[色者(しきしゃ)のぼやき] 第10回

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第10回「全四国男声合唱フェスティバル in 高松」(2003/1/12の演奏)

<出発〜到着>
午前7時40分、E川氏・E川夫人・ピアニスト・わたくしの4人(E川夫人の 豪快な運転のもと)で徳島出発・・・さすがに早い時間なのか一般道、高速道と もにすいている。「響」の団員たちも順調に走行している模様。途中、高知・愛 媛の各軍団の動向が気になり、助手席からメールを送り、どのへんを走っている のか確認し合う。同じぐらいの時間に到着しそうとのこと。。。便利な世の中だ。

<受付〜「響」リハ>
ホール入り口到着後、迷路のような通路を紹介され自分たちの控え室に。ホール 自体がとてつもなく広いため、自分がどこにいるのかもわからない。とりあえず ステージに行ければそれでいい。練習会場での発声を終え、リハのため舞台袖へ ・・・東海メールクワイアーが練習していた。須賀先生の指揮は相変わらずダイ ナミック。男声合唱の「老舗」的存在のこの団は、さすがにハーモニーが「熟成」 している。これでも本番なので「ひかえて」いるんだろうなあ〜。。。

さて「響」 の舞台リハ。みんな他の人たちはみんなステージ&客席から出て行って、まさに 「貸し切り状態」に。この段階では自分が「まだ楽譜みながらでいい」と言った せいか、みんなの声に緊張感がない。。。この時点で歌詞をまちがえるメンバー がいたため、「気合い」入れる意味もこめて少々キツく指導する。まあ誰もいな いのでいいや!と思って客席を振り向いた瞬間、吉村先生や須賀先生はじめいろ んな人が会場に座られているのを確認・・・団員に恥をかかせたかなあ〜。かな り反省。でも、ピアノの位置とか修正もできたし、みんなもこれで「ヤル気」出 してくれるだろうし。なんとかなる!かな?

<「合同演奏」リハ>
まず舞台に立つ位置を確認。あらかじめ決められていて、名札に記入されている。 自分はほぼ「最前列ほぼ真ん中」・・・「お客様扱い」してくれたとはいえ、指 揮者に息がかかるほどの位置、ちょっと緊張が走る。練習が始まるが、さっきの 「響」と同じで、演奏者に緊張感がない。ほとんどの人間が、吉村先生の指示を 書き留めようと楽譜をもって歌っていた・・・そのせいもあるのだろう。指揮の テンポとまるで合ってない。「本番は、本当に大丈夫なのか?」不安がよぎる。

リハが終わり、自分と同じような不安をもったのであろうか、演奏者のひとりが 「みんなもっと指揮をみて歌おう」と注意を促す。それでも吉村先生は終始リラ ックス・・・あの余裕は一体何なのか?とその時は不思議だったのであるが、本 番になると底知れぬパワーがかもし出されることを、先生は長年の経験からわか っていたのかも知れない。

<「響」本番>
男声合唱曲集「月下の一群」を演奏・・・吉村先生による「前ふり」で「この曲 は僕がコンクールで金賞をとった思い出深い曲です!」なぁ〜んておっしゃるも んで、とたんに「気合い」が「ド緊張」に早変わり。歩いて行くときに手と足が いっしょになってしまったかも知れない。。。「小曲」のピアノプロローグは思 った通りゆったりと流れてくれた。これにのれたのか!ハミングの流れもとても よかったように思う。でもボカリーズになった瞬間はカタイ雰囲気になったみた い。「輪踊り」はいきなりピアノが走り出し、どうなることか!と思わせた。途 中E川氏と目が合い「早いよなあ!」という視線を投げかけてくる。ついつい笑 ってしまう。ワルツにのってよどむことなく歌うことが、ピアノに必要以上にプ レッシャーを与えたか・・・フォルテとピアノの差をもう少し出したかった。 「人の言うことを・・・」は、今度は逆にコーラスが走ってしまった!「歌詞を ハッキリ言おう!」という指示が、みんなを焦らせたか・・・歌詞が歌詞なので、 表情たっぷりにやりたかったのだが、イマイチ「完全燃焼」まではいかなかった かな?メンバーもたぶん同じ感想だろう・・・まあ練習で必死にやっても、出せ る力はその「何十%」ってところだね。

「秋の歌」は「ねばっこくやろう!」と 思っていたのだが、緊張のせいかやはり少し「前倒し気味」に。でも逆に曲は流 れてくれたように思う。この曲が一番ピアノとの早さが合っていたみたい。最後 はピアニストの懸案だった「五連符のタイミング」もイケてたんじゃないかな? ・・・ハッキリ言って、もうこの辺になると合唱も自分もコントロールできなく なっているのが、この曲を演奏している時の「常」ではあるのだが。でも演奏終 わっていろんな人から声かけてもらって「失敗ではなかった」ということを確認 できてよかったかな。。。というか一安心だった。まずはひとつ仕事おわり!

<「合同演奏」本番>
舞台袖に待機している間も、各団それぞれ単独ステージを無事にこなした安堵感 からか表情がリラックスしている。全員並び終わって吉村先生から演奏前に「こ れからこのメンバーと十数間、楽しませてください。」というコメントをいただ く・・・「自分たちが楽しまないと相手を楽しませることはできない」という先 生のポリシーを思い出す。曲が始まり、まず自分の立っているこの位置を再確認 させられる!どれほどスゴイのかと言うと「吉村先生めがけて飛んできた270 人の声が、先生に反射して自分にとんでくる!」っていうぐらい。。。自分の声 はほとんど聞こえない。これはもう「演奏者」でありながら「聴衆」である。細 かいことは何んにもおぼえていない。ただただ、左右後方そして前方から押し寄 せる男声合唱の迫力に圧倒されていた。リハの時には感じられなかった「気合い」 が、演奏中ずっと体感できた。

そして間近でみる吉村先生の「やんちゃ坊主たち」 を優しく見守っているかのような素敵な表情&柔らかい指揮・・・4曲目が終わ って最終曲へ向かう前に先生は「最高!」とつぷやかれた。この人の指揮でこれ から何度歌うことができるのだろうか?と思うと、涙が出てきて、最終曲はほと んど歌えなかった。紅白やレコード大賞なんかで歌手が泣いてしまって、全然歌 えなくなってしまうのを見たことがあり「ちゃんと歌えよ!」なんてこれまで思 っていたのだが、やっぱり泣いてしまうと「まったく歌えない」ことがわかった。 「吉村先生、ありがとうございます。」という気持ちと「先生、終曲歌えなくさ せて、ひどいじゃないですか!」という気持ち、両方もったまま終了。。。

<打ち上げ〜帰宅>
おなじテーブルには、ターキーズのN内氏や我夢のM永氏がはからずも(?)お り、別の近づいてくる人たちと終始写真をとってよろこんでいた。余興は各団の 指揮者が、代わる代わる男声合唱愛唱曲を振ってみんな歌うという「おきまり」 のパターン。うれしくも例にもれず自分も担ぎ出されたが、振る曲は奇しくも今 日自分が歌えなかった「富士山終曲」・・・吉村先生がよこでニコニコしながら 見守る中、酔いも手伝い夢中で指揮した。。。結局、自分は歌えなかった。 いろんな人と知り合いになれた。演奏以上の収穫があった。これぞ「ジョイント コンサートの醍醐味」と思った。次回はいつになるのかなあ?何回出られるのか なあ?・・・いろんなことを考えながら、すでにご主人が帰宅してあせりまくっ ていたピアニストをのせて帰途につく。帰りは9時30分であった。



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−2003年1月23日更新−
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