寒さを感じた。 新潟だから寒さもこんなもののか・・・と思っていたらタクシーの運転手さんと話すうちに、 実は今日から寒くなったのだという。。。一気に防寒態勢に拍車がかかる。

はやる気持ちをおさえつつ、コンクール会場の「りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館コンサートホール」に到着。 たしか5年ほど前の「コーラスワークショップ」でこのホールに来ているのだが、 自分が記憶していたホールの大きさより、かなり広いイメージである。 大学〜一般Aと聴いたが、よく響いているのはきちんとピッチがあってハモった時のみで、 テンポやピッチのずれははっきりと会場にわかるほどシビアである。 正直こんなホールで「響」は一度も歌った経験がないので、内心すこしあせりを感じる。

コンクール当日は、午前中より練習。前日練習ができていないぶん、練習もせっぱ詰まったものになる! ・・・と思いきや、意外と緊張感がない。久しぶりに顔をみせた東京組も入り、雰囲気はいい。 さすがに響も最近は四国を出ることが多くなり、それゆえの余裕なのか? と勘違いしてしまったのは、自分の大きな誤算であった。

午後から会場入りし、受付を終えてリハーサルへ・・・ ここで今回の会場に合わせた3列オーダーを試してみたが、 結構みんなお互いの声を聴き合えているようで一安心した。 なんとかこれで舞台へあがれる!と気合いは入っていたつもりであった。 ホール内に放り出された瞬間より、その自信は大きくゆらぐ。 ステージ上の空間の広さゆえか、メンバーの間がかなり広いことに気づく。 3列オーダーの段の上下もかなりあるように思え、指揮者からはかなり遠く感じる。 これで一体感のある音はなるのか? ・・・不安は的中した。 課題曲の出だしは声をひとつにするために「みんなでよく聴き合って歌おう!」と指示したせいか、 ピッチをあわせるのに必死でまるで音がとんでこない。 ピッチは最初から下がったままで、ポリフォニーのいきいきした音色は最後までまったくなかった。 非常に悔しいおもいをした。指揮者として演奏中にどうすることもできなかった無力感を嘆いた。 本番で嘆くぐらいならもっと練習で一生懸命やればよかった・・・ そんなことを課題曲と自由曲の間で思ってみても仕方がない。内心は動揺しきっていたように思う。 自由曲はすこしは落ち着きを取り戻したのか?それとも開き直ったのか? ハモリ具合はよくなったが、やはり課題曲の失敗を引きずったせいか、声にパワーがない。 エンディングも“思いのこもった力強いPP”が要求されたが、それもできなかったように思う。 10分ほどの演奏時間はあっという間に終わってしまった・・・本当に全国大会は恐いと思った。

もちろん、結果は「銅賞」 ・・・いつも銅賞をもらうのにはなれているはずだが今年の場合チョットいつもとちがう。 それは過去2回は「響」のその時のベストの力を発揮できての結果であったため、 演奏後はなんの悔いも残らなかった。 しかし今回は一生懸命練習してきたことを発揮することもなく終わってしまったため、 とても悔しさが残る。どうして力を発揮できなかったのか?いろいろ考えてみた。

1) ふだん使わない3列オーダーに対する不安感
2) 歌い慣れていないホールでは、その雰囲気にのまれやすい
3) 県外演奏が増えたことによる、気持ちの油断

「パートで声をそろえて歌う」という作業は、 本番でやるのではなくやはり練習できちんと出来ていないとダメ。 つまりは一人一人がきちんと歌えなければ30〜40人という中途半端な? 人数の合唱団では、さらに中途半端な音量にしかならないと思う。 個々のレベルアップが団のレベルアップの一番の近道であることはたしかなのだが・・・。

打ち上げでは、重苦しい雰囲気を敢えてみんなが出さず楽しそうにしているのが、 正直すこしだけ?苦しかった。でも素直な気持ちとしては、わざわざ働き盛りの社会人、 定期演奏会をひかえた学生みんなが時間をやりくりして、 新潟までかけつけてくれたことには心から感謝している。 この経験は必ず次ぎにいきると確信しているし、 悲観的になることなくとりあえず次に向かってもう一度立て直そうと思っている。


ホームページへ

−2006年2月17日更新−
© 2006 徳島男声合唱団「響」